ミシュガルド冒険譚
【喪失】の断片集:2
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「む…」
ウルフバードが珍しいことに不服そうに口を曲げた。
手にした書簡に厳しい視線を注ぐ彼に傍に控えていたビャクグンが尋ねた。
「どうかされたのですか?その文は…」
「新たに俺の隊に組み込まれた奴らの名簿だ。不思議なことに前回より人数が少なくなっている。少数精鋭と信じていいんだろうな?」
あぁ、とビャクグンは合点がいった。ウルフバード隊はあの渓谷の探索で全滅してしまったのだ。
それと同時に苦笑も浮かべる。
「降格処分が下らなかっただけでも良しとする他ありますまい」
「まぁな」
ホロヴィズ将軍がミシュガルド大陸に上陸したということで、その日は多くの甲皇国貴族が駐屯所を訪れていた。
甲家、乙家、丙家が同席する珍しい機会だ。ウルフバードも本来であれば丙家の端くれとしてその場にいなくてはならなかったのだが、なにせ渓谷から命からがら戻ってきて、その後森で休息をとっていたものだから駐屯所に戻った時にはすでに夕刻。
既に挨拶やら演説やら儀礼やらは全て終わっており、甲皇国の今後の発展を願って、ということで小さな宴が催されていた。
そう一般兵に教えられウルフバードはそれはぜひともお断りしたい、とため息をついた。
それでも爺歓迎会には顔を出さないとマズいよなぁとぼやいて仕方なしに顔を出したのである。
その時の貴族の皆々様ときたら。
侮蔑、軽蔑、憐憫、差別、軽視、憤怒。それはもう、あからさまに見下された。
それらを全て無視してウルフバードはホロヴィズにたった今謎の地から帰還した旨を奏上した。
「この場に遅れたことをお許しください。探索中、まったく座標の異なる地点に転移してしまいまして」
その物言いにホロヴィズの隣にいたゲルが激昂した。
「ウルフバード!貴様、ぬけぬけと下らぬ戯言を!!」
「ゲル大佐、あんたは知らねぇと思うがこのミシュガルドは人智を超えた地だ。あんたも最期には身を以てそれを知ることになるだろうぜ」
「きっ、貴様ぁっ!!」
要するに客死してしまえということである。ゲルの怒りはいや増した。
飛び掛かりそうなゲルの勢いをホロヴィズが片手をあげて制した。
「ウルフバードよ、して、何か戦果はあったのだろうな?」
冷え冷えとしたその言葉に脅えることなくウルフバードは偽りを答えた。
「いえ、全く何も」
「ならば貴様の報告に価値などないわ。儂の顔に泥を塗りおって。失せろ」
そう言い捨て身を翻す。
ゲルはウルフバードを睨みつけながらも将軍に従った。
短いやりとりであったが、周囲の者はいつホロヴィズが激昂するかと気が気でなかっただろう。
その場の空気は確実に凍てついていた。
我関せずとばかりにウルフバードは口角をわずかに釣り上げてその場を去った。
そして現在に至る。
「勝手な行動は今後慎まなければなりますまい」
「そういう意味もあるんだろうな、この隊員縮小は」
命からがら帰還したなら自室でしばらく静養していろ、と実質的な謹慎を命じられたウルフバードである。
この駐屯所での態度は確実にホロヴィズ将軍の耳にも入っているだろう。もともと低い評価をさらに【喪失】ってしまったようだ。
だが、とウルフバードは懐から藍色の宝玉を取り出した。
「それでも釣りがくるほどの結果を得た」
クツクツと笑いをこらえる。
ミシュガルドの玉座。その実態は分からない。
しかしはったりではないだろう。確実に存在しているのだ。この地を統べる力が。
「そうとも、何を犠牲にしようが構わねぇ。変わる。確実に世界が変わるぞ。この力で」
――例えそれが万の【喪失】だったとしても、たった1つの目的のためならば。
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「・・・して、現状はどうなっておるのだ」
冷え冷えとした声が部屋に響く。責められているのがよくわかる。
スズカは指令室に呼ばれた我が身を呪った。
せめてヤーヒムが全ての責任を背負ってくれればいいのだが、この男はそんな性格ではない。この3年間でよくわかっている。
