少女は英雄を知る
グリーン編
すっかり小悪党に慣れたものだ。
寝台の上で寝転びながら、ペイルは思った。
宿の借りた一室だった。
いつからこうなったんだろうと考えて、ペイルは、すぐに考えるのをやめた。今更、考えたところで仕方がない。
昔は、正義感の塊の様な人間だったのに……。
──また、考えている。
ペイルは溜息をついた。
「ダークさん!」
声と共に部屋の扉が叩かれた。
「入っていいぞ」
身体を起こしてペイルが答える。
勢いよく、部屋に入ってきたのは、暗い茶色の髪に、平凡な容姿の十歳ぐらいの少年だった。
「サンド、首尾はどうだ?」
「はいっ。しっかり宣伝してきました。多分、反応からしてニ十人は集まってくると思います」
二十人か……。ちょっと少ないな、とペイルは思った。
だけど、こんな小さい町なら上出来か。
「場所は、用意できたか?」
「はいっ。町の北に林があって、そこに調度いい広場があります。そこにしました」
林の中の広場だ?
馬鹿か、と言おうとしてペイルは止めた。ある程度広くて、人目につきにくく、それでいて威厳が損なわれない場所、と言ったが、よくよく考えてみれば、こんな小さい町に練兵場のような所があるわけないし、こんな子供が用意できようはずもなかった。
「ご苦労。おまえは……、もう帰っていいぞ」
「はいっ。失礼します」
そう言って、サンドは出て行った。
ペイルは、もう一度寝台に寝転んだ。
随分、慕われたものだ。サンドと会ったのは三日前だった。
ペイルが、このグリーンの町に来たときに、町の郊外で、狼獣という獣に襲われているサンドを助けたのが出会いだった。
サンドから見れば、颯爽と現れた人道の勇士のようにでも思うのだろう。慕うのは状況が状況だけに、さもありなん、だ。
実際に、見返りなど、魂胆があって助けたわけではなかった。いきなり、少年が狼獣に襲われている所に出くわし、思わず助けに入ったのだ。
だから、小悪党なのだ。
本当の悪党なら、見返りがないことなど一切しないだろう。
それに、狼獣一匹ならば問題なく勝てることも分かっていた。
もし、あの時、襲っているのが、十匹の狼獣だったり、虎獣だったりしたら、自分は助けたりしなかっただろう。
だから、本物の勇士にもなれない。
ただ、そういう経緯があり、サンドはやけに自分を慕ってきた。
それで、調度いいと思い、サンドを自分の仕事の手伝いをさせようと考えたのだ。
まず、ペイルは、グリーンの町に入るときに、殺した狼獣の死骸を担いで町を歩いた。それで、人目につくはずだ。
次に、先に打ち合わせをしたサンドが、町人の中に、自分が『心気』の達人に助けられたという話を広める。そして、その人が、自分の技を人に教えるのを厭わないと言っていたと付け足す。
そうすれば当然、人が集まってくる。
何故ならば、一般人にとって『心気』とは、夢の力だからだ。
『心気』とは、人の内なる力とでも言うのか。
『心気』を使いこなせれば、それだけで、いろんな仕事で圧倒的に有利になる。
『心気』と一口に言っても、その能力は人によって千差万別だ。
一般的には、戦いにおける、体力向上や特殊攻撃などがよく知られているが、体力向上など、どんな職業でも使える。最近では、医術にも使われているという話もある。
ただ、誰にでも使えるというわけではない。
適切な訓練や修行を続けて、さらに、才能がある人間だけが、ようやく能力の高い『心気』を使えるようになるのだ。
ただ、一般人は、そんなことは知らない。『心気』を使える人間に教えてもらえれば、すぐに自分も使えるようになると、大体の人間は思っているのだ。
そういう人間を集めて、『心気』を教えると嘯き、金を巻き上げて、おさらばするというのが自分の仕事だ。
要は、詐欺である。
ペイルは、ここ一年、いろんな町で心気詐欺を繰り返して生きてきた。
このグリーンで調度、十箇所目の町だった。
ただ、ペイルは一応『心気』を使うことができた。ただし、ちょっとした体力向上という、たいした事がない能力だが。
ペイルは、数年前まで行われていた、戦争に少しだけ参加したことがあった。
その時、運よく、『心気』開発に力を入れていた部隊に配属になったので、そこで訓練を受けることになったのだ。
当時は、とにかく、うれしくて喜んだものだった。訓練も、人一倍、真面目に努力したとペイルは自負している。
