26話 不協和音
「あの甲皇軍のあの無様さときたらどうだ。我がボルニア要塞に恐れおののき、木偶人形どもをおっかなびっくりと差し向けるばかり。これが数年前まで鬼か悪魔かと恐れられた無敵皇軍か、傑作だな」
フェデリコ・ゴールドウィンが声高らかに笑う。
そうですね、とクラウスは平らな声と愛想笑いで返す。
ボルニア要塞は確かに堅牢で、断じてフェデリコの手柄などではないが、今のところ甲皇軍をまったく寄せ付けていない。
が、意気揚々とはいかないのだ。
───あの頃とは違う。
義勇軍を決起させ、甲皇軍のくびきを断ち切り、小さな勝利を重ねていたあの頃……。
胸に熱い血潮を感じ、全身で生きている実感を得られていたあの頃……。
実際には一年も経っていないというのに、もうあれは何年も昔のことのように感じられる。
当時に比べ、今は兵力も物資も潤沢に使えるようにはなったし、正規軍に編入されて将軍と謳われ名声も得た。
───が、それだけだ。むしろ…。
物質的に満たされれば満たされるほど、クラウスの胸中は冷えていた。
前線に出て声を張り上げることもなく、ただ司令部の奥深くにこもって指示を出すだけでは……。
戦いには勝っていても、まるで生の実感が沸かなかった。
奴隷時代、与えられた部屋は固い地べたが剥き出しで冷たいすきま風が吹きすさぶ粗末な小屋だった。
義勇軍時代も、殆どはホタル谷に潜む日々で、野草をかじりながら甲皇軍の追跡をかわす日々は厳しいものだった。
そして将軍となった今、暖かい部屋で柔らかなソファに身を沈める日々だが、これが実に腰が落ち着かない。
元がしがない大工で、平民根性が染みついているのかもしれない。
本来ならば口をきくこともできない貴族のお偉方に囲まれ気を遣いつつも、自分を慕う義勇軍時代からの仲間たちを守るため目を配らねばならない。
クラウスにとっては息が詰まり、安らげるような日々ではなかった。
───それでも、この戦いを終わらせ、平和を取り戻すために……。
やらねばならないのである。
ただ甲皇軍の攻撃を跳ね返すだけでは、戦いは終わらない。
依然として、6万とも7万とも言われる甲皇軍がボルニアを包囲している状況に変わりはない。
敵の総司令官は甲皇国皇太子ユリウス。
あの男が生きている限り、この戦争は終わらない。
───ならば、なすべきことをなすまで、だ。
密かな決意。
義勇軍結成当初の爆発的な衝動が、熱き血潮が、再びクラウスの全身にみなぎっていた。
ボルニア市街。
独特のクリスタル形状の建物はウッドピクス族以外には住みにくいものだった。
ボルニアでの防衛戦が長引くにつれ、そこで暮らすアルフヘイム正規軍のための石造りの建物も増えており…。
アルフヘイム中枢に君臨する大貴族・ラギルゥー族の血族たるフェデリコは、そこで金にあかせた壮麗だが悪趣味な屋敷を建てていた。
───まるで、甲皇国貴族の建物のようだ。
“宿将”アーウィンは、フェデリコの屋敷をそう評した。かつて彼はSHWで軍事技術を学んだことがあり、SHWは世界各国から雑多な人々が集まる商業国家なので、甲皇国風の建物も多く目にしてきた。そんな彼はエルフの中でも伝統だけにとらわれない開明的な軍人となった。
樹上を住処として自然と調和するように生きてきたエルフ族だが、甲皇軍が侵略してきてからというもの、その考え方に若干の変化が見られていた。
即ち、甲皇国風の文化や思想を取り入れようという文明開化的な動きだ。
甲皇国風の石造りの建物に住み、軍服や近代兵器を持ち、甲皇国にしか無い概念の軍隊用語や思想を話す。
平民の大工の職人に過ぎないクラウスには、エルフの伝統文化に固執する気もない。実務的に“使える”技術や思想は取り入れようとする姿勢だ。甲皇軍の奴隷として過ごした数か月は無駄ではなく、彼らの考えを目の前で学ぶことができた。敵を理解することで敵に対抗しよう、“敵を知れば百戦危うからず”の故事に則ろうと考えられた。
