「な、なんじゃこりゃぁ~~~!?」
ウンチダスとなったメゼツは、自分の白濁とした体に戸惑いの声をあげた。
あのオレンジ色の豊かな髪も、鍛え上げた筋肉もない。両手すらなく、頼りない二本足で支えられただけの僅か1メートルかりの小さな体があるだけ。目の部分だけ僅かにメゼツらしい三白眼となっており、魔紋らしき模様も何とか残ってはいたが…。
「聞いてねーぞ! こんな姿になるなんて…!」
声はメゼツのものだった。
(───慌てるな)
ウンチダスの声が聞こえた。
「!? どういうことだ」
メゼツは耳を押さえようとするが、そもそもこの体には耳も手もなかった。
幼児のようなウンチダスの高い声は、頭の中から響いていた。
(───おれは光の魔素の塊のようなものだ。この体も、おれが“うんち”をひり出すのに都合が良いからこういう形になっているだけのこと。おまえが望めば、この体はどんな形にもなることができる)
「そうなのか…じゃあ…」
ウンチダスとなったメゼツの体が発光した。
途端に、その体は飴細工のようにぐにゃりと形を変えていき……元のメゼツと遜色のない体つきになっていくのであった。
「おお、これこれ…そうだよ、俺はこういう形……だっけ…?」
違和感を感じるメゼツ。
メゼツ自身がイメージした姿のメゼツは、微妙に以前のものと異なっていた。何年も前に、メゼツが自分自身の顔を見た頃の姿というか、やけに幼い顔つきになっていた。つまりそれが、メゼツ自身が覚えている自分の姿かたちなのである。しょっちゅう鏡を見ているタイプではないし、戦いに没頭するばかりで他のことには無頓着な彼は、自分の姿かたちを正確に覚えていなかった。
「むむむ……何か違うぞ」
メゼツは顔を“もにもに”と揉みながら苦々しい表情を浮かべる。
「可愛いしそれでいいんじゃないか?」
「ショタだショゼツだ」
周りがやんやと囃し立てる。
「くそ、人のことだと思って…」
メゼツが怒りの声をあげようとすると、また頭の中からウンチダスの声が響いた。
(───今のおまえは、自由に姿を変えられるのだし、以前のままの姿に固執することはない。おまえが望むなら、鳥だろうが、巨人だろうが、女の姿だろうが、好きな姿になれるのだ。マンボウを倒すのに適した体になればいい)
「そんなこと言われてもな…元に戻りたいだけなんだが」
(───この戦いが終われば、おれはおまえの中から出ていってやるよ。だから、それまで我慢するんだな)
「本当だろうな…!? 頼むぜ!?」
(───任せておけ。さぁ、それより早いところマンボウを倒さないと大変なことになってしまうぞ。“闇”が世界を覆いつくし、何もかも滅んでしまう。マンボウを倒せることができるのは、おれの力を得たおまえだけなんだ)
「ちっ…分かったよ…」
メゼツは目を閉じる。
先程、自身の体を飴細工のように変質させたように、この体で何ができるのか自然に理解することができた。
「……行くぜ」
メゼツは目を見開いた。
ウンチダスの能力であるテレポートで、一瞬で行きたいところに行くことができるとイメージできていた。
「メゼツ!」
横合いからビビの声。
メゼツはそちらを一瞥する。
ビビは、少しうるんだ目で、熱っぽくメゼツを見ていた。
最初は敵同士だったが、何だかんだで共闘する機会に恵まれ、今度は国同士の戦いも関係ないところで、この世界を救おうとしている。クンニバルや黒騎士と共に戦った時よりも、純粋に彼を応援する気持ちになっている。
「頑張ってね! ……でも、生きて帰ってきてよ」
「……おう」
ぷいっと照れくさそうに視線を逸らし、メゼツは軽く答えた。
オレンジ色の頭をぼりぼりと掻きつつ、空を見上げる。
一瞬の静寂。
───次の瞬間、その場からメゼツの姿は消え失せていた。
「……大丈夫かな、彼」
クラウスが心配そうに呟く。英雄と呼ばれ様々な奇跡を起こしてきた彼でも、この異常な展開についていけていないところがあった。
「どうだろうな、あの小僧にすべてを委ねばならんのは、確かに心もとないが」
ゲオルクもクラウスと同感のようで、これまで様々な困難を自分たちの力で解決してきたのを、一度会っただけの良く知らない少年に託さねばならないとは言いようのない不安がある。
「大丈夫だよ」
だが、それらの不安や不信の声を打ち消すように、ビビは力強く宣言する。誰よりもメゼツを信じていた。
「それは精霊戦士としての直感か?」
アメティスタが尋ねるが、ビビは首を振った。
「……だって、あいつは“生きて帰ってきてよ”って私が言ったら、“おう”って答えたんだよ? あいつは、言ったことは守るやつだ」
「……」
「……」
「……」
一同が、顔を見合わせて目くばせをする。
(これは……ボーイミーツガール的な)
(これ。茶化してはまずかろう)
(そうですね、暖かく見守ってあげましょう)
そんな大人たちの思いをよそに。
ビビは、うるんだ瞳のまま胸のあたりで手を組み、メゼツの無事を祈っていた。
オオオ……オオオ……オオオオオ───。
この世のものとは思えない死者の咆哮が響き渡っている。
禁断魔法により、ボルニア地下墓所から解き放たれた“闇”の奔流が、倒されたユリウスや黒騎士から噴き出した“闇”が、それぞれ集束し、空中で一塊となっていく。
徐々に、それが形を整えていき、流線形の平べったい形となり、そこから両足が突き出たような、要は足の生えた魚という奇妙な形となっていく。
闇マンボウであった。
本来は体長80㎝ばかりの小さな体であるが、闇の魔素を吸収していき、遂には体長800メートルもの巨体となっていた。
巨大な闇マンボウは宙に浮いているだけで、その両眼はまだ見開かれてはいない。
まだ完全体になっていないのだ。
“闇”の集束はまだ続いており、巨体は更に膨らみつつあった。
これが暴れ出したとしたら、どんな軍隊だろうがあっという間に押しつぶされてしまうだろう。
甲皇軍もアルフヘイム軍も、闇マンボウが浮いている空域の周辺からは逃げ出していた。
撤退を渋っていた甲皇軍の陸軍大将ホロヴィズも、何かを恐れるかのように撤退を決め、ゲル・グリップらと共にゲーリング要塞を放棄してアリューザ方面へ逃れていった。
今や、地上には傷ついて動くこともできない兵士が散見されるばかり。
が、その死にかけた兵士らが絶望するような光景は、地上でも現れていた。
「くはあああああ~~~~」
地獄から湧き出たような声。
その声を知る者は多い。
甲皇軍の兵士らは恐怖に顔を歪める。
「ば、馬鹿な……あなたは、死んだと言われ……!?」
その兵士は最後まで言い終わる前に絶命した。
にゅるりと伸びてきた触手で、生気を吸い取られていた。
触手の主は、禍々しく発光している。
左上半身は四十過ぎの中年女。
右上半身は五十過ぎの中年男。
いずれも逞しい体つきをして、巨人のように大きい。
そして下半身は巨大ローパー。催淫成分を放つピンク色の液体をまとわりつかせた触手が幾条にも伸び、巨体の周囲を蠢いている。
何かの冗談のような悪魔合体を果たした姿は、紛れもなく、かつてメゼツやビビによって討伐されたクンニバル・オーボカであった。
闇マンボウが桁外れに大きいので錯覚しそうになるが、このクンニバルとて体長50メートルは超える巨体をしている。
「足らぬ…足らぬわぁ~~~! もっと生気を寄越せぇ~~~!」
クンニバルは触手を伸ばし、あちこちで死にかけている兵士を捕食していく。
クンニバルだけではない。
ゲーリング要塞周辺、禁断魔法効力範囲には、恨みを抱えて死んでいった者たちがゾンビと化して復活を遂げていた。
甲皇軍の兵士の姿が多かったが、アルフヘイムの戦士の姿もある。
中には、いつの時代の戦士かよく分からない、古めかしい時代の姿をした戦士もいた。
「雷神召来…我は命ずる…暗き天より来たれ雷の精…
雷撃魔法。
あの黒騎士が使った魔法よりも、更に強大なものだった。
金髪をたなびかせ、恐ろしく年を取ったエルフが、黒いローブをまとって立っていた。
死して尚、その威厳は王者の風格がある。
名のある魔導士なのだろう。
何十年、いや何百年前の時代の人物かは分からないが…。
ひょっとしたら、甲皇軍のホロヴィズが撤退したのも、過去に見覚えのある亡者を目撃してしまったからなのかもしれない。
「……愚かな人間どもよ」
無慈悲で、冷徹で…。
積年の憎しみがこもっている声だった。
「我がサルトゥニアに飽き足らず、アルフヘイムまで侵しに来るとは……死に絶えるがいい」
サルトゥニア…とうの昔に滅びた王国の名だった。
あるいはそのエルフの魔道士は、その国の王だったのかもしれない。
エルフの魔道士の顔も、クンニバルの顔も、生きていた頃に比べると青ざめて血色は悪い。
彼らは本当の意味で生を得て蘇ったのではない。
“闇”の魔素により、死体だけが修復されて地獄から召喚されたのである。
「地獄より来たれ、我が軍団よ!」
エルフの魔道士が叫ぶ。
それと共に、オークやゴブリンやコボルト…様々な武装した亜人兵が、地面からぼこぼこと這い出てくるのだった。
クンニバルも、エルフの魔道士も、その亜人兵らも。
いずれも顔色が悪く、どんよりと濁った眼をしている。
死人の顔である。
ぐるる…。
がああ!
亜人兵らから、獣のような咆哮。
理性など見られない。
ただ、生きている者が憎い。
己らと同様に、死を与えねば気が済まない。
亜人兵らが、どうっと走り出す。
人間も亜人も関係は無く、目に付く生きている者すべてを殺すべく。
地獄の軍団は進撃を開始する。
ゴドゥン教で言い伝えられているように、罪深き者たちは世界の裏側───即ち地獄に落ちて世界を支えていた。
それが蘇ったということは…彼らは世界を覆さんとしているということだった。
地面を踏む感覚がなかった。
体のどこにも、何も掴めるものもない。
濁流に流された時の感覚に似ていた。
周囲の光景は、何も無い真っ黒な空間の中、一つ一つが強烈な光を発する粒子のようなものが物凄い速度で通り過ぎていくばかり。
夜空を見上げた時に輝いている満天の星々が、すべて流れ星になっているかのようだ。
星々の濁流である。
溺れそうになっているわけではなかったが、目を回してしまいそうだ。
「これは……俺は、どこを移動しているんだ?」
さすがのメゼツも不安に駆られて呟く。
(───宇宙だ)
ウンチダスの幼児のような声が、脳内で答えた。
「宇宙だと? それは何だ?」
メゼツというか、この世界に住む人々は、いまだ“宇宙”という概念は一般的ではない。
この世界ニーテリアが球体であることは知っているものの、天空に光る星々の世界のことまでは理解は進んでいない。
甲皇国で飛行船を開発しているような科学者や、星々を頼りに航海をする船乗りの間では、天文学も多少は研究されているものの、そこまで熱心に研究されているわけではないのだ。
だから、ウンチダスは少し噛み砕いて説明する。
(───空に光る星々があるだろう? あれら一つ一つにも、おれたちが今見ているこの世界のように、人々が住む大地が広がっているのだ。星々は、遠すぎて砂粒のようにしか見えないが、実はその数は地上にある砂粒すべてを合わせたよりも多くある。宇宙とは、そのすべての星々の世界を含んだ“すべての世界”をさす概念だ)
「そうなのか…? 途轍もなさすぎて、想像もつかん」
(───そうだろうな。おれのように何億年も生きているものでも、すべての星々の世界を知っているわけではない。だがその中の一つに、おれを作ったミシュガルドの民の故郷があるという)
「!? どういうことだ? 古代ミシュガルド人というのは、天に輝く星の世界から降りてきたとでもいうのか?」
(───まぁ、そんなところだ。もっとも、おれたちが見えるような輝きを放つ星というのは、炎の塊のようなものだ。ミシュガルド人がいた星は、輝く星の周りを回っている小さな星だな。人の住める星というのはそういう小さな星々になる。このニーテリアのように)
「ニーテリアってのは、この世界のことだよな? そういえば、なぜニーテリアと呼ばれるのかは誰も知らないが…」
(───ミシュガルド人がそう名付けた。ミシュガルド人の母星で、働かなくても生きていける人々をニートといった。ニーテリアというのは、“働かなくても遊んで生きていける理想郷”って意味だ)
「…つくづくふざけた連中なんだな、ミシュガルド人ってのは」
(───余談が過ぎたが、おれの能力であるテレポートとは、宇宙を旅するために開発された技術でな。空間と空間の間…すなわち亜空間を渡り、一瞬で遠く離れた場所へ転移することができる。ミシュガルド人はこの技術でニーテリアに渡ってきたのさ。今、おれたちは、かつてのミシュガルド人のように亜空間を移動しているが、行こうと思えば星々のどこにでも出ることができる。その、行くことができる星々が、こうやって流れるように見えているのさ)
「どうやってるのかは分からんが、大した技術だな…それに…」
(───気づいたな? そうだ。おれの数億年にも及ぶ記憶の一部が、おまえにも流れこもうとしている)
「ああ……見える……どうやってミシュガルドが滅んだのかとか、この世界の成り立ちなどが……」
メゼツが見た光景は、想像を絶するものであった。
ウンチダスが数億年生きているというのは誇張でもなんでもなかった。
その記憶が流れ込んでくる。
人の脳では、とても耐えきれるものではない。
また、ゼロ魔素という特殊体質で、光の魔素の影響を受けないメゼツといえど…。
圧倒的なウンチダスの光の魔素が、自分にどのような影響を及ぼすか、まだメゼツ自身も理解していたわけではなかった。
(───通常空間へ出るぞ)
「ああ……」
メゼツは目を見開いた。
……何てこった。
クンニバルのやつまで蘇ってるじゃねーか。
そしてなんだ、あの化物どもの群れ…。
こんな連中が地上を埋め尽くしたら…。
クソッ、何としても食い止めなきゃいけねぇ。
だが、どうすればいい?
武器なんてないが、どうやって戦えば…。
───武器なんて必要ないさ。
必要ない?
───言っただろう。おまえはどんな体にもなることができる。鳥だろうが、巨人だろうが、女だろうが…。
そうか、じゃあ巨人だな。
───そうだな、あんな連中、蹴散らしてやれ。
闇を切り裂くような、眩い光の螺旋が放出される。
光によって、闇に覆われようとしていた空が割れた。
割れた空から、光に包まれた巨人が現れる。
巨大化したメゼツであった。
「うおおおおお!」
咆哮とともに、メゼツは足を振り上げる。
地上を蠢く地獄の軍団に向け、その足のつま先が触れる。
「………ッッ!!!!」
叫びとも呻きともつかない声が無数にあがり、地獄の軍団があっというまに蹴散らされ、蒸発するように消え去っていく。
一撃である。
たった一撃で、すべてが…。
あの恐るべきクンニバルも、エルフの魔道士も、地獄の軍団も片付いていた。
メゼツの巨大さは、今や闇マンボウと同等に全長1000メートルにも及ぼうという、途轍もないものだったのだ。
オオオオオオオオオオオオオオ!!!!
闇マンボウが、巨体を揺らして咆哮する。
その両眼が見開かれる。
湿り気のある粘っこい視線であった。
メゼツは、何をなすべきかは分かっている。
かつての、数万年におよぶ因縁の決着をつけるときだ。
「来いよマンボウ! 武器なんて捨ててかかって来い!」
光の巨人となったメゼツは、中指を立て、挑発した。
地上最大の激闘が、最後の戦いが、今始まろうとしていた。
つづく