しかし、才能がなかった。
そうこうしている間に、戦争が終わった。
大した『心気』も使えないのだ。戦争時の臨時の徴兵だったこともあって、すぐにペイルは強制退役させられた。
そして、今に至る。
もう一度ペイルは溜息をついた。
一夜明け、正午の少し前。
ペイルは、指定の場所へ向かうため、宿を出た。
少し歩くと、前方からサンドが走ってきた。
「ダークさん! 林に行くんですね!? 自分が案内します!!」
サンドの勢いに、ペイルは、少したじろいだ。
「い、いや、場所は分かっている。一人で行く」
「ええっ!?」
「お前にも『心気』を教えてやる約束は忘れていない。心配するな。それより、俺が言った通りに説明したか?」
「はいっ! それはもう完璧です」
サンドには、人を集める時に、「みんなでお金を集めて、『心気』を教えてもらえるよう頼もう」と言うように、教えてあった。
本人が、『心気』を教えてやるから、金をくれ、と言えば、どうしても胡散臭くなる。それで、心遣いぐらいの気持ちで払わせるのが、一番怪しまれないのだ。
一年、詐欺を繰り返し、身につけた知恵だった。
ただ、その打ち合わせをやったサンドが、気付く危険性があったが、どうやら気付いてないようだ。
やはり子供だな。
このまま、林に行き、二十人から金を受け取り、適当に指導したら、隙を見て逃げようとペイルは思っていた。
ただ、なんとなく、そこにサンドがいてほしくないと思った。
いなくても、いずれ自分に騙されたことに気付き、傷つくか、激怒するだろうが、逃げる直前に、必死で訓練をしているサンドを見たりなんかしたら、この先、一生引きずりそうだと思ったのだ。
「おまえは、別の日に教えてやるから、もう帰りな」
「はいっ! よろしくお願いします! ダークさん!」
言って、サンドは走り去っていった。
とにかく、これでお別れだ。とペイルは思った。
言われた林に入っていった。少し小高い丘を登っていくと、言われた通りの広場があった。
すでに、二十人近くの男達が、そこで待っていた。
木の影から少し様子を見てから、威厳を持って出て行った。
二十人の中から、少し声が上がる。
「私がダークだ」
ペイルは、いつもの手順に入っていった。
ダークとは、最近使っている偽名だった。
兵士時代、いろんな戦場の噂を聞いたことがあった。
スクレイの十傑も、その一つである。
スクレイとは、この国の名前だ。
先の大戦の中、スクレイは一時期、滅亡必至の絶望的状況だった時があったが、奇跡的な大逆転劇の連続で、敵国を、一気に押し返したことがあった。
その戦いの、陰の立役者が、十人の『心気』の達人だったといわれている。
それが、心気使いの中でも有名な、スクレイの十傑だ。
本当かどうか、疑わしい話だが、ペイルは十傑の中の三人だけ、名前を聞いたことがあった。
ダーク。
フーカーズ。
そして、ボルドーだ。
一般の町人が、そんな話、知っているとは思えないが、もし、たまたま知っている人がいれば、さらに現実味が増すはずだし、別に名前は何でも良かったのだ。
ペイルは、さっそく、教示に入ろうとした。
すると、新たに、三人の人間が広場に入ってきた。
人が増えるのは、ありがたい。単純に儲けが増えるからだ。
ただ、この場には不釣合いの連中だった。
一人が老人で、一人は女。最後の一人は子供だった。
寝台の上で寝転びながら、ペイルは思った。
宿の借りた一室だった。
いつからこうなったんだろうと考えて、ペイルは、すぐに考えるのをやめた。今更、考えたところで仕方がない。
昔は、正義感の塊の様な人間だったのに……。
──また、考えている。
ペイルは溜息をついた。
「ダークさん!」
声と共に部屋の扉が叩かれた。
「入っていいぞ」
身体を起こしてペイルが答える。
勢いよく、部屋に入ってきたのは、暗い茶色の髪に、平凡な容姿の十歳ぐらいの少年だった。
「サンド、首尾はどうだ?」
「はいっ。しっかり宣伝してきました。多分、反応からしてニ十人は集まってくると思います」
二十人か……。ちょっと少ないな、とペイルは思った。
だけど、こんな小さい町なら上出来か。
「場所は、用意できたか?」
「はいっ。町の北に林があって、そこに調度いい広場があります。そこにしました」
林の中の広場だ?
