Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシュガルド冒険譚
穢れに捧げ、癒し歌:12

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 黒い波が暴れている。嵐の時だってこんなに苛烈な海を見たことはない。
 離れていても艦は波に大きく揺れる。ともすれば放りだされてしまいそうだ。
 その艦の船首でニフィルは沈鬱に立ち尽くしていた。
 これだけ海が荒れていても懊悩が流されることはない。当然だろう。この身に刻んだ罪は未来永劫消えることなく自らを苛み続けるのだ。
 その罪を。その過ちを。
 「生焔礼賛を今一度…」
 言い聞かせるかのようにニフィルは呟いた。胸がずしりと重くなった気がした。


 「…しかし、実際にあの化け物を魔法でどうにかできるのか?」
 艦内での話し合いの席。
 甲皇国の提督、ペリソンはそうニフィルにそう尋ねた。
 囮になるとして、最終的にアルフヘイムの魔法が怪物を討ち果たせなければ意味はない。
 ニフィルにとっても確かにそれが懸念であった。
 実際、今は動きを結界魔法で封じているが、完全な討滅に至る手立ては未だ考えられていなかったのだ。
 答えあぐねているとSHW大社長のヤー・ウィリーが口を開いた。
 「…あの怪物は生焔礼賛の影響で生まれた亡者の集合体なのですよね?」
 その通りだとニフィルは頷いた。
 生命の炎を求める亡者の連鎖を産み出す魔法。それが生焔礼賛。今黒い海の中心にいる怪物はその魔法の失敗が生み出した人々の成れの果て。
 するとヤーは何でもないように提案をした。
 「なら生焔礼賛を使うのはどうなのですか?生焔礼賛の最終段階では亡者を封印する術式が発動するとのこと。あの怪物が亡者の成れの果てならば、その封印の対象になると思うのですが」


