Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシュガルド冒険譚
穢れに捧げ、癒し歌:3

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 「アマリ様ったら、いつもいつもこうなんだ。僕の事なんだと思ってるんだか…」
 「わかる。俺もさぁ、なーんかいいように使われるというか、なんというか」
 砂浜をだらだらと歩く2人の少年。口にする愚痴に反して、その表情は明るい。
 「ただ、逆らえないだよね…」
 「そうそう!逆らう訳にもいかないからって思うんだけど、絶対これ損だよな!」
アンネリエとアマリに押し付けられた串をゴミ箱に捨て、ケーゴイナオ、そしてピクシーは何の気なしに砂浜を歩いていた。
 イナオとケーゴは年が近い。仲良くなるのに時間はかからなかった。
 ミシュガルド大陸に上陸して以来、ケーゴには同年代で同性の知り合いというものがいなかった。
ロビンやシンチー、ヒュドールは自分より年上だし、アンネリエとベルウッドは年こそ近いが男のロマンが分からない。
ブルーとは年自体は近いようなのだが、いかんせん彼が大人びているのであまり同世代とは思えない。ピクシーは論外。
どうやらそれはイナオも同じだったようで、お互いに意気投合するに至った。
 斯くして、2人は愚痴をこぼしながらだらだらと歩いているのだった。
 「ケーゴはさ、どうしてミシュガルドに来たの?」
 「俺?俺は…トレジャーハンティングをしにってところかな」
 イナオは顔を輝かせた。
 「へぇー!かっこいいなぁ!ミシュガルドに眠る財宝を探すとかそういうのでしょ!?」
 イナオの頭に浮かぶのは金銀財宝。そしてそれをスリルに満ち溢れた冒険の末に勝ち取った自分の姿。
 そんな彼の脳内を見透かしたようにケーゴは言いつくろう。
 「いやいやいや!トレジャーハンターって言ったって全然駆け出しだよ?それに大したお宝を手に入れたわけじゃないし…」
 そういえば自分もこんな風に大成功を夢見てミシュガルドにやって来たんだったなぁ、とふと思い出す。
 正直、あの頃はちょっとした危険はあっても死ぬことはないだらうと甘い考えがあった。
 なんとなく、自分なら上手くいくという謎の万能感があったように思う。
 だけど、あの森で犬野郎に追い詰められて自分は特別じゃないと思い知らされた。それが数週間前の話というのだから驚きだ。
 そう薄く懐かしむような表情を見せたケーゴの隣でイナオがそれに気づいた。
 「……そういえばケーゴ、なんだか今日は船が多くない?」
 「そうなの?」
 イナオの視線の先、確かに何隻もの船がゆっくりと移動をしている。
 だが、海初心者のケーゴにとって、船が海に浮かんでいるのは当然のことで、多いと言われても正直困る。
 当然イナオが指した船とはSHWやアルフヘイム、そして甲皇国の船団のことである。SHWは海水浴場の経営者に今回の顛末を伝えたのだが、彼らは開業したばかりの海水浴場の休業を嫌がったのだ。
 「んー…俺にはよくわからないんだけど…いつもはもっと少ないの?」
 「うん、いつもは船なんて見ないもの」
 そうなんだ、と返してケーゴはその船団を眺める。何かあったのだろうか。
 と、そこで気づいた。
 海が黒い。正確に言えば黒い部分がある。
 青い海に墨で線を描いているかの如く、その黒はまっすぐにこちらに向かってくる。
 何かの影だろうか。否、確実に海が穢れに染まっている。
 「…なぁ、イナオ。あの黒いのって何?」
 もしかしたらよくあることなのかも、と微かな希望と共に質問をする。
 しかし、ケーゴが指を指したその海の不浄にイナオも眉をひそめた。
 不快な感覚が胸の奥でざわつく。嫌な予感が警鐘を鳴らす。
 どす黒いそれの存在は既に他の客も気づいており、不安が波紋のように海辺に広がる。
 「ケーゴ、逃げよう、嫌な予感がする」
 緊迫したイナオの面持ちに異常事態を察したケーゴはしかし、躊躇いを見せる。
 「え、でもアンネリエが」
 「あの人ならアマリ様が何とかしてくれるよ!とにかく僕らだけでも――」
 刹那、海を染める一筋の線が膨れ上がり、黒い水柱が爆ぜあがった。
 穢れた水を纏って空中に現れたのは少年の人魚。
 身体の一部が腐食し崩れ落ちている。蒼白な肢体は生者のものか死者のそれか。
 人魚の周囲には黒い水が浮かぶ。その水を自在に操ることで空中での行動を可能にしているようだ。
 人魚は、悲鳴を上げて散り散りに逃げまどう客の中で硬直してしまったケーゴとイナオに気づいた。
 息も荒くその人魚が吠える。体を蝕む不浄が形を成し、槍へと姿を変え彼の右手に収まった。
 赤く発光する目をぎょろりとケーゴとイナオに向けると、その人魚は怒声とも泣き声ともつかぬ声をあげ、2人に飛び掛かった。
 「うわああああああああああああああああああああああああ!?」
 「なんだぁあああああああああああああああああああああああああっ!?」
 2人の悲鳴が重なる。
 が、寸でのところで人魚の槍を躱す。 
 槍は白い砂浜に突き刺さるとそのまま砂浜を黒く染め上げた。
 人魚の動きの要である黒い水も辺りに飛び、穢れがまき散らされる。
 「マスターケーゴ、この高性能自立性記憶装置である私がエラー音を出しながら警告するに、あの腐食性の液体の正体は未だ不明。ただし高度の魔力を感知したことから、無暗に触れることは推奨しません」
 「言われなくてもわかるだろ!あれ!」
 喚きながらもケーゴは身を翻し、短剣を抜いた。
 「くっそぉっ!!何なんだよ一体!?」
 ピクシーは空中を旋回しながらその人魚の観察を行う。
 「私が観察結果を報告するに、あれは人魚族の少年です。ただし、当然のことながらと前置きを付け加えて警告するに通常の人魚族とは全く別物です。どうやら一部機械化がされている模様。加えて通常の人魚族では有し得ない異常な魔力を全身から発しています。その発生源は98.975%の確率で黒く変色した部分であると推測」
その場の緊張感にそぐわないほどの長々とした説明にイナオの端的な言葉が重なる。
 「こいつ僕たちを狙ってるみたいだ!」
 その言葉を是とするかのように人魚は唸り、赤い眼光を2人に差し向ける。
 そして再び槍を持って突撃する。速い。
 ケーゴは躱そうとしてバランスを崩す。
 尻餅をついた彼の目と鼻の先を黒が駆けていく。
 ぞくり、と悪寒が背を滑り落ちた。
 物理的な腐食だけではない。それ以上の正体不明の恐怖がケーゴの内に宿った。
 愕然とするケーゴに人魚は狙いを定めた。
 「ケーゴ!」
 イナオの言葉ではっと我に返る。
 反射的に短剣から魔法弾を放つ。
 「…っ」
 が、どこか躊躇があった。それが魔法弾の威力を弱める。
 目の前にいるのは化け物だと、危険だと、そう本能が叫んでいるにも関わらず、どうしても、それでも人魚じゃないのかと心のどこかで声がする。
 黒い人魚はケーゴの魔法弾を槍で弾き、なおも突進する。
 「うわっ!」
 転げまわりながら人魚の攻撃を躱す。
 ケーゴはイナオの姿を探した。イナオは大丈夫だろうか。全く武器を持っていないようだったが。
 が、彼の懸念に反してイナオは気丈にも人魚と対面していた。
 ズボンに括り付けてあった護符を手に取り、ケーゴには理解できない呪文を紡いだ。
 「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン!」
 破邪の力が護符に宿る。
 その護符を勢いよく放つが、黒い水に遮られ真言は効果を失くす。
 「…っ!ならっ!」
 軽く瞠目しつつも今度は刀印を組んだ。
 魔力を独特の霊力へと変換し、退魔の力を具現化する。
 「臨める兵戦う者皆陣烈れて前に在り!!」
 その力は白銀の刃となって人魚に襲い掛かる。
 今度は黒い水ごと斬り裂いて人魚に攻撃が届いた。
 裂傷を負いながらも人魚は吠えた。
 「…すげぇ」
