Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシュガルド冒険譚
穢れに捧げ、癒し歌:14

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 操舵室に現れた魔法陣からエルフの顔が出現した。
 ペリソンは唇を真一文字に硬く結び、彼女の顔を見る。
 視界を封じているように見えるエルフはしかし、ペリソンの顔を正面から見つめ返し、言った。
 「――準備は整いました。現時刻を持って“ペルセウス”を開始します」
 毅然とそう告げる目の前の女性エルフ―ニフィル―に対し、何を言うでもなく彼は頷いた。
 そして自らが率いる艦隊に指示を出す。
 「全艦、第一種戦闘配備!」
 号令と共に艦隊が動き出す。
 魔法陣の力によって信号を必要とせず指示が通る。これは便利だとペリソンは詮無いことを考えた。
 同時にSHWの船団も動き出したようだ。元々大陸のSHW領に展開していた艦隊は化け物によって壊滅してしまったが、本国からの増援が既に合流したいる。
 ペリソンは先刻ほど各国の代表者と話し合った怪物の討伐作戦、“ペルセウス”の内容をもう一度脳内で確認した。
 


 「端的に言えばアルフヘイムによる禁術発動とその補助…ま、僕たちはあくまで囮だからね。5時の方向と7時の方向に展開しつつ、あの化け物の注意を引けばいい」
 なんでもないような口ぶりで言われた、たいそうなその内容に魔法陣の向こうにいるソウは眉をひそめた。
 それさえも想定内であるかのようにヤーは続ける。
 「一番の大役は僕たちと反対側で生焔礼賛を使うアルフヘイムだよ。ニフィーさんが生焔礼賛の詠唱―これがなかなか長いらしいんだけど―をしている間、他の魔法使いたちはあの化け物を閉じ込める結界を維持しつつ、僕らに対しても防御魔法を使ってくれるらしいからね」
 「そうは言っても…」
 「きっとこれが前に進むということなんじゃないかな」
 ソウを制し、ヤーは続ける。
 「今僕の力で動かせるのはSHWの船団のみ。後は2国に背中を預けないといけない。…それでも彼らを信じ、共に戦う。そうやって協力しないとこの事態は乗り越えられないことはもうわかっていたからね。…大丈夫、君が考えてる以上に彼らの思いは強い」
 ヤーの脳裏にオツベルグやジュリアの顔が浮かぶ。
 想定以上に作戦の成立が上手くいった背景には彼らのような新しい世界への思いがあった。
 「本国の大社長室から何をのんきにと思うかもしれないが、僕はこの作戦が上手くいくと信じている。それは僕の手腕を信じているだけじゃない。僕自身が彼らを信じたいからさ。……だから、頼んだよ」
 静かな口調。だが、強い情がその言葉には込められていた。
 


