Neetel Inside ニートノベル
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愛と笑いの夜
携帯小説

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 私たちの朝は早い。

 六時にアラームが鳴ると、来ないでと願って就寝したのにもかかわらず、今日という一日が始まってしまう。再び寝ようとしても五分おきにスヌーズ機能が働き、二度寝しようにも煩わしさの方が大きくなってしょうがなく起床する。
「おはよう……」
「はい。おはよう」
 ルームメイトに挨拶。歯切れの悪い私の声に比べ、なんと明瞭な発声か。まだ重い瞼に鈍い身体。大きな欠伸をして背伸びをすると、関節から破裂音が聞こえた。
 スヌーズ機能。一体誰が考えたのか、時間に縛られっぱなしの日本ではほとんどの人が使用して、助かっていると同時にうざったいと感じていることだろう。
 いつも同じ時間に鳴るとはいえ、起床してからまずすることは時間の確認。ディスプレイに表示される数字を見て今日も一日頑張るぞ、とはならない。大きなため息が朝の静かな部屋に響いた。
「寝て起きただけなのに随分とお疲れみたいね」
「そりゃあね。だって朝だよ?」
 まだ平日だ、休みはまだか、一日がまた始まる、仕事しんどい、出社したくないと負の感情がどこからともなく湧いてきては、頭の中でぐるぐるとミキサーにかけられる。それは今朝も変わらずで、今日を除いてあと二日出勤しないと休みにならない、と頭を抱える。
 二日という微妙な数字。週で言うと水曜日。木曜だとあと一日だと思えて頑張れるし、金曜なら明日は休みと胸が躍る。ちょうど疲れが出てくる水曜日が一番ダメ。そう熱弁する私を見て、そんな元気があるのなら頑張れそうじゃない、と彼女は言うけど、それとこれとは別の話だ。
 しかし行きたくないと思っていてもそうはできないのがこの現代日本に生きる社会人。
 生活をするにはお金がかかるし、お金を得るには仕事をしないといけないのだ。まぁ世の中には働かなくてもお金が入ってくる人も存在するけど、私たちは自ら勤労しないと収入がない人間。空からお金が降ってくればいいのに、なんて天地が逆さまになるくらいあり得ないこと。
 無駄なことを考えている間にも時間は刻一刻と過ぎていく。早く準備しないとご飯食べる時間もなくなってしまうよ、という彼女の声で現実に戻された。
「ほら、さっさと顔洗う。ぼーっとしてたら遅刻するよ」
「まだ一時間以上余裕があるのに、せっかちさんだなあ」
「その一時間をあっという間に消費して、毎回慌てるのはどこの誰かしら?」
「顔洗ってきまーす」
 逃げるように洗面所へ向かう私。
「そのひどい寝癖もちゃんとしなさいよ」
 口うるさい彼女はまるで私の母親のようだった。


 七時十五分。自家用車で通勤。片道三〇分。長くもなく、決して短くもない。
 今日の移動中の音楽はサニーデイ・サービスの『愛と笑いの日々』だ。再生するとフォーキーな曲が車内に鳴り響く。以前、もっと目が覚めるような音楽がいいと、MetallicaやMarilyn Mansonのような激しい選曲していたら、朝からそれは胃も頭も荒れてしまうよ、と強制的に変えられた。サニーデイもそうだし、はっぴいえんどとかThe Bandとか。どちらというと穏やかな選曲をしてくれる。
 このアルバムは結構暗めだよね、と私が言うと、
「基本的に別れの曲で構築されてるから。前作に比べてギターも重く歪んでるし、そう感じるのは至極真っ当な感性よ」と、彼女は答えた。
 私が何かを聞けば、彼女は何でも応じてくれた。
 例えば今日の天気を聞くと、最高気温と最低気温から降水確率、湿度に風向風速などを手早く調べてくれる。
 私が運転して、彼女は助手席に。そして彼女が選んだ音楽をかけて他愛ない会話をする。彼女と出会う前は、なんて退屈な三〇分間なんだと感じていたのに、今では通勤も楽しみの一つになっている。
 四十五分間の映画のような音楽に身を委ねて、朝の通勤路を走る。


