■1『不可視の存在』
ったく。痴漢程度に文句も言えないとは、軟弱な女だ。
俺の宿主とは思えない気弱っぷりに、さすがに辟易とさせられる。
(……私と月翔を、一緒にしないで)
顔を真っ赤にしながら電車を降り、通学路を足早に進んでいく俺の宿主こと、
(ああいう事があったら、すぐ俺を表に出せ。お前にはできない事は、俺がしてやる)
(いらないってば……)
どうも、俺と陽菜の間には、まだ壁があるらしい。それなりに付き合いがあるんだから、そろそろ心を開いてくれてもいいと思うんだが。
まあ、どうでもいいが。
(お願いだから、学校では出てこないで)
わかってますよ。学校って場所は、どうにも馴染めない事ばかりだ。俺にとっちゃ退屈そのもの。
だけど、
(トラブルがあったら、悪いが出させてもらうぜ)
俺の声色から、何かを察したらしい陽菜は、露骨に不快感を露わにした。そういうのはたとえ隠されても、同じ体にいるからわかるんだけど、多少は隠そうとしてもいいと思う。
ま、そうは言ったが、陽菜の人生ってのは、今のところ俺が居る以外、平々凡々だ。
学校に行けば、少ないながらも友達ってのはいるし、イジメなんてものも体験していない。俺は陽菜の中で、まるで退屈なドラマでも見るみたいに寝転がりながら、陽菜の人生を見物させてもらっていた。
じゃあどういう人生がいいの、と言われたら返答に困るが、これを宿主である陽菜が望んでいるのだから、俺はそれを壊すつもりはなかった。
しかしまぁ、俺みたいなもんからすると、地味め女子の生活は派手さに欠けて、刺激が足りなかった。
陽菜が自らの席について、授業の準備を始めていると、予鈴が鳴ったのとほぼ同時くらいに、一人の女子生徒が教室に飛び込んできた。
校則違反なんじゃねえの、と俺は密かに疑っている亜麻色のツーサイドテール。羨ましくなるくらいラフな制服の着こなしで、素足に履きつぶした上履きを履いている。猫みたいに丸い目をしていて、笑顔になると覗く八重歯もまた、猫を思わせる。
彼女は自分の席に鞄を放り投げると、まっすぐ陽菜の前にやってきて、汗だくのいい笑顔を見せる。
「うっす! おはよう陽菜っち!」
気怠い朝からうるせえ女だな。
俺はそう思うが、しかし、陽菜はそうでもないらしく、読んでいた本を閉じ、微笑む。
「おはよう、志村さん」
いろいろでかい女(身長とかおっぱいとか)こと、
「いやぁ、ぎりぎりだよぉ。ウチから学校まで、結構距離あるからさぁ」
「また夜更かしでもしたんですか?」
「そうそう。友達と遊んでから、新しいゲームやってたら、相当遅くに寝る事になっちゃうんだよねえ」
志村はへへ、と笑って、八重歯を見せた。この女はどうやら、友人との付き合い、そしてゲームを趣味にしているらしい。俺はゲームってのも、友人付き合いってのもしたことがないから、睡眠時間を削ってまですることか? どっちかでよくないか、と思わないでもないが、それを俺が直接志村に言う日は来ないだろう。
「ウチよりも陽菜っちの家の方が近いんだよね。今度泊まりに行っていい? ゆっくり寝てから登校、ってのしてみたいんだよー」
びくり、と陽菜の体が跳ねて、わかりやすい動揺を見せる。
「ご、ごめんなさい。ウチの両親、外泊には厳しくて、友達を泊めるのもダメなんです」
完全に嘘だ。家が学校に近い事だけは言っているからバレないが、一人暮らしなので両親とかはまったく関係がない。
単純に陽菜が心配しているのは、俺が勝手に出てこないか、だろう。
望まれるかトラブルが無い限り、俺は出ないが。
しかし、俺に聞かれたくない話とかもあるんだろう。お泊りしたら恋バナとやらをするのが、女子のマナーだと聞く。男にそういう話は聞かれたくないだろう。
志村は唇を尖らせ、残念そうに目を細める。
「えー、そうなんだぁ。でもま、それはたしかに陽菜っちの両親らしいっちゃらしいね。そういう事言い出しそう、陽菜っちの両親は」
微妙に失礼な感じだな。お前陽菜の両親に会ったことないだろ。真面目な子を育てた親なら言うか、みたいなニュアンスなんだろうが。
そんな話をしていたら、授業開始のチャイムが鳴る。
