Neetel Inside 文芸新都
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ミシュガルド戦記
86話 新大陸ミシュガルド

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86話 新大陸ミシュガルド







 波濤が押し寄せていた。
 よりによってこんな深夜に嵐に遭うとは…。
 幾たびも大波が船を襲い、デッキで帆を畳んでいた船員が波にさらわれ、黒い海に消えていった。
 なんてこった…SHWの港町でも飛びっきりの腕利きの船員を雇ったってのに…。
 このあたりの海域には恐ろしい海の魔物も棲んでいるらしい。海に落ちれば、たちまちそいつらの餌食になることだろう。
 冗談じゃねぇ。この俺が、あの過酷な戦争を生き延びた歴戦の勇士ジョワン=ヒザーニヤさまが…何も成さぬままに死んでたまるものか…!
 アルフヘイムと甲皇国との戦争が終わってから五年が経った。
 アルフヘイムの大地は腐り、甲皇国もまた疲弊しきっている。両国はSHWからの人的・金銭的援助により、徐々に復興への道を歩みだしているところだ。
 SHWは、戦争前でも世界経済の半分を牛耳ると言われていたが、今やその割合は六割とも七割とも言われるほど潤っていて一人勝ちの状況。
 だが、庶民には余り関係がない。富を得ているのは一部の大商人だけ。SHW人でも貧しい者は貧しいままである。
 俺の故国ハイランドもSHW商業連合内の一つの小国だが例外ではなく、ゲオルク陛下が頑張っておられるが、相変わらず貧乏国家のままである。
 五年前の終戦後、アルフヘイムから帰還したゲオルク陛下だが、甲皇国に加担していたアーベル王子を再び王位継承権者として迎え入れようとされた。だが、ハイランドは傭兵国家で実力主義だ。ゲオルク陛下自身はとんでもない超戦士で誰もが尊敬しているが、アーベル王子は違う。だから、息子可愛さにアーベル王子を次期後継者にしようというゲオルク陛下に愛想をつかす者も多かった。
 それに、あの戦争で劣勢のアルフヘイムに味方し、何とか引き分けにもっていったゲオルク陛下の手腕は大したものだったが、当のアルフヘイムからは大した褒章金も得られていない。戦争直後のアルフヘイムにそんな余裕はなかったからとはいえ、多くの兵士を犠牲にした見返りとしては、まったく納得のいくものではなかった。
 それに、ゲオルク陛下もエレオノーラ王妃も、SHWのある東方大陸出身ではなく、元々は甲皇国人だった。偉大なるハイランドの建国王とはいえ、未だに“元甲皇国人”として見ている者はいるのだ。
 実力主義に反する王位継承。
 得られるものが少なかった戦争。
 そして出自に対しての色眼鏡。
 これらが積もり積もって、反ゲオルク派というものが作られていった。
 そして、そんな国内の反発を抑えるため、ゲオルク陛下は一計を講じられた。
 アーベル王子を新大陸ミシュガルドへ遠征に派遣し、新大陸に眠るという巨万の財宝を獲得し、国の経済を立て直そうというのだ。あの戦争で得られた最大の戦果はアーベル王子の帰還だった。その王子自身がハイランドに富をもたらせば、全ての問題は払拭される。
 ───そう、新大陸ミシュガルド。
 俺たちは、ハイランドからはるばる、その未知の新大陸へ向けての航海の途中にあった。アーベル王子もこの船には乗っていて、俺はその護衛の一人ってわけさ。だが、こんな自然災害じゃどうしようもねぇ。このままじゃいずれ海の藻屑に…。
「グワッグワッグワーーッ!」
 その時、恐ろしい獣のような咆哮が響き渡った。
 ……な、なんだあれは!?
 人間の背丈ほどはあろうか、巨大な亀のような魔物が、凶悪そうな赤い瞳を光らせ、薄紫色の硬そうな甲羅を見せていた。このような波濤の中、平然とした様子で漂っているではないか。
 いや……むしろこの嵐は、ヤツの仕業なのでは!?
 亀の魔物が咆哮すると、波濤が一段と激しくなり、商船を襲ってくるのだ。
「うわあああ!!!」
 波濤が押し寄せ、また誰かが波にさらわれて海中へ落ちていった。
 このままじゃ航海の担い手がいなくなって、船が動かせなくなっちまう!
 あの魔物を何とか倒さねぇと…しかし、海の中にいるヤツを倒すことなんて…。
 俺の槍なんて届かねぇし、あの硬そうな甲羅は、銃弾や矢も弾きそうである。
「グギャギャゲギャーーーッ……!」
 亀の魔物がまた咆哮をあげる。
 更なる波濤が押し寄せるのか……ああ、もうダメだ……!?
 いや、違った。
 咆哮と思われたのは、亀の魔物の断末魔であった。ヤツの甲羅が裂け、黒っぽくも青い血が勢いよく噴き出していた。
 だ、誰がこんな芸当を…!?
 見るといつの間にか、亀の魔物の前に、海面に立っている金髪の剣士がいた。若い。まだ少年の面影を残してさえいる。
 そんな……まさかあれは。
「あ、アーベル殿下!?」
 何の魔術であろうか、アーベル王子は普通に海面に立っていた。
 いや、そういえばゲオルク陛下も何の魔術か知らんけど、海面に立ってるのを見たことがあるぞ。精霊の加護だとか何とか言ってた気がする。
 アーベル王子は亀の魔物を仕留めると、ふわりと後方へ飛び退き、船のデッキへ降り立った。亀の魔物の返り血を浴びてさえいない。旅装とはいえ王子として最低限の装いは整えているが、その王子様然とした金モールの衣装も一切雨風に晒されている様子がない。どういうことだ、こっちはびしょ濡れだってのに…。まるで、王子の周りだけ雨風を退けるバリアーでも張られているかのようだ。
 王子は、亀の魔物から剥ぎ取った甲羅の欠片を手にし、トロフィーのように高々と掲げた。
「これで嵐は収まるだろう」
 王子の言葉通りだった。
 やはり、あの嵐は亀の魔物の仕業だったようだ。
 嵐は徐々に収まり、海は静けさを取り戻しつつあった。
 これまで新大陸ミシュガルドへ向かう商船は数多くいたが、なぜか途中で嵐に遭って沈没して多くの命が失われていた。それがすべてあの魔物の仕業だったとしたら……。ああ、そういえば、ミシュガルドの交易所で危険な魔物だからと討伐依頼が出されていたリストの中に、あの亀の魔物もいた気がするぞ。確かエルダー・タートルとかいう魔物だ。危険度シャルフリヒター…つまり「大規模被害が懸念される」とされていた…。これは……とんでもない大手柄ではないだろうか。
「王子! すげぇ!」
「さすがゲオルク陛下のご子息だ!」
「王子を守るべき俺たちが、まさか王子に助けられるとは…」
 ワッと船員たちが歓声をあげて王子の周りに駆け寄った。
 惜しみなく送られる称賛に、アーベル王子は首を振る。
「そんなことより、船から落ちた者たちを助けなければ。皆、手分けして捜索するんだ」
 あれほどの英雄的行動の後だというのに、アーベル王子は少しも驕ったところがなく、そう言ってのけた。肉体的にもだが、精神的にも王者としての風格が出てきているようだった。
 皆、これまで王子のことを正直舐めていた。俺だってそうだ。親の七光りに何ができるんだという気持ちがあった。だがこの瞬間、そういう気持ちは消え失せた。
「了解です!」
 アーベル王子の指示により、船員たちは迅速に小舟を繰り出し、商船の付近に浮かんでいる仲間達の救出に向かう。王子も本当に何の魔術か知らないが、普通に海をすたすたと歩いて仲間達の救出を手伝ってくれている。
「王子、いったいどうして…?」
 海の上を歩けるんですかい?
 皆が不思議そうに問うと、王子は複雑そうな顔で苦笑いをした。
「父上に鍛えられたのさ。僕の兄上は腹に穴が空いて死んでしまった。だから僕は、腹に穴が空こうが生き延びられるぐらい強くなれってさ…」
「腹に穴空いちゃ、さすがに死ぬでしょう」
「だと思うけど、父上は本気でそう言ってたんだよなぁ…」
 戦争から戻ったゲオルク陛下は、再度アーベル王子に王になるための修行を課していたという話は小耳にはさんだことはあるが、一体どんな修行だったのだろうか…。




 長い航海もようやく終わり、アーベル王子以下十名ほどの我々ハイランド傭兵団は、ようやくミシュガルドの土を踏むに至った。
 眼前に広がるのは、ミシュガルド大交易所。
 新大陸ミシュガルドが戦争直後の五年前に発見されてから、最初に入植者たちが建設した町である。
「ようこそ、ミシュガルドへ」
 町の正門アーチの下で、訪れる人すべてに声をかける金髪エルフの少女がいた。
「ようこそ、ミシュガルドへ」
「ようこそ、ミシュガルドへ」
「ようこそ……」
 ずっと同じ調子で声をかけ続け、その笑顔には一片の曇りもない。
 声をかけられた旅人たちは、大抵は可愛らしいエルフの少女から挨拶を受けて機嫌よく返事をしていたが、少女が余りにも同じ調子で声をかけ続けていることに気付いた一部の者は、少女を冷やかすように野卑な声をかけたり、少女の胸や尻を撫でたりしてからかっていた。
「ようこそ、ミシュガルドへ」
 それでも少女は動じない。同じ場所に立ち続け、機械のように正確に同じ調子で声をかけ続ける。
「おい、あれ…」
 隣の兵士が俺に囁くが、俺は黙って首を振った。
 戦争で頭をおかしくしちまった少女といったところだろう。
 どこの国でもそうだったが、あの戦争の“傷跡”は色んなところで見られた。
 親を亡くした子供、傷痍軍人、戦争での価値観が忘れられない者…。
 戦時中にもそういう者たちはいたが、殆どの者は気にも留めなかった。だが、平和時になると、彼らの存在は浮き彫りとなる。平和は訪れたかもしれないが、傷跡ってのはたった五年で消えるものじゃないんだ。
「───新大陸発見と開拓は、そんな戦争で疲れ切った人々を奮い立たせたのじゃよ」
 街角の雑踏で、頭にターバンを巻いた小さな老人が子供たちを相手に話を聞かせていた。
 俺はその老人になんとなく見覚えがある気がして、ふと立ち止まって話を聞いてみる。
 老人の周りには、まだ十歳にも満たないような子供が大勢集まっている。そういえば、ミシュガルドには妙に子供が多いらしい。家族ごと新大陸に移住してきた者も数多くいるし、戦争が終わった安心感からか、各国でベビーブームが起きているらしい。失ったものを埋めるかのように、新しい命が次々と誕生していると。
「───すべては五年前の戦争終結時、アルフヘイム側が放った禁断魔法による余波がもたらしたのじゃ。当時はまだ誰も気づいておらんかったが、あの魔法は、世界中から闇の魔素と呼ばれるエネルギーを呼び寄せておった。闇の魔素は忌まわしいもので、触れるだけで人は死に、大地は腐る。我々が立っておるこのミシュガルド大陸は、最も闇の魔素が濃厚に残っておる地域じゃったが、禁断魔法によって全て吸い取られたのじゃ。結果、アルフヘイムの大地は腐ってしもうたが、ミシュガルドの大地は復活した。濃厚な闇の魔素によって誰も立ち入ることも観測することもできなかったが、ミシュガルド大陸は数千年前からずっと変わらずここにあったのじゃ。五年前、ミシュガルドが発見された時も、“ミシュガルドが復活した”という言い方をされたのもそのためじゃな」
「へ~~! そうだったのかー!」
 無邪気な子供たちが、感心したようにうなずいていた。
「───そして、ここからが重要じゃが、復活したミシュガルド大陸は、闇の魔素が消えた代わりに、世界中からあらゆる精霊が濃密に集まる場所となっておった。精霊というものは“蜜蜂”のような習性があってな。甘い蜜を出す花の周りに集まって来る。精霊にとっての花とは、即ち精霊樹じゃ。つまり、このミシュガルドのどこかには、巨大な精霊樹があると言われておるのじゃよ」
「言われておるって……まだ見つかっていないの!?」
「───さよう。まだ見つかっておらん。というのも、精霊樹は、利用しようと思えば恐るべき力ともなる。大戦中に精霊の力を使ったあらゆる兵器があったように。かの有名な精霊戦士も兵器のようなものじゃな。精霊の加護を得られれば、強大な魔法も操ることができるし、一振りの剣だけで数千の敵を相手にすることもできる。ゆえに、精霊樹は自分自身の姿を見せるに値する者の前にしか姿を現さないのじゃよ」
「精霊樹って、要はおっきな木でしょ? それなのに自分で考えたりしてるの?」
「───精霊樹が何であるかは、未だ明らかになっておらん。古代ミシュガルド時代から存在しておるのじゃ。数千年どころか数万年も生きておる。古代ミシュガルド人が育てた知恵ある樹、即ち生体機械のようなものであるという説まである。あのような神秘的な存在であれば、不思議ではないじゃろうな」
「へ~~なるほど~~」
 老人の話を熱心に聞いている子供たちの目は輝いている。
 彼らはこうやって夢や希望を持ち、いずれ冒険者として成長していくのだろう。
「───そして、数千年もの間、手付かずじゃったミシュガルド大陸は、可能性の塊じゃ。あらゆるものがそこにあると言われておる。精霊樹だけでなく、かつての古代ミシュガルドの遺産。金銀財宝、資源、未知の技術…。危険な魔物も多くいるが、それでも人々は、このミシュガルドに押し寄せた。新大陸開拓は、世界中の者たちが競って行っておるのじゃよ」
 老人の話を聞いていると、俺も胸の高鳴りが抑えきれない。
 老人の言う通り、新大陸ミシュガルドが復活して五年。
 それでもこの大陸で判明していることはごくわずか。
 人類に残された最後にして最大のフロンティアなのだ。
 甲皇国からは皇女ガデンツァと丙家総帥ホロヴィズを筆頭に、大戦を生き延びた優秀な軍人と評判のゲル・グリップ大佐など…多くの軍人が乗り込んできているという。ミシュガルド大陸西部に「ガイシ」なる植民都市を築き、着々と勢力を広げているという。
 アルフヘイムからも大陸最南端に位置するこの交易所の近くに、アルフヘイムベースキャンプがあるという。かつての精霊の森の巫女(今は腐森の巫女と呼ばれる)であるニフィル・ルル・ニニーや、アルフヘイムの元首相ダート・スタンが、それに僧兵長メラルダ・プラチネッラや精霊戦士アリアンナが彼らの護衛の傭兵として乗り込んできているという。
 SHWも同様に、ジャフ・マラーやデスク・ワークといった商売人が続々と手勢を率いて乗り込んでいるという。商業連合で働く多くの傭兵がついてきているようだ。
 政府関係者、軍人や傭兵だけじゃない。
 冒険者、学者、商売人、芸術家などなど。
 ありとあらゆる人種・職業の者たちが、この新大陸ミシュガルドに引き寄せられているのだ。
 そうだ、俺だってここでなら一代で財を成すことだって…。
「ヒザーニヤ」
 声をかけられ振り向くと、アーベル王子が思案顔で立っていた。
「何ですかい、殿下」
「今の老人の話……面白いな。精霊樹か、それを見つければ、僕がハイランドの王位継承権者として認められるだけの大きな手柄となりそうだ」
「ええ、確かにそうでしょうね。しかし精霊樹が認めた者の前にしか姿を現さないというし、難しくありませんか?」
「それについては僕に考えがある。まずは情報収集をしよう」
 王子が言うには、戦時中に甲皇軍に所属していた時、度々アルフヘイムの精霊戦士と遭遇していたらしい。名前はビビ……って、あの“緋眼”かよ。
「ビビなら知ってますよ。有名人ですから。俺もアルフヘイム軍の陣営で遠目に見かけたことはあります」
「どうもこの交易所にいるらしい。精霊戦士と呼ばれた彼女の協力を得られれば、精霊樹を見つけるのに役立つんじゃないか?」
「殿下にとっては、かつての敵を味方にって訳ですな。中々面白いじゃありませんか」
「ゲオルクの息子だといえば協力してくれるやもしれん。個人的には余り父の名に頼りたくはないが、小さなことにこだわってはいられないしね」
 そんないきさつで、俺たちはビビを探して町中を歩き回ることになった。




「あの亀の魔物を討伐したことで、かなりの報奨金が出た」
 王子は満面の笑みで、大交易所の中心にある「三か国合同調査報告所」から出てきた。
 SHW、アルフヘイム、甲皇国。
 三か国合同で築かれたこの大交易所は、平和の象徴ともいえる町だった。
 各国がそれぞれ資金を出して、未知の大陸ミシュガルドの調査をしている。その拠点となるのが合同調査報告所であり、未知の魔物を発見したり、危険な魔物の討伐依頼をこなせば報奨金も出たりする。
 エルダータートルはかなり危険度の高い魔物であり、その討伐報奨金だけで一年は楽に遊んで暮らせるだけの大金を得られたのだった。
「幸先が良い。だが、この報奨金だけで国を救えるわけがない。この資金を元手に、更にミシュガルドで大きな富を掴まなければな」
「王子は真面目ですねー。普通の傭兵は、稼いだら稼いだ分だけパーッと使っちまうってのに…」
「そうなのか?」
「ですよ。ゲオルク陛下だって、若い頃は稼いだらパーッと女を買いに使ってたって言ってましたしね」
「……ぼ、僕は別にそういうのは興味ない…」
 真面目だなー。
 生まれついての傭兵だったゲオルク陛下と違い、生まれついての王子様だもんな。
 王子と俺たちは、次なる良い儲け話が無い物か、また精霊樹や精霊戦士ビビの噂話を求めて、町中を探索していくことにした。
 こうして町中を歩いていると感じるが、裏ではどうか分からないが、表向きにはこの町は平和なものだ。普通に三か国の者たちが往来しており、国籍のことなどまったく気にすることなく共存している。甲皇国の者がローパーの蒲焼を屋台で売っており、それをアルフヘイムの者が普通に買って食べている。
「ローパーの蒲焼…」
 ぼそりとアーベル王子が呟く。
「美味しいですよねー、あれ。見た目結構グロテスクなんですけど」
「……そうだな、甲皇国にいた時、よく売られていてな。結構、好きだったんだ」
「甲皇国の食い物はぜんぶ不味いけど、あれだけは認めますよ」
「か、買ってもいいかな?」
「いいんじゃないですか? 何を遠慮することあるんですかい。王子が稼いだ金で何を買おうが自由ですよ」
「……父上が、ローパーは嫌いだからって、ハイランドに戻ってからは一度も食べられなかったんだ」
「ははっ、じゃあ好きなだけ食いましょうよ」
「そ、そうだなっ…!」
 王子は無邪気と言っていいような、ぱぁっと明るい表情を見せる。
 子供かあんたは。
 王子はその屋台のローパーの蒲焼をあるだけ買い占めてしまった。
 …おいおい、いくら安い屋台料理だからって。
 だが百本以上はある蒲焼を、王子は従者としてついてきたハイランド傭兵皆に分け与えてくれた。
「皆で食べてくれれば、僕がローパーの蒲焼を食べたってことが父上にバレても共犯ってことになるから」
「殿下…。何もそこまで。ゲオルク陛下は遠いハイランドですよ。別に往来で蒲焼食ったぐらいで」
「そ、そうだな。ああ、やっぱり美味しい…この食のポルノのような味わいたまらない。ローパーの蒲焼を食べながら往来を堂々と歩くだなんて恥知らずなこと、誰も僕のことを知らない新大陸に来たんだなぁって感じがすごくするよ」
 といって、王子は蒲焼食いながら締まりのないアヘ顔になっている。夜中に親の目を盗んでこっそりお菓子を食べている子供のようなテンションである。
 エルダー・タートルを一刀で切り伏せた英雄とはとても思えない。
 よく分からない人だ。
 とはいえ、ローパーの蒲焼はマジに旨い。食のポルノだとはちょっと言い過ぎかもしれないが、王子にとってはこのジャンクな味わいは気取った宮廷料理よりよっぽど美味いんだろう。奢りだし、遠慮なく食べさせてもらおう。
 ……気のせいだろうか。
 いや、そうではなかった。
 王子と共に蒲焼を路上で食べていると、妙な視線を感じたのである。
 往来で十人の屈強な傭兵がローパーの蒲焼を爆食しているというのは多少目立ったのかもしれないが…。
 ずさり、ずさり。
 引きずるような足音が、目の前から…。
 王子も俺たちも異様な気配を感じ、眼前の往来から迫って来る気配に目を向けた。
「あ……あ、あああ……」
 俺の隣の兵士が恐怖で口をパクパクさせている。
 俺だって同じだ。
 正直、ぶるっちまうプレッシャーを感じた。
 歴戦、熟練のハイランド傭兵ともあろうものが…!
 いや、戦いに慣れているからこそ分かるというか、下手に動けば命を取られかねないという強者からのプレッシャーを感じ取ってしまうのだ。
「それをよこせぇぇ!」
 魔物が吠えたのかと思った。
 凶暴にぎらつく赤い目。
 俺たちは竦んじまって動けない…!
 目の前にいるのは、痩せっぽちで、昔と同じような赤いビキニアーマーをまとった褐色エルフの少女だっていうのに。
 “緋眼”のビビが、まさかこんなところにいるとは。
「ぐるるるる……」
 唸り声をあげるビビ。
 荒んだ目ををしている…この五年で何があったというのだろうか。
「ヒャッハー!」
 その時、背後からも奇声があがった。
 見ると、こっちは全然大したプレッシャーはなかったのだが、同じような褐色エルフ…というかダークエルフか。いかにも盗賊といういで立ちの小悪党っぽい少女がいた。ナイフを威嚇的に見せびらし、刃を舌で舐めまわしている。
「その蒲焼をよこしなぁ! あたしらは空腹なんだ! 何するか分かんねぇぞ!」
 これは妙なことになってきた…。
 あの大戦の英雄の一人である“緋眼”のビビが、まさかこんなケチな小悪党を連れて追いはぎ行為をしようというのか。なんとも情けない話である。
「大人しく明け渡した方がいいぞ」
 違う方向から、冷静な声がかけられる。
 見ると、こいつはまたビビや後ろの小悪党の仲間だろうか? 短剣を腰に差し、鎧などは身に着けていない軽装であるから、やはり盗賊なのだろう。妙に落ち着いた人間族の女である。
「そこの褐色エルフは、金欠でもう三日もろくなものを食べていないんだ。だがめっぽう強くてな。食い物を恵んでやれば落ち着くだろう…」
 こしゃくにも冷静に助言をしつつ、半分脅してもいるようだ。
 何だかなぁ…“緋眼”のビビだけだったら恐ろしい敵に遭遇してしまったと絶望的な気分になっていたが、この小悪党の手下二人を見て、逆に落ち着いてしまった。
「……どうします、王子?」
 俺は少し呆れていたが、王子に判断を仰ぐ。
「……まさか蒲焼で精霊戦士が釣れてしまうとは、ミシュガルドって面白いところだな」
 王子も少し呆れている様子だったが、笑いをかみ殺してもいるようだった。






つづく

       

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Neetsha