赤い悪魔と魔法使い殺し
■〇『その男、素質ゼロ』
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■〇『その男、素質ゼロ』
私立森厳坂魔法学院。
山奥にあるからそういう名前をしているのではなく、日本でも五指に入る魔法使いの苗字をとってそういう名前になっているその学校に、新一年生が入学する季節。
かったるい始業式を終えた荒城幸太郎は、自身のクラス、一年E組に戻り、頬杖を突いて、教室の中を見渡していた。周囲では、新しい人間関係のできるだけ良い所へ食い込もうと考えている生徒達が、辺り構わず話しかけていたりする光景が広がっていた。
だが、幸太郎は誰からも話し掛けられない。
乾いた血液みたいにくすんだ、ボサボサな赤色の髪と、見つめた人間を射殺すような鋭い視線の所為だろう。
別に友達を作りにきたわけではないので、それはどうでもよく、とにかく早くこの時間が終わらないかと思っていた彼は、教師が入ってきた事で救われたような気分になった。
教壇に立った教師は、サイズの合っていない大きな黒縁眼鏡のツルを押して位置を調整し、温和な笑みを浮かべる。
「はじめまして。私が皆さんの担任になる、南雲秀弥といいます。担当は魔法歴史学……。わからないことがあれば、どうぞ遠慮なく尋ねてください」
そう言って、名簿を開き、「それでは、みなさんの顔と名前を覚えたいと思うので、自己紹介をしてもらおうかな……。それじゃ、出席番号一番の、相澤くんから……」
「はいっ」と、幸太郎の前の席に座っていた男子生徒が立ち上がり、ハキハキと自分の名前やアピールポイント、この学校へ来た理由なんかを話し出す。
特に興味もなかったので、幸太郎は聞き流していたら、出席番号二番の運命として、すぐに自分の番がやってきた。
「えー、次……荒城幸太郎くん」
「うっす」気だるげに立ち上がり、幸太郎は周囲を見渡して、ため息を吐く。
「出席番号二番、荒城幸太郎っす。よろしく」
それだけ言って、座る。
周囲の生徒達は、「それだけかよ」とあからさまに落胆したような空気が流れるが、幸太郎には関係ない。次の生徒が自己紹介を始める。
幸太郎は、ため息を吐いて、頬杖をつき、作業中に聞くラジオみたいに、その後の自己紹介を聞き流した。
■
「あんな自己紹介じゃ、モテないぜ」
南雲教諭からの帰宅号令の後、仲良くなった生徒達はおしゃべりでさらに交流を深めようとし、今日はダメだった生徒は早々に帰っていたのだが、幸太郎はそのどちらでもなく、まるで周囲を観察するみたいに、憮然と席に座ったままだった。
そこに、一人の男子生徒がやってきたのだ。金髪のオールバックで、一本額に垂れた前髪の束が、緑色に染められている、なんとも奇妙な髪型をしている。
垂れたアーモンドみたいな形の目と、直接黒いブレザーのみを素肌に羽織った、華奢な少年で、人目を引く奇抜な格好をしていた。
「もっと、明るい感じじゃなくっちゃ。クールな男がモテるなんて稀有なパターンだぜ。近寄りやすい男がモテるんだ」
「あん? 誰だ、お前」
幸太郎がひと睨みすると、それを心外みたいな表情でいなし、頭を搔く少年。
「俺の名前は風島季作。クラスメート」
「……はあ、そうかい。それで? 俺になんか用か」
「おいおい。入学初日に話しかけるなんて、一つっきゃ用ないだろ? 友達になろうぜ」
そう言って、季作は幸太郎へと手を差し出した。その顔は満面の笑みと言ってもいいほど明るく、何を考えているのか、幸太郎には読み取れなかった。
「友達? 俺とかよ」
「おう!」
「別に構いやしねーけど」
「マジ? そうかそうか。んじゃ、今日からダチだ。断られたらどうしようかと思ったぜ―。お前とは、どうしてもダチになっておきたかったからさ」
「なんでまた」
「俺は風系の魔法を得意にしてんのさ。んなもんだから、雰囲気っつーか、そいつが持ってる空気みたいなもんには敏感でさ。お前は面白い風を持ってるからだな」
さっぱり理解できていない幸太郎を余所に、季作は自分一人で納得したいみたいに、うんうんと頷いていた。
「そうかい。――つっても、ご期待に添えられるとは思えないけどな」
「いいのいいの。こういうのは、俺の勘だからさ」
幸太郎は、立ち上がって鞄を持ち、教室から出ようとする。
「俺は寮に行くが、お前は」
「ん? 当然、俺も行くよ。荒城、お前は何番寮だ?」
「三番」
「おっ、いっしょじゃんか。寮でもよろしくな」
二人は、並んで教室から出て、廊下を歩く。周囲も、今日から家ではなく寮での生活を送る所為か、少し浮足立った生徒たちが目立つ。まるで修学旅行前の様な空気だ。今日から三年間、昼も夜もなく魔法漬けになるのだから、それを目指してやってきた生徒達がはしゃぐのも無理はない。
そんな中、明らかにそれらとは毛色の違う、「うるせえ!!」という怒号が聞こえてきた。
「テメエ、総魔家の人間だからって、偉そうにしてんじゃねえぞ!」
見れば、幸太郎と季作の行く先で、女子生徒と男子生徒が言い争いをしているようだった。男子生徒は、茶髪を後頭部で結った、ピックテールの髪型をしている。
顔を赤くして、歯を食いしばっている所から、先ほどの怒号は彼のもので間違っていないらしい。
「家の事は関係ありません。ただ、あなたの横暴な立ち振舞が目に余ったから注意したまでです」
まるで胸を支えるように腕組をし、堂々とした立ち振舞をするストレートロングの黒髪を携えた少女は、冷淡な瞳で男子生徒を見つめていた。ブレザーをきっちりと着こなしているその姿から、優等生然とした雰囲気を感じさせる。
