Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
イエロー編

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 叫び声が上がった。


「うわぁ! 何だ、こいつらは!」
 セピアが、持っていた棒を振り回す。
「どうした、どうした?」
 薪を集めに行っていた、ペイルとボルドーが戻ってくる。
「おのれっ!」
 さらにセピアが、棒を振り回す。
「何やってんだ?」
 ペイルが、呆れた顔で言う。
 セピアの周りに、数十匹の羽虫が飛び交っていた。
 セピアは、それを必死で振り払おうとしていた。
「羽虫が嫌だなんて、どんだけ、お嬢様なんだよ」

 ローズの町から、日暮れまで北へ進んだ。
 北へ進むと、再び草木が現れ始めた。
 小川を見つけて、その近くで野宿することになった。
 日が暮れてから、四人で焚き火を囲んで座った。
 セピアは、集まってくる虫を、ずっと気にしているようだった。

「いい加減、慣れろよ。ていうか、旅に出ようと思うなら、このぐらい覚悟してろよな」
「煩いな」
 セピアが、シエラを見る。
「シエラは、なんともないのか?」
 シエラは頷く。
「な、何故だ? 何か秘訣があるのか?」
「だからぁ、普通の人は羽虫ぐらい、いちいち気にしないって」
「あんたは黙っていてくれ」
「なんだと」
「まぁ、少しずつ慣れていけばいい」
 ボルドーの言葉が割って入る。

 ペイルが溜息をついた。
「ボルドーさん、ちょっと甘やかしすぎじゃないですか? こいつ、旅の知識も何も知らないんですよ。まったく役に立ちやしない。そもそも、同行すること事態、納得できないですよ」
「まぁ、そう言うな。誰でも最初は何も知らないものさ。お前だって、そうだったろ?」
「俺は、ほとんど自力で覚えましたよ」
 二人が話していると、セピアがボルドーを見る。
「あの、ボルドー殿」
「ん?」
「もしかして、あなたは、十傑のボルドー将軍なのでは……?」
 シエラは顔を上げた。
 ボルドーが苦笑したような顔をする。
「一見しただけで手練だと分かります。思慮も深い。それに、お歳も、私が聞いた話と、ほぼ合っていると思います」
 ペイルもボルドーを見る。
「最近、よく言われるな」
 火に薪を足しながら、ボルドーが言う。
「では、違うのですか?」
「ああ」
「そうですか……。失礼しました」
 違う人間から、同じ勘違いをされることなどあるものなのか。しかし、本物なら、否定する理由があるのか。
 シエラも、聞いてみたい誘惑が湧いてきたが、我慢した。

「十傑といえば、確か、この先にある町では、今、フーカーズ将軍が来ているらしいぞ、シエラ」
 セピアが、シエラを見て言った。
「嘘っ!?」
 ペイルが、勢いよく立ち上がる。
「ローズの兵舎では、その話で持ちきりだった。獣の大群の討伐に、わざわざ国境から呼び寄せられたらしい」
「すげぇ! 会ってみてー!」
 ペイルが、目を輝かせる。
「十傑の中で、間違いなく存在するのが分かっている唯一の人だからなぁ、フーカーズ将軍は。どんな人なんだろう!?」
 さらにペイルが興奮する。
「ああ、見てみてぇなー」
「あなたが、将軍に会うなど失礼だ」
 ペイルの動きが止まる。
「あのなぁ、お前はどうして、そう俺を目の敵にするんだよ」
「……私はな、強くなりたいという目的はいいと思う」
 セピアがペイルを睨んで言う。
「だが、それなら一度ちゃんと罪は償うべきだ」
 ペイルの表情が変わる。
「ちゃんと自首をして刑期を全うして、それから、自分の目的に向かうべきだ。それが、道義というものだろう。それをしないのは、自分の罪から逃げているだけだ」
「……」
 何か、言葉が詰まったような顔をするペイル。
 それから、少し悲しそうな顔をしてから、振り向いて森の中へ、ゆっくりと歩いて行った。

「ふん、言い返せないのは図星だからだな」
 シエラは、追って行こうか迷い、ボルドーの方を見た。
 ボルドーは、目を閉じ、少し俯いている。
「難しいな」
 ぼそりと、ボルドーが言う。
 セピアが、ボルドーを見る。
「難しくとも何ともないでしょう。集団の生活には、当然、規則がある。それを破れば罰がある。それを全うするのが、人として当たり前のことでしょう」
「そうだな」
「何が難しいのですか」
「当たり前のことが、当たり前に行われることが……」
 セピアは、眉をひそめて、首を傾げる。
「それは、あの男が、自首という当たり前のことをしないということですか」
 ボルドーが、苦笑いのような顔をする。
「まあ、そうあまり言ってやるな。あいつが一番悩んでいるのだ」
「きっと、ボルドー殿がそうだから、あの男が増長するのです。何故、ボルドー殿ほどの方が、きちんと言ってやらないのです」
「まいったな」

 二人が話していた。
 シエラは気になったので、もう一度、森の方を見た。
「心配いらん」
 ボルドーが言った。
「こういう批判があることは、あいつは当然分かっていたはずだ。自覚しているからこそ、ああいう反応をするのだろう」
 そう言って、シエラを見るボルドー。
「まあ、明日まで待ってみよう」
 シエラは頷いた。










 日が昇るころに、ペイルが合流してきた。
 ただ、セピアとは、目も合わせなかった。

 街道を、さらに北へ進んだ。
 ごつごつした岩の山が多く見られるようになった。
 他の旅人や、馬車などと、何度もすれ違った。

 出発してから、三日目の夕方ごろに、ようやく町が見えてきた。
 丘に囲まれた、建物が密集した町だ。ローズの町より大きい印象だった。
 ここが、イエローなのだろう。
 丘の上から、町を見下ろす場所に立った。
 そこでシエラは、町にどこか不思議な違和感を感じた。
 ただ、それが具体的に何かは、分からない。

「ボルドーさん……」
 ペイルが呟く。
 シエラは、ペイルを見た。
 ペイルは、顔をしかめながら町を見ていた。
「この町、嫌な匂いがします……」
 匂い?
 特に気になる匂いは感じないと、シエラは思った。
「分かるのか?」
 ボルドーが言った。
「以前、同じ匂いをしていた町に行ったことがあります……。人を人とは思わない。そういう町の匂いだ」
「ふむ」
 セピアが、片眉をひそめている。
 自分と同じく、意味が分からないのだろう。
「だが、北に向かうには、ここで物資を揃えておきたい。入らざるをえんだろう。なに、こちらが何もしなければ、何も起こらないさ」

 シエラは、もう一度、町を見た。


 やはり、違和感が何か分からなかった。




     

 夕日が輝いていた。


 四人で、イエローの町に入った。
 町の規模や、時間帯から考えて、やけに道で見かける人が少ないとシエラは思った。
 これが、感じた違和感だろうか。

「今日は、もう宿をとって、用事は明日にしようか」
 言って、ボルドーが先行して歩き始める。
 迷うことなく、ボルドーは路地に入っていった。
「来たことがあるのですか? ボルドー殿」
「ああ」

 数分歩いて、二階建ての木造の家の前に着いた。
 ボルドーが、その家の扉を叩く。
 少ししてから、疲れた顔をした、痩せた中年の女性が、内側から少しだけ扉を開けて、こちらを覗いてきた。少し、怪訝な表情をしている。

「主人を呼んでくれないか」
 ボルドーが、女性に言った。
「……死んだよ」
「何?」
「何年か前に、死んだよ」
 驚いた顔をする、ボルドー。
 それから、少し黙る。
「失礼ですが、あなたは?」
 ボルドーが、女性に聞く。
「ここで、雇われていたんだよ」
 もう一度、考える表情をする、ボルドー。
「今も、宿はやっていますか?」

 言うと、女性は何も言わず、扉を開いた。





「なんだか、気味の悪い人だったな」
 借りた部屋に入った後、荷物を降ろして、セピアが言った。
 男女に分かれて、二部屋借りることになった。
 部屋には、寝台が二つあり、木製の窓がある。
「本当に大丈夫か? この宿」
 セピアが、寝台に腰を下ろして言った。