馬鹿か、と言おうとしてペイルは止めた。ある程度広くて、人目につきにくく、それでいて威厳が損なわれない場所、と言ったが、よくよく考えてみれば、こんな小さい町に練兵場のような所があるわけないし、こんな子供が用意できようはずもなかった。
「ご苦労。おまえは……、もう帰っていいぞ」
「はいっ。失礼します」
そう言って、サンドは出て行った。
ペイルは、もう一度寝台に寝転んだ。
随分、慕われたものだ。サンドと会ったのは三日前だった。
ペイルが、このグリーンの町に来たときに、町の郊外で、狼獣という獣に襲われているサンドを助けたのが出会いだった。
サンドから見れば、颯爽と現れた人道の勇士のようにでも思うのだろう。慕うのは状況が状況だけに、さもありなん、だ。
実際に、見返りなど、魂胆があって助けたわけではなかった。いきなり、少年が狼獣に襲われている所に出くわし、思わず助けに入ったのだ。
だから、小悪党なのだ。
本当の悪党なら、見返りがないことなど一切しないだろう。
それに、狼獣一匹ならば問題なく勝てることも分かっていた。
もし、あの時、襲っているのが、十匹の狼獣だったり、虎獣だったりしたら、自分は助けたりしなかっただろう。
だから、本物の勇士にもなれない。
ただ、そういう経緯があり、サンドはやけに自分を慕ってきた。
それで、調度いいと思い、サンドを自分の仕事の手伝いをさせようと考えたのだ。
まず、ペイルは、グリーンの町に入るときに、殺した狼獣の死骸を担いで町を歩いた。それで、人目につくはずだ。
次に、先に打ち合わせをしたサンドが、町人の中に、自分が『心気』の達人に助けられたという話を広める。そして、その人が、自分の技を人に教えるのを厭わないと言っていたと付け足す。
そうすれば当然、人が集まってくる。
何故ならば、一般人にとって『心気』とは、夢の力だからだ。
『心気』とは、人の内なる力とでも言うのか。
『心気』を使いこなせれば、それだけで、いろんな仕事で圧倒的に有利になる。
『心気』と一口に言っても、その能力は人によって千差万別だ。
一般的には、戦いにおける、体力向上や特殊攻撃などがよく知られているが、体力向上など、どんな職業でも使える。最近では、医術にも使われているという話もある。
ただ、誰にでも使えるというわけではない。
適切な訓練や修行を続けて、さらに、才能がある人間だけが、ようやく能力の高い『心気』を使えるようになるのだ。
ただ、一般人は、そんなことは知らない。『心気』を使える人間に教えてもらえれば、すぐに自分も使えるようになると、大体の人間は思っているのだ。
そういう人間を集めて、『心気』を教えると嘯き、金を巻き上げて、おさらばするというのが自分の仕事だ。
要は、詐欺である。
ペイルは、ここ一年、いろんな町で心気詐欺を繰り返して生きてきた。
このグリーンで調度、十箇所目の町だった。
ただ、ペイルは一応『心気』を使うことができた。ただし、ちょっとした体力向上という、たいした事がない能力だが。
ペイルは、数年前まで行われていた、戦争に少しだけ参加したことがあった。
その時、運よく、『心気』開発に力を入れていた部隊に配属になったので、そこで訓練を受けることになったのだ。
当時は、とにかく、うれしくて喜んだものだった。訓練も、人一倍、真面目に努力したとペイルは自負している。
しかし、才能がなかった。
そうこうしている間に、戦争が終わった。
大した『心気』も使えないのだ。戦争時の臨時の徴兵だったこともあって、すぐにペイルは強制退役させられた。
そして、今に至る。
もう一度ペイルは溜息をついた。
一夜明け、正午の少し前。
ペイルは、指定の場所へ向かうため、宿を出た。
少し歩くと、前方からサンドが走ってきた。
「ダークさん! 林に行くんですね!? 自分が案内します!!」
サンドの勢いに、ペイルは、少したじろいだ。
「い、いや、場所は分かっている。一人で行く」
「ええっ!?」
「お前にも『心気』を教えてやる約束は忘れていない。心配するな。それより、俺が言った通りに説明したか?」
「はいっ! それはもう完璧です」
サンドには、人を集める時に、「みんなでお金を集めて、『心気』を教えてもらえるよう頼もう」と言うように、教えてあった。
本人が、『心気』を教えてやるから、金をくれ、と言えば、どうしても胡散臭くなる。それで、心遣いぐらいの気持ちで払わせるのが、一番怪しまれないのだ。
一年、詐欺を繰り返し、身につけた知恵だった。
ただ、その打ち合わせをやったサンドが、気付く危険性があったが、どうやら気付いてないようだ。
やはり子供だな。
このまま、林に行き、二十人から金を受け取り、適当に指導したら、隙を見て逃げようとペイルは思っていた。
ただ、なんとなく、そこにサンドがいてほしくないと思った。
いなくても、いずれ自分に騙されたことに気付き、傷つくか、激怒するだろうが、逃げる直前に、必死で訓練をしているサンドを見たりなんかしたら、この先、一生引きずりそうだと思ったのだ。
「おまえは、別の日に教えてやるから、もう帰りな」
「はいっ! よろしくお願いします! ダークさん!」
言って、サンドは走り去っていった。
とにかく、これでお別れだ。とペイルは思った。
