Neetel Inside 文芸新都
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屈託のない人に用はない
36週~(4月某日)の記録*完成品との日々、そして

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 妊娠10か月め、36週以降を臨月と呼ぶ。赤ちゃんはいよいよ育ち、もういつ産まれてもおかしくない。とはいえ、正産期と呼ばれる「医学的に産んでOKとされる時期」は37~41週。つまり臨月と正産期には1週間のずれがあるのだが、その1週間がどのくらい重要なものなのかはよくわからない。
 初産は遅れることが多いと言われるけれど、あまりに予定日から超過してしまうと羊水の質が低下してきて赤ちゃんに悪影響が出たり、大きく育ちすぎて産むのが困難になったりする。なので一般的には41週を過ぎると陣痛を誘発するために陣痛促進剤を投与したり、子宮口を開くための器具を挿入したりする……らしい。私の友人は36週でつるっと産んでしまったり、あるいは41週でも陣痛が来なくて誘発したり、とさまざまであった。自分はどうなるのか、もちろんまったく想像がつかなくって、36週になると家族も自分もなんとなくそわそわするのだった。
 この時期は本当に奇妙だった。「もういつ産まれてもおかしくない、完成された生き物がお腹の中で寝たり起きたりして暮らしている」という事実。それがうねうねと中で動いている。今までは外界に出てもまだうまく生きられないから保護しておく必要があって、だからお腹に格納していたのだけれど、それがもうほとんど必要がないのである。目も耳も内臓も、ぜんぶ生まれて来て大丈夫なくらい揃っている(たぶん)、そんな存在がお腹の中で生きているという……。
 まぁでも確かにそろそろ産まれるんだろうな、と思うくらいには、私の身体も限界を迎えている感があった。お腹に西瓜(それも巨大なやつ)が入ってるみたいだ。今までも「本当にこれ以上大きくなるのかなぁ」と書き続けてきたけれど、夫と毎週撮り続けてきたお腹の写真を見返すと、9か月の写真でもまだまだかわいく見えるほどだった。腹囲は97センチ。すごい。
 9か月頃から、仰向けになるのが難しくなった。ちょっと寝返りを打つ間でさえ、心臓がばくばくして息苦しくなる。腹が重すぎて太い血管を圧迫してしまうらしく、そのままでいると気を失う危険性もあるのだとか。血圧も安定しないので、急に目を覚まして起き上がったりすると、小一時間くらい動悸と息苦しさがとれないこともあった。
 でも反対に、動いたときの息切れはなくなった。出産が近づくと赤子は出口の方へ自然と下がり、骨盤に頭をすっぽりはめてその準備をするのだとか。それで肺や胃への圧迫が減るのだ。確かにあの、「もうぱっつんぱっつんです」という感じだった食後の胃の苦しさも気づくとなくなっていた。お腹の形もなんとなくだけど下の方へふくらみが移動している。同時に胎動も少しおとなしくなると言われているのだが、これは「言われてみるとそうかな?」というくらいで、たびたびおへその右側辺りになにか固くて大きな骨がぼこんと飛び出てくる(ちょっと痛い)。一度検診の時に「このふくらみはなんでしょう」と医師に尋ねたところ、「これはお尻ですね」。そう言われると確かにそんなかたちの手ごたえ。それからはぽこんと飛び出てくるたびに、「これが……中の人のお尻(完成品)……」と不思議な気持ちで撫でていた。

 いよいよ準備しておかなければ。というわけで、36週に入るとすぐに衣服の水通しをした。赤ちゃんの肌に触れるものはすべてあらかじめお洗濯をしておくのだ。肌着やお洋服を洗って干していると、そのあまりの小ささにさすがに胸がきゅんとした。身幅なんて私の片手でつかめるくらいしかない。こんな小さなものを着る生き物が本当にいるのかしら。すごい。パステルカラーの衣類が並んでそよそよと風に吹かれているのを、家族や夫も目を細めて見つめていた。
 産後の入院準備も万端。陣痛が来たらいつでも持って出られるように鞄に詰めておいた。授乳用の前開きのパジャマや赤ちゃんの退院時のお洋服、洗面用品などなど。本当にこれを使う日が来るのかしら、と思いつつ揃えた品々がどんどん準備されていく。
 ああ、あと少しなんだなぁ。いよいよ迫ってくるタイムリミットを前に、なんだか寂しい気持ちになる。大きくなったお腹にもすっかり愛着が湧いてしまった。前は自分が変わってしまったことが少し寂しかったのに、今ではこのお腹の大きさにすっかり馴染んでしまった。いつもお腹の中でぐにぐにと動いていたこの人が、分離してしまうのか……。
 気軽に出かけられるのも産んでしまえば当分の間はお休み、ということで、地元の友人と会ったり、両親+夫で温泉旅行へ出かけたりもした。一応もう正産期に入っていたのだけれど、もし陣痛が来ても病院まで車で1時間以内の範囲なら出かけても大丈夫だろうということになった。陣痛からお産までは12時間以上かかるのが普通らしいし。
 こんなに気楽なのもほんとにあと少しなんだろうなぁ、としみじみ……というよりは、若干焦る。だってお腹の中にいるうちは気楽だ。動くのはちょっと大変だけど、靴下もパンツも履くのに苦労するようになったけど、お風呂に入るのなんてすっかり重労働ではあるけれど、でも中の人がお腹にいる限り栄養は自動供給されるし、好きな時間に勝手に寝たり起きたりしてくれるし、泣くこともないし。ネットでは臨月近くの妊婦たちの「早くベビちゃんに会いたい」というつぶやきをよく見かけたけれど、正直私は会いたい気持ち3割、ずっと妊婦でいたい気持ち7割という配分であった。

 温泉宿の部屋で目が覚めた。下腹部に鈍い痛みがある。薄明かりの中、手元の携帯電話で時間を確認すると朝5時前。障子の向こうは仄明るく鳥たちが鳴いているが、夫は当然ぐうすか寝ている。
 あらかじめ用意していた陣痛アプリを立ち上げる。痛みを感じてから持続時間は大体1分半くらい。そしてまた次の痛みが来るまでの時間を計る。これが10分間隔を切るようになったら、病院に連絡する決まりになっている。
 痛みは下腹部がきりきりと締め付けられるくらいで、まだ苦痛というほどではない。間隔もまばらだ。そのままうとうとしながら様子を見ていたが、朝6時半になってもまだ痛みは続いていた。強くなったり弱まったり、ばらつきはあるけれど15分間隔くらい。何度か連続して10分を切ることもある。
 うーん、朝ごはん楽しみにしてたのにな……その前に温泉ももう一回入ろうねって言ってたし。これが陣痛なら家族全員でこのまま病院に向かうんだろうな。なんか申し訳ないなぁ。
 そんな呑気なことを思いながら、念のため身支度をする。浴衣を脱いで洋服に着替え、荷物も持ち出せるようにいったんすべて整える。それが終わると特にすることもなく眠気も飛んだので、そのまま夫の隣でじっと座っていた。
 7時を回った頃、結局痛みは落ち着いた。なんだ。と肩の力が抜けてごろごろ転がっていると、夫が目を覚ました。身支度をした私を見て不思議そうな顔をしている。
「お腹痛くなったから準備だけはしたんだけど、前駆陣痛だったみたい」と告げる。
 前駆陣痛というのは、要するに陣痛の予備練習みたいなものだ。人によっては来ないこともあるし、36週頃からしょっちゅう来る人もいるとか。私も何度か「これは前駆かな?」と思うことはあったけれど、このときのものが一番「それらしい」前駆陣痛だった。
 結局この日は無事に朝いちばんの温泉を堪能し、旅館の朝ごはんをたっぷり食べ、少しドライブをして回り滝だの山だのを堪能して、家に帰ってゆっくりと過ごした。平和そのものの一日であった。

