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翼竜憑きの蔑称
■2『出世に必要な物』

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 ■2『出世に必要な物』

  テンフは、いつもの様にアグレの背中に乗っていた。だが、頭に何かがひっかかっていて、アグレの歌に集中できなかった。
(なんだろうなぁ……。まるで、アグレがいきなり知らない歌を唄いだした、みたいな、違和感が喉から出てこないんだよなぁ……)
「どうしたぁ? 私の歌に飽きたか、クソ坊主」
「いや、アグレの歌は最高なんだけどさ……。すっげえ、昨日の事に違和感があって」
 昨日――それは、テンフと野盗が戦闘をした日である。無事に命が助かって、手柄を手にした日。
 だが、嬉しい、だけでは済まない違和感が、テンフの中にあった。
「違和感? ――まさか、自分が大それた手柄を立てたから、それを信じられないってんじゃないだろうねえ」
「……そんなんじゃないよ」
 あれは綱渡りもいいところだった。落ちればそこは地獄という、ぎりぎりの綱渡り。それを越えられた事を、信じられないわけではない。だが、何かを見落としている気がして、テンフは昨夜からずっと考えていた。
「わっかんねえー……」
「なら考えるのはやめな。いいかいテン。三秒考えてわからないことなら、それは捨てな。迷うってことは、重りを背負うってことだ。翼竜模法ワイバーンモードを使ってるアンタなら、わかンだろ?」
 翼竜模法。
 それは、テンフがアグレの動きを見て覚えた、人間が竜の動きを模倣するという、無茶な体術である。虫の動きを真似る、というのは異国にある。それをモチーフに、アグレがテンフに叩き込んだ。
 自らの牙で作った二本のナイフを、時には翼に、時には顎に喩えて戦う。それが、アグレ考案の『翼竜模法』である。
 獣の本能と、人間以上の知性を持ち合わせる竜を模倣するのだ。迷う事を、竜はしない。
 そして、獣は武器を持たない。だから、剣を苦手にしているのだ。
「ん。わかったよ」
「そんなことより、今日は楽しみじゃないのさ」
「……なにが?」
 アグレは、喉の奥を鳴らして笑う。ロクな事を考えていないんだな、と長年の付き合いで、テンフは察した。
「なにが、って。お前、わかんないのかい?」
「だから、なにがだよ?」
「……わかんないならいいさ。どうせ、すぐにわかる」
「なんだぁそりゃ……?」
 気にはなるが、すぐに疑問を手放す。すぐにわかるというのなら、考える理由はない。
 アグレはいつものように、王都の近くでテンフを下ろし、家へと帰っていった。
 そして、王都へ向かって鍛錬代わりにダッシュする。
 アグレの教育方針は、基本的に『走れ』と『狩れ』である。獣は自らを鍛えない、が、人間が獣になる為には鍛えねばならない。鍛えるとは、獣と同じ事をするという意味だ。
 だから、『走れ』と『狩れ』だ。
 一日に何キロ走ったかわからなくなるほど、足の裏が血まみれになるほど走り込み、翼と呼べる足腰を作った。
 一足飛びで馬の背に乗るほどの跳躍力と、一瞬で相手の懐へと潜り込む瞬発力。すべては、走り込みで得た力だ。
 小さく見えていた王都が、段々と見えてきて、正門を通ろうと、門番に挨拶をする。
「おはよーございます!」
 先輩騎士に、頭を下げるテンフ。門番は、笑顔で「よぉ、昨日はすごかったな!」と肩を叩いてくる。
「え、き、昨日……?」
「噂になってるぜ。キミの親代わりの竜が、騎士団の寄宿舎にやってきて、王都全土に響くくらい叫んだからなぁ。『私の息子が野盗と一人で戦ってる』ってね。んで、帰ってきた騎士達が、キミの大手柄を酒のツマミにしてたからね」
「そ、そうなんですか……?」
 結構、俺の事心配してくれてるんだな、とテンフは照れくさくなった。いつもはそっけないが、見てない所だとしおらしい。アグレってそういうタイプだったんだ、と新たな発見をした気分になる。
「あぁ。見習いがここまでの手柄を挙げるってのは、珍しいからな。いいよなぁー、俺も手柄挙げてーよ。コーラカルは平和な国だからさ、野盗だって滅多に見ねえんだ」
「そうですねえ……。俺も、初めて見ました」
「早速昨日の自慢話?」
 門番と話していたら、プリュスがいつの間にか横に立っていて、テンフは驚き「い、いつから?」と上ずった声で尋ねる。
「ついさっき。昨日はアグレの所為で起こされて、びっくりしたよ」
「あぁー……ごめん……」
「別にいいけどさ。それより、昨日の詳しい話教えてよ」
「詳しい、って言ってもなぁ……」
 門番に手を振って別れを告げ、二人はいつもの様に学園へと向かう。
 昨夜、アグレが王都に侵入しているからか、なんだか王都全体が浮足立っているように見えた。というより、事実浮足立っていて、テンフを見つめて噂話をしていた。いつもより少しだけわかりやすいだけで、いつもの事だ。テンフは気にせず、プリュスへ昨日の詳細を話していた。
「……翼竜模法。そのナイフ、そうやって使うためにあったんだ」
「まあ、ね」
「――なんで今まで使わなかったの? 模擬戦だって、使ってたらトラディスにだって勝てたかもしれないのに」
「いや、無理だよ。トラディスは魔法剣士だろ」
 魔法は、剣を極めながら学べるほど甘くない。
 剣は、魔法を学びながら極められるほど甘くない。
 だが時たま、剣も魔法も両方扱える、天才という物が居る。そいつらは大抵の場合、どちらかをより極めようとするが、その天才のさらに一握りには、剣も魔法も使いこなしてやる、と野心に満ちた人間がいる。
 それが、コーラカル騎士学園唯一の魔法剣士、トラディスだ。
「俺が翼竜模法を使ったら、あいつは確実に魔法をぶっ放してくる。魔法のダメージは洒落にならない、あいつが魔法を使ってくるなら、殺し合いになっちゃうし。――それに」
「……それに?」
「剣が苦手なんだ。命のやり取りにならない内に、俺は剣も習得したい。この国じゃ、剣が扱えないと騎士じゃないしさ」
 獣としての自分は、アグレとの生活で育てた。
 だが、騎士として、人間としての自分は、まだ未熟もいいところ。学校なのだから、それを学ばなくてはならない。

  ■

 学校でも、王都内と大して変わらない。むしろ、テンフを知っている分、噂話が具体性を増していた。
「ねえ、あの子でしょ。例の、翼竜憑きって」
 座学の教室。テンフとプリュスは教室の端に隣り合って座っていたのだが、そんな噂する声が聞こえてきた。どうやら、女子生徒の集団が、テンフの噂話で楽しんでいるらしかった。
「そうそう。いっつもトラディスくんに負けてて、弱っちいと思ってたんだけどね? 手柄を得るのも、騎士の大事な能力って事なのかなぁー」
「でも、今まで負けてたのに急に野盗に勝ったって、どうしたんだろうね。今までは手加減してたとか?」
 テンフにとって、嬉しいとは言えなかった。もちろん、認められるのは嬉しいが、それはせめて、なんの心配事もなくなってからがよかった。
「なんか、これはこれで居心地がよくないなあ……」
「いいじゃん、認められてきたってことだよ。もっとシャキッとしなって」
 テンフの背中を軽く叩いて、元気付けるように微笑むプリュス。だが、今までと扱いが違いすぎて、むず痒そうにしているテンフの気持ちもわかるのか、それ以上のことは言ってこなかった。
 なんだか、座っている椅子の表面に虫が這っているような気持ち悪さを感じながら、テンフは授業が始まるのを今か今かと待った。
 だが、ただで終わるわけもない。
 いきなりテンフの机が蹴っ飛ばされた。
 正体はすでに見るまでもない。トラディスが、テンフの机の前に立っていた。眉間に青筋が走っていて、かなりご立腹だった。
 そして、トラディスの後ろには、ファナックが信じられないと言った様子で、テンフを見ている。
「ちょっ、何してんのよトラディス!!」
 机を叩いて、立ち上がるプリュスを無視して、品のない笑顔でテンフを見る。
「よお……、飛竜憑き。昨日大活躍したそうじゃねえか。テメエのとこの竜の声が、ウチにまで聞こえてきたぜ」
「……ありがとう」
「ありがとう? ありがとうて、お前、俺が心底お前の活躍を嬉しがってる様に見えんのかよ? ムカついてんだよ、テメエによぉ」
「ほんとだぜ。一回もトラディスに勝ってねえのに、どうやって手柄モノにしたんだ? そこんとこは、詳しく知りたいけどな……」
 ファナックが、ジッとテンフを見つめる。その視線は、テンフの腰にあるナイフを見つめていた。なんとなく不愉快な物を感じて、それを手で隠すテンフ。
「お前、もしかしてよぉ、剣よりもそっちのが強いとか――」
「ファナック」トラディスが、小さくファナックの名を呼び、言葉を千切る。「おもしれぇ。飛竜憑きよぉ、今日の模擬戦、そのナイフでやれよ」
「……ダメだって」
 テンフは、微笑んでその敵意を躱そうとした。だが、視線が釘付けになったみたいに、トラディスは、テンフを見つめたままだった。
 仕方がない、と、テンフはトラディスへ視線を返す。
「このナイフは、学校内じゃ使えない。コーラカルの騎士だしさ、俺も」
 剣に生き、剣に死ね。
 それがコーラカル騎士の理念であり、ナイフを使うのは、自害する時くらい。
「――ちっ」
 トラディスは、舌打ちをして、自分の席へ戻ろうと踵を返した。そして、テンフにしか聞こえないくらいの小さな声で、『つまんねえやつ……』そう呟いた。
 ファナックもトラディスに続いて、その場を去っていく。
「ったく。やっかみもああまで行くと芸術品ね……」
 プリュスはイライラした様子で、机を人差し指で叩きながら、去っていく二人を見つめる。
「自分らがまだ手柄立てられないからって……。しょーもないったらないわね」
「まあまあ……。なんで俺よりプリュスが怒ってんのさ?」
「テンフが怒らないから、代わりに怒ってるのよ」
「……別に怒ってないわけじゃないけど、トラディスだって、同じ騎士隊の仲間になるかもしれないし。できりゃあ、無駄なトラブルは無しにしたいんだ」
「――プライドを守る為に怒るのは、無駄ってわけ?」
「そうじゃないって。俺のプライドとは違うから、怒ってないだけ」
「やっぱり怒ってないんじゃない」
「あっ……」テンフは、額を押さえて、ため息。「い、いいじゃん。俺の問題だし」
「目の前で起きたんだから、私の問題でもあるでしょ」
「そ、そうかぁ?」
 その瞬間、教室に戦術学の教師が入ってきた。授業が始まる、と、慌てて周囲の生徒達が机に座る。だが、予想に反して、彼の第一声は、授業とは関係のない物だった。
「あー、テンフ・アマレットくん。キミ、今日は授業受けなくていいや」
 皆が、教師からテンフに視線を移した。テンフは、自らの鼻を指さす。
「お、俺ぇ? なんでですかっ! まさ、まさか、勝手な事したから退学とか!」
「違う違う。王様からの呼び出しだよ。昨日の件が褒められるんじゃないかなぁ?」
 今度は、教室の全員が、叫んだ。当然、テンフもだった。
 騎士見習いが、直々に王から呼び出される。夢のまた夢、それを別の言い方にすれば、こういう状況になるだろう。

     


  ■

 王に会うなら、きちんとした正装をしなくっちゃならない。
 そう担任に告げられたが、しかしテンフは服なんてそんなに持っていない。困ったな、と思ったが、竜に育てられている現状を考慮してくれたのか、鎧を渡された。
 その鎧は、コーラカル騎士団の証。本来なら、卒業と同時に渡されるのだが、今回は特例ということでの貸出。
 初めて着る鎧に苦労しつつ、体を地面に縫い付けられるような感覚を味わいながら、城へと向かった。これが自宅から迎えと言われたら、さすがにテンフは鎧を断る。
「……獣は鎧を着ないんだよなぁ」
 玉座の間、その前。
 テンフは、大きな扉を見ながら、ため息を吐いた。真っ白な城は、中も白だった。赤い絨毯だけが強い色合いで、妙に目につく。
「……何か言ったか?」
 テンフの前に立っている、鎧を着た先輩騎士が、テンフを見つめる。屈強で、なんとも強そうな人だなぁ、体なんか、俺よりも数倍大きい。そんな風に、テンフも彼の事を観察する。
「あ、いえ。別に――。それより、先輩。先輩は鎧、重たくないですか?」
「そりゃあ、もう何年も着てるしな。お前、翼竜憑きって呼ばれてる少年だろ?」
「はあ。まあ、そう呼ばれてますね」
「初めて見たぜ。竜に育てられたんだって? それまた、なんで」
「別に大した事じゃないんですけどね――それなりに長くなりますけど、いいですか?」
「いんや。長くなっちゃ困るな。王に謁見するんだ。待たせるわけにゃ、いかないしな」
 そう言って、先輩騎士は大きな扉をノックして、「失礼たします! テンフ・アマレットを連れてまいりました!」と叫ぶ。中から、「入れ」と厳かな低い声が聞こえてきて、先輩騎士が扉を開いた。
 廊下から続く赤い絨毯の先に、玉座へ座る、一人の老人。長く白いヒゲと髪と、赤マント。風化した岩みたいにシワが走る険しい顔。彼こそが、コーラカル王国の王、マスカレイド・コーラカルである。
 王という自負が、彼の全身から威厳を醸し出していた。
 人間というよりも、獣の完成を持つテンフでさえ、彼のオーラには圧倒された。
 先輩騎士が、王の前に跪く。テンフも、『あぁ、そうするんだ』とその仕草を真似た。
「え、と。テンフ・アマレットです。住まいは、サマック村の近くにある森で――」
「バカッ。ちがう、普通の自己紹介じゃない」
 と、隣に座る先輩騎士から、小声で言われて、テンフは「えっ?」と、戸惑った様に彼を見つめる。
「学校で習わなかったか? 王に謁見する時の挨拶は、所属を言ってから、名前だけでいい。住まいなんて言う必要はない」
「は、はいっ。えと、コーラカル騎士養成学校、歩兵学科所属、テンフ・アマレットです。呼ばれたので来ました」
「……はぁ」
 隣で、先輩騎士が大きなため息をついた。先ほど、テンフが鎧に対して吐いたのと同じようなため息だった。
「そういう時は、『召喚に応じ、参じました』だ……」
「あっ、あははは……。すいません……」
 アグレから教わった事は、ほとんど鮮明に覚えているのだが、学園で教わった事はといえば、そんなに覚えていなかった。というより、なんだか頭に馴染んでくれず、とっさには出ないのだ。
「よい。まだ新米の若者だ。多少の無礼は見逃す」
「はっ。ありがとうございます……」
「あ、ありがとうございます!」
 王の言葉に、頭を垂れる二人。言葉にも態度にも出さないけれど、テンフは『かったるいなぁ』と思っていた。
 礼儀、人間社会で過ごしていくためには大事だが、テンフはそれに馴染めない。だからこそ大事だとわかっているのだが、それでもできない。
「騎士候補生、テンフよ。そなたの活躍、確かに聞いたぞ。候補生でありながら、多数の野盗に一人で立ち向かうその勇気。我が国の騎士として、誉れ高い。その働き、褒めてつかわす」
「ど、どうも……」
 隣の騎士に睨まれ、テンフは「あ、ありがとうございます」と慌てて言い直す。
「そこで、だ。そなたに褒美を授けたいと思うのだが、何がよい。申してみよ」
「……ほ、褒美ですか」
 テンフは、どう答えたものかと、首を掻いた。足も痺れてきたし、早々に立ち去りたいのだが、もらえる物があるというのなら、もらっておきたいのが本音だ。
「……え、っと。それなら、少しでいいんですが、お金をいただけると」
「金、か。なぜだ?」
「実は、アグレ――俺の親代わりの竜に、お世話になっている礼というか、まあ、そういうのをあげたいなと思っていて。なんでかは知らないけど、俺が騎士以外のことで金を稼ぐのは嫌いみたいで、他の所では働かせてくれないんです」
 だから、今回の事はいい機会なのだ。
 活躍を認められ、その褒美としてもらった金なら、アグレも受け取ってくれる。
 とくに欲しい物などないが、アグレへの恩返しならいつでも思いつける。だから、今回はアグレへの恩返しだ。
 王は、「なるほど」と頷いた。
「そなた、よほどアグレという竜を尊敬しておるのだな」
「そう、ですね……。親のいない俺を、育ててくれました。俺がこうして、まともに教育を受けられるのも、アグレのおかげなので」
 ふむ、と、王が息を漏らす。
 もしかして、ちょっと欲張りすぎたんだろうか、とテンフは一瞬焦ったが、撤回する前に背後から「お前か? 翼竜憑きと呼ばれている騎士候補生は」と少女の声。
 テンフが振り向くと、そこには、真っ白なドレスを着た、一人の少女がテンフをジロジロと見つめていた。頭にティアラを乗せた、金髪の少女。蒼い瞳は、王様と同じ。
 そこでテンフは、彼女が王女である事を察した。
「こら、シュティ。無礼な口を利くな。彼は騎士候補生、お前は王女と、確かに立場は上かもしれないが、彼は勇士。敬うべき者だぞ」
 王の言葉で、彼女が女王であること、そして、シュティという名前である事を確認した。
「……ふむ。噂には聞いているぞ。たった一人、野盗共に立ち向かった、翼竜に育てられた男、だな」
 間違ってはいなかったので、特に否定はしなかった。軽く頷いて、
「そ、っすね。その、テンフ・アマレットです」と言った。
「うむ。妾が、コーラカル王国の王女、シュティッダ・コーラカルだ」
 そう言って、テンフの横を通りぬけ、王の隣にある一回り小さな玉座に腰を下ろした。
「テンフ・アマレットよ。先ほどの、お主の願いだが、確かに聞き届けた。――騎士長よ」
 テンフの隣に座っていた男が、「はっ」とより頭を垂れた。
「宝物庫にある、金貨袋を彼に持たせてやりなさい」
「かしこまりました。――いくぞ、テンフ・アマレット」
「あ、はい」
 二人で立ち上がり、王とシュティに頭を下げて、玉座の間を出た。鎧の下は緊張の汗でびっしょりで、こういう場には向いていないんだな、とテンフが痛感するには充分すぎる出来事だった。
「なあ、テンフ」
「あ、はい。なんすか、騎士長」
「お前も今後、騎士を目指すんなら、上への礼儀ってのは、覚えておいた方がいいぞ」
「……は?」
「お前、礼儀がなってないからな。翼竜憑き、なんて言われて、竜に育てられたハンデがあるんだ。上に媚びなきゃ、出世のチャンスなんて巡って来ないぞ」
「……そういう、もんですか」
 そういうもんだよ、と、騎士長は言った。その笑みはどこか切なそうで、言いたくないことを無理に言っているようで、テンフもそれ以上は何も言わなかった。
 彼が騎士長という立場に登り詰めるまで、どういう苦労があったのだろう。
 テンフはそれが気になって、聞いてみたかったが、言葉にはできなかった。今後の自分がどういう気苦労を背負うハメになるのか、その答えが返ってきそうで。
「……俺もな、実は孤児なんだよ」
「えっ」
 いきなりの言葉に、一瞬、テンフは彼の言葉を飲み込めなかった。だが、すぐに彼にも親がいない事を理解する。おそらく、宝物庫へ向かうだろう彼の背中を追いながら、黙って彼の話を聞いた。
「まあ、戦争とかたくさんある世の中のクセに、両親が戦争で亡くなっても、その子供を保護しようなんて事にはならないからな。――どうにかして、一人で生きていかなきゃならない。お前は……どうなんだろうな。親代わりがいる、っていうのは幸運だが、それが竜ってのは」
「……どうなんですかね」
 アグレの事は尊敬しているし、実の親のように思っている。しかし、アグレの事で、『翼竜憑き』と呼ばれるのは、鬱陶しい。もし親代わりが竜でなければ、余計な苦労を背負い込む必要もなかった。
 恵まれていないわけじゃないけれど、恵まれているわけでもない――。
 自分は、どうなんだろう。
 考えたくない、わからない。三秒、テンフは考えもせずにその思考を放棄した。
 そこで話は終わって、騎士長は、宝物庫から、それなりの大きさの金貨袋をテンフに放り投げ、「じゃ、それで親に恩返しだな」と笑った。

  ■

 テンフが去った後の、玉座の間。
 シュティは、隣に座る父である王へと視線を向ける。
「父上?」
「なんだ」
 王は、「これから雑務がある。長い話なら、後にして欲しいのだが……」と、申し訳無さそうに目を細める。
「そんなにお手間は取らせません。――先ほどの、翼竜憑きの少年。竜に育てられた、と聴きましたが、それは真でしょうか?」
「……そうだな。お前も見ただろう、つい先日、我が城の前で雄叫びをあげたあの赤い竜を」
 アグレはあの夜、城の前で滞空し、「私の息子が野盗と戦っている! 騎士共を貸せ!」と、城に向かって怒鳴ったのだ。
 だからこそ、王はテンフの活躍なのだとすぐに、嘘偽りなく知る事ができた。
(……もしかしたら、そうして暗にあの少年の活躍だと、国に広めたのかもしれないな)
 シュティは知るよしも無いが、一国の主という立場である王は、アグレの狙いを察していた。竜とは、人間以上の知能を持つ存在。だからこそ、テンフがどういう立場にいるのかも理解しているはず。
 地位回復、そして、誰かに手柄を横取りされない為の釘刺しとしてのアピール。自分を使って、テンフの出世に役立てた。しかし、それだけじゃないのかもしれない。
 王は、アグレがどれだけ考えているのかを想像すると、年甲斐もなくワクワクしていた。アグレがどういう気持でやっているかはともかく、まるでアグレが、テンフという駒を使って、どれだけ王国内で出世できるかを試しているようにも思える。
 まるでゲームだ。ポーンがどれだけキングに迫れるか、というゲーム。
 そう思うと、王は、テンフの行末が楽しみになってくる。
「……父上、どうかなさいましたか?」
「あぁ、いや、なんでもない。それで、話しというのは?」
「いえ、それがですね、私にはどうも信じられないのです。あんなに覇気の欠片もない男が、野盗を相手に一人で立ち向かったというのが。竜に育てられたというのですから、もっと野性味溢れる、目付きの鋭い男だと思っていたのですが」
 まるで、そこに真偽が書いていると言わんばかりに、入り口の扉を睨むシュティ。
「人は見た目で判断するな。――まあ、そう言いたい気持ちは、わからんでもない。だが、この間の竜が――」
「――本当にそうでしょうか?」
 王の言葉を遮り、シュティは王を見つめた。
「どういうことだ?」
「あの男を見て、思ったのです。あの竜が来たからこそ、翼竜憑きである彼が立てた手柄だと、我々は信じている。しかし、もしそれが狙いだとしたら? あのドラゴンで、必要以上に自分の活躍だとアピールし、誰かの手柄を横取りした、ということはないでしょうか?」
 王は、一瞬ニヤリと笑う。娘の成長が嬉しいのもあるが、そういう試練アプローチもあるのか、と。別に、テンフに試練を与えたいわけではない。彼だって国民だし、嫌いだとかそういう個人的な感情を抱くほど知っているわけではない。
 けれど、『疑いが芽生えたなら、潰さなくては王ではない』
「……シュティはどうしたい?」
「ゲグゥト」小さく呟くシュティ。「今度、私は外交の為、隣の国、ゲグゥトへ行かなくてはなりませんよね? その護衛役に、彼をつけていただきたいのです」
「なぜだ?」
「もう少し観察して、私が納得を得る為です」
 にやり、と、意地の悪い笑顔を浮かべるシュティ。それを見て、ああ、やはり私の娘だな、と王は穏やかな気分になった。

     

 テンフは、大量の金貨が入った袋を抱えたまま学校へ行く気にもならず、そのまま王都グランデを抜け、いつものアグレと落ち合う泉まで行き、口笛を吹く。
 口笛が聞こえそうな距離にアグレはいないが、それでも、数分待てば、なぜかアグレが飛んできて、テンフの前に立った。
 ふしゅー、と、小さなため息を鼻から吐いて、テンフを睨むアグレ。なぜ睨まれているのかわからないテンフは、「な、なんだよ?」とたじろいでしまった。
「サボりか?」
「いや、こんなん持ってちゃ学校なんていけないからさ」
 そう言って、テンフは持っていた金貨袋の口を広げ、アグレに見せつける。
「……盗みか?」
「違うって! この間の野盗退治の報酬だよ。俺が騎士業で稼いだ金だ。受け取ってくれるだろ?」
「ふっ」
 鼻で笑うアグレは、「親孝行の息子を持って、幸せだよ」と言って、頭を下げる。
「茶化すなよ……」
 そう言って、テンフはアグレの頭に乗った。羽撃き、空を固め、その風に乗り、飛び立つ。
 優しい肌触りの風が、テンフの頬を撫でる。
「前から気になってたんだけどさぁ、アグレって、どうやって金稼いでんだ?」
 家に帰れば、きちんと晩飯が用意されている。いくらなんでも、タダで食材が手に入るほど、世の中は甘くない。テンフが自分で食材を買った事はないし、金を稼いだのも今回が初めてなので、アグレには何か収入源があるはずなのだが、それをテンフに明かした事はなかった。今までは、自分で金を稼いでいなかったので、そこに疑問を挟む事はなかったのだが。
「――気になるかい?」
「気にならない、って言ったらそりゃあ嘘だけどさ。悪い事して、稼いでるんじゃないだろうな」
「カカカッ」喉の奥を鳴らして笑うアグレ。「心配すんな。ちゃんと雇用を受けて、働いているさ」
「……ふぅん」
 アグレは、隠し事はしても嘘を言うタイプではない。だから、テンフも信用しているのだが、しかし、アグレが誰かに雇われている?
 竜は、そう簡単に出会える存在ではない。アグレに育てられているテンフでも、それは知っている。アグレ以外の竜に出会った事がないからだ。
 そんな存在が誰かに雇われているなど、噂にならないわけがない。
「その話、詳しく聞いてもいいか?」
「親の仕事に口を挟むなって。心配しなくても、悪い事はしちゃいない」
「そか。なら、別に俺からも言う事はないけど」
「そうさ。親のやることに口を挟むな。私がすることは、すべてお前の為さ」
「そういう事、堂々と言わないでくれよ。恥ずかしいじゃん」
「それよりも、テンフ? さっき、騎士の報酬って言ったが、それは王様に謁見してもらったんだろ?」
「え、あ、まぁ」
 テンフはふと、嫌な予感が背筋を撫でた。あ、怒られるな、と、なんとなくわかる時の感覚。
「お前、ちゃーんと王様に自分をアピールできたかい?」
「……あぁー、隣に居た騎士長には、もっと礼儀を覚えろって言われた」
「学校で習わなかったのか?」
 テンフは、アグレの背に寝転がり、「苦手なんだよなぁー」と空を見つめる。
「ったく。隣に私がいたら、アシストする所だったんだが……。お前も、一人でそういう事をできるようになりなよ」
「わかってるって……」
 テンフは、先ほどの騎士長を思い出す。寂しげに、『礼儀は必要だぞ』と言う彼だ。俺もああいう顔をしながら、ああいう事を言う様になるんだろうか。そう思うと、テンフは胸が一回り小さくなったように感じてしまう。
 騎士という職業を選び、しかしそれでも、アグレの様に自由を楽しんで生きてみたいとも思う。
「……なぁ、アグレ」
「ん?」
「今日の晩御飯、なに?」
「今日は羊肉のソテー」
 そう言われて、テンフは、「やった」と呟いた。
 アグレの料理は、本当に美味しい。どうやって作っているのかは、見たことがないけれど。

