Neetel Inside 文芸新都
表紙

ミシュガルド戦記
88話 望まぬ再会

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88話 望まぬ再会






 今やミシュガルドは世界の縮図と呼ばれている。
 七十年に渡るあの戦争…亜骨大聖戦が終結して五年が経ち、大陸南端部に三大国(甲皇国・アルフヘイム・SHW)共同出資による大交易所が設けられ、表向きは三国協調路線による大陸開拓が進められていた。
 大交易所は年々増加する住民に対応できるように市街地の拡大・建設ラッシュが進んでおり、港湾部には毎日のように三大国からの開拓移民船が押し寄せ、往来には人間、エルフ、獣人と様々な人種でごった返し、国籍も人種の垣根も超えた平和的な交流が進んでおり、多種多様な新たな文化を花開かせている。
 大交易所市街を少し歩けば、甲皇国のローパーの蒲焼のような屋台料理を食べながら、アルフヘイムの身体能力の高い亜人による曲芸も観られ、SHWのあらゆる種族の娼婦を抱くこともできる。五十歳の人間のおばちゃん娼婦と八百歳だが若く見えるエルフの娼婦とどちらが良いかなどのレビューなども盛んになされている。
「世界を感じたいか? ならミシュガルドへ、大交易所に行け!」
 ……と、言われるほどの繁栄ぶりであった。
 今や大交易所の人口は百万人をゆうに超え、更に増え続けている。これまでは甲皇国帝都マンシュタインが世界最大の都市であるとされていたが、今やその地位は完全に大交易所に移っていた。
 だが急速な開拓の裏側では、三大国それぞれの政府・軍が他国を出し抜いて成果を挙げようと躍起になっており、水面下でしのぎを削っている。
 甲皇国からはホロヴィズ将軍率いる好戦的な丙家の将校が。
 アルフヘイムからはダート・スタン首相率いるエルフ僧兵集団が。
 SHWからは大小様々な傭兵集団が。
 また、三大国に属さない多くの個人、冒険者パーティーが。
 それぞれが古代ミシュガルドの遺産を狙い、豊かな資源を採取し、土地を開墾して農地を広げ、そして大交易所以外にも植民都市を築いている。
 三大国はそれぞれ自国での経済活動に限界を感じていた。
 甲皇国は、アルフヘイムの植民地化に失敗し、長きに渡る戦争ですっかり経済は疲弊しきっていた。三大国で最大だった人口も大きく減少しており、働き盛りの男性がまったくいない。軍も縮小し、女子供と老人に頼らざるを得ない。国内には退廃的な風潮が蔓延し、現実逃避に麻薬や酒に溺れ、戦争の悪夢が覚めやらずに気狂いとなる者が後を絶たず、どこからどう見ても衰退国家と目されていた。
 アルフヘイムは、戦争末期の禁断魔法によって国土の三分の一が腐敗し、しかもその腐敗は徐々に広がっている。元々は三大国で最も豊かな土地であったのに、今や見る影もない。更にエルフや多くの亜人たちは、「精霊の加護がある土地」だからこそ長命や優れた身体能力にも恵まれていた。それが殆ど無くなった今、アルフヘイムで新たに生まれるエルフや亜人らは短命で弱弱しい体しか持たないし、その新生児もほんの僅かしか生まれてこないという少子化の病魔に蝕まれていた。
 SHWは他の二国が落ちぶれたゆえに相対的に豊かであるが、元々は亡命者の国と言われているように骨大陸やアルフヘイム大陸に比べて遥かに貧しい東方大陸に成立した国である。また、甲皇国とアルフヘイムとの交易が生命線なのに、その二国がどちらも滅亡の危機に瀕している以上、新大陸に活路を見出すのは自然なことであった。
 このように、三大国それぞれに新大陸開拓に躍起になる理由がある。
 ミシュガルドにそれぞれの勢力を伸長させていく各国だが、はっきりと国境線が引かれているわけではない。
 それでも甲皇国は大陸西部に植民都市ガイシを築き、アルフヘイムは大陸東部にアーミーキャンプを設営し、それぞれ軍を駐屯させ、たまに小競り合いを起こしていた。
 表向きは平和となった世界。
 新大陸開拓に躍起となる人々の熱気は溢れんばかりであり、だが火種となる材料はそこかしこにある…。