 考えてもみない提案であった。否、考えないようにしていたのかもしれない。
 確かに生焔礼賛ならあるいはヤーの言う通り怪物を封じることができるかもしれない。もちろん前提である怪物の正体が間違っていればそれもままならないのだが、それなら、生焔礼賛本来の力を発揮すればいいだけの話だ。
 しかし、いずれにせよ禁術であるあの魔法を使わなければならない。
 「…私が……」
 杖を固く握りしめる。
 荒波の音が遠のく。海の黒があの日の黒い閃光と重なる。
 はじめは何が起きたのか理解が出来なかった。
 上手く誘導した甲皇国の軍だけを結界で封じ込め、一掃するはずだった。
 しかし、黒はアルフヘイムの全てを飲み込みながら膨れ上がり、そしてニフィルは夫婦神の声を聞いた。
 そこで全てを理解してしまった。
 自分は、失敗したのだと。
 全てを終わらせてしまったのだと。
 「……ニフィル」
 気づけば背後にダートが立っていた。こんな場所で何をしているのだと言外に問うてくる。
 「ダート様…」
 背丈に差があるためにニフィルが見下ろす形だ。
 船首にいては危険だと伝えたらお主も同じじゃと言い返された。
 「私はあの怪物の動きを封じる魔法の維持をする必要がありますから」
 「他の者の手を借りることもできるじゃろう」
 ニフィルはきゅっと唇を結んだ。
 「…魔力の消費を抑えろ、ということですか?」
 何のために。
 ダートは重く息をついた。
 「これ、深読みをするでない。禁断魔法に備えてではない。お主の身を慮ってじゃ。…お主は1人で抱え過ぎる」
 「…そうですか。お気遣いありがとうございます。ですが…全ては私が招いたことです」
 ぐらりと船体が揺れた。
 慌てて2人は体勢を整える。ニフィルは続けた。
 「故国の崩壊も、今あるこの状況も…全部私が原因なのです。この罪は許されるものではありません。ならば私はこの身をもって償う他ないではありませんか」
 「…戦争の折、お主に禁断魔法を使わせることになってしまったのは儂にも責任がある。本当に申し訳ない。…あれはニフィル、お主だけのせいではない。お主に魔法を使わせた者がいた。それを儂は容認した。…儂も同罪じゃ」
 「それでも最後に詠唱をしたのは私です」
 「…そうであっても、あれは不測の事態。本来ならあんなことにはならぬ筈じゃった。夫婦神たるウコン様もゴフン様もお主のことは責めるまいて」
 ニフィルは何も言わず、首を横に振った。
 例え全ての者が許すとして、例え禁断魔法の使用が許されたとして。
 彼女自身がそれを許さない。
 ニフィルは魔法のために人の命を奪うことを是としない。戦争のためとはいえ禁忌に染めることを認めはしない。
 それが自分の思い。アルフヘイムを穢巣より前、禁断魔法に手を染めた時からから彼女の矜持は罪を刻まれ、癒えることはない。
 彼女の表情から苦悩を読み取り、ダートは言葉を選びつつニフィルに進言した。
 「…ニフィル。儂はお主の禁断魔法への思いを知らない訳ではない。ヤー・ウィリー殿はあの怪物に対する手立てとしてかの魔法を提案したが…それが全てではなかろう」
 「…えぇ。そうかもしれません」
 「ならば考えようではないか。本国にいる者たちも、きっと知恵を貸してくれる」
 「…そうですね」
 静かに返すニフィルの髪が風にあおられた。
 いい加減、中に戻った方がいいのかもしれないな、と彼女は詮無いことを考えた。
 一歩を踏み出す先ではダートがこちらを見据えている。
 遮光眼鏡をしていても、彼が自分に向ける心遣いは本物だとわかる。
 自分自身への恐れや憐みではなく、真実優しさから自分を慮ってくれている。