 目の前でこんな魔法を見るのは初めてだ。これが戦闘中でなければケーゴはイナオを褒め称えていただろう。が、今はそれどころではない。
 体勢をようやく持ち直したケーゴは剣を人魚に向けて突き出す。
 ごくりと唾を飲む。
 前の犬野郎の時と同じだ。あいつは敵なんだ。
 そう自分に言い聞かせる。
 どうしてだろう、こんな時にヒュドールの顔が脳裏に浮かぶ。
 頭を振ってケーゴは歯を食いしばる。
 宝剣の使い方を熟知しているわけではない。だが、体が覚えている。
 「…っ!」
 ケーゴを中心として一陣の風が吹いた。
 宝剣から炎が吹き上がる。
 「…ケーゴ!?」
 その魔力の大きさにイナオは一瞬動きを止める。
 ケーゴ本人からはこんな魔力を感じなかった。魔法使いであるような気配もなかった。
 あの剣だ。あの剣がそれだけの力を秘めているのだ。そうイナオは理解した。
 吹き荒れる炎の中、赤に照らされる黒曜石の瞳は純然たる煌めきを放つ。人魚の纏う水とは一線を画す黒色だ。
 「はぁああああああああああああああっ」
 気合一閃。
 声と共に振り下ろされた剣から業火が放たれる。
 人魚の槍を振り下ろす動きに合わせて黒い激流が巻き起こる。
 炎と水がぶつかり合う。
 両者の力は拮抗し、辺りに水蒸気が沸き起こる。
 ケーゴは短剣を両手で握りしめ、人魚の力に対抗する。
 と、そこでこちらに駆けてくるアンネリエの姿が目に入った。
 肝を冷やして叫ぶ。
 「…っ!アンネリエ!駄目だ!来るな!」
 気が緩んだ。
 力比べに負け、炎が弾けた。
 「うわああああああっ!」
 ケーゴが吹き飛ばされたその光景にアンネリエは息をのむ。
 駆け寄ろうとしたが共に走って来たアマリに制される。
 どうしようもなくアンネリエはケーゴの身を案じた。
 どうやら辛うじて霧散した炎に身を守られ、彼が奔流に巻き込まれることはなかったようだ。
 全身を叱咤してのろのろとケーゴは立ち上がる。
 彼と人魚の間にイナオが割って入った。
 「イナオ!」
 アマリが声をあげた。
 「アマリ様!」
 それに気づいたイナオが手を伸ばす。アマリがそれに呼応して力を開放する。
 イナオの手の内に炎が宿り、それが刀に姿を変える。刀の先には護符がくくりつけてある。
 刀を握りしめ、こうなれば百人力だとばかりにイナオは人魚を見据える。
 が、目の前の人魚はどこか今までとは違う様子だ。その姿にイナオは眉をひそめた。
 人魚はどこかおびえた様子で辺りを見回している。
 「なんだ…?」
 ケーゴも人魚の変化に気づいて胡乱気な表情を見せる。
 と、そこでアマリが2人のもとへ合流した。アンネリエもケーゴの身を案じて傍に寄るが、ケーゴは彼女を守るかのように後ろに下がらせる。
 「イナオよ、これはなんじゃ?」
 アマリの声は冷たい。
 品定めするかのように人魚を観察する。
 人魚の挙動がさらに奇妙になった。
 アマリから距離をとるように後ずさりをする。
 「…わかりません。ただ、なんだか様子がおかしいんです。さっきよりもなんだか怖がってるみたいな」
 「…怖がっている?」
 アマリと人魚の視線が合う。
 人魚は唸り、さらに後ずさった。
 そして。
 「むっ」
 「えっ?」
 「なんで…?」
 人魚は黒い水を伴って海へと飛び込んだ。
 逃げたということだろうか。
 残されたのは黒く染まった砂浜と海水、そしてケーゴの魔法と人魚の水がぶつかった跡。
 「……なんだったんじゃ」
 「わからないです…」
 呆然とそう言い合うアマリとイナオ。
 つい先ほどまであれだけこちらに敵対心を持っていたというのに、一体何が起きたというのだろう。
 考えても答えは出ない。
 と、イナオははっと思い出したかのようにケーゴへと駆け寄った。
 「ケーゴ、大丈夫!?」
 ケーゴはのろのろと頷いた。
 「…なんとか。……アンネリエ、どうしてこっちに来たんだよ」
 言葉に多少の怒気がこもる。
 アンネリエに悪気がないのは知っているはずなのに。
 ただ、ケーゴは彼女に危険な場所に来てほしくなかったのだ。
 ただそれだけなのだけれど。
 アンネリエのことを案じる訳でもなく、ただ感情任せに言葉を吐いてしまった。
 それが自分の弱さへの苛立ちの裏返しであると、今のケーゴには理解できない。
 アンネリエは常のごとく黒板に文字を書いてケーゴに気持ちを伝えようとした。
 しかし、焦っているからか、上手く言葉が出てこない。
 白墨を持ったまま固まってしまったアンネリエの頭に手を置いてアマリがケーゴに説明した。
 「この子はお主が心配だったんじゃよ。そこまで怒ることはないのではないか?」
 「…別に、怒ってはないですけど」
 つんと澄ました表情でそう言われてケーゴもばつが悪そうに口ごもる。
 何を言えばいいかわからず、ケーゴは黙り込んだ。
 気まずくなってしまったその場を取り繕うかのようにイナオが口を開いた。
 「そ、そういえばケーゴ。その剣すごいね。ものすごい力が込められてるみたい」
 「あぁ、そういえばそうじゃの」
 「えっ、そんなにすごいの?」
 魔法が使えるすごい剣、程度の認識しかなかったケーゴとしては、先ほどイナオが使った術の方がすごいと感じるのだが、そうでもないようだ。
 アマリが挑発的に首を横に振った。
 「こやつの術などまだまだ未熟じゃ。せめて最初の術であの程度の魔物は除けられねばの」
 「…って、アマリ様!まさか僕たちを遠くから観戦してたんですか!?」
 「馬鹿なことを言うでない。妾がこちらに急ぎ駆けつけている時にお前の術を感知したまでじゃ。お主に教えた術はエルフたちの魔法とは異なる力ゆえにわかりやすい」
 「…そうですか」
 内心納得のいっていない様子のイナオを無視して、アマリはケーゴに先ほどイナオが使った刀を見せた。
 「この太刀は妾の力を宿しても大丈夫なようにこの護符で強化をしてある。これがなければ妾の力を込めた瞬間にこの程度の武器は使い物にならなくなるじゃろうな。そもそも護符で保護をしたとしても妾の力の全てを引き出せるようになるわけではない。…が、ケーゴよ、お主の得物なら妾の力を存分に発揮できるぞ」
 「…そうなんですか?」
 まさかそんなにすごい剣だったとは。
 しげしげと短剣を見つめる。そしてふと思ったことを口にしてみた。
 「…じゃあもしかして、今以上に強い魔法も使えるようになるってこと?」
 「それにはお主自身の鍛錬が必要になるじゃろうな。せめてお主自身が剣なしで魔法が使えるようにならねば」
 「なるほど、俺が魔法を…うぇえっ!?それは無理じゃ!?」
 素っ頓狂な声を出すケーゴにアマリはにやりと笑ってみせた。
 「先ほどの戦いを見る限り、おそらく魔剣に宿る魔力の扱いはできておるからの、後は魔力を自身の身体に取り込んで操作することができればいい」
 「そうなんすか?」
 「本来の魔法補助具はそれを行うためのものなんじゃがの。この短剣は剣そのものが魔力を有しているから、お主は己の内に魔力を取り込むことも、魔力を変換することもなく、ただ剣に己の意思を伝えればよい。いうなれば今のお主は誰かにおぶってもらって指図をしている状態。が、もしお主が1人で歩くことができれば、つまり、お主自身が魔力の扱いを会得し、短剣の魔力と一体になることができれば、普通の人間…いや、エルフ以上の魔法が使えることになるかもしれぬぞ。なにしろ、この剣に宿る魔力は妾が認めるほどのものなのだから」
 「へぇ…」
 痛みを忘れてケーゴは短剣を握りしめた。
 さっきの戦いでもしイナオがいなかったら。もしアマリが来てくれなかったら。もし、アンネリエが狙われていたら。
 ちらと隣を見る。
 アンネリエはすっかりしょげかえってケーゴと顔を合わせようとしない。
 今更のようにずきんと心が痛んだ。
 「…ごめん、ちょっと言い過ぎた。…だけど、アンネリエ、もし俺が危ない目に遭ってても、そのまま逃げてくれよ。俺、心配かけ通しだけど、アンネリエまでも危ない目に遭うのは嫌なんだ」
 アンネリエは首を縦に振ることも横に振ることもなく、ただ黙ったまま目を閉じた。


