Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
三者

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 虫の鳴き声が響いていた。


 とりあえず、南東の方角に進んできて、数日経っていた。

 とにかく、都に行くべきだろうとシエラは思っていた。都こそが、国の中心であり、王の居場所であるからだ。
 どういう道筋で王になれるのかは、まったく分からない。王宮に乗り込んで、自分が王女だと名乗っても、それだけでは何もならないだろうことは自分でも分かる。ただ、何年かかっても構わなかった。自分が、諦めなければそれでいい。
 身分を隠して、仕事を探して都で暮らす。情報収集を続けながら、道筋を考える。とはいえ、今から事細かに考えても仕方がないという思いもあった。時間は、まだまだ沢山あるのだ。

 日が暮れて、辺りの森は暗黒だった。目の前にある、焚き火だけが明るい。
 シエラが持っていた資金は、僅かしかなかった。それは全て、都までの食料にあてるしかないので、宿などには泊まることはできない。幸い今は暖かい季節なので、野宿は苦にはならない。
 それに、野宿にも慣れたものである。
 シエラは、ただただ、じっと火を見つめていた。
 しばらく、そのままでいた。

「よお」
 突然声がする。
 驚いてシエラは、辺りを見回した。声は、上の方から聞こえた気がしたが、上方に人間がいるはずがない。
 どこにいるのか分からない。
 空耳だろうか。
 考えていると、くつくつと笑い声がした。
「焦る姿が滑稽だな」
 その声を聞いて、シエラは、声の持ち主が分かった。
「ダークさん?」
 やはり、姿は見えない。

「よお小娘。王になりたいらしいな」
 声だけが聞こえる。
「ちなみに、どうやって王になろうと思ってるんだ?」
 間。
「分かりません……」
 再び、くつくつと笑い声。
「そんなんで、よく王になるなんて言えたもんだ。呆れるぜ」
 シエラは、その言葉が少し頭にくる。
「何年かかっても構いません。目指そうとすることに意味があるのです。それを諦めてしまったら、私が私で無くなる」
「ほう」
 しばらく沈黙。

「私を、つけてきたのですか?」
「ちょっと面白そうだったんでな。暇つぶしに来た」
「暇つぶし……」
「心配しなくても、俺は見ているだけだぜ。手を貸す気も、邪魔をする気もまったくない。例え、お前が殺されそうになっててもな」
 シエラは、少し腹が立ってきていた。何なのだ、この男は。
 同時に、今後姿が見えない男に、つけられ続けることを想像する。
 精神が平常でいられるはずがない。

「安心しな。俺は、餓鬼に興味はない」
 少しして、ダークが言っている。
「まあ、精々頑張るこった」
 気配が消えていった。










 ずっと左手に見えていた山々が、小さくなくなっていた。
 ペイルは、スクレイ国内に戻ってきていた。

 スクレイに入ったペイルは、まずウッドに寄った。もしかすると、シエラがセピアを訪ねているかもしれないと思ったからだ。
 ウッドの門兵に、セピアかカーマインかがいないか尋ねると、どちらも不在だということだった。二人ともがいなければ、ペイルにとっては厄介な場所である。すぐに退散するしかなかった。

 その後は、ボルドーとシエラの会話から、シエラの行き先を予想する。おそらく都だろうとペイルは考え、東南に向かって数日進んできたところだった。
 シエラを追いかけては来たものの、追いついたらどうすればいいのか。
 とにかく、王になるなどという馬鹿げた考えは改めさせなければならないだろう。その後は、二人でボルドーの所へ行き、一緒に謝ればいい。
 さらに、その後のことは自分が考えることではない。