「なんだぁ? トラブルか」
少しだけワクワクしてしまう幸太郎は、目を輝かせてその光景を見つめる。
「あの女子生徒の方、総魔告葉だな」
「あん? 誰だって?」
季作は、まるで突然『空って何色だっけ?』と尋ねられたような顔をして、幸太郎を見た。
「総魔告葉だよ。人類で最初に魔法使いになった、総魔紫、その末裔総魔家の一人娘。魔法に関わる人間なら、みんな知ってる常識だろ」
「どうもそういう事には疎くってな。師匠がそういうとこは、全然教えてくれなかったし」
「師匠? お前、ここに来る前、誰かに魔法を教わってたのか」
「あぁ、まあな。本人は結構有名だって言ってたが、名前は――」
と、幸太郎が師匠の名前を口にしようとした瞬間。
「テメエの態度の方が、百倍横暴に見えるんだよぉ!!」
そう男子生徒が叫び、右手を掲げ、そこに魔力を練り込む。どういう魔法かはともかく、どうやら告葉に対し、魔法を放とうとしている様だった。
周囲は、まさかこんな密閉空間で攻撃魔法を放つつもりかと慌て、騒然となるが、そこで冷静だったのは、二人だけだった。
その内の一人、告葉は、左手に魔力を練り込み、迎撃しようとする。だが、冷静だったもう一人――つまりは幸太郎だが――、彼は履いていた上履きを脱ぎ、男子生徒の顔面へ向かって蹴っ飛ばした。
「いてっ!」
まるで沸騰する鍋に水が注がれた様に、混乱が一瞬沈静化する。
今度は、幸太郎以外誰も状況を理解できていない。だから、一人上履きを取りに歩く幸太郎を、皆が見つめていた。
「よくねえなぁ。女子に自分から手を上げるってのはよぉー」
上履きを履き、幸太郎は、目の前に立つ男子生徒へ意地の悪い唇を歪めた笑みを見せる。
「……なんだぁ、テメエは」
男子生徒は、こめかみをヒクつかせながら、幸太郎を睨んだ。だが、幸太郎はそんな事で怯まず、男子生徒を見つめ返した。
「大声出してんじゃねえよ。うるさくってつい上履き蹴っ飛ばしちまった。声で威嚇しようなんてのは、獣がやる事だぜ」
「いきなり現れて、訳のわかんねえこと言ってんじゃねえ!!」
「だから、うるせえっての。話なら、そこの女子じゃなくて俺が聞くぜ。耳はついてるから、普通のボリュームで頼むわ」
「関係ねえだろ!」
「あん? なら、お前は上履きを顔面に当てられたの水に流すってのか? 寛大な男だねえ。それなら、この女子が言ったことくらい、一緒に水に流してやったらどうよ。器のでかい男はかっこいいだろ」
「こん、の……! 人の話聞いてんのかてめえ……!」
「だから、さっきっから会話してやってんだろうが……」
わざとらしく、大きめなため息を吐いて、幸太郎は肩を竦めた。遠くから、季作が「おっ、おい荒城っ。あんまり相手サンを挑発すんなー」と怯えたように言ってくるが、幸太郎には関係ない。
「そうです。あなたには関係ありません」と、なぜか助けている相手であるはずの告葉まで、幸太郎を睨んでいた。「この程度の相手、私にとって眼中に入りません。手助け無用です」
「あぁ!?」その言葉に、再び逆鱗を撫でられたのか、男子生徒は再び告葉へ視線を移した。
「オイオイ。せっかく助けに入ってやったんだ。恥かけさせんじゃねえよ。アンタの手を煩わせるまでもねえって言ってんだ。総魔サン」
まったく、そんな気持ちはなかった。
ただ、魔法を発動されたらこっちにもとばっちりが来るのでは、と咄嗟に妨害しただけ。それだけではあるが、ここで今更『助けなんて不要』と言われては、引込みがつかなくなってしまっただけに、バツが悪い。
「――上等だ。なら、まずはテメエからぶっ殺してやる!」
男子生徒が挑発に乗ってきた。幸太郎は、再びにやりと笑って、「いいぜ」と窓の外を親指で差す。
「だが、ここでやっちゃ迷惑だ。外でやろうや」
「あぁ。お前もついてこいよ、総魔」
「はぁ……。元々、私が挑まれた戦いですから、当たり前です」
そうして、幸太郎が先陣を切り、校庭へと出る三人。先ほどの騒ぎもあった所為か、周囲にはギャラリーが集まり、幸太郎と男子生徒を囲むように並んでいた。
二人は、十メートルほど離れて対峙した。
幸太郎は靴で地面を蹴る。コンクリに砂をまき散らした、一般的なグラウンドの感触。転んだら痛そうだ、と思う程度の感想しか出てこない。
「まずは自己紹介といこうぜ。俺の名前は荒城幸太郎。お前は?」
「……九波信介。とっとと始めようぜ。次が控えてるしよ」
そう言って、男子生徒、九波は、ギャラリーの中に混じった告葉を睨んだ。
「……俺に勝つ気でいんのか」
幸太郎は、鼻で笑うと、構えた。
その構えを見て、周囲と、そして九波は、少しだけ驚く事になる。
■
九波信介。
彼はそこそこ魔法の才能があった。だが、才能の尺度というのは本人が見れば少しだけ大きさを見誤る物で、彼は自身を『天才』に少し届かないくらいの実力者だと思っていた。
平均よりは上だが、当然、そんな怪物たちに勝てる器ではない。
だからこそ、それが態度に出て、自分より力に劣る生徒への対応が横暴なモノになった事を告葉に注意されたのは彼のプライドを傷つけ、彼女を怒鳴るハメになったのだが。
魔法に関して言えばそれなりの優等生である彼は、目の前に立った荒城幸太郎が拳を構えた時、驚いてしまった。
左手のガードを落とし、右手のガードを上げる、ボクシングのフリッカーにも似た構えだ。
本来、魔法使いという存在は、遠距離を軸に戦略を組み立てるタイプの方が圧倒的に大きい。
生まれながらにして銃を持つ者。