     


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 「アルペジオ、この張り紙をそこに貼ってくれる?ロビンさんは机を運んで、そこの通路をもう少し広くしてくれますか。シンチーさんはとりあえず物騒なのでその剣どこかに置いてください」
 てきぱきとした指示の下、あたふたと動く。
 ロビンは苦笑いしながら机を持ち上げた。
 「それにしても、なんで握手会なんて思いつくかね」
 「うちの売り上げが落ちてきているんですよ、ここで何かどかんと催しを行って売り上げ回復を狙おうかと」
 回復するほどもとから売り上げはなかった気もするが、ロビンは何も言わずに机を運んだ。
 頑なに剣を放そうとしないシンチーを何とか説得しようとしているローロに目をやる。
 学校建設の話を進めていなかった自分にも非はあるのだから、と引き受けた訳だが何してるんだ自分、という気持ちがない訳ではない。
 握手。どこか抵抗を感じる。
 「握手会の間アルペジオさんは隠れているんですよね?」
 「えぇ、裏方に徹してもらいます。普段から裏の事務所で働いてもらっているんですけどね」
 さすがに顔が知られるのはまずいだろうからという配慮だろう。
 が、そうしていつまで隠し通せるだろうか。
 いつか彼女は堂々と交易所を歩き回ることができるようになるのだろうか。
 ロビンの懸念に気づかないようにアルペジオは店内を歩き回っている。
 「ロビンさん!机を運び終わったら早くそこの箱をどかしてください!」
 ローロの言葉がロビンを思案から引き戻す。
 「あぁ、ごめんごめん」
 慌てて作業に戻る主の背中を眺めてシンチーはため息をついた。
 「…大体、いきなり呼び出して明日開催は」
 「こういうことは早い方がいいでしょう」
 「もっと綿密な計画が」
 言葉を最後まで言わないシンチーの癖をいかんなく発揮して不満がこぼされる。
 要するに彼女は、唐突に呼び出したあげく主役に手伝いをさせてまで明日握手会を開催するのではなく、事前に打ち合わせをして準備を整えたうえで実行に移せと文句を言っているのだ。
 「まぁまぁ…シンチー。たまには平和にいこうよ。こっちとしても本が売れる可能性があるしさ」
 ロビンになだめられ、シンチーは大仰にため息をついた。
 ローロは店内を見回し、よし、と声を発した。
 「後はこの告知をいろんな場所に貼って回るだけですね」
 「そこまでするんですか」
 「ええ、しますよ。手伝ってくださいね」
 シンチーの不満を軽く受け流し、ローロはアルペジオを見やった。
 「アルペジオはどうする?私たちはこれから交易所を回るんだけど、ここで待ってる?」
 「…そうですね。ここで皆さんを待ってます」
 「うん、わかった。じゃあ早めに帰ってくるからね」
 言うが早いかローロはロビンとシンチーを外に急かす。
 店の看板を「close」に変え、足早に歩きだす。
 「まずは酒場に行きましょう。あそこならいつもたくさんの人がいますから」
 「酔っぱらいが告知なんて」
 「いいから手伝ってください!」
 絶妙にそりが合わないシンチーとローロの背中を眺めつつ、ロビンはため息をついた。