「いいか?」
 部屋の扉が叩かれて、ボルドーが入ってくる。
「この、宿の向かいに飲食店がある。そこで、三人で食事を済ませてくれ」
「ボルドー殿は?」
「少々、町を回ってこようと思ってな」
「あ、それなら私も行きたいです」
「いや、ちょっと昔の知り合いに会ってくるだけだ」
 部屋を出て行こうとしたボルドーが、振り返る。
「一応、三人の主導権はペイルに任せてあるからな」
 セピアが、あからさまに顔を歪める。

 ボルドーが少し笑って出て行った。










 イエローの町から丘を一つ越えた所に、平地があった。
 向こう側には、森がある。
 その手前で、兵団が野営をしていた。

 こんな所で野営しているのは、町に兵舎がないのか、あるいは入り切らない分か。
 ボルドーは、丘の上から、それを眺めた。兵一人一人の顔が識別できないほどの距離はある。

 五百人はいるだろうか。
 夕餉の支度だろう。あちらこちらから、煙が上がっている。
 ただ、兵の動きが、少しだれていると、ボルドーは感じた。
 聞いた話では、この兵達は、ここに来て一ヶ月ぐらいだろう。ここでの野営に慣れ始めるころだ。怠惰を防げていないのは、兵や指揮官の能力の高が知れる。

 ボルドーは、その野営の隣に目を向けた。
 別の軍が、野営をしている。こちらは、百人ぐらいだろう。
 別の軍だと、一目で分かるぐらい動きが違った。同じ夕餉の支度でも、兵一人一人が、自分の役割をよく理解している。
 指揮をしていて、気持ちのいい兵だ。
 そちらを、ボルドーは、眺めていた。

 少ししてから、その野営から、ニ騎がこちらに向かって来るのが見えた。
 ボルドーは、それが来るのを待った。

「失礼。我らが隊長が、あなたをお連れしろとの仰せなので、ご同行願えますか」

 手間が省けた、とボルドーは思った。





 ボルドーは、一つの幕舎に案内された。
「少々、ここでお待ち下さい」
 そう言って、案内した兵は、出て行った。
 ボルドーは、腕を組んだ。

 さて……どういう言い回しをするか。
 ボルドーは、考えていた。

「お久しぶりですね、ボルドーさん」
 言って、一人の男が幕舎に入ってくる。
 黒い短髪に、切れ長の目。中肉中背で、他の兵とは違い、指揮官の軍服を着ていて、背筋が伸びている。そして何より、鋭気が満ち満ちているのが一目で分かる。
 確か、歳は三十をいくつか越えたぐらいか。

 変わっていない。

「ああ、フーカーズ」
 ボルドーが言った。
「どうぞ、お掛け下さい」
 言われて、ボルドーは、一つの椅子に腰掛ける。
 そして、対面にフーカーズが座った。

「それで、何の御用ですか?」
「呼んだのは、お前だろう」
「あのような所に立っておられると、呼びにこいと、言われているようなものです」
 苦笑をする、ボルドー。
「軍に復帰なさりたいというのなら、私としては大歓迎です。ただ、中央に口添えできるほどの権限は、私にはありませんけどね」
 卑屈っぽく、フーカーズが笑う。

 少し黙ってから、話を切り出した。
「カラトが死んだ」

 ボルドーは、真っ直ぐにフーカーズを見た。
「何者かに殺された」
 余計な、回りくどい言いまわしより、簡潔に言ったほうがいいと思った。
 ボルドーは、フーカーズの反応を見逃さないように、直視していた。
 フーカーズも、ボルドーを見ていた。

 沈黙。

「もし、それが本当なら」
 フーカーズが口を開けた。
「その犯人……どこの誰だか知りませんが、随分思い切ったことをしましたね」
「お前が、殺したのではないのか?」
 ボルドーは、さらに踏み込んだ。
 フーカーズの片眉が、少しだけ動いた。
「まさか」
 フーカーズの表情は、ほとんど変わらない。

「お前が指揮をする、お前の部隊の精鋭百人。それならばカラトを、あるいは倒せるかもと、わしは一番最初に思った」
「私なら、絶対に試みませんね」
 フーカーズが、少し笑った。
「一体、部下が何人犠牲になるか、検討もつきませんからね。しかも、こちらが全滅する可能性も低くない。そのような博打は、やろうとも思いません」
「博打か」
「私を試しに来ましたか」
「そうだ」
 ボルドーは、隠そうとも思わなかった。

「なるほど。では私が、今ここで何を言っても、容疑が完全に晴れることはないということですね」
「そうだな」
「相変わらず恐い人だ。もし私が犯人なら、どうなさるお積もりだったのですか」
「その時は、その時だ」
 ボルドーは、言い切った。
「だから、あなたは恐い」
 しかし、と言葉を続けて。
「そうですか、カラトが死にましたか」
 フーカーズが、目を瞑って言った。

 正確には、死亡は確認していない。それを、ボルドーは黙っていた。
「詳しい状況を、お聞きしてもいいですか?」
「ああ……」
 ボルドーは、三年前の森の様子を説明した。
 ただ、シエラのことは省いた。

「フーカーズ。三年前、何をしていた?」
「そのころには、もう国境に貼り付けになっていましたね」
「お前なら、犯人をどう予想する?」
「さて……『協定』のことも考えると、まるで分かりませんね」

 沈黙。

「任務中に悪かったな、フーカーズ」
「いえ」
「軍に残って後悔はしていないのか?」
 少し、意地が悪い質問だと意識しつつ、ボルドーは聞いた。
「私の居場所は、ここしかありませんよ」
「国境で、中央にいいように利用されててもか」
「私には国境は、むしろ居心地がいい。中央で、政争に巻き込まれるのは、まっぴら御免ですからね」
「そうか」

 ボルドーは立ち上がった。
「悪かったな」
「いえ、私も久しぶりに、人とまともな会話ができて良かったです」

 フーカーズが、少し笑った。










「シエラは、日々どんな訓練をしているのだ?」
 食事中、セピアはシエラに質問攻めだった。
 シエラは、できるだけ答えた。
 ただ、自分の過去に関しては黙っていた。

 三人で店を出た。
 すでに、夜の闇が辺りを包んでいた。

「どうも活気の感じられない町だな。さっきの店も人が少なかったし、窓から見える灯りも、やけに少ないし」
 セピアが言っていると、少し遠くの方から男の怒号のような声が聞こえた。
 続けて、複数の走る足音が近づいてくる。
 すると、シエラ達から五十歩ほどの距離の突き当たりにある道で、数人の人間が横切っていくのが見えた。
 先頭が小さい子供で、その後ろに大人の男が四人いた。
 男達が、子供を追いかけている。

「大変じゃないか」
 セピアが言った。
「シエラ、追いかけよう」
「待った待った!」
 慌てて、ペイルが止める。
「子供が危ないんだぞ」
「それは分かるけど、変に事件に関わるのは不味い。お前らに、何かあったらボルドーさんに顔向けできない」
「何があるというのだ? あの程度の男達、私一人でも相手にならない」
「何が起きるか分からないって言ってるんだ! 特に、この町はっ」
「そんな抽象的な説明があるかっ」
 言って、セピアがペイルを振り切って、走り出した。
 シエラも、セピアに着いて走る。
「おいっ、シエラちゃん!」
 シエラも、子供を助けようと考えるセピアの気持ちには肯定だった。
「ああっ、もう!」

 後ろから、そういうペイルの声と、走ってくる音が聞こえた。




     

 闇の道を歩いていた。


 ボルドーは、イエローの町に戻って来ていた。

 そして、歩きながら、先ほどまでの、フーカーズとの一連のやり取りを思い出していた。

 結局、白か黒かは分からなかった。ただ、あの程度のやり取りで答えが分かるとは、始めから考えていなかったが。
 それよりも、フーカーズの変化に、実は驚いていた。

 よく喋るようになっていたのだ。

 少なくとも、冗談のようなことを言ったり、自分を卑下するようなことを言って笑ったりすることなど、昔なら絶対になかったはずだ。
 それを、いい変化だとはボルドーは思わなかった。どちらかと言えば、悪い開き直りをしてしまっているように見えた。

 心労が限界なのかもしれない。

 昔と違って、本心を相談できる人間もいないのだろう。そう考えると、別れ際のフーカーズの言葉が、胸に刺さった。
 しかし、何もしてやれない。軍に残ることを選んだのはフーカーズ自身だ。
 自分に、同情をする資格はないが、同情するしかない。

 ボルドーは、宿の前に辿り着いた。
 扉を叩く。数分後に、中から錠が外される音が聞こえて、扉が開かれる。
「すいませんね」
 扉を開けてくれた女性にそう言って、ボルドーは、借りた部屋に向かった。
 部屋に入ったが、誰も居ず、すぐに隣の女性陣の部屋も覗いたが無人だった。
 少し考えてから、もう一度、宿の女性に断りを入れて、宿を出て、向かいの飲食店に向かった。

 そこにも、三人の姿はなかった。

 ……。
 店の外で、ボルドーは腕を組んだ。
 おいおい、あいつら……。
 何も根拠はないが、何故か、ボルドーの中に悪い予感が過ぎった。
 何か、問題が起こったのか。
 ボルドーは、眉間を押さえた。
 当然、あいつらに任せた自分にも責任はある。しかし、いくらなんでも二町続けて騒動が起こるなど、思いもよらなかったのだ。
 勿論、早計の可能性もある。だが、こういう場合は、最悪を考えて動いた方がいいはずだ。

 ボルドーは、町の奥に入っていこうと足を踏み出そうとする。
 しかし、すぐに足を止める。

 少し考えてから、ボルドーは、振り返って歩き始めた。










「待ちやがれ!」
「逃げんじゃねえよ!」
 そういった叫び声を上げながら、四人の男が子供を追っていた。
 子供の足も、子供にしては、かなり速いが、あと数十秒で追いつかれそうだ。
 だが、その前に自分が男達に追いつけると、セピアは思った。
 男達は前方に夢中で、こちらに気付きそうな気配もない。
 セピアは、取り出した棒を握り締めた。

 子供が、路地に飛び込む。続けて、男達、すぐにセピアも続いた。
 路地に入ってすぐに、少し広い空間があり、そこを男達が通り過ぎる時、男達の中の一番後ろの男が、振り向いた。
 その瞬間、セピアの突きがその男の腹部に入った。
「ごぼっ」
 腹から息を漏らしながら、男が仰向けにひっくり返る。それに気付いた、前の三人も振り返った。
「私が相手だ! 悪党どもがっ」
 セピアは、足を止めて大喝した。
 目を丸くして、前の三人も足を止めた。
「なんだぁ!?」
 セピアは横目で、子供が路地から抜けていったのを確認した。
 と同時に、シエラが追いついてきて、セピアに並んだ。
「お前ら! 子供相手に、大の男四人掛かりで襲うなど、恥ずかしくないのか!?」
 セピアは、男達に棒を突きつけて言った。
「誰だ、お前ら。パウダーの所の人間か!?」
 三人の男の中の一人が言った。
「パウダー?」

 すると、路地の外の方から、大人数が動いている足音や声が聞こえた。灯りの光が、建物の隙間から見える。
「あっ、しまった!」
 男の一人が振り向いて言う。
 ぞろぞろと、複数の男が路地に入ってくる。ほぼ、統一された服装をしていて、武器であろう棒を持っている。この町の治安兵だろうか。ということは、この四人を捕らえに来たのだろうと、セピアは判断した。

「やばいっ、ずらかろう」
「待てっ、逃がすわけがないだろう」
 セピアが再び、男達に棒を突きつける。
 男の一人が、倒れていた男の肩を担ぎ、セピアを睨む。
「ちっ、こいつがやられた分は、今回だけは無しにしてやる」
「何?」
「お前らも、逃げたほうがいいぜ」
 一瞬どういう意味かを考えてしまって、男達が走り出すことに対する反応が、少し遅れてしまう。
「待っ」
 追いかけようと思ったセピアの両肩に、いきなり後ろ向きの力が加わる。何だと考える間もなく、セピアは、うつ伏せに地面に押し倒された。
 兵と思われる男が、セピアを押さえつけていた。
「何を」
 セピアは、すぐに、それを払いのけようと力を入れる。
「おおっ! すごい力だぞ、こいつ! 誰か手伝ってくれ!」
 男が言うと、すぐに、近くにいた数人が、セピアを押さえるのに加わった。それで、身動きがとれなくなった。
 さらに、シエラも同じように押さえつけられているのが見えた。
「何の真似だ!? 子供を襲っていたのは、今逃げた男達だぞ」
 いくらセピアでも、数人の男達に上から押さえつけられれば、抗いようもなかった。シエラも、同じようだ。
「見たことがない顔だな。部外者かな」
「運のない奴らだ」
 セピアを無視して、男達が話している。
 まったく理解ができない状況に、考えがまとまらない。
 その中、兵の中の一人を見て、セピアは、さらに思考が止まった。
 兵の一人が、両手を縄で拘束されて、ぐったりとした子供を引き摺っていた。
 先ほどまで、逃げていた男の子だ。

「何故だっ、どういうことだ? 子供を助けにきたのではないのか」
「あ? 何で、物乞いを助けなきゃいけないんだ?」
 物乞い?

「この二人どうするんですか?」
「とりあえず捕まえておこう。物乞いと違って、いろいろ使い道がありそうだ」
 とにかく、セピアは、今の状況が不味いということは理解したが、それ以上、何も考えられなかった。
 そして、少しずつ、恐怖心が湧いてきた。

 どうすれば……。
 分からなかった。

 声が聞こえる。
 風が起こったと思った瞬間、セピアの意識が覚醒した。
 セピアを押さえていた男達の内の数人が、弾き飛ばされた。
「起き上がれ!」
 セピアは、すぐに上に残った男の脇腹辺りに、手刀をぶつけた。男が怯むことで、体を捻ることができ、さらに男の顔面に、拳を叩き込んだ。男が後ろ向きに倒れる。
 近くに落ちていた、自分の棒を拾うやいなや、周りにいた兵達を、手当たり次第に、弾き飛ばした。

 そこまでいって、少し冷静になる。
 シエラの方を見ると、拘束が解かれ、立ち上がっている。
 その近くにペイルがいた。
 ペイルが助けてくれたということか。
「逃げるぞ!」
 言って、ペイルが走り出す。
 シエラも走ったので、思わずセピアも着いて走る。
「追え! 逃がすな」
 背後から集団が迫ってくるが、それほど速くはない。
 そこで、セピアは思い出した。
「男の子は!?」
「考えるな! 今は、逃げるんだよ」
「しかし」
「頼む! ここは、俺の言う通りにしてくれ! 捕まっちまったら、どうしようもないんだ」
 前を走っていたペイルが、真剣な顔をして、振り向きながら言った。
 こういう顔ができるのかと、セピアは少し意外な気持ちになった。

 ペイルに先導されて走った。ただ、勘で道を選んでいるようだ。
 いくらか走っていると、建物の陰から、誰かが手を挙げているのが見えた。
「こっちへ来い」
「お前は」
 思わず、セピアは声を上げた。
 先ほどまで、子供を追いかけていた男達の中の一人だ。

「お前らを、逃がしてやるよ。着いてこい」
「何を馬鹿なことを」
 セピアが言った。
「いいか? この町は広い上に、路地が複雑に入り組んでいる。いくら、お前らの足が速くても、いつかバテてきて、いつの間にか取り囲まれちまうのがオチだ」
「だからといって、お前などに着いていけるか。今度は、お前の仲間に取り囲まれてしまうだろう」
「俺たちは、何か悪さをしようっていうんじゃねえよ。お嬢ちゃんの早とちりだ」
「悪人は決まってそういうことを言う」
「あのな。どっちにしたって、勘で逃げるか、俺に着いてくるか、二つに一つだろ。助かる可能性が高そうな方を選ぶしかねえんじゃねえのかい? 俺も捕まりたくねえんだよ。着いてこないんなら、もう俺は行くぜ」
「着いていこう」
 今まで黙っていたペイルが言った。
「おいっ」
「この男の言う通りだと思う。どこかで、何か賭けにでなけりゃ、この状況は打破できない。一番危険が少ないのは、この男に着いていくことだと俺は思う」
「よし、着いてきな。早くしてくれよ。もう、かなり接近されちまってる」
 言って、男が路地の闇の中に入っていく。
「よし、行くぞ」
 ペイルが言って、走りだそうとする。
「待て、私は納得いっていない」
 セピアが言った。
「お前」
「二つに一つだと? ふざけるな。何故、逃げることが前提なんだ? そうやって、失敗を前提に物事を考えるから、あんたはきっと、負け犬思考にしかなれないんだ」
 ペイルが睨みつけてくる。
「シエラ。こんな男は放っておいて、私達は」
 言葉が途中で切れる。突然視界がぶれた。
 殴られたのだとすぐに分かった。ペイルが殴ったのだと思った。
 しかし、殴ったのはシエラだった。
「シエラ」
「セピア」
 シエラに名を呼ばれた。それだけなのに、何故か萎縮するような気持ちにセピアはなった。
「セピアは、ペイルさんの言うことを無条件に反発しようとしている。それだと、まともな判断はできない」
「私は」
「じゃあ、私が決める。私の判断に従う。今は、それでいこう」
 そう言って、シエラは、男が進んだ道に向かう。
「あの人に着いていく」
 シエラが言った。ペイルが、目を丸くして立っている。
「さあ、早くいこう。二人とも」
 言って、シエラが走った。すぐ後にペイルも続く。
 慌てて、セピアも後を追った。

 もう、その前の、やり取りのことは忘れていた。




     

 町は静かだった。


 先ほどまで、あれだけ騒いでいたのに、住人は一人も見なかった。
 男に先導されて、シエラ達は走っていた。

 路地を進んでいると思えば、建物の中に入り、階段を降りて、地下に入ったと思えば、すぐに上がり。腰を曲げないと、入れないような通路にも何度か通った。
 先導している男は、何の迷いもなく素早く進み、ある程度シエラ達と間隔が開くと止まっている、ということの繰り返しだった。
 他に、人は見かけなかった。

「あと少しだ」
 前の男が言った。
「そういえば、理由を聞いてなかったな。どうして俺達を助けてくれるんだ?」
 ペイルが、前の男に聞いた。
「なに、あんたらがあいつらに捕まりそうだったからさ。それだけのことだよ」
「あの男達は、何者なんだ?」
「この町の治安兵。だが実際は、パウダーの私兵だ」
「パウダーって誰だよ?」
「自称この町の領主。正確には、金でこの町を支配しているクソ野郎だ」
「支配?」
 後ろを走っていたセピアが言った。
「ああ。なんでも、国のお偉いさんに顔が利くらしい。二年くらい前に突然この町にやってきて、好き勝手始めやがったんだ。だけど、役人も軍も、まったくあの野郎を取り締まろうとしねえ。中央の役人とつるんでるって話だ」
「好き勝手とは、どういうことだ?」
 怪訝な表情をしてセピアが聞く。
「言葉通りさ、お嬢さん」
「分かるように話せ!」
「……例えば、さっきの子供がいただろ」
 セピアの顔色が少し変わった。
「あの子は、浮浪者だ。多分、流民だろう。この町の路地裏には、ああいう浮浪者が沢山いる。当然、流民だけじゃなく、この町の人間も少なからずいる」
 そこで、男は少し間を置いた。

「これだけじゃ、別に珍しい話でも何でもないだろ。治安が悪くなっちゃあ困るけど、犯罪を犯した奴は役人が取り締まる。何もしていない浮浪者を無理矢理追い出すことは、さすがに役人はやらなかった。そんなこんなで、今までやってきたんだ」
 再び、間。

「だけど、いきなりパウダーが、浮浪者を全員始末するよう命令をだしたんだ」
「何故?」
「有名な将軍が町の近くに来てるらしい。確か、フーカーズって言ったかな。そいつに、自分の町に浮浪者がうろうろしてるのを見られたくないんだってよ。つまり、自分の見栄ってことだ」
「馬鹿な! それだけの理由で、人を大勢殺すのか!?」
「それが、パウダーって男だ。自分の私腹を肥やすことばかり考えていて、ちょっとでも気に入らないことがあれば、平気で人を殺す。それを二年も繰り返してきたんだよ」
 いつの間にか、走る速度が落ちていて、四人とも止まりそうだった。
「おかげで、この町も随分暗くなっちまった。昔はこうじゃなかったのに」
「何故、もっと上の役人に訴えない? あるいは、中央に。あきらかに背任行為だろう」
「だから、ここいらに良心的な統治者なんか一人もいねえんだよ。中央なんて、一町人の言うことなんて見向きもするわけがねえ。それに、もし密告がバレでもしたら、一族全員皆殺しだ。あるいは一生地下牢か、だな」
「おかしいだろっ。告発が、そんな重い罪のわけがない」
「おいおい。裁量を決めるのは、その統治者だぜ。自分の都合のいいようにするに決まっているだろう。真面目に裁量を決める役人なんか聞いたことねえぜ。軽い罪でも、一度牢に入れたら、もう忘れられて一生そのままだって話も聞いたことがあるくらいだ」
「そんな……」
 セピアが、目を見開いて俯いた。
「なんだか、さっきから嬢ちゃんだけ、この世界を初めて知ったような口振りだよな。役人が腐っているなんて、どこでも今に始まったことじゃないだろ? それとも、もしかして本物のお嬢様なのかい」
 セピアの足が止まった。それによって、シエラ達も足を止める。
 セピアは俯いて黙っている。

「あれ?」
 男が、困った顔をして頭を掻く。
「なあ、あんた達一体何者なんだ?」
「ん?」
 ペイルが男に言った。
「話を聞く限り、パウダーって奴に逆らうことは、この町じゃ、絶対に厳禁だ。だけど、あんた達は反抗をやってるみたいじゃないか。さっきも、子供を助けようとしてたんだろ?」
「ああ……まあな」
 男が、少し肩を竦めるような動作をする。
「とりあえず、もう目的地なんだ。そこまで行って、話をしようぜ」
 そう言って、男が歩き出す。

 シエラは、セピアの背中に手を添えた。
 ゆっくりだが、セピアは進んだ。
 そこから、少し路地を進んだ所に、小さい扉があり、四人でそこに入る。

 中は、真っ暗だった。
「お、来たな」
 人の気配がして、シエラは一瞬身構えたが、聞き覚えのある声だった。
 部屋の隅の燭台に火が灯っているが、申し訳程度の明るさしかないので正確にはわからないが、大きな木箱や、荷物が何重にも積み重ねられている倉庫のようだ。
 部屋には、人が二人立っていた。先ほどの、四人組の二人なようだ。もう一人は、低い荷物の上で横になっている。

「とにかく、朝になるまで、ここにいれば安全だろう」
「とりあえず礼を言うよ。それにしても、ずいぶんと手慣れているようだな」
 ペイルが言う。
「繰り返しになるが、あんた達一体何者だ?」
「ああ、先にこっちが聞いていいか。不思議な組み合わせの三人組で、おまけに腕も立つ。お前達こそ何者なんだ?」
「旅の同行者だ」
「ちなみに目的は?」
「うーん、なんというか、いろいろだ。話せば長くなっちまう」
「そうか、まあいいか。俺達は、この町の人間だ。パウダーの野郎の暴挙をできるだけ防ごうと集った仲間だな」
「大丈夫なのかよ? 公然と反抗をして」
「捕まったら終わりさ。ただ、逃げ道だけはいつも確保してある。それに、変装もいつもやっているしな。今も、多少だがやっている」
「へえ」
「それに、反抗といっても、高が知れてるけどな。精々、私兵達の足止めをしたり、危なそうな奴に忠告にいったり……。しかも、うまくいかないことばっかりさ。子供には逃げられちまうし。あの子は、どうやら近づく大人全員に警戒してたみたいだ。声をかけた途端、走り出しちまった」
 男達が、黙った。
「だけど、指をくわえて見てるだけっていうのは絶対に我慢ができねえんだ。微力でも、俺らにできることをやろうって俺らは集まったんだ。パウダーも許せねえが、見て見ぬ振りをするだけの町の連中……ああいうのになりたくねえって思ったんだ」
「どこでも一般の人間って、そういうもんだけどな」
「俺達が、無駄な足掻きをしてるって言いたいのかい」
「いや、正直すごいと思うよ。えらいと思う。俺も、ここに近いような状況の所をいくつか見たことがあるけれど、おまえ達みたいなのは初めて見たよ」
「まあ俺達も、自分達だけじゃ、こういう決断を下せなかったと思うけどな」
「ん?」
「あの子供は、どうなってしまうんだ?」
 セピアが、呟くように言った。

 男達が顔をしかめて、それから押し黙った。
「なんとか、助けられないのか?」
「俺達だって、助けられるものなら助けたいさ。だけど、どっかで割り切らないと、こういうことは続けられないんだ」