 そうこう考えながら歩いていると、道の前方に小さな小屋が見えた。人が生活している形跡が見える。ペイルは、そこで道を尋ねようと思った。
 そう思い近づいていくと、その小屋が、おかしな雰囲気なのに気が付く。
 一瞬逡巡したが、ペイルは剣を握って走った。
 なにか騒然とした空気だと感じる。
 十歩ほどの距離まで近づいて、ペイルは確信した。
 賊だ。
 開け放たれた扉から、中に踏み込んだ。
 すぐに、凶器を持った三人の男が見える。
「おいっ!」
 声を上げて、ペイルは突っ込んだ。
 こちらに目を向ける間もなく、一人を叩き伏せる。戦闘の体制に入る前に、さらに二人を叩き伏せた。
 近くに、怯えた表情の子供が二人いるのが目に入った。その脇には、血を流して倒れている老人がいる。
 ペイルは、慌てて倒れている老人に駆け寄った。息はあるが、肩の辺りを、かなり深く斬られているようだ。
 放っておいたら、確実に死ぬ。
 ペイルは、子供に目を向けた。
 怯えた表情のまま、こちらを見ていた。

「布とかないか?」
 ペイルが言った。しばらくして、意を決したように子供の一人が小屋の奥に走る。襤褸の束を両手に抱えて戻ってきた。
 それを受け取って、老人の傷口に当てる。
 とにかく、自分ができる応急処置をするしかない。

「……じいちゃん助かる?」
 子供の一人が、泣きそうな顔で聞いてきた。
 ペイルは、何も言えなかった。
 その時、あっという声が上がる。
 背後に気配を感じた。慌てて振り向くと、一度倒したはずの賊が、剣を振り上げているところだった。
 ペイルは、急いで剣を掴んだ。だが、間に合うはずがない。
 その時、いきなりその男の腕が飛んだ。血しぶきと男の叫び声が飛ぶ。
 次の瞬間、男の胸から剣が飛び出してきた。それを、信じられない、といった顔で見てから、男は前向きに倒れた。
 その後ろに、見知らぬ顔の男が立っていた。
 ぼさぼさの黒い髪で、うっすらと髭がある。二十代中頃ぐらいの痩身の男で、片目に黒い眼帯をしていた。
 一見すると、賊の仲間かと思うような風貌だが、助けてくれたということは、賊ではないのか。
 男は無表情で、倒れた男に刺さっていた剣を抜いた。

「これは、あんたがやったのかい?」
 男が言った。
「あ、ああ。その三人は」
「なんで、止めをさしてないんだ?」
 男は、不思議そうに首を傾げた。
「殺さないようにできるなら、そうしたいからだ」
「はあ?」
 今度は、逆向きに首を傾げた。
「それで殺されそうになってりゃ、世話がねえな」
 少し、頭にくる。
「助けてくれたことには、礼を言う。俺が、甘いっていうのも重々承知してる。けど、他人にとやかく言われたくない」
「ふーん」
 男は、剣についていた血を払った。

「あんた、この辺の人か? 医者がどこにいるか教えてくれないか」
 男が、老人を覗き込む。
「そいつは、もう助かりそうにないぜ」
「分からないだろ! そんなこと」
 男は、肩を竦めた。
「二つほど丘を越えたところに町がある。医者なら、そこにいたはずだ」
「丘二つか……」
 呼びにいって間に合うとは思えない。しかし、だからといって運べるのだろうか。
「動かさないほうが、いいんだろうか……」
「そういや、表に大きい板があったな」
 男が言った。
「手を加えりゃ、すぐに簡易の担架を作れるかもな」
「本当か!?」
 ペイルは立ち上がった。しかし、すぐに問題に気が付いた。
 担架ならば、運ぶためには大人二人の力が必要だ。子供達にできるわけがない。
 ペイルは、男を見た。

「その……手伝ってはもらえないか?」
 男が笑む。
「有り金いくらある?」
「あんまりない。だけど、もし手伝ってもらえるなら、後日稼いで払う」
「後払いなんて、信用できるかよ。いいから、今持ってる分教えな」
 ペイルは、持ち金の量を言った。
「じゃあ、その金と……そうだな、その剣で手を打とうか」
 剣と言われて、ペイルは一瞬逡巡した。
 しかし、子供達の顔が目に入る。迷っている時間はなかった。

