ハローレディ!
■2『完璧な女の子になるもん』
■2『完璧な女の子になるもん』
ブラジャーのヒモが肩に当たって、尋常じゃなく鬱陶しいし、痒かった。
パンツは妙にピッチリしているし、面積が小さいしで頼りない。トランクスと感覚が違いすぎる。そしてこれが、下から丸見えのスカートだけで守られているのかと思うと、非常に恥ずかしい。足がスースーする。
なので、パンストを装着することにした。
金玉があったらきっと気持ち悪い感触なんだろうなあ、と思いながらも、ズボンめいた足が守られる感触は、懐かしささえある。
「――ついに、かぁ」
俺は洗面台の鏡で、夜璃子と同じ灰色のブレザーを着ている自分を見て、なんだかドキドキしていた。
あれから、俺が女の子となってから一週間が経過していた。その日の内に、元々通っていた男子校に休学届けを出し、夜璃子の通っている『桃園学園』への編入試験も終わらせ、ついに俺が女子の園に足を踏み入れる時が来たのである。
「――お兄ちゃん、いつまで鏡見てんの」
後ろには、俺と同じ制服を着た夜璃子が立っていた。
「おお、夜璃子。おはよう」
「顔洗いたいから退いて欲しいんだけど」
「はいよ」
俺は一歩下がって、鏡を夜璃子に譲る。顔を洗っている夜璃子の背中に、「この一週間ありがとな」と言った。
「え? なにが」
濡れた顔をタオルで拭いてから、夜璃子は俺に向き直る。
「ブラジャーの付け方からメイクのやり方まで、いろいろ教えてもらってさ。おかげで、今じゃメイクが楽しくってしょうがないぜ」
「……チークとか口紅とか、自腹で買ってたもんね」
「お前の口紅より、こっちの方がノリがよくて安いぞ」
と、俺はポケットに入れていた自分の口紅を取り出し、夜璃子に見せた。
「気持ち悪いから二度とその話はしないで」
「ええっ!?」
まさかそんな辛辣に返されるとは思わなかったので、面食らってしまった。
仕方なく口紅をしまい、俺と夜璃子は二人で鏡前に並んで、メイクをする。校則的にはメイク禁止らしいので、薄めのをするそうだ。
「……まさか、お兄ちゃんと並んでメイクする日が来ようとは」
ため息を吐き、俺の顔をジッと見つめる夜璃子。
「当たり前だが、考えた事もなかったな」
「おまけに、結構可愛くなっちゃって……。はーあ……」
「照れる」
「お兄ちゃん、何を女の子生活エンジョイしてるのさ」
「いや、結構これでもショックは受けてんのよ? でもさ、まだ焦る時間でもないかなーと思ってよ。人生長いんだ。一年くらい女の子の期間があってもいいだろ?」
「……ショックで頭が」
「おかしくなってねえよ! 俺の取り柄なの! ポジティブが!」
「いや、ポジティブってレベルではないような……」
『うむ。このレベルで動じてないやつは、さすがに初めてだな』
と、俺の背に憑いた結が、呆れた様に笑っていた。これじゃまさにあ背後霊だ。――って、その通りか。
「そうなのか?」
『今までの連中は、まあ一週間くらいは塞ぎこんでいたな。私を罵倒したりもしたし』
「そういうもんなのかねえ……」
『それをお前は、ここ一週間何してたかと言うと、化粧覚えたり下着のつけかたを覚えたり、女子の流行を追いかけたり……』
「俺は何事にも全力を尽くす男」
「お兄ちゃんって、結構バカだったんだね」
「バカって言うなよ。――というか、夜璃子」
夜璃子の肩に手を乗せて、一言。
「俺のことは、お姉ちゃんと呼べ」
「なんでそんなノリノリなの!? バカじゃないの!?」
でも、実際学園ではお姉ちゃんと呼んでもらわないと。俺、見た目は完璧に女なんだし。
『むしろ、有希よりもこっちの小娘の反応が、正しいんだけどのう』
なんで困ってないんだよ、とでも言いたげに、俺の顔を覗き込む結。お前は俺を困らせたいのかよ。なんて悪霊だ。
「……っていうか、いまちょっと思ったんだけど、お祓いとか行ったら、無条件で呪い解けるんじゃない? 幽霊がリアルにいるんだし、霊能力者とかもリアルにいそうだよね」
『無理じゃろうなあ』
夜璃子の提案は、一瞬で一蹴された。