 できる限りニフィルが禁断魔法を使わないよう、彼女が自らを追い詰めないよう、最善の策を模索しようとしているのだ。
 心の中で何かが少し和らいだ気がした。
 ふと思い出したようにニフィルはミシュガルド大陸へ目を向けた。
 「抱え過ぎる…か」
 ダートだけではない。フロストも、他の魔道士たちも、皆自分を慮ってくれているのだ。
 そうしてこのミシュガルドでも、ずっと故国復興の手立てを共に探してきた。
 それを無下にするつもりはない。
 だが、それに甘んじないことも己に科した罰だ。
 そして自分は彼らに報いなければならない。彼らの想いに答えねばならない。
 どのように。
 生焔礼賛を超える最適解をすぐに考えつくことはできず、時間の猶予はない。
 ヤーの提案は確かに的を射ているのだ。
 禁断魔法を憎んでいる。生焔礼賛を認めはしない。
 本当はもう二度とあの魔法に関わりたくはなかった。
 あぁ、それでも。それでも自分は。
 「ダート様、ありがとうございます」
 「…ニフィル?」
 それでも、告げる。
 「私は…禁断魔法、生焔礼賛を発動します」
 それでも、抱える。
 「禁術詠唱開始に際し、私の魔力の全てを魔法構成に注ぎます。その間化け物を封じる結界魔法とこの艦を安定させるために施した魔法が解除されるため、全魔道士の魔力をそこに……いえ、」
 今度は、自分の意思でそれを選択しよう。
 「――まずはこの海域の全ての艦の護衛に魔道士をさきましょう」
 罪を背負うのはこの身1つでいい。
 愕然と口を開こうとしたダートを彼女は制する。
 「抱え過ぎではありません。この罪は私にしか抱えられない。ですが、それで皆を守ることができるのなら、私はいくらでもこの身を穢しましょう」
 自分を信じてくれる者たちがいる。
 報いよう、その者達の思いに。
 そのためならば、自分の矜持など。
 彼女の言葉にしばらく絶句していたダートだったが、やがてそうか、と一言つぶやいた。
 「…お主はそういうエルフじゃったのぅ。…そうしてまた罪を背負うと言うのか」
 ニフィルは笑みをつくった。
 「この身に刻む罪など、皆の命に比べれば」
 奪い去るのではなく、与えるために禁忌を犯そう。
 これ以上は言っても無駄だろうとダートは頭を振った。
 そして思い出したように言う。
 「じゃが、魔法発動のための生贄はどうするつもりじゃ?老いぼれとはいえ儂は嫌じゃぞ」
 「あぁ、それでしたら――」
 ニフィルが案を口にしようとした刹那、彼女の胸に衝撃が走った。
 「っ!!」
 弾かれたように怪物の方に目を向ける。
 「どうしたのじゃ」
 ダートが尋ねるとニフィルは声を震わせた。
 「…結界の一部が破られました」
 「なんじゃと!?あの怪物め、ニフィルの結界を…!」
 「…いえ、怪物が破壊したにしては破られた箇所が小さすぎます…私も怪物によるものかと思ったのですが…」
 ニフィルはそう呟きながら魔法陣を展開した。怪物の周囲の様子が望遠で映し出されている。
 そして、2人は結界を破壊したであろうその亜人を見つけた。
 「これは…人魚かのぅ」
 「そうですね…まだ子供のようですが…」
 少年の人魚が何十倍もあるような巨大な化け物に攻撃を仕掛けていた。
 人魚の身体は一部が亡者と同様に黒い。だが、亡者の仲間が何故、怪物に攻撃をするというのだ。
 人魚は黒い水を纏い、宙に飛び上がった。そして黒い三叉槍を生成して果敢に怪物に斬りかかる。
 しかし、怪物は意に介さないように結界を破壊しようとしている。
 どうやら人魚が空けた小さな穴など目にも止まらないらしい。
 「…一体あの人魚は…?」
 ニフィルの疑問は風の音に掻き消えた。