 沈黙。

「はあ」
 溜息が聞こえた。しかし、少し高い位置から聞こえたと思い、シエラは顔を上げた。
 積み重なった荷台の上から、足がぶら下がっているのが見えた。今まで気付かなかった。
 誰かが、荷台の上に寝そべっている。

「そんなこと、子供に話すことじゃないぜ……」
 再び、上から聞こえる。
 今度は、全員が気付いたようで、驚いたように顔を上げる。
「あ、兄貴! 居たんですか」
 男の一人が言った。

 すると、荷台の上から身軽に男が飛び降り、前に立った。
 かなりの上背だった。ボルドーよりも高い。暗くて色は分からないが、少し逆立った短髪だ。歳は、二十代の後半辺りだろうか。
 そして、不思議な雰囲気を全身から感じた。シエラはいつも、初対面の人間は、まず、どれほどの実力を持っているか計るようにしているが、この男は、よく分からなかった。
 兄貴と呼んでいたから、男の兄弟だろうか。しかし、顔は似ていない。

「よう」
「兄貴、すいません。子供が奴らに捕まっちまった。それに、浮浪者が何人か」
「仕方がないさ」
「これから、どうしましょう?」
 すると長身の男は、腰に手を当て、顔を斜め上に向ける。

「うぅん……」
「兄貴?」
「飽きちまったな」
「えっ?」
 長身の男が、他の男達に向き直った。
「そろそろ、俺はこの町から出て行こうと思うんだけど」

 一瞬沈黙。その後、男達が声を上げた。
「ええ!?」
「うそでしょ、兄貴」
「まあ、なんと言うか。この町での活動も、もうできることはなくなってきたし。俺の顔もバレてきたし。そろそろ、潮時かなって」
「そんな」
「お前等、今までよく頑張ってくれたな。だけど、もう止めといたほうがいい。いつまでも、続けられることじゃない」
 男達が押し黙る。

「これからは、自分と近くの人間だけを守ることに力を注げ」
 その後、長身の男と男達で、少し話をし、渋々といった様子で、男達は部屋から出て行った。

「何なんだ?」
 ペイルが、そう呟いただけで、三人は黙って成り行きを見ていた。
 部屋に、長身の男とシエラ達だけになった。

「さて」
 言って、長身の男が、こちらを向く。
「おめえら、随分使えるみたいじゃねえか。それに、義侠心も持っているようだし。どうだい? ちょっと手伝ってくれないかい」
「手伝う? 急に出てきて、お前誰だよ」
 ペイルが言った。
「あぁ。はは、そりゃ悪かった。俺は……まあ、余所者なんだけどよ。あいつらの、指導者みたいなもんかな」
「それは、さっきの話を聞いていて、なんとなく分かってる。目的は?」
 男が口角を上げる。

「単純に嫌いなんだよ。偉そうな奴が」
 ペイルの口から息が漏れた。
「おかしいか?」
「いや、分かり易い」
「はは、だろ?」
「で、手伝うって何をだよ?」
「パウダーの野郎を、ぶっ飛ばすのをさ」
 男が言った。
 一瞬、ペイルの動きが止まった。

「町を去る前に、奴に一発でもぶち込んでやらねえと気が済まねえ。だが、俺一人じゃ、ちょいと難しいと思ってな。そこで、あんたらの力を借りたいと思ったわけよ」
「あの四人は使わないのか?」
「ああ。あいつらに手を借りちまったら、成功しても失敗してもお尋ね者になっちまう可能性が高い。あいつらの身内にまで被害が及ぶからな」
「俺達はいいのかよ」
「まあ当然、覚悟はしてもらう。だけど、旅人ならどうにか誤魔化せるだろ」
「いや、さすがに……」
「協力したい」
 セピアが言った。

「また、お前は」
 ペイルが言う。
「あの子供を助けられるんだろ?」
「ああ、パウダーの屋敷に捕らえられている奴はできるだけ解放するつもりだ」
「ならば、協力させてくれ」
「分かって言ってるのか? 相手は公権力なんだぞ」
 ペイルが言う。
 シエラも一歩前に出た。
「シエラちゃん?」
「私も、協力します」
「ええっ!?」

「どうやら、お二人さんはやる気みたいだな」
 男が、にやりと笑った。


「俺の名はコバルトだ。ま、よろしく」




     

 闇が空を覆っていた。


 雲が出ているのか、星がまったく見えない。
 これでは、時刻が分からないと、シエラは思った。

 シエラ達三人は、倉庫の前にいた。
 コバルトという男は、少し離れた所で、ぼんやりと空を見上げている。

「いい加減にしろよ、二人とも。シエラちゃんまでどうしたんだ? さっきまで諫めてくれてたじゃないか」
「さっきまでの話と、今の話は別です」
「いや、だけどな」
「あなたは、パウダーという男を放っておいていいと思うのか?」
 セピアが言う。
 ただ、今までより、口調が少し緩くなっているとシエラは感じた。

「そうは言っていない。だけど、俺達だけでどうにかできる相手でもない。パウダーとかいう奴をぶん殴れば終わる話じゃあないんだぞ」
「何か、考えがあるのですか?」
 シエラが、コバルトに聞いた。
 三人が揃ってコバルトを見る。
 コバルトは、ゆっくりとした動作でこちらに視線を移した。

「ああ、そうだな……。パウダーの屋敷で派手に暴れて、騒ぎを起こすことを目的の一つとしよう。町中に響くぐらいの騒ぎをな」
「騒ぎ?」
 ペイルが言う。
「ああ。そうしたら当然、軍が何事かと飛んでくる。町外にいる軍もな」
 ペイルが、はっとした顔をした。
「今、町外にいるフーカーズっていう奴は、パウダーの仲間じゃない。中央に顔が利く有名な将軍だ。町に騒ぎが起きて、町の治安兵だけじゃ対処しきれないとなると、フーカーズは、様子を見に町に来るはず。その時に、パウダーの悪行の証拠を見せることができれば」
「フーカーズ将軍に、中央に言ってもらうわけだな」
 セピアが、高揚した口調で言った。
「そゆこと」
 コバルトが言った。
「いや、でも危険だ。だいたいフーカーズ将軍が、どういう人かも分からないんだ。そんな危険な賭けは駄目だ」
 ペイルが、首を振って言った。

 セピアが、手のひらをコバルトに向ける。
「コバルト殿、少し外してくれないか?」
 セピアがコバルトに言った。
「ああ、いいぜ。ただ、ゆっくり相談してくれとは言えねえんだ。フーカーズが、もうすぐここから撤収するって噂があってな。なんとか今晩中に事を起こしたい。できれば、すぐに決めてくれよ」
 そう言ってコバルトは、ゆっくりと離れていった。

 三人に沈黙が流れる。

 少しして、セピアがペイルをじっと見る。
「何だよ……」
「あなたが、自首しない理由とは、もしかしてさっきの話のことが、原因なのか?」
 少しペイルの表情が動いたが、その後、黙った。

 さっきの話とは、自首しても、まともな裁きを受けられる可能性が低いという話だろう。
 シエラは、ある程度は、役人がそういう状態であることは知っていた。 ボルドーの所へ行ってからは、そういう役人に会わなくなったが、ドライにいたころには、むしろそれが当たり前だと思って過ごしていたのだ。
 あまり、思い出したくはない日々だった。

「何故、そうなら始めに反論しなかったのだ? 私も、それを知っていたら、あそこまで……」
 セピアが視線を少し落とす。
 また二人が沈黙して、それからペイルが軽く息を吐いた。

「おまえは、なんにも間違ったことを言っていないだろうが」
「だが、現実的ではなかった」
「いや、現実がどうだろうと、おまえは間違っちゃいない。正しいんだ。人としての美徳さ。おかしいのは、それを否定しちまう現実の方さ」
 ペイルは、セピアと目を合わせないまま話している。
「俺はよ、何て言うか……現実はこうだからって、その正義を頭っから否定したくなかったんだよ。偉そうに、おまえは子供で世間知らずだって言うのは簡単だ。だけど、綺麗な正義がそこにあるなら、守ってやるのが大人ってもんだろうと……俺は、思うんだよ」
 ペイルが、もう一度息を吐く。
「非力だけどな。どうしようもねえくらい」
 再び、沈黙が流れた。

 少ししてから、セピアがペイルに向く。
 それから、頭を下げた。
「とにかく謝らせてほしい。私は感情的になりすぎて、あなたを傷つけるようなことを、何度も言ってしまったと思う」
「いや、別に……」
 それから、ペイルが頭を掻いて、声を上げた。
「ああ、よし! じゃあ、こうしよう。とにかく、ボルドーさんと一旦、合流しよう。ボルドーさんが、いいと言えば、もう俺は何も言うことはない。駄目だといえば、諦めてもらう。というか、諦めるしかないか。どうだ?」
「ボルドー殿か……いや、分かった。ボルドー殿も説得してみせる。あの人なら、分かってくれるはずだ」










 その後、コバルトと併せて四人で、部屋を借りた宿へ向かった。

 しかし、ボルドーの姿はなく、女主人に尋ねたら、一度戻ってきたが、すぐに、また出ていったことが分かった。

 四人は、宿の前に立った。
「ああ、どこ行っちまったんだよ」
 ペイルが、頭を抱えた。
「探している時間はない。私達は行くぞ」
 セピアが言った。

「あなたは、待っていてくれればいい」
「そういうわけにはいかねえよ……分かった、俺も行く」
 ペイルが、こちらを向く。
「ただ、二人とも顔だけは隠してくれ。もしもっていう可能性もある。それから、軍が近づいてきた時に、パウダーを軍に突き出せるような証拠が見つかっていなかったら、すぐに逃げること。最悪こっちが、ただの賊ってことで捕まっちまうからな」
「了解した。しかし、顔を隠すと言われても」
「顔に巻く布ぐらいなら貸してやるぜ」
 少し離れた所にいる、コバルトが言った。
「あの四人が使っていたのが、あの倉庫にいろいろある」
「助かる。それからコバルト、パウダーの屋敷で派手に暴れるって、何か作戦があるのか?」
 ペイルが言う。
「いやあ。まあ適当にやれば、大丈夫だろ」
「お前」
 ペイルは、一度肩を落として、それからコバルトに向き直った。

「だったら、火なんてどうだろうか」
「へえ」
「夜だから目立つし、なかなか消せないとなると、騒ぎもすぐ広がる」
「なるほどね。はは、なかなか、あくどいこと考えるじゃねえか」
「待て、民家にまで燃え移ったらどうする」
 セピアが言った。
「そこは、ちゃんと場所を見極めて火をつけるさ。目立つ所で、人もいない、燃え広がりにくい、パウダーの屋敷の敷地内でな」
「よし、じゃあそのへんはお前達に任せるよ。俺は屋敷内を適当に暴れ回るからよ」
「二人ずつに、どう分けようか」
「いや、俺は一人でいい。お前さん達は協力して火をつけてくれ」
「大丈夫かよ?」
「はは、俺は元々、一人ででもやろうと思っていたんだぜ」
 コバルトが、にやりと笑う。


 シエラは、ふと、周りを見回した。

 やはり、誰も見かけなかった。




     

 壮大な屋敷だった。


 町の中央より、少し奥に入った所にパウダーの館はあった。
 シエラが想像していたよりも、大きく、複数の棟がある。柵が周りを囲っていて、角から角までが、暗さも手伝って、視認できないほど遠い。
 館の周りは、町の他と違い質の良さそうな家が多かった。
 夜だというのに、そこら中が灯りだらけで、随分と明るい。
 町の中で、ここだけが異質だった。

 コバルトに先導されて、路地を通って館の近くまで来ていた。
「でかいな……」
 ペイルが、呟くように言う。
 コバルトから借りた布が、首から口にかけて巻かれている。シエラとセピアも同様だ。

 館の門が、覗き見ることができる場所に移動した。門の前では三人の男が楽な体勢で、何やら話している。服装は、普通の町人のような服装だ。ただ、三人とも棒を持っている。門番だろう。

「よっしゃ、そんじゃ行きますか」
 コバルトが、気軽な口調で言った。
「どこか、忍び込める場所があるのか?」
「いや」
 コバルトが持っていた棒を、少し持ち上げる。
 セピアが持っている棒より長かった。これが、この人の武器なのだろう。
「正面から行こう」
 言うと、いきなり駆けだした。
「ええっ!」
 ペイルが、声を上げたころには、すでに、館の門の近くにいた男達が、コバルトによって叩き伏せられていた。
 やはり腕が立つ。男達は、声を出す暇もなかっただろう。
「おいっ」
 三人が駆け寄る。

「そんじゃ、手筈通りにいきますか」
 こちらを見たコバルトが、にやりと笑った。





 四人は、棟と棟の間を走り抜けた。

 途中、私兵らしき人間と、数人出くわしたが、悉く叩きのめして進んでいる。
 シエラは、剣に鞘をつけたまま戦うつもりだった。ペイルも同様なようだ。
 まだ、騒ぎらしい騒ぎにはなっていないし、私兵も今のところ相手にならなかった。

「へえ、やるなあ」
 いくらか戦うと、感心した風にコバルトが言った。
「あなたも、かなりできるな」
 セピアが言う
「はは、だろ」
 四人は、敷地内の西の奥にある、高い棟に到着した。
 本館とは離れていて、人気もない。何のための建物か、シエラには分からなかった。
「ここにしよう」
 ペイルが、建物を見上げて言った。
「よっしゃ、じゃあ後は任せたぜ。俺は、本館の方に行くからよ」
 そう言って、コバルトが駆けだしていった。

「よし、さっさと、やっちまおう」





 棟が燃え始めて、数分が経っていた。
 すでに、人集りができて、騒ぎになっている。
 三人は、それを物陰から見ていた。

「あれはもう、そう簡単に消火はできないだろう」
 ペイルが言うと、振り返ってセピアを見た。
 シエラも、セピアを見る。
 セピアは、少し俯いていたが、視線に気付いて、少し顔を上げた。
「何か?」
 ペイルが、ちょっと考えるような仕草をしてから、もう一度セピアを見た。

「まだ、軍が到着するまで時間がある」
 ペイルが言う。
「時間ぎりぎりまで、子供を捜そう」
「いいのかっ?」
 セピアが、一歩踏み出した。
「本当は、良くはない。どう考えたって危険だ。だけど……」
 少しの間。
「俺も、助けたいと思う気持ちは、同じなんだよな」
 言って、ペイルは肩を竦める。
 セピアは、一度頷いた。
「シエラちゃんは、いいか?」
「はい」
 シエラも頷いた。





 外の騒ぎが、さらに大きくなっている。

 三人は、本館の中に、忍び込んでいた。
「一通り、外の建物を見て来たけど、人を閉じこめておけるような建物はなかったと思う」
 ペイルが言う。
「では、この屋敷のどこかだろう」
 セピアが言うと、ペイルが腕を組んだ。
「でも、外で捕まえた浮浪者を、屋敷に入れたりするか?」
「考えても仕様がないこともあると思う。特に、外道が考えることだ。とにかく時間がない。すぐに探そう」
「ああ。さて、当てをつけるか」
「私は、人を捕らえるなら地下だと思うが」
「まあ、妥当だな。じゃあ、できるだけ下に気を向けて進むか」

 その会話から、十分ほどが経っていた。
 ある程度、歩き回ったが、人とは出くわさなかった。外の火事に人が集中しているからだろう。
 コバルトの気配もなかった。
 そして、ある所で下に向かう階段があった。灯りの量も少なく、先は薄暗い。
 三人は、顔を見合わせて頷いた。

 慎重に進むと、木製の厚そうな扉があった。その前に、俯いて椅子に座った男がいる。服装からして、門番や、屋敷の途中で出くわした男達と同類だろう。
 眠っているようだ。
 ペイルが近づいていって、壁に掛けてあった縄を使って素早く拘束する。起きたようだが口も塞いだ。
 セピアが、扉の中に入っていく。
 二人もそれに続いたが、扉の出た所で、セピアが立ち止まっていた。
「どうした?」
 ペイルが聞くが、セピアは動かない。
 シエラは、中に入った直後から、異様な臭いを感じてた。

 部屋は、薄暗かった。壁に、わずかに燭台があるだけだ。すぐに見えるのは、天井から地面に延びている格子が両側にあり、部屋の奥まで連続して続いている。部屋は、石造りだろうか。