『いたんだよ。先代で、霊能力者に頼った男が。あれは大体、一〇〇年くらい前かの。人数にすると二人目じゃ』
俺は夜璃子に耳打ちして、「それって年号にするとどこだ?」と訊いてみた。
「大正四年だったっけ」
「何があったくらい?」
「第一次世界大戦中だったかな」
さすが成績優秀。こんなんパッと出てこねえよ。俺なんて、大正っつったら、車ギリ走ってんのかな? くらいしか思えねえ。
『その男は、数日後に戦地へ赴くはずだった。しかし、女の身になって、逃げ出したと思われ、急いで体を戻そうと霊能者に頼ったのじゃ。しかしまあ、そいつに出来たのは、私を視認するところまで。なんぞお経を唱えたが、そんなもん効くわけない。私を倒せる方法があるなら、私が教えてほしいくらいじゃ』
バトル漫画の敵みたいな事を言い出した結。
「ま、大人しく、正規の方法で元に戻ってみるさ。せっかく女の子になりきったんだしな!」
と、俺は前髪を掻き上げた。もうこの仕草とか完璧女の子っしょ。
「……口調は男のままだけどね。あ、いい、やらなくていい」
「そうか、口調が残ってた。見た目に現れないと気づきにくいよな。ありがとう夜璃子」
「いいってばお礼言わないでよ! やるって意味じゃんそれ!!」
「ちょっとぉー夜璃子ぉー。あんまり大声出さないでよぉー。超驚きぃー」
「オカマかギャルでしょそれ! 見た目に合ってないし! っていうか気持ち悪い!!」
『さすがの私もそれはないわー』
今まで三人も男を女にしてきた幽霊が何を言う。
■
と、俺が完璧に女の子と化した事を先ほどまでの会話でわかっていただけたと思う。
友人とのしばしの別れは寂しいが、女の園を合法的に楽しめると思えば、まあラッキーなのかな。呪われたとはいえ、プラスに考えないと、この世はやってけないぜ。
――そんな、下心溢れる年頃の俺がやってきたのは、妹、夜璃子が通う学校、『桃園女子高等学園』である。
俺の通う学校とは反対方面にあり、ウチの最寄り駅から二駅ほど行ったところにある、ここらへんに通う高校生の間では、話題の女子校だ。
なんで話題か、と言われれば、それはもちろん、『女子のレベルが高い』からだ。
「あそこ絶対、顔面偏差値で生徒取ってるよな」
とは、俺達がこの学校を話題に出す時、必ず出てくる言葉である。
その言葉の正しさを証明するみたいに、校門前に立つ俺の周囲には、美少女ばかりが歩いていた。
「うーむ……。俺も、桃園に入れたってことは、美少女ってことでいいのか?」
「女としての自分に自信を持たないで」
顎を擦りながら、コンパクトを取り出そうとした手を夜璃子に止められてしまった。
「っていうか、おに……じゃない。お姉ちゃん、一人称は私、でしょ」
「お、そうかそうか。私、な」
「それからその口調、すごい男っぽい。もっと女の子っぽく」
「わかってるわよ。きゃぴっ」
掴まれたままだった手首を、ゴリラ並の握力で握りこまれて、俺は「きゃぁ!」と悲鳴をあげてしまう。
「なんで悲鳴だけ完璧なの?」
「痴漢に合ったら叫んでやろうと思って、昨日必死で練習したからな。遭わなかったけど」
「地味な子ほど遭うらしいよ。おにい……お姉ちゃんは、まあ地味じゃないからね」
「メイクを覚えたのが敗因だったか……」
「え、遭いたかったの」
「いや、ひっ捕まえてみたくってよ。ケツ触ってほしいわけじゃねえぞ」
そのまま校門をくぐる。
見た目は結構、普通の学校――っていうか、俺の高校とあんまかわらねえなぁ。
でも、なんだかいい匂いがする。――ような気がする。
『楽しんでおる所、水を差すが』
俺の頭の上であぐらを掻いていた結が、膝に肘をついていた。
なんでお前が俺の頭の上で男らしい座り方してんだ。やめてよ。
『これだけ女がいるんだから、三人幸せにしてみせるんだぞ。そうじゃなきゃ、お前を男に戻してやらんからな』
「わーってるよ。ま、なんとかしてみるさ」
そうさ、この学校には三桁の女がいるんだ。その一パーセントに見たないくらいの人数幸せにすりゃあいいだけだろ?
