Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
攻撃

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 壮大だった。


 まず目に付いたのは、正面の視界の半分は占める白い壁だ。それが、長く横に伸びている。まっすぐではなく、ゆるやかに曲がっているようだ。今いる位置から、少なくとも二カ所、城門が見えた。
 当たり前だが、自然にできたものとは思えない。人の手によって築かれたものだ。
 あれを作るということに際し、一体、どういう意志が働いたというのだろう。力の誇示か、或いは敵に対する恐怖心か。

 そして、壁の奥には遠目にも巨大であることが分かる建物が見えた。
 あれが王宮か。
 壁の向こうは、奥に向かうほど、段々地面が高くなっているようだ。反対側には、断崖絶壁がある。つまり、攻撃をするには、こちら側からしかできないということだ。
 あの壁と王宮の間には、数万という住民もいる。

 都。ずっと、目指していた所。国の中心と言われる場所。終着点。
 そして、自分が生まれた場所。
 シエラは、しばらく都を眺めていた。

「正面から、まともに攻撃をすれば、おそらく落とすまでには一年以上かかると思います。犠牲も、大きくなるでしょう」
 グラシアが、馬を並べて言った。
「それは、望ましくないな」
「はい」
「降伏の書簡は?」
「二日前から、矢文を数本飛ばしていますが、反応はありません」
「そうか」
「外界と完全に遮断される前に都に入っていたのは、ライトと、その手勢が数人です。都の中にいるようですが、連絡ができません」
「連携は難しいということか」
「彼らの、独自の判断に任せるしかありません」
 シエラは、もう一度都を見た。
 城壁の上に、いくつかの人影が見える。






 軍議を開いた。内容は当然、都をどう攻めるかという話だ。
「シアンにも、一応話を聞いてみたいんだけど」
 ある程度話が進んだところで、カラトが言った。

 しばらくして、シアンが呼ばれて現れた。表情は、少し笑んでいるように見えた。
「お呼びいただき、光栄です、殿下」
 すぐに、そう言う。
「何か、策があるのか?」
「当然です。私は、今まで都にいたのですよ。この中の誰よりも、その構造は熟知しています」
 そう言って、場を見渡す。
「私の策ならば、一日で都を落とせるでしょう」
 場が、ざわついた。
「ただ、これは秘策中の秘策。できれば、殿下只お一人のお耳にだけ入れたいのです。宜しければ、後で殿下と内々にお話させていただきたいと思います」
 何人かが、声を上げそうな顔をしていた。
「いいだろう。では、この後シアンだけ残れ」
 シエラは、すぐに言った。

 それで、散会になった。シエラとシアンだけが、その場に残った。
「それで、秘策というのは?」
 しばらくしてから、シエラは言う。
 シアンは、立ち上がり、幕舎内をうろうろと歩き始めた。
 シエラは、黙って待った。
「ところで、シエラはいつも、そんな薄汚れた服を着ているのかい? 見栄えというものを気にすることも、為政者としての責務だと私は思うよ」
 急に、口調が変わった。
 気にはなったが、無視することにした。
「そんなものは必要ない」
「それではいけない。王族というものは、威厳と品性が必要なのだ。シエラは、きっと周りにいたのが軍人ばかりだったから、考え方が偏ってしまっている」
 二歩ほど、近くに来る。
「どうだろう。離城には、王族の娘衣装が何着かある。シエラに似合うものも、きっとあるだろう。こちらに、運ばせようか?」
「結構だ」
「意固地になっては駄目だよ」
 シエラは、思わずシアンを睨みつけた。
 再び、シアンが笑む。
「こうも、お節介になってしまうのはね、シエラは、いわば妹みたいなものだからだよ。血の繋がりも非常に近い。この世界に残った唯一の家族と言ってもいいんじゃあないかな」
「家族?」
「そう、シエラも私のことを、兄と思ってくれてもいい」
「兄……」
「そう、兄だ」
 シエラは黙った。
 シアンの視線が、少し鋭くなる。
「シエラは、玉座についた後、あの者達に政権を任せるつもりなのだろう? おそらく、中心は元十傑の者達か」
 急に話題が変わった。
「だが、それは危険だ。権力というものは、人の欲望を露わにしてしまうからね。彼らも、今はシエラに従順でも、いつ本性を出すか分かったものじゃない」
 眉を顰める。
「残念ながら、人というものは信頼するべきではないのだ」
 そう言った。
「しかし、一つだけ例外がある」
 間。
「それは、血の繋がりだよ。血縁であるということは、生きている限り決して切れることのない繋がりがあるということなのさ」
「グラデと争っていただろう。同じ王族なのに」
「あの男は、おそらく偽物だ。だからこそ、私に楯突いていたのだ」
 そう言う。
「そして私の元には、長年王室に仕えてきた者達がいる。グラデなどとは違い、彼らは信頼ができるのは保証済みだ」
 続く。
「つまり、シエラが玉座についた後は、私に政権を任せてほしいのだ。きっと、シエラの望むがままの王座を約束しよう」
 じっと見据えてくる。
「どうだろう?」

