13週の記録(10月某日)* とにかく、不安のかたまり
妊娠って、ずっとタブーだった。
とにかく妊娠はマズイ。取り返しがつかない。未婚で、将来子どもを持つなんてまだ想像もつかなかった頃の私には、妊娠という単語は「やってしまいましたね」という恐ろしい宣告でしかなかった。しかし結婚すると妊娠の位置づけは一気に裏返る。ずいぶんと気軽に「次は子どもだね」とか言われてしまう。結婚しただけ、つまり社会的地位が変わっただけで、急に人の親になる資格が備わったとみなされてしまう。
果てしない違和感。
二十五歳くらいまではかなり真剣に「私みたいな人間が親になったら、子どもがどうしてこんな親から生まれたんだろうって恨まれるだろうな」と思っていたし、結婚する前にも「自分のことをきちんと肯定できるようになってからじゃないと子どもを持たないほうがいいんだろうな」とうっすら感じていた。自分のことを嫌いなまま子育てしたって、たぶん無理が出るに違いない。変に子どもに依存したり、あるいは否定したり。わたし自身が屈託なく育ったとは言い難いので、なるべく子どもに負債のような感情の澱を残しておきたくなかった。
とはいえ二年の結婚生活で、その辺りは風に吹き飛ばされるようにしてするりとどこかへ行ってしまった。愛されることのパワーとでも言おうか。結婚生活ってすごいと思った。恐ろしい物事がずいぶんと減った。それで、まぁもしもうまいことできちゃったなら産んでみてもいいかな、というくらいの気持ちにはなった。子どもがいる状態というのに興味もあったし、体力・年齢的な制限だってあるし。それになにより、このひとのことが好きだなぁとしみじみ感じるようになると、よくわからんが「なんかこのひとの遺伝子を持った生き物を世に残しておきたいかも……」という気分になるのだ。これはなかなかに衝撃的な発見だった。なんというプリミティヴな愛情の発露。
とはいえ自分の遺伝子も一緒に託しちゃうことになるんだけども、そこは夫の遺伝子でなんとか中和できるだろう。私にだっていいところがまったくないわけじゃないとは思うけど、もしも子どもが自分ひとりで作るものだったら、とてもじゃないけど産もうなんて気にならなかった。ものすごく頼りない生き物が生まれるに決まっているから。でも違う。二人の子供なのだ。考えてみるとすごいことだな、と思った。まったくの他人とのハイブリッドな新しい生命を生み出すのだから。
愛し、信頼している相手から大切にされて(三日お風呂に入ってない寝起きに「かわいいね」と言われたり歯磨き中のぶさいくな顔を喜ばれたりして)いれば、身にしみついた自己嫌悪も醜形恐怖もここまでよくなるのだ。感動的である。「こんな身も心も醜いモンスターのような自分が愛されるわけがないし、愛されようと思うこと自体が公害」と悲壮な思いを抱えていた五年前の私に教えてあげたい。
とはいえ、まぁもちろん「あなたのこと大好き。さ、子ども作ろ」と屈託なく子作りに向かったわけでもなかった。子どもを持つかどうか、という選択はやはりなかなかに重かった。今なのかもっと先なのか、産めるのか、育てられるのか、そもそも作れるのか、心身ともにまったく自信が持てない。産後も大変だって聞くし、絶対産後うつとかヒステリーとかになるだろう。想像に難くない。
でもよくよく考えていくと、もっと根っこの方で不安がとぐろを巻いているのだった。実は一番怖かったのは、夫との人間関係の変化だったのだ。子どもが生まれて3人家族になって、もし万が一、産後のホルモンとかいろいろの都合とかのせいで夫のことが大っ嫌いになってしまって(いわゆる「産後クライシス」)、今までみたいな気持でいられなくなったりしたら、どうしよう……。そんなことが怖いのだった。
なにそれ乙女チックでしょーもない、と言われてしまうのはわかっているのだが、実際に夫にそれを告げたときにはぽろぽろと泣いてしまったほどである。関係が変わることが怖い。今の幸せがなくなってしまうかもしれないのが嫌だ。
夫の答えは単純明快だった。
「産後のホルモン云々でぼろぼろになるのはもう覚悟してる。鬱もヒステリーも、ノイローゼになってもいい。僕がなんとかする。嫌いになっても、また好きになってくれるようにするから大丈夫」
えっ、そんな努力してもらえるの?
というか、私のノイローゼは既にリスクとして把握されているのか……。
なんだか妙にほっとして、じゃあ大丈夫なのかな、と思った。他に心配すべき現実的なリスクはいくらでもあるんだろうけど(お金とか住む場所とか仕事とか)、現実的なものごとがうまく考えられない偏った仕組みの私の頭の中では、そのようなことがもっとも大切なのだった。
しかし後日判明したことだけど、このやり取りをしたときには既に腹の中では生命が発生していた。
それはもう、びっくりするほどあっさりとした始まりだった。自分の身体には産むための機能が本当にきちんと備わっていたんだ…となんだか妙に感心した。
もちろん、こんなにスムーズに進んだのはとても幸運なケースなのだろうけど。
妊娠は、卵子が精子を受け入れた「受精」のタイミングを「妊娠2週」と数える。変な感じだけど、受精前に生理が来たその日が妊娠0週、「妊娠の出発点」になるのだ。受精前だから当然まだお腹にはなにもいない。そのおよそ2週間後に排卵があって、卵子がぽこっと子宮にやってくる。そこに運よく精子がたどりついて受精すれば妊娠2週となる。この辺からもうわかりにくい。妊娠するまでぜんぜん知らなかった。
そもそもよく「妊娠○ヶ月」という言い方をするけれど、月数での表現はかなりアバウトなものでしかない。特に初期には、一週間ごとにダイナミックに状態が変わっていく。だから「妊娠○週」、という言い方が妊婦にとってのスタンダードになる。これもよくわかってなかった。
例の妊娠検査薬というもので陽性反応が出たら産婦人科に行く。妊娠5週くらいで「胎嚢」という赤ちゃんが入っているらしい袋が確認できれば、「とりあえず子宮になんか赤ちゃんのもとがいるっぽいですよ」ということになる。袋自体の大きさが1cmくらいで、そのなかに豆粒のようなものが見える。とても頼りないものだけど、子宮ではない場所で受精卵が育っちゃうこともある(子宮外妊娠)ので、これが確認できればひと安心……かと思えば、次は妊娠6週以降で「心拍確認」というのがある。まだ1cmくらいの胎児(正確にはこのころは胎芽と呼ばれる)になんと小さな小さな心臓があって、エコー検査をすると、それがぴこぴこと点滅して動いているのが見えるのだ(ちなみに脳もできている)。これが見えると「一安心だね、おめでとう」と言われ、この頃に役所で母子手帳をもらうようになる。でもネットなんかで検索しちゃうと次は「妊娠9週の壁」とか出てくる。そもそも受精するかどうかも奇跡みたいな仕組みなんだけど、その受精卵がちゃんと育つかどうかだってやっぱり奇跡みたいな仕組みで、うまく育たないこともある。これはもう受精卵自体の問題で母体の状態には関係なく、またどんなに医療の手を加えても基本的に解消できないと言われている。悲しいけど自然の摂理だ。その自然流産の多くが9週までに起きると言われている。
でも9週なんてまさしくつわりのピークで、妊娠発覚してからひと月近く経っていたりもして、こんだけ苦しい思いをしてるんだしやっぱり人情としては発生しちゃったものは無事に育てたい。そんなわけで不安になる。そして9週をクリアしたら「次は12週の壁が」と新たな壁が出現し、さらに「16週からが安定期で」となって、神経質で不安になりやすい私ですら、さすがに11週頃にはこの「壁理論」に飽きてきた。そりゃなるべく穏便に済ませたいけど、何かが起きるときは起きるし、大丈夫な時は大丈夫なのだ。
妊娠発覚当初はいつも少し気持ち悪い上にお腹もちくちくと痛くて、なにをするにもそろそろとおっかなびっくりだった。ずーっと、子宮(なんだかぼやっとしたあたたかそうな肉の壁がとりまいている場所)の中に頼りない小さい丸い受精卵みたいなものがあって、それが振動のたびにぽろり……と外に出て行きそうになるイメージが頭から離れなかったのだ。
でもこの11週頃から「いや、そもそも生き物として大丈夫な構造になってるはず」とようやく普通に歩けるようになった。ちょっとだけ小走りしたこともあれば大型バイクの後ろに乗ったりもした。単に妊婦であることに慣れたのと、気を遣うのが面倒になってきたということなんだけど。もちろん、検診での経過も特に問題なかったからというのもある。(絶対安静が必要な妊婦さんもけっこういます。もちろん。)
12週になった頃に風邪をひき38度後半の発熱で寝込み、吠えるような咳が一日中続き夜も眠れない状態が3日続き、そのまま10日ほど咳が止まらなかった。つわりでさえ吐かなかったのに咳のしすぎで吐くこと数回、腹筋が鍛えられて明らかに少し痩せたくらいなので、赤子にはたぶんあまりいい環境ではない。月に1度の妊娠検診はまだ先だったので自分で腹の内側の状態を知る術もなく、「まぁたぶん大丈夫なんだろうな」と言い聞かせて過ごした(大丈夫だった)。
しかしこんなに風邪をこじらせたのも咳が続いたのも始めてで、東京に越してきておよそ2年、はじめて病気で内科にかかった。風邪から誘発された軽いダニアレルギーの咳喘息という診断で、一番穏やかな吸入薬で咳はぴたりと止まった。「妊婦は免疫力が落ちる」なんてぜんぜん気にしていなかったけど、本当に風邪をひきやすいしこじらせやすいんだと身をもって知った。他にもホルモンの影響で虫歯が出来やすかったり(出来た)、歯周病になりやすかったり(早産のリスクが上がるとか)、食中毒への耐性も弱くなる。
ほんとにもう、なんかいろんな不安があるよな、と思う。ちなみにこの状態で産んだ後のことまで不安がっている余裕はまったくない。ホルモンのせいなのか難しいことを考えるのがめんどくさくて先のことまで心配できない。妊娠する前はむしろそっちの方が不安だったのに。そう思うと、これはこれで必要な不安なのかもしれない。