95話 息子たち
驚天動地とはまさにこのことである。
天城城アルドバランが落ちてくる。
───かつて、アルドバランは東方大陸のハイランド地方の地下迷宮に何千年も埋もれていた。それが三十五年前に、ゲオルクらの侵入を防ぐために獣神帝が浮上させ……その衝撃により、ハイランドの地下迷宮は壊滅し、地獄へと通じるような大穴を開け、近隣住民に魔物の湧き出る大穴として恐れられるまでになった。
城とはいうが、城郭は上部の僅かな部分のみであり、その城郭を支える巨大都市の遺構が大半を占めている。そのスケール感は、百万都市である大交易所に勝るとも劣らない。
そのアルドバランが落ちてくるのだ。
しかも、百万人以上の人間・亜人が住む大都市・ミシュガルド大交易所の上に!
その威圧的な巨城の姿は、まだ遥か上空にあったが、目の良い亜人が見上げれば段々とその姿が大きくなってきているのは分かるし、それでなくても小さな石くれや土砂がバラバラと落下し、大交易所の家々の屋根に突き刺さってきていた。
「───自由落下してきている訳ではない」
いち早くそのことに気付いたのは、クラウスであった。
ニーテリアの引力に引かれ、ただ落ちてきているのであれば、既に落ちてきている石くれや土砂のようにすぐに大交易所に到達している。だがアルドバラン本体はゆっくりとその姿が大きくなってきているだけである。
「つまり、アルドバランは大交易所に“着地”しようとしているのだ。無理もない。あの高さから引力に任せるままに自由落下すれば、その衝撃によってアルドバランそのものもバラバラに壊れてしまうことだろう。きゃつらはアルドバランを安全に降下させ、大交易所を押しつぶして成り代わろうとしているのだ」
冷静に分析するクラウスに、甲皇軍のゲル・グリップ大佐が感心したように頷く。
ボルニアで、ナルヴィアで、ゲーリング要塞で…。
様々な戦場で敵同士として相対してはいたが、互いに軍の指揮官である。これほど間近で相対するのはこれが初めてとなる。
片や“英雄”と称されるアルフヘイム軍の総司令官。
片や甲皇軍でも特に精鋭と言われる第一軍の司令官。
敵同士ながら、互いに智将という分類で語られ、比較されることも多かった。
それが初めて間近で相対して、ゲルは興味深そうに、クラウスの人となりをつぶさに観察しようとしていた。
「……死んだと聞いていたが、まさか生きていたとはな」
「ゲル大佐がそう思い込んでいたというなら、ニコロとダート・スタン首相は良い仕事をしてくれたようだ」
クラウスは微笑する。
「俺に栄達の野心はない。戦いの後は、妻子と共に平穏な生活だけを望んでいた。だが、アルフヘイムの人々は、戦後もきみたち甲皇軍を仮想敵国として、俺に英雄として生き続けることを望むであろうとは予想できた。だから、禁断魔法のどさくさに紛れて死んだということにしてもらった……ごく一部の者にだけは真実を伝えて」
「だが、この未曽有の危機には、英雄として返り咲いてもらわねば。彼を呼んだのはわしだ」
事情を知る数少ない者の一人、ダート・スタンが咳ばらいをした。
「分かっています。それに、昔の仲間達が敵になったと聞いては放っておけない」
「そうだ、アルフヘイム軍の動きはどうか」
ゲルが部下の兵士に問いただすと、兵士は狼狽しつつも答える。
「そ、それが……」
獣神帝によって洗脳されているアルフヘイム軍は、大交易所の郊外で警戒態勢を取っていた甲皇軍を攻撃してきた。
精霊戦士ビビや、暴火竜レドフィンを含むアルフヘイム最強の戦士らである。
その猛攻に耐えきれず、たちまち甲皇軍は大交易所内へと撤退してきたのだが……。
「それ以上追ってはきません。きゃつらは大交易所を包囲するように陣形を保ったまま、ぴくりとも動かなくなりました」
「なるほど、分かりやすい。大交易所にアルドバランを降下させて我々を押しつぶす。だから大交易所から出ようとすれば襲い掛かってくるという訳だ」
ゲルがそう分析すると、クラウスも頷く。
「彼らは我々を閉じ込める“蓋”の役目を担っているのだろう」
「我々か───そうだな、我が軍としては、そんな蓋はこじ開けるべく、アルフヘイム軍と一戦交えても良いのだが……」
ゲルの呟きは、クラウスに遠慮するように小さくなっていく。
「それはダメだ。両軍がまともにぶつかれば大きな犠牲が出る。それに……」
クラウスが首を振る。
