静音を家まで送り届けたあと、守羽はその足で公園に向かった。いつも静音が本を読みふけっていた、あの公園に。
気配を辿って、由音はすぐさまやってきた。
「いやー、手応え全然ないくせにやたら数だけ多くて大変だったぜ。んで、ボスは倒したんだろ?さすがだな!!」
「……ああ。助かったよ。お前がいなかったら、街に被害が…死人が出ててもおかしくなかった。ありがとう」
由音と目を合わせず、俯いたままで守羽は淡々と話す。
「あ、そんでさ!なんかオレだけじゃなくて、他にもあの雑魚共を止めてくれてるヤツらがいて…、…?」
様子のおかしい守羽に気付いたのか、由音は話していた内容を途中で止めてじっと守羽の横顔を見据える。
「どうしたんだ?守羽」
「…」
覚悟は決めて来た。
あの大鬼は最悪の置き土産を残して逝った。『鬼を殺した
もう、これまでの日常は期待できない。これまで平穏に享受してきたもの全てを、たったそれだけの事実がことごとく破壊してしまう。
だから、もうこれ以上付き合わせるわけにはいかない。
この先、神門守羽はいくつの難局を乗り越え、幾度の死闘を交わせばいいのか。それすらもわからない。
だから、
「……由音。これまで通りに能力安定の為の組手には付き合う。だけどな、もうそれだけだ。それ以上、もう俺には関わるな」
なるべく冷たい声色を意識して、守羽は本題を切り出す。当然ながら、これに対して由音は大いに戸惑った。
「は?何言ってんだお前!」
「いいから聞き入れろ、それがお互いの為になる。お前が去年のことで俺に対し少しでも恩義を感じているのなら、頼む。俺に必要以上に近づくな」
全て斬り捨てなければならない。犠牲を自分以外に広げるわけにはいかない。
これより先は血みどろだ。鬼を殺した神門守羽を狙って、あらゆる人外が押し寄せて来る。あるいは仇を討つ為に、あるいは鬼を殺せるだけの力を保有する人間を喰らって取り込む為に。
だから、さらに決意を固める。最後に、決定的な区別をつけて。
「……じゃあな、
「しの…ってオイ!」
これまで名前で呼び合っていた友人に。異能の力と事情という秘密を共有し合う大切な友人を巻き込ませないように。
今ここで、完全に縁を切る。
一方的に突きつけて、守羽は公園を出て行く。
「…、守羽!!」
公園から道路に出て歩き出す守羽の背中を追うでもなく、由音は大声で自らの思いをぶつける。
「……お前がっ!そうしたいんなら、オレはそれでもいい。それがお前の本当に望むことなら、オレはそれを呑む!でもなあ!オレはお前の味方だからな!!どんな時でもどんな状況でも!オレはお前の為ならいくらでも力になる。だから!!」
歩調を緩めることもなく遠ざかっていく守羽の背を細めた両目で追い続け、最後に大きく息を吸って由音は由音なりの決意と覚悟を伝える。
「だから……また、明日な!