今ホロヴィズ将軍の前に立っているのは自分を含めて4人。ヤーヒム副指令とゲル大佐と秘書のシュエンだ。
指揮系統が再編成され、将軍の身辺も整い、ようやくミシュガルド大陸調査兵団総指揮官を中心とした体制が始動した。
だが、問題は山積み。ホロヴィズは改めてそのふがいなさに静かな怒りを見せているのだ。
そして、改めてその詳細を報告せよとの命令。
なんというか、ここが自分の墓場ではなかろうかと真剣に考えるスズカである。
彼女の隣で、責任を全て背負うことこそしなかったヤーヒムが、部下に負担をかける訳にもいくまいと口を開いた。
「最も懸念すべき問題としては先日起こった我が軍への襲撃があげられます。一度目は一小隊が全滅。二度目の襲撃の際の生還者は傭兵のラナタ1人のみ。しかし記憶を失った状態で当時の状況を聞き出すことはかないません。機械兵は破壊されており、彼女と共に行動していたアルペジオの消息も不明です。我々はこれをアルフヘイムの者の犯行の可能性が高いと判断、現在調査中です」
スズカは眉をひそめた。
この男、以前は散々ミシュガルドの原生生物の可能性を言っておきながら今はこれだ。
世渡り上手と言うかなんというか。
下手なことを言って将軍を怒らせるとこちらまでマズいことになりかねないから構いはしないが。
そんなスズカの思考を読み取ったがごとくホロヴィズは怒りを机にぶつけた。
「アルフヘイムめ…メルタがあれだけ可愛がっておった小娘を…。手がかりくらいは掴んでおろうな?」
「…申し訳ありません。今のところ全く」
「戯けが!」
回答が否と知るや一喝。
その迫力にシュエンはやはり心臓が冷える。
老体と言われているホロヴィズはしかし、鬼神の如き威圧を放つ。
「…忌々しき亜人共め、儂の娘を悲しませおって。貴様らも同罪だ!」
怒号を浴びてスズカは縮こまった。
ヤーヒムの表情も硬い。
ゲルがなだめるように話し合いに参加した。
「…停戦協定があるとはいえ、相手はあのアルフヘイム。どんな姑息な手を使ってくるかわかりませんな。もしくはあのテロリスト集団エルカイダやもしれませぬ」
「エルカイダ…」
スズカがゲルの言葉を繰り返す。
シュエンが思案顔で頷いた。
「確かにあの集団は停戦協定そっちのけで我が国に報復と称して攻撃をしてきますからね。可能性は高いでしょう。アルフヘイムもあの集団と直接の関与を否定していますし、エルカイダ自体もアルフヘイムとは独立した武装集団と自らを称している以上、有益な情報は得られないでしょう」
もちろんそれが建前であることは誰もが知っている。だが、外交上それをつまびらかにするわけにもいかないのである。
いずれいせよ結論が出る話ではない。ホロヴィズは息を荒げながら次の報告を促した。
「失態はこれだけではないと聞いておるぞ」
「…丙家の技術班が極秘裏に進めていた亜人機械人形化計画、その1つである人魚型機械兵が湾に造った生簀を破壊して脱走しました」
「その機械兵が我ら丙家以外の者に発見された場合は」
「恐らく、詳細な観察を行えば甲皇国の、丙家の仕業であると確実に知られてしまうでしょう。理性を失っていたため近づくこと自体困難ではありますが、いち早く捕獲することに越したことはないでしょう」
可能性は低い。が、ともすると襲撃事件よりも引き起こされうる結果は厄介だ。
襲撃事件と脱走が関係している可能性もある。
「…」
黙り込んだホロヴィズに変わってゲルがヤーヒムを詰った。
「貴様、亜人の餓鬼に肩入れしたのではあるまいな」
「くだらない言いがかりはよしてもらいたい」
「どうだかな。私はこの駐屯所にアルフヘイムの間者が紛れ込んでいないか心配でならんよ」
別の冷え冷えとした空気がたちこめ始めた時、ホロヴィズが口を開いた。
「この辺りの海域はどうなっておる」
すぐさまシュエンが甲皇国駐屯地周辺の地図をホロヴィズの前に広げた。
ヤーヒムが近づき、指し示す。
「ここに件の生簀が建造されていました。そしてこの辺りは黒い海と呼ばれ、終始波が荒れ狂っている海域です。そして、この赤い線。これが甲皇国に認められた領海です。これより外はSHWが管理する海域、特にここから東へ航行するとSHWのミシュガルド領海に該当するため、領海侵犯にあたり国際問題になってしまいます」
「なるほど、な」
