13話 浮上
幾千、幾万もの刃が全身の肉に食い込み、血を噴き出し、惨めに倒れ死んでいく…。そんなイメージが何度もゲオルクの脳裏をよぎった。
エルフの剣士シャムの“剣気”のなせる業だ。
見たところゲオルクよりも一回りほど年上だろうか、熟練の剣士シャムの技量はゲオルクのそれを遥かに上回っている。体捌き、剣速、先読みの直感、いずれもシャムの方が早い。
それは、シャムがエルフだからというのもある。エルフは人間に比べると筋力に劣る。長年、森に住み続けてきたエルフは、木陰に隠れて敵を撃つ弓の方を得意としてきた。剣はそれほどでもない。だから剣士には向いていないと思われがちだが、森や自然と共に過ごしてきたがために聴覚や嗅覚などといった五感が鋭敏で、更に精霊などの目に見えないものを見る力に優れている。単純な身体能力で互角であれば、人間よりもエルフの剣士の方が優れているのだった。
「……っ!」
息継ぎも許さないシャムの剣速に、ゲオルクはひたすら防戦一方である。ところどころかわしきれない剣がゲオルクの肉をかすめ、軽い切り傷をつけ、次第にその切り傷は大きなものとなっていく。
ゲオルクは生まれて初めて死を覚悟するほどに追い詰められていた。
(お前にここで死なれちゃ困るんだよ)
ボルトリックが、石弓をつがえ、シャムに狙いを定めていた。
しかし、シャムの動きは早い。ボルトリックの大したことのない弓の腕で当てられるとは思えなかった。
それでも牽制にはなるはずだ。ボルトリックは構わず石弓の引き金を引いた。果たして、矢はシャムの眉間目掛けて放たれていたが、シャムはそれもあっさりと見切り、首を僅かによじるだけでかわした。
「…雑魚め」
洗脳されていても、剣士としての侠気だろうか。剣での決闘を卑怯な飛び道具で汚されたことに、シャムは怒りをにじませる。ゲオルクをその場に捨て置き、ボルトリックの方へ歩み寄る。
ゲオルクはというと、シャムの殺気から逃れられた安堵から、その場でどさりと片膝をついてへたり込んだ。見た目よりも遥かに体力を消耗しており、肩で息をしていた。
慌てるボルトリック。
「げげーー! ゲオルク! 何やってんだよ! た、助けろーー!」
「まずは貴様から片付けてやろう」
シャムが剣を振りかぶった。
ボルトリックはすっかり腰を抜かし、大きな腹を無様に晒しながら後ずさる。
「ひ、ひええええ!!!」
ここまでか、ボルトリックは死を覚悟する。が、彼は悪運強い。
「……む」
シャムはぞくりと背筋に悪寒を覚えた。
背後のゲオルクが、全身傷だらけとなりつつもまだ戦意を失っておらず、殺気をシャムに向けている。シャムがボルトリックに剣を振り下ろせば、ボルトリックの肉に剣が食い込んでいるその隙をつき、ゲオルクが襲い掛かってくるかもしれない。シャムはそう予想し、雑魚にかまっている場合ではないと考えた。
「邪魔だ!」
忌々しげに、シャムはボルトリックの腹を蹴り飛ばすだけにした。ひとまず戦いの邪魔にならぬよう、ボルトリックを遠ざけたつもりだった。
が、ボルトリックは腹に強い衝撃を受け、彼は意図せずその胃の中にたまったガスを吐き出してしまう。
「ぐえええ~~~~っぷ!」
強烈なゲップだった。不愉快極まりない臭いで───ぞっとする邪悪なものを孕んだというか、人間が本能的に嫌がるような死臭だの、腐臭だの、ニートのおっさんが10年洗わず熟成させたパンツの臭いのような───とにかく、酷い悪臭だった。
「……!!」
エルフは嗅覚が鋭敏である。シャムはそれをまともに嗅いでしまい…。
「くっせぇぇえええ!!!」
シャムはボルトリックを再び足蹴にした。容赦なく、何度も何度も蹴りつける。怒りに我を忘れるほどに────。
「ぎゃ、ぎゃはは…げぼ、げは、げろろ~」
無様にぼこぼこにされながらも、ボルトリックは狂ったように笑う。
「おい、てめぇ……」
囮として、完璧な仕事だった。
「隙だらけだぜ」
シャムの背後から、ゲオルクが襲い掛かる。