「あちゃ……。鳴っちゃったか。またあとでね、陽菜っち」
「あ、はい。また」
そうして、志村は席に戻る。
概ねこうして、志村とくっちゃべるか授業するかで、陽菜の一日は過ぎていくらしい。
らしい、というのは、授業なんぞ俺は聞いてもさっぱりわからないから、陽菜の中でずっと寝ているから。
目を閉じて寝っ転がり、興味のない話を聞いていたら、意識がすっ飛んであっと言う間に放課後になった。
陽菜は部活なんてしていないから、授業が終わればさっさと帰るだけ。今日は友達との約束も無いらしく、まっすぐ家に帰るらしい。
(ふぁーあ……)
思わず、俺は大きなあくびをしてしまう。あんだけたくさん寝たんだけどなぁ。
(寝てたくせに、あくびなんてやめてよ)
学校から少し歩いた所、最寄り駅近くにあるショッピングモール内の本屋。俺には一生縁のない場所だ。陽菜はそこで、いくつかの小説を買おうかどうか迷っていた。
(お前、恋愛とミステリしか読まねえんだな)
俺は当然、四六時中陽菜と一緒にいる。だからこいつの本棚にどういう本が詰まっているかは大体記憶している。読んだ本の情報も、共有しているし。
そして、今陽菜が手にとっているのは、普通の高校生が非日常に巻き込まれるという、王道ジュブナイルだった。
(……そういうのが好きだから、それでいいでしょ?)
(その割には、そういう本も気になるんだな。買っちまえばいいんじゃねえか?)
しばし考えたが、結局陽菜はその本を元あった位置に戻す。
(なんだよ。結局、買わねえのか)
(うん……。やっぱり、こういうのは趣味じゃない。普通が一番いいよ)
そうかい。
俺は頷いた。しかし、元々陽菜は俺に対して関心が薄い。放っておいたら勝手に消えてくれないかな、程度に思っているフシがある。だからそれ以上のリアクションはなく、いつものように好きな作者の新刊を買って、本屋を抜けたら駅へ行き、電車に乗って近所のスーパーへ。
ほんと、いつもどおりだ。
今日の晩飯はレバニラ炒め。
中に俺がいる影響なのか、それとも元々大食いなのか、陽菜はよく食べる。肉と白米、甘いもの。それさえあれば食卓は完璧、という男らしいんだかどうなのか、みたいな好みをしている。
さて、そろそろ家にたどり着く。
あとは晩飯を作って風呂に入り、寝たらまたおはようという、お決まりのコースだ。
学校にいる間なら、誰かに告白されたりとかするかもしれないしで、なにか変わったことがあるかもしれないが、ここまでくれば、今日もお疲れ様でしたと言ってもいいだろう。
俺は、思わずうとうとしてしまう。一足先に寝ておくのも悪くはない。
だが、唐突に、陽菜の驚きが伝わってきて、俺の心臓も強制的に動かされた。
(なんだ、どうした)
(い、いまの、何?)
あん? 俺は、陽菜の視界から世界を覗く。だが、そこに変わったものはない。
「い、いま」
俺と会話するにしては珍しく、まだ周囲に人がいる繁華街であるにも関わらず、陽菜は口から言葉を発した。
「いま、目の前の人が、消えた……?」
周囲の人間が、陽菜の言葉を気にする様子はない。声が小さかったからだろうか、なんにしてもありがたい。
(消えた、って……)俺は、陽菜にバレないよう、舌打ちをした。
(おい、体の主動権渡せ)
「な、なんで」
(逃げるからだ。お前より俺の方が体力がある。いいか、逃げるぞ)
だが、陽菜は主動権を渡そうともしないし、動こうともしない。あまりにも現実離れした事が怒っているのだと、すでに察してしまったのだろう。
いいから、渡せッ!
力を込め、無理矢理陽菜から主動権を奪い取り、走りだした。
とにかく、まずは家にまっすぐ向かう。対処は後から――。
陽菜の体の安全が最優先。だったが、何者かに足を掴まれ、突然体を浮遊感が襲う。
(きゃあッ!)
陽菜が悲鳴を上げる。だが、俺は口を固く閉ざし、やってくるであろう衝撃に備えた。想像通り、背中に固いものを叩きつけられたかのような衝撃がやってきた
「ぐ、ぅ……!」
どうやら、近くのビルの屋上へ叩きつけられたらしい。骨は折れていないか、傷なんかできていないか、と体を確認する。どうやら大丈夫らしい。
(なに、何が起こったの!?)
「ちょっと、黙ってろ……!」
俺は立ち上がり、目の前を見る。屋上のフェンスの上に、銀色の体をした化け物が立っていた。鋭い爪に、細く長い手足。顔には口以外のパーツがない、全長五メートルはありそうな大きな化け物。
「くそが……」
(げ、月翔。なに、なにあれ……)
心の中で慌てふためく陽菜の気持ちが伝わってくる。あんまり動揺されると、こっちのテンションにも響いてくるから、少し落ち着いてほしい。
「落ち着け、いいか。こうなっちまった以上、しょうがねえ。戦うぞ」
(た、戦うって……。何言ってんの月翔!)
「安心しろ。お前の体は傷つけねえ」
(無理に決まってるでしょ! 私達、普通の高校生なんだよ!?)
「……いや、普通じゃねえさ」
俺は、メガネを外し、スカートのポケットに押し込む。そして、右手首に嵌めていた、黒いブレスレットを外した。そうすると、陽菜の体が、黒い煙に包まれる。
(なに、なに?)
その煙を振り払うと、陽菜の体が、俺の体になっていた。
身長一八五センチ、体重は変化していなければ八七キロ。黒髪の無造作カット。そして前開きの学ラン。久しぶりに体ごと表に出したが、何の変化もなくて安心した。
(なんで、なんで私の体が男の体になってるの……!?)
「黙ってろ」
俺は、ニヤリと笑って、化け物を見据えた。
「行くぞ、『
握っていたブレスレットが、俺の体長くらいはある、黒い棒へと変化する。
「あぁああきやぁあああっ」
化け物が咆哮する。
俺の戦意も、同時に高揚してきた。鳥肌が収まらない。
「今からお前を、ぶっ殺します」
心望を地面に突き刺し、一気に伸ばす。掴まっていた俺は、一気に化け物の間合いに飛び込むことができた。
長い手足を持っているから、逆に
だが、俺の心望は違う。
今度は短くして、小太刀ほどのサイズにして、化け物の顎を跳ね上げた。
「きぃぁ!」
化け物の背筋はさすがに発達しているのか、それだけでは仰け反る事はなかった。
「やるじゃねえか」
すぐさま、化け物の胸を蹴っ飛ばし、距離を取る。だが、その最中、長い腕が槍の様に俺めがけて飛んできた。
「心望!」
俺は心望を振るい、今度は硬度を調整。まるでヒモの様にして、それを空中でぐるりと蚊取り線香みたいに巻いて、再び最硬度に固める。
そんな即席の盾が、ガキン、と甲高い音を立てて、化け物の一撃を防いだ。
地面に着地、体勢を整え、すぐに硬化を解いて、元のロープ形態に戻し、先端を結び、化け物に向かって放り投げた。
しかしそれは、化け物の腋を通り抜ける。
(な、外し――)
「――て、ねえよ」
陽菜の心配は見当違いもいいとこだ。
俺の狙いは、最初からそこにある。フェンスの穴に引っかかって、戻ってきたロープは、何度も、何度も化け物の体をめぐり、その体を羽交い締めにした。
「仕上げだ」
思い切りそのロープを引っ張ると、化け物がフェンスに叩きつけられた。
それだけではダメージを与えられず、化け物は暴れて、その拘束から逃れようとして暴れだす。
「きぃあやぁあぁッ! きやぁああぁぅ!!」
どれだけ命乞いをしようと、俺には逃すつもりなどない。
ロープを硬化させ、拘束をより強固なものにする。
「アゲハ流――」
ロープを握る手に、力を込める。筋力という意味でもあり、別の力という意味でもあった。
「――縛殺陣」
一気にロープが締る。行き場を失った血液が内部で暴れだし、化け物の体が、鮮血を吹き上げてはじけ飛んだ。
返り血は俺の体に触れる前に消え去り、その場に化け物がいた痕跡は、一切残っていなかった。
「……調子乗って襲いかかってくるからだ。クソめ」
俺はため息をついて、心望をブレスレットサイズに戻し、腕に巻いた。
(さて。――あー、陽菜。帰ろうぜ、腹減った)
と、言ってはみたが、これは問い詰められるだろう。めんどくせえなぁ。
(――あれ?)
俺の予想では、『あれはなんだ』とか、『何か知っているのか』とか、そういう類の詰問が来ると思っていたのだが、予想に反して陽菜は静かだった。
それも当然。先ほどの光景が信じられなさすぎて、気絶しているらしい。
しばし考えて、
「ラッキー」
とりあえず、家に帰って、目が覚めたら、「実はさっきのは夢だった」とごまかそう。陽菜の現実には無い光景だろうし、多分ごまかせるだろう。
ごまかせるよな?