 シエラは、少し俯いてから、息を吸った。
 それから顔を上げて、シアンを見た。
「一理ある話だ」
 シエラが言うと、シアンは微笑んだ。
「そうだろう。利発なシエラなら、きっと分かってくれると思っていたよ」
 そう言って、何度も頷いていた。
「この話は、二人だけの秘密だ。グラデさえ討ってしまえば、あの元十傑の者達など、どうとでもできるさ」
「分かった」
 シエラは言った。

「それで、そのグラデを討つ策というのは?」










 シエラは、シアンとの会談の後、グラシアの幕舎に向かった。中に入ると、すでに隊長格が全員集まっていた。
「どういう話でした?」
 グラシアが言った。
「うん……まあ、大体皆の予想通りだった」
 言いながら、上座につく。
「それで、秘策の方は?」
「地下道だって」
 息を吐く者が数人。
「なんだ、結局そういうのか」
「でも、今までの話には出ていなかったものだと思う」

 中央に机が置かれていて、その上には地図が広げられていた。都とその周辺の地図だ。
 そして、そこにはいくつかの書き込みがあった。
 他の地下道があると思われる場所だ。
 カラトやフォーンも、都の地下に関しては、独自の情報があった。さらに、軍人内の噂のような話から、都の伝承のような話に至るまで情報が集められ、その地下通路があると思われし所に印をつけていたのだ。
 長い年月の間に、都の者達が様々な思惑をもって貫通させた通行路である。

 シエラは、シアンから聞いた地下道のあると思われる場所に指を乗せた。全員が、それを注視する。
「これを作ったのは、シアンの部下だそうだ。知っているのは、シアンの取り巻きが数人だけらしい。グラデとの闘争の後、ここを使って逃げたって言っていたから、あることは間違いないと思う」
 しばらく、地図を眺める。
「どんだけ穴だらけなんだ、この都は。せっかくの城壁が台無しだな」
 コバルトが言った。
「これらは、無用の長物です。我らが都を制圧すれば、すぐに全て埋めてしまいましょう」
 フォーンが言った。

「それで、どうする?」
 グレイが、場を見渡しながら言った。全員の視線が、自然とカラトに集まった。
 カラトが、話し始める。
「やっぱり、戦は早く終わらせるべきだ。それは間違いない。多少、危険や犠牲があっても、俺はこの地下道を使うべきだと思う」
 そう言う。
「一つ一つ確かめたいということは分かる。だけど、それで相手方に地下道のことが露見して、塞がれたり、或いは罠を張られたりしたら、勿体ない」
 視線を上げた。
「あると思われる地下道から城内への進入を、少数精鋭で同時に一気に決行する。そして、うまく城内に入れた部隊が、内側から城門を開けて、本隊を中に引き入れ、都を制圧する。それが、俺の考えだ」

 しばらく、全員が黙っていた。
「分かった」
 シエラが、沈黙を破った。
「カラトの意見を採用する。明日、攻城を仕掛ける。そして、全てを終わらせる」





「殿下」
 集会が終わった後、一人フォーンが、近づいてきた。
「お心を乱す可能性があるので、報告するべきか迷ったのですが……」
 そう前置き。
「サーモンという人に関してです」
 それを聞いて、シエラは一瞬緊張した。
「調べましたところ、サーモンという侍女は、間違いなく存在していたようです」
「そう……やっぱり、王妃の侍女で?」
「いえ、彼女はグラデ王子の母親に仕えていた侍女なのです」
「えっ?」
 グラデ?
「それって、どういう」
「分かりません」
 首を振りながら言った。
「……グラデなら、何か知っているのか?」
「その可能性はありますが……」















 翌朝。
 軍がゆっくりと前進を開始した。
 そして、城壁から五百歩ほどの所で整列して停止した。
 シエラと近衛部隊は、都の城壁前面を一望できる丘の上に布陣した。
 静かになった。

 これが、最後の戦いになる。最後の戦いにする。
 近衛部隊の前に出る。
 シエラは、偃月刀を持ってきていた。
 重いし、扱うには長すぎる。これを使って戦うわけではない。
 ただ、この戦いを見ていて欲しいと思ったのだ。

 刻限。
 シエラは、偃月刀を頭上で掲げた。そして、腹の底から叫ぶ。

「全軍、攻撃開始!」


 始まった。









     

 喚声が上がった。


 前面に展開していた軍が、ゆっくりと前進を始めた。
 地下道からの進入作戦と平行して、正面からも攻城の素振りを見せる。それで、注意をこちらに逸らすのだ。
 なので、用意ができた攻城兵器は見せかけだけの物が多いが、問題ない。
 指揮はルモグラフとグラシアがとっている。ブライトとウォームも、この中にいるはずだ。
 遠目に、城壁の上にいる兵たちが慌ただしく動いているのが見えた。

 次に、シエラは周囲を確認した。
 攻める予定の地下道は、全部で五カ所。そこに入る五部隊の、動きや状況が分かるように、定期的に狼煙を上げる手筈になっている。
 そろそろ上がる頃だが。

