Neetel Inside 文芸新都
表紙

走暗虫
崩壊

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 畳がしかれた宴会スペースには十数人が座れる長机が二つ、平行においてある。大学近くの居酒屋はこの時期、サークルや体育会の新歓でかきいれどきなようで、ふすまを隔てたあちこちから若者達の騒がしい声が漏れ聞こえてくる。
 僕らの勧誘の努力のかいあって、備え付けの二つの机はほとんど新入生で埋まっている。彼らが見つめる中、我らが遊覧会の代表として乾杯の音頭をとるのは副会長の誠士郎さんだ。
「それでは皆さん、前途有望な新入生達の未来に……」彼は皆がグラスを掲げるのを待って、「かんぱーい」
 高らかに宴の開催を宣言した。勧誘の際の祐司さんの要望を反映して、集まった新入生達の多くは女性なので喧噪の音はうわずった感じになる。僕はそのことに落ち着かない気分になりながらも手元に置いてあるビールに口を付けた。苦みに顔をしかめながら、この宴の仕掛け役、そして本来は誠士郎さんに代わって乾杯の音頭をとるはずだった祐司さんに目を向ける。
「うぅー、妙子」
 彼は未練がましい独り言をつぶやく。大事そうに抱えているグラスはもうほとんど空であり、他にもすでに飲み干された酒のグラスが散らかっている。誠士郎さんが乾杯をする前から彼は飲み始めていて、すでに酩酊の域に達していた。今から飲み始める初々しい新入生達とは対照的に、祐司さんの周りだけはどんよりとした負のオーラが立ちこめている。皆がそれを避けるから彼の周りだけが不自然に空いている。
 祐司さんに誘われて参加した女の子も何人かいるはずなのだが、声をかけるものはない。加えて、三石くんもこの会には出席していない。女性にもてる二人が実質不参加ということになると必然、女の子たちは他の先輩を囲むことになる。中でも誠士郎さんは顕著で早速何人もの後輩達と連絡先を交換しているようだった。
 翼さんも数人の女の子と話し込んでいる。向かいに座るのは八郎さんで、彼の周りには数の少ない男性陣が集っている。僕は翼さんと八郎さんの席が近いのが気がかりだったけれど今のところ諍いは起きていないようだった。
 一方、それを遠くから眺める僕は一人、寂しい思いをしていた。そもそも明らかに顔の幼い僕はサークルの一員だという認識を受けていないようで、おそらく内気な新入生の一人としてしめやかに放置されていた。
 となると、僕の顔を知っているのは僕自身が勧誘した二人組の女の子だけということになる。彼女らは誠士郎さんの配慮で僕のすぐ横に座っているけれど、現在は二人だけで話し込んでいる。割ってはいることはできないけれど、意識だけはそちらに向いているから会話の内容が耳に入ってくる。
「そんなに気になるなら行ってこればいいじゃん」
 勧誘のとき、僕に冷たかったあえかさんが友人に言う。
「ええー、でもぉ」
 体をよじって何かを悩んでいるのは仁美さん、だったか。
「なにためらってるの」
「だってもう女の子がいっぱい囲んでるし、押しのけてなんて行けないよ」
 二人の視線は誠士郎さんの方に向いている。そういえば、仁美さんは彼のことを気に入っている様子だったっけ。
「変な子だって思われないかなあ」
「大丈夫だよ。まあでも、大勢の中に入ってくのが嫌なら後にしとけば?」
「ううん、ここで他の皆にリードしとかなきゃ。誠士郎さん絶対もてるもん、かっこいいから」
「そうかなあ……」
 あえかさんは話題の誠士郎さんをまじまじと見て考え込んでいる。疑問を呈するあえかさんを無視して仁美さんは半分以上グラスに残っていたカクテルを一気に煽った。
「頑張る」
 みるみるうちに赤く染まってきた顔を携えて、仁美さんは歩いていった。
 僕の隣にはあえかさんだけが残った。彼女はどこの輪に加わることもせず、一人で黙々とウーロン茶を飲んでいる。いかにもつまらなそうな表情だ。
「あえかさんはお酒飲まないんですか?」
 やっと機会を得た僕は話しかけた。彼女はうっとうしそうにこちらを横目で見るけれど、渋々応じてくれる。
「私は未成年なので」