言われた林に入っていった。少し小高い丘を登っていくと、言われた通りの広場があった。
すでに、二十人近くの男達が、そこで待っていた。
木の影から少し様子を見てから、威厳を持って出て行った。
二十人の中から、少し声が上がる。
「私がダークだ」
ペイルは、いつもの手順に入っていった。
ダークとは、最近使っている偽名だった。
兵士時代、いろんな戦場の噂を聞いたことがあった。
スクレイの十傑も、その一つである。
スクレイとは、この国の名前だ。
先の大戦の中、スクレイは一時期、滅亡必至の絶望的状況だった時があったが、奇跡的な大逆転劇の連続で、敵国を、一気に押し返したことがあった。
その戦いの、陰の立役者が、十人の『心気』の達人だったといわれている。
それが、心気使いの中でも有名な、スクレイの十傑だ。
本当かどうか、疑わしい話だが、ペイルは十傑の中の三人だけ、名前を聞いたことがあった。
ダーク。
フーカーズ。
そして、ボルドーだ。
一般の町人が、そんな話、知っているとは思えないが、もし、たまたま知っている人がいれば、さらに現実味が増すはずだし、別に名前は何でも良かったのだ。
ペイルは、さっそく、教示に入ろうとした。
すると、新たに、三人の人間が広場に入ってきた。
人が増えるのは、ありがたい。単純に儲けが増えるからだ。
ただ、この場には不釣合いの連中だった。
一人が老人で、一人は女。最後の一人は子供だった。
おかしな三人組だった。
一応、この場は、心気を習いたいという人間が集まるのだ。
老若はあれど、二十代から五十代ぐらいの男ばかりが来るのが普通だった。
一人は、後ろに流れている灰色の髪に、口と顎に蓄えている短い髭も灰色で、見た目は、六十は越えているか。ただ、その割には背筋が伸びていて、体格も良い方だ。
一人は、赤茶色の髪が、肩の上ぐらいの長さで、二十代中ごろの女性だ。なかなか眉目が整っていて、着ている服が粗末なのが、勿体ないと思うほどだ。
最後の一人は、薄金色の髪が、背中まで流れている。十代中ごろに見える、女の子だが、不思議な雰囲気を醸し出している。
やはり、どう考えても、心気を習いたいという者に見えないので、ペイルは、追い返そうと思った。
こういう事をすれば、金はないが心気は知りたいという輩が、隠れて盗み見しようとするという事は、良くある。そういう連中は追い返さないと、金を払った連中が、不平を訴えて、金を返せと言い出しかねない。
ペイルは、三人に歩み寄った。
「あー、君たち。悪いが、見学はないことにしているのだ」
「おまえが、ダーク?」
じいさんの方が言った。腹に響く低い声だ。
「ああ、いかにも。もしかして、名前を聞いたことがあるのかな?」
すると、いきなり女の方が声を出して笑い出した。
「あはははは……、だから言ったじゃない、絶対にないって」
「ん、どうやらそのようだな」
じいさんが、答える。
女が笑い続けている。
どういうことだ?
何か、馬鹿にされているような気にペイルはなった。
二十人も、何事だ、という風にこちらを見ている。
ここで、舐められたままだと威厳に関わる。
「おいっ、何が可笑しい、女!」
「だって、よりにもよってダークだよ? あはははは……」
意味が分からない。
「さぁ、もういいだろう、行くぞ」
言って、じいさんが行こうとする。
なんなんだ、こいつらは。
「おいっ、待て」
すると、突然、見知らぬ男が広場に飛び込んできた。
「た、助けて下さい!」
一瞬で、場の空気が変わる。
「し、心気使いの方が、いると聞いたのですがっ」
慌てて、場を見回す、四十代ぐらいの男。
ペイルは、突然のことで、軽く固まってしまっていた。
「この人だよ」と言って、二十人の中の一人が、ペイルを指差す。
必死の形相をした男が、ペイルに駆け寄ってくる。
「助けてください、先生! サンドが、狼獣に襲われているんです!」
「なんだって!」
言ったのは、二十人の中からだった。
ペイルは、まだ固まったままだった。
サンドという名前に、少し反応しただけだった。
「向こうの、湖の近くです!」
そう言って、男は、指をさした。
「何で、こんな所に狼獣が!?」
「いや、前も出たって聞いたぞ」
「とにかく、行こうぜ」
二十人が、それぞれに声を上げ、行こうとする。
ペイルも、ようやく我を取り戻し始めた。
よくよく考えれば狼狽することでもない。自分は、狼獣程度なら、一人でも問題ないのだ。
「狼獣は、何匹いたか分かりますか?」
その中、じいさんが、男に質問をした。
「わ、私の見た限りでは……、十匹以上はいたと思います」
二十人の動きが止まった。
同じように、ペイルも止まった。
「う、うそだろ」
「何で、こんな所に、そんなにいるんだよっ」
「そんなこと言ってる場合じゃねえって。兵隊に連絡か……いや、獣狩の奴らを集めないと」
「まてまて、落ち着け。こっちには、心気の先生がいるんだ。狼獣を倒した実績もある」
二十人の視線が、ペイルに集まる。
「先生っ! やってくれませんか!?」
「お願いします、先生! サンドを、息子を助けて下さい!」
男も続く。
ペイルは、完全に混乱していた。
狼獣十匹? 無理だ、無理無理……。いや、しかし、サンドが……。だけど……。
すると、突然、さっきの三人組が走り出し、林の中に消えていった。
逃げた?
そうか、逃げればいいのか。
「分かりました、行きましょう。ただ、足手まといになる可能性があるので誰もついてこないで下さい。私一人で行きます」
おおっ、と声が上がる。
さっそく、ペイルは、男が指さした方向へ走った。
ある程度走ったら、方向を変えて、そのまま逃げよう、とペイルは思った。
数分走って、ペイルは振り返って、後ろを見た。
ここぐらいでいいか……。
方向を変えようとしたが、ペイルは足が止まった。
サンドは……、助からないだろうな……。
たった三日だったが、その間の記憶が頭を巡る。
ペイルは、足が動かなくなった。
だから、俺は小悪党なんだ。
少しの間、そのままの姿勢でいた。
それから、ペイルは走り出した。
ボルドーは、走っていた。
グリーンの町に入ってから、ダークという男が、心気を教えているという話を聞いて、もしかすると、あのダークか、と思い、確認に行こう、ということになった。
グレイは、最初から、絶対にない、と言っていた。ボルドーも、可能性は低いと思っていた。
案の定、別人だった。
ただ、そこから、状況が変わった。
もう少し、あの、襲われているらしい子の親から、詳しい場所や状況を聞きたかったが、一刻を争う状況だと判断して、とにかく、接近してみることにしたのだ。
ボルドーの後ろでは、シエラが走っている。
シエラを、連れて行くかどうか、迷った。
ここで待っていろ、と言っても、シエラなら、勝手に着いて来てしまうだろうとボルドーは思った。だったら、自分の傍に居させながら、行くのがいいだろうと考えたのだ。
それに、襲われている子には、不謹慎だが、シエラには、一つのいい機会だと思った。
ボルドーは、シエラの速さに合わせて走っていた。
グレイは、先行させている。
両脇に土手がある、木々の間に入った。まだ湖らしきものは見えない。
ボルドーは振り返り、シエラを見た。シエラは右の土手の方を見ていた。
「おじいさん。右の上に」
「ああ」
ボルドーは、数分前から気付いていた。
こちらから、五十歩ほどの距離を維持しながら、黒い、小さい影が、さっきから着いてきている。
おそらく狼獣だ。五匹はいるだろう。
子供を襲ったという狼獣の一部か。しかし、何故、ここにいるのだ?
考えながら走っていると、前方にも、黒い塊が三つ見えた。
こちらは、狼獣の死骸だった。
二人は、走行を止めた。
三匹とも、斬痕がある。
「この斬り方は、グレイだな。走りながら、斬り抜いたというところか」
シエラは、じっと狼獣の死骸を見ている。
ボルドーは、後ろを見た。
あの、五匹の狼獣も止まっているようだ。
やはり、我々を窺っている。
ああいう動き方をして、時間を掛けて、獲物を狙う狼獣は知っている。
こちらから近づいて行っても、多分意味はない。すぐに散っていくのだろう。そして、離れたところで、また集まり尾行を繰り返すのだ。
「シエラ。剣は抜いておけ」
一応、この場は、心気を習いたいという人間が集まるのだ。
老若はあれど、二十代から五十代ぐらいの男ばかりが来るのが普通だった。
一人は、後ろに流れている灰色の髪に、口と顎に蓄えている短い髭も灰色で、見た目は、六十は越えているか。ただ、その割には背筋が伸びていて、体格も良い方だ。
一人は、赤茶色の髪が、肩の上ぐらいの長さで、二十代中ごろの女性だ。なかなか眉目が整っていて、着ている服が粗末なのが、勿体ないと思うほどだ。
最後の一人は、薄金色の髪が、背中まで流れている。十代中ごろに見える、女の子だが、不思議な雰囲気を醸し出している。
やはり、どう考えても、心気を習いたいという者に見えないので、ペイルは、追い返そうと思った。
こういう事をすれば、金はないが心気は知りたいという輩が、隠れて盗み見しようとするという事は、良くある。そういう連中は追い返さないと、金を払った連中が、不平を訴えて、金を返せと言い出しかねない。
ペイルは、三人に歩み寄った。
「あー、君たち。悪いが、見学はないことにしているのだ」
「おまえが、ダーク?」
じいさんの方が言った。腹に響く低い声だ。
「ああ、いかにも。もしかして、名前を聞いたことがあるのかな?」
すると、いきなり女の方が声を出して笑い出した。
「あはははは……、だから言ったじゃない、絶対にないって」
「ん、どうやらそのようだな」
じいさんが、答える。
女が笑い続けている。
どういうことだ?