「殿下、あれを」
 近くにいたマゼンタが言った。
 見ると、南東の方角から、狼煙が上がっているのが見えた。地下道に入ったという合図だ。
 確か、あちらの方角の部隊には、セピアが加わっているはずだ。
 大丈夫だろうか。
 地下道に入る部隊は、当然個人武力のある者が選抜された。それに、セピアとペイルが立候補したのだ。
 本当は心配だったが、二人が真剣に頼んできたので、止めてくれとは言えなかった。

 程なくして、五つの狼煙が上がるのを確認できた。
 正面に、視線を戻す。
 前面の部隊と城壁とで矢の応酬が始まっていた。

「殿下、狼煙が」
 またマゼンタの声。
 一度狼煙が上がったところから、再び狼煙が上がっている。
 地下の道が塞がっていて、進入不可能という合図だった。
「了解の合図だ」
 この場合は、すぐに別の地下道から、先遣の部隊を追う手筈になっている。
 今のところは、予定通りだった。





 生い茂った雑草の中、横たわった大きな岩があった。それを、五人掛かりで動かすと、地下へと続く穴が姿を現した。
 想像していたものと違う。自然にできた、ただの穴ぼこに見えた。

 セピアは、都がある方角を見た。
 都まで、随分と距離がある。本当に、繋がっているのか。繋がっているのだとすれば、どれだけ穴の中を進めばいいのか。

 部隊の隊長が、手で指示を出す。静かに、素早く兵達が、穴の中に身を滑り込ませていく。
 穴が狭い場合は、灯りを掲げることができない。手探りで進むしかないのだ。
 ある程度の人数が入っていったが、行き止まりがあったという合図がなかった。

 セピアの番が来た。
 足から、体を入れる。土が湿っていた。





 林の中に、古ぼけた墓地のような場所があった。
 その中にある大きな墓石。それを横に動かすと、地下への階段が現れた。
 ペイルが加わった部隊の指揮官は、カラトという、あの眼帯の男だった。

「まあ、気楽にいこう。こういう時だけど、こういう時だからこそ」
 カラトが、兵達を見渡して、そう言った。
「情報通りなら、この道は、城壁のすぐ近くに出る。地上に出たら、細かい指示を出している暇がないだろう。各々が、独自に判断して動いてくれ」





 暗黒の中。自分と身動ぎの音と、前後から聞こえる身動ぎの音が聞こえるだけだった。
 相変わらず、狭い空間が続くだけだ。
 どれぐらい進んだのだろうか。
 随分進んだような気がする。もうそろそろ、到着してもいいのでは。
 都を、通り過ぎてしまっているのではないのか。
 そういうことを、セピアは考えていた。

 ふと、自分の置かれている状況を思う。
 もし、今この頭上の土砂が崩れ落ちてきたら……。
 急に恐怖心が起こる。
 息苦しくなってくる。

「大丈夫ですか?」
 後ろから声がした。女の声だった。自分の後ろが女だと、今まで気がつかなかった。
「大丈夫です」
 セピアは言った。
 人と話したからか、何故か少し落ち着いた。

 しばらく進むと、前の方で声がした。さらに進むと、光が見えた。
 気力が戻ってくる。
 先に穴から出た人に引っ張られて、穴から出た。
 そこは、広い通路だった。
 何故か明るかった。一瞬地上に出たのかと思ったが、石造りの天井があり、壁も石造りだった。光量は少ない。
 話通りならば、ここが都の地下にある通路ということになる。
 先に出た者達が、すでに二手に分かれて、通路の左右に進んでいた。
 振り返ると、自分の後ろにいた人も穴から出てくる。
 短い黒い髪の女だった。こんな人、今まで見たことがないような気がする。
 端正な顔立ちが目に付く。髪や服が、泥だらけだった。きっと自分も同じようなものなのだろう。

「二人は、向こうだ」
 男に指示された。
 先に進んでいた者達を追うように進んだ。ある程度進むと、広い空間に出た。
 円形の空間で、天井がかなり高い。これも地下なのだろうか。中央にあるのは、円形の舞台のように見えた。そして、その周りにあるのは客席か。舞台の上には、大きな石版や瓦礫が散乱している。
 そこを素通りして進んだ。





「この辺りかな」
 石造りの暗い通路を、ある程度進むと、カラトが天井を触りながら言った。
 そこを、数人掛かりで持ち上げた。
 眩しい光が、差し込む。遠くから聞こえる騒がしさも、一緒に入ってきた。
 しばらくしてから、持ち上げた蓋を横にずらす。人一人が通れる隙間ができた。

「よし、どんどん出て行け」
 前にいた者から出ていく。すぐに、ペイルの番もきた。
 外に出ると、さらに眩しく感じた。空と雲、そして、建物が目に入る。
 路地のような場所だろうか。両側に建物が並んでいる。

 ペイルは、一気に息を吸った。
 地上に出た人間から、同じ方向に走っていっていた。ペイルも、それを追う。
 建物の間から、城壁が見えた。そちらに向かって駆ける。
「何だ!? どこの部隊の者だ?」
 前方で声が聞こえた。
 前にいた者が、次には斬り掛かっていた。
 どんどん国軍が多い場所に来る。もう、こちらのことを敵だと認識している兵もいるようだ。
 方々で、争闘が起こり始めてきた。
 ペイルは、覚悟を決めて、剣を握って走っていたが、誰も近くに寄ってこなかった。
 そのまま数人で、城門付近まで来る。
 誰かが叫んでいる。
 城壁の中で、奥まった所が見える。あの中に城門があるのだ。
 その周りにいた兵が、目の色を変えて、こちらに向かってきた。
 人が、ペイルの横を追い越して行った。それは、そのまま前方の敵に突進していった。
 敵が、押し飛ばされる。
「先に行け」
 言ったのはカラトだった。
 ペイルは、そのまま奥まった所に入り、城門まで辿り着いた。そこには、国軍が一人もいなかった。
 おそらく、鉄製なのだろう。高さは、どれぐらいあるだろうか。少なくとも、人六人分はありそうだ。横幅は、両扉合わせて、両手を広げた人間五人ぐらいか。
 ペイルは、試しに片方の扉を押してみた。しかし、重すぎて動かない。当たり前だ、何をしているんだ自分は。
「閂は?」
 背後から声。見ると、カラトが駆け込んできていた。
「多分、ついていないと思う」
 ペイルが、指し示す。
 カラトが、走ってきた勢いのまま、扉に取り付いた。
「一人じゃ、重すぎて無理だ。もっと、人を呼んでこよう」
 カラトは、顔面を紅潮させながら扉を押していた。地面を、思いっきり踏ん張っている。
 しばらくして、みしみしと木が軋むような音が聞こえる。
 片方の扉が、ゆっくりと動き始めていた。
 唖然とするしかない。
 ペイルも、慌てて参加した。
 騒がしさが、さらに大きくなっていくのが分かった。





「開いている」
 シエラは、思わず声を上げた。
 先ほどから、城壁の上にいた兵達が、しきりに後方を気にしているのが見えていた。
 しばらくすると、正面に見える城門の一つが、少し動いていることが分かった。
 どよめきが起きる。
「正面の攻撃を強めろ!」
 シエラが言う前から、攻撃は強くなっていた。
 さらに、もう一つの門も動いているのが見えた。
「おおっ」
 近衛軍の中からも、声が上がる。
「いつでも動けるように、構えろ」
 シエラは、そう言って手綱を握った。
 城門の付近さえ制圧すれば、この戦は勝ちだ。
 しばらくして、ついに城門が完全に開ききった。
 正面の歩兵が、一気に進む。
 勝った。そう思った。
 しかし、何か様子がおかしいことに気付いた。
 進行が止まっている。
 城門の所で、抵抗にあっているのか。
「殿下!」
 マゼンタの声。見ると前方を指さしていた。
 その先を見る。
 城壁の向こう、煙が上がっているのが見えた。黒っぽい煙だ。
 それが、次々と増えていく。





 地上に出てから見上げると、もうすぐ前に王宮が見えた。やはり、近くで見ると、異様に巨大だった。
 その反対側を見ると遠くに城壁だ。結構な距離がある。遠目に、戦闘の気配が見える。
 自分たちの部隊の任務は、王宮への奇襲だった。成功するなら良し。うまくいかないとしても、敵に動揺を与えるだけでもいいのだ。
 部隊の隊長が、攻撃の合図を出した。
 一斉に走り出す。
 その時、何か不思議な音が聞こえた。
 唸り声?
 次の瞬間、上方から、何かが飛びかかってきた。
 セピアは、咄嗟にかわした。
 飛んできたものを見る。
 人ではない。小さく、黒っぽい。
 狼獣。
 再び、飛びかかってくる。
 槍を横になぎ払う。手応えがあった。
 次には、周りの仲間達の、怒号や叫び声などが耳に入ってきた。
 かなりの数の狼獣が現れたのだ。一気に、大混乱になっていた。
 どうして、こんな所に狼獣が。
 二方向から同時に、狼獣が飛びかかってくるのが見えた。
 まずい、と思ったが、片方を、先ほどの黒短髪の女がしとめていた。
 もう片方をしとめる。
 とにかく、この混乱を治めないと。しかし、自分に何ができる?
「全軍、建物の壁まで移動して、小さく纏まれ!」
 突然大声がした。仲間達も、その声に反応する。
 成る程、と思った。壁際ならば、獣からの攻撃方向を制限できるということか。
 一団が壁際まで移動し、外に向いて構え直した。
 すぐ近くにいた人を見て、先ほどの大声の主が分かった。
「ライト兄さん!」
「セピア! こちらから、外に合図を送る方法はないのか!?」
 ライトが、早口に言った。こんなに焦っているライトは初めて見たような気がする。
 しかし、意味がよく分からなかった。
「え……外?」
「殿下に、合図を送る方法だ。すぐに、伝えないと」
「何をですか?」
 その時、何か鼻につく臭いを感じた。
 仲間の中から、驚くような声が上がった。
 目が痛くなる。
 何だ?
 黒々としたもののせいで、もう王宮も城壁も見えなかった。




     

 火が見えた。


 都の至る所から、黒煙が上がっている。
「火を放ったのか? 何のために?」
 城門の付近は、中から外に出ようとする人が溢れかえっているようだ。それで、進めなくなっているのだ。
「ルモグラフに伝令! すぐに消火作業に入れ!」
 しかし、この状態では、それも難しいだろう。シエラは、馬を駆けさせた。
「殿下!」
「この部隊だけ遊ばせているわけにはいかない。近衛部隊もすぐに消火作業を手伝え」
「殿下の御身が最優先です」
 無視して、前方の部隊に向かった。
 城門の付近は、さらに混乱している状態だった。外に出て行こうとしている人間を封鎖しているのだ。そのせいで、中に入ることもできない。
「ルモグラフは、どこだ!」
 シエラは叫んだ。
 すぐに、ルモグラフが駆けてくる。
「殿下、ここはまだ危険です。どうか後方で待機を」
「ルモグラフ、城門付近の人間は、一旦外に出せ」
「しかし、それは」
 シエラには、ルモグラフの懸念が分かる。
 国軍を外に出した場合、国軍にまだ戦意があれば、ばらばらに散らばった国軍が、四方八方から攻撃をかけてくる危険がある。この優勢の状態がひっくり返る恐れがあるのだ。
 ただ、おそらくルモグラフが一番危惧しているのは、この群衆に紛れて、グラデ王子に逃げられてしまうということだろう。
「グラデに逃げられてしまうのは、もうしようがないと思おう。今は、消火が最優先だ」
 ルモグラフが、引き締めた顔をする。
「分かりました。しかし、敵がどう動くか分からない以上、ここはまだ危険です。殿下は何とぞ後方に」
「敵ではないだろう」
 シエラは、さらに前に出た。城門のすぐ前だ。前方は、人がごった返している。
 馬上で立ち上がった。すぐ近くにいた、グレイとマゼンタに服を引っ張られる。
「都の兵達よ! これで分かっただろう。これが王子の本性だ!」
 自軍の兵も振り返って、こちらを見ていた。
「争いを止めて、今すぐ消火作業を手伝ってくれ! ここは、我らの国の都だぞ。このまま、ここを灰燼にしてもいいのか」
 静かになった。全員、動きを止めていた。
「早く動け!」
 ようやく、人の流れが動き始めた。自軍の兵が、後ろに下がる。城門付近の人間を外に出すためだ。そう思っていたが、城門付近の国軍が、振り返って中に戻り始めた。
 シエラ達も、城門を潜り中に入った。
 国軍が、いろんな方向に散っていた。正面に、大きな道があり、そこに大勢の人間が密集しているのが分かった。こちらは、明らかに一般の住民のようだ。
 ブライトとウォーム、グラシアも駆けてきた。
「殿下、国軍の隊長らしき人物が、協力を願い出ております」
 ウォームが言った。
「ルモグラフ、ブライト、ウォームで消火作業と住民の避難誘導を仕切れ。国軍の兵士も使えるだけ使うのだ」
「分かりました!」
 ブライトが、大声で言った。
「殿下は、このままここにいて下さい。近衛部隊は、ここに残しておきます」
「いや」
 シエラは、王宮の方に目を向ける。黒い煙の所為で、はっきりとは見えない。
「国軍が中に戻ってくれたおかげで、王子に逃げる機会はなかった。しかし、王宮に向かったセピアがいる部隊が、敵の中で孤立しているかもしれない。すぐに助けに行かないと」
 ルモグラフ達も、そちらを見た。それから、苦渋に満ちた顔をする。
「優先順位です、殿下。この状況では、助けに向かうことはできません」
 シエラは、ルモグラフがそう言うだろうと分かっていた。
「グレイ、グラシア」
 二人に言う。
「私を守れ」
「分かりました」
「殿下!?」
 ルモグラフが、声を上げる。
「少ない人数ならば、あそこに向かうのは可能だろう」
「危険です!」
「私を守るために戦力を遊ばせておくつもりはない。そして、私も戦える。うまくいけば、グラデ王子を倒し、ここで全てを終わらせることができるのだ。今までのことに比べれば、この程度の危険、何ほどのことではない」
 シエラは、馬を下りた。
「マゼンタは、近衛部隊の指揮をして、ルモグラフ達を手伝え」
「私も、殿下の護衛を」
「近衛部隊を指揮できる人間が必要だろう。それは、お前しかいない」
 ルモグラフ達は、まだ引き止めたそうだった。これ以上、ここで問答をしていても、時間の無駄だ。
「行くぞ!」
 シエラは、言って走り始めた。
 正面にある大通りに向かう。そこはまだ、火の手から逃げようとする人が溢れかえっている。
「道を開けろ!」
 シエラは、大声を上げた。
 前方の群衆は、驚いた顔をして立ち止まった。しかし、すぐに間に道ができた。
 そこを、走った。人の流れを逆走するかたちだ。
 はっきり言って、こんな大勢の中を進むことなど、危険この上ない行為だろう。しかし、時間が惜しい。
 その時、叫び声が聞こえた。
 群衆の後方から、悲鳴のような声が聞こえる。
 さらに向こう。何かが動いている。
 狼獣の大群だ。こちらに向かってきている。
「なんだあれ!?」
 グラシアの声。