「そんなこといったらここにいるほとんどが未成年だと思いますけど」
 この時期の居酒屋はせっかくの上客を逃すまいと、年齢確認には寛容になるのだ。
「私、法学部なんです」
 彼女は憮然とした顔で言う。法学部だから法律を破るようなことはしないということだろうか。どうやらかなり生真面目な女性らしい。
「そういうあなたは?」
 僕の前のグラスを見ながらの彼女の問いかけには、咎める色が微量にあった。僕は肩をすくめて答える。
「僕はまだ高校生なので、もっと性質が悪いですね。ああ、そうだ、そういうわけなので敬語を使っていただかなくても大丈夫ですよ。僕の方が年下です」
 これには彼女も少し驚いた様子だった。
「なんだ、高校生だったんだ。おとなしそうに見えて案外チャラいんだね、こんなサークルに入ってるなんて」
 こんなサークル呼ばわりだ。飲み会に参加している以上、一応サークルに入会希望という意味合いもあるのだけど、どうやら入会する気はさらさらないみたいだ。
 彼女は言いたいことだけ言うと、また僕から顔をはずしてウーロン茶をちびちびと飲み始める。僕には興味ないという態度だ。だからといって二人並んで無言でいるというのも抵抗がある。というか、僕は退屈なんだ。どうにかして彼女に相手をしてもらわなくては。
 僕は思いついたことがあって、テーブルに並べられた料理の一つを小皿に移す。その料理は一口サイズの揚げ物で、一見ただの豚カツだ。いくつもあるその揚げ物に僕は目を凝らして、裏側に小さな赤いシミがあるものを選ぶ。これはちょっとした裏技なのだ。
 僕は揚げ物の乗った小皿をあえかさんの前に差し出した。
「せっかく来たんだから食べたほうがいいですよ。どうせ先輩達のおごりですから」
 彼女は突然の提案に怪訝な顔をするけれど、実はお腹が空いていたのか、無言で揚げ物を口に運ぶ。僕はその様子をじっと見守った。
「うぐっ」
 すると、何度も咀嚼しないうちに彼女の顔色が変わって、苦しみだした。
 僕が彼女に差し出したのはパーティー用のいわゆるロシアンルーレット式の食べ物で、複数あるうちの豚カツの一つには、適量を遙かに超えた辛味調味料が含まれているのだ。
 彼女は一息に口の中のものを飲み込むと、僕に恨みを向ける余裕もなく、刺激を押さえるための水分を求めて目の前のグラスに手を伸ばした。しかしそれまで口慰みに使っていたお茶はすでに尽きていた。あえかさんは涙目で苦しみを訴える。僕は満面の笑みで自分の飲んでいたビールのグラスを差し出した。
「はい、どうぞ」
 彼女は一瞬ためらったものの、耐えられずビールを一気に飲み干した。
「っはあ」
 やっと一息付くと彼女はこれまでのふさぎ込んだ表情から一転して目を見開いて混乱を表した。
「な、なにこれ」
「激辛豚カツです」
 僕が楽しそうに答えると彼女は怒りの表情でねめつける。
「なにするの」
「あえかさんにも共犯者になってもらおうと思って」
 僕は空になったビールのグラスを指さした。
「…………」
「せっかくのお酒の席なんだから楽しみましょうよ」
 僕に無理矢理犯罪者に仕立て上げられたあえかさんは不機嫌そうに他の料理を貪り始めた。
「お言葉通り、楽しませてもらいますよ。性格悪いね君」
「そうなんです。僕も困ってるんですよ」
 彼女には嫌われてしまったようだけど相手にされないよりかはましだろう。料理をつつきながら僕らは二人でぽつぽつと会話をした。



 宴の開始から一時間半も経つと、部屋全体に酔いの空気が満ちてくる。すでに何人かは部屋の隅で死体のように倒れ込んでいる。起きている人間の会話も緊張感を失い、むき出しの感情やろれつの回らない拙い人生論なんかを語り始める人が現れる。
 僕の隣のあえかさんも例外ではなく、大学生活のグチやら僕に対する手厳しい批判を好き放題に言った後、糸が切れたように机の上に突っ伏して、寝息を立て始めた。
 貴重な話し相手を失った僕は、千鳥足で畳を踏みつけて会場をさまよう。僕の心はアルコールの力ですっかり強気になっていて、この頃ずっとうじうじとしている祐司さんにガツンと一発言ってやろうと思い立って、彼の元に向かった。