 「生焔礼賛は贄を必要とし、その犠牲がが新たな犠牲を生み続ける悪夢のような禁術です」
 ニフィルの声は魔法陣を通してアルフヘイム艦隊に乗り込む全員に届いていた。
 傍らにはダート、オツベルグ、ジュリアが立つ中で、ニフィルは演説を続けた。
 「単刀直入に言いましょう。私はこの禁術を憎んですらいます。それは、私自身がこの禁術によって私たちの…あなた方の故郷を死の大地へと変貌させ、あまつさえ精霊樹を守る夫婦神を失ってしまったこと、それだけが理由ではありません。命を命とも思わないこのおぞましい術そのものに嫌悪感を覚えるのです」
 ダートの表情に苦いものが混じる。全てを失わせてしまったニフィルのあの顔を生涯忘れることはない。
 「しかし、その禁断魔法、生焔礼賛に私は今一度手を染めます。誰の意思でもない、私自身の意思で。…罪滅ぼしとは思いません。それでも…それでも、今この未曽有の事件を解決することができるのが私である以上、私は今度こそ皆を…故郷を…大陸を守りたい…!だから、お願いします。私に力を貸してください…!」
 艦という艦から喊声があがった。船内の空気が振動する。
 通信魔法陣を使わずとも伝わる興奮と奮起にジュリアはほっと息をつきつつ、ニフィルの方を見た。
 ニフィルは口を閉ざし、代わりにダートが緊張した面持ちで語った。
 「もうわかっているとは思うが、この作戦はアルフヘイム単独のものではない。儂らを支えるためにSHWと…甲皇国が本作戦に参加している。願わくば、彼らも今は共に戦う仲間と思ってほしい。そして、彼らの戦いを信じてほしい」
 今度は先ほどのような大きな声はあがらなかった。
 それでも、反応としては十分だとダートは思った。
 オツベルグが安どの笑みを浮かべる中、再びニフィルが支持を出す。
 「今から私は生焔礼賛の詠唱のため、一度全ての魔法を解除します。第4魔導部隊までの皆さんで2国を含んだ艦の加護、第五魔導部隊以降は怪物を封じ込める結界を発動してください。恐らく禁術詠唱中は他の魔法は使えません。あなた方の力に全てを託します」
 そう言い切りニフィルは通信魔法陣を解除した。
 未だ冷めやらぬ喊声の中、先ほどからこちらを見ていたジュリアに問いかける。
 「…何か私の言葉に不満でも?」
 「いや、そういうわけではありませんけども…」
 腑に落ちぬ表情でジュリアは続けた。
 「ただ、話では生焔礼賛発動には生贄が必要であるということ。それをどうするつもりなのか気になっていたので」
 少しためらいがちな口調のジュリアにあぁそれなら、とニフィルは息をつく。
 「私の生命力をもって贄の代替とします」
 「…生命力を、代替に?」
 ジュリアは魔法に精通している訳ではない。
 目をぱちくりとさせる彼女の頭上に疑問符を見たニフィルは手短に説明をした。
 「私は魔力の他に自らの生命力を繰ることができる魔法使いです。生焔礼賛とは亡者が生命を求める術であるところ、その始点となるのが贄となり命を失った亡者。その失う命を私の生命力でもって代えるのです」
 「へぇー!そんなことができるだなんてすごいですね!」
 感心してオツベルグがタンバリンを鳴らす。
 ダートも頷いた。
 「儂もこれを聞かされた時には驚いたわい。生焔礼賛は要するに命を奪われさえすればそれで発動するということじゃ。もちろん生命力を操作するなど他に類を見ない能力じゃから、簡単にまねできるわけではないがの」
 ニフィルの他に生命力を用いて魔法を使う魔法使いをダートは寡聞にして知らない。
 あのソフィアでさえそんな芸当ができないのだ。
 話を続けながらも一同は船首へ向かった。
 本来ニフィル以外は同行したところで特に何ができるわけでもないのだが、それでも付き添わないというのはあまりに薄情ではないか。
 既に夜の帳が降りている。
 海はあの黒い海と相違ないほどに虚無を溶かし込んでいるようだった。
 遠くに化け物が見える。未だに自分の織りなした結界を破壊しようと暴れているようだ。
 その奥では皇国艦隊とSHW艦隊がこちらにこちらに化け物が来ないよう砲撃をもって囮になる手はずになっている。
 相変わらずの荒波に辟易としつつも、ニフィルは精神を研ぎ澄ませる。
 アルフヘイム艦隊を守っている守護の魔法がさらに幾重にもかけられたのを感じた。
 同時に化け物の周囲にも新たな結界が織り上げられていく。
 そこでニフィルは皇国とSHWに作戦開始の旨を伝達し、そして現在行使している魔法を全て解除した。
 自身を封じる結界の質が変化したことに気づいたのだろう。
 怪物は今までにまして暴れ、不可視の壁を破壊せんと軟体生物に似た腕を振り回した。
 結界がたわむのを感じたが、ニフィルになす術はない。
 雑念だとばかりに魔術部隊のことを頭から追いやる。そして深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
 彼女の纏う雰囲気が変化したことにダートはもちろんオツベルグ達も気づいた。
 見ればニフィルの吐息が薄い輝きを帯びている。
 暗い灰色の怪物が暴れ、黒い波は船を転覆させんと荒れ狂う。
 その中で、この船首だけは清浄なる時が流れ始めたようだった。
 「――賛美せよ」
 その一言によっておぼろげであった輝きは強い光を放ち始めた。
 魔力と生命力を併せ持つ光は弧を描き、ニフィルの足元へと至る。
 「命の灯、求めよ、礼賛せよ」
 彼女が紡ぐ言の葉は翡翠色の輝きをもって具現化し、円の内へと配置されていく。
 ニフィルの周囲に絶大な魔素が集まり始めたことにダートは気づいた。
 その流れを感知することこそできずとも、オツベルグとジュリアもどこか息苦しさを覚える。
 禁術を詠唱するニフィルの姿は美しくもあった。だが同時に、どこか恐怖を体現しているようでもあった。
 彼女が唱えているのは確かに死を司る魔法なのだ。

