Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
8/4〜

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 離れの掃除を終えて戻ってくると、息子の靴が玄関に脱ぎ散らかされていた。またこっそり帰ってきたのか。
「こら! 帰ってきてるならちゃんとただいまって言いなさいよ!」
 奥に向かって大声をかけると、意外にも台所の方から、おう、とも、うん、ともつかぬ返事が返ってきた。普段は私に怒られないうちにこっそりゲームをやるために二階に逃げていくのだけれど。お菓子でもつまみ食いか? もしそうなら、こっそり食うのはやめろと言ってやらなくては。
 そんなことを思いながら台所に入ると、冷蔵庫の真ん中の棚から尻が生えているのを見つけた。時々もぞもぞと左右に動いている。こっそり近付いて様子を伺ってみると、どうやら何か探しているみたいだ。開けっ放しだと庫内の温度が下がるからやめて欲しいのだが。
「何してんの、そんなところで」
蠢く尻に向かって声をかけると、尻はビクン、となって動きを止めた。怒られると思っているらしい。もう一度聞こうと口を開くと、息子は先手を打って謝ってきた。
「ごめんなさい!!」
「いや謝らなきゃいけないことがあるなら後で聞くから。先に質問に答えて欲しいな」
「……」
「冷蔵庫で探し物? 何か欲しいの?」
 私が再度詰問すると、尻は一瞬だけ緊張でピチリと締まり、その後は観念してだらりと垂れ下がった。
「……マークがね、10点いるの」
「マーク?」
「なんか、食べ物についてる何とかマーク? って奴を、クラスで集めるんだって。一人10点が目標で、明日回収するから持ってこいって」
「よし、とりあえず冷蔵庫から出て話しようか」
 話しぶりに合わせてピョコピョコ尻が動く。息子の尻芸に耐えられなくなった私は、ひとまず息子を冷蔵庫から引っ張り出した。
 申し訳なさそうな顔をして息子が出てくる。もう思うならやるなよ。最初から相談しろと。
「で、見つかった?」
「……見つかんなかった」
 哀しそうに言う息子。そりゃそうだろう。私は部屋の奥から菓子の空箱を取り出した。
「欲しいんでしょ? 上げるよ」
「え? いいの?」
「いいとも」
 我ながらなんとも恩着せがましい言い方だけど、マーク集めなんて毎年決まった時期にあるに決まってるのだから、予めこうして貯めておいただけだ。
 子を助けるのも親の努め、ってね。テレマークポーズを取る人間の剥製を笑顔で見つめる息子を見つめながら、私も思わず笑顔になった。
 悪魔の世界は、今日も平和だ。

     

 林の中を縫うように駆ける二つの影。片方の影は大きく、もう片方は小さい。
「本当にこの先にいるんだな?」
 先を行く男が後ろからついてくる少年に尋ねる。
「はい、僕がこの前見たのはこの先の広場です。その日もこんなよく晴れた日の夜でした。だから……」
「今日も同じようにやっている可能性が高い、というわけか」
 男は軽く歯を噛みしめると走る速度を一段と早めた。
「ちょ、ちょっと、待ってください! 早過ぎますよ……」
「間に合わないかもしれないんだぞ! 遅過ぎるぐらいだ!」
「待って……置いてかないで……! もっとゆっくり……」
 少年は悲鳴を上げながら男についていった。

 木立がまばらになり始めた辺りで二人はピタリと足を止めた。
「言ってた広場はこの先だな?」
「ぜえ、ぜえ、はい、そうです……」
「しっ! 静かに」
 自分で聞いておいて静かにとはなんだ、と少年が男を睨みつけたが、男はそ知らぬ顔で木の向こうへ顔をしゃくった。

 そこは林が開けて広い芝生のようになっていた。広場の中心部は少し地面が窪んで砂地になっており、そこを中心としたおぞましい儀式が取り行われていることが一瞥して判別出来た。
 互い違いに組まれた少し細手の丸太は幾何学的な櫓のような立体構造を伴いながら、冒涜的なほどにパチパチと音を立て、古代の猛獣の目のように真っ赤に光る。燃え盛る火の祠の回りにはざっと2、30人はいるだろうか、男女が車座になり、炎と煙が虚空へと消えていくのをじっと眺めている。彼らの口からは聞くからに怪しく背徳的な内容の祝詞が次々と溢れ出し、それらを唱和する声が炎煙と共に星空へと吸い込まれていく。それを見つめる目は炎を映してか星を映してか、ギラギラと野獣のように光り輝いていた。
 それはまさに、彼らが目標にしていたことそのものだった。

