Neetel Inside ニートノベル
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力に戸惑う彼女の場合は
第四話 『先輩』

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「母さんどうしよ!僕まだ仕事上がりでシャワーも浴びてないよっ!臭いよ絶対臭いって僕!」
「そんなの平気だからお父さんはやく食卓に食器並べてー!あっ守羽はお友達と居間で待っててくれればいいからっ」
「ちょっ母さぁんっ、僕のスーツもう一着あったよね!?あれどこ行ったっけ、あのすごいピシッとしたやつ!」
「今着てるのスーツなのにまたスーツに着替えるの!?そんなのいいからお父さんもこっち来てお手伝いしてぇー!……えっとえっとぉ、あれ?お赤飯どこいったっけ?」
「ちょっと落ち着けぇぇえええええええええ!!!」

 ドキドキしながら静音を引き連れて帰宅した守羽は、玄関口で事情を話すと同時に猛烈に慌てふためき出した自分の両親の醜態に呆れ果てながら大声でポンコツと化した父と母を怒鳴りつける。
「うるさいよ!一人分の飯が増えても大丈夫かって聞いただけなのに慌て過ぎだっ!あと赤飯なんていらん!いつも通り白米にしてくれ」
「え…そ、そう?」
「守羽、僕はどうしよう。こんなよれたスーツでいいのかい?なんなら二階で一人寂しく食べるけど」
「なんでだよ!」
「あの……私のことなら、お気になさらず」
 申し訳なさそげに静音が守羽の背後で言う。
 駄目元での晩飯の誘いに、静音は最初戸惑っていた。他人の家に行くことへの抵抗よりも、その家に行くことで煙たがられたり迷惑がられることを懸念していた静音に、守羽は自分の家の人間ならばそんなことは絶対にないと言い切った。
 決して嫌がっているわけではない静音の様子に、守羽は多少強引ながらも連れて行くことに決めた。その道中も、静音は困惑と期待が入り混じった表情で素直に付いてきてくれたので幾分か安心してもいた。
 その静音の顔が、家に入った途端に騒ぎ出した守羽の両親の慌てようを見て僅かに翳った。おそらく歓迎されていないと思ったのだろう。
「本当に大丈夫?こんなオッサンが一緒に食事しても平気かい?」
 自身が言っていたようによれよれのスーツに身を包みネクタイを緩めた状態の、いかにも仕事から帰ったばかりのサラリーマンといった具合の男性が四角い眼鏡の内の弱気な瞳を細め、額が見えるほど短い黒髪を片手で掻く。
 それに対し、静音もゆったりと首を左右に振る。
「いえ、私の方こそ突然押しかけてしまって」
「全然気にしなくていいよ、そんなこと!さあさあ上がって上がって」
 人の好さそうな顔一杯に歓喜を乗せて、父親は二人を居間へ上げる。
「ごめんねー、少しだけ待ってて!すぐ作るから」
 台所にエプロン姿で立つ、少女と見紛う小さな女性が顔だけ振り向かせて器用にまな板で食材をさばいていく。
 踏み台が無いとろくに調理すら難しい背丈、肩に触れるかどうかの長さで揃えられた髪は色素薄く綿毛のように軽く動きに合わせて舞う。ちらと見えた瞳は琥珀がかった薄黄色。
 一見して外国人じみた特徴を複数持つ守羽の母親を見て、静音は黙って守羽と見比べる。あの女性の血が半分混じっているのなら、あまりにも守羽はその特徴が無さすぎる。顔立ちはとてもよく似ているのだが…。
「外人じゃないらしいですよ、俺も詳しくは聞かされてないですけど」
 そんな静音の視線の意味に気付いたのか、守羽は笑って気軽に答える。その人好きのする笑顔は、先程見た父親のそれともよく似ていた。



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「わけがわからん……」
 夕飯は鍋だった。
「なんでこんな時期に鍋よ」
「お父さんが、『たまには暑い日に熱い鍋ってのもいいよね』って」
 手早く準備を整えて食卓の真ん中に大きな土鍋とコンロを置いた母の返答に、守羽は横目でジトっとした視線を父親にくれる。よりにもよって家人以外の人間が食事に混じっている時にこんな意味不明な理由で夏に鍋を食わねばならないとは。
「えっなに、僕のせい!?」
「別に」
 ぷいとそっぽを向いて、守羽は隣に腰掛けた静音に顔色を窺う。
「久遠さん、すいません」
「?、ううん。美味しそうだよ」
 静音は謝られたことの意図を図りかねて疑問符を浮かべるが、すぐさま興味は中央に置かれた鍋に注がれる。煮えたぎる鍋は蓋が開かれて湯気を噴き上がらせる。その中身は父の好きなすき焼きだった。
「やっぱ父さんの好物じゃねえかっ。最初っから好きなもん食いたかっただけだろ!なんだよたまには鍋もいいよねって、しょうもない誤魔化し方しやがって!」
 容赦なく責め立てられて、父も片手を強く握り締めて猛抗議を始める。
「なんだいなんだい!守羽だってたまに母さんに好きな献立をねだっているじゃないか!なんで僕だけ責められないといけないのさぁ!!」
「時季考えろっつってんの!オムレツやらハンバーグならまだしも鍋は駄目だろ!あと二、三ヵ月くらい待てなかったのかよ!」
「ああ待てないね!僕は食べたくなったら猛暑の真夏でも鍋を食べ、極寒の真冬だろうがカキ氷を作るね!」
「子供かこの親父は!」
 父子がぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた中、小柄な母はオタマを片手に小皿に鍋の中身を取り分け、それを静音へ渡す。
「はい、どうぞ」
「あ、と。ありがとうございます。…いただきます」
「召し上がれー♪」
 二人の言い争いは慣れたものなのか、母親はまるで気にした風が無くむしろ静音の方がどうしたらいいものかと具の入った小皿と守羽とを交互に見る。
「ほーら、お友達が困ってるよ、守羽。お父さんもその辺にして」
「む…」
「おっと、こりゃお見苦しいところを」
 母親に諌められ、二人はすぐに落ち着いて腰を落ち着ける。
(……友達?)
 不意に母親の言葉が頭に引っ掛かる。自分と静音は友達という間柄なのだろうか。
 確かにこの数日は一緒に話し、随分と仲良くはなったと思うが。この目上の相手のことを、自身に宿る異能を嫌いながらも善なることにのみ扱いこなせる尊敬に値する人との関係を『友』などという気安い言葉で片付けてしまっていいのか。
「…そういえば、久遠さんは高校一年でしたよね」
「ん……うん、そうだよ」
 ふーっと息を吹きかけて冷ましたすき焼きの具を小さな口ではむりと食す静音は、お上品に口元を隠して口の中の具を飲み込んでから頷く。
 公園での会話の中でも、この話は一度した。自分は中学三年生で、次どの高校へ上がるかを考えていたことを。
 そして適当にではあるが決めかけていたその場所は、由音が共に行こうと半ば強制的に決定してしまった。
 特に狙っていた高校も無かったのでなんの問題も無かったが、その高校は静音が話していた所と一致していたのを思い出す。
「なら、来年から俺は久遠さんの後輩になりますね」
「うちの高校に入るんだ?」
「一応、そのつもりです」
 内申も学力も、目当ての学校に上がる程度なら問題ないくらいには安定している。由音は少し、いや多分に怪しいが、どうにかするだろう。
「ほほう?突然女の子を連れて来たと思ったら、その子と同じ高校へ行くと申すか。なるほどなるほど」
 気味の悪い笑みで父親は自らの息子を眺める。
「なんだよ」
「いや、青春してるなあ、とね」
「変な勘繰りすんなって…」
 進もうと思っていた高校が静音が通っているものと同じ場所だったのは本当にただの偶然だ。その偶然を喜んでいる自分がいるのも確かだが。
「まあ、そういうわけなんで。来年になったらお願いしますね、先輩」
「わかったよ。待ってるね、後輩君」
 そうやって隣同士で笑い合うのを見て、父母も顔を見合わせて小さく笑った。



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「ごめんね。わざわざこんな場所まで」
 食事を終えて家を出た静音を、守羽は両親に言われるまでもなく送ることにした。最初こそまた断られたが、今度は守羽も食い下がった。時間も時間だ、日も落ちていることだし流石にこれで女の子を一人で帰らせるわけにはいかない。たとえ送り狼を疑われたとしてもだ。
「いえ、強引に食事に誘ったのは俺ですから」
 全てを終えてから、守羽は密かに罪悪感に駆られていた。彼女の時間を奪い、自分勝手に振り回してしまったのではないかと。
 そんな不安を知らず、静音は薄っすらを笑みを見せて守羽の眼前に立つ。
「ううん、楽しかったよ。すごく……久しぶりだったから」
 それは複数人での夕食がか、それとも賑やかしい食卓が、という意味か。
 判断はつかなかったが、静音の声に言葉に嘘偽りの色が無いことだけは守羽にもわかった。自然とつられて笑みが漏れる。
 日の落ちた夜道を二人で歩く。しばし無言の時が流れたが、気まずい沈黙でないことは言わずとも知れていた。
 ふと、静音は守羽が右手を持ち上げてじっと眺めているのに気付いた。右手の甲には、蚊に刺されたようにぷっくりと膨れて赤らんでいた。
「神門君。それ、どうしたの?」
 思わず訊ねてみると、守羽は照れたように眉尻を下げて、
「いや、ちょっと火傷して水膨れが。飯の時に土鍋に触れたみたいですね」
 ぷらぷらと右手首を振るって誤魔化す守羽に、しかし静音は黙してその右手を取った。同時に目を細め念じる。
 守羽の右手の『万全』を想起し、火傷を起こした今の状態に上書きし違和を消し差異を無くすようなイメージ。
「…!」
 静音の手を伝い何かが異質な気配が包み込んだと思った時、守羽の火傷は消えていた。
 “復元”の異能を使ったのだと理解し、礼をしてから苦笑いする。
「いいんですか?…あんまり好きじゃないんでしょう、異能が」
「うん…でも」
 少しだけ逡巡するような素振りを見せてから、静音は一つ息を吐いて口を開く。
「神門君、言ってたよね。色々と苦労させられた力だけど、あって良かったんじゃないかって思うようにしてるって」
「はい」
 こくりと頷いた守羽の、取ったままの右手をきゅっと握り、
「…私もそう思いたい。思いたかったから、だから……私も『正しい』と思う使い方を、するよ」
 忌み嫌って来た力でも、魔女と蔑まれて来た異質でも、それを振るう自身は間違いなくそれを是としてきたのだ。その考えを、信念を。守羽が掛けてくれた言葉を支えにして固めたかった。
 だから、静音は守羽にこそ宣言する。今後どうなるかはわからないけれども、心境に変化をもたらしてくれた少年には、言っておかなければと思った。
「…そうですか」
 静音の宣言を受けて、守羽はどう思ったか。言葉に表すことこそしなかったものの、彼女にはそれがなんとなしに分かった。
「神門君。ここまででいいよ」
 一歩先に出て静音が振り返る。
「え、でも…」
「家はもうすぐそこだから」
 顎で指し示した先には大きな建物が闇夜の中で威容を誇っていた。まさかとは思うがあれがそうなのだろうか。
「じゃあね、また明日」
 薄暗闇の中でも同化することなく存在を誇示するように煌めく艶やかな黒髪をなびかせて、静音は控えめに片手を振る。
「…はい、また明日」
 守羽も応じて手を振ると、顔を綻ばせて笑む静音は背中からでもわかるほど上機嫌に帰宅の途について去って行く。
 その姿が完全に闇夜に消えて行くまで待って、守羽も踵を返して家へ戻る道を辿る。
 久遠静音。
 守羽の知る能力者は、大概その異質を抱える所以や過去から来るコンプレックスや障害によって何かしらの『陰』を持っている。それはあの少女とて例外ではない。
 だが守羽は、それを持ちながらにして前を向いて進むことを決めた者も知っている。それは友人の東雲由音であったり、自分自身であったりもする。
 静音も、その分岐点に立っている。自身の異能力者としての身の上で、いかに遠く前を見据えることが出来るか。それが重要な部分だ。
 切っ掛けを与えたのが自分だとするならば、その行き先までしっかりと見届けなければならないだろう。そういう責任感と言う名の言い訳を並べ立てて、守羽はまた明日も今後先輩になるであろう少女へ会いに行く。
(……ん?)
 気分良く湿気高い夜道を歩いていると、歩いている道路の先に人影があった。街灯の光を落とす電柱にもたれるようにして、どこを見ているのかもわからないが顔を正面に固定している。
 深い紺色の髪は硬質そうに外側に跳ね、うっとうしそうに後頭部へ流してある。この暑い日にロングコートなんて着て、その下もセーターなんて着こんでいる不気味な出で立ちだった。
 なるべく関わり合いになりたくない種類の相手だ、と心中で呟きながらその横を通り過ぎる。一瞬だけ視界に入れた両眼は底なし沼の如くおかしな灰色。身震いがした。

「…………面白い能力持ちですね。利用価値は、とても高そうで」

「ーーーッ!?」
 通り過ぎた瞬間に聞こえた、底冷えするようなぞっとした低く丁寧な言葉遣いに守羽は目を見開いて体ごと振り返る。
 視線の先、味気ない光を落とす電柱にはもう誰の姿も無かった。
(な、んだ…あいつは?)
 声と同時に発されたあの感覚、あの気配。
 人間のものでは、なかった。

       

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Neetsha