Neetel Inside ニートノベル
表紙

素晴らしき世界
02.娼婦

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 暗闇に包まれてからがこの街の朝だ。太陽の代わりに月がのぼり闇を照らし始めると、あちらこちらへ一斉に火が灯される。それと同時に日中からは考えられないくらい賑わいを増し、様々な人が往来するようになる。
 ぬるい風に乗って甘いにおいが鼻腔をくすぐる。その香気に釣られた虫のようにフラフラと顔の赤い男がひとり、店先に立つ白い豊かな胸元をはだけさせた娼婦に捕まった。
 女の厚化粧の上に重ねたその笑顔に、男の酒で緩み切った表情がさらに崩れる。そして奥から出てきたキツそうな顔をした娼婦が叫んだ。
「ウェダ! あとはわたしが相手するからあんたはさっさと行きな」
「はぁい」
 ウェダと呼ばれた若い娼婦は間延びした返事をして、名残惜しそうに口をぱくぱくとさせた男に手を振りながら、じゃあねと無慈悲な一言。振り返ることもなく真っ直ぐこちらに小走りで向かってくる。白と水色のドレスを揺らし、先ほどの外向きの顔とは違う、少し幼さが残る曇りない笑顔。稲穂のような黄金の髪が揺れる。
「お待たせ、センセ」
 飛びついてきた彼女をよけるわけにもいかず、空いていた右腕に抱きつかれる。
「まだそう呼ぶのか」
「急に呼び方変えるのは難しいよ。いいじゃない、センセって」
 名前で呼ばれるよりはいいか。そのことについて何も言わないことにした。

 ◇

 この街に流れ着いた俺は仕事を探していた。
 すでに辺りは夜に染まっていて、酒をひっかけた中年。
 通路の端に座り込んだ流れ者。
 徒党を組んでいきったゴロツキ。
 まるで下着姿と間違えるような格好をした娼婦。
 そんな昼の世界から弾かれた人間が往来していた。
 幾夜か屋根のあるところで寝られるほどの金銭はあったが、ここで使い切っては意味がない。
 それにこの時世。いつどれほどのものが必要になるかわからないため、あるに越したことはない。ただ着いたばかりで仕事が見つかるほど世の中は甘くない。今夜はおとなしく宿を探すことに集中しようと黒いマントについた埃を払って歩みを進めた。
 しばらく行くと白百合の園という娼館があり、その前で何やら揉め事が起きていた。
 三人の屈強な男たちがそれぞれ持ったナイフをゆらゆらと見せつけながら汚く笑っている。
 かたや一人の男は右肩を抑えながら後ろにいる女をかばうように立っている。その男が立つ地面には白百合ではなく赤薔薇のような色をした血が垂れていた。三人のうちリーダー格だと思われる男のナイフにはそれと同じ色が付着していた。
 痴情のもつれかと勘繰ったが、流血した男の後ろで青い顔をして震えている女の姿を見ておおよそのことは察すことができた。
 胸元まである長さの金色の髪。その胸元からは男を誘惑せんとはだけた白い肌が見える。
 男はこの娼館の用心棒といったところか。三人のチンピラは何か問題を起こしそこに用心棒が入ったが返り討ちにあったと。相手の数が多いとはいえ、用心棒が聞いて呆れる。まともな人間を雇う金もないのか、この男が自らを偽ったのか知るところではないが、その娼婦共々同情はする。しかし俺には関係ないことで、今は宿を探す方がなによりも大事だ。
 その場を後にしようと目線を外す前に、チンピラの一人と不覚にも視線がぶつかってしまった。間髪入れずにそいつは「何見てんだコラァ!」と何よりも早く怒声を放った。そしてその場にいる全員がこちらに視線を向ける。チンピラ共は溜まった苛立ちと行き場のない暴力をこちらにぶつけようとし、用心棒らしき男と娼婦は救いの視線を向ける、ように見えた。
 ただその場に居合わせ見ただけで何故か巻き込まれてしまった。
 ただ面倒。この一言に尽きるが、さっさとこの場を立ち去らなかった自分も悪い。
 これがわからないのか、と言わんばかりにナイフをちらつかせる男たちを無視して、用心棒らしき男の横に立ち、荷物の中から取り出した白い布で傷口を固く締める。案の定、その白い布は一瞬にして赤く染まった。
「やらないよりマシだろ。医者に見てもらえ」
 そう言って用心棒らしき男をこの場から去らせようとした時、先ほどまで静かだったゴロツキたちが親鳥に餌を求める雛の如く騒ぎ出した。
「ナニ勝手なことやってんだテメェ! 調子のってんとぶっ殺すぞ!」
「そのスカしたツラボコボコにしてやっぞゴラァ!」
「女の前だからってカッコつけてんじゃねえぞオイ!」
 三者三様、それぞれやかましい雑音を撒き散らしながら歩み寄ってくる男たちに、おもわずへたり込む娼婦。
 本当なら金でも渡して穏便に済ませたいところだったが、むこうが話を聞いてくれないようなので仕方がない。それにこんなところで銭失いにもなりたくはない。そう自分に言い聞かせ、微かに寒さが残る空気をひとつ肺に入れた。
 男たちは単純にこちらへと真っ直ぐ向かって来ている。リーダー格を先頭に、残りの二人はその一歩後ろ横に。こういうやつらへの対処法はいたって簡単だ。
 腰につけた獲物を鞘ごと持ち、左足を軸として左へ回る遠心力で先頭にいる男の手を目掛けて振り払う。ナイフ、それを持つ手、どちらに当たっても結果は同じだ。
 見事に鞘先はナイフを持つ手を捉え、勢いよく空中に放り出され行き場を失ったナイフはゴロツキたちの遥か左側に落ちた。
「次に飛ぶのはどこだろうな。手か? 首か?」
 その対処法とは力を見せることだ。わかりやすく、なにより手っ取り早い。
 鞘先を相手に向ける。収めた状態ではあるが、先ほどのように如何様にでも使える。それにこちらが一度抜けば、自分を強者と勘違いしているものでも我が身がどうなるか、容易に想像ができるだろう。
「失せろ」
 その言葉を聞くやいなや、ゴロツキたちはそれぞれ手にしたナイフを地面に落とし、振り返りもせず一目散に逃げて行く。逃げ足は一級品のようで、あっという間にその姿は暗闇に消えていった。
 落ちた三つのナイフを拾い上げ、どうしたものかと考える。見たところ、そこらで容易に入手ができる普通のナイフだ。売っても二束三文になればいいが、最悪タダ同然で買い叩かれるものだろう。
「あ、あのっ」
 石畳に座り込んだ娼婦が声をかけてきた。顔色は先ほどよりよくなったに見えるが、おもわず声を出しそうになったほど、涙で化粧が崩れてひどい状態になっていた。それに、何か鼻につんとくるにおいもする。
「立ち上がれないので、手を取ってくれませんか?」
 腰を抜かしたのか、ゴロツキが襲いかかってきた時の状態から動けていないようだ。
「落ち着けばひとりで立ち上がれるだろ。そこまで面倒は見きれん」
「いや、そのっ」
 何故か顔を赤らめてうつむく娼婦。
 なるほど。瞬時に理解した俺は何も言わず彼女の手を掴んだ。