 彼らがアレク書店を発った数刻後、2人の人物が店頭に貼られた握手会の告知文に気づいて立ち止まった。
 「まぁ、ロビン・クルーの握手会ですって!」
 「ロビン・クルー・・・?」
 聞き覚えのない名前だ。
 ラナタは顔を輝かせるメルタに疑問の表情を見せた。
 メルタは信じられないというようにラナタに返す。
 「ロビン・クルーを知らないの!?有名な冒険作家ですわ!私、甲皇国の外に出たことって今までありませんでしたの。彼の冒険小説を読んで私は見知らぬ世界に思いを馳せたものですわ」
 「はぁ・・・」
 戦い一筋で生きてきたラナタには全く縁のない憧れだ。
 しかし、メルタの声の弾み様は本物で、きっと相当面白い本なのだろうと想像に難くない。
 一度こういう娯楽に触れてみるのも悪くないかもしれないな、と一人ごち、ラナタはアレク書店に背を向けた。
 「いずれにせよ、今店は閉まっているようです。先を急ぎましょう」
 「えぇ…そうですわね」
 後ろ髪をひかれている表情のメルタに対してラナタは苦笑した。
 「握手会は明日なのですから、もし時間があれば来ましょうか」
 「本当ですの!?」
 喜ぶメルタがどうしてだろう、ラナタの目にはアルペジオと重なって見える。
 それはきっと、アルペジオが自分に見せた笑顔が忘れられないからなのだろうと彼女は思い、目を伏せた。
 


 「…という訳で、ここにも告知を貼らせてほしいのですが」
 ローロの申し出にミーリスは快活に笑って返した。
 「もちろんいいさ。沢山お客さんが来るといいね!」
 「はい!ありがとうございます!」
 ほっとした顔で頷いたローロから張り紙を受け取るとロビンは手ごろな場所にそれを貼りに行く。もちろん後にはシンチーが続く。
 「これでこの前戦った皇国の軍人たちがやってきたりしてね」
 苦笑気味にロビンは呟く。
 シンチーは無言をもって返した。
 と、そこにブルーがデッキブラシを持って近づいてきた。
 ロビンとシンチーは何かとこの酒場で油を売ることが多いため、当然ブルーとも面識はある。
 相変わらずヒュドールの樽の掃除に精を出しているらしいブルーにロビンは笑いかけた。
 「やぁ、ブルー君。ヒュドールに水着を贈ったんだって?」
 予想だにしない問いかけにブルーはブラシを落としかける。
 青みがかった彼の顔は赤面したために少し紫色に傾く。
 「ロ、ロビンさんにそんなこと言われるとは思わなかったなぁ」
 「そうかい?いいじゃないか。ヒュドールも喜んでたし」
 ブルーの顔が一転、輝いた。
 「そうなんですか!?よかったぁ…。ヒュド、僕にはあまりそういう感想言ってくれなくて」
 忙しい表情だなぁ、とロビンは内心ブルーに突っ込みながらヒュドールが入っている酒樽に目をやる。どうやら彼女は今眠っているようだ。
 どこか焦っているような寝顔に見える。どんな夢を見ていることやら。
 のんきに考えつつロビンはブルーに笑いかけた。
 「きっと照れ隠しだよ」
 「だったらいいんですけど。…その紙は?」
 「あぁ、明日アレク書店で俺の握手会があるんだよ。ブルー君も来るかい?」
 貼り付けをしているのはシンチーだ。ブルーとの会話に夢中になる主を目で責めているのだが、ロビンはそれに気づかないふりをしてブルーを誘う。
 だが、ブルーは申し訳なさそうにその申し出を断った。
 「あ、すみません…明日はヒュドと海に出かけるんです」
 「ほぉ」
 件の人魚とデートと洒落込むか。奥手なようでやるではないか、とロビンは言外にブルーをからかった。
 そういえば海水浴場ができたんだったな、と会話を聞きながらシンチーは思う。
 それにしても、半魚人と人魚が海に遊びに行くというのはどこか逆な気がする。もちろん口には出さないが。
 2人の視線に慌ててブルーは取り繕った。
 「い、いやいやいや!違うんですよ!?そ、そんな深い意味はなくて!せっかく水着を着てるんだから久々に海で泳いでみたいってヒュドが!だからちょっと遊びに行こうって」
 世間ではそれをデートと呼ぶ。
 ロビンはそこには言及せずに笑った。
 「ま、楽しんできなよ」
 「はい」
 気持ちを隠しきれずにブルーは柔らかく笑った。


     


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 「小隊長殿、いいのですか?勝手に駐屯所を抜け出したりして」
 例によって甕を背負ったビャクグンが困り果てた様子でそう尋ねるのだが、ウルフバードは我関せずという体で森を進む。
 先日の騒動が原因で自室謹慎を命じられた身である。本来なら無断で出歩こうものなら更なる処罰が下されるのであるが。
 ウルフバードはビャクグンを顧みた。
 「老いぼれ爺は部下を連れて今頃海の上だ。誰が俺を咎める?」
 「まだヤーヒム副指令やスズカ参謀幕僚殿が残っているでしょうに」
 ウルフバードはせせら笑った。
 「奴らは口うるさく言及なんぞしない。老いぼれに報告したところで面倒なことになるのは自分だとわかってるしな」
 「成程」
 ビャクグンの脳裏に口うるさく言及をする人物の姿が浮かぶ。
 「ゲル大佐が将軍と同行していたのが幸運でした」
 「幸運なんかじゃねぇ。奴が爺に引っ付いていくのは必然だ。あの野郎は自分を爺の右腕だと信じきってるからな」
 辛辣な言いぶりにビャクグンは苦笑した。
 「それでも、将軍は大佐を傍に置いているのですから、信頼しているのでしょう?」
 「忠犬と鋏は使いようってな。丙家の人間なんて部下を駒としか見てねぇ様な奴らばかりさ」
 道なき道を乱暴に進むウルフバードの背後でビャクグンの表情がすっと元に戻った。
 「では小隊長殿は私も便利な駒だと?」
 「……さぁな」
 一瞬の間。
 ビャクグンはその沈黙を信じ、ウルフバードの後を追った。
 