何か、馬鹿にされているような気にペイルはなった。
二十人も、何事だ、という風にこちらを見ている。
ここで、舐められたままだと威厳に関わる。
「おいっ、何が可笑しい、女!」
「だって、よりにもよってダークだよ? あはははは……」
意味が分からない。
「さぁ、もういいだろう、行くぞ」
言って、じいさんが行こうとする。
なんなんだ、こいつらは。
「おいっ、待て」
すると、突然、見知らぬ男が広場に飛び込んできた。
「た、助けて下さい!」
一瞬で、場の空気が変わる。
「し、心気使いの方が、いると聞いたのですがっ」
慌てて、場を見回す、四十代ぐらいの男。
ペイルは、突然のことで、軽く固まってしまっていた。
「この人だよ」と言って、二十人の中の一人が、ペイルを指差す。
必死の形相をした男が、ペイルに駆け寄ってくる。
「助けてください、先生! サンドが、狼獣に襲われているんです!」
「なんだって!」
言ったのは、二十人の中からだった。
ペイルは、まだ固まったままだった。
サンドという名前に、少し反応しただけだった。
「向こうの、湖の近くです!」
そう言って、男は、指をさした。
「何で、こんな所に狼獣が!?」
「いや、前も出たって聞いたぞ」
「とにかく、行こうぜ」
二十人が、それぞれに声を上げ、行こうとする。
ペイルも、ようやく我を取り戻し始めた。
よくよく考えれば狼狽することでもない。自分は、狼獣程度なら、一人でも問題ないのだ。
「狼獣は、何匹いたか分かりますか?」
その中、じいさんが、男に質問をした。
「わ、私の見た限りでは……、十匹以上はいたと思います」
二十人の動きが止まった。
同じように、ペイルも止まった。
「う、うそだろ」
「何で、こんな所に、そんなにいるんだよっ」
「そんなこと言ってる場合じゃねえって。兵隊に連絡か……いや、獣狩の奴らを集めないと」
「まてまて、落ち着け。こっちには、心気の先生がいるんだ。狼獣を倒した実績もある」
二十人の視線が、ペイルに集まる。
「先生っ! やってくれませんか!?」
「お願いします、先生! サンドを、息子を助けて下さい!」
男も続く。
ペイルは、完全に混乱していた。
狼獣十匹? 無理だ、無理無理……。いや、しかし、サンドが……。だけど……。
すると、突然、さっきの三人組が走り出し、林の中に消えていった。
逃げた?
そうか、逃げればいいのか。
「分かりました、行きましょう。ただ、足手まといになる可能性があるので誰もついてこないで下さい。私一人で行きます」
おおっ、と声が上がる。
さっそく、ペイルは、男が指さした方向へ走った。
ある程度走ったら、方向を変えて、そのまま逃げよう、とペイルは思った。
数分走って、ペイルは振り返って、後ろを見た。
ここぐらいでいいか……。
方向を変えようとしたが、ペイルは足が止まった。
サンドは……、助からないだろうな……。
たった三日だったが、その間の記憶が頭を巡る。
ペイルは、足が動かなくなった。
だから、俺は小悪党なんだ。
少しの間、そのままの姿勢でいた。
それから、ペイルは走り出した。
ボルドーは、走っていた。
グリーンの町に入ってから、ダークという男が、心気を教えているという話を聞いて、もしかすると、あのダークか、と思い、確認に行こう、ということになった。
グレイは、最初から、絶対にない、と言っていた。ボルドーも、可能性は低いと思っていた。
案の定、別人だった。
ただ、そこから、状況が変わった。
もう少し、あの、襲われているらしい子の親から、詳しい場所や状況を聞きたかったが、一刻を争う状況だと判断して、とにかく、接近してみることにしたのだ。
ボルドーの後ろでは、シエラが走っている。
シエラを、連れて行くかどうか、迷った。
ここで待っていろ、と言っても、シエラなら、勝手に着いて来てしまうだろうとボルドーは思った。だったら、自分の傍に居させながら、行くのがいいだろうと考えたのだ。
それに、襲われている子には、不謹慎だが、シエラには、一つのいい機会だと思った。
ボルドーは、シエラの速さに合わせて走っていた。
グレイは、先行させている。
両脇に土手がある、木々の間に入った。まだ湖らしきものは見えない。
ボルドーは振り返り、シエラを見た。シエラは右の土手の方を見ていた。
「おじいさん。右の上に」
「ああ」
ボルドーは、数分前から気付いていた。
こちらから、五十歩ほどの距離を維持しながら、黒い、小さい影が、さっきから着いてきている。
おそらく狼獣だ。五匹はいるだろう。
子供を襲ったという狼獣の一部か。しかし、何故、ここにいるのだ?