「……分かった。それでいい」





 その後、簡易の担架を作ると、老人を乗せて、ペイルと男とで持ち運んだ。ペイルが前方で、男が後方だ。
 あまり揺れないようにとペイルは考えていたが、男がその辺りを何も考えていないのなら、どうしようもないと思っていた。しかし、いざ運んでみると、男も気を利かせてくれたのか、あまり揺らすことが無く運ぶことができている。
 子供二人も、あのまま、あそこに置いてはいけないので、連れてきていた。
 もう少し、速く走ろうと思えば走れるが、二人の速度に合わせているといったところだった。

「頑張れ」
 ペイルは、子供達に言った。
 当然、老人を助けようとは思っているが、もし死なせてしまった場合、二人に責任を感じてほしくない。厄介な状況だった。
 二つ目の丘を、もうすぐ越える所まで来る。

「おっと」
 男の声がした。
「どうした?」
「後ろから、面倒そうなのが来てるぜ」
 言われて、ペイルは後方を見た。
 自分たちが走ってきた道を、こちらに向かって走ってきている集団が見えた。十数人はいる。
「多分、さっきの賊と、その仲間だな」
 男が、変わらない口調で言う。
「くそっ!」
 ペイルは思わず声を出した。
 このまま進んでも、町に着く前に追いつかれてしまう可能性が高い。かといって、迎え撃って戦っている時間もない。それに、子供達を守りながら戦えるだろうか。

「しょうがねえなぁ」
 ペイルが考え倦ねていると、男が言った。
「ほれ、子供。二人で一本ずつ持て」
 言うと、担架の棒を子供達に持たせた。
「速度はかなり落ちるだろうが、まあ止まるよりはいいだろ。あとちょっとだから、このまま行け。あいつらは、俺が何とかしてやるからよ」
「お前」
「早く行け。子供の体力が持たねえぞ」
「待て、だったら俺が残る。お前が町に行くんだ。そもそもは、俺が止めを刺すのを躊躇ったから招いたことだ」
「町に行って、あれこれ医者の手配とかやりたくないんだよ。それに……子供のお守りも苦手でね」
「でも」
「早くしろって。あいつらに近づかれると、狙われるぞ」
 確かに、その通りだ。
 ペイルは、決心するしかなかった。

「すぐに戻ってくる! それまで、持ちこたえていてくれ」
 そう言って、進み始めた。




     

 息が切れそうだった。


 ペイルは、急いで来た道を戻っていた。
 町に到着して、すぐに医者の所に駆け込んだ。老人と子供を預けると、間髪入れずに飛び出してきていた。

 男は無事だろうか。

 男と別れた丘を、さっきとは逆方向から越える。
 すぐに目に入った光景に、ペイルは唖然とした。
 点々と、人が倒れていた。どれも生きてはいないのが遠目でも分かった。その中で、一人だけが立っている。
 その一人が、こちらに気が付いた。

「よお、間に合ったのか?」
 軽い口調で言う。
「医者が言うには、予断を許さない状態だってさ」
 言いながら、ペイルは男に近づく。男が持っている剣は、赤く染まっていた。

「何だよ。これじゃあ、別に急がなくても良かったな。余裕みたいじゃないか」
「俺も吃驚だよ」
「は? 自分の力だろう?」
「まあ、そうなんだけどな……悪いな、手加減とかできねえから、全員殺しちまった」
「え? いや、まあ、それは仕方がないだろう……それに、この場合だったら正当防衛になるだろうし」
「ならいいんだが」
 男は、そう言うと苦笑した。

 その後、ペイルは男と共に町に戻り、老人を預けた医者の所に向かった。
 到着した時には、すでに治療が終わっていた。
「何とか、一命は取り留められそうです」
 医者の男が、そう言った。ペイルは、胸をなで下ろす。子供達は、老人が寝ている寝台の横にいた。
「ありがとうございます。あの、治療費ですが……」
「いいえ、結構ですよ。あの人には、私も何度かお世話になったことがあるので。その御礼ということで」
 その言葉に、さらにほっとした。
「しかし、随分と賊が増えてきたようですね。この辺りは、北から流れてきた者が多いようですが。東の方は、随分酷いことになっているようですし」
「そうなんですか」
「いつかこうなるとは思っていましたがね。大戦が終わって、今まで平穏だったのが不思議なぐらいですよ。やはり、政治が正常に機能していないのでしょうな」
 医者の男は、そう言うと溜め息をついた。