ゲオルクの長剣が、咄嗟にそれを受け止めようとするシャムの剣とが交差する。
「ぐっぎぎぎぎ……」
必死に踏ん張るシャム。鍔迫り合いでの力比べだが…単純な膂力であれば、若いゲオルクが勝っていた。
「うおおお!」
シャムの体は重力を失ったかのように大きく吹っ飛ばされ、アルドバラン城の石壁に叩き付けられ、めりこんだ。更に、シャムの剣はぽっきりと根本から折れてしまっていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」
肩で息をするゲオルクは、のろわしげにシャムが吹っ飛んだ方を睨みつける。
シャムはぴくりとも動かない。死んだわけではなさそうだが、白目を剥いている。気絶しているのだろう。
助かった。もしまだシャムが動けたなら、ゲオルクに勝ち目は無かった。それほど、きわどい勝利だった。
「───これは驚いた」
遥か高みの方より、アルドバラン城の方から、獣神帝ニコラウスが姿を見せる。
「エルフの剣士シャム。彼はこのアルドバラン城を支配していた大悪魔グレーターデーモンですら屠った恐るべき剣士だというのに。アナタはなかなかやるようですね」
最初に幻影で姿を現した時は、恫喝するような口調だったニコラウスだが、ゲオルクの力量を認めてか、敬語で語りかけていた。だがそれもまだまだ人をくったような、少し小ばかにしたトーンが入っている。
「でも、アナタはオレより弱いですよ」
とでも言いたげな表情である。いや、言っている。
「ほざけ。次は貴様の番だ」
ゲオルクは、高みから見下ろすニコラウスを見上げ、長剣を突きつける。全身ボロボロだというのに、戦士の誇りからか、少しも強気の姿勢は揺るがない。
だがニコラウスは、やはり人をくったような、馬鹿にした笑みを浮かべる。
「残念ながら、今はその時ではないでしょう───アナタがたが見ているこの姿は幻影に過ぎません。このアルドバランには、ミシュガルドにあるオレの肉体を幻影として映し出す鏡のような装置がある。今はそれを使ってアナタがたに話しかけているだけに過ぎないのです。まぁ、鏡越しでも少しは魔力をそちらに送り込むことぐらいはできますから、それで配下の者を使いアルドバランを守ってきたのですがね」
「……貴様は、本当にミシュガルドとやらにいるというのか」
「ええ、そうですよ。オレを殺したければ、アナタもミシュガルドに来るといいでしょう。まぁ、来られるとは思えませんが───」
ゴ、ゴ、ゴゴゴゴゴゴ……。
地響きがした。
「何だ!?」
「ククク…」
驚くゲオルクに、ニコラウスが答える。
「シャムは強かった。彼さえいれば、このアルドバランも安泰だった。でもその彼が敗れてしまった今、もはやアルドバランを守ることは叶わないでしょう。となれば、このままアルドバランを略奪者の前に晒しておくことはできない」
「何をするつもりだ?」
「さてね。でもさっさと逃げた方がいいですよ? ここはやがて瓦礫に埋もれてしまいますから……」
すうっと、ニコラウスの幻影がぼやけていき、やがて朝靄のように消えさった。
「おい、やべぇんじゃねぇのか……」
ボルトリックが呟く。
そうだ、ここは地下奥深く、数千メートルも降りてきたのだ。
ニコラウスのあの口ぶりであれば、ここは瓦礫に埋もれてしまうのだろう。
「おい、おヌシら」
と、その時。
壁にめりこんでいたシャムが口を開いた。
目がはっきりと黒目に白い輝きが戻っている。
「ワシをここから出してくれ。もう、敵意は無い」
ニコラウスの洗脳は解けていた。
地鳴りが響き渡り、洞窟内の天井から、岩のつららや人間の頭ほどもある岩が次々と降り注いでいた。
巧みにそれらをかわしながら、ゲオルクとボルトリックはシャムを救い出し、アルドバラン城の下層部の岩べりにもたれかかった。そこなら僅かに上層の城郭部分からのでっぱりが傘となり、落盤から身を守ることができたのだ。
しかし、そこで生き延びるのも時間の問題と思われた。
「ああああ、俺たちが降りてきた階段が…!?」
来た道を引き返し、地上へ戻ることもできそうにない。地上へと続く唯一の階段が、もう既に落盤で崩れ落ちてしまっていたのだ。
「おいおいおい、なんてこったぁあああ!」
分厚い脂肪の塊に包まれた顎鬚をかきむしるボルトリック。
逃げ道が塞がれてはどうすることも…脱出できず、落盤に埋もれて死ぬしかないのか。
「この城」
ゲオルクは背後のアルドバラン城下層部の岩べりに手をつく。
「少し、動いていないか?」
「そういえば…」
気のせいではなかった。今やはっきりと、アルドバランは“飛び”立とうとしていた。天空の城に相応しく、地に埋もれていたのは仮初の姿。城の周囲を覆う黒柱は重力制御装置であり、それらがいっせいに薄紫色の光を帯び、起動していた。
凄まじい地鳴りが広大な地下洞窟の空間いっぱいに広がり、今や人の何倍もの大きさの岩までが落ちてきている。
「アルドバランが飛び立てば、この遺跡は完全に崩壊し、落盤で岩と土砂に埋もれるだろう。そうなれば…」
「俺たちはお陀仏ってことか」
進退窮まったと絶望するゲオルクとボルトリック。
だがシャムだけが平然とし、その細い顎鬚を撫で付けていた。
「小僧ども、何を慌てておるか」
「こんな状況なんだから当たり前だろ! それともあんたは何か良い考えでもあるのか?」
うろんそうに見るボルトリックに、シャムはこくこくと頷く。
「ワシ、あいつ(ニコラウス)から、アルドバランに出入りする為の玉を貰っておるからなぁ」
「な、なに!」
「おい、今すぐそれを出せ! さもなくば」
命がかかっているのだ、ゲオルクもボルトリックも必死である。殆ど脅迫するようにシャムに迫る。
「わわ、がっつくでない、小僧ども」
慌てて、シャムは懐から赤く光る宝玉を取り出す。
「アスタローペの宝玉よ、ワシらを城内に!」
シャムがそう叫ぶと、彼ら3人は赤い光に包まれた。
ふいに、体が軽く感じ、宙に浮き上がる。何か不思議な力で支えられているかのようで、水の中にいるかのように、まったく重力を感じない。
そして吸い込まれるように、赤い光は3人をアルドバラン城内へと誘うのだった。
地獄の釜が開いたかのような光景だった。
ハイランドの遺跡は地下から押し潰されるように崩壊し、瓦礫に埋もれ、迷宮内に巣食っていた魔物達は圧死していく。
あちこちで悲鳴や断末魔が響き渡るが、それ以上に地上へ浮き上がろうとするアルドバランによる地鳴りが大きく、それらの悲鳴や断末魔をかき消していく。
大砲を数万発立て続けに撃ち鳴らしたかのような、または神話に出てくるアトラスの巨人が咆哮して地団太を踏んだかのような、空前絶後の地鳴りと地響きは、東方大陸全土に鳴り響き、大地を揺さぶったであろう。
「……っ」
言葉にならない。アルドバラン城内のゲオルクは、その凄まじい地獄絵図を呆然と見つめるしかない。何か不思議なバリアーのようなものでアルドバラン城内は揺れ一つ無く、平穏無事な状況で迷宮が崩壊する様を見物することができた。
曲がりなりにも数百年、もしかしたら数千年もの間、この迷宮は一つの生態系を確立させていたのかもしれない。だがそれは、この一瞬のアルドバランの浮上によって全て失われていく。生命の儚さというか、軽さのようなものを感じる光景である。
「おう、ゲオルク! ぼさっとしてんじゃねぇぞ!」
と、ボルトリック。感傷に浸っている暇なんてねぇぞ!と威勢よく叫んでいる。さすがは切り替えの早い商人だ。
「なんだ、ボルトリック」
「せっかく城内に入れたんだ。目ぼしい宝がねぇか探しに行くぜ」
「そうだったな。ミシュガルドにつながるような財宝を探さねば…」
「そうそう。見ろよ、宝の山だぜここは!」
「…ガラクタだらけにしか見えんが?」
「ちっちっちっ、そう見えるか? なら、しゃーねぇな。お前はここで休んでろや」
「ああ。ではそうさせてもらおう」
ここからが盗賊商人ボルトリックの本領発揮であった。
城内を探索し、目ぼしい宝が無いか探し回る。
しかし、一見すると城内はやはり無人の廃墟であった。城内に古代ミシュガルド文明の痕跡たる遺構は残されているが、なんら目ぼしい宝などは見当たらない。
「おおっと!」
ボルトリックが身をよじる。宝箱と思われた箱を開けると、中から石弓の矢が飛び出してきたのだ。慣れたもので、罠を見破っていた。
「やはり何かあるぜ。何も無ければ罠なんざ仕掛けねぇだろう」
ガラクタしか無いように見えるが、ボルトリックは構わず財宝探索に没頭する。
(……あとはボルトリックに任せるか)
戦士のゲオルクには、金目の物を見分けることは難しい。専門家に任せた方がいいだろうと考える。
シャムとの戦いで負った傷が深い。体のあちこちが悲鳴をあげている。
「ふぅ……」
ため息をついて、ゲオルクは腰を落ち着ける。
感傷に浸っている暇はないとボルトリックは言ったが、しばし浸りたくもなる。思えば遠くに来たものだ。
(エレオノーラ…俺はお前のために、こんなところまで来てしまったぞ)
エレオノーラと会話したのは、あの大騒ぎとなってしまった夜会での一度きりである。それ以降は屋敷にこもっているエレオノーラと窓越しで手を振り合うことしかしていない。だがそれでも、ゲオルクはエレオノーラに惚れきっていた。いわゆる、一目惚れというやつだ。それにしても。たかが女一人を手に入れるために、我ながらよくもここまで来たものだ。そう、ゲオルクは自分がおかしくなって笑った。若さゆえのあやまちとはいえ、ここまできたらもう、おろかであっても貫き通してやろう。エレオノーラのあの巨乳を揉みしだくまでは、何があっても挫けないぞと。
「おヌシ、傷は大丈夫か?」
そう声をかけつつ、シャムがゲオルクのすぐ隣に腰を落ち着ける。
「……ああ。何とか、な。さっきはやってくれたな。あんたみたいな強い剣士は初めてだぜ」
「ニコラウスに操られていたとはいえ、意識はあった。許せ」
「ふん。お前の持ってた玉が無けりゃ、俺たちは死んでたんだ。お互い様さ」
「おヌシの剣は…」
シャムはまっすぐと中空を見つめ、独り言のように呟く。
「まだ、伸びるだろう。若いというのは良いな。ワシにはおヌシのような伸びしろは無い」
「そうか? 俺はもうこれ以上強くなりようがないと思っていたが…」
「いや、おヌシの剣は、まだまだ“軽い”」
「軽い……だとぉ!?」
速さや体さばきなどではシャムが上回っていただろうが、力強さでは自分が上だ。そう思っていたゲオルクは、心外そうに声を荒げた。
「いやいや。単純な膂力とか、そういう意味ではない」
シャムは苦笑する。
「おヌシには、何か背負うものが無いのか?」
「背負うもの……?」
「妻、子供、何か守るべきもの」
「今は……無いな」
「ワシには14人の妻と、38人の子供、97人の孫がおる」
「作りすぎだろう!」
「くっくっくっ、だが。守るべきものができた時、戦士は強くなるぞ。エルフも、人間もな」
そういえば。ゲオルクは気づく。甲皇国軍の兵士として戦ってきたというのもあるが、亜人であるエルフとまともに会話するのもこれが初めてだった。
「おヌシの剣が重くなった時、再び相見えたいものだ」
「ふん、あれでは俺も勝ったとは言えんしな。面白い。受けてたつぞ」
ゲオルクはにやりと不敵に笑う。
甲皇国で生きているだけでは、到底見ることができなかった世界、光景、境地、価値観。
それらがゲオルクの険しかった表情を、次第に柔らかいものへと変えていく。
一陣の風が、心地よくなびき、ゲオルクの頬を優しく撫でる。
傭兵は、目で見たこと、経験したことしか信じない。だが…。
精霊。今であれば、見えるかもしれない。
アルドバランは、完全に浮上し、ハイランドの遺跡だったものの上空およそ3000メートルばかりのところで停止していた。まさに、天空の城という名に相応しい姿だ。
「……なぁ、シャムといったか?」
「なんじゃらホイ」
「つまらないことを尋ねるが」
「ホイさ」
「……これ、どうやって地上に帰ったらいいんだ?」
つづく