Neetel Inside ニートノベル
表紙

秋島ユズキについて
「却下」

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 我が家の日本間のコタツで女の子が突っ伏している。
 発熱量の多くない電気コタツでは彼女に十分な暖を与えることはできないらしい。その細い手足をコタツ布団の中に深く突っ込みながら、彼女はきっと恨めしそうな顔をしている。
 卓上に零れた濡烏のような色の髪は、そのままどこかに流れてしまいそうなほど艶やかで、彼女が潜り込む安っぽい家具とは酷く不釣り合いに見えた。
 彼女は少し釣り目で、眉が細くて、体も細くて、なんだか全体的にシャープな印象のせいか、一見すると気が強そうな印象を与える。だいたい間違っていない。
 彼女は、秋島ユズキは臆病だ。
 だから他人とはちょっと壁を作って生きている。彼女は嫌われるのも嫌うのも臆している。壁の内側に入り込める人間以外は、気の強そうなフリで遠ざけている。
 僕は、その例外だ。
「しゅーじー!」
 日本間から僕のいる台所はすこし離れている。そこまではっきり届くように張りあげられた声には、微かに非難めいた色があった。
「なにー?」
 もうすぐ沸騰を始めるヤカンの前で、僕は気のなさそうな声で応答した。
「さーむーいー!」
「今あったかいお茶淹れてるからちょっと待ってて」
「うー……わかったー」
 ご不満そうな了承の返事が返ってきたところで、やかんがかん高い音を立て始めた。
 僕は二人分のお茶を淹れると、お盆にみかんを乗っけて、いそいそと日本間に向かった。
 四角いコタツの一片はユズキに占拠されている。常識的に彼女の左側の一角に座ろうとすると、待ったの声がかかった。
「修司、後ろ、後ろ」
「後ろに座れと?」
「うむ」
「なんで? 寒いの?」
「イエスイエス。ハリーハリー!」
 ジャパニーズイングリッシュで答える彼女は喜々としている。
「……失礼します」
 僕はユズキの華奢な体を背後から抱きとめるように腰を下ろした。
 寒いのでコタツに手足を突っ込むと、自然と彼女と密着することになる。ふっと香る匂いが鼻腔をくすぐる。落ち着くけれど、心のどこかがざわつく良い匂い。
 僕は微かな動揺をごまかすようにユズキに話かけた。
「……ああ、まぁ、確かに背中は寒いね」
「ふふふ。私は暖かくなりました」
「不公平だよね」
「ううん」
「違うんだ?」
「うん」
 なぜだ。
「みかん食べたい」
 ユズキは高校生のくせに五歳児みたいなことを言った。
「お食べよ」
「寒いので手を出したくありません」
 怠け者め。
「剥いて」
「頼み方ってものがあるだろうに」
「剥いておくんなまし」
 僕はユズキの言葉が里言葉になった理由を考えながらみかんの皮を剥くことに決めた。もちろん答えは見つからない。
「一個ずつね」
「食べさせろと?」
「うむ」
 いつも思うんだけど君は言葉が足りない。
 ひと房をちぎって彼女の小さな口の前に持っていってやると、リスみたいに彼女はパクついた。
 もむもむもむと咀嚼している。
「あまい。おいしい」
 カタコトみたいな感想を彼女は満足げに呟いた。
「も一個」
 無言で彼女の口に放り込む。
「うまうま」
 餌付けしている時のこの楽しさはなんだろう。僕はテツガク的なことを考える。
「もっと」
 僕はみかんのひと房を上に向かって放り投げた。
 落ちてきたみかんを彼女は桜色の唇で器用に啄んだ。
「食べ物で遊んじゃダメ」
「ごめん」
 叱られた。
「でも今の私のキャッチは中々のものだと自負してる」
 ユズキは誇らしげだ。
 僕は一度みかんを剥くのを止めて、かじかむ指先をコタツに戻した。
 この時期は家の中とはいえ寒すぎる。
 ユズキのお腹に手を回す。
「修司、手冷たいよ」
「さっきまで台所にいたし、今までみかん剥いてたから」
「論理的ね」
 そうだろうか。
「手が寒いならお茶で手を温めたらどうかな」
「……そうだね」
 論理的ね。熱くなった湯呑で両の手の平を温めると、じわりと痺れるように熱が広がっていく。そのまま、鶯色の水面に口を寄せる。
「あっつ……」
 指先の冷たさと湯呑の熱さは混じり合い、いくらかぬるくなっていた。そのぬるさに油断していた。中身はまだ熱い。
「大丈夫?」
「平気。まだ熱いのにちょっと多く飲みすぎた」
「おばか」
「うん」
 ちびちびお茶を啜りながら、僕に体重を預け始めたユズキを支える。
「座椅子」
 僕は彼女の座椅子。
「リクライニングして」
「腹筋が疲れるから嫌」
「筋トレ」
 無慈悲な。
 30度ほど傾けてみると、ユズキは容赦なくもたれかかってきた。小さな背中を受け止めていると、彼女の熱が伝染する。多分ユズキは僕よりも体温が高い。
 ユズキが後ろ手に僕のお腹を触る。
「お腹かたい」
「腹筋使ってるので」
 さすさす。彼女の手が這う。
「腹筋割れてる?」
「ちょっとだけ」
「ふーん」
 気のなさそうな返事。けれどユズキは筋肉が好き。
「あ、なんかプルプルしてきた」
「限界近シ」
「男の子なら根性見せて」
 殺し文句だ。
 結局、人間リクライニングの限界は5分も経たない内に来たのだけど。
「よく頑張りました」
 ユズキに子供をあやすように褒められる。悔しい。
 僕は楽な姿勢に戻る。
「お腹疲れた」
「みかん食べる?」
「食う」
「はい、あーん」
 彼女は僕が剥いていたみかんをひと房ちぎって僕の唇に押し付ける。
 もむもむ。
「美味しいよね」
「旨いね」
「私も食べよ」
 二人でしばし果実を貪る。
 お茶を飲む。
「はー」
 ユズキは深く息を吐いた。満足げだ。
「なっごっむー……」
「お茶もう少し飲む?」
「ん、もういいや」
 ユズキはコタツの中でもぞもぞしながら、体を捻った。
 至近距離で彼女が僕を覗き込む。
「ん?」
 僕は問う。
「ちゅーする?」
 ユズキはにやっと笑う。
「みかんの味がするよ」
 彼女は唇を重ねる。
「修司の味もする」
 彼女はクスクスと笑って、再び僕に背中を預けた。
 お茶を一口。
「口直し」
「ひどいな」
「いつまでも修司の味がするとくらくらするからね」
 ユズキは小さな声で言った。
「僕にも一口」
「嫌」
 ユズキは一言、照れくさそうに僕の要求を却下した。
 

       

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