 その後ペイルは、眼帯の男がいなくなっていることに気が付いた。建物を出ると、男が歩いていこうとしていたので、後ろから呼び止めた。
「おい。まだ報酬を渡してないぞ」
 言うと、男はゆっくりと振り返る。
「お前って本当に、甘ちゃんだな」
「は?」
「……いらねえよ」
「え?」
「悪いな、実はあんたを試したんだ。善人ぶってる奴が、どういう反応をするかってな。でも、お前は根っからの真面目なんだな。恐れ入ったよ」
 男の言葉に、ペイルは呆然としてしまう。
「なんだか、俺の方が申し訳なくなってきちまったんだ」
 男は、少し笑った。
「お前みたいな、いい奴もいるんだな」
「いや、俺はそんなんじゃ……お前も、いい奴だろ」
 男が、目を丸くする。
「そんなわけねえだろ……でもまあ、そんなこと言われるのも、偶にはいいかな」
 ペイルは笑った。試したなどと言われても、そんなに悪い気がしない。
「でも、せめて金だけでも受け取ってくれないか? じゃないと、俺が気持ち悪いんだ。ていっても、大した量じゃないけど」
「いいって」
「いや、いいって」
 譲り合いになった。少しして、男が考えるような表情をする。
「……じゃあ、貰っておくか」
「ああ貰ってくれ」
 再び笑う。

「あんた、軍人とかじゃないんだろ。その腕なら軍に入ったら、かなり出世できると思うぜ」
 ペイルが言った。
「ふーん」
「ふうんって、興味ないか」
「興味というか、何というか……」
 男は考える仕草をする。
「あっ」
 突然男が言った。見ると、ペイルの後ろに視線を向けている。
 振り返ると、二人から三十歩ほど先に、長い髪の女が、こちらを向いて立っているのが見えた。
 遠目にも、美人なのだと分かるが、どこか暗さがあるように見えた。
「そろそろ帰る時間か……」
 男が呟く。
「嫁さんか?」
「ああ、まあ、そんなところだな」
「へえ意外だな。というか羨ましいな」
 男の口角が上がる。

「じゃあ、ここでお別れだ。本当にありがとうな」
 ペイルが言った。
「ああ」
 男は手を挙げると、女の方に歩いていった。

 ペイルも、振り返って進み始める










 道を歩いていた。

 噂には聞いていたが、タスカンまでの道中の町や村の荒廃は酷かった。
 ほとんどの田畑は荒れていて、もう何年も手がつけられていないようだった。希に、人の遺骸が道端で放置されているのも目につく。柄の悪い連中に絡まれたのも一度や二度ではなかった。
 やはり、先の大戦にて外国に踏み荒らされた地域の修繕が、まともに行われてはいないようだ。
 タスカンも、どうなっているかと心配したが、タスカンの領に入ると、思ったよりも荒廃してはいないようで、ボルドーは胸をなで下ろした。

 懐かしい道を通って、町に向かった。
 共同墓地に向かう。昔と同じ場所にあった。
 ボルドーは、墓地を一つ一つ見て回った。
 やがて、それを見つける。
 目立つ所ではないが、さりげなく良い所に配置されていた。墓は手入れがされているようで、大きな痛みはなかった。
 それが、ボルドーには嬉しかった。
 反乱の首謀者として、きちんと埋葬されていないのではないかと心配していたが、杞憂だったようだ。

 ボルドーは、その前で腰を屈めた。
 久しぶりだな、と呟く。
 一緒に死ぬどころか、随分長生きをしてしまった。意味のある生だったのだろうか。そして、これからのことは……。
 しばらく、そのままの姿勢でいた。