     


――――


 目を覚ますと右手にほんのりと温かさがあった。
 視線を向けるとアンネリエが潤んだ目でこちらを見下ろしている。
 ケーゴはそこで自分が横になっていると気付き、ゆっくりと起き上がった。
 どこかの小部屋だろうか。紙の束や箱が乱雑に隅に置かれている。
 「…ここは?」
 何の気なしに尋ね、アンネリエも自然に口を開いた。
 が、彼女の口から言葉が出ることはなかった。
 アンネリエは驚いた表情でケーゴを見た。ケーゴも同様に一体何事だ、と胡乱気な表情を見せたが、何のことはない。それが当然だったはずだ。
 「…あれ、だってさっきまで俺アンネリエと…」
 「あ、それは自分の能力ね」
 声がした。見ればアンネリエの後ろにもう一人少女が立っている。
 聞き覚えのある声だが、はて、一体誰であったか。
 ケーゴが首をひねると少女はくすりと笑った。
 「ほら、脳内に直接呼びかけた声があったでしょ?」
 「…あぁ、あの!」
 少女はハナバと名乗り、ケーゴに説明をした。
 「ここは合同調査報告所だよ。君、意識を失ってここに運び込まれてきたの」
 「意識を…」
 深呼吸1つ分の間をおいてようやくケーゴは思い出した。
 そうだ、自分はあの黒い化け物と戦っていた。そこでゲオルクさんに一喝されて、そこから記憶がない。
 アンネリエがむすりとケーゴを睨んだ。ケーゴは苦笑しながらもごめんと伝えた。
 「続けていいかな?」
 「あ、ごめん」
 「…で、君が眠ってる間にアンネリエちゃんと自分が偶然会ってね、それで頼まれたのよ」
 「…何を?」
 「自分の使った伝心の術で、ケーゴ、君と心を繋げることはできないか、って」
 「…そっか。そういうことだったのか」
 あの空間は、あの会話は、2人の繋がった心の中のもの。
 例え話すことができないアンネリエでも、心の中ならケーゴと話すことができる。自分の思いを伝えることができる。
 彼女はそれに賭け、ハナバに頼んだのだ。
 「…ありがとう。おかげで…なんというか、すごくすっきりした」
 ケーゴがハナバに頭を下げた。同様にアンネリエも深々と礼をして、ありがとう、と書かれた黒板を見せた。
 「いいってことよいいってことよ!こんなかわいい子の頼み、断るわけにもいかないしねー。あ、心の逢瀬中の会話は聞いてないから安心してね」
 ニヤリとそう笑って見せるハナバ。
 今更のようにケーゴは頬に熱を感じた。そういえば、とんでもないことをつらつらと言っていた気がする。
 ぎこちなくアンネリエの方を見ると、黒板に何か書いている。
 曰く。
 『ベルウッドたちにも伝えてくる』
 「あ、そっか」
 そういえばピクシーもいない。気を遣って退席してくれたのだろうか。
 「…いや、ピクシーの場合は気を遣うというか、言われたから離れただけか…」
 いい加減ピクシーの性格を理解しているケーゴはそうため息をついた。
 その間にもアンネリエは部屋を出ていく。
 なんとなく名残惜しくその後姿を眺めているケーゴを横目にハナバも身を翻した。
 「自分の方もこれでお役御免みたいだし、この辺りで失礼するね」
 アンネリエの頼みは聞き入れたのだ。これ以上彼らと接触してこちらの正体がばれてしまうのはよろしくない。
 それに、自分の伝心術がまた必要な状況かもしれないのだ。2階に戻った方がいいだろう。
 そう考えケーゴに背を向けた時だ。
 「――ありがとうね、ハナバ」
 呼吸を忘れるほどの衝撃が身を貫いた。
 心臓を鷲掴みにされる感覚を覚える。
 凍りついた思考でハナバはのろのろと考える。
 今、部屋にいるのはケーゴと自分だけだ。
 だが、ケーゴの声ではない。この声は。否、それはありえない。
 様々な思考がハナバの脳内を駆ける。その時だ。再び声がした。
 「――迷いなき想い、比類なき信頼、ここに成った。大義であったな、妖よ」
 今度こそハナバは息が止まった。これ以上ないほどに目を見開き、硬直する。
 恐怖ではない。これは重圧だ。
 厳かで、抗いをを決して許さない絶対の言霊。
 何故だ。思考がその一言に支配される。
 呼吸が荒い。妖たる自分が何にここまで圧をかけられているのだ。
 本能が警鐘を鳴らす。駄目だ。これ以上は駄目だ。振り返ってはいけない。
 あぁ、それでもあの声が。
 ぎちぎちとハナバは無理やりに首を動かした。

 紅蓮の瞳。真紅の文様。
 
 少年は優しく微笑んでいた。
 
 それを認めた瞬間、ハナバの視界が赤に染まった。

――――


 程なくしてアンネリエは部屋に戻ってきた。
 手持無沙汰にしていたケーゴがやっと戻った、と扉の方に目を向けると、明らかに人数が多い。
 アンネリエの隣にベルウッド。そしてピクシーはすぐさま自分のもとへと飛んで戻ってくる。ここまではいい。
 「イナオ!」
 予期せぬ再会に思わずその名を呼ぶ。
 見ればイナオの後ろにはアマリもいる。さらにアマリの隣にはゲオルクとゼトセも立っている。
 が、さらにこの2人の後ろにひょろりと背の高い毛皮を纏う男の人とがっしりとした体形の男の人、緑色の服を着たエルフがいる。この人たちは誰だろう。
 一体何だこのお見舞いは、とケーゴは目を白黒させる。
 代表するようにイナオが一歩前に出た。
 「えっと、ケーゴ。実はお願いがあるんだ」
 「…俺に?」
 神妙な顔をするイナオにケーゴは首をひねった。
 「お願いと言うよりも、使命、かのう」
 静かにアマリが続ける。
 「この交易所に現れた黒い亡者たちの調伏。それにお主の力を借りたいと思っているのじゃ。…いや、お主の剣の力を、と言った方が正しいか」
 「シェーレの?」
 聞き返したケーゴに対してアンネリエとベルウッドが驚いた表情を見せた。
 しかし、それに気づかずケーゴはゆっくりと立ち上がった。
 毅然とした表情でアマリと向かい合う。
 「何をすればいい?」
 「アマリ様の霊力をその剣に宿す。ケーゴにはその霊力を交易所全体に行き渡らせるコントロールをしてほしい。それに僕の術をのせる。これで一気に交易所の亡者を調伏する」
 「妾の力を受け止めきれるだけの力をもつ憑代など、お主の剣以外に今は思いつかないものでな。お主の連れ人とこの報告所で出会うことができたのは幸いじゃった」
 アマリはそう言いながらベルウッドに目を向けた。
 ケーゴのことをアンネリエに任せたベルウッドとゲオルクがケーゴの名前を呼んで探していたイナオと出会っていたのだ。
 そして2階でウルフバードたちも交えて現状の説明を受け、今に至る。
 「そっか。だからここにみんな来たのか」
 納得したケーゴに対してアマリはただし、と思案気に口を開いた。
 「今確かなのはその剣が妾の力を受け止められる力を持っているということだけ。その剣が妾を拒絶したり…ケーゴ、お主が剣を使って妾の力を御しきれなかったりしたら…」
 「…要はその剣だけが必要なのだろう?」
 そこにゲオルクが割って入る。
 「ならば、ケーゴ自身がその剣を持つことはあるまい。ただでさえ、疲労しているその身で…私にはこの大役をこなせるとは思えない」
 有無を言わせぬ口調であった。
 ゲオルクはアンネリエを守ろうと躍起になっていたケーゴを実際に見ている。
 そんな彼がこの大命を果たす重圧に勝てるとは考えられないのだ。
 アンネリエ、ベルウッド、ゼトセも反論することが出来ず俯く。
 「俺もその考えには賛成だ」
 痩身の男、ウルフバードがゲオルクに加勢した。
 「小僧、お前がどれほどの剣士かは知らんが、荷が重すぎる。そこの狐女の言葉の通りだとすればこの作戦で多くの霊力を削ぐことになるはずだ。やり直しがきくもんじゃねぇ。…曲がりなりにも俺は魔法が使える。きっと俺の方が上手くやれるはずだ」
 「…協力的だなんて意外ですね」
 「エルフ女、お前は俺を何だと思っている」
 局地的な口論が勃発しかかった時にゲオルクが再び話を戻した。
 「とにかくだ。ケーゴ、今のお前では力不足だ。その剣を貸してくれぬか」
 小部屋を重い空気が満たした。
 ゲオルクはケーゴがむきになって自分がやる、と喚くと予想していた。だが、その反発こそが、ケーゴに任せられない理由だ。
 この少年は要するに焦っているのだ。自らの無力さに。そこに追い打ちをかけるようにこんなことを言うのは酷だろう。
 だが、事態は少年一人の矜持を守っているような余裕を許さない。