「殿下!」
「あそこを突っ切るしかないだろう」
 シエラは、偃月刀を手に持ったままだった。戦いづらいが、捨てていくわけにもいかない。
 そのまま突っ込もうとした瞬間、目の前に、二つの影が飛び出してきた。
 次には、狼獣が数頭吹っ飛んでいた。
「なかなか、根性がついてきたみたいだな、ペイル」
 前に出たコバルトが、笑って言った。
「殿下、ここは俺たちが道を切り開きます。急ぎましょう」
 ペイルが、少し強ばった顔で言った。
「おう、頼もしいねえペイル。そんじゃ、あの群はお前に任せるぜ」
「俺たちって言ったよなあ! 俺たちって」
「やかましい! 二人とも、黙って戦え!」
 グラシアが言う。
 苦笑したコバルトが、前に突っ込んだ。あっという間に、狼獣が十数匹いなくなった。
 その間隙を突いて、さらに進んだ。
 王宮が正面に見える大通りを駆ける。
 王宮の正門の前で、獣の大群と戦っている一団を見つけた。間違いなくセピアのいる部隊だ。
「あそこと合流する!」
 そのまま、獣の群の中に突撃した。シエラも、偃月刀を振るう。
 一団に合流して、すぐに外に向いて構え直した。
「殿下!? 何故、このような所に」
 セピアが、驚いた顔をして言う。全身の装備が、ぼろぼろだった。
「助けに来たに決まっているだろう」
「殿下……」
 セピアの横にいた男が、一歩前に出る。
「諜報部隊の指揮をしておりますライトと申します。申し訳ありません、殿下。王子の動きを、察知できませんでした。あらかじめ、町中に発火物をしこんでいたようです」
「今は、そのようなことを気にしている場合ではないだろう」
 シエラが言う。
「王子は見ていないのか? ライト」
「おそらく、この道を通ってはいないと思いますが……我々も、こいつらの相手で一杯一杯で」
「そうか」
 どうしたものか、と思う。
「シー、もしかしてこれって」
 グレイの声が横でした。
「うん、間違いない。人工心気を施された獣が操っている」
 知らない声。
「あんたが作ったやつ?」
「違う。私が作った子達だったら、もう生きていないはずだから」
「グラデの仕業っていうことなのか」
「だとすれば、ある程度人工心気を扱える者が仲間にいるということになる。或いは、本人がそうなのか」
「あなたの研究って、確かシアンが支援してたんじゃないの?」
「そうだけど……研究所に残してあった実験体を回収したのは、グラデの一派なのかも」
「こいつらも、その操っている獣を倒せば何とかなる?」
「何とかなるとは思うけど、問題は、その人工心気の獣を見つけ出せるかどうか。意図して隠されているのだとすれば、見つけることは難しい」
「そうか……」
 会話の内容がよく分からないが、今は詳しく聞いている暇はないだろう。
 シエラは、もう一度周りを見た。狼獣の大群が、周りを囲んでいる。
 突然、両手の方から、轟音がした。
 見ると、大通りを正面に見て、右手からカラト、左手からダークが突っ込んで来ていた。
 圧巻だった。獣を蹴散らして、あっという間に一団まで来た。
 カラトが近くまで来る。
「ご無事ですか、殿下」
「うん」
「王子が逃げるには、正面以外は、あっちかこっちの二通りしかありません。あっちはダーク、こっちは俺が通ってきたから、多分グラデ王子は、まだ王宮の中にいると思います」
 そう言って、こちらを見る。
「どうしますか、殿下」
 シエラも、カラトを見てから頷いた。
「じゃあ、このまま王宮を制圧しよう」
 カラトが、にやりと笑う。
「分かりました」
「ならば、ここは我らが食い止めます。殿下、皆さん、どうぞ先へ」
 ライトが言った。周りの者も頷いている。
「ライト兄さん」
「セピア、殿下をお守りするのだ」
 セピアは、心配そうな顔をしていたものの、真剣な顔に戻り一つ頷いた。
「任せたぞ、ライト。絶対に死ぬなよ」
 シエラは、そう言い、王宮に向かった。
 王宮の正面の門に向かう階段を駆け上がった。
 先頭は、カラトとコバルト。その後ろに、グレイ、グラシア、セピア、ペイル。そして、黒短髪の女の人がいた。先ほどの声の人だろう。その者達の間にシエラがいる。一番後ろからは、ダークが着いてきていた。
 正面の門は、開いていた。人の姿は見えなかった。
「何か、怪しくない?」
 グレイの声。
「なんか似たような場面、昔になかったっけ」
「とは言え、ここまで来て引き返すわけにもいかないでしょう」
 中に入ると、広く、天井が高い空間だった。正面に、幅の広い階段が見える。
 辺りを見回していると、階段の上で、誰かがいるのが見えた。
 男が数人いる。ゆっくりと階段を降りてきた。
 何か、様子がおかしかった。全員、虚ろな目をしている。
「うわ」
 背後から、ペイルの声。
 後ろにも、いつの間にか前方の男達と似たような男が何人もいた。
 全部で百五十人はいるだろうか。
「おいおい、まじかよ」
 コバルトの声。
「あれって……もしかして」
 グレイの声。