 少しして、近くに人の気配を感じた。
「あの」
 自分に声をかけたのだと分かり、ボルドーは振り返って、相手の顔を見た。
 茶色の髪は、癖のある流れ方をしている。顎に整えられた髭を蓄えている背の低い男だった。
「やはり……ボルドー将軍」
 男が、目を大きくして、少し声を大きくして言った。
 見覚えがある気がする、と思った。それからすぐに思い出した。

「お前、サップか?」
「はい! お久しぶりです」
 サップは、嬉しそうに声を上げた。





 ボルドーは、近くにあった岩に腰掛けた。サップは、近くで立っている。座れと言ったが、断ったのだ。
 自分が去ってから、タスカンに何があったかを聞いた。中央からの、圧力などはあったものの、なんとかやってこれたらしい。
 サップを中心とした、あのころの将校達が頑張っているのだという。

「そうか。この地域の荒廃を防げているのは、お前達のお陰というわけか」
「あ、いえ。私達は、将軍やアース様の足跡を、稚拙ながら辿っただけのことです。本当は、お二人の力なのです」
「いや、そんなことはない。実際に今、活躍している者こそ必要な者なのだ。わしなど、タスカンを捨てて逃げた者だ。そんな者を立てる必要はない……もう将軍でもないしな」
 サップは、口を閉じた。
「アースの墓地の手入れもやってくれているようだな。礼を言おう」
「いえいえ、そんな」
 沈黙。

 少しして、サップが口を開く。
「私は、お二人がやろうとしていたことが正しかったのだと、今でも思っています。事実、お二人が治めていたころのタスカンの方が、今より栄えていて活気がありました」
「状況が違う。比べようがないさ」
「しかし、皆の心に残っていることは事実です」
「心か」
 ボルドーは、ぼんやりと昔を思い出した。

「サップ、わしの偃月刀がどこにあるか知っているか?」
 しばらくして言う。
「政務所の執務室に飾らせてもらっております」
「持って行っていいか?」
「当然です。ボルドー様の物なのですから」
「すまないな」
 ボルドーは、立ち上がろうと思った。

「あの……どうして必要なのか、聞いてもよろしいですか?」
 サップが言う。真剣な表情に変わっていた。
「何かを、しようとしているのですか?」
 ボルドーは黙る。
「……ボルドー様。私は、はっきり言って中央の者達が許せません。このままでいいとは思っていません。何もせず滅びを待つよりは、何かをしようと仲間内で話が上がることも何度もあります」
 言葉を続ける。
「もしも……ボルドー様が、それに近い何かを考えているのなら、是非とも私達も力添えをさせてはもらえないでしょうか」
 サップは、真っ直ぐな視線を向けてくる。

 ボルドーは考えた。当然、あまり他人を巻き込みたくはないという思いはある。しかし、事を起こせば、誰もが無関係というわけにもいられないだろう。
 それに、この先、綺麗事だけでは済まなくなってくるだろう。
 同志は、一人でも多い方がいいのだ。

 ボルドーは、サップから視線を外して口を開いた。
「今より数ヶ月後、もしかすると数年後かもしれんが。この国のどこかで、国に対しての、反乱かそれに近い行動を起こす勢力が起こるかもしれん。それが起これば、お前は、この地域の中で、志を共にする者を集い、その一派に合流してくれ」
 サップは、直立して聞いていた。
「ただ、何も起こらないという可能性もあるがな」
「はい」
「そして、それは国家に対する反乱だ。当然、最悪の場合、家族や一族の身の保証はできぬ。仲間を集める場合は、その覚悟や対策ができる者だけを、お前が選別するのだ」
「当然です。心得ております」
「それと、タスカンの施政に阻害が出るような状況になってしまうことも駄目だ」
「それも、承知しております」
 サップは、少し笑って頭を下げた。
「今まで待った甲斐がありました。これほどの機会が巡ってこようとは……心が震える思いです。このサップ、必ずや仲間を集めて馳せ参じ、微力ながら、お力になりたいと思います」
 ボルドーは頷いた。それから、アースの墓石に視線を移した。

