今や亡国となったフローリア……かつては華の都と呼ばれたあの都に
暮らしていた難民たちにとってあそこは天国だった。
あの都にはたくさんの植物や作物が実り、動物たちがたくさん訪れていた。
春になれば桜が散り、その足元で人々は酒を飲み交わした。
夏になればトマトやキュウリを氷をふんだんに入れた水につけ、昼になればムシャムシャと頬張る……
秋になれば紅葉の下で、本を読み、恋人の剥いてくれた柿を頬張り、焼いたサツマイモが栗のように口元で転がる…
冬になれば真っ白な雪景色の下に眠る植物たちの目覚めを待つ……
そして再び春が訪れた時には…
文鳥さんやポッポさんのような可愛い可愛い鳥さんたちが鳴き、うたた寝をするのを微笑みながら
また新しい一年が始まるのだと感じる……
フローリアの民であれば誰であろうと享受していたあの天国の温もりはもはや無い。
草木は丙武とゲオルク率いる義勇軍の戦いによって踏みにじられ、
踏みにじられた草木に追い打ちをかけるようにレドフィン率いる竜人族や、ルイーズの竜騎士部隊が
種や根までも焼き払ってしまった。
大地に残されたのは山のように積み上げられた死骸と、灰とかした焦土だけ……
死骸にはウジや蠅がたかり、鼻から脳に突き刺さり、目を内側からえぐるような腐敗臭が立ち込めている。
こんな地獄のようなフローリアに可愛い可愛い鳥さんたちが見向きをする筈などない。
難民たちの顔は絶望に打ちひしがれていた……
彼らの向かう先にはイーストウッド港があり、そこから海を渡り、
SHW(スーパーハローワーク)という商業国家へと流れ着くのだ。
SHWは最近になって未開拓の大陸を発見しようと躍起になっている。
そのための労働力をSHWが欲しているのは当然のことだった。
おそらく、そこで彼らは死ぬまで働かされるのだろう。
戦争で殺されるよりはマシだろう……だが、昼も夜も休みなく働かされ苦しみながら死ぬのもかなり辛いものだ。
(ここで助かったことに何の意味があるのだろうか……?)
フローリアの難民が作り上げた人ごみの渦の中で、ローブに身をまとったセキーネは思った。セキーネはフローリアの難民を運ぶ列車の中で、幼いマリーと共にSHWへと逃げようとしていた。
(……傭兵王ゲオルク……彼はSHWの副社長デスクワークと交渉してフローリアの難民たちを亡命させる契約をした……だが、そこには亡命後の難民たちの労働を保証する記述は無かったと聞く。おそらく、彼らは助かったとしても失業者として仕事にあぶれ、極貧生活を強いられるだろう……待っているのは低賃金の労働しかない……デスクワークという男は黒い噂が絶えない男だ……
職に困った彼らをまるで牛や馬のように働かせることも厭わないだろう……
助かったところで、彼らに待ち受けているのは苦しみだ……いったい、何のために生き延びたというのだ……)
セキーネは奥歯を噛み締める。政治家として彼は苦しむ民の姿を見ることなど耐えられなかった。セキーネはマリーと共に難民の群れに紛れ、イーストウッド港からSHWに入国した後に大社長ヤン・ウィリー、副社長デスクワークと亡命を掛け合うつもりである。当然のごとく、そのためにはピーターシルヴァンニアン王朝の隠し財宝を交渉材料にしなければならない。
三割はあのオーベルハウザーに盗まれてしまったが、まだセキーネの手元には七割残っていた。その内三割をゲオルクに報酬として渡し、三割をヤンとデスクワークに渡す。もっとも、ゲオルクが手にした三割の報酬の内、二割はゲオルクの雇い主であるヤンとデスクワークに仲介料として
差し引かれるので実質、ヤンたちが手にするのは五割である。彼らにとっては裸の絶世の美女が手招きしてくるような美味しい話だ。セキーネとマリーの亡命も快く承諾された。当分、セキーネはアルフヘイムの要人としてSHWでは重宝されることになるだろう。なにしろ、SHWは今や甲皇国に負けない私兵団を創立中と聞く。その顧問として暫くは食いつなぐことは出来る。
セキーネも流石に隠し財宝の全てを手放すつもりは無かった。残り一割は
マリーのペンダントとして首に飾られている。中にはスカイフォールと名付けられたダイヤが眠っている。スカイフォールは王家の誇りである。白兎人族最後の王朝となっても、彼等の誇りは失われてはいない。だが、いざとなれば手放すつもりでもいた。そうなる時は、この難民たちを救う時になるだろう。
(…いつの日か……必ず彼等の行く場を作ってやる……故郷を追われ行く場を失った者たちが安らかに余生を迎えられるような……そんな場所を……いつか……)
同じ難民という立場に立たされたセキーネの中で、彼らを救済してやりたいという慈悲の心がふつふつと燃えていた。