「人工心気……」
 黒短髪の女が呟いた。
「私が、手を施した者達ではない」
 全員で、シエラを円で囲むように構えた。
 しばらく対峙。
「おい」
 突然、ダークの声。
「ここは、俺にやらせろ」
 ダークに視線が集まった。ダークは、カラトに目を向ける。
「お前が相手をしたのが百人だったらしいからな。どれほどのものか、試してやる」
「いくらなんでも……」
 グラシアが言う。
「邪魔はするなよ」
 そう言って、数歩前に出た。それから、剣を横に持つ。
 背中を見ているだけで、すでにとんでもない心気を発していることが分かった。誰も何も言えなくなった。
「じゃあ、任せた」
 しばらくして、カラトが発言した。
「カラト」
 驚きの声。
「彼なら、大丈夫だ。信じて進もう」
 そう言う。ダークは、向こうを向いたまま、動かない。
「何人か、残そう」
 グラシアが言う。
「邪魔だと言っているだろう」
 ダークが、低い声で言った。
「いいから、さっさと行け。ここに居られると、間違って斬り殺しかねない」
 そう言う。
 カラトが近づいてくる。
「失礼いたします、殿下」
「え?」
 カラトが、シエラの足と背中に手を回し、抱えた。
「ちょ、ちょっと」
「危険があると思われる所を抜けるまでは、辛抱して下さい」
 そう言って、走る。
「よし、皆行こう」
 ダーク以外の者で、正面の階段にいた男達を押しのけて突破した。
 シエラは、後方を見た。
 ダークが、先ほど見た時と同じ位置で立ったままだった。そして、周りの包囲がゆっくりと収縮していっていた。
 そこから、見えなくなった。
 天井の高い通路が真っ直ぐ伸びていた。両側には、いくつか道や扉があるようだが、そこには見向きもせず直進する。
「カラト、もう下ろして」
「もうしばらく我慢して下さい」
 正面の突き当たりに、両開きの大きな扉が見えた。
 先頭のコバルトが、そこをぶち破るかのように開けた。
 ここも、広く天井が高い。そして、正面に大きな席が見える。ここが、謁見の間という所だろう。
 席の前に、誰かが一人立っていた。
 少し俯いていて、顔がよく見えない。ただ、髪の色は黒い。そして、片手には、剣をぶら下げるように持っていた。
 ようやく、シエラは下ろされた。床に足をつく。
「グラデ王子だな」
 シエラは言った。彼我の距離は、三十歩ほどか。
 まったく反応がない。
 この男も様子がおかしい。
 シエラが、前に踏み出そうとすると、カラトが前に出て手を横に出した。行くなという動作だ。
 少しして、男はゆっくりと顔を上げた。
 怒気を含んだような顔をしていた。眉間に眉を寄せ、鋭い目線がこちらに向いている。
「自らに、人工心気を施したか……」
 カラトが呟いた。
「ただ、意識はあるみたいだ。それほど、強力な人工心気ではないのかもしれない」
 突然、周りに別の気配を感じる。
「おっと」
 コバルトの声。周りの面々が、それぞれ武器を構えた。
 再び、虚ろな顔をした男達が、部屋の隅々から現れた。今まで、どこに隠れていたのか。
「さっきの奴ら?」
「いや、また別な奴だ」
 全部で、四十人ほどか。
「しょうがねえな、おいしいところはカラトに譲ってやるよ」
 コバルトが言う。
「周りの、雑多共は俺たちに任せな」
 他の者達も頷いた。
「一人頭、六、七人ってところか?」
 コバルトが言った。
「さっきのダーク見なかったの? 俺一人でやるとか言いなさいよ」
 グラシアが言う。
「いや、無理」
「格好悪」
「分かった、じゃあ十人だ」
「最低二十人」
「二十かあ……」
「けが人や、か弱い乙女もいるんだから、男だったら頑張んなさいよ」
 コバルトは、ペイルを見た。
「じゃあ、ペイルは十人だな」
「勘弁して下さい」
 ペイルが言った。
 それぞれが、ゆっくりとそれぞれの相手に向かって進んでいった。
 すぐ近くには、正面でこちらに背を向けているカラトだけになる。
「カラト」
 シエラが言うと、カラトが振り向く。
「じゃあ、倒してくるよ」
 軽い調子で言って、前に視線を戻した。
 シエラは、急に不安が過ぎった。
「カラト」
 もう一度言った。
 カラトは、また振り返った。少し、驚いた顔をしている。
 それから、ゆっくりと微笑んだ。いつもの笑みだ。
「もう、約束は破らないよ」
 一歩戻ってくる。
「また持っていてもらおうかな」
 そう言って、首飾りを取り出し、こちらに差し出した。
 シエラは、それを受け取った。
「行ってくるよ」
 もう一度笑った後、振り返る。
 カラトが、ゆっくりと前進をする。
 奥にいる、グラデも進み始める。
 二人の距離が縮まる。
 二人が、同時に踏み出した。
 金属音。
 激しい撃ち合いが始まった。
 カラトが、回転しながら剣を振るう。すごい速さだった。
 それを、グラデが受け止めていた。
 あのグラデという男、強い。
 しかし、圧倒的にカラトが押していた。
 カラトの連続攻撃に、グラデは下がっていく。