「ッ…」
背後から見えないように、守羽は静かに奥歯を噛み締める。心の中で、いつまでも友人に対する謝罪を繰り返しながら。
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『久遠さん、もう俺はあなたには関わりません。だから、あなたも』
『嫌だよ』
送り届けてくれた守羽と玄関先で別れる時、二人はこんな会話を交わしていた。
『……久遠さん。聞き入れてください。俺はもう、多分ここから先は戻れない。傍にいると、あなたまで巻き込まれる。あんな怪物に襲われるのは、もう嫌でしょう?』
『……』
諭すように優しく言う守羽に、だが静音は揺るがなかった。
『だから離れます。元々、俺なんかがあなたみたいな人に付き纏う方がおかしかった。今日のことも含め、全部忘れ―――』
『呼んでくれないの?』
『…え?』
『名前。静音って。さっきまでの君は、そう呼んでくれていたよね?』
守羽の内に潜む『僕』たる神門守羽は、普段表に出ている守羽の隠したい本心や想いを簡単に吐露してしまう厄介な面があった。
名前で呼びたいと望んでいた守羽の心中を察して、勝手に図々しく本当に呼んでしまうことも。
『いや、あれは…』
『私も、ずっと名前で呼びたかった。駄目かな』
やけに圧力を感じる語調に、守羽は観念して頷いた。
『よかった。それじゃ、改めてよろしくね、守羽君。君も、名前で呼んでくれると嬉しい』
『君、なんていらないですよ。…静音先輩』
『守羽…こそ、先輩なんて付けないで。まだ君が後輩になるのは来年でしょ?』
『…はい…静音、さん』
互いにぎこちなく名前を呼ぶと、嬉しそうに恥ずかしそうに、静音は控えめにはにかんで見せた。
守羽の方はといえば、流れで今後も関わり合っていく言質を取られてしまいげんなりしていた。この少女、思っていたより押しが強い。
『それじゃあ、また明日ね。守羽』
『…はい。おやすみなさい。静音さん』
妙な間のあとに、二人は気恥ずかしそうに顔を伏せて、それから互いにくすりと笑った。守羽がお辞儀をして静音の家から離れて行く。
誤算だった。甘かった。まさかあそこまで強く出られるとは。
おかげで断ち切れなかった。
(……せめて、彼女にだけは被害が及ばないように気を付けないと。もしもの時は)
もしもの時。それはたとえば今回のような、強大な人外が自分以外に牙を剥いて街に来た時は。
その時は、命懸けで守ろう。
災厄を呼び込む我が身を持って、その災厄の全てから彼女を守ろう。
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いくつもの呻き声が宵闇を満たす。
月光に照らされる複数の影。人の形をしていたり、獣の形をしていたり、見たこともない気味悪い異形の姿もある。
それら全てが無残に四肢を折られ、臓器を破壊され、地面に転がされていた。
しかし人を超える生命力でどうにか持ち堪えているそれらを、倒れる人外達の中で唯一立っている人影が冷徹な瞳で見下ろす。
呻いていた人外の一つまで歩み寄り、無言でその頭を踏み潰す。そのまま次の人外へ。
次々と殺し損ねた人外にトドメを刺していく中で、一つの人外が恐怖に歪めた表情で這いずり逃げながら吠える。
「こ、こんな、はず、あるか!『鬼殺し』は人間だったんじゃ、ねえのかよ…!なんだコイツは、なんだ、……この化物は!!?」
その言葉に、人影は僅かに歯軋りをした。怒りの矛先を、そのまま這いずる人外へ向ける。その背を踏み動きを封じて、頭を鷲掴みにする。
「…れ、は…………だ」
「ぇひ……あ…なん、だ……?」
片手の握力で圧迫されていく頭部に激しい痛みを感じながら、人外は真上から降る呟きを思わず聞き返していた。
「俺は、人間だ……!!」
「ひびぇ」
奇妙な断末魔を残し、頭部を圧砕された人外はその場に大きな血溜まりを広げて絶命した。
全ての人外の息の根を止め、死臭漂う周囲はくまなく死骸と肉片と血が散らばる。
「……」
返り血と、決して少なくない被弾の出血で全身を自他の赤に染め上げた少年が無言で空を仰ぐ。
これで何度目の襲撃か。これでいくつの死骸を積み上げたか。
もうわからない。襲撃も、殺した数も、百を越したのは間違いない。ただそんなもの、もはや数える気にもなれない。
『鬼殺し』と名付けられた大鬼討伐の一件は、すぐさま人外情勢へ広まった。一日と置かず、次から次へと『鬼殺し』を狙って昼夜問わず襲撃が続く。
ただ、これはわかっていたことだ。覚悟もしていた。
いつまでこれが続くのかはわからない。守羽が殺されるまでか、あるいは連中が『鬼殺し』に勝ち目を見出せなくなるまでか。
(…根比べになるな。俺と、ヤツらとの…)
望むところだ。
どれだけの数で攻めてこようが、どれだけ強力な怪物がやって来ようが。
その全てを撃滅し、生き残ってみせる。
終わりの見えない闇の先に一筋の光明を求めて、神門守羽は血に汚れたその手を伸ばす。
自身の本質を押し隠しボカしたまま、ただひたすらに人ならざるものを悪と断じて滅ぼし続けながら。