Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
8/18〜8/24頃

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 途中までは、全てが私の思惑通りに進んでいた。我が家は朝食の時間にテレビを点けない家であるが、今日は例外的に朝のニュース番組が映っている。そこには横殴りの雨に打たれながら中継するレポーターの姿があり、L字に抜かれた情報枠には警報や注意報の文字が踊る。
 私は警報情報をもう一度注意深く観察した。我が町の所属するA県西部には事前予想の通り大雨洪水・暴風警報が出ている。私は小さくガッツポーズすると食卓の上のトーストにかぶりついた。
「お前、今日学校は?」
「んー、多分休み。台風だし」
 制服を着てないから疑問に思ったのだろう。向かいに座った父の問いに返事すると、父は小さく溜息をついた。
「そうか。うらやましいな……学校が休みなら会社も休みになっていいのに」
「何を言ってるの。我が家の大黒柱なんだからシャキッと稼いできてちょうだい」
 父を玄関先まで見送り代行。濡れるのはイヤなので外には顔を出すだけだ。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
 父のガレージに向かう哀愁漂う後ろ姿を見送ったあと、私は何げなく隣の水田に目をやり、思いがけないものを見て硬直した。暴風に揺れる青い稲の合間に、褐色の水鳥が何匹か身体を寄せ合って縮こまっている。
「アイガモだ!」
 隣の水田でいわゆるアイガモ農法をやっているのは見て知っていたが、あれは稲が育つ前にやるものだと思っていた。見たところ稲を倒れないようにする縄張りは済んでいるので、恐らく隣のおじさんがカモたちを収容し忘れたのだろう。
 私は空を見上げ、しばし考え込んだ。暴風雨は止む気配はない。あと30分もすれば休校は確定だろう。先ほど親すら犠牲にしてまで保護した我が安寧を、尊き命の為とはいえ、鳥程度に費してよいものか。
 しかし突然の突風にアイガモたちが煽られて飛びそうになった時、身体は勝手に動き始めていた。
 私は素早く印を組み、即座に雨乞い呪文と風雨魔法を解除した。たちまち上空は晴れ渡り、突如として我が町の上空に出現した台風は突如として消滅した。
 飛ばされそうになったアイガモたちは何事もなかったかのように泳いでいる。それを眺めていると、母が受話器を持ってやってきた。
「学校、今から登校しろって」
 時間は9時5分前である。あとちょっとだったのに。私は溜息をついた。

     

 作業が一通り終わって伸びをしていると、珍しくボスが学生部屋に姿を見せた。
「あ、お疲れ様でーす」
「お疲れ。もう、ご飯って食べた?」
「これから行こうかなーって話してたところですけど。一緒に行きます?」
 一応誘うふりだけすると、ボスは案の定かぶりを振った。
「いや、俺はもう帰るんやけども」
 そう言って背後から、風呂敷に包まれたものを取り出した。
「え、差し入れですか?」
「うーん、まあそんな感じ……」
 やたら歯切れの悪い返事である。受け取って開けてみると、中からスヌーピーのマークの弁当箱が出てきた。どう見ても仕出しの弁当に使う入れ物ではない。
「どうしたんですか、これ?」
「いやぁ、食べるの忘れちゃって……。今さら食べるのも、ねえ?」
 ボスはそう言ってはにかんだ笑顔を浮かべる。段々理解してきた。これはボスの昼食だったものだ。それを食べ忘れていたのを学生に食わせようというわけだ。
「愛妻弁当ですかぁ?」
 試しにかまをかけてみると、はにかみ顔が益々緩んだ。うぜえ……。この人は施しと見せて幸せを『お裾分け(みせつけ)』しようという魂胆だ。
「弁当箱、大学に忘れてきちゃったってことにしときたいからさ。後でいいから明日までに食べて」
 そう言い残すと、ボスはさっさと帰ってしまった。
 蓋を開けて中身を確認する。見た限りはごくごく普通の手製の弁当だ。上の箱はおかずの重で、冷凍食品や、夕食の残りと思しき肉じゃがなどが少しずつ詰められている。下の箱は主食の重で、白米の上にはゆかりでハートマークが描かれている。ちなみにボスは結婚3ヶ月の新婚ほやほやである。氏ね。
 僕は携帯を取り出した。こんな美味しいネタを独り占めするのは勿体ないからだ。LINEで学科メンバーに告知する。
「ボスより珍しき施しあり。各員速やかに弊研究室まで来られたし」