だがフェデリコは違う。単にエルフの文化を古めかしいものと嫌うだけで、目新しい甲皇国の文化をミーハー的に嗜むことで、自分は先進的なエルフだと周囲に喧伝したいだけだ。
同じように良いものを取り入れようとする姿勢でも、本質はまったく異なる。
クラウス21歳、フェデリコ24歳。
3歳だけフェデリコの方が年上だったが、どちらが賢明で中身があるかは明らかだった。
───底が知れるというものだ。
アーウィンは深々と嘆息する。
アーウィン自身も有能であるがゆえに、フェデリコの無能、クラウスの有能が良く見えていた。
疑いようもなく、ボルニアはアルフヘイム防衛の要だ。ここを死守せねば、聖都セントヴェリアまでの障害は無きに等しい。せいぜい大陸中央を走るナルヴィア大河ぐらいか。
アルフヘイムの命運を決する戦となるのに、中央政府から派遣されてきた将軍がこの愚かなフェデリコだとは。
どれだけ人材不足なのか、そうウッドピクス族の族長グレイがせせら笑っているのが目に浮かぶようだ。
ボルニアはウッドピクス族の領地である。だが元々は、ボルニアのみならずセントヴェリアをも有しており、それが甲皇国侵略以前のアルフヘイム内部の民族間抗争においてエルフ族に敗れ、領地を切り取られてしまったのだ。
以来、ウッドピクス族は反エルフ主義の教えを子々孫々に受け継ぎ、現在の族長グレイもエルフには非協力的だ。
それでも甲皇軍からボルニアを守らねばならないということで、エルフ主体のアルフヘイム正規軍をボルニアに駐留させることは受け入れたものの…。
グレイ自身は老齢を理由に姿を現さず、息子のアッシュを名代として寄越してきた。
───いや、顔も見たくないということなのだろう。
グレイにはエルフに対する確執があるらしい。
4年前に甲皇軍がアルフヘイムに上陸を果たした頃のことだ。
ウッドピクス族がかつて領地としていたセントヴェリアは、今やエルフが支配する領域となっているが、そこに各部族の代表が集められて甲皇軍の侵略にどう対抗すべきかと軍議がもたれた。
そこでグレイは、エルフの代表者であるラギルゥー族に侮辱を受けたという。
ウッドピクス族に伝わる古い言い伝えから、精霊樹から大いなる破壊の力を引き出すすべがあることが知られていた。それは、セントヴェリアにある古代図書館に封じられた書物にあり、古代ミシュガルド人でさえ恐れみだりに使うべきではないと戒め“禁術”と呼ばれていた。それを今こそ使うべき時ではないか。と、グレイは進言したのだ。
だが、おまえたちウッドピクス族は魔法を使えないではないか。
グレイはラギルゥー族からそうせせら笑われる。
確かに、精霊樹の子孫を謳うウッドピクス族だが、彼ら自身はクリスタルを使う独自の技術を持ってはいても、相性が悪いのだろうか、なぜか精霊から力を引き出す精霊魔法自体は使えない。
グレイはそれでも食い下がった。精霊魔法は使えずとも、おまえたちエルフがかえりみない古代ミシュガルドの技術を解読することはできる。
必要ない。そう、ラギルゥー族は言い放つ。古代のカビが生えたような技術など必要ないのだ。現代のエルフの精霊魔法の技術は進歩している。かつてのミシュガルドなどよりもずっとだ。
そんな馬鹿な。古代ミシュガルドの技術は、そんな生易しいものではない。地を焼き、天を貫く大いなる力だ。ゆえに禁術と恐れられ、我らウッドピクス族も図書館に封印し、決して持ち出さないよう先祖から言われてきたのだ。今のエルフの精霊魔法など比ではないはず。が、アルフヘイム大陸すべての危機とあらば、そんなことを言っている場合ではないだろう。お前たちエルフは何を隠している? ミシュガルドの正当継承者を自称しているのに、そのミシュガルドの力を使おうとしないのはなぜだ。何かやましいことでもあるのか。
意見は平行線を辿り、挙句がラギルゥー族はこう言い放った。