 妊婦期間のことで書き忘れたことがある。まずは食欲の話。
 妊娠中期以降の食欲ときたら、すごかった。それまではそんなに食べるほうではなくって、夫と外食をしていても大体0.7人前くらいをなんとか食べて、あとは夫にも食べてもらう。それで2人ともちょうどいい感じだった。
 それが、中期になった頃からやたらとお腹が空く。1人前なんかぺろりと食べてしまう。むしゃむしゃ食べていると、いつもの習慣で「残りは食べますよ」という様子で夫がこちらを見ているのだが、「わたし、これ、絶対全部食べるから。ぜんぜん残らないからね」とわざわざ宣言するほどだった(夫は力なく寂しげな目をしていた)。後期に入った頃には食べる様子も「もぐもぐ」とかではなく「がつがつ」という感じでますます真剣味を帯び、実家の親も「あんたがこんなに食べるなんてねぇ」と驚いていた。小さいころから食が細くて食べさせるのに苦労した……というか、あまりに食べないので「それなりに育っているし、まぁいいか」と放っとかれた娘だったのだ。夏休みには、無理やり食べさせられる学校給食がないためいつも一回り痩せてしまい、まるでうちがご飯あげてないみたいじゃない、と料理上手の母がいつもこぼしていた。
 とはいえ、実際に妊娠後期に入ると大体400~500kcalは余分に摂取する必要があるらしい。ほとんど完成形の中の人を育てるためなのだから確かにそれくらいは必要だろう。そして体重は見たこともない値までどんどん増えるのだった。本来増えるはずがほとんどない妊娠初期からにょきにょきと増えていて、臨月のころには17kg増加。妊娠期間中の体重増加は、妊娠前のBMI値によって推奨される値が違うのだけれど、私の場合は9~12kgくらいを目安にしましょう、ということだった。そんなの中期の終わりごろに突破済みだ。でも体重の増えを気にしたことは一度もなかった。だって妊婦って太るものだもん。とてもじゃないけれどこの食欲を抑えて食べないなんて選択肢はなかった。かえって身体に悪い。こんなに太れるのは妊娠期間中だけなんだし、むしろ産後のほうが食べに行ったりできないからあちこちで食べておいたほうがいいよという先輩経産婦の助言もあって、好きなものを好きなだけ食べた。享楽的妊婦。

 あとは、お肌。安定期に入るまではむしろがさがさと荒れ気味だったのだが、安定期以降のお肌は無敵だった。もともとがまったくきれいな肌質ではないので無敵といってもたかが知れていたけれど、大したお手入れもしていないのに毛穴がなくなってしまい、これが女性ホルモンのチカラ……と呆然とした。逆にいつもどれくらいさぼっているんだ、ホルモン。悲しくなる。でもほとんどの妊婦と同じように、しみは濃くなった。ノイローゼの時期に目元に小さなしみが出来て、それも精神状態が良くなると同時に目立たなくなっていたのだけれど、また少し目立つようになった。毛穴もしみも、夫から同じことを言われたので気のせいではないと思う。どうせ産んだらいろいろ元に戻るとはいえ、ここでも「やっぱりホルモンか」という感じ。

 臨月はとにかく楽しかった。毎週夫が来てくれてドライブデートをして、お腹を一緒に撫でながらいろんな話をした。家族も妊婦の身体を気遣ってくれて優しく、みんなが赤ちゃんの到来を待ち望み、楽しみにしてくれていた。
 普段は空いている1階の和室が、産後の私と赤ちゃんが暮らす部屋になる。余計なものを片付けきれいに掃除をして、2階で使っていた空気清浄器を降ろしてきて……と準備をした。実家の母が勢い余って購入したベビーベッドを組み立ててみると、部屋は一気に「赤ちゃんのやってくるお部屋」になって、みんなで和室を覗いてはにまにましてしまうのだった。
 悩みに悩んだ名前の候補もふたつまで絞り、あとは産まれてきて顔を見て決めようね、ということに。
 さあ準備はできた。
 あとは赤ちゃんがいつやって来るか。それは誰にもわからない。腹の中身が決めるのだ。出来るだけお父さんのいる週末に産まれておいでね、とみんなで呼びかけておいたけれど。
 そしてちゃんとその日はやってきた。

       

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