 そんな光と闇を内包した情勢の中…。




 空に不吉な暗雲が立ち込めていた。
 時刻はまだ昼過ぎのはずだが暗雲によって夕方のように薄暗くなっており、黒雲の隙間からは不気味な雷鳴も轟いていた。
「一雨きそうな天気ですな」
「うむ…」
 大交易所市街地を、目立たぬようにフードを目深にかぶり静かに歩く一団。
 フードに隠されてはいるが、それでも耳があるあたりの布地が盛り上がっているのが分かり、目敏い者が見れば彼らがエルフであることを察したことだろう。
(こんな天気の日には、古傷が疼くな…)
 空を仰ぎ見て、長身のエルフの男が左腕を押さえた。
 男の名はキルク・ムゥシカ。
 かつてアルフヘイムの首都セントヴェリアにて警備隊長を務めていた凄腕の弓兵である。元々はアルフヘイムにおいても小さな領地を持つ小貴族であったが、今はその領地も禁断魔法によって腐敗し、財産と呼べるものはすべて失い、ミシュガルドに来ていた。
「交易所での暮らしぶりはどうだ」
「悪くありませんよ」
 キルクは肩をすくめて答えた。
「かつての敵である甲皇国の人間もいますが、悪鬼羅刹のように思えた彼らも、話してみれば案外普通でした」
「そうかね…」
 キルクの答えに、彼より頭三つは小さな老人は穏やかに笑みを見せた。
 アルフヘイム首相ダート・スタンである。
 アルフヘイムは長年、エンジェルエルフのミハイル4世によって国政を裏側から操られ、穏健派のダート・スタンは幽閉されていたため、戦争を止めることができなかった。
 戦争終結後、アルフヘイムの復興にあたっているダート・スタンだが、戦争終結に貢献しつつも領地を失ったキルクに対して何らかで報いてやりたいのは山々だったが、大きく国力を落としたアルフヘイムにその余裕は無く…。そのため、キルクに負い目を感じていたのだ。が、キルクがミシュガルドで元気にやっていることに安堵していた。
「SHWは金払いが良い。交易所の市政の運営にあたって金を出しているのは殆どSHWです」
「ううむ…きゃつらは何を考えているのか分からぬゆえ、警戒せねばならぬが…」
「SHW上層部が何を考えているかは私にも分かりません。が、三国協調路線。これを表向きは掲げています。私もそれを実践するのみですな」
「うむ、そうじゃな…」
 三国協調という理想は素晴らしいが、主にそれを推進するSHWは綺麗ごとを言いながら裏側で金勘定をしている詐欺師どもだ。ダート・スタンはSHWのそんな汚い商人どもを良く知っているので不信感を拭えなかった。
 だが、キルクのように理想を信じて努力している者たちは多い。彼らの努力を否定している訳ではない。
 実際、キルクの治安維持活動は評価が高かった。
 キルクを雇っているのは三国共同出資による交易所市庁である。金を出しているのはSHWだが、市庁はどこの国にも属していないことになっており、独立した機関として市政を行い、三国協調路線にしたがって交易所の人々を分け隔てなく守ろうとしている。
 キルクはその忠実な実践者である。エルフでありながら、別にアルフヘイムびとを贔屓して守るでもなく、かつての敵国である甲皇国人でも守るし、犯罪を起こせばアルフヘイムびとでも逮捕していく。戦争の英雄の一人であるキルクであるから、彼の姿が見えるだけでも一定の治安維持効果があるほどだ。
 そして今回キルクは、アルフヘイムから訪れたダート・スタンを市庁舎へと護送する任務にあたっていた。
「それで? 今日はどのような用向きで交易所に? あなたを含め、各国から要人が集まって会合を開こうという。それも極秘に。何が始まるのかと部下たちも不安がっていますよ」
 ダート・スタンは深々と嘆息した。
「……詳しくはわしも話せぬし、分からぬこともあるが……。ミシュガルドにおける“敵”についてのことらしい」
「敵、ですと? 戦争が終わった今、今更何と戦おうと……」
 その時、またも空の黒雲が雷鳴を轟かせた。
 ぽつり、ぽつり、と雨が滴り……ほどなくそれは大雨になった。
「いよいよ降ってきやがった」
 キルクは舌打ちする。
 雷をともなう大雨の日は、古傷が疼いた。