お前たちウッドピクス族は、このセントヴェリアを取り戻したいがために、そのような戯言を弄しているのだろう。
違う。私は純粋に、甲皇軍の侵略に対抗するために……。
樹人ふぜいが……。
グレイに向けられたのは冷ややかな視線。侮蔑の言葉。
以来、ウッドピクス族はますます反エルフの立場を明確にしていく。
ボルニアに引きこもった彼らは、これまでアルフヘイムの他の領地が侵略を受けても一向に動こうとはしなくなった。
北方の兎人族たちの王家ピーターシルヴァニアンや、農業国家フローリア、それらと同じくアルフヘイム内の独立国家・ボルニア公国の建国を宣言。グレイは大公となり、甲皇国とアルフヘイムの争いに対し中立の立場を取ろうとした。その思惑も、甲皇国の「亜人は等しく殲滅すべし」という無制限亜人攻撃宣言によってなしくずしとなってはいたが…。
───だから、ボルニア公国防衛のためとはいえ、彼らがアルフヘイム正規軍を受け入れただけでもよしとしなくては。
アーウィンはグレイ大公に会い、かつてのラギルゥー族の非礼を詫びようとしたものの、受け入られなかった。
名代のアッシュ公子いわく、父は差別主義者とは会いたくないと言っている。
そうはっきり拒絶されては、アーウィン自身が賢明なエルフだとしても、どうしようもない。
アッシュ自身も、ウッドピクス族だけでボルニアを守る構えを見せており、アルフヘイム正規軍との軍議には姿を見せるが、そこで出た意見を受け入れるかどうかは彼らに任されている。まったくアルフヘイム正規軍と連携しようとは考えていないのだ。
いつもの光景であった。エルフに対する反感のために、アルフヘイムは軍としての統率に欠ける。
そんなところに現れたのが“英雄”クラウスだった。
アーウィンがクラウスと会ってすぐに膝をつき、ボルニア軍全権を委任しようとしたのも無理からぬことだった。
───エルフとウッドピクス族の間を取り持つのに、クラウスはうってつけの人物だ。
エルフというだけで嫌われるのだ。しかも尊大な貴族では……フェデリコやアーウィンではいかんともしがたい。
エルフだが平民で様々な亜人たちからも慕われ、しかも有能なクラウス。彼は実にバランスの取れた人物なのだ。
───彼こそが、この戦争の勝利のカギとなる。
“宿将”と呼ばれ、長年アルフヘイム正規軍を指揮し、護国の要として活躍してきたアーウィンをして、そう言わしめるほど、クラウスという人物は大きな存在になっていたのだ。
アルフヘイム・ボルニア軍令部もフェデリコの屋敷に移設され、アーウィン、フェデリコ、クラウス、アッシュといったボルニア軍首脳がそこで連日軍議に明け暮れていた。
軍議といっても敵を倒すための作戦を話し合うばかりではない。
兵士だけではなく、何万もの非戦闘員の民間人が暮らすボルニアの運営をどうするのかという話し合いもされていた。
「はっはっはっ!」
調子の良いフェデリコの笑い声が響き渡る。
「守るだけではつまらんなぁ。甲皇軍など大したことはない。いっそボルニアから出て、やつらを蹴散らしてきてはどうか」
「ふん」
アッシュが冷ややかにせせら笑う。
「───よかろう、では死にに行け」
「クッ…こ、この樹人ふぜいが」
「なんだ、差別主義者のエルフどの」
フェデリコとアッシュの二人はいつもこんな調子で、まったく反りが合わない。
その仲を取り持つことをアーウィンに期待されるクラウスだったが、彼は彼でそんなバカバカしい内輪揉めは一顧だにしないのだった。
「フェデリコどの、それほどやる気があるのならば」
クラウスは目を光らせる。
「敵の総大将・ユリウスに一騎打ちを持ちかけてはいかがかな?」
「な──なんだと」
現在、ボルニアを包囲する甲皇軍は手詰まりとなっている。逆にこちらも守るのは良いが攻めて完全に勝利することもできずにいる。ならば、決闘でこの戦いにケリをつけ、外交的解決を図るのも一つの手ではないだろうか。