     


――――

  建物内部の生命を感知していたのであろう。報告所を出ると亡者の群れがすぐさまケーゴたちを目がけて緩慢ながらも迫ってきた。
 ケーゴは精霊剣に手を掛けた。
 しかし、彼を制するようにゲオルクが躍り出た。
 「ケーゴ、お前はこの作戦の要だ!無駄な消耗は避けよ!」
 「ここは任せるのである!」
 言うが早いかゲオルクの剣とゼトセの薙刀が敵を裂いた。
 しかし、彼らの戦いに呼応するかのように敵は増える。
 亡者たちにはもはや知性が残されていないようで、屋内へ侵入しようとはしない。しかし、多くの入植者がその屋内に退避してしまった今となっては、ケーゴたちは格好の獲物だ。
 報告所は交易所を東西に走る大通りに面している。
 交易所の中央にまで辿り着きたいのであれば、この大通りを走り抜けるのが最短ではあるのだが。 
 「さすがに多いわね…!」
 はじめに現れた魚人の亡者だけではない。既に多くの入植者が犠牲となり亡者の仲間入りをしているのだ。
 「このままじゃ囲まれちまうぞ!――操!」
 ウルフバードの言葉と共にあらかじめ彼の周囲に展開されていた水がケーゴたちの足元に浸され、そして浮き上がった。
 かろうじてその水の足場に取りついた亡者もゲオルクたちによって叩き落される。
 足場はそのまま亡者たちの手が届かない位置まで浮かび上がって動きを止めた。
 「このまま俺の水で全員所定の位置まで向かうぞ。いくらなんでもあのまま強行突破じゃ護衛がもたん」
 「しかし、それでは貴公の魔力がもたないのではないか?」
 ゲオルクの懸念にウルフバードはひらひらと手を振った。
 「ギリギリのところでやりくりしてるんだ。そう思うならここでつべこべ言わずにさっさと中央まで行ってくれ。俺もこのまま束ね盾詠唱の方角まで飛ぶ」
 それだけ言うとウルフバードは水で生成された床を6つに切り離した。
 中央に向かうケーゴたち、そして束ね盾発動のための魔術師たち5人分だ。
 束ね盾を支える魔術師たちにはそれぞれ護衛がついている。
 ビャクグンもそれに倣いウルフバードが立つ水の床に移動しようとしたが、ウルフバードはそれを制した。
 「ビャクグン、お前はあのケーゴってガキを守れ」
 予想外の言葉だ。
 一言驚きの声をあげてから、ビャクグンは言う。
 「小隊長殿、それではあなたが…!」
 「それでいい。束ね盾はあくまで保険。今第一にすべきはケーゴたちを守ることだ。それにはお前の力が必要だろう。代わりに一人二人ばかりアルフの魔導師を借りるぞ。いいな?」
 最後はフロストに向けて発せられた言葉だ。
 癪ではあるがウルフバードの言うことにも一理あると思い、フロストは首を縦に振った。
 なにせビャクグンは妖なのだ。フロストはそれを知っている。彼がケーゴたちと共に行動してくれるのならそれはそれで心強い。
 当のビャクグンはそれに反対しているようである。
 「しかし…」
 なおもそう言い募ろうとする彼をウルフバードは半ば無理矢理にケーゴたちのもとへと向かわる。
 「――操」
 そして再びウルフバードがそう唱えると、水が動き出す。
 「小隊長殿…!」
 憂えるような表情のビャクグンと共にケーゴたちが乗る水の足場は交易所の中央へと向かっていった。
 同様に他の術師たちも各々の持ち場へと移動させ、ウルフバードは護衛に向き合った。
 「…という訳だ。お前たち、よろしく頼むぞ」
 アルフヘイム出身であろう護衛の魔道士2人は憎むべき丙家の男を前に硬い表情をしている。警戒されているのだ。無理もない。
 別段それを気に掛けるでもなくウルフバードは自身の持ち場へと足場を移動させ始めた。
 何を話すでもない痛々しい無言の中足場は交易所の北西へと向かう。
 見れば魔道士2人は交易所を見下ろし、眼下の亡者たちの警戒をしているようだ。
 彼らの背後に立つウルフバードはそれを認め、口角を釣り上げた。
 そうだ。それでいい。俺ではなく亡者共に集中しろ。
 ビャクグンは絶対にそれをしないとウルフバードには確信があった。あれはいつでも自分を見ているのだ。
 だから別行動にした。怪しまれるかもしれないが、こうして別れてしまえば問題ない。
 ウルフバードは気取られぬ程度に詠唱を行い、足場の一部を切り離した。
 切り離された水は空中で鳥の形を成し、ウルフバードたちとは別の方向へと飛んで行った。
 ビャクグンであれば確実に気づいたであろうこの一連の行動を見過ごした魔道士たちは、ちょうど着地地点を確認したらしく、次の指示を伺うように振り返った。
 ウルフバードは余裕が見え隠れする表情でアマリから預かった勾玉を取り出した。
 「…それじゃ、大仕事といくかねぇ」