 翌日、僕は猛烈な腹痛で目を覚ました。即座にトイレに直行したが収まる気配はなく、そのまま釘付けになって出られそうもない。今日はボスとの打ち合わせがあるのに……泣く泣く携帯で遅れる旨を連絡すると、ボスから返事が来た。
『遅れるのは了解しました。また別な日にセッティングしましょう。弁当箱はどこに置いておいてくれた? あれ、よく考えたら一昨日のものでした。それが当たったのかもしれないね、ゴメン』
 ゴメンじゃねえよクソボス! 学科LINEは阿鼻叫喚だぞ!

     

「なあ、頼むよ……ほんの1時間だけでいいんだ、お願いだ」
「くどいな、何度も言わせるな。俺の目の黒いうちは絶対にさせん」
 なんて酷いことを言う奴なんだ。俺は親父の目を睨みつけたが、親父は平然とこちらを睨み返してきやがった。こういうのは先に目を逸らした方が言い争いでも負けることが多い。必死に対抗しようと目に力を入れるが、眼光圧が高過ぎて思わず目線を逸らしてしまった。
「どうした。人と話すときは目を見て話をしろと教えただろう?」
「そうやって自分の土俵に持ち込もうとしても無駄だぜ。俺は勝ち目のない勝負はしない主義でね」
「話すつもりがないなら自分の部屋に戻ってさっさと寝ろ」
 にべもない親父の態度に俺の俄仕込みのハードボイルド武装はあっけなく崩壊した。
「そんな! 頼むよ、これなしでは俺は駄目になっちまう……明日は大事な日なんだ、トチるわけにはいかないんだよ。だから頼む! 今日だけワガママ聞いてくれよ!」
「男がみっともなく泣きわめくんじゃない」
「いでえ!」
 座った態勢から足を繰り出してきやがった。俺はもんどり打って倒れ込む。チクショウ、こんな時にすら虚弱な自分の体質が恨めしい。だいたい泣いてはなかったじゃないか。わめきながら膝元にすがりつきはしたが。
「何と言われようとこれはやらんぞ」
 親父は俺から没収した白い箱状のモノをしっかと握ると懐にしまいこんだ。
「どうしてそんなに頑ななんだ。何か深い事情でもあるのか? そうなんだろう親父」
「ん……そうだな、まず金がかかる。あと健康に悪い」
「ドケチ! 反知性主義者! 前時代の遺物! 非科学的老害! 鬼畜野郎!」
「なんだと! 黙っておれば言いたい放題!」
「ひえっ」
 親父の足がまた伸びてきたので慌てて避ける。全く足癖の悪いジジイだ。
「俺に喧嘩を売りに来たのかこれを取りにきたのか、どちらにしろお前の思い通りにはならんぞ。帰れ」
「あのさ、親父が言ってるのって実は間違いなんだよ。健康に悪いってのは一昔前のガンガン使いまくってた頃の話で、適切に使えば問題ないわけ。むしろ使わないで我慢する方が体調悪くなって危険なんだぜ? 酷い時は死んじゃうこともある。俺が病気になったり死んだりしたら金だって余計にかかると思うけど?」
「どこからそういうくだらん知識を身につけてきたか知らんが、覚醒剤は使っちゃいかんと昔っから決まっとるんだ!」
 くそっ、話の分からない老害め。

     