甲皇国皇太子たるユリウスは、かつて本国に暴火竜レドフィンが襲来した事件“竜の牙”において、そのレドフィンの尻尾を長剣一本で切り落として撃退した英雄である。
腕に自信はあるだろう。この誘いにも乗るかもしれない。また、上手くしてそのユリウスの命を奪えば、亜人を殲滅しようという甲皇国の風向きも変わるかもしれない。
「ははははは!」
爆笑である。アッシュが腹を抱えて笑っていた。
この矮小な差別主義者にそんな度胸があるものか。まぁ無謀に挑んだとしても、ユリウスというのはあのレドフィンと互角に渡り合ったんだろう? 一瞬で殺されるぞ。クラウスどのも冗談がきついな。
「わ、わ、わ……私を侮辱するか!」
その後は大変であった。
激高するフェデリコ、嘲笑うアッシュ、とりなすアーウィン。
そして本気なのか冗談なのかわからないクラウス。
軍議はまったく取り留めなく時間だけが過ぎていく。
実りの無い軍議を終え、クラウスは市街中央にあるクリスタル・サロンで昼食をとっていた。
そこは一般兵士のための開放的な露天の食堂兼談話室のようなところである。
将軍となってからもクラウスは特別扱いを好まなかった。平民らしく一般兵士らと共に食事をするのが彼の好みであり、末端の兵からの噂話も耳に入れることで、士気を推しはかることもできるし柔軟な考えを失わずに済むのだ。
「ああ、クラウスさま!」
「将軍! 今日はシチューパイだよ!」
兵士から、給仕係から、市民から声をかけられる。相変わらずの人気ぶり。
クラウスはそれらの人々に笑顔で応え、一人一人と言葉を交わしていく。
そうだ、例え上層部が不協和音を奏でていたとしても、自分とこの人々さえ強く結びついてさえいれば恐れることはないのだ。
「大した人気ぶりだな」
その声に、クラウスは一瞬だけ顔を曇らせるが、すぐににこやかな笑顔を見せた。
クラウスの前に、憮然とした表情のフェデリコ・ゴールドウィンが立っていた。
クラウスが姿を見せた時とは逆に、兵士や市民らが潮を引くように遠ざかっていく。その表情は一様に顔をしかめ、舌打ちし、ぼそぼそと小声での口汚い罵り。
相席良いかな? と答えを聞く前に、フェデリコはクラウスの隣に座った。
「前から思っていたのだが」
胸ポケットから鼻紙を取り出し、フェデリコは鼻をかむ。まるでその場の空気が悪いと言わんばかりに。
「貴様は自分の立場をもう少し弁えた方が良いな」
下賤の一般兵士どもと馴れ合うな。卑しい市民どもに媚びを売るな。それは上に立つ者のするべきことではない。貴様は既に将軍となったのだ。大きな責任が伴うのだ。軽々しくこのような場で食事をして良いわけがない。毒でも入っていればどうするのか。貴様の命を狙う輩もいるだろう。
フェデリコの言うことにも一理はあったが、言い方がいかにも貴族的であり、兵士や市民の反感を買っていた。
「兵士たちと同じ釜の飯を食うことで、得られるものだってあるんですよ」
クラウスはそう流すが、フェデリコは譲ろうとしない。
ひとしきりクラウスに自説をぶった後、喉が渇いたのか水を求める。
「おい、下僕!」
「あ、はい」
あどけない顔の人間の少年が水を運んでくる。
フェデリコはそれを一気に飲み干すと、またクラウスに向けて朗々と語り始め…。
やがて、泡を吹いて倒れた。
驚きつつも、クラウスは冷静にフェデリコの様子を見定め、顔をしかめた。
───毒だ。
サロンは騒然となる。
誰が毒を盛ったのか。
何気なく人間の少年が水を運んできたが、いつの間にかその少年は姿を消していた。
いい気味だ。
そう囁く声がサロンにひそひそと木霊していた。
喉を掻き毟って苦しむフェデリコは、血走った眼で、周囲の兵士や市民らを睨みつける。
何を見ている。さっさと私を助けろ!
だが、誰もが囁きあうだけで、一向に動こうとはしない。
やがて騒ぎを聞きつけた治癒魔術師たちがフェデリコの命を救うのだが…。
不穏な空気が、ボルニアにたちこめていた。
つづく