「ゲル大佐。まず大交易所の市民のことを考えてくれ。既に市民は天空城が落ちてくる様子は気づいているだろう。当然、パニックだ。市民は大交易所から脱出しようと我先に市外へ出ようとするだろうが、アルフヘイム軍が蓋となって立ちはだかっている。市民とアルフヘイム軍が衝突すれば、市民に大いに犠牲が出てしまうだろう。まず甲皇軍は、市外へ出ようとする市民を止めねばならない! それができるのは、俺と、ゲル大佐……あなただけだ」
「うむ……。クラウス、貴様ならばそう言うだろうと思っていた。至急、手配を……」
「ゲル!」
叫んだのはホロヴィズだった。
「貴様、何を温い事を言っておるか。アルフヘイム軍に遠慮をすることなどない。砲弾を浴びせ、脱出の突破口を作るのだ。市民どもには我らの後を追わせればよい。まずは脱出をせねば、いくら市中で市民を守ったところで全滅するであろう」
「なりません」
ゲルはぴしゃりと言いのけた。
生まれて初めて、恩人で育ての親で軍の上官でもあるホロヴィズに抗った瞬間でもあった。
「アルフヘイム軍と戦うわけにはいかない。それではかつての大戦の繰り返しです。向こうがすぐにこちらへ襲い掛かってこないのであれば、まずは市民の保護を優先すべき……」
「ゲル!」
ホロヴィズは手に持った杖でゲルの頬を打ちのめそうとするが、その杖を止めるのはゲオルクの大きな手であった。
「離せ、傭兵」
「いつまで偉ぶっている、老人よ」
ぎりぎりと杖が軋んでいた。
中身は若々しいハーフエルフであるホロヴィズの腕力は、ゲオルクの剛力にもひけをとっていない。
「老人? ふっ、わしは貴様が思っているほど老いてはおらんぞ」
「いや、老人だ。わしと同じく」
ゲオルクはホロヴィズを制止したまま、横目でちらりとアーベルの方を見た。
「……お主には一人目の息子のユリウスをあのように育てられた恨みもあるが、過ぎたことはもう良い。もはや我々老人の時代は過ぎ去った。今は、そして未来は、若者たちの手に委ねなければならん。アルドバランへ乗り込み、獣神帝を止められるのは、我々の息子たちだ」
「息子たち……か」
ホロヴィズにとってゲルは息子のようなものだった。
元々、ホロヴィズは子供を持とうとはしていなかった。
何度か人間の女性と子供を作ろうとしたが、エルフ的特徴が強く出てしまうがために、胎児のうちに堕胎させてきたという暗い過去がある。メゼツの母リヒャルタ、メルタの母トレーネとはたまたま上手くいったから堕胎させなかったに過ぎない。
ゆえに、これまでは多くの孤児を引き取っては己の息子代わりに育ててきたのだ。
ゲルはそんな息子代わりの中でも、特に自信作であった。
まさか、その息子に手を噛まれようとは……。
飼いならされた犬ではなく、野生の狼であったか……。
「ホロヴィズさま」
ゲルは首を振った。
「あなたのことは尊敬していますし、正体を知った今もその気持ちは変わりません。ですが、主義と軍略は分けてしかるべきです。アルフヘイム軍と戦うことは、今は得策ではない……」
「そんなことは分かっておる。だが、きゃつらと手を結ぶことなど、わしには……!」
言いかけて、ホロヴィズは声を失った。
信じがたいものを目にしていた。
「………!!??」
クラウスが登場した時にも驚かされたが、それ以上の驚きであった。
死んだはずの人間が、もう一人現れたのだから。
「───メゼツ!?」
アーベルに招かれるように市長室に姿を現したのは、記憶を失い、シャーレと名乗っている傭兵であった。ハイランド軍の新たな傭兵徴募に志願していたのである。
メゼツことシャーレは、鮮やかなオレンジ色だった髪の殆どは白髪となり、表情も元の好戦的なものとは打って変わって優し気なものとなっていたが、あの狂戦士メゼツを覚えている者が見れば見間違うはずはなかった。
ただ、シャーレ本人はきょとんとした表情で、なぜ自分がここにいるのかも分かっていない様子であった。
「記憶は失ったままです。あれから色々と話しましたが」
シャーレの背後には、かつてメゼツの部下だった者たち……ロメオやヨハンといった男たちの姿もあった。ホロヴィズ直々に選んだ腕利きの兵士でもあった。ロメオが前に出て、ホロヴィズの前で膝をついた。
「閣下、お久しぶりです。ご子息をお守りする任務。果たせたと言えますかな?」
「ロメオ曹長か」
「は。かつて閣下は仰っておりましたな。アルフヘイムに潜入する任務を息子に与えると。しかし、妹のために無謀なことをやらかしそうだ。影ながら守ってやってくれと」
「うむ……正直、あの愚かな息子に期待などしておらんかった。ただ、生きてくれてさえいれば良いと思い、貴様らを目付につけたが……」
「ご子息はアルフヘイムで見事な成長を遂げられました。もはや、守られているだけの雛ではありません」
「メゼツ……」
ホロヴィズはよろよろとシャーレことメゼツの前に歩み出て、おずおずとその手を伸ばす。
「僕は……すみません。何も覚えていないんです」
シャーレは心底すまなさそうに言った。
「お前はわしの息子メゼツだ。生きていてさえくれれば……それでよい」
「ですが、あなたの妄執によって、その息子さんも死ぬかもしれません」
ゲルの言葉に、ホロヴィズは伸ばした手を止めた。
「………そうか、そういうことか」
ホロヴィズはがっくりと腰を下ろし、椅子にもたれかかった。
「いつの間にか、次の世代は育っておったか……。五百年以上も生きていると忘れがちだが、人間の世の移り変わりは早いものだ」
「そういうことだ」
ゲオルクも腰を下ろした。
「後は若い連中に任せるが良い。老人はヨーカンでもつまんで、茶でも飲んでおけばいい」
ホロヴィズは骨仮面を手で覆い、大きく嘆息をする。
五百年以上に及ぶ万感の思いが胸に去来していた。
亜人絶滅という己に課した絶対的な主義、それを唯一超えるものが親子の情であった。
死んだと思った息子メゼツが生きていた。
ならば親としては子の未来のために……。
「……ロメオ曹長。息子を守ってくれたことを感謝する。わしの護衛でアルペジオという少女が外で待機をしている。彼女にはメゼツのための大剣を預けさせている。それを息子に」
「ははっ!」
ロメオは深く頭を下げ、すぐに室外へ出て行った。
ホロヴィズの言った通りの少女がいた。
「これをメゼツさまに……」
「魔紋の大剣だな。かつて御曹司が大戦で使っていたものは失われてたらしいが、新たに鍛え直したのだな」
ロメオは鞘から取り出した魔紋が刻まれし刀身を見る。
(……これが)
ホロヴィズに優秀な軍人ということで見いだされたロメオであるが、軍の中枢にいたために甲皇軍の兵器には詳しい。戦時中に聞いたところによれば、メゼツ専用のこの魔紋の大剣というのは、かつて皇帝家を守護するためにセントローラ伯爵家という貴族が用いる魔術紋様の技術を施した剣だという。メゼツの体にも魔紋は刻まれているが、これらが魔法への耐性が低い人間族ひいてはゼロ魔素の者を守護するためのものだったのだ。魔紋の大剣があれば、メゼツはどんな魔法攻撃にも耐えうるだろう。
「あの」
アルペジオが怯えたような表情でロメオを見上げていた。
「……?」
ロメオが何事だろうと不思議そうに首を傾げると、アルペジオはおずおずと話し出した。
「扉の外で話は聞いておりました……。私はホロヴィズさまに忠誠を誓った剣士です。そう、今では心の底から」
アルペジオの目に光があることにロメオは気づいた。
そして、甲皇軍の良くない噂についても思い出す───洗脳兵というものがいるらしいということを。
「ホロヴィズさまに、私は大恩があります。ですが、このような事態ではどうすれば良いのか。ただ、お側についてお守りするだけではいけないのではないかと。懸念すべき敵、獣神帝に立ち向かうべきなのではないか……と」
だが、ロメオの目の前の少女は、自分の意志で話しているようであり、洗脳されているようには見えないのだった。
「君はどうしたいのだ?」
「私は……戦いたいです。あの大戦中、私は己の意志もなく、機械のように戦っていた。ですが今は違います。己の意志で戦っている。人間らしく。人間らしくあれと言ったのは、ホロヴィズさまでした」
察するところ、ホロヴィズはアルペジオの洗脳を解いたと見える。
人間至上主義というが、それは完璧な人間を求め、人間の心を信じてのことでもある。
洗脳という手段は好まなかったのだろう。
「ならば心のままに」
ロメオは力強く頷き、アルペジオの肩を叩いた。
「人間の力を見せてくれよう、獣神帝に」
「作戦を伝える」
クラウスの涼やかな声が市長室に響く。
若者たちの熱気が渦巻いていた。
中心となっているのはこの三名。
甲皇軍大佐ゲル・グリップ。
アルフヘイム軍のクラウス。
そして、SHWのハイランド軍のアーベル。
それぞれの指揮官の元に、各軍の関係者が集っている。
「我々は追い詰められているが、すべての事態を好転させるには、天空城アルドバランを制圧することである。正確には、アルドバランを制御するアルキオナの宝玉を奪い、アルドバランの降下を止めねばならない。また、アルキオナの宝玉さえ奪えば、アルドバランから放たれる闇の魔素を止め、アルフヘイム軍の洗脳を解くこともできよう」
「アルドバランへの侵入には、僕の持つこのアスタローペの宝玉を使えばいいだろう」
「同時に、大交易所の市民を抑えることもせねばならない。これには、甲皇軍が適任だろう。それに、大交易所のキルク隊長の自警団も」
「ああ。アルドバランへ乗り込む方が楽しそうだが、適材適所というものがある。パニックになった市民を冷静にさせるには鉄のような軍紀を持ち、冷静に対応できる甲皇軍や自警団が適任だろうからな…」
「アルドバランへ乗り込む人員は、精鋭でなければならない。また、魔素の少ない人間族に限る」
「それらは我がハイランド軍、それにメゼツ……シャーレっていうのか? あの坊ちゃん大丈夫なのか?」
「ゴンザ副長、あなたも大戦中のメゼツの活躍はご覧になったことがあるのでしょう?」
「まぁな……精霊戦士とも互角に戦えるようだが」
「懸念すべきは記憶喪失か……どうすれば記憶が戻るのやら」
「好きな女のキスで目覚めるとか、何かねーのか?」
「朴念仁だからなぁ、あの御曹司は」
「試しにあたしが襲ってみようか?」
「シャーロット、お前そういうのマジでやめとけよ」
「でも興味深いですわね」
「……あ、あなたは」
一同は驚かされる。
軍議をしていた大きな机から、突如光が走ったかと思えば、魔法陣が現れ、そこからひょっこりと長身細身の美女が現れたからである。
精霊の森の姫巫女ニフィルであった。
アルフヘイムからわざわざこの事態の解決のため、ダート・スタンに呼ばれていた。
かつて禁断魔法を放ったことで知られるアルフヘイム最高の魔素の持ち主……ひいては世界最高の精霊魔法使いでもある彼女。
「美女のキスで記憶が戻るというのは、アルフヘイムの伝承にもあるのです。試してみる価値はあるでしょう」
「え~~それ本当?」
「………」
ハイランド軍のシャーロットのツッコミに、ニフィルは口元だけで微笑むのみであった。
「……さて、アルドバランの降下については私にお任せください。巨大防壁魔法を大交易所の上空に展開しますわ。それで、少しはアルドバランを支えてみせましょう」
(……話を逸らした)
(……話を逸らしたな)
「天空城を支えるだって? さすが姫巫女さまは伊達じゃないな」
クラウスがフォローするように称賛すると、二フィルは口元だけではにかんだ。
「こんなことで、禁断魔法を放った大罪が赦されるとは思いませんけども」
ニフィルは以前のように金色の輝く目を目隠しで隠していて、表情が読みづらいが、悲しげな雰囲気は伝わってくる。アルフヘイムの三分の一を腐らせてしまった大罪について、贖罪意識は持っていた。
二フィルは、目隠しで覆っている視線をだが、ハルドゥ・アンローム博士へ向ける。
「博士。あなたもアルドバランへ?」
「ええ。アルキオナの宝玉を制御するには、私がいた方が良いでしょうから…」
「そうですか。ならば……」
ニフィルは精霊杖を振った。
眩い光がさし、軍議に出ていた人々を包み込む。
「皆さんに光の精霊の加護を授けました。これで、アルドバランから放たれる毒電波……もとい、闇の魔素をある程度は防ぐことができるでしょう」
「おお! それは心強い」
「ちなみに光の精霊というのはウンチダスさまのことです」
「それって……」
「皆さんに授けたのはウンチダス・オート・ヒールという高等精霊魔法です」
「聞かなかったことにしておきたい」
ともかく作戦は決まったのである。
ニフィルが防壁魔法で大交易所を守り…。
ゲル率いる甲皇軍・クラウスやキルクが率いる大交易所自警団が市民の保護にあたり…。
アーベル率いるハイランド軍やシャーレなど人間中心の部隊がアルドバランへ乗り込む。
そして、ハルドゥ博士をアルキオナの宝玉の元へ誘導し…。
可能であれば、獣神帝を討つのだ。
「うむ。ではいざ行け、若者たちよ」
ゲオルクが満足そうに頷いた。
「陳腐なせりふだが、行って、世界を救ってこい!」
「生きて戻れよ」
ぼそりと、ホロヴィズが呟いた。
「わっはっは! このツンデレジジイが!」
豪快に笑い飛ばし、ゲオルクはホロヴィズの肩をぶっ叩くのだった。
つづく