     

 ◇

 その後、俺は娼館に通され、ママと呼ばれるこの娼館の女将に何度も礼を言われ頭を下げられた。話を聞いたところ、右腕に傷を負った男はこの娼館の用心棒だったようで、お節介かと思ったが新しい用心棒を雇うのがいいと進言した。
 巻き込まれたとはいえ、何か報酬が欲しくてやったわけではないと説明し、出された金品は全て断った。宿を探しているので、それを紹介してくれればいいだけだと言ったら、ならば是非こちらをご利用くださいと何故か娼館の一室に通された。確かに屋根があるところであれば何処でもいいとは言ったが、何ともいえない居心地の悪さというものがある。
 自慢ではないが、娼館を利用したことはない。勿論、中に入ったのも初めてで、知らない場所に閉じ込められた猫のように落ち着けず、意味もなく部屋を歩き回る。
 ただこの場所は自分が持っていた娼館のイメージとは違い、中は意外と質素なものだった。丸机に丸椅子が二つ。木で作られたベッドにはきれいとも汚いとも形容できないベージュのカバーがかけられている。他の部屋を見たわけではないのでどうとも言えないが、ゲストルームみたいなところなのだろうか。
 とりあえず手にしていた荷物を机の下に置き、マントをベッドの額にかけた。椅子に座って一息つく。
 想定外ではあったが、ひとまず野宿する必要はなくなった。ここまで来るのに随分歩き、おまけに余計な運動までしてしまった。目を閉じればすぐに寝られそうな勢いだ。
 今日は随分と月がきれいで、部屋の窓から見える空に妖しく輝く半月をぼんやりと見つめる。しばらく見つめていようかとしたが、瞼がだんだんと重くなっていくのに気付いた。
 ずっとここにいれるわけではない。仕事だって探さないといけない。今日はもう休もう。そうおもい立ち、椅子から立ち上がると「くしゅん」という音が静かな部屋の中に響いた。外部からではなく、明らかに部屋内からの音。小さな音だったがどこから発せられたかは見当がつく。ベッドに向かい、おもむろにかけられてあった布団を剥がすと、そこには女が丸まって身を潜めていた。おそらくだが、彼女は先ほど館前で騒動に巻き込まれていた娼婦だ。
「何をしている」
「えっと……」
「とりあえず起きろ」
 起き上がってベッドに座り直す彼女は、黒の薄いヴェールの下着に身を包み、下着とは対照的な白い肌をあらわにしていた。
「ママがお相手しなさいって」
「頼んだ覚えはないが」
「わたしからも何かできることがないかって相談したら、こうしなさいって……」
 しばらくの沈黙。
「風呂は、入ったか」
「も、もちろん」
「そうか」
 その言葉の意味を察したのか、みるみるうちに顔が赤くなった。まるで熟した林檎のようだ。
「あれは仕方ないじゃない! 本当に怖かったんだから」
 涙目になりながら怒られてもただ笑いがこみ上げてくるだけだ。
「生理現象だ。俺もやったことがないわけじゃない」
「そうなの?」
「子供のとき」
 そう言うとさらに顔を赤くして、近くにあった枕を投げてきたが所詮は女の力。片手で軽々と受け止めた。そして彼女は再びベッドに寝転がり、端によってこちらに背を向けて丸まってしまった。
 からかいすぎたか。スペースの空いたベッドに腰掛けると軋む音がした。そのとき彼女の背中の一部に痣を見つけたがどうせろくな理由ではないだろうと考え、見なかったことにした。
「やりすぎた。久しぶりにこれだけ人と会話できてはしゃいでしまったんだ」
 枕を本来あった位置に戻すと、彼女は起き上がりこちらをむくが、先ほどより距離が近くなんとも気まずく感じる。
 それで気付いたが、外で見たときより随分幼く見える。けばけばしい化粧を落とし、素の状態をさらけ出した彼女の顔立ちは、商売女とはおもえない純朴さと幼さがそこにあった。それは鼻の辺りにある薄いそばかすのせいなのか、ガラス玉のような濁りのない青い瞳のせいなのかはわからない。
「お前」
「ウェダ」
「ん?」
「わたしの名前。ちゃんと呼んで」
「……ウェダはいくつになる」
「女性に年齢を聞くのは失礼だとおもわないの?」
 質問に質問で返されるとは。ただ彼女の言い分も間違ってはいない。
「なら失礼を承知で聞くが、ウェダは何歳だ?」
「なにそれ」とくすくす笑う。
 その表情は妙に艶やかで、どこか大人びているように見える。まだ咲きかけの、けがれを知らないつぼみのような少女の無垢さに、少しほころびかけ、ひっそりと色香を漂わせている花弁の美しさ。彼女にはその両方が内在している。
「十七、になるのかな。もうすぐ」
 想像よりも若いその数字に、いろいろと勘繰ってしまい、それを言葉に出してしまいそうになったが、下唇を軽く噛んでぐっと堪えた。その動作を見ていたのか、もしくは表情に出ていたのかはわからないが、彼女はまた小さく笑い、言葉を続ける。
「わたしの家はすごい貧しくて、生まれてすぐにお父さんが逃げちゃったらしいの。しばらくして新しいお父さんができて、貧乏だったんだけど、弟も生まれてすごく楽しかった。だけどそのお父さんが外で女を作っちゃって家族はバラバラ。借金だけが増えていって、最終的にわたしは身売りされてここに来たの」
 ウェダは淡々と、自らのことを語っていく。
「それが半年くらい前かな。経験もなくて、男の人のものなんか弟のしか見たことなかったし、初めお姉さまたちがやってくれた実技なんて泣いてばっかり。次の日が来るのが怖かった。お仕事が出来ないから、掃除とか雑用はしっかりやろうとがんばった。初めてが無理矢理だったからちょっと苦手だったんだけど、ママやお姉さまたちもよくしてくれて、今じゃここが大好き。わたしの家族だもの。でもこういう仕事だし、やっぱり苦手なお客さんに合うと、嫌だなあって憂鬱になっちゃうんだけどね」
 はにかんで頬を少し赤らめるウェダに対して、自分がどういう反応を、言葉をかければいいのか、わからない。
「毎回お客にこう言ってるんだろっておもってるかもしれないけど、嘘じゃないし、ママたち以外で話したのはあなたが初めて」
 そして彼女は俺の背中に両腕をまわして、自分の体をこちらに密着させた。やわらかな感触と、ふわりと香る甘いにおいがとても心地よく、ここで瞼を閉じれば今すぐにでも寝られるようだ。
「ありがとう。助けてもらったのがあなたみたいな優しい人でよかった」
「手を出さないことが、優しいと言えるのか」
「うん。優しいよ、あなたは。こうやって甘えても怒らないし」
「嫌な気分ではないからな」
 俺がそう言うと、背中にやった彼女の両腕はさらに力が入り、より体が密着するようになり、服越しにも彼女の体温を感じられるようになった。
「これから先はまだ誰にも言ってないことなんだけど」
 そう前置きして、再び彼女は語り出す。
「わたし、踊り子になりたいの。子供のころからの夢で、ずっと捨てられないんだ」
 抱きついていた手を離し、ベッドから飛び降りた彼女はその場でくるっと回った。胸元まであるしっかりと手入れされた柔らかな髪がふわりと優雅に波打つ。
「ここでがんばってお金を貯めて、いつか旅もしたい。流浪の踊り子ってなんだかかっこよくない? 街から街へと渡って、行く先々でいろんな人を笑顔にして、何かを与えられる人になりたい」
「いい夢だな」
「どんな衣装がいいかな。やっぱりお腹だしてセクシーな感じかな」
 下着姿で踊る彼女の姿はなんだかおかしかったが、それ以上にいとおしく、輝いて見えた。

       

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Neetsha