 甲皇国の調査団も未だ脚を踏み入れたことのない森の奥。
 濃い緑が視界を覆い、心細さがいや増す。
 辺りを見回しても取り立てて目立つ物はない。虫や獣の鳴き声が耳障りなだけだ。
 ウルフバードは懐からアルキオナの宝玉を取り出した。
 ミシュガルドの玉座への鍵たる宝玉は変わらず輝きを放っているが、何か変化があるわけではない。
 「アルドバランは一体どこにあるのかね…」
 不服そうにこぼすウルフバードにビャクグンは言葉を添える。
 「そう簡単に見つかることはありますまい。なにせこの大陸を掌握するかもしれない力ですから」
 無言でうなずいて返す。
 そもそもアルドバランとは何か。それさえもウルフバード達には見当がつかない。
 広大な大陸の中で正体不明の物を探しているのだ。雲を掴むような話といっても過言ではない。
 と、そこでビャクグンが思い出したように口を開いた。
 「小隊長殿、交易所には調査報告所があります。そこに何か手がかりがあるかもしれませんよ」
 「あぁ、乙家の奴らがしきってるって所か」
 確かに報告所に行けば怪しげな遺跡や宝物が持ち込まれているかもしれない。
 そう思案したウルフバードはしかし、同時に浮かんだ疑問をビャクグンにぶつけた。
 「…お前、交易所に行ったことあったのか?」
 「……少し前、休暇をいただいたので」
 「…お前、ものすごく目が泳いでるぞ」
 「恐れながら、小隊長殿の気のせいではないかと」
 そう冷や汗をかくビャクグンの頭にウルフバードとは別の声が響く。
 (うわわっ!ごめんビャクグン!そういえばビャクグンは駐屯所から出てなかったんだ!失念してたわぁ)
(いや、正直にハナバの言うことを口にしてしまったのも悪いよ)
 2人の会話は他者には決して聞こえない。
 ウルフバードは胡乱気に目を細めていたが、気にしないことにしたのか再び歩み始めた。
 「…兎に角、報告所というのはいい考えだな。…だが、俺が直接出向くと怪しまれそうだな」
 どうやら次の懸案事項に移ったらしい。
 ほっと一息ついてビャクグンは彼の後に続いた。


――――

「やっちゃったよぉ~…」
 交易所に建つ調査報告所の一室でビャクグンにハナバと呼ばれた少女は頭を抱えた。
 アルドバランとやらの手がかりをビャクグンが探しているようだったから、軽い助言のつもりだったのだが完全に裏目に出た。
 「自分ももうちょっと慎重にならないといけないなー」
 顔を歪めたままため息をつく。これでビャクグンが警戒されて任務を完遂できなくなったら自分のせいだろうか。
 「丙家監視部隊なのに丙家に監視されるようになったりして…」
 笑えない冗談だ、とハナバと呼ばれたその少女は一人ごちた。
 山吹色の髪は短めに整えられ、服は動きやすさを重視した市井の人のそれだ。
 いつもは不敵な笑みを浮かべるその顔が今は焦りに染まっている。
 若い少女の見た目だが、彼女は丙家監視部隊の伝令役としてミシュガルドに上陸したれっきとした妖である。
 普段は交易所で待機し、伝心の力を用いて監視部隊と乙家、アルフヘイム間の伝令役となっているのだ。
 そして隠れ蓑として、乙家の主導で運営を行う調査報告所が利用されている。
 その関係上、報告所にはアルフヘイムと乙家の関係を少なからず知る者が常駐しているのだが、ハナバに呆れた目を向ける女性のエルフもその一人の様だ。
 「何悶えてるのよ、ハナバ」
 女性の問いにハナバはがばりと頭を振り上げた。
 「フロストさぁん!」
 そのまま勢いに任せてフロストと呼んだ女性の胸に飛び込もうとしたハナバはしかし、氷の障壁によってそれを阻まれた。
 「あんたは何がしたいのッ!」
 壁を作り出したらしいフロストは素っ頓狂な声でハナバを叱る。
 緑色を基調とした装飾に満ちた繊細な服に身を包んでいる。髪は露草色で胸元には雪の結晶を思わせるタリスマンが光る。
優しげな顔つきに反して声を荒げるフロストに対してハナバは脅えた風でもなく言い切った。
 「ちょっとまずったからフロストさんに慰めてもらおうと思って」
 「その歪んだ欲情ごと凍りつかせるわよッ!」
 思い切り怒鳴ったところでフロストは表情を一転引き締めた。
 「…ビャクグンさんに何か起きたの?」
 「……いや、なんとか今はなってる。大丈夫。…ただ、ビャクグンたちがこっちに来るかもしれない」
 フロストの目が軽く開かれた。
 「まさか、丙家はアルフヘイムに攻め入るだけじゃなくて、この交易所も手中に収めようとしてる訳ッ!?」
 慌ててハナバは首を横に振った。
 「いや、それとは別にウルフバード・フォビアは目的があるみたい。ビャクグンはこのミシュガルドを支配する力だって言ってたけど…」
 「ミシュガルドを支配する力?何それ」
 「わからない。とにかく、明日あたりには交易所に到着するんじゃないかな」
 思案気に呟きながらハナバは俯いた。
 甲皇国の強引な領海侵入に引き続き、何やら怪しげな思惑が蠢いている。
 妖といえども全能ではない。未来は見えず、不安は募る。
 「…」
 少しだけ。少しだけハナバの顔が歪んだ。
 心に不安の影が差した時、いつも脳裏によぎるのはあの禁断魔法。
 あの魔法が遺した穢れのように、不安が心を黒に染めていくようだ。
 フロストはそれに気づかない。
 不服そうに腕組みをしながら言い放ってみせる。
 「ウルフバード・フォビア…残虐な水魔法を使う悪魔のような男…。同じ魔法の使い手として許せないわね。私が直々に鉄槌を下してやるわ…」
 曖昧に返事をしながらハナバは窓の外に目を向けた。
 大通りを行きかう入植者。エルフもいれば獣人もいる。当然人間もいる。
 種族を越えて手を取り合い、この交易所は発展してきた。
 では、世界は平和だろうか。
 何の気なしにそう思う。
 いけない、こんな柄にもないこと考えるな自分。
 ハナバは必死に頭を振った。
 不安だと思うから変なことを考えてしまうのだ、と無理やり笑顔を作ってみる。
 明日はビャクグンが来るかもしれない。だのにこんな顔をしていたら余計な心配をかけてしまう。