楽勝、楽勝。
■
楽勝、楽勝と言っていたのが一〇分前の俺。
そして、心折れそうになっているのが、今の俺である。
周囲は女、女、女……。
「ねえねえ、有希さんはどこの学校に通ってたの?」
「その髪の毛、くせっ毛? セット? かわいいねー」
「彼氏とかいるの?」
自己紹介とホームルームが終わった途端、周囲に女子が集まってきて、囲まれて、質問攻めにあっていた。
「えーと、あの、そのー」
こんなに女子が近距離まで接近してきた事などない。去年まで男子しかいない場所に通っていたのだ。こんな楽園、いきなりショックがでかすぎる。餓死寸前の人に肉を与えると胃が壊れるというが、今の俺は、まさにそんな感じだった。
「ご、ごめん。ちょっと、トイレに」
そう言って、俺はその場から逃げ出した。
逃げ出す口実ではあるが、胃がキリキリ痛むのも事実。腹を押さえながら、ため息を吐き、廊下を歩く。
「……で、誰だチミは」
そんな俺の後ろについてくる、ポニテにサイズの大きな丸メガネをした少女がいた。ついてくるくらいなら、トイレに行こうとしてんだろうな、くらいに思うが、何故かその少女は白衣を着ていたので、思わずきになってしまった。
身長、でけえな。女子になっても俺の身長は男の時と同じで、一七一センチ。それと同じくらいなので、女子にしては大きめだろう。
スタイルはスレンダー系で、ほっそりしている上に鼻も高く、切れ長の目をしているので、モデルが白衣を着て撮影に挑んでいるようだと思った。
「同じクラスの、
「同じクラス、ってのは知ってっけどよぉ……」
教壇から自己紹介した時、白衣一人しかいねえから、すげえ目立ったもん。
「へえ? ……それがキミの、素の口調ってわけか」
慌てて口を押さえるが、しかし、それで吐いた言葉が戻ってくるわけもない。俺はまた、ため息を吐いて、諦めた。できれば普通の女子として、女子校に溶け込み、男子の心を持ちながら女子校に入っているという罪悪感めいた気持ちをごまかしたかったが、仕方ない。
「まあ、これが俺の素だけどよ。――んで? 神宮サンはいったい何の用なわけさ」
「転校生に話かけるのに、用事があるわけないだろう。純粋な興味だよ。――ああ、ぼくのことは、学子でいいよ」
「そ、そうかい」
女子のことを名前で呼ぶなんて、妹しか経験ないし、ちょっと二の足を踏んでしまう。
なので、お試しで呼ぶ前に、トイレに行くのを再開した。
――夜璃子との女子になりきる特訓で、女子トイレに入る苦手意識を特訓したと思うんだが、まさかいきなり女子と連れションするハメになるとは。
……しかし、さすがに女子でも連れションの最中、壁を挟んで会話ってことにはならず、トイレの中で会話したのは、並んで手を洗っている時が最初だった。
「キミ、女の子と触れ合う機会、少なかったんじゃないか?」
いきなりそんなことを言われて、俺は正直焦った。
「なっ、何でそんなことを?」
「見ればわかるさ。だって、キミは女子と話す際、目を合わせようしないし、口調がこう……毒されてないっていうか」
「毒ぅ?」
俺達はハンカチで手を拭いてから、トイレを出る。正直教室に戻るのは辛いが、他に行く宛なんて無いしなぁ。
「口調が男っぽいっていうのは、女子よりも男子と話してきたっていう、証拠さ」
まあ、男だし、男子校だったから女子とは縁遠い。その推理は、当たらずしも遠からずって感じだ。
「まあ、実はそうなんだよ。前の高校は男女比率がめちゃくちゃでさ。俺の女らしさが圧倒的に足りないってことで、親父に危惧されて、転校してきたんだよ」
「へえ。なんとまぁ、面白い事情で転校してきたもんだ」
『本当は、もっと面白い事情で転校してきてるけどな』
俺の頭の上で、結が笑った。
人と一緒に居る時声をあげないでほしい、という意味合いを込めて、俺は頭の上で、ハエでも払うみたい手を振った。しかし、幽霊なので、当然触れる事なんてできない。
「……どうした?」
「いんや。なんでも」
俺の上で、「くっくっく」と喉の奥で笑う結を無視。
教室に帰るのがちょっと辛い、とか思ってる段階で、俺に女子を幸せにする、とかできるんだろうか。――心配になってきた。
「お姉ちゃーん」
「お?」
心配事をしていたら、廊下の向こうから小走りで夜璃子がやってきた。
「やっぱりね。休み時間しょっぱな、教室から抜けだしてると思ったよ」
呆れたように、眉間にシワをよせて、腰に手を置く夜璃子。
なんでそんな顔をされるのか、さっぱりわからない。
「いい、男よりも人間関係に敏感なのが女の子だよ。一回でもあぶれたら、やりなおすのは相当難しいんだからね」
「大丈夫だって。俺ってば逆境に強いからよぉ」
「……そうやってギリギリまで余裕な顔して、結局「ダメだぁ―」ってなるのを、何回も見てきたんだけど」
今回だってそうじゃん、と、ため息まで吐かれて、俺は夜璃子から目を逸らした。そういえば、今回も「俺なら女子校に馴染めるっしょ」とかまったく根拠のない自信で、楽勝とか言ってたな。
でも、俺はこういう無根拠な自信を持てる自分が、結構好きだ。
「――で、お姉ちゃん。ちょっとい?」
「あん? なんだよ」
夜璃子は、学子に頭を下げてから、俺に手招きをする。
近寄ると、何故か夜璃子は俺の肩に手を回し、耳に唇を寄せた。
「なに考えてんのお兄ちゃん! あれ、神宮先輩じゃん!」
「あれ、知り合い?」
「知り合いっていうか……。この学校で関わっちゃいけない女トップだよ。通称クレイジー科学」
「なにそれ。くっそ面白いアダ名じゃん。呼べねえよ」
「そりゃ、呼ばないもん。陰で噂する時とかに使うやつだしさ」
「――だがよぅ。あいつ良い奴だと思うぞ」
「だとしても、理科室で毒ガス撒き散らすような人と仲良くするのはやめたほうがいいと思うけど」
「え、なんで捕まってないのあの人」
「それはね、死人を出してないからだよ」
俺と夜璃子の間に割り込んで、笑顔のダブルピースを決める学子さん。
「死人出してねえつったって、限度あるだろ……」
「後処理は完璧にやったんで、勘弁してもらえたんだ。いやあ、僕もまさか、毒ガスが出るとは思わなかったんだ。あやうく死にかけたよ」
確かに、クレイジーと言われても仕方ないレベルの失態だよなぁ……。
前の男子校だと、授業中イヤホンして、スマホでAV見てたヤツが、イヤホンスッポ抜けて、見てたAVの音声が漏れ出すという事態が起こり、見ていたモノが全員にバレて、『トロ』ってアダ名ついたやついたけど、それとどっちがマシなんだろう……。