 ケーゴが受けた傷はこれからゆっくりと癒していけばいい。
 その未来を手にするためにも、今はケーゴに我慢してもらうほかない。
 ベルウッドの目がゲオルクの言うとおりにしておけと伝えていることにケーゴは気づいた。
 確かに、ゲオルクの言うことは正しい。
 そして、言葉は厳しいが、その中には確かに優しさがある。
 ここで自分が大役を果たせられなかったことで持つ無力感よりも、きっと失敗した時の絶望の方が大きい。それをゲオルクは考えている。
 それに、自分はただの子供だ。剣士でも魔法使いでもないのだ。どう考えても自分よりも適任者はいる。
 だが。
 「ゲオルクさん、俺なら大丈夫です」
 そう発せられたケーゴの言葉にゲオルクはああ、やはりなと顔をしかめた。
 これはもう一度一喝しないといけないか。
 そう構えたゲオルクの目をケーゴが正面から見据えた。
 と、ゲオルクは意外そうに少々目を瞠った。
 そこにあったのは、焦りに濁る瞳ではない。確固たる光を放つ黒曜石の瞳。
 そこでゲオルクは初めて気づいたのだ。今目の前にいるのは、先ほどまでのケーゴではない。
 決意の光を目に宿した少年が一歩前に出る。傍らに立つアンネリエを肩に寄せる。
 「さっき言われたこと…守るってこと…考えました。2人でその意味、考えました。俺、アンネリエを守ろうと必死で、全然アンネリエのこと見えてなくて、それでずっと辛い思いをさせてきた。…だけど、やっと答えを出せた」
 「答え、か」
 ゲオルクは深く息をついた。
 それを聞くのは野暮だろう。それに、答えは彼の目が物語っている。
 それはきっと、かつての自分も放っていた光。かつての自分も抱きち続けていたかった想い。
 何があったかはわからないが、どうやらこの少年は正しい道に一歩を踏み出すことができたのだ。
 「感動的なスピーチは結構だがな。それと今の状況は別物だろう」
 ウルフバードが肩をすくめた。
 「やる気は十分。それだけで話が解決するなら先の大戦で皇国が圧勝していた筈だ」
 「虐殺しか考えられない単純な頭の軍団だものね」
 「その通りだ。内戦にご執心なお前たちとは違う」
 「この爆弾魔!」
 「間違っているのか凍結女」
 「シェーレは俺にしか使えない」
 ウルフバードとフロストの口論をケーゴの一声が止めた。
 2人は意表を突かれたようにケーゴに顔を向ける。
 「それに、アマリさんの霊力を拒絶するようなことも決して起こらない。俺にはわかります」
 断言した。
 その力強い響きは部屋の重い雰囲気を吹き消す。
 その言葉に、その瞳に、アマリは唇を釣り上げた。
 「…なら決まりじゃな。ケーゴには我が霊力の全てを交易所中に満たしてもらう。効率よく全ての箇所に霊力を行き渡らせるために交易所の中央でこれを行いたい」
 「中央って、あの噴水の場所ってこと!?そんなの、あの化け物に狙ってくださいって言ってるようなもんじゃない!」
 ベルウッドの意見にアマリは頷いた。
 「もちろん危険は伴う。だからこそ、お主らがいるのじゃ。わかっておるのだろう?」
 ベルウッドから視線をゲオルク達に移す。
 彼らは黙って首を縦に振った。
 「ケーゴ殿たちを守ればよいのであるな。任せてほしいのである」
 「うむ、力を貸そう」
 「三特の力、見せてあげるわ」
 「小隊長殿、我々も」
 「あぁ、そうだな。ここまで来たら乗りかかった船どころじゃないだろうしな」
 と、そこでアマリはウルフバードに言った。
 「いや、お主だけは別の仕事がある」
 「あ?」
 胡乱な声を出す彼に対してアマリは説明した。
 「妾の力をもって、交易所中の亡者を調伏する。…それだけではまた海から亡者が現れて終わりじゃろう?」
 「確かにそうだな。海の方は禁断魔法女が何とかするということではあったが」
 「もちろん、彼女を信じていない訳ではないが、保険は必要じゃろうて。そこで、この交易所に結界術、“五色ごしきたばだて”を施そうと思う」
 「五色の束ね盾?」
