Neetel Inside 文芸新都
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ミシュガルド戦記
76話 誰もが故郷を想わざる

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76話 誰もが故郷を想わざる






「大地の精霊よ。古の掟と誓いにより、彼の者の傷を癒し給え。癒しの胞子クエール・アース・ヒール
 ヤーヒムがそう詠唱すると、彼の掌からオレンジ色の小さなキノコのようなものが生えてくる。
「キノコ…?」
 ディオゴは知らないが、それはエルフが支配する精霊の森に自生しているクエールと呼ばれる滋養たっぷりのキノコであった。ヤーヒムが掌から出したそれは、自生しているものより更に滋養に富む魔法生物であった。
「食べろ」
 そう言うや、ヤーヒムはその魔法で生み出されたクエールをディオゴの口に押し込んだ。
「むぐっ!?」
 ディオゴは半ば無理矢理口に押し込まれたそれを、食べられるものか毒か測りかねて、半信半疑で口内に含みながら一噛みする。
「!?…‥う、うまーい!」
 クエールを一切れ喉に流し込むごとに、体の底から力がみなぎるのを感じ、ディオゴは夢中になって貪った。
「こ、この世で一番うめぇのは肉だと思っていたが、こりゃあ考えを変えさせられるな…」
 ディオゴの傷がみるみると癒されていく。ヤーヒムに切られた耳の切り口もふさがり、雷撃で痺れていた足も瞬時に機能を回復していた。
「そうだろう。このクエールが食べたくて、わざと自分で傷を作ってしまう不心得者もいるぐらいだ」
「……うーむ。それって麻薬のような成分が入っているのでは」
「キノコだけにな」
 ヤーヒムは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 ヤーヒムは、メイア救出のために動いてくれるというキルクに恭順の意思を示していた。
 またディオゴも、ラギルゥー族を殺したいという目的は、キルクやヤーヒムらと同じであることと、また一人では目的を成し遂げることの困難さを理解し、彼らと行動を共にすることを同意したのだった。
「真の敵は、ラギルゥー族ではない」
 そう呟くのはヤーヒムである。
「どういうことだ? 貴殿の娘を捕え、脅していたのはラギルゥー族だと思うが、それ以外にも敵がいるというのか」
「俺の妹を殺した野郎どもの黒幕は…ラギルゥー族だけじゃねぇってことか!?」
 問い詰めるキルクやディオゴに向き合い、ヤーヒムは頷く。
「そうだ。その黒幕は…表立って我々の前に姿を現したことは一切ないが。現在、表立ってアルフヘイム政府の実権を握っているのはラギルゥー族…そしてダート・スタン首相だ。だが、彼らは傀儡である。彼らの上に立ち、裏で操るアルフヘイムの闇の魔王。それは…エンジェルエルフ族と呼ばれる太古のエルフ族、その族長であるミハイル4世なのだ」
「エンジェルエルフだと…? 馬鹿な、伝説上の存在だと言われていたものが…実在したとは」
「ミハイル4世…!? そいつが…仇かぁ!」
 初めて聞く名である。
「我々エルフ族は魔法に秀でているが…」
 ヤーヒムは首を振って呟く。
「今では他種族も魔法を使うが、そもそも魔法というのは古代ミシュガルド時代より生きる太古のエルフが持っていた技術だ。中でもエンジェルエルフと呼ばれる一族は、神の使徒として絶大な魔法を使いこなしていたようだな…。しかし、その力を恐れた神々によって滅ぼされ、その魔法の技術は他種族に分け与えられた……と、伝説にはある」
「だが、その滅んだと言われるエンジェルエルフが生きていたというのだな」
「そうだ。彼らは歴史上の転換点において幾たびも姿を現し、世界を裏で操ってきた。かつて…そう、五百年ほど前には甲皇国にさえ現れ、当時の骨大陸にあったエルフの王国を率いて、甲皇国が成立する以前の骨大陸を制圧し、人類を絶滅させようと企図したこともあったという。彼らはエルフ至上主義者であり、中でも自分たちエンジェルエルフが最も優れていると考えている。人間やエルフ以外の亜人などは、自分たちの力を奪った忌々しい元奴隷どもとしか思っていない」
「クソッタレが!」
「そう、クソッタレですね」
 ディオゴの叫びに呼応したのは、ヤーヒムでもキルクでもなく、別のところからの涼やかな声だった。ディオゴやキルクが来たヴェリア城の入口方面の回廊に、二十名に満たない程度の白兎人の一団が姿を現していた。いずれも黒い忍者のような装束に身を包んでおり、彼らが名高い白兎人族密偵「十六夜」と呼ばれる者たちであるらしかった。
「!……その声はッ」
 ディオゴの目が殺意でぎらついた。
「貴様かッ! セキーネェエエエ!」
「ふふふ」
 白兎人の一団の中から姿を現したのは、やはり白い兎面。
 白兎人族の王子セキーネ・ピーターシルヴァニアンだった。