 その予想外の規模に二人はしばらく見とれていたが、先に我に返ったのは少年の方だった。
「で、どうするんですか!?」
「……どうするって……他にどうしようもないだろう」
 脇腹を突かれた男は少しムッとした顔でそう言うと、やおら木立を離れ、無防備に炎の方へと歩を進めた。参加者は一人また一人と男に気付き、好奇の視線を送ってくる。男はそのまま炎の真横まで行くと、急に腹這いになって地面に顔をこすり付けた。いわゆる土下座である。
「この間は意地張ってすいませんでした! 僕もキャンプファイヤーに混ぜてください!」

     

「先生、お疲れ様です!」
「Yくん、良く来た。丁度紹介しようと思っていたところだよ」
 院生が会場後片付けなどの雑用を一通り終えて懇親会会場に戻ると、教授は参加者と話で盛り上がっているところだった。話し相手は外国のお偉い様のように見えるが、見覚えがない。院生は手招きされるがままに先生の横へ歩いていった。
「いやー、良かった良かった、さっきまでいなかったでしょ。君を彼に紹介しようと思ってね。先生、こちらさっき話していたうちの院生のYです」
「先生、こちらの先生はいったい……」
「あれ? Y君覚えてない? 君が前にやってた通信プロトコルに関する研究、あれの草分けというか、一番最初にその仕組みを提案した人だよ。論文読まなかったの?」
「え! いや読みましたよ、ていうかそれなら名前を教えてくださいよ! 顔は分かりませんって」
「ハッハッハッ、今度からは論文に顔写真も載せるようにしないといけませんね」
 院生が教授の意地悪な物言いに反論すると、その先生はからからと笑った。日本語が分かるらしい。
「いや、気付かずにいてお恥ずかしい限りです。御会い出来て光栄です」
 院生が握手を求めて右手を差し出すと、先生は「チッチッ」と舌打ちをして指を振った。
「Y君、君は握手の作法をよく知らないようだね。我々の世界では、握手をするにもそれなりのやり方があるのだよ」
「やり方……ですか?」
 院生が首を捻ると先生は微笑んだ。
「そうとも。よければ教えてあげよう。ほら、まずは片手で握り拳を作るんだ。それを上に振り上げて……」
 先生は院生の腕をゆっくり上に押し上げると、自分の右手でグーの形を作りそちらは下に差し出した。
「こうしてぶつける」
 上と下から拳が接近し、ゴツンと鈍い感覚を残してぶつかった。
「今度は上下を逆にして同じことをする。そしたら今度は手を広げて手の甲を合わせる……」
 言いながら右手の甲同士を重ねていく。
「そしたら指をピロピロと動かすんだ。やってごらん」
「ピ、ピロピロ!?」
 謎の表現に院生は困惑した。ピロピロってなんだ。そもそもこれは本当に握手の一貫なのか。
「先生、からかうのはその辺にしてやってください。Y君、これは先生のおふざけだからね」
 言われるがまま手を動かしていた院生は、教授の苦言に驚いて先生の顔を見た。先生は笑って言った。
「おふざけなものか、これが本当のシェークハンドプロトコルだよ」

     