ホロヴィズの仮面の奥、残忍さが煌めいた。
「だが、いずれにせよその機械兵の存在が他国に漏れる訳にはいかぬ。ミシュガルド海域において亜人機械兵の捜索を行う。ヤーヒムよ、SHWに連絡を取り奴らの海域での調査を可能にせよ。それと乙家の外交官に連絡を取りアルフヘイムと会談を。奴らは恐らく我ら丙家の捜索を是とはするまい。良好な関係を築いておる乙家を仲立ちにしようではないか」
ヤーヒムは軽く瞠目した。
この捜索の裏にホロヴィズの真の狙いがあるのは明らかだ。
「そのような申し出に二国が応じるでしょうか。…乙家が間に入れば警戒はされにくいかもしれませんが、常に乙家の監視がつくことにもなります」
「乙家の腑抜けどもなど後でどうとでもなる。機械兵の捜索を口実に我が国の艦を彼奴らの領海に入れてしまえ」
「ですが…」
ヤーヒムはなおも食い下がった。
「丙家が国内に公にしている機械兵は陸戦型の0参型のみ。亜人の改造兵など…」
「それこそエルカイダの捕虜ということにすればいいですね」
そこにスズカが割って入った。
「エルカイダの人魚亜人を捕えていたが、脱走。非常に危険なテロリストであるため見つけ次第殺害せよ、というのが最善かと。あの機械亜人を捕まえることができればもちろんそれが一番いいですが、他国の協力を仰ぐ以上破壊もやむなしでしょう」
「なるほど、エルカイダならアルフヘイムも公的には関与を否定しているから我々も大腕を振って捜索ができるわけですね」
シュエンが頷く。
これが単にアルフヘイム兵の捕虜という話になると捜索の主導権がアルフヘイムに移りかねないのだ。
決まりだとばかりにホロヴィズが立ち上がった。
「ゲルよ、艦隊の増援を要請せよ。スズカはヤーヒムと共に二国との会談に備えよ」
指令室に杖の音が鳴り響く。
「儂が来たからにはこの大陸、必ずや丙家のものとしてくれようぞ」
――【喪失】さえも次の一手のための手段。
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その顔をどうして記憶から【喪失】れることができようか。
翡翠のような長い髪を横で束ねている。赤いリボンは未だに特徴的だ。以前は険しく光を失っていた目はしかし、今では可愛らしい少女のそれだ。
アレク書店のエプロンを着用していると、軍服とはまた違った印象を与えるのだが、ロビンとシンチーはそんな外見には騙されない。
「お前!!」
シンチーが声を荒げて剣を抜いた。
刀身が赤く煌めくその剣はヒザーニャと過ごした時間が本物であった証。
ロビンも眼光を険に染めてローロを止めた。
「ローロさん、どうしてこの軍人を…!?」
「えっ、何で――」
ローロが戸惑う間にもシンチーはアルペジオに詰め寄る。
容赦なく剣を突き付け、睨む。
一方のアルペジオは顔を真っ青にして震えている。息も荒く、今にも泣きだしそうな表情でかすれ声を出した。
「違…私…嫌……」
その様子に違和感を覚えたロビンは一度シンチーを退かせた。
だがアルペジオは壊れてしまったかのように震え続け、ついに頭を抱えうずくまり、悲鳴を上げた。
「嫌…嫌…っ!……嫌ぁあああああああああああああああああああああ!!」
「アルペジオ!」
ローロがロビンの制止を振り切って彼女の元へと駆け寄った。
狂乱に陥るアルペジオを抱きしめ、大丈夫、と何度も言い聞かせる。
その様子にロビンとシンチーは再び唖然とした表情を見せる。
これは一体どういうことだ。
嗚咽を漏らすアルペジオを落ち着かせながらローロはきっと二人を睨む。
「ロビンさん、シンチーさん。どういうことですか」
うってかわって彼女の声は固い。むしろ敵意に近いものがある。
ロビンも語気を強めた。
「どういうことって、それはこちらが聞きたいですよ。ローロさん、その子は甲皇国の軍人だ。それも、俺たちの命を狙った――」
「違うっ!!」
アルペジオの金切り声がそれを阻んだ。
「私は違う!軍人なんかじゃ!軍人なんかじゃ…っ!!」
再び頭を抱えて震えだした彼女をローロが優しく抱きしめる。
なおもアルペジオは悲鳴をあげた。
必死にローロは語りかけた。何度も、彼女を受け止めようと。
「わかってる。わかってるわ、アルペジオ。大丈夫、ね?」
「違うの…私…私は……」