  ■

 翌日、テンフはいつもの様に学校へ登校し、いつもの様に授業を受け、いつもの様に校庭で、トラディスと模擬試合をしていた。
 彼の剣裁きは、テンフから見ても見事だった。攻防一体。
 テンフが剣を苦手としているのを差っ引いても、一方的な試合運びだった。
「そらそらどうしたぁ! ナイフ使ってもいいんだぜ!」
 突きを主体とした、トラディスの剣技は、力強さと早さを兼ね備えている。右手は剣用、そして左手は魔法用。いまは左手を遊ばせている為、本気を出していない事になる。
「俺は、剣を学びに来てるんだッ!」
 テンフは、トラディスの剣を弾きながら、なんとか懐に潜り込む隙を見つけようとする。胸を狙った一撃を、テンフは弾いて躱す。いまだ、と足に力を込めると、すでにトラディスは剣を手元に戻し、もう一度、突っ込もうとしてきたテンフへと放つ。
 言わば、遊ばれている。『今なら突っ込めるぞ?』と挑発され、突っ込もうとしたら『やっぱり殺す』と脅される。
 二人は、どちらも本気を出していない。
 テンフはナイフを使っていないし、トラディスは魔法を使っていない。
 だが、それを周りは知らないのだ。ただ、テンフが剣技で負けている様に見えている。
「おいおいトラディスー。ちょっとは手加減してやれよぉー」
 と、ファナックを含めた周りが煽る。だが、トラディスはそれを聞いても、イライラしたように顔をしかめるだけだった。決めようと思えば決められる。しかし、トラディスの何かが、そうはさせないのだ。
 木剣と木剣で鍔迫り合い、二人は額がぶつかり合うほど近寄る。
「テンフ――本気出せよ……ッ」
 テンフにしか聞こえないほど小さな声で、トラディスは呟いた。
「……俺は、いつだって本気だよ」
「ムカつくぜ……。お前、本当は、俺を弱いと見下してるんじゃねえだろうな……」
「……トラディスは強いじゃないか。魔法剣士、憧れるよ」
 そう言った瞬間、トラディスは、テンフの胸を蹴っ飛ばし、距離を取った。
「うぐっ――」
 倒れたテンフの首元へ、トラディスの剣が伸びる。
 普段なら寸止めで終わるそれだったが、しかし、今日に限って止まらない。竜に育てられたとはいえ、テンフも人間。喉を潰されたら、さすがに死んでしまう。
「トラディス、やめ――ッ」
 ファナックが、止めようと声をかけた。だがそれよりも早く、テンフ達の担任教師が、トラディスの木剣を掴んだ。
「……トラディス・トーレ。そこまでだ」
「……掴まれなくても、やめる気でしたよ」
 剣を引っ込め、舌打ちをし、背を向けて、その場から去ろうとするトラディス。だが、担任教師はその背に声をかけて、呼び止めた。
「トラディス・トーレ、ファナック・アイザック。お前ら二人とも、ちょっと待て」
 立ち止まったトラディスは、堂々とした態度で、教師の元へ戻るが、テンフへの扱いに罪悪感を抱いているらしいファナックは、オドオドとした態度で、教師へ近づいた。
「テンフ・アマレット、お前も立て」
「はぁ……」
 なにも悪い事をしていないテンフでも、少しだけ心配になった。不甲斐ないとか、そういう事を言われそうな気がしたから。けれど、そんな心配は、すぐに杞憂だとわかった。
「お前ら三人――いや、プリュス・ロココ含め、四人か。ツイてるな」
「……は?」
 声を上げたのは、ファナックだった。
 担任教師は、その声を無視して、言うべき事を並べ立てる。
「いいか、お前ら四人で、今日の放課後、王宮へ行け。姫様が隣国ゲグゥトへの外交の為に行くんだが、その護衛役に抜擢されたぞ」
 おぉ、と周囲から歓声が上がった。
 姫の護衛、騎士にとって、戦争と同じくらい花形の仕事だ。大事な物を守る事は、実力があるからこそ任せられる事。
「そ、それ本当ですか! やったなトラディス! これ、僕ら出世街道に乗ったんじゃ!?」
 ファナックは両手を挙げて喜んでいたが、その反対に、トラディスはまた顔をしかめて地面を蹴る。
「……どうしたんだ? トラディス」
「バッカヤロォ……。この仕事の意味、わかってて喜んでんのか?」
「どういうことだ?」
 舌打ち、そして、「もういいよ」と、今度こそ、その場を去っていく。
「なんだ? トラディスのやつ、変なの」
 そう言って、ファナックは一人、ごきげんそうに、周囲の生徒達へと自慢しに行く。テンフ一人だけが、その場から浮いていた。彼も、トラディスの言う通り、この仕事の意味について考えていたからだ。

 ゲグゥト。
 ここ、コーラカルの隣国であり、独裁軍事国家である。無理な侵略で着実に領地を広げているが、コーラカルに対しては少し足踏みをしている状態だ。
 なぜ? アグレの所為だ。
 竜一匹で、大砲いくつ並べるハメになるのか、考えるのも億劫になる。初めてアグレがコーラカルに現れた時も、まるで戦争という空気が流れたほどなのだ。だからこそ、ゲグゥトも手を焼いている。
 だが、きっかけさえあれば、いつでも攻めてくるだろう。
 そんな国へ行く護衛を、騎士候補生に? もちろん、テンフ達だけではないのだろうが、それでもおかしい。
 実戦経験の無い騎士候補生など、足手まといにしかならないはずで。

「……あの姫様か?」
 ほとんど勘で呟いたが、それが外れているとも思えなかった。
 理由はわからないが、あの姫はテンフの野生にビリビリと引っかかる何かを持っている。
「先生」
 疑問に思ったなら解決しないと、迷いになる。
 迷いは枷となり、命を地獄へ引きずり落とす。
 テンフは教師へと質問した。
「どうした、テンフ・アマレット」
「……いえ、トラディスは抜擢される理由がわかります。魔法剣士ですから。俺もまあ、野盗との戦いを認められたと思えば、わからないでもないですが、なんでファナックとプリュスまで?」
「さぁな……。俺達だって、一応反対したんだ。お前が言った通り、トラディスは実力的にも問題ないが、テンフは実力が足りていない。……正直言うと、教師達の間では、お前の活躍はまぐれ、というのが通説なんだ」
 申し訳無さそうに目を逸らす教師に、テンフは「そりゃ、そうでしょうね」と微笑む。何せ、今まで一度だって勝利という物を人目につくところで見せた事のないテンフだ。そんな彼の実力を信じろ、という方が無理だろう。
「だがまあ、ファナックもそれなりの実力はあるし、プリュスも相当やれる。――それでも、学生レベルでは、だ。正直、不安しかない。おかげで人員を、護衛としては破格の人数つけるハメになった。そうでもしないと、お前らを入れるわけにいかないからな」
 気苦労を感じさせるため息に、思わずテンフは「おつかれさまです」と言っていた。すぐに「お前の所為だ」と言われた。

     


  ■

 テンフは、放課後になる少し前に授業を抜け出し、アグレと合流する泉へと走り、そこで口笛を吹いた。竜の聴覚で聞き分けているのか、それとも魔法的な要因があるのか、とにかくすぐにアグレはやってきた。
 ズシン、と静かに響く音を立てて着地し、鼻を鳴らしてテンフを見つめる。
「ちょっと早いんじゃないのかい?」
 帰宅時間の事を言っているのだとすぐに察したテンフは、「このタイミングしか伝えられないと思ってさ」と言って、少し誇らしい気持ちを抑えながら、胸を気持ち張る。
「実は、姫様の護衛役を任されてさ。今日は帰れそうにないから、晩飯はいらない」
「そうか」
 あくび混じりに返事をするアグレは、今にも「そんなつまらないことで呼び出すな」と言い出しそうだった。期待したリアクションとは大分違っていたテンフは、思わず顔をしかめた。
「いや、ちょ、これ大抜擢なんだけど!?」
「わかってるさ。だが、それくらいは、私の息子ならまあ当然だ」
「……」褒められているのか、それとも褒めるまでもないと言われているのか判断が出来ないテンフは、黙ることしかできなかった。
 当然、アグレが内心で『私がお膳立てしたんだから、当然』と呟いているのも、テンフはわかっていない。
「じゃ、帰ってきたら特別豪華な晩飯を作ってやるよ」
「お、おう! 楽しみにしてる!」
 微笑んだアグレは、再び翼を撃ち、空へと舞い上がって遠くへと消えていった。その姿を見ながら、天を仰ぐテンフは、舌なめずり。
「なに作ってくれんのかなぁ……」
 アグレの料理上手いからなぁ、と呟いて、再び王都グランデに向かって走りだした。早く戻らなくては、時間に間に合わない。充実した気力を足に漲らせ、地を抉る様に蹴る。

 グランデが見えてきて、正門前にたどり着くと、すでに姫を乗せた馬車と、護衛部隊のメンバーが待っていた。
「すんませんっ! 遅れました!」
「遅いぞ候補生!」
 部隊長らしき、浅黒い肌に大きな体格の男が、テンフを怒鳴りつけた。
 後ろの方で、ファナックがバレない様にクスクスと笑っていた。その隣で、トラディスはテンフを見ようともせず、怒った様に目を閉じていた。
「ったく。こういう作戦では、時間厳守が当然だ!」
「はい、すいません!」
 頭を下げるテンフ。部隊長は、腕を組んでテンフを見つめる。
「ったく、いいか候補生。俺はお前が翼竜憑きだとか、そんなのはどうでもいい。特別扱いなどせんぞ。部隊での戦いに置いて、もっとも大事なのは仲間と共に戦う事だ。当たり前のようだが、これはやるべき事を端的に表したからにすぎない。時間を守り、仲間を守り、国を守る。これが騎士の仕事だ。わかるな?」
「はい!」
「ならばよし!」
 部隊長は、テンフの肩に勢いよく手を置いた。少し痛かったが、彼の態度は気持ちのいい物で、テンフは部隊長に少し好感を抱いた。
「テンフっ、テンフっ」
 と、大柄な男たちの中に、一人見知った女性がいるのに気付き、彼女――プリュスへと駆け寄るテンフ。
「まったく。大事な仕事だっていうのに、なに遅刻してるのよ?」
「いや……。アグレに晩飯はいらないって言いに行っててさ」
「アグレなら、テンフの分だって食べられるでしょ」
「あいつはああ見えて、結構少食なんだよ。それに――」
「それに?」
「――食べ物を粗末にしちゃ、死んじゃうぞ」
 ふぅ、と溜息を吐くプリュス。テンフの過去を知っている彼女にとっては、彼の言葉が意味する所はわかるので、それ以上は問わない。
「それじゃあ、翼竜憑きも来たし、ゲグゥトに出発するぞ。到着は明朝になる。まあ、何も無いとは思うが、命の覚悟も騎士の仕事だ。行くぞ」
 部隊長の言葉に、騎士達が「はっ!」と活気に溢れた声を出す。テンフ達候補生も、遅れて返事を出す。
「では、陣形の確認をする。第一班は俺と共に前衛を担当してくれ――」
 話を聴きながら陣形を頭に入れる。だが、いつまで経っても部隊長の口からテンフ――というか、候補生達――の名前は出ない。
「あ、あのー……。俺達は、どこに?」
 ファナックが恐る恐る手を挙げる。すると、部隊長は渋い顔をして、馬車を指す。
「まずは、プリュス・ロココ。お前は馬車内、他の三人は、馬車の周囲警戒。状況によって手の足りないところへサポートに回る、遊撃役だな」
「え、あの……。馬車内には、姫様がお乗りになっているのでは?」
 ファナックではなく、今度はプリュスが手を挙げた。確かに、何かの為に姫様のすぐ近くに誰かが居たほうがいいのは間違いない、だが、それを新米にやらせるというのは、その新米にだってわかるザル采配。
「ああ。姫様のご指名だ。同じ女性の方が安心できるというのもあるんだろう……。まあ、今回は何もないだろうから、プリュスは馬車内だ」
「は、はあ……」
 首を傾げ、馬車に乗り込むプリュス。あの姫様の事だから、何か会話があるんだろうが、一体何を話すのか。釣られて、テンフも首を傾げるハメになってしまった。
「なあ、テンフ」テンフの肩に手を置くファナック。
「ん、なに?」
 肩越しに振り返ると、彼は、一瞬目を泳がせた後、まっすぐテンフの目を見つめた。
「お前、姫様と会った事あるよな」
「まあ、あるけど」
「可愛かったか?」
「……はあ?」
 そんな場合かよ、と思ったが、ファナックはいきなりテンフの肩に手を回し、こっそりと耳打ち。
「お前は出世とかそういうのは無理だから、縁遠いかもしれねえけどさあ、実際、コーラカルみたいな騎士至上主義の国じゃあ、武勲を挙げた騎士と王族が結婚って話はあるらしいぜ」
「……はあ」
「実際、それが一番楽だろ? だが、王族が絶対美人ってわけじゃねえじゃん。僕だって、嫁さんは美人のがいい。パレードとかじゃ、遠すぎて見えねえんだよ。どうなんだ、姫様の顔は、つーか体は」
「まあ、可愛いんじゃない……?」
「ふぅん……。じゃあ、お前、プリュスはどうだ? 可愛いか」
「可愛いと思うけど」
「うっし! ならお前の見る目は信用するぜ。竜に育てられたっつっても、やっぱ異性の顔の良し悪しくれえはわかるんだなあ」
 満足気に、テンフから離れるファナック。そんな彼に、トラディスが近寄り、「お前、翼竜憑きとなんの話してたんだよ」
「トラディスも気になってると思うけど、姫様が可愛いかどうかって話」
「興味ねえよ」
「まったまた。もし今回の件で惚れられたりしたら、出世街道爆進っしょ」
「アホ。騎士が出世する手段なんて、昔っからこれしかねえだろ」
 親指で剣の鍔を押し、刃を少しだけ露出させる。この剣の腕だけで登り詰める、そういう決心が彼の行動と、そのギラついた目から察する事ができた。
「翼竜憑きみたいに、剣も使えないんじゃ、どっちにしてもそんな出世できやしねえよ」
「わかってるって。僕だって、ケッコー練習してんだぜ」
 主にテンフでだけど、と笑うファナック。トラディスは笑わない。
「無駄話はするな。行くぞ、お前たち」
 部隊長が先人を切って、一歩踏み出す。馬が荷台を引き、騎士立ちもそれに着いていく。
 何も起きませんように、と祈りながら、三〇分ほど歩いたその時、馬車からプリュスが出てきた。
「あれ、どうした?」
 馬を引いていたテンフは、振り返り、プリュスの姿を確認してから、もう一度まっすぐ前を見る。
「いや……えと、交代だって。次、ファナック」
「俺が? ……まあ、話してみたかったし、構わないけど」
 プリュスとファナックが入れ替わりで、馬車の中へ入っていく。テンフの隣にやってきたプリュスが、テンフの肩を指先でつつく。
「ねえねえ、テンフ、シュティ様に何かした?」
「え、なんで」
「いやあ、なんかすごいテンフの事について訊かれたからさ」
「なんだろう……」一言、二言話しをした程度だが、何か怒らせるような事があったとは、さすがのテンフにも思えない。
 不安に思いながら歩いていると、ファナックも馬車から出てきて、「何か納得が行っていないような面持ちで、馬車の近くを付かず離れずの距離で歩いているトラディスに「次、お前。――なんか、翼竜憑きの事すげえ訊かれた」と言った。
 やっぱりトラディスにも訊いてたのか、とすこしドキドキしながら、トラディスを見守る。
「……ちっ。やっぱり、そういう事かよ」
 舌打ち、そして地面を蹴っ飛ばして、テンフを睨み、馬車の中に入っていった。
「……そういう事って、どういう事だ?」
 トラディスの考えにも、シュティの意図にも気づけないファナックは、モヤモヤした物を抱えながら、定位置に戻った。
 またしばらくして、トラディスも馬車から出てきた。
 そして、「おい」とテンフの肩を叩き、「姫様が呼んでるぞ」と、馬車を親指で指す。
「……今度は俺か」
 トラディスに言われた通り、テンフは馬車に乗り込んだ。そこでは、備え付けられた椅子に座るシュティが、ニヤリと笑ってテンフを見ていた。
「やあ、翼竜憑き。いや、テンフ・アマレット」
「……どちらでも。お呼びでしょうか、姫様」テンフは、彼女の前で跪く。
「うむ。任務中に呼び出してすまないな」
 外から、部隊長の「森に入るぞ! 周囲の警戒を怠るなよ!」と聞こえてきた。
「人手がほしい頃か。メインではあるが、仕方ない。手短に話そう」
 白い手袋を嵌めた手で、顎を擦り、一瞬中空を見つめてから、呟く。
「私はまどろっこしいのが苦手だ。だから、直接的に言わせてもらおう。正直、以前に貴様が野盗を斃したという話、あれは嘘だと思っている」
「……嘘?」
 頷くシュティ。そして、傅くテンフの顎を持ち上げて、彼の目を覗きこむ。その瞳に宿る、心の輝きを覗きこむみたいに。
「さっき、お前の友人三人から、普段のお前を聞いた。やはり初見時、私が思った通り、どうも騎士らしい覇気に欠ける男のようだ。翼竜憑きという大層な通り名はまったく感じん。普段は同級生に負けるような男が、どうして野盗に勝てる?」
「……別に、信じなくても結構です」
「ほう」
 シュティにとって、想定外の言葉だった。ここはどうやっても、彼女に信じてもらおうとする場面だ。それはテンフだって承知しているが、、しかし、彼にとって大事なのはそこじゃない。
「お前、『人々の命を守れさえすればそれでいい』なんて、くだらない事を言うつもりじゃないだろうな? そんな事を信じるような甘い女に見えるか?」
「いえ。俺にとって、人の命を守った事は二の次です。大事な仕事ですが、俺にとって一番大事なのは、アグレに認めてもらう事。そうじゃなきゃ、騎士って仕事にもついてないです。俺の活躍は、アグレだけ知ってればそれでいい」
「……なるほど、その気持ちはわからないでもない。私も、父上に認めていただきたいという気持ちが、最も大きいかもしれぬ。――そうなってくると、だ」
 テンフの顎から手を離し、椅子へと戻るシュティ。
「私は、お前とアグレが出会ったきっかけが気になる。なぜそこまでアグレを思うようになった。まず、竜が人間を育てているなど、聞いたことがない。ヤツらは人間を下等生物だと見下し、実際に人間以上の知性と力を兼ね備えている。なぜそんな種族の者が、お前を育てる気になったのか、話してみろ」
 一瞬躊躇した。なぜなら、アグレはこの話を人にされるのを好まない。だが、姫様の命令だ。テンフの出世を望むアグレなら許してくれるだろうと、テンフは口を開く。
「あれは、大体一〇年くらい前だったと思います。アグレが、コーラカルの空に現れた日です」
 心の奥にある、一番振るい記憶を紐解いていくテンフ。
 それは少しだけ、清々しい気分になる行為。

     


  ■

 十年ほど前のコーラカル王国。今と大して変わらない、豊かな国土と暖かな気候を持ち、隣国のゲグゥトとの開戦をなんとか避けようとしている時代。
 そのコーラカルの王都、グランデに、赤い雨が降った。
 雨というほどの量ではなかったが、しかし、その事件を覚えている人間は、そう語る。グランデ上空を飛ぶ傷を負った竜が、王都にその傷から流れる血を注いでいたのだ。
「くっそ。ちょいとこの傷はまずいねえ……」
 呟くと、アグレは朦朧とした視界の中、自らの真下にある街に気づいた。
「しまった……。軌道がズレて、人里に来ちまったか……」
 すぐに方向転換をしなくては、と右に翼を強く撃つ。風が巻き起こり、アグレの体が右へとズレる。それが下の人間達がどう感じたのかはわらないが、その日、滅多に鳴ることの無い砲声が、コーラカルに鳴り響いた。
 アグレの姿を視認した瞬間から、宮殿内の緊張はピークに達していた。稀に国を滅ぼす竜がいるということは、皆が知っている。
 だからこそ、王、そして大臣達は、先に殺すという道を選んだ。
 鳴り響いた国中ありったけの大砲による砲声。
 それが、アグレの鱗を抉り、爆発した。
「ぐぉッ!?」
 下の人間達は、アグレを撃ち落とした事で、沸き立った。竜なんて大した事ないじゃないか。誰だよ、最初に人間にとって最悪の天敵だ、なんて言ったのは。
 そう叫んだという。
 だが、実際アグレが他の竜との戦いで手傷を負っていなければ、砲弾なんて聞いていなかった。アグレにとって運が悪かったのは、傷に直接砲弾が当たってしまったこと。
「クソッ……! 人間ごときに殺されるとは、竜族の恥だ……!」
 そうしてアグレは、地上に向かって頭から落ちていく。生への執着がそうさせたのか、背から落ちるようにと受け身を取った。硬い鱗のお陰で衝撃は軽減されたが、それでも満身創痍のアグレにとっては相当のダメージになった。
「ぐあッ……! クソッタレの人間どもめ……。私にこんな仕打ちをするなんて……!」
 悔しさに地面を掴み、周囲を見渡して状況判断を怠らない。ボロボロの建物ばかりが立ち並び、アグレの落下の衝撃で、いくつかが倒壊したらしい。
 周囲では、大きな落下音に呼ばれて出てきた住民達。アグレはそれらを睨みながら、
「何見てんだ。殺すぞ人間共!!」
 咆哮と共に、口から小さく炎を吹いた。
 竜という脅威を目の当たりにし、周囲の人間達は蜘蛛の子を散らすみたいに逃げていった。
「ったく……。数だきゃあ多い……」
 とにかく、この場から逃げ出さなくてはならない。
 アグレは、痛む体を引きずりながら、身を隠せる場所を目指す。だが、どこへ行けばいいのか、そもそも巨体を隠せるような場所なんてあるのか、アグレはこの国を滅ぼす事も視野に入れながら、その場所を目指す。
 そんなアグレの前に、たった一人、少年が現れた。ボロ布を着た、小汚い少年である。
 虚ろな青い瞳でアグレを見つめ、小さな声で「でけえトカゲ……」と呟く。
「貴様……ッ。私は竜だ。トカゲではない……」
「ふぅん……。なんでもいいけど」
 少年は、持っていた長いパンを半分に千切り、アグレに差し出す。
「竜ってのは、パン食うのか」
「……あん? まあ、食べるが……」
「ならこれ食えよ。食えば怪我も治る」
「この私が、人間からの施しなど……。バカ、よせ! 無理矢理口を開こうとするな!!」
 そうされるよりはマシだろうということで、アグレは自分で口にパンを放り込む。
「こっち来いよ。隠れる場所、教えてやる」
「……」
 アグレは、少年を思い切り睨みつけた。悪意があってそんなことをしているのなら、殺す。今なら見逃すぞ、という思いを込めたつもりだったが、理解していないのか悪意がないのか、少年はふらふらと路地へ入っていく。アグレはそれについていき、狭い路地に必死に体を押しこみ、その奥にある広場へと辿り着いた。
 広場、と言ってもアグレがやっと入りきる程の広さであり、窮屈な思いをして体を丸めた。
 少年は、近くの箱から少し綺麗な布を取り出し、それをアグレの首に巻いた。
「おい、小僧……。なにしてる」
「止血。竜の血も赤いんだな。血が流れ過ぎたらやばいのは、竜だって一緒だよな」
「だから、人間の施しなんぞ……」
「もうパン食ったじゃん。おんなじだよ、一つも二つも」
 その言葉に、アグレは悔しげに喉を鳴らす。だが、ここまで着いてきておいて、いまさら抵抗というのはさすがに馬鹿らしいと感じた。
「……お前、そんなボロボロの格好をして、親はどうした」
「ここでそんなのが居る方が珍しいよ」
「……人間ってのは、両親から生まれるんじゃないのかい」
「そうなんだろうけど、それは普通の人間の話だよ。俺は物心ついたくらいの時に、両親が死んでる。ここはスラム。あらゆる理由でまっとうには生きていけない人間が集まるとこ」
「ふぅん。お前みたいなガキが、よく生きてこれたな」
「生きてくだけなら簡単だよ。手段を選ばなきゃいいんだから」
「……お前、ガキのクセにいいことを言うな」
「そうか? ……ま、どうでもいいや。お前、名前とかあんの?」
「……アグレだ。お前は?」
「テンフ・アマレット。ま、傷が見つかるまではゆっくりしてなよ。んじゃ、俺は仕事があるから」
 そう言って、テンフは路地から抜けていく。その後姿を見て、アグレは「……変わったガキだな」と呟いた。

  ■

「ただいま」
 夕暮れに町が染まった頃、アグレの前にテンフが戻ってきた。腕いっぱいに果物や肉などを抱えて。それをアグレの前に置いて、自分は林檎を一つ齧った。
「……お前、仕事ってなにやってんだ?」
 アグレの言葉に、悪びれもせず、テンフは「盗み」と言った。
「竜のお前にはわからないかもしれないけどさ、子供ができる仕事なんて、命を売るか体を売るかしかないんだよ。だから、俺は飯を盗んでるんだ」
「ふぅん……。しっかし、この量、お前一人で食えんのか?」
「俺が一人で食うわけないだろ。半分はお前の」
 アグレは、いよいよ目の前の少年が何を考えているのかわからなくなってきた。どうして、目の前で倒れていただけの、人間ですらない存在にそこまで出来るのか、その思考回路が理解できなかった。
「なんだよ、食えよ?」
「……お前、何が目的だ? 言っておくが、毒なんて私には効かないぞ」
 まるで、何を意図して作られたのかわからない芸術作品を見るみたいに、テンフはアグレを見つめた。
「食えないモンなんかわざわざ手に入れるかよ。それとも、毒じゃなきゃ食えないとか?」
「そういうわけじゃないが……。お前一人食うのだって、大変なんだろ」
「まあね。でも、こういうのは助け合いだろ。別に初めてってわけでもない」
「そういうのは、余裕があるやつのやることだ」
「お前より俺の方が、今は余裕あるだろ」
 傷だらけのアグレと、貧しいが無傷のテンフ。
 どちらが余裕なのかと言えば、確かにテンフではあるのだが、アグレでもテンフは見捨てるべきだとわかる。金も無いのに誰かを助けるなんて、自殺行為だ。
「よほどのアホだな、お前は」
「そうかなぁ。せっかく生まれたんだし、できるだけ生きたいじゃん」
 テンフは、アグレに一枚の肉を差し出す。
「食えよ。大体の怪我は、メシ食えば治るんだ」
「……フン。しょうがない、今はお前の言葉に甘えてやるか」
 肉を受け取り、口に放り込むアグレ。そして、それを咀嚼し、「フン。人間のクセに、良い肉を食ってやがるな」と鼻から満足気に息を吐く。

 そんな日々が、一週間ほど続いた。
 竜の傷の治りは人間よりもずっと早い。寝て、テンフが盗んできた飯をたらふく食えば、それだけで命は繋がり、育まれる。
 アグレは、自らの体を見回し、小さく動かしながら、傷が全て癒えている事を確認。
「フン……。治ったか」
「あれ? アグレ、傷治るの早いな」
 いつもの様に、テンフがたくさんの食料を抱えて戻ってきた。初日より数が減っているのは、アグレがあんまり食べないと初日で発覚したからだ。
「軟弱な人間と一緒にするんじゃないよ。あの程度、一週間もあれば治るさ」
「んじゃ、もしかして今日でお別れ?」
「そうなるな」
 テンフは、はにかむように笑い、「寂しくなるなぁ」と言った。
「お前な……。私を犬猫かなにかと勘違いしてないか?」
「んーなことねえって。単純に、また一人暮らしになんのか、って思うと、ちょい寂しいと思ってさ」
 両親も居らず、ただ店から食料を盗んでくる毎日。
 誰かと話す事もなく、生きていくことだけに腐心する毎日。
 まだ十にもならない少年が過ごす日々としては、いささかハードすぎるだろう。それはアグレにもよくわかったが、そんな人間はこの世に五万といる。同情するだけ損だ。
 だから、何か余計な感情が生まれる前に、「寂しかろうが、今日でお別れさ」と鼻息混じりに言った。
「だな。ま、お別れも慣れたもんさ」
 盗んできた食料を、いつものように二人の間に置いて、適当な野菜を齧るテンフ。アグレに林檎を差し出して、「食えよ。一緒に飯食うのも、これで最後だろ?」と笑う。
 それが強がりなのも、アグレはわかる。だが、だからといって、その悲しみを止めてやる義理は、アグレにはない。
 そうして、最後になるはずの食事を、二人は共にした。今となってはもう意味の無い話だが、テンフはアグレに「これからどうするんだ」と聞いて、アグレも同じような事を訊いた。
 その同じ問いに、二人は「その時になったら考える」と同じ答えを容易していた。

 そうして、夜になった。
 別れの時だ。アグレみたいに目立つ物が出て行くのなら、夜のほうが都合がいい。
 狭い路地で、アグレは立ち上がり、四角く括られた空を見上げる。
「世話になったな、テンフ」
「気にすんなって。したくてしただけだしさ」
 二人は、笑顔を突き合わせた。それで、今生の別れ。もう二度と会う事はなく、アグレは羽撃いていき、テンフは盗人稼業で命を繋ぐ。
 だが、そうはならなかった。
 テンフが住処にしているその路地裏に、何人もの武装した兵士が入ってきた。
「なん、だ!?」
 慌てるテンフ。だが、覚悟はしていたのか、素早く隅に置かれていた小さなナイフを取り、兵士たちに向かって構える。だが、兵士たちの主武装は剣と槍。間合いも、そして扱う本人の実力も、すべてが段違い。
「なっ、竜!?」
「少し前、領土内に落ちた赤い竜がこんなとこにいやがったのか!」
 兵士達が、青ざめた顔でアグレを睨む。だが、アグレはそんなのどうでもいいと言わんばかりに、ちらりと夜空を見つめる。
「……どうする」
 兵士達はテンフではなく、アグレへと注意を注いだまま、小声で何かを相談し始める。
 テンフは、今の内に逃げ出すべきかと思案するも、アグレを放ったまま逃げられはしないとおもったのか、ナイフを構えたまま、兵士を睨む。
「どうする、って……。竜は大砲の直撃でも動じない生き物だぞ。増援を呼ぶべきだ……」
「だが、この間は砲弾で落ちた。噂に聞くほど、竜ってのは強い生物じゃないんだろう。しかしだ、ここで竜を倒せば、一気に出世コース。盗人のガキを捕まえに来たってのに、最高のボーナスだ」
 乗り気ではなかったらしい兵士も、ボーナスという言葉に琴線を刺激されたのか、鈍い輝きの瞳で、アグレを見た。
「……なんだ、私を殺すか。やってみろ、時間を止めるより難しいぞ」
 アグレの口から、炎が漏れる。
 爪をこすって、硬いものが擦れ合う際に鳴る、特有の心を削る音を鳴らす。
 私の体、そのどこを使っても、お前らを殺すことなんて簡単だ。そう言外に言っているのだ。
 炎で皮膚を焼かれる、爪で体を裂かれる、あるいはもっと別の殺され方をする。いろいろと想像した挙句、アグレに手を出すのはやめたらしく、舌打ちをして、テンフへ注意を向ける。
「……おい、ガキ。お前、最近結構な量の食い物を盗んでいるらしいじゃないか。その所為で、俺達兵士に、お前を捕まえろってお達しが来た。ガキでも、盗みは重罪だ」
 兵士は、テンフの首元に剣を突き立てる。そして、ボーナスを取り損なった落胆からか、至極面倒くさそうに、テンフを見下ろした。
「……簡単に捕まって、たまるかよ!」
 剣をナイフで払い、兵士の懐に潜り込もうとするテンフだったが、すぐにローキックで体勢を崩され、すっ転んでしまった。
「あぐっ……!」
 その首根っこを掴まれて、持ち上げられるテンフ。絶望に手足を引っ張られているのか、まるで人形の様に力無くぶら下がっていた。
「ったく。これじゃあ、どうにもなぁ……。ぬか喜びってのはよくねえぜ。しばらく引きずっちまいそうだ」
「これだって立派な仕事だろ……。出世にはつながらないかもしれないが」
 無造作に、草刈りでも終えたように、二人の兵士はテンフを連れてその場から去ろうとする。チャンスを窺っているのか、それとも諦めたのか、テンフは動かない。アグレを見ようともしていない。
 まるで、何かしてくれるなんて、一切期待していなかったかの様に。
 その背中を見て、アグレのプライドが刺激された。命を助けられたのに、ここで助けないのは竜の名折れ。
「あぁ……。助ける『義理』ができちまった……」
 小さく呟くと、アグレは「オイ」と兵士たちの背中へ声をかけた。
「気が変わった。そのガキの事なんて放っておくつもりだったんだが……。命を助けられて放っておくのも、私の主義に反する」
「あ、アグレ……?」
 まったく予想外、という風なテンフを見て、アグレは「バカなガキだ」と微笑んだ。
「いいか、そのガキは私を助ける為に盗みを働いていた。つまり、そいつを捕まえるのなら、私とも一戦交える事になるが、それでもいいか……」
 一歩踏み出すアグレ。その一歩がどういう意図を含んだ物か、覚悟を含んだ足音を山のように聞いてきた兵士たちには、すぐにわかった。
 自らの主張を押し通すためなら、国を滅ぼす事も辞さない。相手は竜、それくらいは本気でやる。
「うっ……。ど、どうする……!」
「どうもこうもあるか! たかだかガキの盗人捕まえに来たくらいで、命落としてたまるかよ……」
 兵士は、テンフを下ろして、アグレを見つめたまま、一歩一歩確かめるように、後退る。
「退け。私を怒らせれば、お前たちの所為でこの国は死ぬぞ」
「くっ、クソ……!!」
 そうして、兵士達は路地裏から逃げ去っていった。その背を見ながら、「ふん。これだから人間は」と、呆れたように言った。
「おい、テンフ」
 捨てられていたテンフは、立たないまま、アグレの顔を見上げる。その瞳からは、表情には出ていない怒りが、失望が渦巻いているのが見えた。
「お前、何を怒っている?」
「……自分の身一つ、守れないのが嫌だ。俺は、お前に助けられたくなかった」
「うふっ……! ははっ、ははははははッ!!」
 アグレは、首を下げて、テンフと目線を合わせる。テンフとは違い、好奇心で満ち、宝石みたいに輝く瞳だった。
「面白いな、クソガキ。助けられたくなかった? その気持ちはよくわかる。だが、それは私も同じだ。けど、助けなくっちゃ自分じゃいられない。そうだろう?」
 その言葉に、テンフは何も返さない。
 アグレは、その隙を突くみたいに喋り続けた。
「お前、このままでいいのか? クズみたいな扱いを受けて、ずっと生きていくのか?」
「俺だって、そんな気はない。けど、今の俺には、どうしようも……」
「二つ、お前に選ばせてやる。一つ、私と別れて、元の生活に戻る。そして、もう一つは、私に育てられるか」
「……お前が、俺を育てるのか?」
「あぁ。だが、人間は竜を嫌っている。その竜に育てられるというのは、絶大なハンデを背負うハメになるかもしれない。だが、今よりはマシかもしれない。どうする?」
 人生の転機だった。
 両親が死んで、人生二度目の、今後を左右する分かれ道だった。今のままでいるか、進んでチャンスを掴むか。そんな物、迷うわけもなかった。
「……わかった。俺はお前についていく」
「決まりだ。私の命に誓って、お前を立派な人間にしてやろう」
 アグレは翼の先端についた手をテンフに差し出した。一瞬何を意味しているのか理解できなかったが、その手を取り、握手を交わす。
 これが、二人が親子になった瞬間だった。

     