 「木、火、土、金、水。5つの属性を持つ術師が力を合わせて織りなす最強の結界。悪しき者の侵入を拒む交易所の新たな城壁じゃな」
 「なるほど、俺が持つ水の魔力をそれに使えと」
 「そういうことじゃ」
 アマリは続ける。
 「所謂五行の力を用いた結界じゃ。そうやすやすとは破られぬ。あの亡者たちもみたところ多くが元は水の性を持つ魚人たち。ならば土の性が織り込まれた五行の守りは確実に効く。…本来は、イナオの調伏術に力を貸す霊力も妾が持つ火の性より土の性の方が望ましいのじゃがな」
 土は水を堰き止め、淀みをつくる。淀んだ水は力を失う。故に土克水。
 そして、その逆で燃え盛る炎を弱めるものは水。故に水克火。
 より効果的な調伏を行うためには土の霊力が必要だが、ないものねだりだ。
 「それは魔力では駄目なのか?お前の霊力に土の魔力を上乗せはできないのか?」
 ウルフバードが津波襲来時に失態を犯した魔道士を思い出しながら問う。
 「できなくはないじゃろうな。そもそも妾の霊力とてケーゴの短剣の魔力と波長を合わせなければならないのだから、それにさらに土の魔道士が魔力の波長を合わせればよいだけ。じゃが、そんなことに土の魔道士を使うくらいなら、束ね盾の方に向かってほしい。束ね盾とて半端な魔道士に任せるわけにはいかないし、魔力の波長を合わせるのも至難の業じゃ。…妾の方は心配しなくともよい。不安を煽るようなことを言ってしまったな」
 苦笑して見せる。ウルフバードもそうか、と短く言い捨てた。
 と、そこでアマリの袖を引っ張る者がいた。
 「お主は…」
 訝しがるアマリの前でアンネリエは黒板を見せる。
 『私がケーゴと魔力を合わせます』
 「アンネリエ!?何言ってるのよ!」
 黒板を覗き込んだベルウッドがアマリよりも先に反応した。
 「魔力を合わせるって簡単じゃないって今言ってたばかりじゃない!それにあなた魔法なんて…!」
 『私は土の性を持つ魔法使い。今は詠唱ができないけど、魔力をケーゴの剣に送るだけならできると思う』
 「っ…!でも、そんなの危ないわよ!ケーゴだって…!」
 ベルウッドは助けを求めるようにケーゴを顧みた。
 経験上ケーゴがアンネリエを危険な場所にいかせようとしないことは分かっている。
 だが、彼の反応は違った。
 「アンネリエはずっと俺と一緒にいる。多分他の魔道士よりも魔力を合わせるのに苦労はしないと思う」
 「ケーゴ!あんたそれで良い訳!?」
 落ち着いた声で述べるケーゴに対して、ベルウッドの声は甲高く感情がこもっている。
 「あれだけ守る守る言っておいて、何で今に限ってそうなのよ!」
 「守るよ」
 「…っ」
 「アンネリエは俺が守る。絶対に守ってみせる。それだけは変わらない。だからベルウッド、お前はここで靴でも磨いて待っててよ。」
 ふわりと微笑むケーゴにベルウッドは押し黙ってしまった。
 アマリは目の前の少女を改めて見た。
 あの時八つ当たりのように叱責された少女が今は恐れることなくケーゴの隣に立つと言う。
 そして、そのケーゴも別人のように彼女を遠ざけることなく守ると言い切った。
 一体何があったのだろうか。
 「…なら後は他の属性の魔道士をかき集めればいいわけか」
 と、そこでウルフバードが腕組みをして呟いた。そしてアマリに尋ねる。
 「だが、俺にお前らの術が使えるのか?霊力は俺たちに使えないのだろう?」
 「その通りじゃ。だからこれを」
 ウルフバードにアマリが手渡したのは奇妙な形をした石だ。どこかで見たことがあると思えばビャクグンのチョーカーに同じ形の装飾がついている。
 翡翠色で、魔力とは別の力が滲みだしているのが分かる。
 「それは妾の霊力を封じた勾玉。この霊力を用いて結界を張ってもらう」
 「ほう、変わった形の石だな」
 ウルフバードの問いかけにアマリは気にした風もなく応えた。
 「あぁ、そうかもしれぬな。妾たちにとってはそこまで珍しくもない石なのじゃがな」
 「…なるほどねぇ」
 ビャクグンを横目に見ながらウルフバードは口角を釣り上げた。


     



――――


 ウルフバードたちの体力回復と五色の束ね盾に協力してくれる魔道士を探すために一度散会となった。
 禁断魔法や今交易所で起きている事実について聞かされたケーゴはしかし、特にすることもなかったため、エントランスホールへと足を運んだ。アンネリエとベルウッドも一緒だ。
 ケーゴは改めてホールを見回した。
 アンネリエを探しに来たのが遠い昔の様だ。未だに人々は不安にうずくまっている。
 と、ケーゴは見覚えのある2人を見つけた。
 「ブルー!それにヒュドールも!」
 駆け寄る。2人とも無事なようだ。
 「ケーゴ、それにみんなも!」
 見知った顔に再会できたからだろう、ブルーたちも安堵して顔をほころばせる。
 「良かった、みんな無事だったのね…」
 事態が事態だけに樽に入っていないヒュドールにもの珍しさを感じつつケーゴは答えた。
 「俺たちはね。おっさんとおねーさんは分からないけど…多分無事だと思う」
 そう信じたい。こんなことであの2人に会えなくなるだなんて微塵も考えられないけど。
 「それよか、ブルーたちもよく無事だったね」
 先の激しい津波を思いだしケーゴが言う。ブルーたちの表情が一瞬曇った。
 「うん、大変だった。…でも、親切なエルフが助けてくれたんだ」
 「エルフが?」
 「僕たち、何だか変な誤解されちゃって捕まるところだったんだけど、それを助けてもらってそれにここまで送ってもらえたんだ」
 「へぇー…」
 彼らの表情から誤解という生易しいものではないとケーゴは察した。まさかここでも亜人差別が起きたんじゃないだろうな。
 彼の胸の内で赤い炎が頭をもたげる。
 ちょうどそこでブルーが声を落とした。
 「…それに、海がとんでもないことになってた」
 「海が?」
 聞き返すケーゴ。ブルーは横目でヒュドールを見ながらさらに声をひそめた。
 「うん、海が黒かったんだ。それでヒュドがすごく怖がって…」
 件のヒュドールはベルウッドとアンネリエと話している。
 酔っぱらってない彼女が珍しいのか、ベルウッドもケーゴが負った使命を忘れているようだ。
 「マスターケーゴ、私が納得しながら話すに、恐らくは件の禁断魔法による怪物がそこにいたのでしょう」
 「うん、俺もそう思う」
 と、そこでもう一つ海の黒色をケーゴは思い出した。
 昨日、ミシュガルドビーチが黒く染まった。そして人魚に襲われたのだ。
 そこでケーゴは思わず苦笑いをした。
 昨日。そう、たった一日しかたっていない。
 それなのに、一生分の経験を積んだみたいだ。
 窓からは赤い光が差し込んでいる。
 もう日が落ちる。そうしてまた、世界に黒の帳が降りる。
 津波に始まった激動の一日。人々の疲労も限界のはずだ。外で戦っている衛兵や魔道士はなおのこと。
 今日中に魔道士は集まるだろうか。今日中に全て終わるだろうか。
 何の気なしに目をやるとアンネリエと目があった。
 が、アンネリエはすぐにケーゴの背後に目を向けたようだ。
 おっさんでもいたのかとケーゴは振り返る。
 「お目当ての彼女は見つかったようね、ケーゴ君」
 「あなたは!」
 ケーゴにアンネリエの居場所を教えたエンジェルエルフだ。
 慌ててケーゴは頭を下げた。
 「ありがとうおねーさん!占いのお蔭でアンネリエを見つけることができたんだ!」
 エルフはそう、とこともなげに微笑む。
 「私のことはニッツェでいいわよ」
 自己紹介も交えつつ、目の前の少年が探していた少女を見る。
 そこでエルフの女性はついと目を細めた。
 「――あぁ、そういうこと」
 彼女の呟きはケーゴたちには届かない。
 笑みとも驚愕ともとれぬ表情をしているニッツェにケーゴはそうだ、と口を開いた。
 「ニッツェさんって、その占いでなんでも見ることができ…ました、よね?」
 慣れない敬語を使いつつ上目遣いをするケーゴにニッツェは頷いてみせる。
 「えっと、このブルーが海からここまで戻ってきたんだけど、海が黒くなってたらしいん…です。それを見ることってできないかなって思って」
 ケーゴの声が聞こえたらしくヒュドールの肩がびくりと震えた。
 ブルーが批難するような目でケーゴを見る。
 ケーゴは2人に目で詫びた。
 禁断魔法やその影響で現れた化け物の話を聞いておいて、何も見ないという訳にはいかないのだ。
 「できなくはないと思うわ」
 頼もしくニッツェは水晶を取り出した。そしてブルーに近づく。
 「さ、この水晶に手を当てて」
 ブルーは戸惑ってニッツェに食って掛かる。
 「な、何で僕が…。ここにはヒュドもいるし…」
 が、ニッツェはブルーの腕を掴んで強引に水晶に触れさせた。
 「悪いけど、私も気になるのよ」
 端的にそう言い捨て、ニッツェはケーゴに水晶を見せた。
 覗き込む。確かに海が黒い。赤に染まる水面に一点の染みの様。
 その中心に、いる。
 くすんだ灰色の怪物。巨大な眼球をぎょろりと動かし、様々な海洋生物から継ぎ足したかのようないくつもの腕で宙を叩いている。
 もしかしたらこの様々な腕は犠牲になった海洋型亜人のものだったのかもしれない。
 「どうやら結界に閉じ込められているようね」
 ニッツェの言葉と共に水晶に映る映像が切り替わった。
 黒い海の周囲に艦隊が展開されている。
 話に出てきたニフィルというエルフが結界を作っているのだとケーゴは思った。
 そのまま水晶の映像は切り替わる。今度は怪物により近づいている。
 腐敗しているかのような肌は見ているだけで気色が悪い。
 黒い海は荒波を立て、船などすぐに沈没してしまうだろう。
 その中で。
 「マスターケーゴ、私が高性能カメラ機能を誇りながら報告するに、昨日交戦した人魚が映り込んでいます」
 「え?それマジで言ってる?」
 「私が首をかしげながら応えるに、何故虚偽の報告をする必要があるのでしょうか」
 それもそうだ、とケーゴはニッツェに目くばせをする。
 応じたニッツェが水晶の映像を更に拡大してみせる。
 いた。確かに映っている。
 「昨日戦った人魚だ…」
 間違いない。血管のように赤い筋の入った黒い身体、黒い武器、そしてくすんだ青い髪。
 黒い水で宙に浮かび、化け物の肌を得物で斬り裂いている。
 斬り裂かれた部位からは黒い液体がどろりと流れ出すが致命傷ではないようだ。
 何故この人魚だけ怪物と戦っているのだろうか。
 「まだ小さな男の子の人魚よね…これ」
 「小さな男の子の人魚…」
 ニッツェの呟きに思いもかけないところから反応があった。
 ケーゴとニッツェが振り返るとヒュドールが呆然と目を見開いている。どうやらケーゴ達の会話を聞いてはいたらしい。
 「ヒュド…?」
 訝しがるブルーの姿は彼女の瞳に映らない。
 否、この場にいる誰の姿も今のヒュドールの目には映っていない。



 ――声がする。助けを求める声が。
 手が伸ばされる。その時つかめなかった手が。

 黒い。目の前が黒い。
 これは。この場所は。

       

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