陽子と春子のものがたり
プロローグ
私が荷物のチェックをしていると、妹の陽子がリビングに現れた。どこか怒っているように見える。短い髪の毛は、鳥の巣みたいにボサボサになっているし、もとから悪い目つきがさらに悪くなっている。
おはよーと声をかける私を華麗にスルーして、陽子はとことこ突っ切り、ソファーに座りこんだ。そのまま微動だにしない。
一人であることを確認して、私は尋ねた。
「あれ、春子は?」
いつもなら陽子より真っ先に起きだし、叫びながら駆けてくるアホ面っ子の姿が見当たらない。
「だから、まだ寝てるの……」
陽子と春子は双子でまだ小学三年生だった。高校三年生の私からしたら、まあお子様もいいところだ。昨日はあんなに楽しみにしていた旅行が目の前にあったとしても、眠気の魔法には勝てなかったようだ。
「でもさ、もう起きないと駄目でしょ」
「……起きないんだよ」
「しゃーない。じゃあ、私が行ってくる」
そういって立ちあがる。お父さんとお母さんはどこ吹く風といった感じで、春子が起きないことには気にしていないようだ。銀閣寺に行くかどうかで熱い議論を交わしている。まあ、最悪眠ったまま連れていけばいい、と考えているのかもしれない。
どこかの映画のように一人で家に置いてけぼりはかわいそうだけど。
二階まで駆けあがり、二人の部屋の扉を開ける。
「はるー」
二段ベッドのしたで春子は布団を抱えこみ、すやすやと眠っていた。まだ眠りの春は続いているらしい。
カーテンの隙間から漏れた朝の光が、春子の柔らかそうなほっぺたを照らしていた。
「京都いくよー」
耳元で大きな声で叫んでみる。
「おーい、京都だよー」
ほっぺたを思いっきりつついてみる。
反応なし。
「まったく」
どれだけ心地よい夢を見ているのだろうか。どうせ、旅行が楽しみでいつまでも眠れなかったに違いない。
階下から笑い声が聞こえてきた。お母さんとお父さんのだ。テレビでも見て笑っているのだろうか。朝にそんな面白い番組がやっているとは思えないけど。
「起きろ!」
思いっきり枕を引きぬいてやった。
春子の頭が布団に沈む。
見事に無反応。
しあわせそうな鼻息だけが、室内に響いている。
「まったく、世話かけるよなあ」
小さな体を抱きかかえた。そのまま階段を降りる。
リビングまでもどってくると、雰囲気がなんかおかしい。
「持ってきた……ん?」
なぜかソファーに座っていた陽子が泣いているのである。それも号泣といった感じだ。指で目を何度もぬぐいながら、なにやら、よくわからない言葉を発している。滅多にみない陽子の泣き顔に困惑する。
私がいない間になにがあったんだろうか。
お母さんとお父さんも私と同じ困惑顔である。だけど、その表情には少し余裕があって、なおさら私の頭に「?」が浮かぶ。
「どうしたのよ?」
抱きかかえていた春子を、とりあえずカーペットに優しく落いて、お母さんに問いかけてみる
「なんていったらいいのかしらね」
「……らしいぞ」
お父さんが口を開いてボソッといった。聞き取れないほどの声に、もう一回聞き直す。
「春子が死んだらしいぞ」
「はあ?」
いま降ろしたばかりの春子を見た。カーペットですやすや寝息をたてる春子はどうみても死んだようにはみえない。確かに、眠っていて起きないけど、顔色もいいし寝息もしてるし、ちょうどいま寝がえりうったし。
「……は、はる、し、し、しんだの」
陽子がぐすぐす鼻をすすりながらいった。
「はい。どうした。お姉ちゃんにいってみ。ちゃんと聞いてあげるから」
冗談ではなさそうだと判断し、陽子を安心させるように手を握った。
「ゆ、ゆめで、はる食べられちゃったんだよ」
「なんだと」
思わず私は笑ってしまった。あーなるほど、さっきの笑い声はこのことを聞いたお父さんとお母さんによるものだな。
「夢は夢だよ。だいじょうぶ春は生きてるよ。みてみこのアホ面」
「ちがうのー」
「なにが」
「は、はるはもう目覚めないんだよー」
「それって、どういうこと」
陽子はゆっくりと、どもりながら、夢の内容を語ってくれた。