 それだけは、嫌なのだ。


――――


 夜間、交易所は灯に包まれる。
 外壁はもちろん、街の至る所で松明がたかれ、店という店から笑い声が漏れる。
 夜の黒色は暖かな橙色で上書きされるのだ。
 大陸の原生生物から交易所を守るという目的もあるのだろう。
 しかし、それ以外にもきっと理由があるのだろう、とケーゴは最近考えている。
 黒は、冷たい色だ。
 ミシュガルド大陸に1人で来て、初めてそう感じた。
 それはまるで明日を隠しているようで。
 それはまるで自分を孤立させているようで。
 何もかも覆ってしまうような、その色に包まれてきっとみんな寂しいんだろう。
 だからそれをごまかそうと灯をたくし、酒場にも集まってくるんだ。
 背中越しに感じる温かさに、そんな予想を組み立ててみる。
 そうしてふと顔をあげる。酒場の玄関口で、頬を夜風が慰めるように撫でた。
 気配を感じて目をやると、入り口からアンネリエが姿を見せていた。
 おずおずと、ケーゴの様子を窺っている。
 彼が拒絶の意思を見せていないとわかるとアンネリエはそろそろと歩を進めた。
 そのまま彼女はケーゴの隣に落ち着く。
 と、そこでケーゴは困り果てた。
 何を言えばいいかわからない。何を言うべきかわからない。
 できるだけ右を見ないようにして、ケーゴは向かいの店の明かりを見つめ続けた。
 しかし次第に視線は下がっていき、やがて俯き彼の顔には影が差す。
 逃げ出すわけにはいかず、されどアンネリエから声がかけられるはずがなく、気まずさを十分堪能した後にケーゴはようやく顔を彼女の方へ向けた。
 いつも通りのすまし顔のはずなのに、そこにはどこか影があるようで。そこにはどこか寂しさがあるようで。
 ケーゴが喉から言葉を無理やりしぼりだそうとした時だ。
 「お2人さーん、なぁに話してるのん?」
 その場の雰囲気を崩すような間の抜けた声が2人の間に割って入った。
 文句を言いたい反面、ほっとした表情も垣間見せつつケーゴは声の主に返事をした。
 「ヒュドール…それにブルーも一緒か」
 ブルーがヒュドールの入った酒樽を手押し車にのせてきたようだ。
 彼はおずおずと頭を下げた。
 「ごめんね、邪魔しちゃったかな」
 「いや…そんなことはないよ」
 ケーゴの言葉とは裏腹にアンネリエはついと店の中に歩いて行ってしまった。
 追いかけたいと思いつつも脚は重い。
 逡巡を見せたケーゴに対してヒュドールはふらりと笑いかける。
 「どうしたのん?もしかして喧嘩でもした?」
 「喧嘩って訳じゃないんだけど…」
 悩みつつもむすりと意固地にも見えるその表情が可愛くてヒュドールはふわりと笑いかけた。
 「仕方ないわねぇ。ここはおねぇさんが歌を歌って癒してあげるわん」
 言うが早いかヒュドールは歌いだす。
 酔っているせいなのか元からなのか、お世辞にも上手いとは言えないその歌声にケーゴは何を言えばいいか悩む。
 それが表情に出たのか、ヒュドールは歌うのを中断して口をとがらせた。
 「なによぅ、何が不満なのよぅ」
 「いやぁ、何と言われても」
 苦笑いとも困惑ともつかない表情でケーゴはブルーの方を見る。
 ブルーもヒュドールのことを悪くいう訳にもいかず、目をそらした。
 その反応が不服らしく、ヒュドールは頬を膨らませてみせた。
 「2人とも聞く耳がないのねぇ。昔はこうやって子守唄を歌ってあげたものよん」
 「いや、誰に?」
 「…誰だったかしらぁ」
 なんだそりゃ、と拍子抜けするケーゴにヒュドールは気を取り直して尋ねた。
 「…で、結局何があったのん?」
 「…それが分かれば苦労しないんだけどさ」
 渋面のままケーゴはブルーに尋ねた。
 「……例えばブルーが誰かと戦ってる時にヒュドールがやってきたらどうする?」
 唐突過ぎてブルーは面食らったようだ。
 「え?僕が?そりゃあ…え?ヒュドが敵って訳じゃないんだよね?…それなら、ヒュドを、えー、守りたいとは思うけど」
 本人が目の前にいるからか歯切れが悪い。
 どうやらそれなりに酷な質問だったようだ、とケーゴは苦笑いしながら頷いた。
 「じゃあさ、もし敵がどうしようもなく強かったら?例えば…んー…しゃべりながら放電する犬とかが襲い掛かってきたとか」
 ヒュドールは興味深そうに2人の会話を聞いている。
 居心地の悪さを感じつつもブルーは答えた。
 「そしたら…一緒に逃げるとか?」
 「…まぁ、そうなるか」
 釈然としないケーゴの表情を見てヒュドールはゆらりと尋ねた。
 「ケーゴ君、何を言ってほしいの?さすがのブルーも困ってるわよん?」
 「言ってほしい…?」
 「自分を正当化する言葉を待ってるんでしょぉ?でも、そんな回りくどいことするよりも自分の気持ちをぶつけた方が早いわよん」
 核心をつかれたかのように目を開いた。
 確かに、ブルーに自分と同じ意見を望んだところでどうにもならない。
 深呼吸2回分程の時間をかけて、ようやくケーゴは思いを吐き出した。
 「…強くなりたいって、そう思った」
 「…どうして?」
 「……守りたいんだ。どうしてだかわからないけど、どうしても、どうしようもなく、大切なんだ」
 誰を、とは言わなかったが想像に難くない。
 ヒュドールはケーゴに寄り添おうとしては難しい顔で反対方向に体を動かす少女の顔を思い浮かべながら頷いた。
 「…守るって、とっても難しいことよん」
 わかってる、という風にケーゴは腰の短剣に目をやった。
 魔力の込められた不思議な宝剣だ。
 アマリ曰く、この剣だけではなくケーゴ自身の力で戦うことが出来なければならないという。
 確かに剣に頼りっぱなしでは危うい。それはこの剣を盗られた時によくわかった。
 まだまだ自分は弱いのだ、と再確認したケーゴに対してしかし、ヒュドールは首を横に振る。
 「そういう話じゃないわ~」
 怪訝な顔を見せるケーゴにヒュドールは柔らかく語りかける。
 「大切な人を守るのに必要なのは力だけじゃないんじゃない?ケーゴ君の守りたいって本当にそういうことなのぉ?」
 「それって…」
 どういうことだ、と尋ねようとしたケーゴをヒュドールは笑顔で制した。
 「ケーゴ君の守りたいってそれ以上の気持ちがあるべきだと私は思うわん。そうじゃなきゃ、アンネリエちゃんだってあんな顔しないもの。…でも答えは自分で出さないとだーめ。私が言った言葉もケーゴ君の答えにはならないしねぇ」
 年の少し離れた少年にヒュドールは優しく微笑む。まるでそれが当然であったかのように。
 しかしケーゴの混乱は増すばかりだ。
 否、言いたいことは分かる。おぼろげながらも見えようとしている。
 だが、はっきりと言葉にすることができない。
 昔は見えていた筈なのに。昔はその答えをすぐに言えたはずなのに。
 どうしてだろう、アンネリエと一緒にいればいるほどわからなくなっている気がする。
 泣きそうな気持でケーゴはのろのろと目の前の人魚に尋ねた。
 「…ヒュドールは、誰かを守りたいって、思う?」
 自分の声は思った以上に弱弱しく、奇妙に響いて夜の闇に溶けた。
 赤みがかった頬をした人魚はゆっくりと目を閉じた。
 そして祈るように、願うように、呟いた。
 「……手を握り返したいと思うことはある…かな」
 「……手を…?」
 酒樽にもたれかかるようにしてヒュドールは気持ちをこぼした。
 「誰だかわからないけど、どうしてなのかわからないけど、それでもたまに思う時があるのよん。手を伸ばさなきゃって」
 夢を見る。
 酒樽の中で酔いどれながら溺れ沈む夢だ。それでも、その夢の中でヒュドールは何度も手を伸ばし、それでも小さなあの手を掴むことができず、そうして意識は後悔に浮上する。
 ただの夢。
 とりたてて騒ぐことのないような些細な夢。
 ヒュドールにはその相手が誰なのかわからない。否、思い出せない。
 それでも、予感のような夢の中でヒュドールは何度でも思うのだ。


 今度こそ、差し出されたその手を握り返してみせると。


     


――――


 その一報がヤーの耳に入ったのはもう夜も更けようとしたころ。
 眠りに就こうとした頭をたたき起こして彼は通信魔法陣の向こう側にいる女性に尋ね返した。
 「ホロヴィズ将軍の船団が黒い海に接近しているというのは本当なのですか」
 彼女は重々しく頷いた。
 「本当です。先ほど第一艦隊から通信が入り、皇国の先遣部隊に続かずホロヴィズ将軍が指揮すると思われる船団は東へ進行。このままでは黒い海海域に突入してしまいます」
 「そこまでして…?」
 強引に黒い海を突破してでもアルフヘイム領に近づきたいということなのだろうか。
 思案を巡らせるヤーの前にもう一つの魔法陣が展開された。
 「ヤー・ウィリー殿、これはどういうことか。丙家の輩が黒い海を横断するつもりのようだと騎竜隊から連絡があったぞ」
 言葉には怒気がこもっている。
 ヤーはとりなすように口を開いた。
 「安心してください、黒い海の突破は一筋縄ではいきません。それにいざともなれば陣形を変更して彼らに対抗することも可能です」
 甲皇国の最新鋭の蒸気船のことを知らないヤーではない。
 むしろ、SHWという国家の特性上そのような技術に関してはともすればこちらの方が上だ。
 戦禍を逃れた商人が種族の枠を超えて立ち上げた商人国家。それ故に各国の技術や知識が分け隔てなく集まってくる。
 それは停戦協定が結ばれて数年経過した今でも同じことで、疲弊した大国から逃れてくる技術者は多くいるのだ。
 故にある程度大国の手札は分かっているつもりだ。
 そして、現在の技術ではあの甲皇国であっても黒い海を容易に航行できるほどの船は作りだせない。
 「ホロヴィズ将軍といえどもそれくらいは分かっているはずだ…」
 ならば何故、と疑問が一周した。
 確かに皇国が黒い海を突破しようとした時のことも計画の内に入れていた。
 しかし、本当にそんなルートを選択されるとは思っていなかったのだ。なによりうまみがない。
 「先遣隊に続いて公海側から回り込むルートを選んでいれば少なくともマイナスにはならなかったはずなのに…」
 と、そこでヤーはSHWの船員に尋ねた。
 「皇国の先遣隊はどうしている?」
 「公海上で停止しています。どうやらこちらの動きを警戒してこちらの領海にも入ってこないようです」
 「あちらはなかなか慎重なようだね…。……挟撃…いや、囮か?だとすればどちらが…」
 「少なくともホロヴィズ将軍は自ら囮を買って出るようなお人ではありませんわ」
 新しい声だ。ヤーはアルフヘイム側の魔法陣に目をやった。
 魔法陣を介して出現している像がダートから女性の者へと変わっている。
 「…あなたは確か、乙家の」
 「あら、あの時の式典で少し挨拶しただけでしたのに覚えていてくださったの?嬉しいですわ」
 ジュリアはそう言って微笑む。
 なるほど、現在アルフヘイム側には乙家がついてるのか。
 ヤーは内心にそれをとどめつつジュリアに尋ねた。
 「ではあくまで皇国の中心はホロヴィズ将軍の艦隊で間違いないと?」
 「あるいは、我々にそう思わせるための行動…それにしては危険すぎますわね」
 「…ホロヴィズ将軍がその艦隊にいることは間違いないわけですね?」
 「……信頼できる情報筋からですわ」
 ジュリアは言葉を濁した。丙家監視部隊の事は安易に漏らすべきではない。
 ただし、ジュリアたちにもたらされた情報はホロヴィズが戦艦に乗り込んだ、という所までだ。
 ビャクグンはホロヴィズと同行することができなかったため、本隊の内情までは知ることができない。
 しかし、もう一人の監視部隊の者が報告したところによれば、その後ホロヴィズが戻ってきた様子は見られないということだから、その点は安心していいのだろう。
 と、そこまで考えたジュリアはあることに気づき、通信魔法を終わらせるように近くのエルフに目で訴えた。
 ヤーも魔法陣越しにジュリアの顔色が変化したことを認めた。が、それ以上は追及しない。
 「申し訳ありませんが、こちらも懸案事項ができたようですので、一度席を外させていただきますわね」
 「ええ、分かりました。また状況が変わり次第お知らせします」
 「こちらも協力は惜しみませんわ。では」
 
