Neetel Inside ニートノベル
表紙

斉藤武雄の忘備録
その10

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 Ⅹ

 楓さんの三者面談から、一週間が経っていた。
 僕の家の近くから、自転車で二十分のところにある、薄寂れたショッピングモール。そのショッピングモールの、僕以外誰もいない三階のフードコートで、僕はpちゃんが来るのを待っていた。
 約束の時間の十分後。少し申し訳なさそうな顔をしながら、エレベーターを伝って、pちゃんはフードコートにやってきた。僕の真正面の席にある椅子にpちゃんは腰かけた。
「あの後の面談、もうすごかったですよ。楓とお母さんが大口論になっちゃって、感極まった楓が泣き叫んで、そんな楓に反応したお母さんが激昂しちゃって、もうほんと、阿鼻叫喚の地獄絵図でしたよ。担任の先生も僕も蚊帳の外だったというか」
 pちゃんは淡々と事の顛末を話していく。
 本当は十五分だった面談は、三十分経っても終わらず、結局一時間もかかってしまった。楓の面談の後には誰も後がいなかったからよかったものの、もし後ろに人がつかえていたとしたら、大変でしたよ、とpちゃんは言う。淡々と語られる面談の後日譚であったが、その結末は、楓さんとお父さんが一度公の場で話し合いの場を持つ、ということが落としどころになったいみたいだ、


 楓さんの面談の後日譚を一通り聞いたあと、僕は、pちゃんと楓さんが学校に消えていった後に、考えていたことをpちゃんに話した。結構詳細に話したりした。
 青春の面影を追うことすらもできなくなってしまっていたという話、欲しくて欲しくてたまらなかった、居場所や彼女、友達、その全てをずっと手に入れられずにいるという話。それと、僕の将来はもう真っ暗だという話。ひきこもりでニートを脱出したところで、行きつく先は薄給の重労働で、少ない余暇は、時代遅れのテレビ番組を一人寂しく狭い部屋で見ながら、安い酒をすすることで過ぎ去ってしまうのだ。少ない余暇が過ぎれば、また明日も先の見えない重労働がやってくる。くたくたになって帰ってくる日々と、少ない休日。その繰り返しで、ただ一人寂しく人生を終えていくのだ。
 そんなことを、僕は僕にしては珍しく饒舌にpちゃんに話す。
「…ぷっ。saitoさんって面白いですね。2chだとかひきこもりのルポに、ちょっと毒され過ぎじゃないですか」
「……そうなのかなぁ。毒されすぎなのかなぁ。ネットのやりすぎなのかなぁ」
「いや、絶対ネットのやりすぎのせいだと思いますよ、saitoさん。だってsaitoさん、大学中退してからニートやってるって言ってますけど、でもニートしてる間、楽しくないことばっかりでしたか? 楽しいこと、あったんじゃないんですか? 」
「いや、楽しいことなんかなかったんだけど。何一つ楽しくなかった」
pちゃんは、えっ、と驚いた顔をした。
「えっ、saitoさんは……、いや、saitoさんはそうだったのかもしれないです。でも、僕はそうじゃなかったですよ。楽しいことはたくさんありました。今は受験勉強してるからニートじゃないですけど、ニートしてる間、僕の場合は結構楽しかったですもん。好きな時間に寝起きできるし、パソコンだってし放題だったし。好きな場所に思い立った時にもすぐ行けますし。第一、学校の嫌な奴に会わなくて済むんですもん。おまけに自由も謳歌できるし。こんなに楽しい時間はなかったですよ。もしニート期間に戻れるなら、今だって戻りたいくらいですし」
 そうやってニートの時間を楽しく謳歌できるのも、せいぜいニートになってから数か月の間の話だろう、と言いかけたけど、それを伝えるための言葉を発そうとしたら、言葉が喉のあたりに詰まってしまった。そんなことは言えなかったのだ。pちゃんが話を続ける。
「……まあでも、ニートをしていても、楽しくないところがあったのも事実は事実でしたよ。なんていうか、社会から切り離されていると、何をしても楽しくないなぁと感じる日が、なかったわけじゃなかったし」
「そ、そうだよね。ははっ、ははっ……」
「でも……」
でも、と言いながら、pちゃんは僕と目を逸らす。
「でも……、saitoさんと、世間の人間が寝静まった深夜にチャットしてる時が、ニート期間で一番楽しかったんですよ。本当に本当に、楽しかったんですよ。あの時に、あのサイトで、saitoさんと出会えたことが、ニートしてて一番良かったことだなと思ってます。僕は少なくともそう思ってますよ。ニートでなければ、僕は今頃saitoさんとこうして話してませんよ。そう考えると、とても不思議だなというか、運命とは数奇だなというか」
 確かに、そうかもしれなかった。あの時、偶然立ち寄ったチャットサイトで、僕はpちゃんと出会った。ネカマのpちゃんに騙された僕は、pちゃんが女子だと思って、色んな話をたくさんした。僕はネカマのpちゃんに、すっかり騙されていたのだ。
 だけどpちゃんは、初めてチャットをしてから三週間後の深夜のチャットサイトで、実は自分は男であるということを自白する。驚いた僕。すっかり騙された僕は、驚愕する。でも、そんなpちゃんを、僕を騙していたpちゃんを、怒らずに、僕は受け入れてしまったのだ。
 その時からだったと思う。僕とpちゃんはチャット友達になった。そんな関係がしばらく続いた後、pちゃんがskypeのidを教えてくれと、あんまりしつこくせがむわけだから、折れた僕はpちゃんにskypeのidを教えてしまったのだ。
 これが全ての始まりだった。これが、僕の備忘録の全ての始まりだった。僕とpちゃんはskypeでチャットをするようになった。それから数か月後、僕はpちゃんと会うことになった。もちろん、ネット上のどこかのサイトじゃなくて、リアルで。
 あの時、あのチャットサイトで、しかもpちゃんがいなければ。全てが満たされていなければ、きっと僕らは出会うことがなかったのだ。それも、きっと一生。
 
 初めて会ってから数か月が、走馬灯のように頭によぎっていく。瞳の奥がじんわりと熱くなる気がした。
 pちゃんと出会ってから、僕は外に出るようになった。ずっとパジャマ、じゃなくってちゃんとした服を着るようになった。散髪屋だって行けるようになった。小腹が空けば、コンビニにも行くようにもなった。そして電車に乗るようになった。七駅遠くの町にも行った。
 僕は、pちゃんと出会ってから、たくさんのことができるようになった。


「……まあでも、僕も時々、saitoさんが考えてたようなことを、考えたりします。もしも行きたい大学に受からなかったら、その後の人生はどうしようって」
「いやいや、pちゃんは勉強ができるし大丈夫なんじゃないかな……」
「……そうですか。大丈夫……だったらいいんですけど。この前受けてみた模試、成績もすごく悪くて……、このままじゃ合格はちょっと厳しいかもしれないですし」
「は、はは……」
僕に大学受験の相談をするな、どうすればいいかさっぱりわからないから。そう言おうとしたけれど、pちゃんは何となくだけど、無理難題を乗り越えていくような人生を送る気がしていたから、僕は何も言わないでおくことにした。
「……僕、こうみえても実は高校を途中でやめちゃったこと、結構真剣に後悔してるんです」
テーブルに頬杖をつきながら、pちゃんはたそがれながら話始めた。
「……高校、結構やけくそ気味にやめちゃったんですよ。何となく、何となくの何となくが嫌で、……いや、自分でも何を言ってるのか全然わかってないんですけど、何となく嫌で、高校はやめちゃったんです。でも、それを今にして結構後悔しているというか。……先週、楓の面談で、久々に学校っていうところに足を踏み入れたんですけど、あの夕焼け色に染まっている校舎だとか、放課後の教室で友達と気兼ねなく談笑している高校生とか、明日の日直当番が書いてある黒板とか。吹奏楽部の管楽器の音とか、運動部の掛け声とか。そういうものをみてると、高校、やめなければよかったのかなぁ、なんて。もちろん、今通ってる定時制の高校だって、楽しいことは楽しいんですけどね。でも、ああいう青春を送る機会を、自分から全部どぶに捨てちゃったっていうのは、すごく勿体ないことしたなぁって。最近そう思うんです。だから僕も、saitoさんと同じように、青春の面影すら追う事ができない側の人間……なのかもしれないですけど。そんなことを考えちゃう日は、勉強も全く手に着かなくって、すごく困ってるんですよ」
「は、ははっ……」
 僕は空笑いをするしかなかった。
「だけど……」
そう言いながら、CCレモンを少し口に含んでから、pちゃんは再び話始める。
「だけど……、でも、人生、楽しいことは青春だけじゃないんだなって、最近すごくそう思うようにはなっていて。なぜだかわかりますか? それは、saitoさんと出会ったからなんです。saitoさんと深夜にチャットをするようになって、それがすごく楽しくって。……もちろん、高校を中退しちゃったことは、すごくすごく後悔してます。やめなければよかった、とはずっと思ってます。でも、中退して、定時制の高校に入らないでいたら、こんな駄目人間のひきこもりニートなsaitoさんと、きっと出会うこともなかったんだなぁって」
「って、pちゃん、しれっと僕の悪口を……」
「あっ。saitoさん、やっとツッコんでくれましたね。ずっと待ってたんですよ、僕。あんなにチャットじゃ饒舌なsaitoさんが、リアルの会話でツッコんでくれないわけがないって、ずっと思ってました。はは。これでようやく、チャットのような楽しい会話ができそうですねぇ」
 そう言ってニヒルな顔をしながら、笑みを浮かべるpちゃんが、僕はたまらなく好きだった。pちゃんは男だから、もちろん恋愛感情を抱くことはないのだけど。でも、もしもpちゃんが異性だったら、あるいは僕が女子だったら、きっとpちゃんのことを異性として好きになっていたと思う。
 僕とpちゃんは、それから、閑散としたフードコートで、くだらない話をした。馬鹿話もした。チャットでしていたように、僕たちは話していた。
 時間を忘れるくらいの、楽しい時間が久々に過ぎ去っていく。自販機で買っておいた缶ジュースは、すっかり温くなっていた
 否定もできなければ、肯定もできないような過去があった。
 受験に失敗した。ひきこもりになった。ニートになった。どれも決して肯定できることでもなければ、納得がいっていることでもない。
 そんなどうしようもない過去を、肯定して、消化できるのなら、きっとそれが一番なのだろうけれど、あいにく僕もpちゃんも、そんなことはできないでいた。
 虚しくて、悔しくて。そしてぼんやりとした何かが、すごく不安で。だけど、何が不安なのかというほどはっきりしたものに不安を感じているわけではなくて。ただただ、何となく、社会で決められていそうな決まり事に、順応できそうにない自分がすごく不安で。「先行き」という言葉を聞くだけで、体の芯まですっかり不安に呑まれてしまいそうだ。不安に呑まれて、大事なものもたくさん捨ててしまった気もする。
 大事なもの一つ守れずにいる。そう、大事なもの一つ守るのだって、実はとっても大変なのだ。捨ててしまいそうになる。だって、捨ててしまった方が楽なのだから。
 そういう人生の渦の中で、大事なものを捨ててしまうことだってあるのだと思う。だけど、きっとそれでもいいのだ。捨て去ってしまった大事なものが大事だったと気付いて、取り返しにいこうとする。その行動に、何の問題があるというのだろうか。
 さっきまで楽しそうに話していたpちゃんが、ふと真顔になって僕にたずねる。
「青春って、一体何なんですかね」
そのpちゃんの問いかけに、僕は答えられずにいた。