それだけ呟き、アルペジオはがくりと意識を手放した。
何も言うことができないロビンとシンチーの方を睨み、ローロはゆらりと立ち上がる。
「……何でですか」
静かな声。だが内に激情を秘めたその言葉はじわりじわりと2人を刺す。
「最近は落ち着いてきていたんです。前は夜に急に泣き出したり、軍服を見るだけで悲鳴をあげたりしてて…。ようやく、1人でもお店で待っていられるようになったのに…何でまた…っ!」
目には涙が浮かんでいる。ぐったりしたまま動かないアルペジオを抱きながらローロは責めたてた。
「答えてください、ロビンさん。この子が本当にあなたたちの命を狙うように見えますか?こんなに弱弱しい女の子が、軍人なわけがありますか?」
狭い店内に痛いほど冷たい空気が漂う。
「それは」
ロビンは答えに詰まった。
確かに目の前の少女はあの時の軍人と同一人物だとは思えないほどの豹変を果たしている。
とは言えどもこちらが殺されかけたのは事実なのだ。
「…一度落ち着きましょう」
そこにシンチーが助け舟を出した。
ロビンは目で礼を言いながらローロに持ちかけた。
「…ローロさん、説明がお互いに必要なようです。彼女を混乱させてしまったのは申し訳ありませんでした。ですが、こちらの事情も聞いていただきたい」
もともとロビンに好感を抱いていたローロは彼の真摯な態度に少しだけ敵意を緩めた。
ぎゅっ、とアルペジオを抱く手に力がこもる。
「…わかりました。奥に行きましょう」
前に訪れた時、こんなに事務室は冷えていたかなぁとロビンはぎこちなく椅子に座った。
向かいにはローロ。
以前座ったソファには今アルペジオが横たわっている。どうやら普段からベッド代わりに使っているようだ。
「…もう2週間ほど前になるかな。私、竜を連れた男の子に虫除けの効果がある薬草を教えてもらって、森に探しに行ったんです」
当然あのカミクイムシ対策である。
森に近づくのはあまり得策とは思っていなかったが、背は腹に変えられないとローロは一大決心して森へ足を踏み入れた。
目当ての薬草はどこだろうかと探していたところで、アルペジオが木陰で膝を抱えて震えていたのを発見したのだ。
アルペジオの様子に尋常ならざるものを感じたローロは慌てて彼女に駆け寄った。
「ねぇ、あなた!大丈夫!?」
アルペジオはローロなど見えていないかのように脅え、呪文のように「違う」と言い続けた。
強く体を揺さぶってようやくアルペジオはローロに気づいた。だが、ローロの姿を見るや否や狂乱に陥った。
大暴れするアルペジオを抑えきれずにローロはしりもちをつく。
顔面蒼白で立ち上がったアルペジオはその隙に逃げ出そうとぐらりと振り返り、そのまま倒れてしまった。
放っておくわけにもいかないとローロはアルペジオをえっちらおっちら抱えて運んだ。正直あの時の自分の様子は不審者に間違われても仕方がなかったと思う。
「…それで、お店まで何とか運んだんですけど…」
介抱しようとして、アルペジオがしている腕章が甲皇国のものだと気付いた。
ということは交易所の皇国関係者に連絡した方がいいのだろうか。
そう思案していたところでアルペジオが目を覚ました。
のろのろと目を開け、そして弾かれたように起き上がった。
脅えた表情で辺りを見回す。
ようやくそこが恐れるべき場所ではないと認識し落ち着いたのか、アルペジオはいまさらのようにローロに気づいた。
「……ここ…は……?」
捨てられた子犬のような眼でそう尋ねた。
ローロはできる限り彼女を落ち着かせようと試みた。
「ここは交易所にある私のお店。あなたが森で倒れてしまったから連れてきたの。えっと…あなたは甲皇国の軍人さん?一度――」
「違っ…!違う!!」
そして見事に失敗した。
「私は軍人なんかじゃっ…!違う!違うの!」
アルペジオはローロにすがりついた。
強い力で肌に爪が食い込む。痛い。
ローロは無理やりアルペジオを引きはがす。
「分かった、分かったわ。あなたは軍人じゃない。軍人じゃないのね」
確認するように、言い聞かせるようにそう何度も繰り返しようやくアルペジオは落ち着きを取り戻した。
まだ息が荒い。
こんな少女に一体何があったというのだろう。
「ねぇ、一体何があったの?大丈夫、私はあなたの味方よ」