考えながら走っていると、前方にも、黒い塊が三つ見えた。
こちらは、狼獣の死骸だった。
二人は、走行を止めた。
三匹とも、斬痕がある。
「この斬り方は、グレイだな。走りながら、斬り抜いたというところか」
シエラは、じっと狼獣の死骸を見ている。
ボルドーは、後ろを見た。
あの、五匹の狼獣も止まっているようだ。
やはり、我々を窺っている。
ああいう動き方をして、時間を掛けて、獲物を狙う狼獣は知っている。
こちらから近づいて行っても、多分意味はない。すぐに散っていくのだろう。そして、離れたところで、また集まり尾行を繰り返すのだ。
「シエラ。剣は抜いておけ」
一回り小さい剣だった。
シエラは、それを、荷袋から取り出し、剣を抜いた。
旅に出る直前、ボルドーが与えた物である。
体の小さいシエラには、通常の剣では、扱い辛いだろうと思ったので、探してきた剣だったが、どうやら、丁度良いようだ。
「荷は、ここに置いていこう」
「はい」
二人は、再び走り始めた。
進むと、さらに、点々と狼獣の死骸が、転がっている。
すべて、グレイが片付けたのだろうが……。
これは、十匹どころの話ではない。
すると、木々の隙間から、遠くの低い所に、光を弾く面が見えてきた。
あれが、言っていた、湖だろう。
そのまま向かおうと思ったが、ボルドーは、気になるものが目に入り、足を止めた。
シエラも止まる。
道の端の土、坂の手前に、滑ったような跡があった。
狼獣の死骸は、道の先まで続いているので、グレイではない。
気になったボルドーは、少し、坂を下った。
すると、坂のずっと下に、人が仰向けに倒れているのが木々の隙間から見えた。
すぐに、ボルドーは、滑るように坂を下りた。
男の子供のようだ。
おそらく、言っていた子供だろう。
駆け寄ったボルドーは、子供に触れた。
生きている……。
身体中、泥だらけだ。頭に血の跡があるが、大きな傷ではないようだ。
気絶しているようだが、命に別状があるようには見えなかった。
ボルドーは、安心、というよりも、意外だった。
これほどの狼獣が跋扈している中、この程度で済んでいるのが不思議だった。
足を踏み外して、坂を転げ落ち、怪我をしただけのようだ。
シエラが、追い着いてくる。
そこで、ボルドーは、ふと気付いた。
今、いる場所が、高台に囲まれた低所だということに。
対集団戦闘においては、明らかに不利な場所だ。
人と、戦っているわけではないが、ボルドーは気になった。
そして、気がついた。
周囲一周、木々の隙間から、光る点が大量にあることを。
夥しいほどの数の、狼獣の目だった。
シエラは絶句した。
いつの間にか、狼獣の大群に囲まれている。
場は、狼獣の唸り声があちこちから響いていた。
「シエラ」
ボルドーが、前を見据えながら、低い声で言った。
「あまり、この場を動かず、自分の身を守ることだけに集中しろ。後ろは、とりあえず気にしなくていい」
「移動したほうがいいのでは……」
言って、シエラは気付いた。
男の子がいるのだ。
この子を抱えて戦うことは、いくらボルドーでも、難しいということか。
「とにかく、ある程度戦ってみて、機が見つかれば、即座に移動をする。合図を出すから、逃すな」
そう言って、ボルドーは、身体に心気を充実させていく。シエラも、剣を正面に構えた。
倒れている男の子を挟んで、背中合わせに立った。
シエラは、正面の狼獣を見た。
口からは、涎が垂れ、目は不気味に光っている。
シエラは、自分は緊張している、と意識せざるを得なかった。
当たり前だ。初めての実戦なのだから。とにかく、心気を乱れないようにしないと……。
果たして、出来るのか?
自分は、ボルドーとの稽古しかしたことがない。
いったい、何が通用して、何をしたら駄目なのか。
剣を握っている手に、汗が滲んできた。
シエラは、一つ、息をついた。
とにかく、集中しなければ。
シエラは、剣先の一点を見つめた。
しばらく、そのままでいた。
鳴き声。
遠くで、遠吠えのような鳴き声が聞こえたと思ったら、一斉に狼獣が飛び掛かってきた。
シエラは、一歩踏み出し、一番前にいた狼獣の顔を、横に切り払った。
手応えがあった。中身が飛び散っただろうが、もう、それには目もくれず、次の狼獣に、目を移した。
二匹同時に接触しそうだ。
そう思ったら、瞬時に、シエラは体勢を落として、二匹の攻撃を避け、一匹を、下から腹目掛けて突き刺した。
すぐに、剣を抜いて、攻撃を外して着地している狼獣を、後ろから、叩き斬った。
素早く振り向いて、再び構える。
次から次へと、狼獣が、飛び掛ってくる。
低く、飛び掛ってきた一匹を、剣を使わず、蹴り飛ばした。
真正面から、突き刺した狼獣が、なかなか抜けず、そのままの剣を、数匹にぶつけて使った。いつの間にか、取れていた。