 「あそこだ!」
 上空から交易所の中心たる噴水を見つけ、イナオが声を上げる。
 後は着地してケーゴと協力して調伏の呪文を唱えるだけだ。
 「…と、そう簡単にもいかないようであるな…」
 足場から身を乗り出して下界を確認したゼトセが苦々しく呟く。
 噴水は交易所を東西、南北に貫く大通りが交差する地点にある。
 そこには亡者たちもまた大量に徘徊していた。
 近づく命の焔に気づいたのか亡者たちもまたこちらを見ている。
 「…しかし、あれに知性があったらと思うとぞっとするの」
 「屋内に無理やりに侵入されていたらとうに交易所は壊滅していただろう」
 アマリとゲオルクのぞっとしない会話に耳を傾けつつ、ケーゴも交易所を見下ろす。
 そこで気づいた。
 「…ところでこれ、どうやって降りるんだ?」
 彼の言葉の意味するところを理解し、一同の時が止まる。
 水の足場は噴水の手前にたどり着いたところでお役御免とばかりに動きを止めている。
 到着した瞬間に消滅しない分良心的と言えばそうなのだが。
 「…バカ魔道士ッ!」
 どうにもウルフバードへの悪態をつきたいらしいフロストが北西に向かって吠えた。
 他の魔道士たちは魔法を使って着陸することもできるだろうが、こちらは魔法を使えない者もいるのだ。
 加えて眼下には明らかに他の場所よりも多いであろう亡者たち。
 「…ま、まぁ、報告所からここまで戦いを避けることができただけよかったと思うべきでしょう」
 苦笑いをしながらウルフバードの弁護を図るビャクグンに同調しつつ、アマリが指先に炎を出現させた。
 「いずれにせよここは強行突破と行くしかあるまい。いずれにせよ飛び降りるにはちと危ない高さじゃ。フロストとやら、足元の亡者たちの処理を頼めるかの」
 「え?あ、はい!」
 首を縦に振ったフロストに頷き返し、アマリは一同を見回した。
 「なら妾の合図と共に一斉に飛び降りるとしよう。着地は妾の加護の炎でなんとかする。亡者たちはすぐにまた襲い掛かってくるだろう。飛び降りたらすぐに調伏に入る」
 説明の途中でイナオを目で制す。自分の手助けをして無駄な霊力を使うなということだろう。
 イナオもそれを理解して視線をもって返す。
 本来はアマリ自身も霊力を削ぎたくはないのだ。
 飛び降りるとともにアマリ自身が亡者を焼き尽くさず加護に徹するのもそのためだろう。
 この場で遠距離から亡者を一網打尽にできるのは魔法の使えるフロストだけだ。しかし、そのフロストの氷魔法では着地を和らげるには程遠い。
 全員が頷くのを確認し、アマリは地上を見据えた。
 「よし…ゆくぞ」
 しん、と緊張が一同の間を駆ける。
 フロストが魔力を開放し、冷気を纏う。
 ゲオルク、ゼトセ、ビャクグンはそれぞれ得物を手に構える。
 ケーゴとアンネリエ、イナオは互いに緊張の面持ちを見せ合う。
 誰かが生唾を飲み込んだ。
 その音が奇妙なほど大きく響く。
 それが合図であったかのようにアマリが声をあげた。
 「跳べっ!!」
 8人の跳躍。同時にフロストが喊声を上げ、眼下の亡者たちを全て氷つかせた。
 それを確認するかしないかのうちにアマリが炎を放つ。
 苛烈な炎にみえたそれはしかし、春の陽気がごとく温もりをもってふわりと彼らを抱きかかえる。
 全員が着地すると同時に加護の炎は消え去った。本当に着陸の衝撃を和らげるだけのものであったようだ。
 同時に周囲に集まって来ていた亡者たちの姿が明らかになった。
 氷漬けにしたのはあくまで着地地点の亡者たちのみだ。
 すぐさまゲオルク達が迎撃を開始した。
 ケーゴも精霊剣を抜いた。
 挨拶代りとばかりに紅蓮の炎が噴き出し、周囲の亡者を一瞬で焼き尽くす。
 それに驚く者たちを尻目にケーゴは叫んだ。
 「さぁ!シェーレに!」
 アマリに向けて放たれた言葉だ。
 ケーゴに向き合ったアマリは瞬き一つで火狐へと姿を変えた。
 そしてシェーレが纏う紅蓮と混ざり合い、1つの炎を成す。
 剣を構えるケーゴの右肩をアンネリエが掴む。そして彼女は静かに目を閉じた。
 土の性を持つ魔素を体内で操る。
 詠唱が叶わなくなって以来、自らの魔素に触れることはなかった。しかし、自分のこの力が今は必要だ。土の性をシェーレへ、アマリへ送ろうと意識を集中する。
 不安はなかった。
 だって隣にはケーゴがいる。
 身体が沸騰しているかのようだ。
 魔素が自分の中でたぎっている。熱い。この火照りはケーゴに伝わるだろうか。
 彼の肩を掴む手に力がこもる。体をめぐる魔素を上手く繰る。
 そうして彼女の魔素はケーゴを介して精霊剣へと至った。
 剣が纏う炎は紅蓮から山吹色の輝きへと変化した。
 火の性がアンネリエの持つ土の性を受け入れ、混じりあったのだ。
 ゲオルクが剣を振り下ろし、ゼトセの薙刀が一閃を描く。
 フロストが氷の魔法を駆使し、ビャクグンが敵を薙ぎ払う。
 短剣が放つ黄金の輝きはいよいよ眩しく、ケーゴとアンネリエは目を細めている。
 全ては整った。
 後は。
 イナオは激しい焔に竦むことなく一歩踏み出し、ケーゴの左肩を掴んだ。
 そして一気に熱い空気を吸い込み、鎮魂の祝詞を唱え始めた。
 

     


 ――
 

 黒い海。それがどうした。
 あの日、あれだけ恐ろしかった黒色の中をヒュドールは臆すことなく泳いでいた。
 いくら魚人と言えどもこの荒波と恐るべき黒色の中では上手く前に進むことができない。
 それでも彼女は泳ぎつづけた。
 魚の下半身をこれでもかとくねらせ、人の手で水をかく。
 荒波が押し寄せ世界が一回転する。どこが海面でどこが海底だろうか。どちらが西でどちらが東だっただろうか。
 いや、そんなこと関係ない。
 例え今いる位置が分からなくとも、それでもわかるのだ。あの子の泣いている場所は。
 泳ぎつづけた末、果たして視界の隅に何かの赤色を捉えた。
 「――っ!」
 名を呼ぶ。
 どうしてこんな大事な名前を、存在を、忘れていたのだろう。
 「待って!――っ!」
 きっと、怖かったのだ。黒い海が、あの日の出来事が、あの子の手を握り返せなかったことが。だから無意識のうちに自らの記憶に蓋をしていたのだ。
 でも、あの子はもっと怖い思いをずっとしていたはずで。
 ずっと私のことを探していたはずで。
 黒く染まった海中に、赤い軌跡が走る。
 同じ黒のはずだが、あの子の輪郭が見えた気がした。
 「――!!」
 眼前にあぶくが踊る。どうして、どうして逃げるの。
 私が…怖いの…?
 「大丈夫よ!もう一人にはしないから…!ずっと傍にいるから!!」
 だから逃げないで。
 そう叫んだヒュドールの声は、穢れた少年の耳に届いたのだろうか。
 ふいに彼が旋回し、ヒュドールと向き合う。
 無垢な子供の面影はもはやなかった。
 初めて彼の全身をまじまじと見たヒュドールは息をのんだ。
 身体のいたる部分は黒く腐食し、下半身の一部からは骨が露出している。
 全身に走る赤色。記憶よりもくすんで見える頭髪の青色。
 それでもあなたは。
 「――。」
 名を呼ぶ。
 それに少年は過激なまでに反応した。電撃が走ったかのごとく全身を震わせ、悲鳴とも咆哮ともつかない声で周囲の水を操り、波動と化したそれをヒュドールへ向けて放つ。
 うまくかわしたつもりであったそれが右肩を掠めた。
 一瞬顔を歪めたヒュドールはしかし、懸命に彼の名を呼んだ。
 「――っ…!」
 ゆっくりと泳ぎながら彼と距離をつめようとする。
 少年の人魚は顔をこわばらせて後ずさる。周囲の海水を黒い槍と成し威嚇する。
 「――、お姉ちゃんよ。覚えてる…?」
 先ほどよりも強い衝撃が下腹部を襲った。
 身体がくの字に曲がり、口からあぶくがこぼれる。
 しかし怒りではない。少年は何かに脅えている。霞む視界の中でヒュドールは確信を持った。
 「怖かったのね…。そうでしょう…?」
 突然全てが奪われてしまった。黒によって人魚の里は穢れに染まったのだ。
 そして、自分自身が、彼を助けることが出来なかった。
 「ずっと、一人で…さみしくて、恐ろしくて…」
 それに比べて自分は。
 どれだけ幸せな日々を送っていたのだろう。
 黒い槍が右腕を貫いた。
 血はすぐさま黒く染まり海と混ざる。
 二度目の攻撃。動きそうにない右手に気をとられながらも体を回転させる。
 辛くも躱したその槍はしかし、ヒュドールの水着の紐を裂いた。
 ブルーが贈ってくれた大切な水着。
 荒波に流されていってやがてその白色は見えなくなってしまった。
 これはきっと罰だ。あなたを忘れてのうのうと暮らしていた罰だ。
 だから今、自分には目の前のあなたしかいない。
 「――、ごめんね…こんなお姉ちゃんで…っ」
 零れた涙は海の黒に染まらずに漂う。
 少年が攻撃の手を少しだけ緩めた。
 もう右腕は動かない。ヒュドールは左手を彼へと伸ばした。
 「でも…今度こそ…絶対に、あなたの手を…!」
 彼自身、それがどうしてかはわからなかった。
 しかし、少年はヒュドールに背を向け逃げることをしなかった。できなかった。
 ヒュドールは荒波にも黒い槍にも負けず前に進む。
 そして駄目押しとばかりにぐい、と手を伸ばす。
 もう少しであの子の手を掴める。そう思った刹那。
 「…っ、あああああああああああああああああああっ!!」
 突如目の前の弟が咆哮をあげた。
 手にした槍を振り上げる。
 大切な彼に差し出したはずの左腕がヒュドールの眼前で漂っていた。

       

表紙

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Neetsha