遠くから相手を倒すのが魔法使いの王道であり、近距離戦闘という死の隣に体を置くような行為は、魔法使いにとって邪道。
どういうつもりか、九波にはわからない。そして、幸太郎はそのまま爪先で飛び跳ね、体を揺らし始める。まるでリズムを刻む様に軽快なステップ。
「来いよ、先手は譲るぜ」
中身の見えない箱に手を突っ込むような感覚が、九波の肌を撫でる。幸太郎の言葉を受け、九波は右手に魔力を練り込み、掌に水を出現させ、それで渦を巻く。
「喰らえ!! 湖流陣!」
それは、九波が最も得意とする魔法だった。掌に出現させた水に、二重の加速魔法をかけて相手に投げつける魔法。
二重、というのがポイントだ。
まず、当たり前だが、投げる際に弾速を上げる加速。
そして、渦を加速させる魔法、この二つを織り交ぜて投げる。
高いところから飛び込み、着水に失敗すると体を痛めるが、水が元々持っていた粘性を速度を高める事で逃げ場を無くし、水自体の硬度を高めることで、攻撃力を上げているのだ。速度と密度をさらに高めれば、いわゆるウォーターカッターじみた事もできるのだが、それはまだ、今の九波の実力では届かない。
しかし湖流陣の攻撃力は、コンクリートでさえも砕く。人体にぶつかれば、タダでは済まない。
「悪いな」
だが、幸太郎は、加速した水弾をいとも容易く、斜め前へのステップで躱してみせた。
「な――ッ!」
躱されるとは思いもしなかった九波。同年代にこれが躱された事はなかったし、そもそも放った自分でさえ避けられるか怪しい。加速魔法をかけてあるのに躱せるとなれば、幸太郎本人が何か動体視力をアップさせる魔法でも使っているのか、あるいは、『日常的にもっと速い攻撃を見続けていた』かしか考えられない。
だが、当てる自信はあっても、躱された時の保険を用意しておかないほど、九波は無能な男ではなかった。
「んなら、こいつはどうだよ! 波糊!!」
先ほど放った湖流陣から飛び散った水を幸太郎が踏んだ瞬間、そう叫ぶ九波。今まさに九波へ接近しようとしていた幸太郎は、足を踏みだそうとしたのに、まったく動けなくなっていた。
飛び散った水の粘度を上げることで、接着剤のようにし、幸太郎の動きを止めたのだ。
「これでフットワークは殺した。躱してみろよ木偶の坊!!」
再び、右の手から湖流陣を幸太郎に向けて放った。
今度こそ、躱す手立てなどなにも無いだろう。これこそ、俺の無敵を支える連携魔法だ。
そう叫ぶつもりだった。幸太郎が骨の一、二本でも折って、降伏した時は。
だが、そうはならなかった。
幸太郎は急いでブレザーを脱ぎ、それを湖流陣に向かって投げた。すると、ブレザーにぶつかった瞬間、湖流陣が弾けたのだ。
「なっ、はあ!?」
コンクリートでさえ砕くはずの湖流陣が、ただの上着に砕かれた。湖流陣は、彼にとってプライドだった。自らが作り上げた必殺魔法であり、波糊と組み合わせれば脱出不可能な戦略と化すはずだったのに、ただブレザーを投げただけで破壊されたのだ。
そのショックは、決して少なくない。
「たかだか水さ。ブレザーに当たった時、自らの衝撃で自壊したんだよ」
幸太郎は、九波がショックを受けている隙に靴を脱ぎ、地面を蹴って、あっという間に距離を詰めた。
「俺に半端な魔法は通用しねえよ」
懐に潜り、拳を握る幸太郎はまるで九波の目を覗き込む様にして、一言。
「俺を倒したいんなら、悪魔を殺せる男にならないと」
言い終わったと同時に、右のショートアッパーを九波の顎に叩き込んだ。
朦朧とする意識の中、バカな、バカなと何度も現実に異議を唱える九波。魔法使いが魔法も使わずに、魔法使いを斃した。
周囲の生徒達が、ざわめく。
なんで俺が倒れてるんだ? どうして荒城が注目されている。
現実逃避したまま、背を地面に預ける九波。
彼を見下す男の名は、荒城幸太郎。
後に、魔法使い殺しと呼ばれる男。
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首を捻り、骨を鳴らして、倒れている九波を見つめる幸太郎。完全に気絶しているか、しばらく構えを解かずに見つめて警戒するも、ぴくりとも動かないので、両拳を腰に落とし、ふぅ、と小さくため息。残心を終えて、勝ちを確信する。
幸太郎はポケットに手を突っ込み、その場から離れようとする。季作は、そんな彼に労いの言葉をかけるつもりで、一歩踏み出す。その彼よりも先に声をあげたのは、助けられたはずの総魔告葉だった。
「待ちなさい! 荒城幸太郎!!」
「あん?」
幸太郎は、肩越しに振り返る。なぜか、告葉が自分を睨んでいて、意味がわからず「助けたのになんで睨まれてんだ俺は?」と彼女に訊いてしまった。
「先ほどの戦いはなんですか?」
「なんですか、って。お前を助ける為にやったんだろうが」
「……その事については、ありがとうございます。しかし、先ほどの戦い方はなんですか。あれが、森厳坂に通う生徒の、魔法使いを目指す者の戦いですか?」
「わりーけど、俺ぁ別に、魔法使いを目指してるわけじゃねえし」
「なら、なぜここに入学をしたのですか」
「っせーな! なんでもいいだろーが。助けてやったんだから、お礼の一言でもあっていいんじゃねえのか?」
「頼んだ覚えはありませんし、あの程度、助けてもらう必要もありませんでした」
「可愛げのねえ女だなぁ。そう思っててもよぉ、ありがとうくらい言って、穏便に済ませろよな。そう言われちゃあ、こっちだってムカついて引き下がれ無くなんだろうが」
好戦的な笑みを浮かべながら、腰を曲げ、彼女の瞳を覗き込むようにして挑発する。だが、告葉は、それに怯むこと無く、幸太郎を睨み返してきた。