 グラデが後ろによろめいた。カラトが前に出る。
 瞬間、グラデが自分の背中に手を回すと、何かを手に持って前に出した。激しい金属音がする。
 カラトの剣が、砕け散った。
 持っていたのは盾だ。
 グラデが攻撃に転じた。カラトは、残った柄の部分で、グラデの攻撃を食い止めていた。
「カラト!」
 シエラは、手に持っていた偃月刀を投げた。
 カラトは、こちらを見ずに、片手でそれを受け取った。そして、すぐさまグラデの攻撃を払いのけた。
 グラデが、攻撃の予備動作をした瞬間に、カラトがグラデの剣を蹴り上げる。
 次に、偃月刀の柄をグラデの肩にぶつけた。
 グラデの膝が崩れる。
 一瞬の隙をついて、カラトがグラデを後ろから押さえ込んだ。
 抵抗していたようだが、しばらくすると、静かになった。カラトは、上に乗ったままだ。
 シエラは、そこでようやく周りに目がいった。
 すでに九割方は制圧しているようだ。残っている敵も、もう問題なさそうだった。一見して、味方で深刻な傷を負っている者はいない。
 正面に視線を戻す。
 シエラは、カラト達にゆっくりと近づいた。
「近づかない方がいい。まだ、何があるか分からない」
 カラトが言う。
 それでも、シエラは進む。
 五歩ほどの距離まで来て、立ち止まった。
「グラデだな」
 俯いていて顔が見えない。
「王位継承権の優位性は私にある。国家の権力を私有のように使い、国民を苦しめ、政を混乱させたお前とシアンの罪は重い。お前を拘束して、その罪科は追って決定する」
 無反応。
「何か言いたいことはあるか?」
 シエラは聞いた。
 しばらく沈黙。
「下らない」
 低い声がした。グラデが発声したようだ。
「三年前のことで、学ばなかったのか。人間など、どうせいつも自分のことしか考えない。人は、いずれ死ぬ。この国だって、結局いつかは滅びる。民の為だとか、国の為だとか、虚しいだけだ。こんなことをしたって、意味はない」
 ゆっくりと話す。
「お前の周りいる人間も同じだ。本心では、何を考えているのか分からない。いつか、誰かがお前を裏切るだろう」
「それが、お前がクロス軍を国内に招き入れたり、都に火を放ったりした理由なのか?」
 グラデは、何も答えない。
 シエラは、一つ間を作った。
「確かに、そういう風に考えたら虚しい気持ちになる。私も、そういうことを考えたことはある」
 言う。
「それでも私は、私の大切な人たちの為になると信じられることを目指すことは虚しくはないと思う。私は、その為だけに戦うつもりだ。人間は自分のことしか考えないとお前は言うが、それでいいのだと思う。綺麗事を言うつもりはない。ただ、幸運に恵まれて綺麗事が叶うのなら、それは尚いい。そういう風に考えれば、私はやっていけると思う」
「その大切だという奴らに裏切られてもか?」
「信じている。信じられる人だからこそ、大切なんだ」
 シエラは言った。
「……そうか」
 呟くような声が聞こえた。
「他に、何か言いたいことはあるか?」
「もういい……すぐに殺せ。シアン共々、すぐに殺した方がいい。残しておいても、お前には何の利益にもならない」
「罪科は追って決定すると言っただろう」
 グラデは黙った。
 もう一つ、聞きたいことがある。
「グラデ王子、サーモンという人を知っているか?」
 間。
「……いや」
 消え入りそうな声が聞こえた。
 知らないわけがない。しかし、話す気がないことが分かったので、これ以上は言及しなかった。
 後で、ゆっくり調べればいいだろう。
「終わったみたいだな」
 周りの皆が近づいてきた。
 何人かが笑顔だった。
「すぐに、ダークや外の皆の援護に向かおう」

 グラデや、生きている敵を拘束してから、来た道を戻った。
「あっ」
 途中で、こちらに向かって、ゆっくりと歩いているダークが見えた。
 全身の装備が、ぼろぼろだったが、一見して大きな傷はないようだ。
「どうだった?」
 カラトが言う。
「どうも」
 ダークが、澄ました顔で言った。

 王宮の外に出ると、すでに狼獣の群が片づいていた。ライトも無事で、謁見の間で拘束している者達の対応を任せた。
 その後、ルモグラフ達と連絡をとって、消火作業を手伝う。

 日没前に、ようやく全ての消火作業が終了した。
 都の建物の四割が焼失したという。ただ、あの状況でよくここまで抑えられたと思うこともできる。
 国軍は、そのままシエラに従うことを望んだ。民衆も、近辺の町々も特に反抗の気配はないという。

 翌日になって、再び謁見の間に入った。
 両脇には、皆が並んでいる。その間を通って進んだ。
 奥には玉座がある。その手前まで歩く。

 そして、振り返った。
 シエラは、改めて皆を見た。


「みんな、ありがとう」
 何人かが笑った。













       

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