 少しずつ、目が慣れてきて、何があるか見えるようになる。
 シエラは目を疑った。
 格子の奥に、黒い塊がいくつもあった。
 いや、倒れている人だ。
 どれもが、ぴくりとも動いていない。

「ひ……ひでえ」
 ペイルが、呟くように言っている。
 服装が粗末な者ばかりだった。
 全員、捕らえてきた浮浪者ということだろうか。
「これは何だ!?」
 セピアが叫ぶ。
「本当に人間ができることなのか」
 振り返ったセピアの目が見開いていた。
「私は、これをやった人間を絶対に許さない。然るべき報いを受けさせてやる」
「セピアっ」
「止めても無駄だ。もう、軍とか証拠だとか知ったことか」
 そう言って、セピアは二人の間を抜け、部屋を飛び出していく。
「おいっ!」
 ペイルが、声を上げた。










「何だ、貴様」
 セピアが、走り抜けている廊下の先に、私兵の集団が五、六人固まっていた。

 侵入者がいるのが発覚してきたのか、先ほどから、私兵連中が屋敷内を彷徨いている。
 パウダーの息の掛かっている連中だから、屋敷の出入りが自由なのか。
 しかし、そんなことはどうでもいい。

「どけっ!」
 セピアは、棒を構えて突っ切った。
 地下牢を出て、最初に出くわした屋敷の人間を締め上げて、パウダーの居場所を聞き出していた。屋敷の三階の南側中央の部屋にいることが多いらしい。
 そこに向かうだけだ。

 階段を駆け上がり、所々にいる男達を問答無用に蹴散らす。
 すぐに、目的の部屋だろう扉の前に着いた。
 重厚そうな木の扉を、思い切り突き、破って中に入った。

 高級そうな、家具や絨毯が整っている広い部屋だった。
 数人の男が、無造作に倒れている。
 奥の窓のすぐ近くに、人がいるのが見えた。向こうを向いていて、屈んでいる。大きな背中だった。
 それが、ゆっくりとした動作で、こちらに振り返った。
 コバルトだ。

「助けてくれ!」
 何をしている、と言おうと思った直後に、叫び声がセピアの耳に入った。
 コバルトの体に隠れて見えなかったが、彼と壁の間に男が一人いるのに気がついた。
 四十から五十辺りの年齢に見える。口ひげを蓄えた男で、高級そうな服を着ている。拘束されているのか、腕が背中に回っていて座っている。

「おい、助けてくれ!」
 男が、もう一度叫んだ。
「そいつが、パウダーか」
 セピアが、二人に近づきながら言った。
「あぁ」
 コバルトが言う。

 コバルトの表情が、先ほどまでとは違い、軽さがまったくなかった。
 憎むべき対象が目の前だからだろうが、厳しいといった風でもない。
 なんとなく、暗さや陰のある顔つきだった。

「なんだよ、結局来ちゃったのかよ、嬢ちゃん。それにしても、随分熱り立ってるみたいじゃねえか」
「そいつを殺しに来た」
 セピアが言った。パウダーの顔が青くなる。
「ははあ、何か見ちゃったのか」
 コバルトが軽口でそう言った。セピアは、コバルトを睨む。

「おいっ!」
 後ろで声がして振り返ると、入り口の所に、息を切らせたペイルがいた。鞘がついたままの剣を手に持っている。
「早まるんじゃねえ、セピア。あれは、もう言い逃れできない証拠だ。将軍が来てくれれば、そいつを引き渡せる」
「関係がないと言っただろう!」
「そいつを殺せば、お前が捕まっちまうだろうが!」
 少しの間、にらみ合う。

「おめえら、早いとこ逃げな」
 コバルトの声。振り向くと、先ほどと同じ体勢だった。
「こいつは、俺が殺すよ」
「はあっ? 何を言ってんだよ。将軍に引き渡すんだろ」
 ペイルが言う。
「あいつは来ねえよ」
 コバルトが言った。そのまま、表情も体勢も変えずに続ける。
「あいつは、命令がないと絶対に動かない、そういう奴だ。いくら待っても来やしないさ」
 言って、ゆっくり顔をこちらに向けた。

「悪かったな。全部うそだったんだよ。初めから、お前等を囮にして、こいつの所にまで来て殺すのが、俺の目的だったんだ。お前等は、火さえ点ければ、とっとと退散するかなと思ったんだけどな」
 言っている意味を把握するのに、少し時間が掛かってしまう。
「まあ、今からでも遅くないから、窓からでも逃げな」

 少しの間。堪らず、といった風にペイルが声を上げた。
「お、え、はあ!? お前、どういう……いや、それより、逃げろって、お前はどうすんだよ? だいたい、殺すったって、じゃあ何ですぐに殺さない? あっ、殺せって意味で言ってるんじゃないぞ」
「こいつは、すぐに殺したんじゃ俺の気が収まらねえ。時間を使って、ゆっくりなぶり殺してやる」
 コバルトが、殺気を放った。
 パウダーの顔が、再び青くなる。
「う……」
 ペイルが口ごもった。セピアも、気が押されてしまった。

 少しして、廊下の方が、騒がしくなってくる。
「早く行け」
 コバルトが言う。
「で、でもよっ」
「さっさと行けって言ってるだろう!」
 コバルトが、パウダーの後ろ襟を掴んで立ち上がった。

「やめろ、コバルト」
 突然、静かな声が割って入ってくる。静かだが力強い、聞いたことのない声だった。
 コバルトが、驚いたように目を広げる。
 思わずセピアは、部屋の入り口の方を見た。

「君の手を、そのような男の血で汚すなど馬鹿馬鹿しい」

 入り口に現れたのは、黒い髪の具足姿の男だった。




     

 いきなりの出来事だった。


 シエラは、セピアやペイルを追って、館内を走っていた。

 ついさっき突然、軍勢が館内に突入してきた。
 シエラは、一瞬身構えたが、兵士達は、シエラを無視するように素通りしていき、パウダーの私兵連中を、次々と制圧していった。
 呆気にとられた。

 その後、シエラは三階に向かって駆けたが、特に止められることもなかった。あちらこちらで、私兵達が、取り押さえられていた。
 不思議な気分のまま、三階の目的地に到着する。

 入れ違いで、口ひげの男が数人の兵士に連行されていた。それと、入れ替わるように、部屋に入る。
 すぐに、見知った顔が見えた。
 ペイルとセピアが、呆然と突っ立っていて、その奥には、コバルトもいた。他には、兵士が数人いるようだ。
 最後まで見回すと、入り口側の壁際にいた男に目が止まった。
「あっ」
 思わず、声が出てしまう。男と目が合った。
 ボルドーだ。何も言わず、腕を組んでいた。

「フーカーズ将軍、屋敷内の制圧、完了しました」
 部屋に入ってきた兵士が言う。
 フーカーズ?
「分かった。すぐに撤収する。後は管轄軍に任せる」
 部屋にいた一人の、兵士が言った。
 目が鋭く、黒の短髪だ。この男がフーカーズなのか。
 想像していたよりも、線が細く、背が低いと思った。ペイルと同じぐらいか。
 ただ、手練れではあるだろう。実力は分からないが、それだけは分かった。

「では、ボルドーさん。私は、これで」
 フーカーズが、ボルドーに言った。
「ああ、助かったよ」
 ボルドーが答える。
「じゃあな、コバルト」
 フーカーズが、歩きながら、奥にいるコバルトに言った。
 コバルトは、何も言わず、フーカーズを見ている。
 部屋にいた、兵士達を引き連れて、部屋から出ていこうとする。

 ふと、フーカーズが、入り口の所で足を止めた。
 入り口の近くにいた、シエラの方に目を向けてきた。
 束の間、目が合った。
 そして、再び正面を向いて、足を進め始めた。

「そうか……」
 フーカーズが、そう呟いたのを、シエラは微かに聞いた。
 そして、部屋を出ていった。

 部屋に、五人だけになった。
「あ、あの……ボルドーさん」
 少しの沈黙の後、ペイルが口を開いた。
「ああ、ペイル。言い訳があるなら聞くぞ」
 腕を組んだまま、ボルドーが言った。
 怒っている。
 ペイルは、たじろいで黙った。
「お前達三人には、諭すだけでは利きそうにもないようだから、ちょっと説教をしてやらんといかんな。覚悟しておけよ」
 ペイルが、苦笑いのような顔をした。
 シエラも、少し緊張した。怒ったボルドーは怖い。

「お前もしてやろうか? コバルト」
「勘弁してくれよ、旦那」
「えっ?」
 ペイルが、声を上げた。ボルドーとコバルトを見比べる。
「ああ……成る程、こいつら旦那の連れだったのか。道理で腕が立つわけだ」
 コバルトが言う。
「それに、あの堅物を動かしたのも、旦那ってわけだ」
 ボルドーが少し苦笑する。
「あいつは変わっていたよ。昔ほど頭が固くない」
「知り合いだったんですか? 二人は」
 ペイルが言った。
 わずかにボルドーが頷く。
「それに、ボルドーさん。さっきのやり取り、将軍とも知り合いだったということですか?」
 ペイルが、食いつくように聞いた。
 シエラも気になっていた。

 ボルドーが、目を閉じる。少ししてから、目を開いた。
「このことを黙っていたことに関しては、わしに非があるのだろうな。先に謝っておこう」
 ボルドーは、組んでいた腕を解いた。
「お前達が言っていたように、わしは昔、スクレイの十傑と呼ばれていた」
 ペイルは、緊張したように聞いている。
「ただ、十傑などという大層な名は、勝手に言われるようになったのだがな。自分達で名乗った覚えはない」
「そう……ですか」
 言うとペイルは、黙った。
 あれほど、興味がありそうだったのに、何故か、それ以上は何も聞こうとしない。シエラは不思議に思ったが、それ以上に聞きたいことがあった。

「カラトも……?」
 ボルドーが、ゆっくりと視線をこちらに向ける。
「……ああ、そうだ。カラトも十傑の一人だった」
 不思議な緊張感が起こった。シエラは、黙った。

「カラト? って前にシエラちゃん言ってた……あの、もしかしてコバルトも?」
 ペイルが言うと、ボルドーがコバルトを見る。
 全員の視線がコバルトに集まった。
「俺は、ちげえよ」
 コバルトが、手を振りながら言った。

 少しして、ボルドーがセピアを見た。
「どうした? セピア」
 俯き気味だったセピアの顔が少し上がる。
「ずっと、反応が鈍いな」
「あ、いえ……その、なんだか気落ちしてしまって」
 セピアが、言う。
「あっ」
 ペイルが声を上げる。
「シエラちゃん」
「あ、はい。屋敷の外に」
「何だ、どうした?」
 ボルドーが言う。
 ペイルが、セピアを見た。
「あの子供、生きていたんだよ」
「えっ?」
 セピアが、目を広げた。
「お前が、地下牢を飛び出した直後にな、小さい呻き声が聞こえてよ。牢を開けて、中を探したら、一人だけ生きてる子供がいたんだよ。お前が先走りそうだったから、俺だけ先に、お前を追っていって、シエラちゃんに子供を任せたんだ」

 セピアは、呆然といった顔をしていた。










 子供は、青い顔をして震えていた。当然だろう、あんな部屋にいたのだから。

 フーカーズ軍が、突入してきた直後だったので、ある程度の交戦は覚悟していたシエラだったが、難なく移動できた。
 とりあえず、連れている子供はどうしようかと考えながら、ふと屋敷の窓から外を見ると、門の陰から中をのぞき込んでる男達が見えた。
 コバルトの仲間だった四人だ。
 シエラは、すぐに外へ出ていき、彼らに子供を託して、屋敷に戻ったのだった。

「お前等」
 シエラ達が、屋敷から出ていくと、男達にコバルトが、呆れるように言っていた。
 どうやら、屋敷で騒ぎが起こったのが気になって、様子を見に来たらしい。

 その後、話し合って、子供は彼らが預かってくれることになった。
 セピアは、子供と少し顔を合わせただけだった。

 その後、宿に向かって歩いた。
 空が、少し明るくなってきていた。
「旦那……宿の主人だけどな。何年か前に、パウダーの野郎に追われてた奴を匿っていたのがバレちまって……」
「そういう類のことだろうとは思っていたがな……」
 ボルドーと、そういう会話をしていたコバルトは、町の路地を歩いていった。

 宿に戻ると、すぐに寝台で横になったが、なかなか寝付けなかった。

 結局、次の日は一日中、三人はボルドーの前で正座することになった。










 さらに次の日、イエローの町を出発することになった。
 早朝、宿を引き払って、四人で町を北に向かって歩いた。
 町の様子は、何も変わっていないように、シエラは感じた。
 町の暗さの原因が、あの男だけではないということなのか。あるいは、そうすぐには変化がないものなのか。
 あの夜も、屋敷に来たのは、あの四人だけだった。

 町から延びている街道に乗って、少し進んだ所で、ボルドーが横道に入っていく。
「ちょっと、見ていこうか」
「何をですか?」
「来れば分かる」

 四人で横道を進み、緩やかな坂を上ると、眺めのいい丘の上にでた。
「おお」
 ペイルが声を上げた。

 丘の下、広い平地に軍勢が展開しているのが、すぐに見えた。その向こうは、森が広がっている。
 これだけの人間が、密集しているのは初めて見た。ラベンダー村の住人よりも多そうだ。
 森に向かって、一つの集団が離れている。全員騎馬のようだ。残りの大勢は、それを遠巻きにするようにして、大きい半円形に展開していた。
 用兵は知らないが、不思議な配置だと、シエラは思った。

「あれ? コバルト」
 ペイルが言った。ペイルの視線の先を見ると、四人から少し離れた所に大きな岩があり、その上に、コバルトが興味なさそうに寝そべっている。
「少しだけだがな、あいつが着いてくるが、いいか?」
 ボルドーが言う。
「はあ、俺は別にいいですけど」

 その後、四人で軍を眺めていた。
「あの、離れている部隊だけ、質が桁違いに高いですね」
 セピアが、指を差して言う。
「ほう、分かるのか」
「馬と馬との距離が、かなり近いのに、まったく乱れてない。それに、さっきから余計な挙動がまったくない」

 すると、森の方が騒がしくなり始める。物を叩く音が響き、木々が、揺れる。大きい方の軍から声が上がる。
 少しして森の中から、数人、兵士が飛び出してきた。
 それに続くように、数頭の猪獣が森から飛び出してきた。
「うおっ」
 ペイルが声を上げる。
 次から次に、猪獣が飛び出してくる。そして、木をなぎ倒しながら、巨大な白い猪獣が現れた。
「うっわ!」
 通常の猪獣の三倍は大きい。周りに、猪獣を従えるようにして、突っ込んでくる。
「何だ、あれは」
 セピアも、声を上げる。

 大きい方の軍は、浮き足だっているようだった。猪獣の群に近い、小さい方の軍は、まったく動かない。
 すると、その軍の真ん中辺りから、一本の剣が上に突き立てられるのが見えた。
 フーカーズだ。
 遠くて識別はできないが、シエラはそう感じた。

 次の瞬間、小さい方の軍、騎馬隊は二つに分かれて猪獣の群に向かっていった。猪獣の突進線上のわずか外に出て、反転する。猪獣の群を挟むように併走しながら、群の外側から攻撃を始めた。

 シエラは、ラベンダー村の山中で、小さい猪獣を見たことがあった。猪獣は、急に方向転換ができない。ああされては、うまく反撃ができないだろうと思った。

 猪獣の群が、少しずつ横に方向を変えようとする。騎馬隊は速度を落とし、群の後ろで一つにまとまり、猪獣の群の横腹に突っ込んだ。
 群が、完全に崩れた。あっという間に、騎馬隊は、白い猪獣を取り囲んで、集中攻撃を始めた。
「すげえ……」
 ペイルの声が聞こえる。

 見る見る、白い猪獣の速度が落ちる。やがて、ゆっくりと音を立てて白い猪獣は倒れた。
 すると、取り巻きの猪獣達は、一目散に森の方に走っていった。
 大きい方の軍から歓声が上がった。そこから次々と、猪獣を追って走り出す者がいた。
 騎馬隊は、一つにまとまっている。追撃には関心がなさそうだ。

「行くぞ」
 ボルドーの声がして振り返ると、すでに道を二十歩ほど、先をいっていた。コバルトは、さらに向こうを歩いている。
 ペイルとセピアが、慌てて後を追った。シエラも、走りだそうとした。

 ふと、もう一度、騎馬隊の方を見た。

 部隊の中央で掲げられた剣が、日の光りを反射して、輝きを放っていた。




       

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