「まだ余裕でしょう。もう一戦、やりますか」
幸太郎は、告葉から一歩離れて、「やめとくわ。今お前に殴りかかったら、俺ワルモンだしな」と、踵を返して、人混みを掻き分けてその場から離れた。
そんな彼の後を小走りで追ってくる季作は、追いつくと、彼の肩を叩いて「すっげえな!」と無邪気に言った。
「あん? 何がだよ」
「何が、って、さっきの立ち回りだよ。魔法も使わねえで、魔法使い倒しちまうなんてよぉ。あんな光景がまさか見れちまうとは。お前、よっぽど魔法の使い方を熟知してんだなぁ」
尊敬するぜ、と言いつつ、まったく敬っている様子を見せず、背中を叩く季作。「いてーよ」と言って、不機嫌そうに季作の手を払い除け、幸太郎は「……期待に添えねえと思うぜ」とだけ呟く。
「へ? 何がよ」
「……授業でも始まればわかるさ」
「だから、何がよ?」
幸太郎の言葉の真意をさっぱり理解していない季作。その説明を求めるのだが、幸太郎は憮然とした表情を保ったまま、なにも答えない。
■
手から火を出す。
これが、魔法学校にやってきた生徒が初めてやる魔法と言ってもいい。まあ、当然大抵の場合、入学前から魔法が使える生徒が多く、この授業は生徒の魔法レベルが最低ラインに達しているかを確認する物となっていた。
魔力を大気に混ぜ、燃焼させることでその性質を変化させ、燃焼した魔力で自分の手を火傷しないよう、皮膚に薄く膜を張る。そう言った、魔法に不可欠な魔力のコントロールができなければ、手から発火させる事なんてできない。
一年E組は、初授業で校庭に出て、クラス全員、魔法基礎学担当の桂場から指導を受けて、発火魔法を行っていた。
基礎中の基礎であるだけあり、総魔告葉を始めとした入学前から魔法に触れていた生徒達は、軽々と腕を燃やしていた。
「まあ、こんくらいなら楽勝だよなぁ」
幸太郎の隣で右腕を燃やしながら笑う季作。その光景は、魔法を知らない人間が見たら、頭のネジが二、三本外れたと思うほど常軌を逸している。
だが、魔法使いからすれば、まだまだひよっこという光景だ。
「……荒城はやらねえのか?」
幸太郎は、舌打ちをして、掌に魔力を練り込む。
「かぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!」
幸太郎は、右手首を押さえ、足を開き、右腕を燃やすイメージを頭の中でグルグルと回す。具材を鍋に入れて煮込む様に。
「そんなに気合入れる事か?」
「かぁッ!」
幸太郎の叫びと同時に、腕がボウっと大きな音を立てて、燃えた。
ただし、一瞬だけ。
「……は?」
その一瞬だけ立った大きな火柱を見て、季作はそれが出た掌と幸太郎の顔を交互に見比べる。
「なんだ、今の?」
「……魔力のコントロールが、苦手なんだよ」
「いや、いやいやいやいや! これ初歩の初歩! これができないんじゃ、魔法なんて――」
「――使えねえよ」
幸太郎はバツの悪そうな顔をして、季作から目を逸らした。
「つ、使えないって」
「魔法が使えないから学校来たんだろうが。なんか間違ってるか?」
「い、いや……そりゃ、元々学校ってのはそういうもんだが……」
魔法使いにとって、学校という物は学びに来るというよりも、卒業証書をもらいに来る場所と化している。一人前になった事を証明する為の場所であり、その為に入学前から魔法の研鑽を行っている人間も少なくはない。
学校という言葉は、すでに形骸化しているのだ。
「ふぅむ……。そこまで壊滅的に魔力コントロールが下手な生徒は、初めて見たなぁ。コントロールができていないというより、なんだか外に出した魔力が一瞬で消えてるみたいにも見えるが」
と、小太りに焦げ茶のジャージを来た、頭髪の薄い中年の男性が幸太郎達に近づいてきた。彼が魔法基礎学担当教諭、桂場禅道である。
「ちょいショックなんですけど、その話」
幸太郎は、言葉とは裏腹に、わかっていたと言わんばかりに不敵な笑みを見せる。
「その割にゃあ、なんかあんまりショック受けてるって感じじゃねえなあ」
魔法使いとしての才能が無いと宣告されたにしては、幸太郎の態度が堂々とした物だったので、季作は頭の中が変にでもなったのかと思い、幸太郎の頭をジッと見つめる。
「小せえ頃から、師匠にずっと言われたからよぉ。『お前、才能ねえなぁ』って。結局、魔法らしい魔法は一つっきゃ使えねえし」
「へえ、師匠と魔法ねえ? 話せよ。面白そうだ。俺はさ、面白そうな話とラーメンが大好物でさ」
「ラーメンだぁ?」
幸太郎はすぐに、この森厳坂魔法学院が全寮制である事を思い出す。
「この学校は全寮制で、しかも外出にゃあ届け出がいるだろうが。なかなか受理されねえって評判だがよ。ラーメン食うのも一苦労だろ」
「へっへ」したり顔で、鼻の下を人差し指の腹で擦る季作。「この学校はよぉ、出るのは苦労するが、普通に入ってくる分には結構緩くってよ。入学前にみっちり調べたから間違いねえ。出前も普通に取れるし、材料を注文すんのもヨユーなのよ。俺って結構作るのも好きでさ、今度作ってやるよ」
「そりゃあいい。いつかは食わしてもらいてえなぁ。――けどよぉ、出前っつったって、ここは山奥だぜ。伸びる前に、どうやってラーメン運んでもらうんだよ?」
「……あっ!」
今気づいた、と言わんばかりに目を見開き、口を押さえる季作。幸太郎は彼とは違い、彼のアホさ加減を憐れむ様に、額を押さえた。
「ラーメンの話ばっかりしない」
と、生徒名簿を頭に乗せるくらいの力加減で、桂場教諭は幸太郎と季作の頭を叩いた。
「まあ、荒城には驚いたが、学校はそういう人間を育てる為にある。わからないことがあったら、バシバシ! 聞きに来なさい」
「はぁ……。意外と熱いっすね、先生」
「こう見えても、熱血教師ドラマに憧れててね。出来の悪い子ほど可愛いんだコレが」
出来が悪い、と言われた幸太郎だったが、そんな事は昔から知っているので、特に反論はせず、「なんかあったら言いまスよ」と愛想笑いを浮かべた。
「えー、それじゃあ、みんなの基礎魔力と魔力操作の実力はわかったので、今後のカリキュラムに活かさせていただきます。それでは、解散!」
生徒たちは、「ありがとうございました!」と頭を下げ、その場から離れていく。幸太郎は背筋を伸ばして、大きなあくびで口を開ける。
「あーっ、終わった終わった。退屈な授業だったぜ。飯だ飯だ」
「それって、魔法ができるやつのセリフだろ」
「できねーから退屈なんだよ。普通の勉強みたいに、覚えりゃできるみたいなんだといいんだがよぉ」
心底うんざりした表情の幸太郎に、季作は「お前、普通の高校行った方がよかったんじゃねえの?」と親切心で告げる。
「そういうわけにもいかねえんだよ。俺にゃあ、ここでやりてえ事があんだから」
「やりてえ事? なんだよ、それ。言っとくけど、可愛い彼女がほしいとかは、魔法使っても難しいと思うぞ」
「バッカやろー。彼女に人生の三年間捧げてどーすんだよ。俺はもっと有意義な事にだなぁ」
「その話、詳しくお聞かせしてもらってもいいでしょうか?」
と、雑談しながら歩いていた幸太郎と季作の前に、告葉が立った。彼女は、幸太郎を睨み、笑っているのか怒りで眉間にシワを寄せているのか、判断しづらい表情を見せていた。
「なんだ? オメー、俺に興味があんのか? もしかして、俺に惚れてんのかぁ?」
「……くだらない冗談は、よしてください」
表情が今度こそ、怒りに染まる。季作は自分よりも実力が上の魔法使いが怒っている事に危機感を抱いたのか、震えて幸太郎の後ろに隠れる。
だが、幸太郎は片眉を釣り上げて、ため息を吐いた。
「っかぁー。可愛げのねえ女だなぁ。そんなんじゃあ、好きな男が出来た時、苦労すんぜ」
「……私をバカにしているのですか?」
「おう。戦う可能性があるやつは、勝ったくらいの勢いでバカにして怒らせろってのが、ウチの師匠の教えなんでよ」
「乱暴な師匠……。まあ、その辺りの話も含めて、聞かせてほしいんです。癪な言い方になりますが、あなたには興味があります」
「ほぉ。スリーサイズ以外なら、なんでも答えてやるぜ」
幸太郎の挑発にいちいち乗る事もないと気づいたのか、黙って先頭を歩き出す告葉。
「お、俺も行っていいのかなぁ?」
季作の耳打ちに、幸太郎は普通の声で「いいんじゃねえの? つうか、いてくれ。あの女と二人で飯食ってもあんま美味くなさそうだし、来てくれると助かるぜ」と言った。
当然、その言葉は告葉も聞こえていたらしく、肩が震えていたが、幸太郎は気づいていない。季作も、わざわざ触れる事もないだろうと無視した。
■
学食には、すでにたくさんの生徒が居た。体育館と同程度のスペースが取られており、新入生達が味わってみたいとたくさん押し寄せているからか、人であふれていた。
三人は人混みを掻き分け、なんとか自分の分を確保し、席についた。
幸太郎と季作の向かいに座る告葉は、焼き鮭定食を摘みながら、幸太郎を見つめる。
「単刀直入に訊きます。あなた、何者ですか?」
「何者って言われてもな。プロフィールでも言えばいいか?」
「でしたら、あなたの師匠と、魔法の才能がないにも関わらずここに来た理由を教えてください」
「ちっ。乗ってこなくなったな」幸太郎は自分の前に置かれた生姜焼きを口に放り込み、つまらなさそうに言った。「師匠の名はホープ・ボウ。知ってるか?」
「ほっ、ホープ・ボウ!?」告葉と季作が、大きな声を出し、机まで叩いて立ち上がった。驚いた幸太郎は、思わず味噌汁を机から落としそうになるが、なんとか死守した。
「知ってんのか?」
「し、知ってるも何も……。ホープ・ボウといえば、現存している魔法使いの中で、唯一悪魔を倒せるっていう、『悪魔狩り』の異名を持つ、伝説級の魔法使いだぞ!?」
季作は知らないことが罪と言わんばかりに、幸太郎を怒鳴るが、幸太郎はそれでも、『そういやそんな風に呼ばれてたなぁ』としか思えなかった。
「おっさんはそういうの自分から言うタイプじゃなかったし、俺もおっさんと旅ばっかしてたから、魔法使いの常識みたいなのは詳しくねえんだよ」
幸太郎は、白米生姜焼き味噌汁と三角食べで片付けながら返事をする。
「なぜ、ホープ・ボウに師事しておきながら、あなたはそんなに才能がないのです?」
そもそも、よくホープ・ボウが見捨てなかった物だが、と告葉は思ったが、しかしそれを口にするほど彼女の性根は腐っていない。
「元々、俺ぁ弟子やるつもりはなかったんだよ。故郷が悪魔に滅ぼされて、生き残った俺はおっさんに引き取られて、せっかくだから習っとけってことで習った。元々、俺が才能に恵まれてないのはおっさんも知ってたからな。魔法っつーよりは、別のモンを習ってたし」
「別の物?」
告葉はやっと立っている自分に気づいたのか、腰を下ろし、季作もそれに釣られて腰を下ろす。
「簡単に言うと、対魔法使い戦術。魔法を使えない俺の為に、おっさんが考案した格闘技だ」
「……あの悪魔狩りが、そんなモン作ってたとはなぁ」
「誤解されてるらしいが、おっさんは元々、魔法の才能に恵まれてたわけじゃねえよ。ただ、使い方と工夫が抜群に上手いだけだって、本人が言ってた。俺の対魔法使い戦術も、おっさんの戦術を魔法使えないヤツようにアレンジしただけだしな」
体一つで魔法使いを倒す技術、それが対魔法使い戦術。幸太郎は自らの拳を見つめながら、さらに続けた。
「まあ、俺は一個だけ魔法は使えるが……。ま、才能がないのを補う為だな。肉弾戦の才能は結構あったみたいだし」
「……なるほど? 並みの魔法使いなら、その『たった一つの魔法』を出さなくても、楽勝というわけですか」
「まあな。特に、遠距離しかしてこないタイプは俺の餌だ」
魔法使いにとって、近距離戦闘は邪道。自らが鍛えた魔法力のみで、不動のまま勝利を手にするというのが、もっとも理想的な戦闘。だから、幸太郎の言葉は『魔法使いは全員俺にとって楽勝』と言っているのと同義。
「でしたら、今度はぜひ実際に見せていただきたい物ですね……。私も、魔法には自信があるので」
「おもしれえ。今度は是非、俺を寝かしつけてほしいもんだな」
幸太郎と告葉は、互いに睨み合いながら、自分の食事を平らげていく。
それを見ながら、季作は学食の醤油ラーメンを啜り、「面白くなってきたなぁ」と呟いた。
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幸太郎と告葉の二人は、互いに少し急ぎ気味に昼食を食べ終え、同時に立ち上がって、食堂を出た。
「どこでやんだよ。俺ぁどこでもいいぜ、ここでもいい」
と、幸太郎はニヤニヤと笑いながら言った。
告葉は彼の方を見ず、「校舎の裏に、格技場があります。そこで正々堂々、決着をつけましょう」
背後からついてきている季作は、互いに一触即発な雰囲気を出す二人を見て、「あいつらって結構、似たもの同士なんかなぁ」と考えたりしていた。
そうして、二人は季作以外には知られず、校舎裏の格技場へとやってきた。フェンスで囲まれた、テニスコートほどの広さがある――というか、事実ネットとラインが取り払われただけで、ほぼテニスコートと言ってもよかった。
幸太郎と告葉は、そこで向かい合った。幸太郎は、手にバンテージを巻いて、告葉は右手の人差し指に指輪を填める。
戦闘が突発的ではなく、計画的に始まる場合、相手がどう準備するかを観察するのが大事だ。
もう何度も巻いているバンテージなので、手元を見なくてもしっかり巻ける。自分の準備をしながら、相手を観察することを忘れない。
告葉が填めた指輪、幸太郎はいくつかの想定を頭の中でしておき、警戒を強め、バンテージの上からオープンフィンガーグローブも填める。
これで、幸太郎の拳は大幅に強化された。元々、全身を激しく叩き、鍛えている幸太郎だ。裸拳でもそれなりに戦えるが、どういう魔法が来るかわからない以上、自分ができる最大限の装備をしておくのは当然。
準備を終えた幸太郎は、左のガードを下げ、右拳を顎の横に添えるような構えを取り、左手の指を曲げて、告葉を呼ぶように挑発する。
「どーぞ、先手は譲ってやるよ」
幸太郎はそう言って、余裕の笑みを浮かべる。
「自分が強いという、プライドですか? そういうのは実戦において、無駄なだけですよ」
告葉は右手を幸太郎に向かって突き出す。その掌から、まるで弾丸のように光弾が発射される。加速魔法もかけていないのに、九波信介の湖流陣よりも速く、幸太郎目掛けて飛んでくる。
「はっ、はぇえ!」
遠くで見ている季作だからこそ、その速度を目で追う事ができた。俺なら躱せない、そうまで思ったけれど、幸太郎は「おっと!」と横へ転がる様にして躱す。
「中々やるようですが、それならこれで!」
今度は、光弾を三つ連射した。左右どちらに逃げても躱せはしない。ジャンプして躱せるような甘い弾丸でもないし、とにかく幸太郎が躱す術はない。
躱す、術は。
「俺に半端な魔法は効きゃあしねえ!!」
幸太郎は、自分の真正面に飛んできた光弾へ向かって右ストレート。
光弾とは、魔法使いにとって最もポピュラーな攻撃だ。出すなら火が簡単ではあるが、例えば火の魔法が得意な魔法使いなら、その防御は完璧になる。吸収されて、魔力を奪われるという可能性がないわけでもない。
相手の得意属性がわからない以上、うかつに属性攻撃を仕掛けるのは危険。
なので告葉は、『魔法が使えないというのもフェイクなのでは』という考えから、幸太郎相手でもいつも通り光弾を選択した。
戦闘に置いてポピュラーということは、つまりそれだけ安定した威力が望めるということ。それを拳で叩き落とすなど、ただ拳を殺すだけの行為。告葉の光弾であれば、最悪幸太郎の右腕が全て吹っ飛んでもおかしくはない。
それなのに、幸太郎の右拳が、告葉の光弾を撃ち抜いていた。
「まっ、こんなモンか」
幸太郎は自らの右拳を開き、調子を確かめる。悪くない、むしろいいくらいだ。
「ば、バカな……!」
告葉は、先ほどの光景が信じられないとばかりに、今度はマシンガンばりに光弾を連射しはじめた。
「一目でわかれよ! 俺に遠距離攻撃は効かねえってよぉ!」
拳のラッシュ、光弾をすべて打ち砕き、幸太郎は地面を殴って、その推進力で告葉へ向かって距離を詰める。
「速い……!」
ただ地面を殴っただけでは、あそこまでのスピードは出せないはず。おそらくは、あの現象こそが――魔法を打ち砕いたり、異常な推進力を生むあの力こそが、幸太郎が使えるたった一つの魔法。
あれだけの事を、たった一つで賄える。つまりは――。
告葉は眼前に防御魔法で透明な壁を作り出し、バックステップ。
「しゃらくせえ!!」