 久々に会った友人と飯でも食おうと近くの店に入ったら、衝立の向こうから妙にテンションの高い声が聞こえてきた。
「ねえ、呑みましょうよ、一緒に呑もう?」
 かなりうるさい上に、しつこい。しかも相手の声が聞こえないところを見ると、独り言のようだ。
「うるせえな。おちおち飯も食えねえ」
「電話かな? にしては声が大きいけど」
 突然衝立が踏み倒されて中から女が現れたので俺たちは腰を抜かした。女はビールの入ったグラスを片手に、真っ赤な顔をキョロキョロとせわしなく動かしている。かなり酔っ払っている様子だ。
「さっきから言ってるでしょ! 一緒に呑もうって!」
 さっきの独り言はこちらに向かって話しかけていたということらしい。俺たちは素早く目線を交わした。断っても承諾しても面倒くさいことになるのは確定だ。ならばいっそご機嫌を取った方がいい。
「いいですよ。こっち座ってください」
「いいのー? ありがとうー! イエーイ、カンパーイ」
 女は遠慮なくどっかと腰を下ろすと、突然乾杯を求めてきた。
「乾杯って……俺ら水しか飲んでないですし」
「何よー。あたしとは乾杯してくれないっていうのー!」
 女が膨れっ面をしたので俺は慌てて水のグラスを差し出した。
「いやいや違いますよ、はいカンパーイ!」
 こんな具合に酔っ払いのご機嫌取りを続けること30分。
「あたしもう帰らないと」
 女は突然そう言うと、荷物を持って立ち上がる。そのままスキップをしようとして足をもつれさせると、派手な音を立ててぶっ倒れた。
「ちょっと! 大丈夫ですか? 帰れます?」
「大丈夫大丈夫! ねえ一緒に餃子食べていこー? あっちのラーメン屋でさぁ」
「いや、止めときます……」
 正直これ以上酔っ払いの介護をする義理はない。
「なによ、怒ることないでしょ。いいもんねー」
 ベーと舌を出すと女は出ていった。俺たちは首を捻りながら顔を見合わせた。
「俺らもそろそろ帰るか」
「すいませーん、お会計お願いします」
 店員が運んできた伝票を見て、俺は首をかしげた。
「あれ? お前ビール頼んだっけ?」
「いや? 俺は飲んでないけど……なんで?」
「いや、一杯だけ注文したことになってるから……おかしいな」
 店員を呼んで事情を話すと、店員は驚いた様子で言った。
「あれ? 先に帰られた方ってお連れ様じゃなかったんですか?」
 友人は息を吐きながら言った。
「すげえな。ビール一杯であそこまで酔えるのか」

     

 今日は朝から最悪だった。寝坊して遅刻寸前、走れば間に合うと慌てて家を出たら、家の前にあった大きな落とし物を全力で踏んづけてしまった。これがケチのつきはじめだ。
 朝行き損なったお蔭で膀胱が早くも限界を迎えた2限終わり。向かった学校のトイレは大便特有の臭いで充満していた。学校のトイレというのは基本的に臭いものだが、これだけ鮮烈な臭いが漂うのは明らかに現物がある証拠である。しぶしぶ個室を開けて覗いてみれば、案の定大きなものが流されずに残っている。小便する気を失った俺は泣く泣く鼻をつまみながらレバーを踏んだ。
 下校途中に引っ込んだ便意が再発。慌てて飛び込んだ学校近くのコンビニ(帰り道にある数少ないウォシュレット付き便座のあるコンビニである)にあったものは更に大きかった。臭いはさほどではなかったところを見ると出した人は健康体であるらしい。自分のものは自分で始末するという健全な発想も持ち合わせていて欲しかった。辛うじてボタンは押したが、便意も食欲も完全に消失しており、俺は何も買わずにコンビニを出た。
 電車の中でふたたびぶり返した便意をなんとかすべく、意を決して入った駅構内のトイレ(結構汚い)にあったものはもはや原形を留めていなかった。元々出され方が悪かったのかあちこちに飛び散っている上、ドロドロに溶けていて溜まっている水は茶色いゲル状の物質に変貌している。もはや流す気力も失った俺はそのまま退室した。
 こうなったら家まで我慢するしかない。我慢し続けてるうちに大きいものまで催してきている。さっさと帰って綺麗なトイレでするんだ。そう決意して全速力で帰宅した俺を迎えたのは、自宅の前にまだ残っていた大きな落とし物(もう一度踏んだ)、そして自宅のトイレに佇んでいたやっぱり大きな落とし物だった。それは今日出会ったもの全ての特徴を兼ね備えていた。大きく、臭く……いや、克明に描写するのはやめよう。とにかく吐き気を催すほどの邪悪であった。
 ふつふつと怒りが湧き上がってきた。どうして俺がこんな目に合わなくてはならないのか。責任者を出せ……こんなものをひり出しておいて、こんなになるまで放置したアホに正義の鉄槌を食らわせてやるのだ。憤怒の感情を鎮めながら俺はトイレを流し、掃除をして、用を足した。便意が落ちつくと、冷静に物事を思い出せるようになった。
 俺、一人暮らしじゃん。

     

