Neetel Inside 文芸新都
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crimson
ボトルメール

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 誰でもいいので、なんでもいいので、面白い話をしてください
 下のメアドに送ってください
 loveless@warmmail.co.jp

 こんな文面のメールを出してみたのに特に理由はない。人との繋がりを持つことに必死だった、とかそんなキザったらしい葛藤はない。ただ、僕は暇だった。それだけのことだ。
 会員制のメールサービスで、いつ誰に届くか分からない、という不思議なものがあると知り、帰宅後直ちに登録して、上記のメッセージを発信したのが昨日のこと。漂流記にありがちな「瓶詰めの手紙」を模したそれは、なんだかとてもくすぐったい。電子の海を漂う電子の手紙。真っ黒な空間にレーザーみたいに発光する青い直線がいくつも張り巡らされ、その線の上を白い点が疾走する。そんな映像を思い浮かべてしまう。
 とりあえず誰かが面白い話をしてくれるのを期待して、普段使っているメールアドレスも記載したのだが、まだ返事は来ない。いつ届くか分からないと知っていても、これはなかなかイライラする。でも、それもまた楽しいと思えるくらいの余裕を持った人間であるつもりだ(もっとも、本当にそんな余裕があれば、ブラウザーのウィンドウを何度も更新したりしないはずだが)。
 そろそろ三十分経つ。うちは今時家族全員で一台のパソコンを使っており、際限なく遊ぶことはできない。ネットサーフィンは一日三十分と決められている。最後の更新だ。そう思ってリロードボタンを押す。

新着メール:1件

 なんだろう、これは。
 ついに返事が来たか、と淡い期待を持って、メールを確認するリンクを押すと、単なるスパムメールが届いているだけだった。僕は裏切られた気分になってブラウザーを閉じる。


 

     

「どうだ、あれは」
 僕に件のメールサービスを教えてくれたクラスメートの沢田が声をかけて来た。冬の通学路は寒く、グレーの空の下で一人歩きをしていると漠然とした孤独を感じる。こういう時に声をかけてもらえるのはありがたいことだ。
「いや、さっぱりだよ」
「そうか」
 気温の低さ故に口数は自然と少なくなる。
「今日、パソコンの授業あるじゃん」、と沢田が言う。
「うん」
「とりあえず、学校でもチェックすれば」
「うん」
 言われるまでもない。その程度の発想は誰でもできるものだ。
 ポケットに突っ込んだ手で家の鍵の固さを感じながら、僕は学校に歩いてゆく。

 パソコンの授業はかなり自由だ。与えられた課題が簡単過ぎてあっさり終わるから、余った時間でなんだってできる。おかげでマインスイーパーの校内最速記録保持者になれたし、ソリテアも十四連勝中だ。しかし、今日はそんなくだらないゲームに時間を費やさない。
 ブラウザーを開き、WarmMailにログインして、見知らぬ誰かのメールが届いていないかを確認する。何も来ていない。とりあえず、与えられた表計算ソフトの課題に時間を費やしつつ、こまめにリロードする。課題は例によって単純な作業ばかりでしかも量が多く、十五分もすれば飽き飽きしてくる。自然とブラウザーを更新する回数が多くなる。
 その時だった。
 新着メールが来ていることを知らされる。昨日の経験を踏まえて、あまり期待しないでおきつつ、確認する。

件名:面白い話 queenofmarygold@warmmail.co.jp

 心臓を突かれた気がする。
「おい沢田、来たぞ」
 興奮した僕は、隣の石でうとうとしかけている沢田の肩を叩く。沢田はすぐに理解したらしく、慌ただしく目を覚ました。
「マジ? 見せろ、見せろ」
 沢田が僕からマウスを奪って、メールの本文を確認するリンクを押す。メールにはこう書かれていた。

 面白いかは分かりませんけど、誰かに話しておきたいことがあります
 私は、甘いものが好きなんです


     

「で結局、その人は誰で、なんで甘いものが好きだったの?」
 どちらかと言えば興味がある、という程度の口調で永峰が尋ねてくる。真紅の手袋をした両手にホットコーヒーの缶が握られており、彼女は左手の缶を僕に差し出した。
「さぁね。結局、それから返信来なかったし」
 缶を開けると、白い湯気とともにコーヒーの香りが立ちのぼる。僕は屋上のフェンスにもたれて、空を見上げるようにコーヒーを一口飲み、また彼女の方に向き直った。
「そんなことより、今日部活あるんじゃないの?」
「遅れて出るって伝えてあるけど、正直言って寒い日にグラウンドに出るのって趣味じゃないし、どうしようか」
 僕がそう答えると、永峰は唇を尖らせた。
「バカ。野球を裏切るの、私が許さないよ」
「ハイハイ、お前そんな野球好きなら野球やればいいだろ。運動神経いいんだし」
「ほんっと、忠司のバカさ加減には呆れてものも言えない。規約で公式戦に出られないし、規約がなくたって、男子高校生に勝てる訳ないじゃない。そんなつまんないの、ごめんだわ」
「そのバカに三回も告白したのはどこのどいつかな」
 ジッと睨んでくる永峰から目を逸らすように、僕はまた空を見上げてコーヒーを飲んだ。
「『三度目の正直』のつもりで当たってみたら『二度あることは三度ある』で終わったから、残念ながらもう次はないわね」
「へー、そりゃ残念だ。次は絶対高一の冬に来ると思って、またお前が落ち込むのを見れるの楽しみにしてたのに。ま、ないならないで、振り方を考えなくていいから楽だけど」
 僕は自分にできる一番皮肉な言い方で返した。我ながらかなり憎たらしい言い方だったという自負はある。しかし、永峰も相当打たれ強くなったと見えて、全く動じる様子もない。
「とにかく、部活ちゃんと出なさいよ」
 そう言い残して、永峰は僕に背を向け、屋上のドアを開けて校舎に戻っていった。僕は彼女を見送ってから、残りのコーヒーを呷り、缶を握りつぶして放った。

 目の前を何かがかすめる。白くて小さくて冷たい、忘れた記憶の断片を呼び起こすような欠片。
 雪だ。
 そう思って空を仰ぐと、わずかな量ながら、今年の初雪がちらついていた。
 今日は部活を休もう、と心に決めた。室内球技場はサッカー部が抑えているだろうし、雪の中で練習なんて、まともな神経をしていたらやっていられない。


       

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