情が移ってしまい思わずそう言ってしまった。これで味方になれなかったらどうしよう。
ローロの真剣な眼差しにアルペジオは逡巡を見せながらもぽつりぽつりと話し始めた。
その内容はにわかには信じられないものであった。
ローロの話を聞いたロビンとシンチーも唖然として聞き返す。
「…丙家に攫われた?」
「そんな…」
が、否定しきれないところが恐ろしい。丙家といえば甲皇国の中でも戦争推進派の危険な輩だ。その非道っぷりはロビンもシンチーもよく知っている。
「それであんなに脅えていたのか…」
とはいえロビンたちにも事情はあるのである。
2人はローロに西の森での出来事を伝えた。
媚薬を使ったというのはさすがに憚られたのでうまくごまかした。
「…そうですか、そんなことが」
ローロはソファで眠るアルペジオに目を向けた。あの子がそんな残虐なことをしていたなんて。
それでも、とロビンを必死にみやる。
「それはあの子が望んだことじゃないはずです…」
悲しそうに頭を横に振る。そんな彼女をロビンも無下にはできない。ぎこちなくローロに賛同した。
「…えぇ、そう思いますよ」
だからといって確執が消えたわけではないのだが。
3つの視線が1人の少女に向けられる。
そのまま、気まずい時間をたっぷり堪能した後、ロビンは先ほどのローロの言葉を思い出した。
このまま針のむしろも嫌なので、それを訪ねてみる。
「…そういえばローロさん。先ほど何か話したいことがあると言ってませんでしたか?」
ローロはあっ、と声に出して慌てて事務机を探った。
「そう、そうなんですよロビンさん!忘れてました。実はロビンさんにお願いがあったんです」
「お願い、ですか」
まさか、霧に包まれたら謎の場所に到達していました。その場所を探索してください、だなんて言わないだろうな。
身構えるロビンの前に一枚の紙が差し出された。
何かの計画書のようだ。目を通すロビンの顔が苦笑に歪んでいく。彼の後ろでシンチーも渋面を作る。
すなわち。
「ロビンさん、サイン会をしましょう」
笑顔でローロは提案した。
――【喪失】のその先、新たな【喪失】は逢着によって。
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「…アルペジオ……」
呆然とラナタは自室で呟いた。
もうその呟きも何回目になるだろうか。
ことあるごとにラナタの脳裏には彼女との思い出が浮かび、消えていた。
その度に己の無力をかみしめる。
何故だ、アルペジオ。お前はどこに行ってしまった。
ずっと2人で過ごしてきた部屋。今そこにはラナタ1人しかいない。
そのせいだろうか、部屋はやけに広く感じられた。
が、探索部隊本隊の到着によって軍の編成も部屋割りも再検討され、もうすぐ別の兵士がこの部屋にやってくるという。
そして、アルペジオが座っていた椅子も、アルペジオが横になったベッドも全て別の兵士が使うことになるのだ。
アルペジオの幻影を過ごす日々もう終わり。
ふと脳裏に浮かぶのは森で水浴びをしていたあの情景。
あの屈託のない笑顔は、あの大切な時間はもう二度と帰ってこないのかもしれない。
ラナタは諦めのようにため息をついた。
あれが。あの時が最後のひと時だったのだ。
過日、森で記憶を【喪失】い、あげく腕が折れていた。
一体あそこで自分とアルペジオに何があったのだろうか。
本当は今すぐにでも彼女を探しに行きたい。
だが、部屋で待機をしているよう命じられた以上一介の傭兵であるラナタにはそれを覆すことはできない。
それこそ、何か強い権力を持っている者が自分を使ってくれれば話は別なのだが。
と、そこでラナタは耳を澄ました。
仰々しい駆動音と規則的な金属音が近づいてくる。
なんだこれは、と訝しがっていると、次第に大きくなっていたその音がラナタの部屋の前で消えた。
そして荒々しく扉が叩かれた。
警戒しながらもラナタはそろりとドアを開けた。
さすがに瞠目せざるを得なかった。
目の前に生首があった。
思わず悲鳴をあげそうになったが、理性で踏みとどまりラナタはなんとかその生首が何者かを確認しようとした。
否、生首ではない。
薄い珊瑚色の鉄塊。その中に体をすっぽりと収め、唯一内部が見える透明な部分から顔だけ覗かせている。それが生首に見えたのだ。
冷静に見れば首は胴体とつながっているのがわかるではないか。だが、それ以上中身は良く見えない。一見すれば生首が浮いているように見えるのも致し方ないのではないだろうか。
中に人が入っている歪んだ球状の鉄塊は機械の一部分であることに気づいた。
そこから手足が生えている。腕も脚も珊瑚色。頑丈そうな脚はしっかりと床を踏みしめ、腕も前脚のように床に届くほど長い。
甲皇国が試験運用している機械兵よりも武骨なデザインだ。
それに反して中に入っている少女は可憐に見える。
あっけにとられているラナタを尻目にその少女は口を開いた。
「あなたが傭兵のラナタね」
直接彼女の声が聞こえるのではない。恐らく機械内部で集音された音が外に流れている。故にどこかざらついて聞こえる。
それでも快活さに満ちたその声に、ラナタはきっと生で聞いたら鳥の歌声の様だろうな、と思った。
「あぁ…そうだ。あんたは?」
「まぁ!私を知らないの!?私はミシュガルド大陸調査兵団総指揮官ホロヴィズ将軍が長女、メルタですわ!」
「なっ!?」
衝撃の第二波。
目の前でぷんすか可愛らしく怒る少女があの将軍の娘だというのか。
ラナタは慌てて非礼を詫びた。
「も、申し訳ありません!至らぬわが身、お嬢様を知らぬばかりかあのような物言いを!」
深く頭を下げるラナタに対してメルタは鷹揚に手を振った。
「まぁ、良いですわ。そこは問題じゃないもの」
ラナタはなおもかしこまる。
「そ、それで…その将軍の子女たるメルタ様がこのような傭兵の部屋に何用でしょうか?」
メルタの瞳に宿る煌めきが激しさを増した。
「そんなもの、アルペジオのことに決まってますわ」
ラナタの心臓が跳ねた。
「アルペジオの…?」
メルタは機械の中で頷いた。
「えぇ、アルペジオはずっと私の傍についていてくれた、私の親友ですの。それが、このミシュガルド大陸で行方不明になったと聞いて…私、いてもたってもいられませんの。ラナタ、あなたが最後にアルペジオと一緒にいたんでしたわよね?」
ラナタはがくんと首を縦に振った。
決まりだ、というようにメルタは機械の腕を動かし、ラナタを指さした。
「なら、わたくしの名において命じますわ。ラナタ、わたくしと共にアルペジオを探しなさい!」
――例えそれが傲慢な願いだったとしても、【喪失】など認めはしない
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「何だとぅ!?」
「何よぉ!!」
なおも言い争うケーゴとベルウッドを尻目にヒュドールは自分の入っている酒樽を磨くブルーに問いかけた。
「ブルーはさぁ、冒険とかしてみたいって思うぅ?」
声がとろりと柔らかい。
ブルーはとぎまぎと答えた。
「冒険、か…」
したくないとは言わない。
ただ、どうしても脳内に弾ける光景はヒュドールと一緒に海を泳ぐ自分。冒険と言うよりもバカンスだ。
樽を磨く手に力がこもる。恥かしさを払拭するようにごしごしと動かす。
「今は、冒険よりも…ここでゆっくりしていたい、かな」
この酒場で。違う、ヒュドールの傍で。
「へぇー、そうなんだぁ」
心なしか上機嫌にヒュドールは酒樽の淵に寄り掛かる。
ブルーはそんな彼女に尋ね返した。
「ヒュドは…外の世界に出たいとは思わないの?」
酒樽の中で毎日を過ごすヒュドール。
その樽がとても窮屈な檻に見える時がある。
彼女がこの酒場で一生を過ごすのかと思うとブルーの胸に焦燥が走る時があるのだ。
もし、彼女が外の世界で生きたいと言うのならその気持ちに応えたいとも思う。
薄い笑みを浮かべて目を閉じていたヒュドールだが、やがてゆっくりと呟いた。
「ここにいればみんなに会えるし、お酒も飲めるし…不満なんてないわよん」
いつまでもこんな日々が続けば、それだけで十分。
とろんと笑うヒュドールにブルーはそうなんだ、と顔を赤らめた。
果たして「みんな」に自分は含まれているのだろうか。
ブルーは心なしかいつもより念入りに樽磨きをするのだった。
――【喪失】した過去を顧みるのではなく、今をただ楽しみたい。
そう思っていたのだけれども。
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