「あれ? 旅行ですか」
「うーん、まあ旅行と言えば旅行かな。実家にだけど」
「あ、なるほど。帰省の季節か」
「夏だからねぇ。実家に呼び出し食らっちゃったよ」
「毎年のこととはいえ、この歳にもなって実家から呼び出しってのもイヤなもんですねえ」
「そうなんだよね。とはいえ家族のこと考えると帰らないわけに行かないし」
「顔、見たいですもんね」
「そうそう、それもある。そういえば君はどうするの? 帰らないの?」
「そうですねぇ……。いや、帰ろうとは思ってます。まだ予定は立ててないですけど」
「そっか、でもお盆に帰るなら急いだ方がいいよ。皆大体同じこと考えるからね」
「帰省ラッシュって奴ですよね……。あー混むのイヤだなぁ」
「いやなら時期外すしかないね。盆が明けてから帰るか、僕みたいに早めに帰るか」
「いやー早めに帰りたいのは山々なんですけどね、交通手段がちょっと手配出来なくて」
「それな! 大した手間でもないんだから早く用意して欲しいもんだわ。あんたらが帰って来てくれいうから帰る部分もあるのにな」
「ま、最近じゃあ用意するのが当たり前って風潮でもないですしね。実際、別の知り合いのとこじゃあもう用意してくれないって言ってましたよ」
「そんなもんかー。そういう時は組合の用意してくれた乗り合いバスにでも乗るしかないんかね」
「そうですね。時代の流れって奴ですかね」
「いやホント世知辛い。用意してくれる家族でホントに良かったわ。おっとまずい、そろそろ時間だわ」
「あ、引き止めてすいません。じゃあ、お気をつけて」
「おう、そっちも身体に気をつけてな! って、身体はもうないんやったな、ハハハ」
 先輩の魂が胡瓜の馬に乗って下界に降りるのを見送ってから、僕もそろそろ帰省を考えないとと思った。

     

 雨を避けて車の中で留守番をしていたら、帰ってくるなり妹が鼻をつまんだ。
「うわっ、くさっ」
「え? 臭い? 何が」
「お兄ちゃんの足! そんな犯罪的な臭いさせておいてのほほんと座ってられるわけないでしょ、ほら立って!」
 あれよあれよという間に俺は車から追い出されてしまった。
「しばらくそこで待っているように。私たちは車の洗浄に行ってくるから」
 そう言い残すと、妹たちは車を駆って行ってしまった。後に残されたのは、臭い足をぶら下げた俺。そして、その臭いに鼻をつまみながら遠巻きに見ている主婦の方々である。
「あら、なんだか臭いわね」
「あれ見て、あの人じゃない?」
「クンクン……あー確かにあっちから臭ってくるわー」
「ホント酷い臭いね。ちゃんと身体洗ってるのかしら?」
「食べ物のそばであんな臭いさせないでほしいわ」
 ねえ、俺なんか悪いことしたかな?
 そんなことを思っていると、後ろでガチャリと金属音がした。振り向くと制帽とガスマスクを被った警官が一人。それに何故か俺の手が後ろ手に回って手錠をかけられている。
「午前10時40分、確保」
 ねえ、俺ほんとにそんなに悪いことしたのかな。

 そのままパトカーに乗せられて向かうこと1時間。辿りついたのは見たこともないような寂れた山奥の廃墟だった。どう見ても警察署や留置場ではない。そのままパトカーを降ろされ、中に入るように言われる。まさか新手の警官を装った誘拐? 俺ってこんな目に合うほど悪いことをしたのだろうか。教えて欲しい。
 中には明らかに人の気配がしたが、後ろから警官に急き立てられては立ち止まることも出来ない。おずおずと俺は中に入った。
 まず目に入ったのはサングラスや金髪のロングヘア、スキンヘッド、いかつい身体とシルバーアクセサリーなんかで身を固めている、いわゆる『ワル』と呼ばれるような奴らだ。中にはヘルメットや角材、鉄パイプなんかで武装した奴らもいる。突然のことに皆が『ギョッ』とした顔を一瞬したが、次の瞬間すぐさま鼻をつまむとそのまま苦しそうな顔をして地面に倒れ込んだ。誰かの「ウッ、ぐざっ」という呻きが聞こえた。
 後をついてきたガスマスクの警官が言った。
「暴徒鎮圧へのご協力感謝します。お蔭で暴力沙汰にならずに済みました」
 ねえ、これも俺のせい? 俺の足が臭いせいなの?

       

表紙

天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha