Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
過去編3 勧誘

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 地面の感触が変わった。


 ダークは、少なからず驚いた。

 ダークとカラトは、スクレイの南東付近にいた。
 砂漠と呼ばれる大地が、見渡す限り広がっている場所で、木々が少ない。この先、かなりの距離がこうなっているらしい。
 そこを通り、遙か遠くの国々で商いをする集団があるという。その集団が集まっている町があり、カラトはそこを訪ねようとしていた。
 この辺りは、兵が少なく、どこの国に対しても帰順意識が少ないように思えた。

 ボルドーとの戦いの後、二人は領内に入ってきていたユーザ軍を避けるように迂回して、南東に向かった。率いていた軍は、一時的に本隊に戻した。
 そういう権限が与えられたのも、カラトとフォーンが画策していた通り、スクレイに新王を立てたからだった。
 フォーンが、どういう方法を使ったか、王宮庫に入り、証拠となる資料を集めたようだ。
 都から離れた場所に住んでいた、無名貴族の一人息子がその男だった。両親はすでにいないらしい。
 フォーンは、すでに前々から接触をしていたようで、彼はすぐに王に近い役職に配置されることになった。
 当然、その王の即位に反対する意見もあったが、現時点で都に残っている連中は、断固徹底抗戦という者が多いので、中心の旗印となってくれる存在はありがたいはずだ。結局、二人の画策は成功したことになった。
 ダークも、少しだけその王の顔を見たが、おどおどしていて、気骨の欠片も見えなかった。
 ただ、その人間の質は関係ないと二人は言うだろう。
 王とは、そんなものなのか、という思いしかなかった。即位の儀式も、簡易なものだった。

 それよりもダークは、カラトとボルドーの戦いを思い出していた。
 なかなかに見応えがある戦いだった。自分が加われなかったのが悔やまれる。
 当然戦いたかったが、直前カラトが自分が戦うと言ったのだ。ダークが戦えば、ボルドーを殺してしまいかねないと言われた。
 それにダークは、とりあえずこの戦争が終わるまでは、この男に従っていようと考えていた。結局、おとなしく引くことにしたのだった。

 ダークは、意識を前方に戻した。
 カラトは、何人か商人の中に顔見知りがいるようで、今はある宿舎の前で、日に焼けた肌の中年の男と立ち話をしている。
 ダークは、少し離れた所から、それを見ていた。
 少しして、宿舎から、一人の女が顔を出した。
「あれ、久しぶりだね」
 女が、カラトを見て言った。
「やあ」
 カラトが言う。
 赤茶色の髪の若い女で、一目で実力者だと分かった。カラトが勧誘したいと言っていたのは、こいつなのだろうと思う。
「ちょっと、いいかな?」
 カラトが女に言う。女が、少し首を傾げた。





 町の中の高台に三人は向かった。周りに人気はない場所だ。
「彼女はグレイ、商団の護衛をしている人だ。何年か前に、ちょっとだけお世話になったことがあってね」
 カラトが、女の紹介をした。
「その格好……君って軍人だったんだ」
 グレイが、カラトを見て言う。
「今はね。前に会ったときは違ったんだけど」
「ふうん、でもまあ今は大変だ。こんな所で油売っていていいの?」
「今だからこそ、必要なのさ」
 一つ間を置いてから話し始める。
「グレイ、俺たちと一緒に戦ってほしい。それを言うために、今日ここに来たんだ」
 カラトは、毎度お馴染みの話を始めた。特に変化はない。

 聞き終わると、グレイは少し苦笑いをした。
「言っておくけど、俺は本気言ってるんだよ」
「いや、ごめんごめん、そういうことじゃなくて」
 一つ間を置く。
「君がしようとしていることは立派なことだとは思うよ。すごいことなんだろうと思う。だけど、私には無理だね。見ず知らずの他人のために命を懸けるなんてことは」
 グレイは、肩を竦めた。
「それに、国に対する愛国心っていうのかな。私には、それもないしさ」
「グレイ、君はスクレイの出身だって、前に言ってたよね」
「生まれた所はそうだって話。だけど、私は商団の護衛で、あっちこっち行ったり来たり。あんまりスクレイの国民だって、意識させられることは今までなかったんだ」
 言うとグレイは、あった岩に凭れる。
「君の志に水を差したくはないけど……やめておいた方がいいと思うけどな、私は」
 少し俯いて言う。
「話で聞いた情報でしかないんだけど、戦力的に勝ち目はないと思うよ。むざむざ死ににいくなんてことは、やっぱりおかしいと思わない?」
 カラトは微笑む。
「勝ち目がない、だから戦わない。それで済む、という事にはならないんだよ。国に住む人というのはね」
「それは、そうかもしれないけど」
「それに、俺は勝てると思っているし」
 グレイは、首を捻って唸る。
「このままスクレイが滅びると、商団の商いにも悪影響が出るんじゃないかな。それは、グレイも困るでしょう」
 カラトが言うと、グレイは吹き出した。
「それって、すごく身近な動機でしょ」
「そう、それでいいんだよ。グレイも、自分のすぐ近くの誰かを助けようとか、守ろうとか、そういう気持ちはあるだろ? そういう単純だけど、純真な心が多く集まったとき、大事業ってできると俺は思ってるんだ」
「分かったような、分からないような」
 再びカラトは微笑んだ。
「まあ強制はしないし、できないさ。俺も、参加してもらうからには、本人が納得できる動機があってほしいし」
 グレイは、カラトを見る。
「私に加わってほしい?」
「そりゃ、もちろん」
「ふうん」
「まあ、考えておいてよ。クロス軍と本格的にぶつかる前に来てもらえればいいから」
「そんな簡単でいいの?」
「さっきも言ったけど、本人に納得できる動機があってほしい。それが、ない人に、どれだけ説得をしてもしょうがないからね」
 グレイは、考えるような仕草をする。
「それじゃあ」
 言うと、カラトは歩く。ダークは、それに付いた。

 グレイは、遠くの方に目線を向けていた。










 西に向かった。

 中規模の町があり、二人はそこに入る。前線ではないが、一応少数の兵が駐屯しているようだ。
 真っ直ぐ兵舎に向かった。話が通っていたようで、すぐに応対室のような部屋に案内された。
 カラトは椅子に座り、ダークは壁際で立っていた。
 やがて扉が叩かれる。部屋に入ってきたのは、薄汚れた軍装を着た、黒い短髪の男で、脇には兜を抱えていた。見たことのある顔だった。
 カラトは、男を椅子に座るように促す。男は、一礼して着席した。
 随分真面目な男だと、ダークは思った。
「貴方が、フーカーズさん?」
 カラトが言う。
「はい」
 男が言った。歳は三十ぐらいか。落ち着いた、それでいて力のこもった目をしている。
「心気を使えますよね。どこで鍛錬を?」
「故郷にあった兵舎で。そこに、幼い頃から通っておりました」
「へえ」
 フーカーズは、相手が明らかに年下なのだが、敬語を使っていた。相手の位が上だからなのだろうか。
 その後も、二、三の質疑応答を繰り返した。

「此度の戦争を、フーカーズさんはどう思いますか?」
 カラトが切り出す。
 フーカーズは、少し間を置いた。
「どう、と問われましても、一軍人である私には、何とも答えられません」
「そうか。じゃあ、質問を変えます。もしも貴方がスクレイ軍の指揮官なら、どう戦いますか?」
 また、少し間。
「……私なら、まず軍の体勢を組み替えます。地方にいる将校で優秀な人は多い。彼らを、前線で自由に戦わせるしかないでしょう。ここまできたら、それぐらいの思い切りしか方法はないと思います」
「同じです。俺の考えと」
 カラトが、にこりと笑った。
「フーカーズさん、貴方が戦いたいように戦える場を用意します。是非、俺たちと一緒に戦って下さい」
 フーカーズは意外そうな顔をする。
「それは、どういう……」
「貴方は、貴方自身の能力をよく分かっていない。それは、それを発揮できる場に巡り会えなかったからだと思います。話していて分かりました。貴方は軍を指揮する人間だ」
「私は、前線に呼ばれもしなかった下級将校ですよ」
「勿論、戦いたくないというのなら、それもいいです。それで処罰するつもりはありません。もし、戦う気があるというならの話ですので」
 フーカーズは、考えるような顔をする。
「気持ちがあるのなら、いつでも来て下さい」
 言うと、カラトは立ち上がる。そして、部屋を出る。
 ダークも続いて部屋を出た。去り際にフーカーズを見る。

 フーカーズの、目の色が変わっていた。
 ダークには、そう見えた。




     

 とある町に入った。


 カラトから事前に何も聞かされていないので、どこに行くのか、どういう者に会いに行こうとしているのか、ダークには分からなかった。
 誰かに会うのだろうと思い、どこかの町に入ると突然、見たかっただけだ、などとカラトが言うことも何度かあった。
 たまに、この男は精神が安定していないのかと思う。

 今回は、町の兵舎に向かった。ということは、次の勧誘は軍人だろうか。
 入ると、まず兵にぞんざいに扱われるのはいつも通りだ。二人とも、見た目は格があるようには見えないだろう。少し話をすると、態度ががらっと変わる。

 話が終わり、一人の兵に案内されて、二人は地下に入った。
 こんな所に、誰がいるというのか。
 薄暗く、湿気が多い。十中八九、地下牢だろう。

 やがて、鉄格子が並んでいる場所まで来た。
 ある一角で、立ち止まる。
 中を覗くと、奥の方で、誰かが俯いて胡座をかいているのが見えた。
 薄汚れた服を着ていて、頬が痩けている。無精髭が顔の半分を覆っているようだ。こめかみの辺りに、大きな刃傷の後があった。

 カラトが、一歩格子に近づいた。
「こんにちは」
 中の男は、少し視線を上げた。
「貴方が、デルフトさん?」
 カラトが言った。男は黙って、上目遣いでカラトを見ている。
「おい、まさかこいつか?」
 思わずダークは言った。
「そうだよ」
「囚人だぞ」
「そうだね」
 ダークは、案内をした兵を見る。
「こいつの罪は何だ?」
「殺人です」
 カラトに視線を戻す。
「本気か?」
 カラトはデルフトを見ている。
「デルフトさん、俺たちと一緒に戦ってもらえませんか?」
 カラトが言う。デルフトは微動だもしない。
 カラトは、そのままいつもの話を始めた。
 話が終わっても、デルフトは、まったく動かなかった。

「喋れないんじゃないか?」
 ダークは言った。カラトは、兵を見る。
「道具か何かで口を塞いでいるわけではありません。ただ、我々も話しているところは見たことがないのですよ」
「やはり喋れないんだろうよ。もしかしたら、耳も聞こえていないんじゃないのか?」 
 カラトは、しゃがんでデルフトを見る。
「返答を聞きたいのですが……」
「何故、私だ」
 低い声が響いた。一瞬、誰の声か分からなかった。
 デルフトが喋ったのだ。予想以上に滑舌も良かった。
 カラトは微笑む。
「ある程度、貴方のことは調べさせてもらいました。貴方ならば、大いに戦力になると思ったからです」
「私は、囚人だ」
「たしかに。罪は罪として罰されてはもらいます。しかし、我々に協力してもらえるなら、減刑も可能でしょう」
「減刑など必要ない」
 デルフトが言う。何だこいつはと、ダークは思っていた。
「ならば、減刑も恩赦もなしに協力してください」
 カラトが言った。
「協力してもらえるなら、刑の執行を早めましょう。あなたの希望通りにね」
 デルフトは、カラトを見ている。
「どうですか?」

 少しの間。
「何だ、お前は?」
 デルフトが言うと、カラトは笑う。いつもの笑顔だった。

「ただの、カラトです」










 二人は街道から離れ始めた。

「今度は、どこへ行くんだ?」
 カラトは前方に指を向ける。
「あの山だよ」
 前方に、いくつか連なった深緑の山があった。それほど大きいとは思えない。
「隠者にでも会いに行くのか」
「まあ、似たようなものかな」

 二人は、そのまま山に向かっていった。
 ある程度近づくと、ダークは人の気配を感じた。
 一つや二つではない。かなりの大人数だ。
 ダークは、カラトの顔を見た。カラトは、何食わぬ顔をしている。

 人が踏み分けて作ったような道があった。そこに入ろうとすると、男が数人茂みから現れた。
 薄汚れた服を着ていて、刃物を持っている。当然、山賊だろう。
「何だ、てめえらは」
「君達の頭領に会わせてもらえないかな?」
 カラトが言った。
「軍人が私事で来たって言ってもらえればいいから」
「何言ってんだ?」
「死にたくなかったら、消えな」
 別の男が言う。
「聞いて来てもらうだけでも駄目かな?」
「あ?」
 カラトが言うと、三人の男が、目つきを悪くして近づいて来た。
 二歩の所まで来たら、斬り殺すか。ダークは、持っている剣の柄に手をかけた。
「待った」
 突然、男達の中で一番後ろにいた、年配の男が言った。
「誰か、聞くだけ聞きに行け」
 他の男達が、困惑気味に年配の男を見る。
「どうしたんだよ?」
「俺たちじゃ束になっても、そいつらに勝てねえよ」
 男達が、こちらと年配の男に、視線を行ったり来たりさせた。
「でも、俺たちが兄貴にどやされちまう」
「そんときゃ、俺が取りなしてやるよ」
 少し躊躇った後、一人が奥に走っていった。
「どうも、ありがとう」
 カラトが男に言った。
「頭が会わねえって言ったら、大人しく帰れよ」
「そうする」

 しばらく、そのまま待つ。
 やがて、男が戻ってきた。
「通せってさ」





 山の中腹辺りに広場があり、小屋があった。その周りに、男達が百人ほどいた。
 男達に注視されながら、二人は小屋に入った。

 奥に、どっしりと座っている男がいた。かなり背が高そうだ。
「コバルトさんですね」
 カラトが言う。
「誰だ、あんたら?」
 低い声で聞き返してくる。ある程度、警戒しているようだ。
「スクレイ軍で、一応将をさせてもらっている、カラトという者です。で、こっちが同僚のダーク」
「ほう」
 コバルトという男は、こちらを一通り観察していた。
「たった二人でと聞いて、大した度胸だなと思っていたが、そういうことでもなさそうだな。あんたら二人の手にかかれば、この山を無人にできそうだな」
 で、と言葉を続ける。
「何の用だ? 私事だとか」
「コバルトさん、俺たちと一緒に、国を守るために戦って下さい」
 コバルトの目が丸くなった。
 それから、笑い始めた。
「あんた、ここがどこだか知ってる?」
「山?」
「わざと言ってんのか?」
 カラトが、軽く笑む。
「山賊に、何を言ってるんだってことだよ」
「ただの山賊ではないでしょう?」
 カラトが言うと、コバルトの眉が少し動いた。
「積極的に民を襲ってはいない。襲うのは、私腹を肥やしている商人や役人ばかりだ。この辺りの民の間では義賊なんて呼ばれているらしいですね」
 コバルトは、不機嫌そうに横を向いた。
「それに、最近は、この辺りに入ってきているユーザ軍と戦っているらしいですし」
「てめえら、官軍がだらしねえからだよ」
「それは面目ないです」
 カラトは笑った。
「だったら是非、あなたが来て、官軍に一喝入れてください」
 コバルトが、カラトに視線を戻す。
「本気か?」
「勿論」
「はは、山賊にまで手を伸ばすとは、よっぽど切羽詰まってるんだな」
「ただの山賊でしたらね」
 カラトが言うと、コバルトの動きが止まった。
 それから、鋭く睨みつけてくる。なかなかの威圧だった。
「どこまで知ってやがる?」
「少しだけ」
 二人が言っている。当然、ダークは何のことか分からない。

 少しの沈黙の後、コバルトは息を吐いた。
「ここにいる奴らはどうなる?」
「戦う意志があるなら、戦陣に加わってもらっても構いません。そうしてもらった人の前科は取り消してもらえるよう、上の許可は貰ってあります」
「なるほどな……」
 言って、顎に手をやった。

「では、考えておいて下さい」


 カラトは踵を返した。




     

 都の方向に向かった。


 勧誘の町巡りが始まって、もう十日は越えている。
「こんな長く戦線を離れていていいのか?」
「当分はね。今、注意する必要があるのは、クロス軍の本体だけだし。南下してきたら、すぐに、連絡がくるようにはしているから」
 ダークの疑問に、カラトは、そう答えた。

 都の近くの、大きな町に入った。
 大通りの店は殆どが開いている。人も、疎らだがいる。こんな状況だというのに、ご立派なものだと、ダークは思った。
「さて……」
 言うとカラトは、大通りから外れて、奥に入った。
 場の雰囲気が変わる。この雰囲気を、ダークは知っていた。おそらく妓楼か、その類だろう。
 ダークも、山に住んでいたころに、通っていた町で行ったことがあるのだ。
 こんな所も、こんな状況でも商売は続けなければならないのだな。

 カラトは、大きめの店に入った。
 男が応対に出てくる。
「グラシアさんに会いたいのですが」
「ああ……お客さん。彼女は、なかなかに値が張りますよ」
 客に対して、そういう対応をするのも、こちらが金を持ってるようには見えないからだろう。
「いくらですか?」
 男が、何本か指を立てた。
 カラトが、少し考える仕草をする。
「分かりました。払います」
 男の目が見開かれた。





「なかなかに、愉快なことをするな。フォーンから貰った軍資金で、女遊びとは」
 ダークが言うと、カラトがこちらを見る。
「別に、悪いとは思っちゃいないさ。むしろ、見直すところができたと思っていたところだ」
「いやいや、ちょっと待って。違う違う。勧誘だよ、勧誘」
 慌てて、カラトが言う。
「勧誘?」
「そうそう」
「こんな所に、誰がいるっていうんだ」
「それが、いるんだよ」
 二人は、入り口の近くの一室で待たされていた。
「だったら、金を払う必要があるのか?」
「会うのが難しい人だからね。こういう所は、正攻法でいったほうが手っ取り早いと思ってね」

 しばらくして、先ほどの男が呼びに来る。
 男に案内されて、妓楼の奥に入った。こんなに奥行きがあったのかと思うほど進む。やがて、一つの部屋の前にたどり着いた。
 二人は中に入った。
 部屋の奥に、窓があり屋外が見えた。ダークは、建物の構造を考えたが、どこがどうなっているのか分からない。
 窓から、外に床が出っ張っているようで、そこを囲うように柵がある。そこに女が一人、外の方に顔を向けて腰掛けていた。
 栗色の長い髪が、頭の後ろで纏められている。年齢は、二十代の中頃辺りか。手には、細長い棒を持っている。そこから、不思議な煙が上がっていた。
 成る程、横顔しか見えないが、確かに美形という顔なのだろう。

「こんにちは」
 カラトが言った。
 女は反応しない。
「グラシアさんですね」
 女が、こちらを一瞥した。
「俺は、スクレイ軍に所属しているカラトという者です」
 女は、細い棒をくわえる。
「俺たちと一緒に国を守る為、戦う気はありませんか?」
 当然、ダークは驚く。今回の勧誘相手は、この女なのか。
 そんなことはお構いなしに、カラトはいつもの話を始めた。

「いい趣味とは言えないわね」
 話し終えた後の、女の第一声だった。ゆっくりとした口調だ。
「趣味?」
「そういうことでしょう」
「違います」
「はあ?」
 女が、意地が悪そうに笑う。
「できれば、ここではない場所で会いたかったのですが……ここという場所のことは、一端忘れて聞いてほしいのです」
「それを私に言うか」
 カラトが、口を噤んだ。
 いつものごとく、話しについていけない。
「もしも真面目に言ってるんだとしたら、話す相手を間違えていると思うけど?」
 それは、ダークも同感だった。
「実力がある。そして、スクレイの民である。それさえ揃っていれば、どんな身分、役職であっても問題ではありません」
 カラトが言うと、女は、薄ら笑いを止めた。
「……あなたが問題にしなくても、他の誰かさん達は、問題にするでしょう?」
「そういうことを変えるために、あなたが戦えばいいのです」
 女は、もう笑っていない。カラトを睨みつけるように見ていた。

 少しして、目線を外に戻す。
「もしも、その話が嘘だったら、あんたを後ろから射殺してやるよ」
 カラトは笑った。










「とりあえず、当初予定していたのは、これで最後だ」
 二人は、都の中にいた。

 大きく豪勢な屋敷が並んでいる一角だった。話を聞くと、貴族の住宅街らしい。
 今は、人の気配がまったくなかった。
「今、勝手にここに住んでも、誰も文句は言えんだろうな」
 窓から中を覗くと、何もない家と、ごちゃごちゃに荒れている家がある。
「貴族の人が逃げる時に、金目の物は全部持ち出したみたいだね。なにか残されてた家は、誰かが入って荒らしたみたいだ」
「逃げるねえ……王族といい高官といい、どこへ逃げるというんだか」

 さらに道を進んだ。
 突き当たりに、一際大きい屋敷があった。当然、そこにも人の気配は感じない。
 カラトは、屋敷の正面扉までくると、扉を叩いた。
 しばらく沈黙。
「誰かがいるのか?」
「さあ」
「さあ?」
 窓を覗く。他の家同様、高価そうな物は見えない。人の生活感もなかった。ただ、荒らされてはいないようだ。
 カラトが、もう一度、扉を叩いた。
 やはり、無反応だった。
「うーん」
 カラトが、辺りを見回す。
「どちら様かしら?」
 突然、上の方から、若い女の声がした。
 二人は、数歩下がって、屋敷の上方を見る。
 人の姿は見えなかった。
「突然、お邪魔してすいません。自分は、スクレイ軍に所属しているカラトという者です。スカーレットさんに会いに来たのですが、ご在宅でしょうか?」
 大きめの声で言った。
 再び、しばらくの沈黙。
「鍵は開いているはずです。どうぞ、お入りになって」
 また声がした。
 今度は、扉の真上の二階から聞こえたことが分かった。
「では、お言葉に甘えて、失礼します」
 二人は屋敷に入った。

 すぐに、大きな部屋に出る。いや、部屋ではないのだろう。扉が左右にいくつもあるのが見える。正面に大きな階段があって、それが途中で二つに分かれている。天井が、驚くほどに高かった。
 やはり、人の生活感は感じられない。いや、もしかしたら貴族の屋敷というのは、元々感じないものなのだろうか。
「とりあえず、さっきの声の所に行こうか」
 二人は階段を上がって、入り口の真上の方に向かった。
 部屋があったが、どこもほとんど物がなく閑散としている。本当に、こんな所に人がいるのか疑いたくなった。
 しかし、すぐに見つけた。
 おそらく、入り口の真上にあった窓だろう。その窓のすぐ側で、椅子に腰掛けている若い女がいる。その女の手前には小さな机があり、その上には、本やら、陶器やらが置かれていた。
 まるで、その一角だけで生活しているような錯覚に陥りそうな異質さだった。
 水色の髪が二つに纏めて、肩のすぐ下辺りまで流れていた。高価そうで、ひらひらした服装をしている。ダークが考える貴族らしい服装と、ほぼ同じだった。
 女は、近づく二人に一瞥もせず、本らしき物を見ていた。

「こんにちは」
 カラトが言った。
 女は、ゆっくりとした動作で本を閉じると、それを机の上に置いて、初めてこちらを見た。
「こんにちは」
 女が、少し笑みながら答えた。
「スカーレットさんですね」
「ええ。カラトさんは、あなた?」
「そうです。そして、彼はダーク」
「こんにちは」
 スカーレットが、こちらを見て言う。
「……」
「あら?」
 スカーレットは首を傾げた。
「すいません、彼は無愛想なんです」
 女は笑った。
「どうぞ、お座りになって」
 あった椅子に勧められた。
「それで、軍人さんが私に何の御用でしょうか?」
 カラトは、少し辺りを見回す。
「お一人で住んでいるんですか?」
「ええ、今は」
「ご家族は、どちらに?」
「さあ……南の方に避難すると言っていたので、おそらく、そちらの方でしょう。具体的な場所は分かりかねます」
「どうして、あなたは避難されなかったんですか?」
「その必要がないと思ったからです」
「必要?」
 一つ間。
「どうして、その家の者が、我が家を離れなければならないのでしょうか? その家の者なら、その家にいて当然でしょう」
「確かに、そうですね」
 二人が笑む。
 こいつら……。
「それで、家と共に心中しようってことかい。それが、貴族の美学とでも言うのか」
 ダークは、思わず口を挟んだ。
「心中などどは思っていませんわ」
 女が、こちらに目を移して、変わらない口調で言う。
「もし、賊がこの屋敷に入ってこようものなら、私が、賊を一人残らず切り刻むだけです」
 そう言うと、女は机の上にあった飲み物を優雅な仕草で飲んだ。
 ダークは呆気にとられる。カラトが笑っているのが見えた。
「スカーレットさん。この屋敷だけを守るのではなく、この国を守ろうという気持ちはありませんか?」
 カラトの言葉に、女は少し首を傾げる。
 そして、いつも通りの話を始めた。

「いくらあなたが強くても、国が倒されれば、この屋敷を守ることは難しいでしょう。それよりも、国を守るほうが手っ取り早い」
 それに、と言葉を続けた。
「それに簡単です」
 言うとカラトは笑う。女も微笑んだ。

「ちなみに聞いてもよろしいかしら? 私に声をお掛けになられたのはどうして?」
「実は、前々から興味があった人がいたんですが、その人の正体が誰なのか、ずっと分からなかったんです。それが最近、結構な情報網を使うことができるようになりまして、やっと誰なのか分かったんですよ」
 女の眉が、少し動いたのが見えた。
「それがスカーレットさん、あなただったということです」

 少しの間。その後、女は軽く溜息をついた。
「どこからどう漏れたのだか……私も、まだまだですね」
 カラトは笑う。

 そして、立ち上がった。




     

 北を向いていた。


 カラトは、腕を組んで簡易の椅子に腰を下ろして、じっとしている。ダークは、その横で立っていた。
 スクレイ軍の陣中である。今、スクレイ軍の中で一番北に位置しているのが、この軍だ。つまり、クロス軍が南下してきた場合にぶつかる位置にいるのだ。
 その陣の中の、小高くなっている場所に、カラトは椅子を運んで座っていた。もう数時間は経つだろうか。
 国境にいたクロス軍の本体が南下を始めたという情報が入った。
 そろそろ、どういう迎撃の仕方をするか、決めなくてはならないだろう。しかし、カラトはいつまで経っても動かなかった。
 さすがに、兵達も動揺を隠せなくなってきている。
 勧誘で回った連中は、一人も来ていない。

「おい、どうするんだ?」
 ダークが言っても、カラトは無言だった。
 しばらくして、伝令が駆けてくる。
「クロス軍が、半日の所まで来ているとのことです」
 言われて、カラトは目を瞑った。
「うーん」
「おい、誰も来なくても戦うのか?」
「そりゃね、そうだね。仕方がないよね」 
 とぼけた言い方だ。
「勝算はあるのか?」
「難しい戦いになることは間違いない。守りながらの持久戦しかないと考えている」
「逃げ場がなくなる戦いになるんだったら、俺は御免だぞ。俺が去り時だと判断した場合、すぐに約束だけ果たして貰う。いいな?」
 ダークが言うと、カラトがこちらを見る。
「冷たいなあ」
「当たり前だ」
 カラトは、ぎこちない笑いを作っていた。
 ダークは、そのカラトの反応に少なからず驚いた。本気で、不味い状況なのか。

「将軍」
 いつの間にか近くにいた兵が言った。
「将軍に会いたいと言っている者が来ているのですが……」
「えっ!」
 カラトが、勢いよく立ち上がる。
 今いる場所から百歩ほど先の所に、立っている七人の姿が見えた。





 間違いなく、勧誘をした七人だった。全員、装備がばらばらだ。スクレイ軍の、統一した軍装の中だけに、よく目立つとダークは思った。
 感慨深そうな顔をして、カラトはそこに近づく。
「みんな、ありがとう」
 まず、そう言った。
 全員が、カラトを見た。
「え? 戦いはこれからでしょう」
 グレイが言った。腰に、剣の柄が二つ見える。二刀使いなのだろうか。
「まあそうだけど、嬉しくてね」

「あの……」
 不愉快そうな顔をしたグラシアが、少し手を挙げた。背中に少し大きい弓を担いでいるのが見える。
「もしかして、あんたが言っていた強力な仲間って、こいつらのこと?」
「そうですよ」
「本気か? 全然頼りになりそうに見えないんだけど」
 言いながら、他の人間を見渡す。

「まず、あんた。何だ? その格好」
 言われたスカーレットは、少し首を傾げた。
 他の人間は、色はばらばらながら、全員くすんだ色の軍装をしている。それに対しスカーレットは、全身銀色の特に目立つ軽装の鎧を着ていた。以前見た服装の上から着けた様な、見たことのない鎧だった。
「私の格好、どこかおかしいですか? これは、代々我が家に伝わる由緒正しき甲冑なのですが」
「戦を舐めてるっていうことが、すぐに分かるわ。そんな派手なだけの装備。どこの貴族よ?」
「私は、スカーレットと申します。以後、お見知り置きを」
 会話が成り立っていないからか、グラシアが眉をしかめて目線を変えた。

「それから、あいつは戦う気があるのか?」
 言われたのは、デルフトだった。一人だけ、軍装をしていない。服こそ着替えてはいるが、無精髭もそのままだった。
「デルフトさん。装備はこちらで用意しましょう」
 カラトが言うと、デルフトは微かに頷いた。
「髭も剃りますか?」
「いや……」
 呟くように言った。

 無視をされた格好のグラシアは、息を吐く。
「とにかく、私はてっきりスクレイ軍の有名な将軍とかが、ずらっと揃っているのを想像してたわけ。こんな、どこの仮装集団か分からないような奴らに命を預ける気はないわ」
「がたがた五月蠅いな、姉ちゃん」
 言ったのは、コバルトだ。背中に、長い柄の武器を背負っている。始めは槍かと思ったが、刃が付いてない。どうやら、鉄の棒のようだ。
「眉間に皺を寄せちゃあ、せっかくの美人が台無しだぜ」
「あのねえ、これは死活問題なのよ。いろいろ気にしたくなるのも当然でしょう」
「一回、戦をすれば、実力なんてもんは嫌というほど分かるさ」
「そういうことです」
 カラトが言った。
「不満を言うのは、一度戦ってみてからでも遅くないはずです。もしも、あたな方の期待に添えないような隊だと思われるのなら、その時はすぐに軍を離れて貰っても構いません」
「相変わらず、大した自信だね」
 グラシアが言うと、カラトは笑った。

「この九人が揃った。俺は、これが歴史の一つの大転機になると思う。おそらく現時点で、この九人こそスクレイで最強の部隊だからだ」





 その後、九人は本営の幕舎へと移動した。
 そこでカラトは、クロス軍迎撃の作戦を説明する。勧誘した者が、来た場合に考えていた作戦のようだ。
 何人かは、少し顔色を変えていた。

「本気なの?」
 グレイが言う。
「当然」
「馬鹿なのか?」
 コバルトの言。
 カラトは微笑んだ。
「何か、今の内に言っておきたいことがあるなら言っておいて下さい」
「いや、だから……」
「自分が指揮をする部隊を選抜してもいいでしょうか?」
 フーカーズが、初めて発言をした。軍装は、以前会ったときと同じだ。
「いいですけど、二時間ぐらいしか時間がないのですが……」
「十分です」
 フーカーズが言い切る。
「さっそく、始めたいのですが」
「では、どうぞ。ここにいる兵達は、好きに編成してもらっても構いませんので」
 一礼して、フーカーズは幕舎を出て行った。

「ボルドーさんは、何か意見はありませんか?」
 カラトが言うと、全員の視線がボルドーに集まった。
「えっ? ボルドーって……」
「あの鉄血のボルドー?」
 ボルドーは、目立たない位置に立って腕を組み、少し俯いて目を閉じている。集まった時から、そうしていた。
 装備は、前に見た時と同じだ。背中には、あの偃月刀が見える。
「まあ」
 声を上げたのは、スカーレットだった。ボルドーに近づいて行く。
「貴方が、かの有名なボルドー将軍でしたか。知らなかったとはいえ、挨拶が遅れました。私はスカーレットと申します。お会いできて、光栄ですわ」
 ボルドーは、何も反応をしない。
「ちょっと待てよ、確かボルドーっていやあ、スクレイを裏切ったんじゃなかったっけ?」
 コバルトが言った。
「私も、それは聞いた」
 グレイが続く。
「それは誤報です。正確ではありません」
 カラトが言う。
「誤報って」
「裏切ったのではなく……」
「言わなくていい」
 ボルドーが、言葉を挟んだ。
「お前の好きにすればいいだろう。俺は、それに従うさ」
 そう言うと、幕舎を出て行った。
「なんだありゃ?」
 コバルトが言うと、カラトは苦笑いをした。
「すいません皆さん、それじゃあ各々準備をお願いします」










「カラト将軍」
 幕舎の外から、声がかかった。

「将軍に会いたいという人が、また来たのですが」
「えっ?」
「まだ勧誘した奴がいたのか?」
 ダークが聞いた。
「いや……七人だけのはずだけど……」
 本当に心当たりがないようだ。

「ここに通して」
「分かりました」
 兵が遠ざかっていく気配があった。

 しばらくして、幕舎に人が入ってくる。
 黒い長い髪が、まず目に入った。若い女だった。

「久しぶり……」
 女が言う。
 カラトの顔を見ると、今まで見たことがないような、驚いた顔をしていた。
「私も、戦いたい」
 女が言った。

 しばらく沈黙。

 それからカラトが、息を吐いた。
「来ちゃったんだ」
「うん」
「そうか……」

 一つ、間を置いた。


「君には、できればあそこに残っていてほしかったよ、シー」








     

 慌ただしくなってきた。


 兵達が、戦闘の準備のため動き回っている。
 再び高い場所に移動したカラトとダークは、それらを見ていた。

 スクレイ軍は、今ここにいる兵だけで一万。後方には、二千の部隊が三つ点在している。
 この場の戦に加われるのは、それで全軍だろう。スクレイという大国を思えば少ない数だが、一時のことを考えれば、よくここまで集められたものだと思える数だ。
 対するクロス軍は、南下している本体が三万。そこに、各地に散らばった部隊が、合流を始めているらしい。おそらく、最終的に六万を越える軍になるだろう。
 間違いなく、スクレイの命運を決める戦になりそうだ。ここの軍が負けることになれば、もうスクレイに反撃できる力は残っていない。

 先ほどからカラトは、質問を持ってきたコバルトと話をしている。
 そこへ、グレイが歩いてくるのが見えた。

「ねえ……あの黒髪の人も、指揮官になるの?」
 黒髪とは、あの黒い長髪の女のことだろう。
「そう。飛び入りの形になっちゃったけど、なんとか折り合いをつけて部隊の編成をしてほしいんだ」
「まあ、それはなんとかなりそうなんだけど……」
 そう言うと、少し目線を横に向ける。
「ちなみに、あの人誰なの?」
 グレイが言った。ダークも、少し気にはなっていたことだ。
 カラトが、ゆっくりと視線を遠くに向けた。

「……何年か前、俺は一人でスクレイ中を旅してたことがあったんだ。その途中に、とある村に立ち寄ったんだ。炭坑のある村だったんだけど、その炭坑が涸れちゃったみたいでね、随分寂れた所だったんだ」
 一つの間。
「そこで出会ったのが彼女、シーだ。一目で心気の才能があるって分かった。話を聞くと、人間や動物の心気研究に興味があるって言ってて、その分野で都で研究者になり、お金を稼いで村を助けたいって言っててね。俺は、手助けしたいって思った。少しの間、村に留まって彼女に心気の鍛錬を手伝ったんだ。心気を利用できれば、彼女にはすごい能力と才能がありそうだったから」
 また、間。
「ある程度教えたら、俺は村を離れた。後は、自分で鍛えるものだからね。俺は、彼女はそのまま、生物心気の研究を続けてると思ってたんだけど」
 視線を戻した。
「さっき久しぶりに見たら、武術心気がかなり鍛えられていることが分かった。元々、才能はあった子だから相当の力を持っていると思う。でも俺は、彼女に村に残っていてほしかった。こんな戦いの場には来てほしくなかったから」
「そうは言っても、国が滅びれば、村を救うも何もないだろ? 別に、おかしいことでも何でもないと思うぜ」
 成り行きで話を聞いていたコバルトが言った。
「人に対して、どうあってほしいなんて言うのは、お前の自分勝手な言動だと、俺は思うがな」
 それを聞いたカラトは、少し考える仕草をする。
「……まあ、それはそうだね。いや、確かにその通りだ」
 頷いて言う。
「彼女の、戦おうという気持ちは尊重しないといけないってことか。よくよく考えると嬉しいことのはずだよね、国の為に来てくれたってことは。それに、彼女なら大いに戦力になるし」
「それだけが理由なわけないでしょ」
 グレイが、ぼそりと言った。
「えっ?」
 グレイが片眉を上げる。
「そう、ありがとう分かったわ。それじゃ、私は戻るね」
 そう言って、歩いていった。

 入れ替わりで、伝令が来るのが見えた。
「いよいよか」
 カラトは、ゆっくりと腕を伸ばした。










 広い原野だった。
 数で劣るこちらが戦うのには、明らかに不利な戦場だろう。カラトは敢えてここを選んだ。
 先ほどから、ひっきりなしに斥候が、行き来している。
 クロス軍は、止まることなく進軍してきているようだ。こちらの数を知って、一揉みにしてしまおうと考えているのだろう。

 接触まで、あと十分もない。
 こちらの軍は、陣形の展開を終えて、待っている状況だった。
 おかしな隊列だ。
 一万の軍を十に分けて、それを横に並べただけだ。そして、それぞれの部隊の先頭には、カラトが集めた者達が並んでいた。
 横だけを見れば、たった十人だけが、だだっ広い原野で並んでいるように見える。
 ダークは、腕を組んで突っ立っていた。
 左右から声がする。

「これは、晒し者なのかな」

「はは、成る程、言えてる」

「失敬だな。俺が、ずっと考えていた戦法なのに」

「どこが戦法?」

「これだと、思い切り暴れられますね」

「そうそう、いいこと言う」

「ああ、大丈夫かなあ、こんなので」

「後悔してるのか?」

「何を今更」

「へえ、達観してるねえ」

「そういうわけでは……」

「みんな、もう少し緊張感を持ったほうがいいぞ」

「お前が言うか!」

 くつくつと笑い声が起きた。
 やがて、遠方に土煙が見えた。
 遠目にも、かなりの大軍勢だと分かる。

「それじゃあ、行きますか」
 いつもの調子で、カラトが言った。















 その後、まる一日ほど続いた戦いは、クロス軍の敗走、スクレイ軍の勝利に終わる。
 特に、スクレイ軍の先頭で戦った十人の活躍は凄まじく、その話は内外に知れ渡ることになる。

 ここから始まった快進撃を、後にスクレイの大逆転と呼ばれるようになった。




       

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