 祐司さんの横にはすでに先客がいた。髭面の巨体、八郎さんがなにやらからんでいる。
「祐司さぁん、元気出してくださいよ。ほら、周りに女の子たくさん居ますよ。誰か適当に連れ出してホテルでも行ってこればいいじゃないですか。そうすりゃ、すっきりして失恋のつらさも吹き飛ぶってもんですよ」
 八郎さんに諭される祐司さんはもう何杯目かもわからないハイボールのグラスを揺らしながらぼやく。
「違うんだよ。俺は別にセックスの相手が欲しいんじゃなくてさあ、妙子に彼女でいて欲しかったんだよ。そりゃあ俺たち仲は良くなかったかもしれないけど、お互いを必要としてると思ってたんだよ俺はあ。それがさ、あっさり別れましょうなんてそんな話があるかよ。なんで俺と別れた後の方が清々しい顔してんだって、はああ」
「女なんて星の数ほどいるじゃあないですか。気を落とさんでくださいよ。大丈夫ですって、祐司さんならまた新しい女を見つけられますよ、僕と違って風俗じゃなくて素人の女の子とセックスできるなんていい話じゃないですか、うらやましいなあ」
 お互いに泥酔している二人の会話はかみ合っているようでかみ合っていない。やがてふと顔を上げた八郎さんが僕に目をつける。
「おや、岬くんじゃないか。君からもこの男になにか言ってやってくれよ」
 そういわれると、さっきまでその気だったはずなのに、かける言葉は見つからなかった。
「なんだ、薄情だなあ」
 八郎さんは僕を非難するとふと何かに気が付いた顔をする。
「あれ、誠士郎さんがいないなあ」
 そういえばさっきまで女性陣に囲まれていた彼はいつのまにかいなくなっている。取り巻きの女の子たちは行き場を失ったようで彼女ら同士で盛り上がっている。
「ねぇねぇ祐司さん、誠士郎さんトイレに行ったんじゃないですか。例のあれですよ」
 八郎さんはうなだれて意識を手放そうとしていた祐司さんの肩をつかんで揺する。
「見に行きましょうよ。こんなときこそちんこを勃てないと。元気も出ませんよ」
「例のあれって何ですか」 
 話に置いて行かれた僕が尋ねる。
「ああ、岬くんは知らないかあ。あの人の女癖が悪いのは知ってるかい」
 よく知っている。
「あの人、こういう飲み会に来ると、自分に気のある女の子を酔わせてトイレに連れ込むんだよ。そいで、しっぽりヤるって寸法」
 八郎さんは右手の指で輪っかを作るとその間に左手の人差し指を通した。低俗な上に前時代的なジェスチャーだ。
 しかし驚いた、あの紳士的な誠士郎さんがそんな所行を働いていたなんて。女の子を酔わせてセックスするなんて犯罪すれすれの行為じゃないか。
「まあまあ、実際見てみればわかるよ。岬くんもついてきなよ。ほら、祐司さんも、行きますよ」
 八郎さんは心底楽しそうな顔で祐司さんを引きずり起こすと、トイレに向かって歩き始めた。僕は良心を痛める気持ちがあったが、事の真偽を確かめたいのと、現場を目にしてみたいという願望があって八郎さんについて行くことにした。
 トイレに向かう道のりにも、どこかの飲み会で酔っぱらった夢遊病患者みたいな学生たちがそこかしこにいて、僕らはそれをかき分けてやっと目的地にたどり着いた。
 男子トイレの扉を開けると潜めるような男女の声が聞こえてくる。一番奥の個室からのようだ。その理由を知っているだけに僕の妄想は膨らんで、思わず股間を堅くしてしまう。八郎さんも同様のようで、窮屈さに耐えかねてズボンのベルトを外すと携帯をとりだした。
「撮影するんですか。まずいですよ」
「大丈夫大丈夫、前にもやったことあるんだから」
 一体なにが大丈夫なのかわからなかったが彼の勢いに押されて僕は引き下がる。
「さーてと、どこから撮ろうか。床に這い蹲ると服が汚れるんだなあ」
 八郎さんは個室の扉の前に立って思案している。すると、何か思いついたように僕に顔を向けた。
「ねぇ、岬くん君は体が軽そうだから、隣の個室から壁を登って、上から撮影してくれないか。私の携帯を貸すから」
「ええ!? 僕ですか」
 まさかの抜擢に狼狽する。
「だって私みたいな男が登ったら壁が壊れちゃうだろう。その点君は身軽そうだ。どうだい、やってくれよ」