 かつて、息子に斬られた左腕が。




 ざぁざぁと降りしきる冷たい雨が市庁舎を濡らしている。
 だが、市庁舎の室内は暖炉で暖められ、ふんだんに燭台が置かれ明るく照らされている。室内の調度品はどれも見事なほど美しく輝き、清涼感のある香りまでが漂っている。甲皇国、アルフヘイム共にこんなものを揃える金はない。どれもこれもSHWが出した金によって設えられているのだ。
「……さて、お歴々の皆様方。お足元も悪い中、よくぞお越し頂きました。このデスク・ワーク。感謝の念にたえません」
 慇懃無礼な物言い。
 ターバンを被り、煌びやかな装飾がなされた上衣に、裾下がだぼっと膨らんだズボンを履いている。乾燥した砂漠が広がる東方大陸らしい衣装。
 それを身にまとったまだ二十代後半から三十代前半ぐらいにしか見えない優男が、商人特有の作られた笑みを浮かべていた。
 冗談のような名前だがデスク・ワークはこの若さでSHWでは金融業で成功を収めている“社長”であり、SHWの頂点に君臨するヤー・ウィリー大社長のすぐ下の地位にまで昇りつめている敏腕経営者である。親の地盤を受け継いで大社長となったヤー・ウィリーと違い、デスク・ワークは一代で財を成している。そしてSHWのミシュガルド開拓において最も貢献したビジネスマンということで、大交易所の“市長”にも三大国による合議により選ばれた。
 また、彼は市長となってからも圧倒的な支持を住民から得ていた。まず彼は大交易所の住民に対して課税をしなかった。市政の運営費は、殆どデスク・ワーク傘下のグループ企業の利益から捻出されているのだ。
 そもそもデスク・ワーク傘下のグループ企業の銀行・武器商・飲食店・宿泊施設などは結構な暴利を得ている。百万の人口の大半は、生活インフラや必需品においてデスク・ワーク傘下の企業の世話になっているので、何らかの形で金を落としているし、いわばそれが税金のようなものだ。
 そうして集められた金で市政が行われ、公共工事でどんどん町は拡大していき、多くの雇用が創出され、また新たな金を生んでいた。国家も町も、治めるのではなく経営するというのがSHW流儀なのである。
 大交易所の人口が世界のどの都市よりも増えていったのも、デスク・ワークの市政が優れていたから……と、もっぱらの評判であった。
「……ふぅむ」
 そんな敏腕経営者でもどうしようもないこともある。
 デスク・ワークは、頬をぽりぽりと指で掻く。肩をすくめ、小さく嘆息した。張り付いた笑みはそのままだが、若干困ったような笑みである。
「はぁ~何とかなりませんかね、この空気。お歴々がた。せめて営業スマイルぐらいしましょうよ」
「できん相談だ」
 そう切って捨てるのは、ソファに腰掛けた甲皇国将軍ホロヴィズであった。
「糞エルフ共の目の前で、にこやかに笑えなどと」
「笑止。不気味な仮面をかぶっておるくせに、笑ったところで分からぬではないか」
 そう言い返すのは、テーブルを挟んで対面のソファに座ったアルフヘイム首相ダート・スタン。
 かつての宿敵同士は、停戦交渉の時ですら顔を合わさなかったのに、大交易所での会合で初めて相まみえていた。年甲斐もなく罵り合う二人の間に火花が散っているようだ。
 兵士や武器は入れず、広々とした室内には三大国とそれに準ずる国々の代表と秘書代わりの側近が一名だけ帯同を許されていた。
 SHWからはデスク・ワークとその秘書として、エア・チェアーというエルフ女性が。無表情で速記をこなす彼女はまるで機械のようで存在感が無い。だがその実、彼女は元アルフヘイム軍弓兵として名を馳せた人物であり、更に弓を持たずとも素手で戦えるビキニ拳法の使い手でもあるので、こういう場での護衛としても有能だった。ちなみに無乳である。
 甲皇国からは好戦的で知られる丙家総帥であり老将軍ホロヴィズ。付き従うは、ホロヴィズの右腕で知られるゲル・グリップ大佐……ではなく、そのゲルが最も信頼する参謀スズカ・バーンブリッツ大尉。事務処理能力や作戦計画を立てるのに優れた女性士官であり、やはりこういう場にはうってつけであった。ちなみに巨乳である。