「何描いてるの」
 集中してイーゼルに向かっていたら突然後ろから声がしてドキリとした。透明感のある涼やかな声。一度聞けば二度と間違える人はいないだろう。
「なにって、何てこともないただの人物画ですよ。見ます?」
 なるべくそっけなく聞こえるように取り繕う。大丈夫、勘違いはしていない。先輩が興味があるのは僕の絵だけ。改めて自分にそう言い聞かせ、心を落ち着けてから、ちらっと様子を窺う。
「相変わらず綺麗な絵を描くんだねー」
 先輩は僕の絵を眺めながらいつものように軽く微笑んでいる。その目は大きく見開かれており、カンバスの隅から隅までを瞳がキョロキョロとせわしなく動き回る。
「褒めても何も出ないっすよ」
「もう、相変わらず素直じゃないわねー。年上からの褒め言葉は素直に受け取っておけばいいの」
 冗談じゃない。こんなに無造作に放り投げられる言葉をいちいち素直に受け取っていたら、僕は感情のタンクはたちまちパンクしてしまう。
「ところでこの人、なんか見覚えのある感じがするのよね」
「へえ、そうですか?」
「そうよ。ねえ、誰かモデルにしたの? 私の知ってる人じゃない?」
「してないですよ。他人の空似じゃないですか?」
「えー、でも見覚えあるのよ。無意識でも誰かを意識したとかないの? ほら、ちゃんと見て」
「ちょ、勝手に動かさないでくださいよ!」
 先輩がカンバスを抱えて持ち上げようとしたのを慌てて止める。両腕を抑えにいったことで急に顔が接近し、僕の目の前で描きかけの絵と並んで大写しになった。
 アホな僕は、そこでようやく気付いたのである。
 絵の中の女性が、先輩にそっくりであることに。
「どうかした?」
「い、いえなんでも」
 おかしい。似せようと思って描いたことはなかったはずだ。むしろ似せないように気を使っていたはずだ。その証拠に、目も、口の形も、黒子の位置も、そしてこの仕草さえも、先輩とは全然違う。似ているところなんて何一つないはずだ。なのに、似ている。どこがと具体的には言えないが、確かに似ているのだ。
「ねえ、思い出した? 誰がモデルなの?」
 僕は返す言葉を見つけられなかった。
「まあいいわ。いつかきっと白状させてあげる」
 先輩はやってきた時と同じように突然踵を返して去っていった。その後ろ姿を見ながら、僕は思った。彼女は知っている。知っているんだ。

     

 それは、異様な光景と言って良かった。
 竹で編まれた巨大なウォータースライダーの至るところに櫓や梯子が立てかけられ、そこに人垣が鈴なりになっている。スライダーレーンのカーブの外側には人の顔が居並び、全員が全員判で押したように箸を構えている。
 レーンは流水で満たされており、時々勢いよく撥ねた水が周囲の顔に飛び散る。しかし、それを気にして顔を拭ったり、目をつぶったりするような者は誰もいない。誰もが真剣な顔をして、じっとレーンを見つめている。
 わっ、と上流の方が沸きかえった。『上流』というのは、この場合我々が注目している場所から見て水が流れてくる方向、という意味である。実を言えば、このスライダーには終点がなかった。レーンは全て継ぎ目なく接続され、下りだけでなく登りも存在している。終わりもなければ、人が滑り始めるような入口もない。登りの部分を水が遡って昇っていく様子もまた、異様の一言であった。
 ともかく上流が盛り上がり始めて程なく、レーンに動きがあった。水流に乗って、何かが流れてきたのだ。それを認めるや否や、回りの空気が変わった。ただでさえ真剣な目つきが更に輝きを増す。前方の一人が箸を持った手をレーンの中へと突き伸ばす。それを合図にして、前から後ろから、堰を切ったように箸を持った手が次々とスライダーの中に突っ込まれ、水の中を荒らし回る。その外では、人間たちが良いポジションを求めて後ろから横から次々と身体を押しあいへしあいし、さながら地獄絵図といった趣きだ。
 しかし、水の中の白い塊は箸の雨を器用にかい潜っていき、中々捕まらない。塊は上流から次々流れてくるが、下流へと次々逃げていってしまう。きっと上流でもこうやって人の手から逃げてきたのだろう。そうこうしているうちに塊はほとんど流れ去り、ついにはいなくなってしまった。
 その時、スライダーに囲まれた内側で大きく旗が振られたのが見えた。黒と白のチェッカーフラグ。それを見た瞬間、周囲の興奮が一気に下がった。昼食を失った落胆だ。素麺たちは規定の周回を終え、ゴールしたのだ。素麺たちは人に食われるリスクを負う代償として、完走すれば今後食用に供されないで済むという契約を結んでいる。あれが最後の一周だった、なんとしても捉えなければならなかったと嘆いても、もう流れてくることはない。流し素麺GPはこうして終わった。

     