その壁を、幸太郎は再び拳で砕く。拳に先ほどの魔法を込めたのだろう。しかし、そのせいで推進力は止まってしまい、二人の距離は開いたまま。
告葉は、一瞬大きく息を吸った。
「あなたの魔法は――もしや、拳から一瞬だけ魔力を放出する魔法では……?」
「へえ」幸太郎は、嬉しそうに顔を歪める。「よくわかったじゃん。そう、俺の魔力はなんでか知らねえけど、外に出た瞬間一瞬で消えちまう。だから、全開の魔力を思いっきり叩きつけるしかできねえんだ」
「そ、それって……」
二人には聞こえないくらいの声量で、季作が呟いた。
「それって、逆に難しいんじゃねえのか……?」
魔力は基本的に、出して止めてを一瞬でやる必要がない。そんな風にして魔法を出しても、ほぼ意味がないからだ。先ほどの幸太郎みたいに、火でそれをすれば何かを燃やす事もできないし、水なら少し湿らせるのが限界。
やる意味がないのだ。蛇口から一瞬だけ全開で水を捻り出し、そしてすぐバルブを締めるようなもの。意味がないし、手間がかかる上に、それが使い物になるレベルで捻り出せるには、蛇口の性能、つまりは魔力の総量に比例する。
つまり、相当の魔力量を要求される。
だが、そもそもそんな魔力量を持っているなら普通に魔法を撃った方が強い。
幸太郎がしたような使い方しかできないので、『遠距離こそ王道、近距離は邪道』と考える魔法使い達はしないのだ。
「そう、これが俺が一つだけ使える、俺だけの魔法。『魔力バースト』だ」
幸太郎は、地面を殴って空中へと飛び上がる。
先ほどの、幸太郎が手から火を出した光景は告葉も見ていた。
頭の中で仮説が生まれる。
(あの男……。魔力のコントロールを不得手としているようですね。潜在の魔力量自体は大きいけれど、その所為で魔法が満足に使えない……けれど!)
告葉は、地面を靴裏で鳴らし、地面から氷の柱を生やして、幸太郎に向かって突き出す。
「おっとぉ!」
空中を魔力で叩き、方向転換をする幸太郎。くるくると空中で、落ちる木の葉みたいに回転しながら、もう一度空を叩いて、告葉へと突っ込む。
「やりにくい、ですね……ッ!」
魔法使いの戦闘は、お互いの距離が縮まることがない。遠距離からの打ち合いで、左右に動く平行線の戦い。だから幸太郎と戦うと必然的に間合いを守る戦い方をするハメになる。いつもとは違う戦い方をしなくてはならないのだ。
「お前ら魔法使いは、戦いを知らねえからだよ!」
「それは、魔法使いを侮りすぎです!」
告葉はもう一度、足で地面をタップする。すると、氷の柱から幸太郎を追って、枝のような氷が生えてきた。
幸太郎は、真上を叩き、地面に向かって急降下。その氷の枝を躱す。だが、今度はその枝から幸太郎に向かて氷柱が落ちてきた。
「無駄がねえな!」
幸太郎はもう一度地面を叩き、告葉に向かって跳ぶことで、その氷柱を躱した。
「近寄らせはしません!」
告葉が腕を振るうと、突風が幸太郎へ向かって吹く。
「ぬぁッ!!」
その風の所為でバランスを崩した幸太郎は、推進力も止められてしまう。さらに告葉は、それだけでは満足せず、その風に氷柱を乗せて、幸太郎へ飛ばす。
「氷柱旋風!!」
腕をクロスさせ、腰を引いて、急所を守る幸太郎。体の端々に氷柱が刺さり、「ぐぅ……ッ!!」と苦悶の声を上げる。
「ギブアップは!?」
四肢から血を流す幸太郎へ、告葉は慈悲のつもりでその言葉を投げたのだが、彼は慈悲を『ナメられている』と取るタイプ。
「いるか!!」
そう返して、右肩に刺さっていた氷柱を引き抜いて、地面に捨てる。
「……それでしたら、本気で行きます!」
告葉は、先ほど右手に填めた指輪へと魔力を注ぎ込む。そして、地面を右手で叩き、叫ぶ。
「銀の名を与えられし水!!」
地面に魔法陣が展開、そして、その魔法陣から、身の丈五メートルはありそうな銀色の蛇が現れた。
「行きなさい!」
その蛇は、告葉の言葉で幸太郎へ向かって突進してくる。動きに妙な重厚感があり、幸太郎はその物体がどういう材質で出来ているのかを推測する。
(鉄……に見える、だが、そうなるとあのしなやかさに説明がつかねえ)
結局、突っ込んでみるまでわからない。
そういう時は、触ってみるまで。
幸太郎は右拳を握り直し、銀の蛇の額を魔力バーストでぶん殴る。
ヒビが入って崩れるか、あるいは自分の拳が撃ち負けるかだと思っていた。だが、そうはならなかった。
銀の蛇が、地面に叩きつけられた水風船みたいにはじけ飛んだのだ。
「なっ……!」
今の手応えはなんだ、まるで水を叩いたみたいな――。
そう思った幸太郎は、すぐに気づく。周囲に飛び散った銀色が、また元の場所へ集まっていく事を。
「これはっ……!」
幸太郎は、すぐにその材質を悟った。金属の様に重厚で、かつ水のような特製を持つ物など、一つしかない。
「水銀かッ!!」
まさに『銀の名を与えられし水』であり、これこそが、総魔告葉の得意魔術であった。
あらゆる属性を混ぜ合わせる事で水銀を作り出し、それを自在に操る事ができる。
幸太郎の拳で砕け散ったにも関わらず、再び蛇と成って幸太郎へと襲い掛かってきた。
「野郎ぉ!」
もう一度幸太郎は、水銀の蛇に向かって拳を放つ。だが、結果は先ほどと同じ。砕けて、飛び散り、再生する。
「一度で察したらどうです? そんな攻撃は効かないと」
先ほど言われた事の意趣返しか、告葉は笑った。
幸太郎も、釣られたように笑う。
彼の持つ唯一の魔法、魔力バーストでは『銀の名を与えられし水』はどうにも出来ないのに、なぜ笑うのか。告葉にはわからない。
『勝負する時は笑え、それが鉄則だ』