  ■

「……それから、俺はアグレと一緒にスラムを出て、森で暮らし、どうやってかは知らないけどアグレが稼いだ金で生活をして、騎士学校にまで通えるようになったってことです」
 テンフは、そっと頭を上げる。自分の話を聞いて、シュティがどういう表情をしているのか気になったからだ。憮然とした表情で、「そんなもんか」と思っているのか、それとも甘えるなと眉間にシワを寄せているのか。
 あらゆる表情を想像したつもりでいたのだが、シュティの表情はテンフの想像を超えていた。
「うっ、ぐす……」
「えっ、泣いてんすか!?」
「私には想像も出来ない苦労をしてきたのだろう……。そのような苦労を背負う国民が生まれないよう、我ら王族がいるというのに、申し訳ない……」
「いや、別に、王様を恨んだ事はないんで、どうでもいいっすけど……」
「そういう物なのか?」
「恨むどころか、同時は顔すら知らなかったし。遠くの人間を恨むほど、余裕のある人生でもなかったし」
「そういう物なのか……」
 噛みしめるように、何度も頷くシュティ。やんごとなき立場である彼女にとっては、テンフの身の上話が新鮮らしく、泣いていたかと思えば清々しい顔で、
「お前との話、今後の人生に活かさせてもらう」と言いだした。
「そんな重たい話じゃなかったでしょう」
「いや、翼竜憑き。お前の仄暗い人生が、今の糧となっているのは間違いない。私にとっても、今の話は参考になった」
「それなら、まあ、よかったです」
 それ以外になんと言っていいかわからなかったので、そうしてテンフは黙った。
「だが、まだ肝心な事がわかっていない。お前が本当に、野盗を倒せるほど強いのか、ということだ。お前達見習いを私の護衛という大役に任命したのは、それを確かめるためだ」
「……俺は、何事も無くこの仕事が終わるのを期待してますよ」
「ふん。相変わらず、覇気の無い男だな。かつては、生き残る手段を選ばない男だったのだろう」
「選ぶ選択肢が無かっただけです。アグレのお陰で、俺は選択肢を選ぶ自由が生まれただけです。選ぶだけの力をもらえただけです。翼竜模法ワイバーンモード……アグレからもらった、俺の力」
「それだ。それを聞かせろ。その、『翼竜模法』というやつだ」
 テンフは、首を傾げた。聞かせろ、と言われても、アグレの教え方は下手だったし、かなり体で覚えた部分が多い。なので、なんとか頭の中で自分が学んだ物を整理する。
「学ぶ事の基本は、模倣だってアグレから言われました。あいつも、狩りの仕方や生きる方法は、親の背中を見て学んだとも。だから、俺にもその教育方針で教えていくって。それを武術の形にしたのが、人間の体で竜の動きを真似る、翼竜模法です。異国には、蟷螂の動きを真似る、蟷螂拳とかあるそうですが、まあ、それの発展形って感じらしいです」
「……そんなのが使えるのなら、普段から、他の皆が言うほどトラディスに負ける物か?」
「俺は学校ではナイフを、というか、翼竜模倣を使ってないんです」
「……我が国の文化か」
「はい。ナイフではなく、剣を使わないと、騎士とは認められませんから。――それに、俺にはこのナイフ以外は、どうも武器としてしっくりこなくて」
「そうなのか。――そのナイフ、少し見せてみろ」
「あ、はい……」
 テンフは、腰に提げていたナイフを引き抜いて、シュティに手渡した。
「いいナイフだ。刀剣には疎い私でも、オーラがわかる」
「それは、アグレが自分の牙で作ってくれたナイフです。銘は『気高き刃プライド・エッジ』」
「ほう。……寄越せ、と言いたいところだが、さすがに親からもらった一番のプレゼントを奪うほど、野暮な性格はしていない」
 シュティからナイフを受け取ると、テンフは手の内で回転させ、持ち直してから腰の鞘へと戻す。
「竜の牙は万物を砕くというが、刃にすれば万物を切れるということか」
「それはどうも、本人の技量によるみたいですけど……」
「……ふむ。とりあえず、面談はここらで終えておくか。当たり前だが、これだけでは貴様の実力など、わからんな……。もう任務に戻っていいぞ」
 テンフは頭を下げて、馬車から出ようとした。
 だが、その瞬間に、外から声が聞こえてきた。部隊長の叫びである。
「敵襲ーッ! 敵襲だぁ!!」
 外から悲鳴が聞こえてきて、テンフは入り口の布を小さく開き、覗き込む。どうやら、以前テンフが斃した野盗の仲間か、それとも別の野盗か。
「――チッ!」
 テンフは、先ほど納めたばかりのナイフを腰から引き抜いて、馬車から飛び出した。そして、空中で両手を広げ、二振りのナイフを逆手に持つ。
「翼・刃・疾・風――ッ!」
 その言葉で構えを思い出しながら、着地。
 ダッシュする瞬間、着地した際の衝撃を殺すのではなく、方向を逸らして、その衝撃に乗るイメージで走り出す。そうすれば、テンフはまさに疾風と化す。
「竜風斬!!」
 テンフが、敵陣の間を駆け抜ける。
 そうすると、まるですべてを切り裂く突風が吹いて、肉を裂いて飛ばして行ったように、周囲の敵がバラバラに崩れていく。
「テンフッ!?」
 目の前で、一瞬にして数人の敵兵を切り崩した彼を見て、プリュスは驚きのあまり叫んだ。それは、いつもトラディスに負け続けている彼の動きとは、まるで違っていたから。
 突然、違う存在と化してしまったようで、プリュスは驚きのあまり、一瞬立ち止まってしまった。
 戦場において、一瞬は多大なる意味を持つ。その意味を失うということは、命を落とすのと同義。
 プリュスの命を刈り取ろうと、彼女の背後から敵兵が剣を振りかぶる。
「プリュスッ!」
 それに彼女より早く気づいたテンフは、一足飛びで彼女の懐へ飛び込み、抱き寄せ、その敵兵の喉を掻っ切った。命が絶たれた敵兵が、テンフ達に向かって倒れこんでくるが、その腹を蹴っ飛ばして、仰向きに地面へ叩きつける。
 そして、一応プリュスは無傷だと確かめてから、彼女を放し、再び敵陣に突っ込んでいった。
「だ、ダメだってテンフ! ちゃんと味方との連携を取らなきゃ!!」
プリュスの言葉は、テンフの耳に届いていなかった。ナイフを振るい、敵兵をどんどん殺していく。
「もうっ!」
 プリュスは、掌に溜めた魔力を放ち、テンフのアシストをする。
「テンフ・アマレット! 貴様は姫さまを連れて離脱!! ここを離れろ!」
 部隊長の叫びと同時に、テンフは腕を掴まれて、やっとその動きを止める。
「――わかりましたッ!」
 翼を生やしたように跳んだ。竜の様に、地上を蠢くモノ達を無視しての移動。翼竜模法ワイバーン・モードには、毎日の走りこみで作った健脚が欠かせない。
「姫様! 一度ここを離れます!」
 先ほどとは違う真剣な表情で自分を見つめるテンフに、シュティは頷いて、素直に抱きかかえられる。
 馬車から飛び出した二人は、その戦線を早急に離れる。背後から、野盗達が迫ってくるが、しかし翼竜模法で鍛え込んだテンフの足には、到底追いつけるモノではない。それに、森を歩く事は慣れていないと普段通りにはいかないもの。かつてはアグレと共に森で修行していたテンフは、まるで平坦な道を走るように、弓矢でさえ追いつけない速度で走る。

 そうしていると、すぐに周囲から人の気配が消え、テンフはシュティを地面に下ろした。
「貴様、足が速いな。馬に乗っているかと思ったほどだぞ」
「馬じゃなくて、竜って言ってほしいところなんですけど……」
「ふむ。では、その様に訂正しよう。――それで? これからどうするのだ、テンフよ」
「とりあえず、ここからだとゲグゥトへ向かうよりも、コーラカルへ戻った方が早いし安全です。コーラカルへ戻りますが、いいですか?」
「うむ。ならばそれに従おう」
「では」と、テンフはシュティを再び抱きかかえようとするのだが、その手を軽く叩かれてしまう。「いたっ」
「たわけ。婚姻前の女が、そう気安く男に肌を許してはならんのだ。あれは緊急事態にのみ許す」
「はぁ……。そういうもんですか」
 理由はさっぱりわからなかったが、一国の姫が持ちあげるなというのならそうするだけ。
「結構歩きますけど、大丈夫ですか?」
「体力に自信はないが、しかししょうがない。貴様の指示に従おう」
 その言葉にテンフは頷いて、夜空を見上げる。星の位置から、方角を見出す。コーラカルの位置を把握し、その方向へ歩く。
「ほう、星読みができるのか?」
「アグレに習ったんですよ」
「ふむ、竜というのはいろいろ知っているものだな。叡智を極めた者という噂も、嘘ではないのかもしれない」
「そんな印象もないですけどねえ……」
 そういえば、俺ってあんまりアグレの事を知らないなぁ、とテンフは思った。
 アグレがどうやって料理を作り、その材料費を稼いでいるのか、学費というのもあるし、過去はどうしていたのかというのも気になる。今まで追求した事はなかったが、追求したところで、アグレが答えるとも思えなかった。
「……そういえば、一つだけ気になっていた事があるのだが、いいか?」
「はい? なんです」
「アグレって、父親なのか? 母親なのか?」
「――はっ?」
「ん?」
 歩いていた二人は、向い合って見つめ合う。戦場のロマンス、というには些か間抜けな雰囲気だが。
「いや、アグレの性別を訊いているんだが……」
「性、別……?」
 テンフは腕を組み、考えこむ。
「き、聞いたこと無い」
「なに? ――そういう、ものなのか? でも確かに、私も両親に『どちらがお父さまで、どちらがお母さまですか』などと聞いたことはないが……。貴様の場合、そういう話ではないな。私も、貴様が野盗を倒した夜に一度だけアグレの姿を見たが、見た目ではわからないし……」
「気にした事なかったなぁ……」
「竜っていうのは、雌雄同体だったりするのか?」
「さぁ……」
「気になるな……。よし、命令だ。無事帰れたら訊いてこい」
「まあ、別にそれくらいなら――ちょ、ストップ。止まってしゃがんでください」
「うむ」
 シュティをしゃがませ、テンフも地面にしゃがみこむ。
 そして、地面にナイフを突き刺し、その柄に耳を当て、周囲の音を探る。
「三、いや、五人――周囲に来てますね」
「……いけるか?」
「正面から戦って、仮に逃しでもしたら、俺達の場所がバレてしまう恐れがあるので、こっそり逃げましょう」
 ナイフを鞘に戻し、テンフの先導で、二人はしゃがみながら、木の葉の陰に隠れて進む。
「……面倒くさいな。テンフ、ヤツらを追っ払うとかできないか?」
「そう言われても、するなら戦闘は回避できないし、姫様に怪我をさせるわけにはいかないですから、難しいですね」
 テンフは頭上を見上げ、そこに蜂の巣を見つけた。
「っと――。刺されでもしたら大変だ……あれ?」
 蜂を刺激しないように、より気をつけて、静かに動く。
「……あれ?」
 そうしていると、テンフは手に触れた一輪の花に気づく。
「これって、ムガラ……。近くに蜂の巣があるなんて、珍しいなぁ」
「ムガラ? なんだそれは」
「虫にとっては栄養抜群の花、なんですけど、虫の嫌いな匂いを発してるから、虫が近寄れない花なんですよ。潰して肌に塗れば、虫よけになるんです」
「ほう。ここは虫も多いし、いいタイミングだ」
「――あっ」テンフは、何かに気づいたように、ムガラを見つめた。
 戦闘せずに敵を追い払う方法を見つけたのだ。

       

表紙

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Neetsha