 アルフヘイムからはダート・スタン首相。その側近としてアルフヘイム魔法監察庁(違法な魔法の使用を取り締まる警察のような組織)から派遣されたフロスト・クリスティーという女性魔道士が。若いエルフながら有能で知られているが、見た目もダート・スタンの好みだから選ばれた。ちなみに巨乳である。 
「うーむ…」
 豊かな顎鬚を撫でまわしながら、それらの側近女性らを舐めるように眺めている不届き者も代表として紛れ込んでいた。
「アルフヘイムの勝ちか…いや、甲皇国も中々…」
「何見て勝ち負け判断してんですかい」
 SHW内の小王国ハイランドの王であるゲオルク・フォン・フルンツベルク。かつての戦争でも“英雄”クラウスに匹敵する戦功を挙げ、軍神・傭兵王と名高いその人であった。
 王に鋭いツッコミを入れる側近は、彼の腹心でもある傭兵ゴンザ。有能だがおっさんである。
「シャーロットでも連れてくれば、我が方の勝利は間違いないところであったのに……無念である」
「……はぁ」
 ゴンザは小さく嘆息する。王の巨乳好きは今に始まったことではないが、時と場所を選べと喉元まで出かかっていた。
 三大国以外にも、ハイランドのような小さな国々からも代表は集められていた。
 アルフヘイム内の小国であるピーターシルヴァニアン王国からは王子であるセキーネが。
 フローリア王国からはジィータ・リブロース姫騎士が。
 他にも様々な余り名の知られていない国々の代表が訪れており、さながら交易所市庁のこの一室は、世界会議のような様相を呈していた。
「しかしどういう意図で招集がかけられたんですかね? 言っちゃなんだが、この会議に出てきた要人を全員ぶっ殺したら、世界に相当な混乱を起こしちまいますぜ」
「……うむ。だが一見、世界中の要人を集めたようだが、呼ばれておらん国の者もいる。その違いが分かるか、ゴンザ?」
「いいえ、陛下はお分かりになられるんで?」
「ミシュガルドに上陸し、開拓をしようとしている国々の要人だけが集められているようだ。例えばアルフヘイム南方に竜の里という強国がある。最強の竜人と呼ばれるレドフィンを擁する国だ。軍事力だけを考えれば我が国よりも強い。にも関わらず呼ばれておらん」
「言われてみれば…確かにそうだ」
 つまり、話し合いの内容というのは、ミシュガルド大陸における利権争いうんぬんの件だろう。と、何故集められたのかも分からない小国の代表たちは思っていた。
 しかし、三大国の代表だけは、何故呼ばれたのかを察している様子である。
 単なる宿敵同士というだけではなく、張り詰めた雰囲気がそれを物語っていた。
「何故、集められたのか……議題は何なのか、知らせずにいたのに、お集り頂きました。それだけでも、あなた方の身の潔白をある程度は証明することにもなりましょう」
 デスク・ワークの“身の潔白”という物言いに、一同は騒然となる。
 自分たちは何を疑われているのかと。
「ミシュガルドは……何が起こるか分からない未知の新大陸。我々は恐れ知らずの開拓者。自国の経済危機を救い、新大陸で勢力を伸ばしたいというのは誰もが同じ思いのはず!」
 叫んだのはピーターシルヴァニアン王国王子セキーネであった。
「だが、謂れのない疑いをかけられるような覚えはない! 貴殿の物言いは大変無礼であろう!」
 市庁舎の頭上で雷鳴が轟く。
 代表らが集められた一室には大きな天窓があるが、眩い光が差し込み、デスク・ワークの張り付いたような笑みを照らし出す。相変わらず、ひとかけらも心の底から笑っているように見えない営業スマイル。
 セキーネの激昂にも、デスク・ワークは眉一つ動かすことはない。
「……そう、誰もが勢力を伸ばしたがっている。だからこそ助け合うのではなく、足の引っ張り合い……他者を出し抜こうとする。生き馬の目を抜くようなことをする」
 静かに語るデスク・ワークに対し、セキーネは尚も反論しようと席を立つが、フローリアの姫騎士ジィータ・リブロースがセキーネの手を取って制止した。
「セキーネさま。そのようにいきり立ってしまっては、あらぬ疑いをかけられることにもなりましょう。まずはデスク・ワーク市長の言い分をお聞きください」
「む、むぅ……ふふふ、そうですね。わたくしとしたことが…」
 怒り覚めやらぬセキーネであったが、本来の性情は女好きであり、美少女姫騎士にいさめられては怒りをおさめるしかなかった。
 セキーネがどっかりと椅子に腰を落ち着け、改めて皆の視線がデスク・ワークへと注がれた。
 しん、と室内が静まり返る。
 市庁舎の屋根に降りしきる大雨だけがざぁざぁと響いていた。
「……失礼な物言いであったことはお詫びいたします。ですが、それだけ強い言葉を使わねばならない事態なのですよ。そう、我らは……ミシュガルドは狙われているのです。“敵”によって」
 “身の潔白”の次は“敵”である。
 完全に犯人捜しのような成り行きとなり、一同は隣同士でざわざわと囁き合う。
「……一体何の話をしようとしているのか、皆目見当もつかぬ。敵とは何を指すというのだ。戦争は終わったのだぞ」
 ゲオルクが言うと、デスク・ワークは首を振った。
「いいえ。残念ながら…。戦争が終わって平和が訪れたと言っても…。しょせん、平和は次の戦争の準備期間に過ぎない。傭兵王であればそのことも重々承知のはず」
「ふん、確かにな……火種はそこかしこにあるようだ」
 ゲオルクは不機嫌そうに腕組みをし…ちらりとホロヴィズとダート・スタンを一瞥した。
 ゲオルクの視線を感じてか、ホロヴィズは殺気を込めて目を細めた。
 かつて三十五年ほど前、甲皇国において相まみえた二人の久方ぶりの再会であった。
 ゲオルクが二十歳の若者であった頃と変わらぬホロヴィズの存在感と偉容に対し、ゲオルクは「妖怪め」と小さく吐き捨てた。やつは一体何十年生きているというのか。ひょっとしたら何百年と生きているのではないか? とても同じ短命の人間種とは思えなかった。
 両者は再会を望んでいたわけではない。
 ゲオルクは若い頃にホロヴィズに騙され、散々拷問を受けて手ひどい目に遭ったこともある。
 そしてホロヴィズも、大戦中はゲオルクがアルフヘイム側に立って戦ったために煮え湯を散々飲まされた。
 むしろ、互いに殺したいと思っている間柄である。
 が、今は戦争も終わったし、三国協調路線に従って手を取り合わねばならない。いくら不本意でも…。
 デスク・ワークがごほんと咳払いをし、話を続けた。
「───敵というのは他でもありません。我ら開拓者すべてにとっての敵なのです。ここ最近、大交易所に出入りする冒険者、商人が襲われる事件が相次いでいるのです。無差別に、どの国所属の者であろうが関係なく。市街地の中であればキルク隊長の治安維持部隊の目もあり被害は少ないが、一歩市街を出れば、被害も大きく……」
 デスク・ワークは、秘書のエア・チェアーに資料を見せるように言った。出席者全員に、いかに交易所とその周辺で無差別襲撃事件が発生しているかを示すハザードマップ的なもので、被害が多発しているエリアが一目でわかった。
 それはまるで洪水によって浸水した区画のように、市街外周部の街道が真っ赤に浸食され、それらが市街地郊外へと浸食を広げている様子であった。敵は明らかに、徐々に大胆に、市街地への攻勢を進めている。
「被害は増え続けており、先月は遂に死傷者が千名を越えました」
「千……たったひと月でか?」
「はい」
「それはもはや、治安の悪化というよりは……」
「はい、テロです。我々は戦争を仕掛けられている……それも市庁で解決できるレベルを大きく超えたもの。ゆえに、このようにミシュガルド開拓へ意欲を見せている国々の代表にお越し頂いたのですよ」
「うむ…。犯人の目星はついておるのか?」
 ゲオルクが尋ねると、エア・チェアーは目撃者の情報と前置きし、犯人の特徴を語った。

・馬のような頭部をもつ巨漢の獣人
・手裏剣を使い、背中に小さな羽根を生やした少女
・一つ目で黒くて丸くて様々な形状を取る魔物
・浅黒い肌をしたハンサムな黒兎人の男
・“手足置いてけ”と脅し猟奇的な殺人をする眼鏡をかけた義手義足の男
・甲皇軍の自律機械兵のようなもの
・甲皇軍の小銃にようなものによる狙撃
・黒い飛竜が放つ雷撃(竜の上には騎士が乗っている?)

 というのが目撃された犯人像であるという。
 被害が長期間で継続的で大規模なことから、組織的犯罪・テロのようなものであるのは明らかだ。
 だが、多数の亜人・人間が関わっているようだし、甲皇軍の兵器が使われているという情報もあるし、アルフヘイムの魔法を使われていた理もするし、亜人というより魔物のような姿も目撃されているしで、犯人像がまったく定かではなかった。
「それに、甲皇国人、アルフヘイムびと、SHW人、無所属の個人と…無差別に被害に遭っているのです。我々、開拓民は共に協力してこれにあたらねばなりません」
「ふん、綺麗ごとを言うでないわ。こんなもの…どうせ糞エルフ共の仕業に決まっておる!」
 そう言ったのはやはりというかホロヴィズであった。
 杖を床へ叩きつけ、老人とは思えない機敏さですっくと立ちあがる。
「何を言うか、骨仮面。デスク・ワークどのの話を聞いておらんかったのか? 銃や機械兵など甲皇軍の兵器も使われたというではないか。むしろ甲皇軍こそ怪しいじゃろうが!」
「そちらこそ話を聞いておらんようだ。その長耳には糞でも詰まっておるんじゃろう?」
「な、な、何を……!」
「いい加減にせよ!」
 どぉん!
 外の雷鳴よりも大きな怒声が響く。
 罵り合いを始めたホロヴィズとダート・スタンを見て、ゲオルクが吠えたのであった。
 見ると、ゲオルクは拳をテーブルに叩きつけており、頑丈な木材を鉄などで補強されたテーブルだというのに、叩きつけられたところが粉砕されて拳がめりこんでいた。
「仲良くしろとは言わんが落ち着いて話もできんのか! 一向に話が進まぬではないか」
「……むぅ。ゲオルクどのの言う通りか」
「ふん、相変わらずのようじゃな。傭兵」
 二人の老人はひとまず大人しくなる。
「……ありがとうございます。ゲオルク王」
 デスク・ワークは柔和な笑みを浮かべる。実は先程まで、言い争う二人に怒りが込み上げてきていて顔面に笑みを作る余裕を失い、青筋を立てまくっていたのだが。
「ところでこのテーブルは結構高価なものでして。後程、弁償の請求書を送らせて頂きますので、そのおつもりで」
「……な、なんと……?」
「陛下、これ一つで我が貧乏王国の国家予算の十分の一ぐらいはありますよ。適切な行動というならもう少しやりようがあったのでは」
 ゴンザがやっちまったなこのおっさんという顔で耳打ちしてくる。
「……デスク・ワークどの。わしは二人をいさめるためにだな……後生である……」
 こうなると大戦の英雄も形無しである。ゲオルクは戦争中でも見せたことのないような弱り果てた顔となった。
「なりません」
 いつもの調子に戻ったデスク・ワークは柔和な笑みを浮かべるのだった。
 議論は落ち着きを取り戻していたが、ホロヴィズやダート・スタンがこれだけで大人しくなったわけではなかった。
「そもそもじゃな……市長から招集がかけられる前より、これらの被害は我が国でも十分に認識しておったわ。大交易所だけではない。我が国が建設した町である“ガイシ”においても、同様の被害が……いや、大交易所以上の被害が出ておるのじゃ!」
 激しく言い募るのはホロヴィズ。彼がアルフヘイムのせいであると言い切ったのにも理由があったのである。
「“エルカイダ”と名乗るアルフヘイムの犯罪組織の存在も認知しておる。戦時中も暗躍しておったな……我が軍へ度々テロ行為をしておったわ! ガイシや大交易所で甲皇国人を襲う手口は、そのエルカイダのものと酷似しておる!」
「……じゃが、それはこちらも同じ」
 ダート・スタンも負けてはいなかった。