 ヤーの像が消え通信魔法陣が消失したことを認めると、ジュリアはダートとニフィルの方をやおら振り向き、詰問に近い語調で迫った。
 「丙家監視部隊伝令役ハナバの報告を受けたのはダートさんでしたわね?」
 彼女の様子にダートはたじろぎつつもそうじゃ、と首を縦に振った。
 「どのみち報告を受けるべき人間はこの艦にそろっているのでな、儂が代表して報告を受けた。その内容は乙家のそなたらにも、もちろんニフィルにも伝えたはずじゃが?」
 「えぇ、それは覚えています。ただ、一つ確認したいことがあるのです」
 「なんじゃそれは」
 尋ね返したダートに対してジュリアは固い表情で答えた。
 「…ホロヴィズ将軍本人であることの証明、ですわ」
 一瞬その場の全員が虚を突かれたかのような顔をした。
 始めに反応を見せたのはオツベルグだ。
 「…成程、記号論のような話ですねジュリアさん」
 合点がいかない様子でダートが乙家の2人を見る。
 「証明も何も、あの男を見紛うはずもなかろうて。人違いを起こすような外見ではないではないか」
 ニフィルが首を横に振りダートを制した。
 「違いますダート様。彼らの話はその前提を問題にしているのです」
 「…どういうことじゃ」
 訝しがるダートに対してジュリアは胸元の髑髏を基調とした飾りを指さした。
 「私もオツベルグも皇国の貴族階級の人間ですから、一般の兵とは違う衣装に身を包んでいます。私たちの顔を知らないものでも、この服を見れば確実に私たちが特別な存在であると知ることができますわ。いうなれば、この服が私たちを貴族であると規定しているといってもいい」
 ようやく察したダートの心臓が跳ねた。
 「…ならば、まさか…!」
 ジュリアは頷いた。
 「見た目だけなんですわ。見た目だけで私たちは相手を判断してしまう。ホロヴィズ将軍は黒いローブで全身を覆い、仮面で顔を隠しています。私たちはそれを見てあの方がホロヴィズ将軍であると判断していますわ。…それが裏目に出た場合は、もし、何者かがホロヴィズの記号を纏っていた場合は…」
 そもそも、ダートの言うように男であるかどうかすら断言はしかねるのだ。
 ホロヴィズ将軍という者がいったい何者であるのか、それを知る者は甲皇国でも一握り。
 渋面をつくったニフィルはその場に通信魔法陣を出現させた。
 魔法陣からハナバの顔が浮かび上がった。妖たるハナバは十分な食事を摂取していれば睡眠を必要としないのだ。
 「ニフィルさん?どうしたんです?こんな夜中に。もしかして自分の顔でも見たくなりました?」
 冗談めかして尋ねたハナバであったがニフィルの表情の硬さからただ事ではないのだと顔を引き締めた。
 ニフィルは淡々と今その場で出た推論をハナバに伝えた。
 さしものハナバも色を失う。
 「…じゃあ、今艦に乗り込んでるのは偽物かもしれないってことです?」
 「その可能性もある、ということです。至急伝心で皇国待機班にも連絡を。小妖怪たちにも協力をしてもらって今現在ホロヴィズという者がどこにいるのか、確認をする必要があります」
 「了解!すぐに伝えます!」
 いうが早いか通信魔法は切れた。
 ニフィルは深く息を漏らした。
 「…いずれにせよ、全て憶測にすぎません。囮にしろそうでないにしろ黒い海に向かっている艦隊の動向に注意する必要がありますね」
 「当然ですわ」
 ジュリアは頷きつつ窓から船外を眺めた。
 空には星が光り、アルフヘイム船団のともす明かりが夜の海を照らしている。
 遠くには大交易所の賑わいが見える。闇に包まれたミシュガルド大陸の中で唯一の明かりの群れだ。
 そうして闇夜で光が微かに灯る中、黒い海だけは依然として異質な黒さを主張していた。

――――


 「それにしても、アルフヘイムは甲皇国に内通者を送り込んでいるという話だったけど、まさか乙家ごとそれに絡んでいたとは驚いたよ」
 大して驚いた様子ではないヤーはそのまま続けた。
 「で、ソウさん?うちの内通者の方はどうなんだい?アルフヘイムと甲皇国、どちらの艦にも乗り込んでいるはずだけど」
 ソウと呼ばれた女性がそれに応える。
 「ダート・スタンはアルフヘイム領海の内奥から全体の指揮をしているようです。現在騎竜隊約10小隊が合流、どうやら海中にも魚人部隊を潜ませているようです。その数およそ15小隊」
 魚人部隊は未だ聞かされていない情報だ。ヤーは思案気に手を重ねた。
 「ふぅん…。魚人といえばエルフとはあまりうまくいってないはずだけど、だからその点は言わなかったのかな?もしくは独自に魚人族が集まっているのか…」
 終戦時の禁断魔法によってもっとも犠牲を被ったのは水棲の亜人であったという主張がある。
 その根拠は簡単で、海岸から進行してきた甲皇国に対して放たれた禁断魔法なのだからその範囲に最も含まれていたのは彼らの暮らす土地であって当然ということだ。
 実際、その禁断魔法の影響で黒い海なるものが出現したのだからその言い分もあながち間違いではないとは思われる。
 もちろんエルフはそんな主張を是としない。
 もしダートやニフィルに禁断魔法最大の被害者を尋ねれば、必ずあの魔法は全ての者を不幸にした。最大の被害者を敢えて言うならばそれはアルフヘイムの国土そのものだ、などというに違いない。
 さらに言えば、だからこそアルフヘイムの民は皆で協力して国土の復興を目指すべきだなどと言い出すだろう。
 間違いではない。が、間違いではないだけのきれいごとに価値はない。
 犠牲の話をすれば、加害の話になる。エルフは過ちを起こしたことになる。
 だからこそ、アルフヘイムの国土、という話にする。
 そうしてアルフヘイム全体の話に責任をもっていこうとする。
 そういう種族だ、と1人ごちてヤーは続きを待った。
 ソウは続ける。
 「甲皇国の方ですが…どうもホロヴィズ将軍の狙いは周知されていないようなんです」
 「…誰も?」
 「あるいは将軍の秘書や右腕のゲル・クリップなら知っているかもしれませんが、少なくとも艦長クラスの人間にも知らされていないようです。…もちろん表向きの目的は全員が共有していますけど」
 「…それは困ったねぇ」
 そんな様子では不信を招くだけだと思うのだが。
 一体彼は何をするつもりなのだろうか。
 答えなど出るはずもなく、月は西へと傾いていた。

       

表紙

愛葉 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha