Neetel Inside 文芸新都
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ミシュガルド戦記
18話 クラウスの蜂起

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18話 クラウスの蜂起







 ここで物語は、再び少しだけ時を遡る。
 これまで傭兵王ゲオルクを中心とした視点でこの戦争を描写していたが、アルフヘイムと甲皇国の──後に、「亜骨大聖戦」と呼ばれるこの戦争は、ゲオルク以外にも様々な英雄達の活躍によって語られるからだ。
 そう、我々は知らねばならない。
 悲運の将軍クラウス・サンティのことを。




 ダヴ歴455年6月…ゲオルク軍がアルフヘイムへ上陸したのが457年1月のことだったので、約1年半前。
 甲皇軍は既にアルフヘイム大陸沿岸部各所へ橋頭保を築いていた。だが本国とは海を隔てた遠隔地になるため、頻繁に行われる現地徴発(略奪)によって補給を成り立たせていた。
 豊穣の大地アルフヘイムといえど、冬は寒い。
 ニーテリアの赤道より南、つまり南半球に位置するアルフヘイム大陸は、大体6~9月は冬となり11~2月は夏となる。
 アルフヘイム北方は赤道に近く、そのために熱帯雨林性気候となり、広大なジャングルが広がっている。兎人族が領地とするのはその豊穣な密林であった。甲皇軍が北方から攻め入るのが難しいと判断したのはその密林があってのこと。
 一方、アルフヘイム西方は、見渡す限り遮るものが何もない平原が広がる大陸性サバンナ気候であり、寒暖差は厳しいものの、乾期であれば進軍するのは容易かった。
 ゆえに甲皇軍の主戦力は西方戦線に投入され、着々と軍を進めていたのだった。
 しかし雨季であり冬場となるこの6月。
 雪がちらちらと舞い、横殴りの突風が横っ面を張っている。大地はぬかるみ、靴底に泥がへばりついて足をすくおうとしている。
 軍隊の歴史を紐解いても、どこの軍隊も夏こそが戦争の季節であり、冬は休むのが常である。
「はぁ……」
 どんより曇った鉛色の空を見上げながら、クラウスは嘆息した。
「腹が減った」
 空腹を紛らわせられるものは何かないかと外套の茶色いポケットをまさぐると、シルヴァニアン印のビスケットのかけらが出てきたので口に入れる。しまった。水も無いのに…急激に口が乾いてしまい、クラウスは地面に降り積もる雪を食べたくなったが自重した。腹を壊しかねない。
 彼はしがないエルフ族の大工である。
 甲皇軍はアルフヘイム各所に要塞を築いているが、兵士に土木作業をやらせるわけにもいかない。
 だからお得意の略奪のついでに徴用と称して人狩りも行い、亜人達を強制連行して奴隷化し、要塞建設の土木作業に当たらせていたのだ。
 そして大工のクラウスはそれを監督するため徴用されていた。
 しかしながら、若くて大工としては未熟なクラウスは、徴用され奴隷労働させられる亜人達にも舐められていた。
「ケッ…あんな若造に扱き使われてなるものか」
 奴隷達の中でも力が強くてついでに猜疑心も強いオウガ族のニコルなどはそう言ってはばからない。
 クラウスの指示にてんで従わず、工事は遅々としていた。
 おかげで現場監督であるにも関わらず、甲皇軍のお偉いさんから怒鳴り散らされ、昼飯抜きの刑にあっていた。
 ────何とも冴えない話だ。
 遂にクラウスは要塞の城壁の傍まで来て、空腹の余りへたり込んでしまっていた。
「腹が減ったのぉ……」
 そんなクラウスの隣に、頭にターバンを巻いた人間の老人が座った。甲皇軍はこんな老人までも扱き使っているのだ…。
 クラウスは哀れに感じ、またもや外套の茶色いポケットをまさぐると、黄金色のフローリアチーズがひとかけら出てきた。 
「ドバ爺さん、あんたも腹減ってんだな。食うかい?」
「……お前さんも、腹が減ってるだろうに、良いのか?」
「へへ、困った時はお互いさまじゃないか」
「かたじけない……」
 ドバはチーズにがっついた。彼はSHWからアルフヘイムに流れてきたところを奴隷狩りにあったという。亜人でなくても亜人と仲良く村で暮らしていたので一緒に連れてこられた。
「なぁ、ドバ爺さん。こんな下らない仕事、ほどほどでいいからちょっと駄弁ろうぜ?」
 現場監督にあるまじき発言だが、クラウスはけらけらと軽薄そうに笑う。
 壁際に座りながら、クラウスとドバは意気投合して様々な話をした。
 ドバ爺さん家族はいるのかい? え、天涯孤独か。そいつは悪いことを聞いたね。え、俺? へへ、故郷にミーシャって幼馴染がいてさ、結婚も考えているんだ。でも甲皇軍の襲撃で故郷を焼け出されちまってさ…村から逃げ出す混乱の中ではぐれちまったんだ。無事だといいんだけど。クラウスはにやけ面をしたり、悲しそうな顔をしたりと表情豊かに語った。
「おい、貴様ら!」
 雷が飛んだ。クラウスとドバの前に、こめかみに青筋を立てた甲皇軍人が立っている。襟目正しく緑色の軍服を着こなし、きっちりと鉄帽と眼鏡をつけた男だ。神経質そうな顔つきをして、手には鉄製の棍棒が握られている。
 無慈悲にも、軍人はクラウスの頬をその鉄棍棒で殴り飛ばした。
「さっさと作業へ戻れ! 殺されたいのか」
 すみません、すみません。へこへことお辞儀をして、クラウスはドバを連れて作業場へ向かう。
 その情けない姿を見ながら、軍人は舌打ちした。
「チッ……土臭い田舎の土人どもが」
 草一本も生えないような都市暮らしが長い甲皇軍人は、豊かなアルフヘイムの自然を忌み嫌う者も多い。この軍人アレッポもその一人だった。
 ぱし、ぱし。
 威嚇するように棍棒を手の平に当てながら、アレッポはいつになったらこんなしみったれた仕事から解放されるのだろうかと憂鬱そうに顔をしかめる。
 アルフヘイム大陸は広大だ。兵站を疎かにしては忽ち行き詰まる。補給基地となる要塞を築いていかねば、占領地の維持もできない。無数の要塞が各所で建設されており、人手不足から中尉に過ぎないアレッポでも、この要塞では最高責任者となっている。
 ────冬の間に要塞建設が成れば、果たして前線へ行けるのだろうか。
 アレッポはこう見えても砲兵である。趣味で自作の自律型自動砲を製作し、「ミスター・ストーク」などと呼んで溺愛するほどの砲フェチだ。
 本来ならば前線で砲兵として活躍したい。だが砲兵科はまだまだ新設された兵科なので、そこまで存在を認められていない。
 要塞建設などといった畑違いの仕事を割り当てられ、後方でくすぶっている。
「おい、そこォ! 何をチンタラやっておるかァ!」
 じめじめした陰鬱な冬の寒さも相まって、アレッポの苛立ちが解消されることはなさそうだった。