幸太郎の師匠、ホープ・ボウの教えの一つである。笑えないということは、余裕がないということ。それは相手に弱みを見せる事に他ならない。だから、お前のしたことなんてどうってことはないと、相手にアピールするため、笑うのだ。
その裏で、知略を巡らせる為に。
「――なぜ、笑っているのです?」
告葉は、警戒を露わにして呟く。
魔法使いは戦いを知らない。幸太郎にとって、彼女の言葉はそれの証明に他ならない。
「さっき言ったろーが。お前みたいな魔法使いは、餌だってよぉ」
幸太郎は、そう言いながら銀の名を与えられし水の攻略法を練る。
プラスシルバーの様に、操作するタイプはリモコンの様に操作する媒体が存在している事が多い。そして、その媒体として最も怪しいのは、指輪だ。
指輪を奪い取れば、プラスシルバーはコントロールを失う。
だが、指輪を奪い取るためには、どちらにせよプラスシルバーを掻い潜る必要がある。
しかし問題はない。プラスシルバーの弱点は、もう見つけてある。
「プラスシルバー!」
告葉の叫びと同時に、銀色の蛇が、その形を幸太郎の三倍はありそうな巨大なな人型へと変える。
幸太郎へ鉄槌とも言える拳を振り下ろすが、幸太郎はそれに真っ向から立ち向かい、右ストレート。
「魔力バーストォッ!!」
銀の人形と、幸太郎の拳がぶつかり合う。
今回のプラスシルバーの拳は、砕けなかった。幸太郎の拳と競り合い、彼を押しつぶそうとする。やはり単純な力勝負では勝てない。
幸太郎は、空いている左手をプラスシルバーの拳に添え、一瞬魔力を流して弾き、いなす。
バランスを崩すプラスシルバー、そして、幸太郎はその隙を突いて、地面を殴った推進力で告葉へ向かって突っ込む。
プラスシルバーは液体と金属両方の性質を持つが故、スピードには恵まれていない。
もしも使うのなら、幸太郎ならば姿を表さず、陰からプラスシルバーを操り、追跡させて戦う。今回は試合形式だからこそ、そうはならなかったが、とにかく今勝てさえすればそんなもしもの戦いなんてどうでもいい。
極論ではあるが、勝てば強いのだ。
幸太郎は、拳を振り上げ、告葉へ向かって放つ。
放ったはずだった。
「はい、ストップ!」
幸太郎と告葉の前に、二人の担任である南雲秀弥が突然現れた。
まさか突然現れた担任をぶん殴るわけにはいかない、そう思うだけの良心は幸太郎にも残っていたのか、幸太郎は進行方向とは逆に魔力バーストを叩きつけ、急停止した。
「テメッ、急に出てくんじゃねえ!」
「そうです! 決着はまだ――」
二人の抗議に挟まれながら、南雲はサイズの合っていない眼鏡のツルを押し上げ、困ったように笑う。
「いや、ははっ……。ダメですよ、君たち、本気すぎます。どっちかが大怪我を負うハメになる。回復魔法で治せるとはいえ、それでも当たりどころが悪ければ最悪死ぬかもしれない。総魔さん、キミはやりすぎだ」
南雲は、幸太郎を親指で差す。彼は体中に刺さった氷柱のせいで血まみれ、どう贔屓目に見ても重症だ。
試合を途中からしか見ていない南雲にしてみれば、告葉が魔法の才能がない生徒を虐めている様にしか見えなかったのも仕方がない。
しかし、告葉は逆の事を考えていた。
(冗談じゃない……! この男、手加減ができるような半端者ではなかった……。もしも最後の一撃が撃ち抜かれていたら、私が沈んでいた……)
幸太郎も、苦々しい顔で南雲を睨む。
(チッ……! これじゃあ、俺が勝ったのかどうかわかりゃしねえ。総魔がまだ奥の手を隠し持ってるかもしれねえっていう、疑念を抱えたまま終わるハメになっちまった……)
それでは完全勝利とは言えない。
ここで幸太郎が「俺の勝ちだろ」と告葉に問うことは、彼の性格上ありえないし、もし訊ける性格だったとしても、「アナタの勝ちです」と言われても信じられないし、「いえ、まだ奥の手がありました」と言われては、もうやるしか無い。
「……わかりましたわ。今回は引きます。ですが、その前に、一つ訊きたいことがあります。荒城幸太郎さん」
「……あぁ?」
告葉を威嚇するように、苛立ちを隠さない幸太郎。
「あなたは魔法使いを目指しているわけではないと言った。しかし、ここへ来た。つまり、理由があるはずです。その理由を教えてください」
幸太郎は舌打ちして、目の前の二人を睨む。
「人を探してる。ここに居ると噂で聞いた。――黒い魔法使いを知ってるか。全身をフードで覆い隠した、闇魔法を使うやつだ」
「闇魔法、ですって……?」
告葉、そして南雲の眉が歪む。
魔法には属性があり、『火、水、土、風、金』の五つ。だが、何事にも例外があり、その例外の一つが、闇魔法だった。
それは、普通の人間には使えない禁忌の力。人を殺傷することに特化した魔法であり、人間が扱うには、条件があった。
「闇魔法は、悪魔憑きにしか使えないはずですが……」
悪魔。人間に魔法の使い方を教えた異形の存在。彼らを取り込んだ人間を、悪魔憑きと呼ぶ。悪魔自体の数が多くない上に、そもそも人間に悪魔が取り込まれるという事態が起こりえないので、ほぼ伝承上の存在と化している。つまり、闇魔法もまた、伝承の存在であるという事。
「そんな御伽話の様な存在を、なぜアナタが探しているのですか」
幸太郎から、本気の殺意が漏れる。一瞬空気がひんやりと冷たくなったように感じ、告葉は幸太郎から目が離せなくなってしまう。
「俺の師匠、ホープ・ボウを殺した。その復讐だ」
幸太郎の瞳は、濁っていた。
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