 時間は十二時三〇分。お昼休み。今日のランチはパスタ。思わず写真をパチリ。
 同僚とおしゃべりしながらの昼食になる。この時ばかりは仕事のストレスから解放され、難しい表情をしてディスプレイに向かっていた顔も、いくらかほぐれる。まるで砂漠の中で見つけたオアシスだと以前彼女に語ったけど、賛同は得られなかった。
 むかつく上司の愚痴、恋愛話、どうでもいいことで会話が弾んで、あっという間に楽しくて短いお昼休みは終わりを告げる。
 会社にいる間、私たちが言葉を交わすことはない。仕方ないとわかっているのだけれども、やっぱりさみしいと感じてしまう。早く退勤時間が来ないかな。


 十九時四〇分。ようやく退勤。
 帰りの車中は通勤時と打って変わり、BPMの速い曲がスピーカーから流れる。今日はBad Religionの『Punk Rock Songs』だった。
 Linkin Parkだったり、Rage Against The Machineだったりと激しめの選曲になるのは仕事終わりの解放感を表現しているんだろうか。
 朝夜のセレクトは逆の方がいいのでは、と思っていたけど、確かに帰りは多少ノリのいい曲の方が心なしか運転もスピーディかつ滑らかになる。もちろん法定速度や交通ルールは守った上でね。
 音楽もさることながら、私たちの会話も弾み、帰路につく車内は朝よりも賑やか。騒がしいって表現する方がしっくりくるかも。
「あーお腹すいた。コンビニ寄ろうかな」
「太るわよ」
「うっ」
「最近ジーンズが履けなくなったんじゃない?」
「ううっ」
「ついに標準体重を超えたわね」
「うぐぅ」
「運動するからと言って買ったジャージは部屋着になって」
「ストーップ! ストップストップ! それ以上の攻撃はオーバーキルよ! 泣くよ、私が!」
 あまりにも無慈悲で切っ先の鋭い言葉が私を突き刺す。危うく前が見えなくなるところだった。
 彼女の言うことはすべて正しい。そこに悪意はなく、紛れもない事実を述べているだけ。ただ、もうちょっとオブラートに包んで欲しい。私という人間は想像より二割増しでデリケートなんだから。


 二十三時ちょうど。お風呂も上がって、スキンケアも済ませた。長かった私たちの一日が終わろうとしている。
 電気を消してベッドに飛び込む。地球の重力に身を任せる。寝るときの彼女の定位置はいつも私の隣だ。
「今日も一日お疲れ様」
「ほんとにお疲れだよ。あと二日あるっていうだけでもうゲンナリ」
「働いた分だけお金が入るんだからいいじゃない。仕事にあぶれて退屈するよりはいいと思うけど」
「そりゃそうだけどさぁ」
 要は考えよう。わかってはいるんだけど、それを実行出来るほど私は前向きな人間じゃないのだ。
「お金がないと、私との生活も消失することになるけど?」
「なんかやる気出た」
 彼女が小さく笑う。
「現金ね」
「それが私のいいところ」
「悪いところの間違いじゃない?」
 いつも不安になる。
 朝起きると、今までのことは全部夢だったと言われないか、と。
 今が楽しすぎて、変な恐怖が私に襲いかかってくる。それは結局杞憂に終わるんだけれど。
「ほら、夜更かしは代謝を悪くするよ。目覚ましもセットしたし、私も寝るから、もうおやすみなさい」
「うん。おやすみなさい」




 コードを刺すとピコンと音が鳴り、ディスプレイの右上に充電中のマークが付いた。おやすみモードに設定して、枕元に『彼女』を置いた。

       

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