「おいあんた、大丈夫か?」
 意外なことに、傷ついたクラウスの身を案じて声をかけたのは、今までまったくクラウスの言うことを聞こうとしなかったオウガ族のニコロだった。
 つまらないことにこだわっていたと、ニコロは気づかされていた。同じ奴隷徴用された身分なのに、大工のクラウスは図面を見ながら他の奴隷を指揮する仕事を振られ、自分たちは単純な肉体労働をさせられていることに不満を持っていたのだ。
 だがアレッポに殴られた通り、やはりクラウスもニコロも同じ奴隷徴用された身分に過ぎないのは明白だった。
「こんなもん唾つけときゃ治るさ」
 へらへらと笑うクラウスに、ニコロは苦笑する。こいつは飄々として軽薄そうだが、芯は強い。そして信用に価すると感じていた。
「なぁ、ニコロさん」
「!?……俺の名前、憶えていたのか」
「当たり前だ。俺たち、仲間じゃないか」
 クラウスの声は真剣そのものだった。若造がと侮られ、中々指示に従ってくれない奴隷たち。クラウスにできるのはまず彼らの顔と名前を一人残らず認識することだった。誰もが人間扱いされていない状況で、クラウスは一人一人に話しかけ、密かに人望を得ていたのだった。
 それはエルフ族にしてはとても変わったことだった。
 甲皇人が人間至上主義なら、エルフもまたエルフ至上主義にかぶれることが多い。エルフとて甲皇人からすれば亜人扱いされている身なのに、エルフ族は自分たちこそ亜人の貴種であるとして増長している。鼻もちならない連中だ、そうニコロも思っていた。だがクラウスは違った。
 名前を認識され、人間扱いされていることに、絶望して腐っていた奴隷たちは目を覚ましつつあった。
 やがてクラウスは、この要塞すべての奴隷たちの人望を獲得していく。
「やれやれ、老人を扱き使いおって。大したもんじゃなぁ、おぬしは」
 ドバ爺さんが厭味ったらしく、だが感心したように呟いた。
 クラウスが奴隷たちの人望を獲得したことで、工事は急ピッチで進むかと思われたがそんなことはなかった。
 あくまでクラウスは奴隷たちの味方であり、甲皇軍の要塞作りなんかにまっとうに協力するつもりはないのだ。
「お望みのものを手に入れてきたぞ」
 机の上に、要塞に駐留する甲皇軍兵士の任務スケジュール表の写しが広げられていた。彼らの動きが丸分かりだった。
「いい仕事だ。ありがとうよ、ドバ爺さん」
 にっこりと微笑むクラウス。
 ドバ爺さんもまた曲者であった。誰もがこの小さな老人を軽んじており、気にも留めていない。ひょっこり訳知り顔でどこにでも現れるので、兵士たちの道具を盗み出したりというのもお手の物だった。
「武器庫はここだ、ニコロ」
「ああ、任せてくれ」
 クラウスの微笑みに、ニコロも相変わらずの仏頂面だがぎこちなく口元を歪めて笑う。
 この要塞を設計したのもクラウスなのだ。武器庫がどこにあるのかも当然把握済みだった。
「じゃあいよいよ……」
「ああ、蜂起するよ。この要塞を手に入れる」
「おお…!」
 小さなどよめきが起こり、微笑みながらクラウスは周囲を睥睨した。
 思えば、いついかなる時も笑顔を絶やさない優男のクラウス。この笑みに、いつしかみなは頼もしさを覚えていた。
 クラウスには胸に秘めた熱い思いがあった。
 エルフ族のお偉いさん達も、正規軍もあてにならない。今こそ、アルフヘイムの民の力で侵略者を大陸から追い出す時だと。
 彼はしがない大工だが、同時に故郷を愛し、家族や同胞を守りたいと思う勇者だった。
「俺たちは家畜でも奴隷でもない」
 この言葉から始まるクラウスの演説は、燦然と後のアルフヘイムの歴史書に記される名言となった。
「俺たちには、一人一人、名前もあって意志もある。夢も希望もある。みな、必死に生きている。何が人間至上主義だ。甲皇国のやつらに、これ以上好き勝手やらせてなるものか。アルフヘイムのみんな、俺に力を貸してくれ。そして、自由を取り戻そう!」
 話すのは得意ではない。元々は黙々と仕事をこなす職人らしい職人である。だが、真摯な表情で、たどたどしく絞り出したその言葉には、周囲を奮い立たせる力があった。
「おおーーー!!」
「クラウス! クラウス!」
「自由を勝ち取れ! さぁ、行け、勇者たち!」
 家畜同然だった奴隷たちがくびきを断ち切り、戦士となった瞬間だった。
 彼らの体から立ち上る熱気が渦となり、大歓声が沸き起こる。
 何事だ、甲皇国の兵士たちは寝ぼけ眼で目を覚ますが手遅れだった。
 まさに電光石火とはこのことか、クラウスが計画を立て、ドバ爺さんが下準備を整え、ニコロが実行する。
 クラウスたちの蜂起はあっさりと成功した。
 アレッポはニコルにぶん殴られ、半殺しの目に遭わされる。
 殺すな。クラウスはそうニコロを制止した。なぜだ?こんなやつ生かしておく価値などない。そう怒り叫ぶニコロに……。
「敢えて生かして逃がし、甲皇国のやつらに俺たちの怖さを思い知らせてやればいい」
 あくまで柔和に、クラウスは微笑むのだった。
 ほうほうのていで、アレッポは命を拾って要塞から逃げ出したものの、軍令本部で上官のゲル・グリップ大佐からも殴られ、一階級降格処分を受けてしまう。
 亜骨大聖戦に関するマルネ・ポーロの歴史書で、初めてクラウスの名が登場したのがこの要塞での蜂起であり……。
 そしてこの事件こそが実は、甲皇軍がアルフヘイムに上陸後、陸戦で連戦連敗だったアルフヘイムに初めてもたらされた勝利だったのだ。
 英雄クラウスの誕生である。
 数か月後、ホタル谷での戦いで、それは決定的なものとなる。







つづく 

       

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