 僕は逡巡する。ここまで付いてきた時点で八郎さんと共犯だとはいえ、自分で撮影するのはさすがに一線を越えてはいまいか。レイプを偶然に発見したあの日とは違う。自らの意志でカメラを回すということは、女性を犯していた犯人グループの側に自分がなるということなのでは。
 しかし冷静な思考もそこまでだった。中にいる女性の声が大きくなる。それは確かに勧誘の時に聞いた仁美さんの声だった。おとなしそうに話していた彼女の動物的な喘ぎ声によって、僕に異常な興奮がわき起こった。行動を制御するための理性はタガが外れてしまった。
「わかりましたよ。しょうがないなあ」
 飲みの席ではこういうこともある。多少の悪行は誠士郎さんや仁美さんもアルコールのせいって事で流してくれるだろう。大体、こんなところでセックスしている方がおかしいんだ。ここは男子トイレだぞ。なめやがって。そんな風に自分を正当化して、八郎さんから携帯を受け取る。
「ここ押せば撮影が始まるから」
 簡単な操作を教わって、僕は隣の個室に入った。なんとなく撮影している自分を見られるのが嫌で、鍵をかける。
 トイレの壁にはとっかかりになるようなものがなくて僕は登るのに苦労した。幾度か手を伸ばして上端を掴もうとするもののうまくいかない。トイレットペーパーをはめる金具に足をかけようと思ったが、いくら僕の体重が軽いといっても壊れてしまいそうだ。あとで弁償させられるのも嫌なので僕は思いきって助走をつけて壁に向かってジャンプした。
 飛びついた瞬間、踏み出した勢いで壁にぶつかってしまう。カエルみたいに潰れた僕だが、それでも何とか壁の端を掴んだ僕は懸垂するみたいに壁をよじ登って、隣の個室に顔を出した。ぶつかったときに音が鳴ってしまったけれど、幸い二人に気づかれた様子はない。
 僕らの予想通り、二人はこんな場所で情事に耽っていた。誠士郎さんは、おそらく意識が朦朧としているのであろう、ぐったりと脱力する仁美さんをトイレの壁に押さえつけて立たせている。辛うじて体制を維持する仁美さんのスカートはめくりあげられていて、自ら快楽を求めるように腰を前後に動かしている。僕はしばし、非現実的な光景に見入っていた。
 どれくらい時間が経っただろう。といってもおそらく数分も過ぎていないのだが、体感では長い時間が経過した後、僕はやっと自分の使命を思い出した。八郎さんから託された携帯を取り出す。撮影しようとするとどうしても無理な体勢になって腕が疲れるけれど僕はそんな疲労も忘れて必死になってカメラを回す。頭の中で興奮する物質みたいなものが分泌されているんだ。
 やがて性行為が終わるのを待つより先に僕の貧弱な腕の筋肉が悲鳴を上げてしまい、あえなく撮影は終了になった。けれど、最後まで二人にばれずに仕事を終えられたのはうれしい誤算だったかもしれない。二人とも酔っていたんだろう。僕はよくわからない達成感を得て、トイレの外で待つ八郎さん達と合流した。



「おほー、よく撮れてるなあ。岬くんはすごいなあ、全然ぶれてない。AVのカメラマンになりなよ君ぃ」
 僕らはトイレから飲み会の席に戻ると、三人で撮影した動画を鑑賞していた。
「それ、誉めてます?」
 まだ周りに新入生たちがいるというのにこんな動画を見ているというのがイかれた話ではある。僕はちらりと先ほどまで仲良く、ではないけれど一緒に話していたあえかさんを見る。彼女は相変わらず微動だにせず机に突っ伏したままだ。近くに寄れば、幼子のような寝息まで聞こえてきそうだ。まさか寝ている間に友達が同じ大学の先輩に犯されて、しかもその様子を撮影されているなんて想像もしていないだろう。僕は背徳的な気分になった。彼女に対して申し訳ないという気持ちも全くないではないけれど、彼女が言うとおり僕は性格が悪いのだ、勘弁して欲しい。
 いつの間にか祐司さんも意識を回復させていて、動画に見入っている。何もいわないけれど、どうやら少しは楽しんでくれているようだ。
 しばらく僕ら三人が卑猥な動画の鑑賞に興じていると翼さんが苦々しい顔をして近づいてきた。
「おい八郎、お前今までどこ行ってたんだ、新入生たち放っておいて」
