季節に合わぬ不気味なほどの厚着をした男から距離を取り、三十倍を片手で受け止めた相手に顔を顰めながら強化を上げる。
「人外だな、お前」
「言わないとわかりませんか?あの一撃、ただの人間だったら腕ごと頭が粉砕されてる程度の威力はあったと思いますが」
さらっと答えた人外を前に、拳を握り腰を落として構えた。
言動と雰囲気からして、かなりのやり手であることは確実。出し惜しみをしたわけではないが、これなら初撃から全力を出した方がよかったかもしれないと少しだけ後悔する。
「お前、あの人を見てただろ。何を企んでやがる」
二人で一緒にいた時も視線は感じていたが、その方向は主に静音へ向いていたのを守羽は高めた五感で確かに捉えていた。
「はあ、企む。ですか」
気の抜けた声を返して、見てるこっちが汗をかきそうな恰好でもぞもぞと着ているロングコートの上から腕を組む。
「人間の中には時折面白い力を持った者がいますね。君然り、彼女然り。…君の持つ力は、あまり面白味が無いようですがね」
いつでも踏み込める姿勢を維持している守羽を興味無さげに眺めてから、人外は腕組みしたまま顔を背ける。その先は、静音が帰宅した家がある方向だ。
「しかし彼女は面白い。あれは万物を元に戻す力ですか?とても興味深いです」
「…だから?」
右足の爪先がミシリと僅か屋根に沈む。既に話し合いでおとなしく退いてくれる相手でないことを守羽は理解しかけていた。あの一見温和そうでいて実のところまるでそんなことはないことを如実に語っているのが、両の瞳。
まったく笑っていない、どころか守羽や周囲に対する感情らしきものが一切見えない。情緒や風流といったものを理解できない子供が観光名所に来たようなつまらなそうな反応しか示さない。
その中で、唯一静音に対してのみ瞳に興味の色が灯る。それを冷静に観察して、守羽は判断を下す。
コイツは、危険だ。
「人の世で調達できる手土産など酒くらいしか存在しないと思っていましたが、あれは中々。彼の酒の肴程度にはなり得そうです。連れ帰っ」
言い終えるより速く、その顔面に渾身の膝蹴りを直撃させた。
相手が人間だと甘くみていた隙を狙った、最大の好機。顔面の急所である鼻の下の人中へ正確に振り上げた脚力五十倍強化の一撃。
「…………まったく。話くらい、最後までさせ」
素早く足を引いて逆の足で脳天に踵落とし、強化は同じく五十倍。
だが、
(―――効いてねえ、だとっ!?)
膝蹴りのダメージが通っていないことに驚きはしたもののなんとか次に繋げるだけの思考は残っていた守羽だが、二度も全力の脚撃を打ち込んでも効かない人外の硬さに今度こそ目を見開いて驚愕した。
「…ああ、もういいでしょう」
額に青筋を浮かべた人外が、踵落としを受けたまま息を吐く。
「っ!」
引っ込めるより先に足首を掴まれる。
「人間に、話をしようとした私が愚かでした。はい、おしまい」
足首を引かれ、空中で振り回されながら腹部へ軽く握ったパンチが入る。
「は、ぁっ…!!?」
軽いジャブのようなつもりで放たれた拳は守羽が放った全力の一撃の数倍はあろうかというほどに強烈で、振り抜かれた拳の押し出されて錐揉みしながら体が横回転で空高く打ち上げられる。
(ただの人外じゃねえ、この強さ……アイツ、は、一体……なん、なんだ…!?)
落下しながら痛みと衝撃に薄らぐ意識の中で、天地逆さまとなった視界で必死に考えを纏めようと試みたが、その前に頭から地に落ちる方が早かった。
「…力み過ぎましたかね?」
存外遠くまで吹き飛ばしてしまった人間が頭から落下するのを細めた目で見届けて、すぐにどうでもよくなったのか人外は視線を外して屋根から道路へ跳び下りた。
「さて。無意味な時間を使わされてしまいましたが、当初の予定を果たす為に動くとしましょうか」
再び夜道を歩き始めながら、厚着をした不気味な人外は考えていた計画を実行に移す為に頭を巡らせる。
「餓鬼程度ならいくらでも召喚できますし、ひとあえず街丸ごとさっさと滅ぼしてしまってもいいでしょう。人間など何が美味いのかわかりませんが、他の連中は違うようですし…どうせ戻れば酒宴は確実ですからね。街一つ分の人間なら食料としては充分足りるでしょう。それから…」
ブツブツと、歩きながらポケットから取り出したメモ帳に書き込んでいく。まるで大人数での宴会を企画進行させる幹事のようだった。
「あとは彼への土産に美味い日本酒をいくつか見繕って、あの少女を一緒に献上すればまあ満足しますかね…俗世に疎くて酒好きで珍しいもの好きだし」
自らの帰るべき場所に鎮座する頭領が酒瓶片手に豪快に笑う姿を思い浮かべて、人外は薄闇の中で薄っすらと微笑む。
「今頃ヒマだーヒマだーと暴れて牛頭や馬頭を困らせているでしょうかね……ふふ。さっさと終わらせて戻らねばなりません」
聞く人ぞ聞けば腰を抜かして土下座で命乞いでもしそうなほどの知名度と真名を持つ人外が鼻歌混じりの上機嫌で夜に溶け込み消えて行く。
決行は早々に。手早く済ませて帰還する。
「しばしお待ちを、