 白兎人は、黒兎人と不倶戴天の敵同士として長年争ってきた歴史がある。かつて、甲皇軍が北方を侵略した際、白と黒の兎人は歴史的不和を乗り越え同盟を結び、共通の敵にあたろうとした。しかし、突如白兎人族は戦線を離脱し、黒兎人だけで甲皇軍とあたらねばならなくなってしまった。そのために黒兎人らは壊滅し、ディオゴの妹モニークもその最中に死亡した。が、モニークを直接殺したのは戦線離脱していく白兎人の兵士だったのだ。その後、傭兵王ゲオルクの介入によって、黒兎人も白兎人も一丸となって甲皇軍とあたることはできたものの…。
 ディオゴの腹の虫は、未だ収まっていない。黒幕となる真の仇が明らかとなっても、セキーネを敵視する感情は抑えられなかった。
 そんなディオゴの心情を知ってか知らずか、セキーネは飄々としており、口端が下向きの三日月型に細められていた。
「ずっとあなたを見ていましたよ、ディオゴさん。少しはまともに会話ができそうな雰囲気になってきましたから姿を現したのですが」
「シャアアア~~~~~~~~!」
 セキーネの考えは時期尚早だったようだ。
 ディオゴはナイフを手にセキーネに襲い掛かろうとする。
「どう、どう。お、落ち着けディオゴ」
 キルクが慌ててディオゴを後ろから羽交い絞めにする。世話焼きの彼としては、ディオゴは何だか家出していった自分の不良息子のように思えたのである。
「…先程まで敵側だったヤーヒムさんが仰った通りです。そのエンジェルエルフの企みによって、我ら白兎と黒兎は仲違いをさせられていた。繁殖力に優れる兎人は、独自にピーターシルヴァニアン王国を築き上げられるほど、今やアルフヘイムでも存在感を増しています。人口数にしてもエルフに匹敵しますが、白と黒を合わせればエルフの数を上回ってしまうでしょう。それが、エンジェルエルフからすれば気に食わないのです」
「シャアアア~~~~~~~~!」
「どう、どう。ヤーヒムどの!」
「はいはい」
 セキーネの話を聞こうとしないディオゴを、キルクとヤーヒムが協力して羽交い絞めにする。
「…つまり、敵の狙いが明らかになった今、私達が争うのは敵の企みにまんまと乗ってしまうこと。そんなことで宜しいのですか、ディオゴさん! モニークさんが悲しまれますよ!」
「その薄汚ぇ口で、妹の名を呼ぶんじゃねぇ~~~!!!」
「ディオゴ! いい加減にしろ…こいつ!」
「いくら何でも常軌を逸しているな。催眠術でも使って鎮静化させようか?」
「その必要はないよ」
 その声はまた、別のところからだった。 
 セキーネが引き連れてきた十六夜と呼ばれる白兎人の密偵達の中に、一人だけ黒兎人が混じっていた。
「落ち着いて、ディオゴ義兄さん」
 黒いコウモリの翼を生やした小柄な黒兎人であった。
 周りにいる十六夜の白兎人が戦士らしく筋肉質で大柄な体格をしているため、いっそう小柄に見えてしまうが、一応は成人している黒兎人らしかった。
 ギターを持っている。およそ武器を持つには似つかわしくない細い指が、そのギターの弦に触れ、かき鳴らされる。
 不思議と人の心を打つ響きだった。
「───アネモネの花が落日に照らされる。
 ───みんなで肩を組みながら 唄いあったあの帰り道
 ───幼馴染の笑顔 友の声 手を引く幼ききょうだい
 ───ああ ああ 誰もが故郷を想わざる
 ───姉が 妹が 嫁ぐ夜に
 ───小川の岸で さみしさに
 ───泣いた涙の なつかしさ
 ───友の笑顔 父と母の声 手を引く頼もしききょうだい
 ───ああ ああ 誰もが故郷を想わざる……」
 澄み渡る歌声だった。
 幼馴染、きょうだい、親、故郷を想って歌われていた。
「ダニィ……すまない……ありがとう……」
 ディオゴの頬に熱い水が滴っていた。
 ディオゴだけではない。セキーネや、情け容赦のないことで知られる密偵集団・十六夜の白兎人たちでさえ、覆面で顔の大半を隠しながらも、その中で静かに泣いていた。
 キルクもヤーヒムも、ダニィと呼ばれる黒兎人の奏でる哀切を誘う歌に、胸に込み上げるものがあった。
「歌で同じように泣けるってことは、僕らは同じ心を持っているってことさ…。僕らは今まで傷つけあってきた。その恨みを忘れることは難しいだろう。でも、今、君たちが流したその涙は、何よりも真実で、何よりも尊いものだろう……」
 モニークの夫であるダニィ・ファルコーネ。
 彼の奏でる…故郷や故郷に住む人々を想う歌により、ディオゴは我を取り戻したのである。
 そうだ、憎むべき敵はセキーネや白兎人ではない…。
 そんなことは分かっていた。
 だが、認めたくなかった。
 妹のいないこんな世界などどうなっても良いと憎しみを重ねていたから、目に付く者すべてを滅ぼそうとさえ思っていた。
 しかし、妹はそんなことは望んでいないだろう…。
 妹が愛したこの世界、故郷や、人々を守らねばならない…。
 ダニィの歌は、そのことを気づかせてくれたのだった。
「敵は、ミハイル4世…」
「そうだ。真の黒幕はそいつだ」
「討たねばならない」
「妹の無念を晴らすために」
「アルフヘイムを救うために」
「すべてに決着をつけるために」
 ヴェリア城回廊に集まった戦士たちは、ようやく、今こそ一丸となったのである。






つづく

       

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