 後もう一度だけ、戦おうと思う。
 これが、本当に最後になるだろう。


 許してくれるか。




     

 夜の山中だった。


 今までの旅の中で、暗闇というものを、あまり意識していなかったのだと、シエラは初めて気がついた。
 四方八方が闇である。
 夜なのだから当然だ。それに、誰かがいれば、闇が薄らぐというわけでもないのだ。
 しかし、闇が濃いとシエラは感じていた。
 孤独なのだ。
 これが孤独なのだと感じた。思い返せば、サーモンが死んだ時も、同じような感覚があった気がする。
 ダークが、どこかにいるのかもしれないが、姿が見えなければ、いないことと同じだ。いや、逆に不気味に感じる。
 シエラは、焚き火の前で、膝を抱える。この程度で、怯えてどうすると自分を叱咤する。
 目を閉じれば、どこにいても、誰といても闇なのだ。
 いつの間にか眠っていて、気がつくと朝だった。

 そういう夜が、何日か続いていた。










 数日後、シエラは山道を歩いていた。何か食べられるものはないかと、入ってきたのだ。旅の中で、ボルドーから与えられた知識があるので、ある程度は、何が食べられるかが分かる。食費を節約しながら、ここまで来れた。
 人が通る道から外れた、草むらに入る。
 少し歩いていると、突然視界がぶれた。
 そのまま、横に転がり落ちた。
 右足に、大きな衝撃が当たった。
 シエラは、草むらに倒れながら、しばらく呆然としていた。空に雲が見える。
 足を踏み外して、転落したのだ。自分が、落ちたと思われる場所を見ると、今いる地面から、大人三人分の高さはある。
 シエラは、少しして自分の足を見た。出血はしていないようだが、随分と痛む。立ち上がろうとして、力を入れると、さらに痛みが増すようだ。
 どうしたものか。
 シエラは座り込んだまま動けなかった。
 意味もなく、辺りを見回した。深刻な状況なのだが、何故か緊迫した気持ちになれなかった。

 日が、中天を越えて少し経ったころ、草木をかき分けるような音が聞こえた。複数の話声が聞こえるので、おそらくダークではない。
 シエラは、足を引きずって茂みに隠れた。
「これ、子供の歩幅だよ」
 女の声だ。近づいてくる。
 やがて、姿が見えたのは二人の男女だった。シエラが、転がり落ちてきた方から現れた。両方とも、三十代の中頃に見える。二人とも、ある程度の装備をしているので自ら山に入ってきたのだろう。
 賊などには見えない。
 しかし、シエラは姿を現すことを躊躇した。賊ではないからといって、弱みを見せていいということにはならない。
 二人の位置からは、こちらの姿は見えないはずだ。
 二人は、腰を落として地面を見ていた。
「やっぱり、ここに落ちたみたい。それも、かなり打ちつけてるかも」
「他に足跡がなかったから、子供が一人か。迷子かな」
「引きずった跡もある」
 言うと、女の方がこちらに近づいてくる。
 シエラが隠れていた茂みの前まで来ると、立ち止まった。
「そこにいるんでしょ?」
 女が言った。
 もう隠れられないと思い、シエラは意を決して茂みから這い出た。
「わあ、こんな小さな子供だったんだ。しかも女の子」
 女が腰を下ろし、シエラと目線の高さを合わせる。
「足を痛めてるみたいね。大丈夫? 傷はない?」
 シエラは頷く。
「ちょっと見せてくれる?」
 女が、シエラの足を見た。
「腫れてるみたいだね。打ち身か捻挫か」
 目線を戻す。
「君、一人? どうしてこんな所にいるの?」
 シエラは、何と言えばいいか考えた。本当のことは勿論言えないにしても、どう言えばいいのか。
「ち、父と都に向かう途中でした。ですが、山中ではぐれてしまって……」
「そうなんだ……それは大変だったね」
 女と男が、一度見合った。それから、再び視線を戻す。
「この剣は君の物?」
「……はい。ご、護身用にと持たされていたのです」
「へえ」
 女が、少し身を乗り出した。
「それじゃあ、一旦私達の家に来て怪我の治療をしようか? 怪我が治ってからお父さんを探すというのは、どうかな? 私達も手伝ってあげるから」
「あの、でも」
「このまま、ここに置いていくわけにもいかないしね」
 確かにどうしようもない状況だったのは事実だった。
 女が笑みを見せる。
 悪い人間のようには思えなかった。
 シエラは頷いた。





 男の背に担がれて、シエラは運ばれた。
 山中を一時間ほど移動した所に、数件の家がある場所にたどり着いた。
 高低差のある場所で、明らかに農民が住まうような所ではない。
 その後話を聞くと、どうやら二人は獣狩を生業としている夫婦らしい。この村の住人も、ほとんどが獣狩だという。
 女の名はシャルで、男はニックといった。
 シエラは、助けてもらった御礼にということで、持っていた貨幣を渡そうと思った。
「いいのいいの、そんなこと。子供っていうのは、大人の世話になるものなのだから。遠慮なんかしなくていいんだからね」
 シャルが、そう言った。

 シエラ用に、一つ寝台が用意されて、そこに寝ていることが多い日々になった。時折、杖を使って村の中を見て回ったりした。二人は、どちらかが家に残って、シエラの世話をしてくれた。その時、もう片方は猟に出て行く。
 女で獣狩は大変ではないか、とシエラは聞いてみた。
「まあね。でもまあ、慣れればそんなに性別が不利だと思うことはないし、それにそのお陰で今の旦那に出会えたわけだしね」
 時間がある時には、山を下りて近くの町に行き、迷子の子供を捜している人がいないかを捜してくれているらしい。それには、申し訳ない思いがあったが、黙っていた。
 希に、大きな獣を担いで帰ってくることがある。その時は、村人が集まって、獲物が解体されて宴会が催された。
 二人はシエラに、とても温かかった。
 怪我が治るまで、ここにいようとシエラは考えていた。





 数日後、夜に、家に一人でいる状況になった。
 シエラは、食器の片づけをしていた。
「このまま、ここに居座るのか?」
 突然上の方から、声だけがする。あまり驚かなかった。慣れてきたのだろうか。
「……怪我が治るまで、いるだけです……」
「ほお」
 という声。
「本当に、まだ怪我は治っていないのかな」
 声は、そう言う。
 しばらく沈黙。
「まあ、いい」
 やがて、あるか無きかの気配が消える。





 さらに数日。
 今日は、シャルが猟に出かけ、ニックが家にいた。
 獲物の皮を剥がす作業をしていて、シエラもそれを手伝っていた。

「随分と、うまくなった」
 ニックが言った。
「ありがとうございます」
 黙々と作業を続けていた。
「なあ、シエラ」
 ふいに、ニックが言う。
「ここでの暮らしは、嫌か?」
「え?」
 ニックは、作業を続けている。
「……嫌ではありません。というより、そんなことを言える立場ではないと思っています。お二人には、本当に良くしていただいていて申し訳ない思いです」
「そうか。しかし、何か思い悩んでいるのではないか?」
 少しの間。
「いや、家族と離ればなれになってしまっているんだ。それは、心細いだろうな」
 ニックは、そう言った。
「頼りにならないかもしれないが、私達には何でも言ってほしい。頼ってほしいのだ」
「あの……ありがとうございます」
 シエラは言った。
「もう一つ、話したいことがある」
 少し間を置いて、ニックが言う。
「このまま、ここで暮らす気はないか?」
 シエラは、思わずニックを見た。
「当然、シエラにはシエラの都合があるのは分かっている。家族もいるしな。ただ、もしもシエラがいいというのなら、ここにいてほしいのだ。シャルも、きっと喜ぶ」
「え……」
 シエラは、返答に困った。
「すぐに返事がほしいとういうわけではない。考えてほしいということなのだ」
 シエラが黙っていると、ニックは立ち上がる。
「さて、そろそろ夕餉の支度をしようか。シャルが帰ってきて、何も作っていなかったら拗ねてしまうからな」

 その後、シャルが帰宅し何事もなかったかのように夕食が済まされた。ニックの意図が分からなかった。
 そういえば、二人には子供がいないのだろうか。年齢的にも、いても不思議ではないはずだ。
 二人には聞きにくいので、翌日、シエラは村の人間に聞いた。

「シャルは、ここから、ずっと東にあった町で暮らしていたらしいが、戦乱で家族を失ってしまったんだ。幼い子供もいたそうなんだが、その子も、死んでしまったらしい。その後たった一人で、こっちに流れてきた時、ニックと出会って夫婦になったんだ。ただ彼女は、その時の心労が原因か、子供ができないようになってしまったようなんだ」
 よく、あそこまで元気になったよ、と感慨深そうに言う。
「まあ、だから君が、実の子供のように思えて嬉しかったんじゃあないかなあ」
 帰り道、シエラは二人の心情を考えて、切なくなった。
 しかし、それと同時に別の気持ちも湧き上がってくる。





 翌日、シエラは二人に話があると言って、家にて対面で座った。
「お二人に話があります」
「うん」
「……私は、明日ここを発とうと思います」
 二人は、驚く顔でシエラを見た。
 シャルは、少し目線を落とした後、シエラを見て笑った。
「そうなんだ」
「はい」
「やっぱり、そうだよね。本当の家族の元の方がいいに決まってるよね」
「すいません。父とはぐれたという話は、嘘なのです」
「嘘?」
「本当は、一人で都に向かっている途中だったのです」
「一人で? どうして?」
 シエラは、少し間を作る。
「その、突拍子のない話なのですが……」
 間。
「私は、前王の娘……なのだそうです」
 二人は、同じように目を丸くした。
「ぜんおう?」
「前の、王様……です」
 二人が見合う。
「信じられませんよね。私も、話していて何だか馬鹿らしく思えてくるのです」
「それが本当だとして、どうしてあんな山の中に?」
 シエラは、自分の状況を簡潔に説明した。説明しながら、普通こんな話など信じられるわけがないと、話たことを後悔し始めてきた。
 説明が終わり、シエラは少し視線を落とした。
「そうなんだ……」
 シャルの声。
「やっぱり、信じられませんよね」
「いや」
 再び、シャルの声。
「少なくとも、ただの子じゃあないんだろうなとは思ってたんだ」
 シエラは、思わずシャルの顔を見た。
「使い込んだ剣とか、シエラの手の肉刺を見てね。けど、まさか王女様とはねえ……なんだか、現実味のない話」
「始めて会った時、嘘をついていることは分かっていた。いや、すべて本当のことを言っていないということだけだが」
 ニックが言う。
「じゃあ、どうして私を助けてくれたのですか?」
「困ってる子供がいれば、助けるなんて当たり前じゃん。それに、理由なんていらないよ」
 言って、シャルが笑った。
「でも、そっか。じゃあ、しょうがないよね。いつまでも、こんな所にいるわけにはいかないよね」
「私が助かったのは、お二人のお陰です。本当にありがとうございました」
 二人が微笑んだ。
「また、いつでも来てね。私達にとっては、シエラは家族と変わらないんだから」
 シャルが言う。
「無礼になるのかな? 王女様に対して、こんなこと」
「いえ、そんなことありません。それに、今の私は王女ではなく、力も持たない一人の子供ですので」
 シエラは、シャルを見た。
「必ず、また来ます」





 翌日、シエラは二人に見送られて出立した。
 何度も、都まで送らせてほしいと言われたが固辞した。これ以上二人に迷惑はかけたくない。
 家の前の二人が見えなくなるまで、何度も振り返った。
 しばらく歩く。

 あの人たちが、幸せに暮らせる支援をしたい。そして、シャルと同じような悲しい目にあう人を出さないようにしたい。

 些細なことかもしれないが、王になりたいと思う気持ちが、ほんの少しでも足されたことが、シエラには嬉しかった。




       

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Neetsha