 翼さんの言葉には刺がある。そういえば僕らが出かけてしまったから、ここにはサークルのメンバーが彼しか残っていなかったのだ。今更ながら悪いことをした気がする。僕は反省するものの、声をかけられた本人である八郎さんは彼の非難などどこ吹く風だ。
「連れションに行ってただけだよ。なにか不満があるのかい翼くん」
 八郎さんは目を携帯の画面に釘付けにしたまま適当に答える。その対応がさらに翼さんの怒りに触れたらしい。
「それでこんなに時間がかかるわけがないだろうが」
「君もしつこいなあ翼くん。大体、出かけていたというなら岬くんも祐司さんも、この場にはいないけども誠士郎さんだってそうじゃないか。僕だけに言われても困るんだよねぇ」
「俺はお前に話してるんだよ」
「私はもう君と話すことはないなあ」
 八郎さんの挑発的な態度に翼さんはいよいよしびれを切らした。いまだに画面を見つめたままの八郎さんに詰め寄り、その手から携帯を奪い取る。
「人が話してるんだよ、こっちを向け」
 翼さんは携帯を手にした勢いで画面に映る映像に目を留めた。
「なんだ、これ?」
 液晶に映し出される、異常な光景に、彼は顔を青く染める。一方、夢中で眺めていた玩具を取り上げられた八郎さんは鋭い目つきで翼さんを睨む。
「返してくれよ、翼くん」
 口調は穏やかだけれど、声には今にも弾けてしまいそうな怒りが張りつめている。その爆弾に気が付いていないのは茫然自失としている翼さん一人だけだ。いつのまにか上級生たちのただならぬ気配にまわりの新入生たちも息を呑んでいる。
「あ、これ、お前がやったのか?」
 翼さんはやっと、たどたどしい言葉を発した。
「ヤっているのは誠士郎さんですがね」
 八郎さんの返答に翼さんはまたも言葉を詰まらせる。そして僕たち三人の顔を見る。画面の中の誠士郎さんも。
「お前が仕組んだのかって聞いてんだよっ」
 翼さんはつばを飛ばして大声を上げる。
「仕組んだって、人聞きが悪いなあ。僕はただおもしろい現場を携帯で撮影して、サークルの仲間で共有していただけだよ。なんだったら君も一緒するかい?君とは趣味が合わないと思っていたけど、同志だというなら歓迎するよ」
「ふざけんなっ、お前と一緒にするんじゃねぇ」
 叫んで、翼さんは手に持っていた携帯を地面にたたきつけた。バキという陳腐な音をたてて携帯はその中身を露出させる。それが合図になった。
 八郎さんが翼さんの胸に向かって思い切り突っ込んで、体重をぶつけた。不意を付かれた翼さんはそのまま後ろの長机に押し倒される。上に置いてあった食器や食べ物が飛び散って派手な音を立てる。周りの女の子から引き裂くような悲鳴が上がった。
 勝負はすでに決していた。机に後頭部を強くぶつけた翼さんは怯んで、その隙に八郎さんはマウントをとる。それからは一方的だった。自分よりも遙かに重い肉体に組み伏せられて身動きのとれない翼さんに向かって、八郎さんが幾度となく拳を浴びせる。僕はその光景をなぜか他人事のように見ていた。いつもなら喧嘩を止める役の祐司さんも今回ばかりは呆然と見守っている。
 しばらくすると翼さんは抵抗をやめて動かなくなった。それを確認すると八郎さんは息を荒らげて立ち上がる。だれもが無言のうちに彼を見た。時がとまったような感覚の中にいると、唐突に襖が開いた。
 八郎さんとは全く違う理由で軽く息を荒らげる誠士郎さんが、目を丸くして部屋を見渡す。
「な、なにごと?」
 第三者としては至極まっとうな反応をする彼が、この場に限っては酷く間抜けな役者に見えた。



 居酒屋の責任者らしき人はこの手の荒事には慣れているらしく、僕ら全体への説教と諸般の手続きはスムーズに済んだ。翼さんが倒れ込んだときに数枚食器が割れた以外には大した被害はなく、けが人も新入生にはいなかったようで、僕はひとまず安堵した。
 ただ、お店に予約した代表の名前は祐司さんとなっていたみたいで、彼は個人的にかなり絞られたらしい。実質的には誠士郎さんが場を仕切っていた上に、辿っていけば今回の騒ぎの原因は彼のような気もするので祐司さんを気の毒に思ったが、それは仕方ない。
 空気がめちゃくちゃになってしまったので、予定されていた二次会だとかその他のイベントも全部おじゃんになり、新入生たちにはひとまず帰ってもらうことになった。結局、現役のメンバーだけになった僕たちは、サークル棟においてある荷物を取りに、街頭に照らされた夜道を歩く。
「今回ばかりは本当に申し訳ないです」
「元はといえば僕が悪かったんだ。ごめんよ祐司」
 八郎さんと誠士郎さんは歩きながら頭を下げて謝罪する。僕と祐司さんは、脱力したまま動こうとしない翼さんを二人で抱えながらそれを聞く。僕は祐司さんの方をちらりとみた。彼は二人を責めるでも許すでもなく放心したように口を開けている。
「くそ……」
 顔を腫らした翼さんが悔しそうに恨みを漏らした。僕は二人を糾弾するつもりはなかったけれど、あんなことがあるとどうしてもネガティブな発言をせずにいられない。
「たぶん、飲み会の参加者、一人も入会しませんよね」
 宴会場で固まっていた皆の表情を思い浮かべてしみじみと言う。すると、今まで頑なに沈黙を守っていた祐司さんがいきなり抱えていた翼さんの肩を離した。バランスを崩した翼さんが前につんのめる。僕は必死でそれを支えた。
「あはははははは」
 祐司さんは大声で笑い出す。笑い声は真っ黒な夜空に跳ね返っているのではないかと疑うほどうるさく響いている。彼以外のメンバーが思わず顔を見合わせる。不審を表す僕らを横に、彼は狂ったような痙攣運動を繰り返す。ついには歩道の上にひっくり返って空気を吸い込もうと苦しみだした。
「だ、大丈夫ですかあ、祐司さん」
 八郎さんが心配そうに声をかける。僕らは立ち止まってその現場を見下ろしていた。()も経った後、祐司さんはやっと呼吸を正常にして立ち上がった。涙に濡れた目尻をぬぐう。
「はー、笑った笑った」
 祐司さんが破顔したまま息をつく。
「本当に大丈夫ですか祐司さん、主に頭が」
 八郎さんはおどけて確認するが、その顔には本気で当惑の色が浮かんでいる。それに、祐司さんは憑き物が落ちたような明るい声で答える。
「ばーか、てめぇらのせいだろうが。まったくしょうがない奴らだ。おい八郎、ぶっ壊された携帯にメモリーカードが入ってただろう、それは無事か」
 脈絡のない発言に戸惑いながらも、八郎さんはさっき壊された携帯の破片を漁る。
「えーと、見たところは大丈夫そうです」
「よーしよーし」
 祐司さんはしきりに頷いている。なにかよからぬ事を企んでいるような気配があった。
「部屋にテレビが置いてあったろう。今日は全員でエロビデオ鑑賞会するぞ。おい、翼、おまえも参加しろよ」
「なに言ってるんですか、俺、そういうのは許せないんです」
「ふざけんな。セックスが嫌いな人間なんているもんか。それにお前は喧嘩に負けたんだから、絶対服従なんだよ」
「祐司さんに負けた訳じゃありませんよ」
「同じ事だよ。あと、噂に聞いてるぜ、お前が参加してたゲームの企画、空中分解したんだろう?」
「なんでそんなこと」
 それは翼さんの逆鱗に触れたようで彼は顔を歪ませる。けれど祐司さんはそんなことに見向きもしない。
「暇なんだろうが。持て余してるエネルギーは俺たちのサークルのために使え。おい、それと誠士郎」
「え、なんだい?」
「部屋に新入生どもの連絡先が書いた紙が残ってたよな?」
「残ってるけど……」
「よし、それも使うから誰も捨てんなよ」
「あの、祐司さん、なに考えてんですか」
 彼にしては珍しく勢いに押されっぱなしの八郎さんが尋ねる。何事かわからないけれど企みをどんどん膨らませている祐司さんはニヒルに笑う。
「お前が言っていた通りさ。女を抱いてすっきりする。お前等全員暇だろう」
 彼は僕らの前に躍り出て自慢げに胸を張る。
「そんでもって全員碌でもないやつらだ。俺につき合えよ、楽しませてやるから」
 僕らの他には暗闇だけが居座る夜の街。祐司さんの出す凄惨な合図とともに何かが始まる、そんな予感がした。

       

表紙

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Neetsha