「うれしいですね。大企業の部長が直々に声を掛けてくださるとは」
 男は湯呑みを置くと、応接室をゆったり見渡した。その様子を見て、部長はふっと微笑んだが、すぐに顔を引き締めた。
「うむ。この件は直接依頼したいと思ってね」
 部長は机に置かれた湯呑みを手に取ると、グッと飲み干した。
「近年我が社の中堅や幹部社員の退職が相次いでいることは知っているかな?」
「ええ……ただそれは業界全体の市場規模の縮小や合併による減損処理が重なっているからと」
 男の話を部長は腹立たしげに遮った。
「それは表向きの話だ。最近判明したのだが、Y社が採用活動を活発化させているのだ」
「Y社と言えば、競合他社の……」
「そうだ。それだけではない。我が社がこれはと思って声をかけた人物から次々とY社に入社していってしまうのだ。中途、新卒問わずだ」
「同じ業界ですし、意中の人材が被るのは不思議ではないと思いますが」
「我が社の技術者も次々に引き抜かれているというのにか?」
 部長はもう苦虫を噛み潰したような顔をしている。このまま視線で人を射殺せそうだなと男は思った。
「……もしそれが事実だとしましょう。それで、僕にどうしろというんですか?」
「なんだ、察しが悪いな」
 部長の眼鏡が窓からの光を反射してキラリと光った。
「奪われっ放しは性に合わなくてね。ヘッドハンティング協力してくれるだろう?」
「まあ、それに見合うだけの報酬がいただけるなら」
 男はそう言って、肩をすくめた。

「こんなにすぐに呼び出して、何のつもりだ? これでも私はそれなりに忙しいのだがね」
「何って、終わりましたからね。報告させていただこうかと」
「終わった?」
 依頼をしたのが昨日の今日だ。そんなに短時間で引き抜かれた社員たちを心変わりさせたというのだろうか。
「そんなに簡単な仕事ではないと思っていたのだが。プロの仕事は素晴らしいね」
「ええ。説得は難しいと思ったので、僭越ながら簡潔な方法を取らせてもらいました。これが証拠です」
 男がリュックを下ろして逆さに振ると、中から人間の首がゴロゴロと出てきた。
「取りあえず10個ぐらい取りましたけど、もっといります?」

     

「暇」
「行くか」
「じゃあ駅前で集合な」
 俺らの間で『行く』と言ったら、チャリで駅前の商店街にあるカラオケルームに行く、ということだ。チャリに乗ってガッコを先に出る。峠の麓まで進むと先に出発したはずのリョータが店の前でチャリに腰かけたまま座っていた。
「おいなにやってんの? 俺もう十分待ったんだけど」
 俺やリョータはチャリ通だから直接行くけど、コーヘイは家まで帰って後で合流しなければならない。それだと不公平、ということで直行組も出発時間やルートをバラバラにして駅前で纏まって集合、と俺たちの間では決まっているのだ。コーヘイの家の前で集まればいいと思うのだが、コーヘイは家を俺たちに紹介するのがイヤらしく、どうしてもうんとは言わない。友人関係を些細な諍いで壊さない為の田舎学生の浅知恵だ。
「あれ、見ろよ」
 リョータが指す方向を見ると、そこには俺たちの天敵がいた。染めた髪に整えた眉、着崩した制服から覗く色の濃いTシャツは学内カースト最強の『種族』の証。我ら低層民には奏でることすら叶わぬ耳障りな……否、かぐわしきお声がここまで届いてくる。
「帰るか」
「そだな」
 俺たちはあっさり結論した。相手が悪過ぎる。俺たちの行きつけのカラオケルームは5部屋しかないのだ。行きつけ、というか、そもそも一軒しかないわけだが。5部屋のうち2部屋は3年生、2部屋は2年生が使うものと決まっている。つまり1年生は1部屋を争うことになるわけで、これもクラスごとの取り決めにより、曜日に応じて使えるクラスが割り振られている。今日俺たちがこうしてやってきたのも、今日がクラスデーだったからということなのだが、まあ考えることは誰でも同じというわけだ。
 よく『田舎にある娯楽はセックスとパチンコだけ』と言われるけど、学生は未成年ということでパチンコを取り上げられ、非モテはセックスを取り上げられる。俺らに残されたのは週に1回『都会』まで遠征して楽しむカラオケとボウリングだ。それさえもこうしてモテ達に奪われたりするわけだが。
「コーヘイはどうする?」
 俺が聞くとリョータは鞄からプリントを取り出した。
「これ使おう」
「あ、セロテープあるわ」
 プリントの裏に大きく『注意!! 珍獣棲息中』と朱書すると、ドアの前に貼りつけると、俺たちは素早くその場を立ち去った。

       

表紙

天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha