ミシュガルド冒険譚
穢れに捧げ、癒し歌:9
――――
ピクシーの助けもあり、程なくしてケーゴは調査報告所にたどり着いた。
建物の中には人々がひしめき合っている。種族はまったく関係ないようだ。
扉を荒々しく開けると、人々の恐怖した視線がケーゴに注がれた。
相当外からの脅威に恐れを抱いているようだ。無理もない。
「アンネリエ―!」
それを無視して探している彼女の名前を呼ぶ。
不安と恐怖の声がさざめく中で、その叫びはかき消されてしまう。
獣人とぶつかり鳥人の羽を押しのけ、エルフに押されながらケーゴは報告所の中を探し回った。
どうやら開放されているのは一階だけらしく、二階に避難してきた者はいないと職員に説明された。
「マスターケーゴ」
空からアンネリエを探していたピクシーがケーゴの肩に戻る。
「どうだった!?」
「私が気落ちして返答するに、この屋内にアンネリエ様、ベルウッド様の両者の姿も発見することはできませんでした」
「そんな…っ!」
息が荒くなる。心臓の鼓動が重くなる。
いない。
アンネリエがいない。
どうしてだ。どうしてアンネリエがいないんだ。
ケーゴの脳裏に黒い獣人が浮かんだ。
次に剣士に斬られる魚人たちが浮かび、最後に灰になるまで焼き尽くされた彼らの姿が浮かんだ。
「…っ!」
違う。そんな訳ない。
呼吸が震え、苦しい。
次第に思考が停止し、喧騒が遠くなっていく。
吐き気と共に目に涙が揺れる。
アンネリエは無事だ。どこかに絶対にいる。間違いない。
死んでない。アンネリエは死んでいない。違う。死んでない。あんな姿なんかになってない。
そんな訳がない。アンネリエはもう逃げている。ここではないどこかに逃げているんだ。
殺されるわけがない。燃やされるわけがない。あんな風に黒くなってる訳がない。
そうだ。ここにいないだけで、きっと、他の安全な場所にいるはずだ。
だって、守ると決めた。
自分がアンネリエを守ってみせるって、そう決めたじゃないか。
そうだ、死んでなんかいない。…死んでなんかいない。
「マスターケーゴ、落ち着いてください。私がマスターの精神状態を慮るに、深呼吸を一度して、緊張を解いてください」
硬直したケーゴをピクシーが呼ぶが答えはない。
そこで彼の肩を叩く者がいた。
ケーゴの瞳に光が戻り、はっと振り返る。
「アンネリエ!」
「…あなた、大丈夫?」
ケーゴより頭一つ背の高い女性だ。
銀色の髪を背中に流し、顔を隠すためのものらしい布を今はまとめ、垂らしている。
薄紅梅のワンピースドレスは露出部分が多く、スリットも大胆だ。美貌も加わり、普段のケーゴなら視線に困っていただろう。
露わになった耳からエルフということが分かるが、彼女の背には翼が生えている。
狙いの人物とは違うとわかり、露骨に消沈するケーゴに彼女は尋ねた。
「…人を探しているのね?」
彼は食らいつくように応えた。
「アンネリエを…!エルフの女の子を探しているんです!見ませんでしたか!?緑色のひらひらした服で、大きな杖を持っていて…!」
女性はケーゴを目で制した。
「落ち着きなさい。私ならあなたを助けることができるかもしれないわ」
「…本当ですか!?」
「えぇ、ちょっと待ってね」
そう言うと彼女は水晶を取り出した。
途端にケーゴの表情が怪訝そうなものに変わる。
察した女性の声が低くなる。
「…あら、信じていないのね。」
「……だって占いでしょう、それ」
「嫌ならいいのよ?突如化け物が現れて混乱している人の中でもあなただけ特別にこうして助けてあげようと思ったのだけれど」
「…何で、俺を?」
「そこは気にしなくていいのよ」
「はぁ…」
藁でもいいから縋ってみようかと考えたケーゴにピクシーが進言する。
「マスターケーゴ、私が彼女の提案を受け入れようと考えるに、彼女はエンジェルエルフのようです。エンジェルエルフといえば神に通じる神聖なる種族…と本人たちの内では言われています。それが真実かどうかは置いておくとしても、彼らの能力に偽りはないでしょう。ただの占いと侮らない方が良いかと」
「…そうなの?」
思い出したようにケーゴは彼女の羽をしげしげと眺める。鳥人とのハーフではなかったのか。
女性はクスリと笑った。
「その機械妖精は賢いのね。…それで、どうするの?」
「…っ」
唾をごくりと飲み込み、ケーゴは答えた。
「……お願いします。アンネリエの…居場所を知りたいんです」
恐れも同時にあった。
もし、この人の占いが正確無比なものであったとして、最悪の事態が宣言されたらどうしようかと思うと怖くて身が震える。
それでもケーゴはアンネリエの無事を祈って女性に占いを頼んだ。
「……それじゃあ、始めるわ」
そう言うと、女性の持つ水晶が輝き始めた。
「探したい人のことを思いながら水晶に手を触れて」
従う。水晶の冷たさが心地よい。
アンネリエの姿を思い浮かべる。
最後に見たのは、悲しげな背中。
彼女の顔は何度も見たはずなのに、どうしても思い浮かぶのはその後姿だけだ。
それが悲しくて、それが悔しくて、ケーゴの手が震える。
刹那、水晶に映像が映った。
「っ!!」
ケーゴは瞠目した。紛れもない後姿。アンネリエだ。
「…よかったわね、あなたの彼女は無事みたいよ」
女性の言葉は耳に入らないかのようにケーゴは水晶を凝視した。
どこか暗い場所の様だ。土壁が見える。
周りに多くの人がいる。ベルウッドもいる。
「私が推測するに、他の避難所に逃げ込むことに成功したのでしょう。周囲の方々を見るに、種族や所属関係なくこの場に集まって来ているようです。壁の様子から見るに地下。一瞬映った足元から地下通路のような場所なのではないでしょうか」
「地下通路…」
放心したようにケーゴは反復した。
とにかく、無事らしい。足が震える。体中の気力が抜け落ちていきそうだ。
「…とは言っても、地下通路なんかこの交易所にあったのかしら?今占ってみるわ。……ここ、かしら」
水晶に浮かぶ像が変化した。
どこかの路地裏だろうか。乱雑に置かれた荷物に隠れてマンホールがある。
「もう少し詳細な情報がないと…これじゃあ広い交易所のどこか分かり難いわね。…くまなく探すには外は危険すぎるし…」
「ピクシー」
先ほどまでとは打って変わって静かに、しかし落ち着いた声でケーゴがピクシーを呼んだ。
確信を持った。水晶に映ったその姿が、現実のアンネリエのものだと。そして、その場所もわかった。
だから、もう恐れる必要はない。焦る必要もない。
ただ、彼女のもとへ。
「交易所全域はもう把握しているはずだ。これがどこかわかるか?」
アンネリエを探すために交易所を飛び回ったのだ。ピクシーも確信をもって頷いた。
そしてピクシーのバイザーから像が投影され、交易所の全体図、そして赤く記された当該場所が宙に浮かぶ。
「ここまでの最短経路を頼む。おねーさん、ありがとう!俺もういかないと!」
確認するや否やケーゴは翻し、入り口へと人混みをかき分けていく。
「どういたしまして。気をつけてね、ケーゴ君」
彼女に応えることなく、違和感を抱くこともなく、ケーゴは報告所を出ていった。
その後姿を見送った女性の目が鋭く光る。
「……ケーゴ…何の変哲もない村の出身…。特に秀でた能力がある訳でもなく、魔力に長けたわけでもない。…なら、どこで因果が交差したというの…?」
気まぐれで助けた訳ではない。
理由があって声をかけた。
神に連なるエンジェルエルフだからこそ、それを察知できたのだ。
「…どうして、あの子に――の…それに…我らが神の力が……?」
――――
「何がどうしたらこんなことになるんだろうねぇ…」
諦めのような声でロビンが呟いた。
隣に立つシンチーは無言をもって返す。
いくら論じたところで結論は出ないからだ。
現在2人はアレク書店の前で亡者たちへの警戒を行っていた。
店内にいるのはローロとアルペジオ。屋内にいれば安全と言うことであったが何が起こるかわからない。
「正体不明の化け物とは恐れ入るね。さすがミシュガルド」
「…そんなことを言っている場合では」
「いかないだろうね。海に現れた巨大な化け物のこともある。こんなことを言うのはよくないんだろうけど、この交易所もいつまでもつかわからない」
シンチーは眉をひそめた。
気楽に言ってはいるが、その実彼の声は硬い。
「…とにかく、この辺りにその化け物が来たときは」
「全力で排除するしかなさそうだね」
2人がそう結論づけた時だ。
近くの曲がり角の方角から派手な機械音がした。鉄がぶつかり合うけたましい音。
その音は次第に大きくなっている。どうやらこちらに近づいてくるようだ。
シンチーが素早くロビンの前に出て、剣を抜く。
ロビンもナイフを手に構えた。
音が止まる。
何か話す声が聞こえたような気がした。
刹那、人影が角から躍り出た。
鋭い目線で剣を構え、威嚇のように前方を睨んでいるその人物を見てロビンとシンチーは目を見開いた。
「…っ!お前は!!」
シンチーの声が荒い。ロビンも予想だにしない再会に表情を硬くする。
一方でその人物は怪訝な顔をしてみせた。
「…化け物ならともかく、人間相手にその反応はないんじゃないか?」
「ラナタ、この方たちは…?」
角からメルタが機体を覗かせた。
ラナタは振り返って応える。
「異様に警戒されてしまっただけです。特に問題はないでしょう」
「そうなの」
メルタが乗る機体がその全貌を現した。
初めて見る機械に2人は固まったままだ。
が、様子からしてこの皇国兵はこちらのことを覚えてはいないようだとロビンは考え、口を開いた。
「…いやぁ、すみません。化け物が出たということでこの書店を守っていたのですが、こちらもその化け物がどんな姿なのかわからないもので」
ラナタは納得したようにうなずいた。
「成程な。…化け物は全身真っ黒の生き物だ。攻撃を加えても再生してしまう。奴らに傷つけられた者は化け物の仲間入りをしてしまうようだ。効率のいい方法かどうかは知らないが、動きを止めて炎で焼き尽くしてしまうというのが現在私たちの取っている対策だ」
「情報提供感謝します」
以前命を狙ってきた剣士とこうして落ち着いて話すというのは奇妙な感覚を覚える。
シンチーはこれが全て皇国の罠なのではと未だに警戒を解いていない。
そんな彼女の視線に疑問を感じつつも、ラナタは尋ねた。
「私たちは人を探している。お前たち、アルペジオという皇国兵を知らないか?…外見は緑色の長髪、背は少々低く痩せている。恐らく甲皇国の軍服を着ているはずなんだが」
「…すみません、アルペジオと言う名前も、そのような女性の姿も記憶にはありません。…シンチーは?」
動揺を表情の奥に隠しつつロビンは答え、ラナタから目をそらすようにシンチーを見た。
シンチーは無表情で顔を横に振る。
「…そうか。知らないのだな」
ラナタは目を閉じた。
ロビンとシンチーが内心安堵したその時、ラナタの冷たい声が彼らの胸を刺した。
「…なら、何故今お前は“女性”と言った?」
心臓が凍った。
確かにラナタはアルペジオの性別に言及をしなかった。それにも関わらずロビンは女性と答えたのである。
「…長髪と言っていたので女性かと思っただけですよ。まさかかまをかけているつもりですか?」
冷や汗を気取られぬように一見平静にロビンは言いつくろう。
ラナタの表情から疑いは消えない。
「…今日日長髪の男なんていくらでもいるだろう。…それに、兵という言葉から大抵は男を想起するんじゃないか?」
「そうは言ってもあなた方も女性ですしねぇ…」
これは化け物どころじゃなくなってきたぞとロビンがいよいよ引き攣った笑みを見せかけた時だ。
「あの、ちょっといいかしら」
メルタが2人の会話に割って入った。
ラナタの表情とは対称的に機内のその表情は明るい。
その煌びやかな視線から自分に話があるのだと察したロビンはおずおずと彼女を見上げた。
「…何でしょうか」
意図せず年下の少女に敬語になってしまう。
が、メルタはロビンの不安を吹き飛ばすようなことをここで言ってのけた。
「あなた、もしかしてロビン・クルーではなくて?」
「…そうですが…」
メルタの表情の輝きがいやました。
「やっぱり!シンチーなんて珍しい名前、あなたの本でしか見たことありませんでしたもの!」
「…メルタ様、それではこの者たちが…?」
至極驚いた風にラナタが2人を指さす。
「えぇ、前話した私の大好きな冒険作家、ロビン・クルーですわ」
メルタの機体がずいと前に出る。
逃げ出すわけにもいかずロビンは彼女を見上げる。
「私、あなたの本なら全部読みましたのよ!特に好きなのはヤミパン遺跡で謎の水晶を手に入れた話ですわ!」
「あぁ、短編集のあれか」
ロビンの緊張が少々和らいだ。
シンチーもそんなこともあったな、と会話に加わる。
「甲皇国の郊外にあった遺跡でしたか」
「そうそう。君が中にいた動物を追い払っていたら勢い余って壁を破壊して隠し通路を破壊した所だよ」
むっと睨まれながらもロビンはからからと笑う。
「それにしてもどうしてあの話が気に入ったんです?」
これまでに出した本の中にはもっとスリルに溢れた長編やら人々との触れ合いを緻密に描いたものが沢山あるのだが、その中で何故あの短編なのだろうか。
メルタは少し考える素振りを見せた後に応えた。
「あの話は特に文章が軽快で…なんだか別人が書いたように感じましたの。それに、検閲箇所が少なかったのも決め手の1つですわ!」
「……」
一転、ロビンの表情が消える。
やや間を置いて彼は尋ねる。
「…失礼ですが、私の小説の第一作目はお持ちですか?」
「もちろん持っていますわ!“僕は闇のトーギッジョじゃない”。衝撃的な題名とは裏腹にとてもスリリングな冒険活劇でしたわ!」
「…そうですか。、ありがとうございます」
それは2作目だ、とロビンとシンチーは同時に思う。
しかし、その回答はある程度予想していた。
甲皇国の軍人と行動しているのだ。この少女も皇国出身だろう。
かの国で自分の本が規制を受けているのは百も承知だ。
恐らく記述もいくらか変えられているようだ。別人が書いたようだと評されたが、逆だろう。それこそが自分の文章だ。
検閲も改編も少なくて当然だ。皇国が舞台なのだから、人と亜人が手を取り合う描写など出てくるはずがない。
そんな事情など露知らず、メルタは無邪気にもラナタに告げる。
「この方たちなら心配いりませんわ。この私が保証します」
「メルタ様がそう仰られるなら…」
不承不承と言った体でラナタは頷いた。
メルタは残念そうにロビンを見下ろす。
「こんな状況でなければゆっくりとお話をしたかったのですけど…残念ですわ。事態が沈静化したら…また会ってくださるかしら?」
「えぇ…喜んで」
無理やり笑顔を作ってそう返す。
ラナタが歩き出す。メルタもそれを追おうとする。
難しい顔をしていたロビンであったが、踏ん切りをつけたかのようにメルタを呼び止めた。
「あの、1ついいですか」
「何ですの?」
ラナタがこちらを睨む。
それに気づかないふりをしてロビンはシンチーの肩を抱き寄せて見せる。
メルタが瞠目した。
「シンチーは奴隷なんかではなく、私の愛すべき従者であり、良き友人ですよ」
「…っ、そ、そうですの…?」
混乱して何を言えばいいかわからなくなるメルタ。
突然抱き寄せられたシンチーも、それを傍から見ているラナタも何が起きているのか理解できない。
メルタは何か言おうと口を開いたが、何を言えばいいのか思いつかず、結局諦めたようにロビンたちに背を向けた。
「…ラナタ、行きますわよ」
「…はい」
次第に機体の仰々しい足音が遠くなっていく。
シンチーはどういうことだ、とばかりにロビンを睨む。若干顔が赤い。
ロビンは2人の背中を眺めたまま答えた。
「…甲皇国では君のことを奴隷だと修正されているんだろうなと思っただけだよ」
そう思われるのは、嫌だったのだ。
「何がどうしたらこんなことになるんだろうねぇ…」
諦めのような声でロビンが呟いた。
隣に立つシンチーは無言をもって返す。
いくら論じたところで結論は出ないからだ。
現在2人はアレク書店の前で亡者たちへの警戒を行っていた。
店内にいるのはローロとアルペジオ。屋内にいれば安全と言うことであったが何が起こるかわからない。
「正体不明の化け物とは恐れ入るね。さすがミシュガルド」
「…そんなことを言っている場合では」
「いかないだろうね。海に現れた巨大な化け物のこともある。こんなことを言うのはよくないんだろうけど、この交易所もいつまでもつかわからない」
シンチーは眉をひそめた。
気楽に言ってはいるが、その実彼の声は硬い。
「…とにかく、この辺りにその化け物が来たときは」
「全力で排除するしかなさそうだね」
2人がそう結論づけた時だ。
近くの曲がり角の方角から派手な機械音がした。鉄がぶつかり合うけたましい音。
その音は次第に大きくなっている。どうやらこちらに近づいてくるようだ。
シンチーが素早くロビンの前に出て、剣を抜く。
ロビンもナイフを手に構えた。
音が止まる。
何か話す声が聞こえたような気がした。
刹那、人影が角から躍り出た。
鋭い目線で剣を構え、威嚇のように前方を睨んでいるその人物を見てロビンとシンチーは目を見開いた。
「…っ!お前は!!」
シンチーの声が荒い。ロビンも予想だにしない再会に表情を硬くする。
一方でその人物は怪訝な顔をしてみせた。
「…化け物ならともかく、人間相手にその反応はないんじゃないか?」
「ラナタ、この方たちは…?」
角からメルタが機体を覗かせた。
ラナタは振り返って応える。
「異様に警戒されてしまっただけです。特に問題はないでしょう」
「そうなの」
メルタが乗る機体がその全貌を現した。
初めて見る機械に2人は固まったままだ。
が、様子からしてこの皇国兵はこちらのことを覚えてはいないようだとロビンは考え、口を開いた。
「…いやぁ、すみません。化け物が出たということでこの書店を守っていたのですが、こちらもその化け物がどんな姿なのかわからないもので」
ラナタは納得したようにうなずいた。
「成程な。…化け物は全身真っ黒の生き物だ。攻撃を加えても再生してしまう。奴らに傷つけられた者は化け物の仲間入りをしてしまうようだ。効率のいい方法かどうかは知らないが、動きを止めて炎で焼き尽くしてしまうというのが現在私たちの取っている対策だ」
「情報提供感謝します」
以前命を狙ってきた剣士とこうして落ち着いて話すというのは奇妙な感覚を覚える。
シンチーはこれが全て皇国の罠なのではと未だに警戒を解いていない。
そんな彼女の視線に疑問を感じつつも、ラナタは尋ねた。
「私たちは人を探している。お前たち、アルペジオという皇国兵を知らないか?…外見は緑色の長髪、背は少々低く痩せている。恐らく甲皇国の軍服を着ているはずなんだが」
「…すみません、アルペジオと言う名前も、そのような女性の姿も記憶にはありません。…シンチーは?」
動揺を表情の奥に隠しつつロビンは答え、ラナタから目をそらすようにシンチーを見た。
シンチーは無表情で顔を横に振る。
「…そうか。知らないのだな」
ラナタは目を閉じた。
ロビンとシンチーが内心安堵したその時、ラナタの冷たい声が彼らの胸を刺した。
「…なら、何故今お前は“女性”と言った?」
心臓が凍った。
確かにラナタはアルペジオの性別に言及をしなかった。それにも関わらずロビンは女性と答えたのである。
「…長髪と言っていたので女性かと思っただけですよ。まさかかまをかけているつもりですか?」
冷や汗を気取られぬように一見平静にロビンは言いつくろう。
ラナタの表情から疑いは消えない。
「…今日日長髪の男なんていくらでもいるだろう。…それに、兵という言葉から大抵は男を想起するんじゃないか?」
「そうは言ってもあなた方も女性ですしねぇ…」
これは化け物どころじゃなくなってきたぞとロビンがいよいよ引き攣った笑みを見せかけた時だ。
「あの、ちょっといいかしら」
メルタが2人の会話に割って入った。
ラナタの表情とは対称的に機内のその表情は明るい。
その煌びやかな視線から自分に話があるのだと察したロビンはおずおずと彼女を見上げた。
「…何でしょうか」
意図せず年下の少女に敬語になってしまう。
が、メルタはロビンの不安を吹き飛ばすようなことをここで言ってのけた。
「あなた、もしかしてロビン・クルーではなくて?」
「…そうですが…」
メルタの表情の輝きがいやました。
「やっぱり!シンチーなんて珍しい名前、あなたの本でしか見たことありませんでしたもの!」
「…メルタ様、それではこの者たちが…?」
至極驚いた風にラナタが2人を指さす。
「えぇ、前話した私の大好きな冒険作家、ロビン・クルーですわ」
メルタの機体がずいと前に出る。
逃げ出すわけにもいかずロビンは彼女を見上げる。
「私、あなたの本なら全部読みましたのよ!特に好きなのはヤミパン遺跡で謎の水晶を手に入れた話ですわ!」
「あぁ、短編集のあれか」
ロビンの緊張が少々和らいだ。
シンチーもそんなこともあったな、と会話に加わる。
「甲皇国の郊外にあった遺跡でしたか」
「そうそう。君が中にいた動物を追い払っていたら勢い余って壁を破壊して隠し通路を破壊した所だよ」
むっと睨まれながらもロビンはからからと笑う。
「それにしてもどうしてあの話が気に入ったんです?」
これまでに出した本の中にはもっとスリルに溢れた長編やら人々との触れ合いを緻密に描いたものが沢山あるのだが、その中で何故あの短編なのだろうか。
メルタは少し考える素振りを見せた後に応えた。
「あの話は特に文章が軽快で…なんだか別人が書いたように感じましたの。それに、検閲箇所が少なかったのも決め手の1つですわ!」
「……」
一転、ロビンの表情が消える。
やや間を置いて彼は尋ねる。
「…失礼ですが、私の小説の第一作目はお持ちですか?」
「もちろん持っていますわ!“僕は闇のトーギッジョじゃない”。衝撃的な題名とは裏腹にとてもスリリングな冒険活劇でしたわ!」
「…そうですか。、ありがとうございます」
それは2作目だ、とロビンとシンチーは同時に思う。
しかし、その回答はある程度予想していた。
甲皇国の軍人と行動しているのだ。この少女も皇国出身だろう。
かの国で自分の本が規制を受けているのは百も承知だ。
恐らく記述もいくらか変えられているようだ。別人が書いたようだと評されたが、逆だろう。それこそが自分の文章だ。
検閲も改編も少なくて当然だ。皇国が舞台なのだから、人と亜人が手を取り合う描写など出てくるはずがない。
そんな事情など露知らず、メルタは無邪気にもラナタに告げる。
「この方たちなら心配いりませんわ。この私が保証します」
「メルタ様がそう仰られるなら…」
不承不承と言った体でラナタは頷いた。
メルタは残念そうにロビンを見下ろす。
「こんな状況でなければゆっくりとお話をしたかったのですけど…残念ですわ。事態が沈静化したら…また会ってくださるかしら?」
「えぇ…喜んで」
無理やり笑顔を作ってそう返す。
ラナタが歩き出す。メルタもそれを追おうとする。
難しい顔をしていたロビンであったが、踏ん切りをつけたかのようにメルタを呼び止めた。
「あの、1ついいですか」
「何ですの?」
ラナタがこちらを睨む。
それに気づかないふりをしてロビンはシンチーの肩を抱き寄せて見せる。
メルタが瞠目した。
「シンチーは奴隷なんかではなく、私の愛すべき従者であり、良き友人ですよ」
「…っ、そ、そうですの…?」
混乱して何を言えばいいかわからなくなるメルタ。
突然抱き寄せられたシンチーも、それを傍から見ているラナタも何が起きているのか理解できない。
メルタは何か言おうと口を開いたが、何を言えばいいのか思いつかず、結局諦めたようにロビンたちに背を向けた。
「…ラナタ、行きますわよ」
「…はい」
次第に機体の仰々しい足音が遠くなっていく。
シンチーはどういうことだ、とばかりにロビンを睨む。若干顔が赤い。
ロビンは2人の背中を眺めたまま答えた。
「…甲皇国では君のことを奴隷だと修正されているんだろうなと思っただけだよ」
そう思われるのは、嫌だったのだ。
――――
「マスターケーゴ、右には敵がいるようです。迂回ルートを提案します」
振り向きながらピクシーが警告する。
しかしケーゴはそれを無視して走る。
アンネリエの居場所がもうわかっているのだ。一刻も早くそこに辿り着かなければならない。
疲れはない。恐れももうない。
早く、早くアンネリエのもとへ。
迷いも躊躇いもいつの間にか彼の中から消えていた。
その原因が焦燥以外にあることにまだケーゴは気づいていない。
「強引に押しとおる!!」
短剣を抜き、力の限り魔法弾を放つ。
亡者の身体が弾け、ぐしゃりと道路に崩れ落ちる。
それを横目に走り抜ける。
もしかしたら知り合いだったかもしれない。
構わない。アンネリエが無事ならば。
「マスターケーゴ、無理が過ぎます。アンネリエ様のもとへ辿り着く前にマスター自身が危険な立場に立たされてしまう可能性があります」
「俺なら大丈夫だ!」
根拠はないが、己の内で激しく炎が燃え上がっている。それに従うだけだ。
炎を振りかざす。
立ちふさがる黒が赤に染められていく。
程なくケーゴは件の路地裏に達した。
肩で息をしながら入り込む。
「っ!」
闖入者に驚いて角材を向ける人影が見えた。
ケーゴは反射的に剣を構えたが、よく見ればただの人間だ。
角材をこちらに向けていたその人物もケーゴが化け物ではないことを認めて安心したようだ。
「ここに地下通路までの入り口があります!よければここに避難してください」
それを聞くのももどかしく、ケーゴは彼に掴みかかる勢いで尋ねた。
「ここにエルフの女の子はいますか!?緑色の服で、大きな杖を持っているエルフ!」
その勢いに気圧されつつもロンドは答えた。
「あ、あぁ。じゃあもしかして君がはぐれてしまったという…?緑色の服の子とエプロンの女の子が中に避難しているよ」
間違いない。アンネリエとベルウッドだ。
ケーゴはロンドに地下通路への入り口を開けるよう急かした。
ロンドが蓋をどかしきるのを待つのももどかしく、ケーゴは地下通路への梯子を滑り降りた。
空気は淀んでいた。
息苦しいのは気のせいではない。
暗い地下通路の中、疲弊した人々が大勢、虚ろな目で座り込んでいた。
明りは小さな蝋燭やランプだけで、人々の暗い表情が橙色に揺れている。
誰一人話すこともなく、ただただそこにいるというばかりだ。
新たな避難者にも少し首を動かすばかりで気力が見られない。
ケーゴはそんな失意には目もくれず、辺りを見回した。
人を探すには少々手狭なその通路で、ケーゴは不思議なほど素早く彼女を見つけることができた。
「アンネリエ!」
思わず口から飛び出た喜びは地下で奇妙に反響する。
その声に人々は驚いたようだったが、誰よりも大きく肩を震わせたのはアンネリエだろう。
目を丸く見開いて振り返る。
――あぁ、そうだ。
同い年、あるいは少し年下に見えるエルフの少女。
薄い金髪を肩にふれるくらいまで伸ばし、前髪は左右に分けている。
若葉色の服はひらひらとして涼しそうだ。手には背丈を超えるほどの杖を持っている。
あどけない顔はしかし、どこかそっけなくて、それでいて綺麗で。
初めて会った時にはそらされてしまった顔を、今は固まってしまったかのようにこちらに向けている。
――アンネリエは、こんな顔をしていた。
ケーゴが一歩前に出た。
アンネリエはその場に立ち尽くしたまま動かない。
その代り、彼女の眼が潤んだ。
ケーゴはゆっくりと笑みを見せてアンネリエを縋りつくように抱きしめた。
「……よかったぁ…」
深い息と共に吐き出されたその震え声はうってかわって弱弱しく、安堵に満ちている。
ともすれば泣き崩れそうなケーゴに、目をぱちくりとさせる。
そうしてちくりと胸が痛む。思えばこうして離れ離れになってしまったのは、自分が原因でもあるのだ。
それでも、今は彼の温もりが嬉しくて、優しさに包まれたくて、しばらくそうしてケーゴに身を任せたままにしようと思った。
その時だ。
聞えよがしな舌打ちが2人の耳を刺した。
一体何だ、と名残惜しくもアンネリエから少し離れてケーゴは音がした方を見る。
若い男性たちがじとりとこちらを睨んでいた。
居心地の悪さを感じる。少しはしゃぎ過ぎただろうか。
軽く頭を下げて彼らから距離をとろうと思ったその時だ。
「――そいつら亜人のせいで今大変なことになってるってのに…」
嫌悪がアンネリエを、そしてケーゴを襲った。
一瞬で安堵が冷め、ゆっくりと先ほどの炎がケーゴの内で燻り始める。
守るべき少女を背に回し、ケーゴは己を抑えつつ聞き返した。
「…それ、どういう意味…ですか?」
「どうもこうも!」
男性が激昂した。
それに合わせて彼らは立ち上がる。
「あんな化け物、亜人の、エルフの奴らの仕業に決まってんだろうが!」
確証も何もない、八つ当たりのような暴言だ。
しかし、不安に憑かれた人々の心を掴むのは容易い。
負の感情がさざめいていく。
嫌な視線を鋭敏にアンネリエは感じ取った。
ケーゴは負けじと言い返す。
「そんなの!誰が犯人だかなんてわからないだろ!勝手にエルフたちのせいになんかして…!」
「俺はそいつらのせいで彼女が死んだんだよ!!」
かき消すように男の怒りが弾けた。
「なんだよあれ…!意味わかんねぇよ…!なんで俺たちがあんな目にあわなきゃいけねぇんだよ…!」
口々に叫ぶ。
「あの報告所に来いって声も亜人の奴らの仕業だろ!?罠だ!奴らは人間を殺そうとしている!」
「あの女、脳内に直接語りかけてきたってことはこっちの考えてることもわかるってことだろ!?」
「戦争の仕返しだ!今度はあいつらが!!」
徐々に周囲の人々もざわめきだす。
亜人のせいか、魔法なのかと根拠のない責めが蔓延しだす。
避難したものの中には亜人もいる。彼らはじっとうつむいたままだ。
子どもたちでさえ、ぐっと押し黙っている。
感情的な言葉は人々の心を掴み、今度はケーゴもはっきりとその視線を感じた。
周囲からの冷たい視線。
亜人が、エルフが、この事件を引き起こしたのではないだろうか。
猜疑心が空間を満たす。
ケーゴは愕然と立ち尽くした。
亜人も関係ないと信じていた。
みんなが協力して、そうしてこの交易所は発展していったはずだ。
今も化け物と戦っているのは人間と亜人。
自分にこの場所を教えてくれたのはエンジェルエルフだった。
昨日仲良くなったのは年の近い少年と、不思議な獣人だった。
あの日、思い切る勇気をくれたのは獣人の子ども。
いつも酒場にいたのは人魚とハーフの魚人で。
あの日、自分を救ってくれたのは自称冒険作家の人間と半亜人のおねーさんだった。
毎度毎度自分に口うるさいあいつもエルフのはずだ。
そして、何よりも。
きゅっと服を掴まれたのを感じた。
彼女と出会ったあの日、人間は嫌いだと言われた。
それでも、自分のことを信じてくれるようになって、無表情ながらもいつも自分のことを見てくれていた。
初めてだった。誰かと一緒にいて心躍る日々も、こんなにも誰かが自分の心を支配することも。
この気持ちは何だろうか。いつからこんな気持ちを持つようになったのだろうか。
いや、初めて会った時にはもう、そうなることが分かっていたのかもしれない。
この気持ちを抱く予感も確実にあったのかもしれない。
アンネリエ。
心の内で名前を呼ぶ。そうすれば彼女にも聞こえる気がしたから。
胸がすっと冷えた。
しかし、ケーゴの中で燃え盛る炎はいよいよ激しく、彼の眼には地下通路の明かりよりも爛々と煌めく烈火が灯る。
種族なんて関係ない。世界にそんな争いはいらない。
だのに、どうしてこいつらはこんなことを言うんだ。
お前たちは亜人を憎むのか。
お前たちはエルフを差別するのか。
お前たちは、アンネリエを、傷つけるのか。
――愛する者を護る為。己の信じる世界を掴む為。少年よ、主は己の炎を如何に用いる?
――考えるまでもないでしょ?
ケーゴから表情が消えた。
纏う雰囲気が変わり、男たちでさえそれに気づいた。
彼の後姿だけでアンネリエもその変化に気づき、同時に胸の内に衝動を覚えた。
ケーゴの身体が仄赤く発光した。
徐々にケーゴの顔に赤い文様が浮かび始める。
「ケーゴ…?」
何も言えず事態を見守っていたベルウッドが脅えたように彼の名を呼ぶ。
彼女を無視して腰の短剣を抜く。
ケーゴの変容に呼応するかのように装飾の宝石が赤く光っている。
剣を抜いた刹那、その短さを補うかのように炎が刀身と化し、ケーゴの得物は赤い長剣となった。
炎がケーゴを中心に吹き荒れる。
激しい熱から逃げる者もいた。その炎を心地よく感じる者もいた。
「――神判」
厳かな声が響く。
少年の口から出るような声ではない。
聞く者全てを従わせる力があるような響き。
ケーゴは剣を振り上げた。
大剣が炎を纏う。
男たちが喘ぐように悲鳴を上げた。
逃げようにも激しい火炎が彼らの逃げ場を奪う。
ケーゴの視線はいよいよ冷めきり、黒曜石の瞳の放つ光は苛烈だ。
顔には赤い文様が完全に浮かび上がっている。
「――世界よ、泰平たれ」
異変に固まっていたアンネリエはそこでようやくケーゴの身体を揺さぶった。
今まさに業火を放とうとしていたケーゴはがくんがくんと体を揺らされ、夢から覚めたように目を見開いた。
熱が冷めていくかのように彼の身体が纏う光が収束する。
顔の文様も消えた。
ケーゴは己の異変など何もなかったかのように周囲を見回した。
そして気づいた。
自分が奇異の目で見られている。
一体何があったんだ。
言い争いになった男たちの方を見る。
脅えた顔で彼らはケーゴに喚きかかる。
「お前…化け物…!!」
「俺たちを殺す気か!?」
「はぁ!?化け物!?」
何を言っているんだこいつらは。
意味が分からずに再び周囲を見回す。
やはり自分に向いているのは恐れのこもった視線だ。
混乱するケーゴにむかって男たちはさらに怒鳴る。
「化け物だ!こいつら化け物なんだ!外の奴らもこいつらのせいなんだ!」
「出てけ!」
「そうだ出ていけ!」
「なんで俺たちが出てかないといけないんだよ!」
カッとなってケーゴは怒鳴り返した。
と、そこでアンネリエがケーゴの服を引っ張った。
はっと気づいたようにケーゴは笑みを作ってみせた。
「…大丈夫だ、アンネリエ。何を言われても気にすることなんて…」
言い差して、固まった。
アンネリエの悲しい表情を見てしまったから。
「…アンネリエ?」
声は震えていた。
一方の彼女は静かに首を横に振る。
そうして地下通路の入り口の方へと歩を進め始めた。
慌ててそれを止めようとする。
「待てよアンネリエ!出ていくことなんてないだろ!」
そう必死になるケーゴの前にベルウッドが立った。
「ベルウッド、お前からも何とか言ってくれよ!」
そう頼むケーゴに反してベルウッドも同様に首を横に振る。
「…こんなところで変に面倒事起こすわけにはいかないわ」
「なっ…お前まで…!?」
ケーゴはすがるように周囲を見渡した。
誰もが目を伏せるだけだ。
亜人は悪くないと、ここから出ていくことはないと、誰も言わない。
誰も味方になってくれない。
「…何でだよ……」
悄然と呟く。
異端を見るような視線が変わることはない。
今更のように居心地の悪さ、それ以上、排他の意思を感じた。
一体何があった。
この事件が亜人のせいだと言われて、それで、気づいたら自分まで化け物扱いだ。
自分が悪いのか。
亜人が悪いのか。
「俺が…間違ってるのかよ…!?」
押し殺した声で周囲を睨む。
ふと、声が聞こえた気がした。
激しく己の内で炎が燃え上がっているのが分かる。
と、そこで手に冷たいものが触れた。
アンネリエの手だ。
もういいから、ここから出ていこう、そう言っているようだった。
その悲しげな表情で、ケーゴの全身から力が抜けていく。
どうしてだ、アンネリエ。
どうして君がこんな悲しい顔をしなくてはいけないんだ。
どうして、俺たちが。
ともすれば膝をつきそうになる彼の背を無理やりベルウッドが押し、3人と1ピクシーは地下通路を後にした。