 しばらくの沈黙の後、何かを思い立ったpちゃんは、肩掛けのカバンからブラックボードを取り出す。 百均で買ったようなブラックボードに、pちゃんはチョークで書きつけていく。
「明日の日直当番……、ネカマの僕と、ネカマに騙されたsaitoさん。ははっ」
「おい」
「……まあでも、こういうくだらない遊びをしていることを青春というのなら、いつだって青春はできるんじゃないかなぁって、今思ったんですけど」
「確かになぁ」
そうなのかもしれなかった。面白がれるようなことを面白がり、しっかり楽しむ様を青春というのなら、いつだって青春はできそうだった。
 それからしばらく話した後、僕が缶ジュースを飲み干したタイミングで、今日はもうお開きになった。
 pちゃんにどうしてもLINEの連絡先を教えてくれと上目遣いで言われたので、断れない僕はpちゃんにLINEの連絡先を教えた。
 その後、僕とpちゃんはエスカレーターに乗って、三階のフードコートを後にした。一階に着いた。自動ドアから、僕たちはショッピングモールの外に出た。初夏の柔らかい風が、僕の頬を撫でるように通り過ぎていく。
 最寄りの駅までの少し暗い道を、街灯を頼りにして、僕たちはぼんやりと歩いていく。しばらくすると、最寄りの駅の近くにあるコンビニが見えてくる。
 またよろしくお願いしますね、よろしくね、と互いに会釈しながら言葉を交わした後、pちゃんは駅の方の暗がりへ消えていく。そのpちゃんに向かって、僕は少しだけ手を振る。また出会えたらいいなぁ、これで終わりじゃなければいいなぁと、少しだけ心の奥底で祈りながら。


 最寄りの駅からの帰り路をぼんやりと歩いて、僕は自宅に戻った。インターホンを押した。母親が出てくる。玄関をくぐった後、ドアを開けて、自室に戻る。相変わらずの、物にまみれている狭い部屋だ。
 しばらく布団の上に寝転がって、スマホを見ながらぼんやりしていると、pちゃんからLINEでメッセージが来た。saitoさんはどうせ暇でしょうからいつでも大丈夫でしょうけれど、また今度どこかに遊びにいきましょうね、というメッセージだった。ニートであることを馬鹿にされるのは、最初は少し怒りそうになったものだけれど、でも、そうやって怒りに身を任せ、嫉妬の炎に委ねるよりかは、笑いの種にした方がずっとポジティブで、まともな人生が送れそうな気がする。
 ふと思い立った僕は、今日の出来事を、忘れないようにノートに書きつける。久々に文章を書いたせいか、あまりに拙い文章だった。
 くだらなかった。どうしようもなかった。書けば書くほど、思いの丈が炭酸が弾けるみたいにわきだしていく。だけど書く手は一向に止まらない。
 しばらくすると僕の手が止まる。炭酸水を口に含みながら、書いた文章を読み返してみる。
 文章にしてみれば、実に薄っぺらい、よくあるひきこもりが主人公の物語だった。だけどそれは、紛れもなく、他でもない、僕自身が紡いだ物語だった。
 お腹が異常に空いていることに気付いて、布団の近くの目覚まし時計に目をやる。午前一時二十一分。薄寂れたショッピングモールから帰ってきてからもう五、六時間も経つのに、僕は一切何も口にせず、飲まず食わずに今までずっと日記を書き続けていたのだ。道理でお腹が空くはずだ。
 家の鍵をズボンのポケットの中で固く握りしめながら、寝ている父と母を起こさないようにと細心の注意を払いながら、僕は家を出た。
 目の前に広がっていたのは、オレンジの街灯の灯りだけが灯る、怖いくらいに静かなまちだった。
 昼間の喧騒が嘘みたいだった。あまりにも静かで、何をされても不審者がられない。そんな気がしたので、僕は通っていた小学校に行くことにした。
 フェンス越しで見る夜の学び舎は、どこか寂しげで、だけどなぜだか儚げではなかった。夜の学び舎を見ていると、修学旅行の前の日の晩のような、そんな胸の高鳴りが、自分の心の内のどこかでこだまするような気がした。
 僕の母校の小学校は、来年になれば統廃合で取り壊されるらしい。良い思い出はあまりなかったけれど、思い入れはすごくあった小学生時代だった。だから、取り壊されるのは正直言ってものすごく悲しかった。
 コンビニで菓子パンとジュースを買った後、小学校の少し離れにある、小学生の頃に友達とよく遊んでいた公園に行った。無性に行きたくなったのだ。公園の左隅にあるベンチに座ってみる。ちょうど真正面には、散髪屋の帰りに漕いだブランコがひっそりと佇んでいた。
 メジャメジャと音を立てながら、僕はコンビニの袋から、ペットボトルのジュースを取り出した。
 ペットボトルのフタを開けて、僕はジュースを口に放り込む。ぼんやりとしたそれを、僕は飲み込む。
 弾けた炭酸が、体の芯まで澄み渡っていく。甘ったるい炭酸飲料の味。ずっと好きだったCCレモンの味。最近はあまりCCレモンは飲まないのだけれど。
 コンビニで、本当はCCレモン以外のジュースを買う予定だったのだけれど、今日の夕方に、Pちゃんがあんなにおいしそうに、そして淡そうにCCレモンを飲むものだから、僕はCCレモンを買ってしまったのだ。
 ベンチでぼんやりとたそがれる僕に、全身に澄み渡るような、とても涼しい夜風が吹いてくる。僕の頬をつんざきはしない風だった。
 誰もいないベンチに座りながら、僕は炭酸とまちの静けさを堪能していた。
 静寂を乱すように、LINEの通知音が鳴る。バイブでスマホが震える。Pちゃんからだった。
 最近どうしてますか?って、今日会ったところなのに、最近も何もあるのかよ、とLINEでツッコんでおいた。
 しばらく菓子パンとCCレモンを堪能した後、ベンチを後にして、僕は家に戻ることにした。
 細心の中を払いながら、僕は家のドアを開け、玄関をくぐり、自室に戻った。 
 日記に綴った言葉を、もう一度声に出して読んでみる。自分が綴った一つ一つの言葉が、炭酸のように、僕の中でじんわりと澄み渡っていくのがわかる。僕の日記の中には、pちゃんが頻繁に出てきていた。
 そう、僕には友達ができたのだ。
「明日の予定は、pちゃんと深夜にチャット」
 日記に、そう書き綴ってみた。明日は、珍しく予定がある。日記を片付けた後、僕はノートパソコンの電源を落とし、パタンとパソコンを閉じる。目をつぶる。瞼の裏の睡魔に今にも襲われてしまいそうだ。
 今日見る夢が、楽しい夢だったらいいのになぁ。そう漠然と祈りながら、僕は瞼の裏の睡魔に身を任せた。



<終わり>


       

表紙

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Neetsha