「我がアルフヘイム軍へ対しても、数々の正体不明の敵による攻撃がなされておるのじゃ。いや…正体は分かっておる。この汚いやり口は…必ずや甲皇軍の仕業であると思っておったわ! 甲皇軍には戦争の結果に納得いかん連中がうようよおるのじゃろう。“手足置いてけ”と脅して襲ってくる義手義足の眼鏡の男。これは大戦中に甲皇国第五軍にいた丙武将軍ではないのか? ゲオルクどのに討たれて死んだと思われていたが、生きておったとはな!」
 大戦中の大半の期間は幽閉されていたダート・スタンだが、後々戦時中の記録を見ていて、丙武の存在は把握していた。彼の暴虐非道なやり口は、甲皇軍の非道さを語る時に最も例に挙げられやすい。
「へ、丙武は戦死したはずじゃ。エルフの魔法によるなりすましじゃろうて……!」
 ホロヴィズはそう言いつつも動揺を隠せない。丙武が生きているとは噂では聞いていたが興味が無かったので軽視していて、本気ですべてのテロはアルフヘイム・エルカイダの仕業であると確信していたのだった。
 それに対し、ダート・スタンもアルフヘイム政府としてはエルカイダとはまったくつながっていないし、その存在には気づいていたものの同胞のアルフヘイムびとを攻撃するはずはないだろうと思い込んでいて、ゆえにアルフヘイムびとに攻撃してくるのは甲皇軍であろうと確信していた。
「……なるほど。両者ともがそれぞれの仕業だと勘違いしていたというわけですね。もしくは、そう思わせておいて、別の犯人・組織がいるのでは?」
 デスク・ワークがそう話をまとめると、ホロヴィズもダート・スタンも黙りこくってしまった。
 別の犯人……ではそれは何者なのか?
「エルカイダ……そして丙武ですか」
 呟いたのはピーターシルヴァニアン王国王子セキーネ。
 彼もまた大戦中の英雄の一人であるが、ゲオルクのように表舞台ではっきりとした戦功を挙げたわけではない。王子でありながら裏舞台で暗躍する隠密部隊“十六夜”の長として、アルフヘイム内部に潜んでいた“闇”と戦ってきた。ラギルゥー族や、エンジェルエルフのミハイル4世を討つのに貢献してきたのだ。が、一般的には余り知られていなかったりもする。
 そのセキーネは、アルフヘイム内部の闇を知り尽くしているため、エルカイダについても良く知っていた。実は資金を融通して反甲皇軍活動を手助けしていたことすらある。だが、戦後はこれ以上のテロ活動をする必要はなくなったので、その関わりも無くなっていた。
 また、丙武についても良く知っている。何と言っても丙武が主に活動していたのはピーターシルヴァニアン王国があるアルフヘイム北方戦線であるし、丙武と戦ってきた当事者である。
「彼らが暗躍しているとして、その目的は? 再び戦争を起こそうというのでしょうかね……それで、誰が得をするというのでしょう? ああ、得をするといえば商人ぐらいかな…?」
「何が言いたいのですかな、セキーネ王子」
 ぴくりとデスク・ワークの額に青筋が浮き上がった。
「いいえ。ですが、あの戦争で甲皇軍とアルフヘイム軍が激突し、武器が多く売れ、傭兵の雇用が生まれ、得をしたのはSHWだけですよね……」
「獣人ふぜいが何を言うか! それこそ言いがかり……」
 デスク・ワークの顔面が完全に崩壊し、恐ろし気に引きつっている。
「そうだ、それにテロを起こしている連中の中には兎人らしき者も目撃されているのですよ。セキーネ王子こそ心当たりがあるのでは!?」
「兎人といっても黒の方でしょう。私は白兎人だ。黒兎人の連中が何をしているかまで把握しているわけではありませんからね」
 またしても険悪な空気になってくる。
 やはり誰が犯人であるかはっきりした確証が持てない以上、互いに疑いをかけあうような話になってしまうので、そういう空気にならざるを得ない。
 部屋の外の暗雲が更に濃くなり、ごろごろと雷鳴を轟かせていた。会議の不穏さを物語るように、大雨が一段と激しくなる。
 だから誰もが気付かなかった。
 自然現象による雷鳴と、魔法による雷鳴の違いを。
 市庁舎の屋根に黒い雷が落ちた。
 ただの雷であれば耐えられただろうが、黒い雷はただの雷ではない。魔法によるものだ。市庁舎の屋根が崩れ落ち、大量の土埃と共に瓦礫が会議場に降り注いできた。
「うわーーー!」
「な、何事だ…!?」
 列席者たちはたまらず頭を抑え、身をかがめる。
 破られた屋根の大穴から、黒いドラゴンがぬぅっと姿を現した。
 バリバリと雷鳴をまとっており、強引に室内に入ってこようとしている。
「噂の……黒い竜か!?」
「そんな……まさか、あれはエルカイダの……!?」
 列席者たちが驚いている間に、黒いドラゴンの周囲から、一つ目の黒い翼を持った魔物がうようよと現れ室内に侵入してくる。
 更に、侵入者はそれだけではない。黒いドラゴンの背には幾人かの犯人像で噂されていた者たちの姿があった。
 馬のような頭部をもつ巨漢の獣人。
「我が名はロスマルト! 獣神帝ニコラウスさまの第一の配下、獣神将なり!」
 背中に小さな羽根を生やした少女。
「あっこら! 何を堂々と名乗ってんのよ。このバカ!」
「ぐふふ。敵の首領どもが一堂に会しておるのだ。それにどうせここで全員始末するのだ。名乗って何が悪い!? エルナティよ。貴様も獣神将の端くれならば…」
「あのねぇ…忍者が名乗ってどーすんのよ…」
 黒いドラゴンの背に乗っているのは、このロスマルトという獣人、そしてエルナティという少女。
 そして、浅黒い肌をしたハンサムな黒兎人の男…。
「ちっ…」
 その男には、列席者の多くが見覚えがあった。
 ディオゴ・J・コルレオーネ。
 かつて大戦で活躍した英雄の一人であり、ミハイル4世を討つべくセキーネらと共に戦ったはずの男…。
「どういうことですか、ディオゴ。なぜあなたが…!」
「……」
 セキーネの問いに、ディオゴはばつの悪そうな苦々しい顔を向けるだけで何も答えようとはしなかった。
「ちっ…だから俺は嫌だと言ったんだが…」
 ディオゴは小さく呟く。
「そうはいかん。我らは同盟を結んだはずだ。真に我らに同調するというのなら、その証立てをしてもらわねば」
 ディオゴの背後から、もう一人の人物が現れる。
 黒い鎧を着こんだ騎士である。
 間違いなく、噂に聞くエルカイダの首領・黒騎士であった。
「貴様は死んだはずだと聞いていたが…」
 ゲオルクはそう呟きつつ、膝元でうずくまっているゴンザの方へ手を差し出した。
「ゴンザ、槍をもて」
「武器は会議場に入る時に取り上げられちまってますぜ」
「そうであったか、うむ」
 やむなく、ゲオルクは拳をばきぼきと鳴らした。
 徒手空拳で戦うつもりであった。
「ハハハ、さすが傭兵王、勇敢だな…!」
 黒騎士は愉快そうに笑った。
「だが、我らを相手に素手で戦うつもりとは命知らずだ」
「……うむ。わしが呆けておらねばだが、その声には聞き覚えがある。顔を表すが良い、黒騎士とやら」
「良いだろう」
 黒騎士の声は、男にしては高く…女にしては低音。
 だが凛々しい響きを持つその声は、確かにゲオルクの記憶に残っていた。
 黒騎士が兜を脱ぐと、そこには浅黒い顔、紫色の髪が揺れている。
「そんな、まさか……あんたは……」
 ゴンザも見覚えがあるその女は、かつての大戦の英雄の一人であり、黒騎士を討つため共に戦い……そして黒騎士にとどめをさした当人。
 かつてのクラウス親衛隊隊長、竜人の女戦士アメティスタであった。
 
 





つづく

       

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