一匹を、真っ二つに切り裂いて、次に目を移そうと思ったら、一匹の死骸に足を滑らせてしまう。
倒れながら、上から来たら、剣を突き刺してやろうと構えたが、何もなかった。
シエラは、起き上がって、囲んでいる狼獣の群れを見た。
攻撃が止まっている。小休止のようなものか。
そこで、シエラは、自分の息が上がっているのに気がついた。
周りは、幾つもの死骸が転がっている。
自分も、返り血塗れだった。
無我夢中だった。
あまり、身体の痛みも感じない。傷を負っていないということか。
剣を構えたまま、振り向いた。
ボルドーは、さっきと同じ所で立っていた。
ただ、狼獣の死骸が、シエラの足元より、十倍はあり、広範囲に転がっていた。
血が出ているのが一匹もいない。シエラの場所とは対照的だった。
ボルドーは、息一つ上がっていない。
改めて見ると、圧倒されそうな心気だった。自分が、ある程度強くなったからこそ、分かるものなのか。
「少し雑だが、まあまあだ」
「え?」
「シエラ、気をつけろよ。夢中な時ほど、痛みは感じにくくなる。そういう時、致命傷を受けてしまいやすい」
「あ、はい」
こちらを見ながら戦っていたということか。
「また、来るぞ」
シエラは、視線を戻した。
再び、狼獣が、向かってきていた。
シエラは、先ほどよりも、冷静に戦うことができた。
ボルドーの方にも、幾度か、視線を移してみた。
明らかに、自分を襲ってきている狼獣よりも、多い数を相手にしている。
時々、自ら踏み出して攻撃を掛けていた。
しかも、素手だ。
一撃必殺。一度触れた狼獣は、確実に息の根を止めているようだ。
どうやっているのかは分からなかった。
そうしていると、また、相手の攻撃に間ができた。
「シエラ! 行くぞ!」
言われて、振り返ると、すでにボルドーは、男の子を抱え上げて走り出そうとしていた。
シエラも、それに続いた。
前にいた数匹の狼獣を、ボルドーは片手で蹴散らした。
それで、囲みは抜けて、林の中に飛び込んだ。
走った。
とりあえずは、狼獣はいないように見えるが、いきなり茂みから飛び出してきたら、対応ができるのか、とシエラは考えた。
ボルドーの方が、足が速いので、少し、間が開いてくる。それが、気になったのか、ボルドーが、こちらを見た。
その瞬間、茂みから数匹の狼獣が、ボルドーに向かって飛び掛かるのが見えた。
「おじいさん!」
ボルドーは、一瞬、体勢を崩して、男の子を落とした。しかし、すぐに体勢を立て直し、狼獣を蹴散らし始める。
狼獣が集まり始まる。すぐに、シエラは手一杯になった。
ボルドーと、倒れている男の子が、少し離れてしまっていた。
男の子に、一匹が向かっているのが見えた。
「おじいさん!」
ボルドーも慌てて動こうとしたが、狼獣が邪魔のようだ。
シエラも、間に合う位置にいなかった。
「いかん!」
そのとき、何かが飛び込んできた。
声を上げて、男の子に接触する寸前の狼獣に剣を突き刺した。
勢い余って、前に転がったが、すぐに立ち上がった。
さっき見た、ダークと名乗っていた男だった。
シエラは、それを、荷袋から取り出し、剣を抜いた。
旅に出る直前、ボルドーが与えた物である。
体の小さいシエラには、通常の剣では、扱い辛いだろうと思ったので、探してきた剣だったが、どうやら、丁度良いようだ。
「荷は、ここに置いていこう」
「はい」
二人は、再び走り始めた。
進むと、さらに、点々と狼獣の死骸が、転がっている。
すべて、グレイが片付けたのだろうが……。
これは、十匹どころの話ではない。
すると、木々の隙間から、遠くの低い所に、光を弾く面が見えてきた。
あれが、言っていた、湖だろう。
そのまま向かおうと思ったが、ボルドーは、気になるものが目に入り、足を止めた。
シエラも止まる。
道の端の土、坂の手前に、滑ったような跡があった。
狼獣の死骸は、道の先まで続いているので、グレイではない。
気になったボルドーは、少し、坂を下った。
すると、坂のずっと下に、人が仰向けに倒れているのが木々の隙間から見えた。
すぐに、ボルドーは、滑るように坂を下りた。
男の子供のようだ。
おそらく、言っていた子供だろう。
駆け寄ったボルドーは、子供に触れた。
生きている……。
身体中、泥だらけだ。頭に血の跡があるが、大きな傷ではないようだ。
気絶しているようだが、命に別状があるようには見えなかった。
ボルドーは、安心、というよりも、意外だった。
これほどの狼獣が跋扈している中、この程度で済んでいるのが不思議だった。
足を踏み外して、坂を転げ落ち、怪我をしただけのようだ。
シエラが、追い着いてくる。
そこで、ボルドーは、ふと気付いた。
今、いる場所が、高台に囲まれた低所だということに。
対集団戦闘においては、明らかに不利な場所だ。
人と、戦っているわけではないが、ボルドーは気になった。
そして、気がついた。
周囲一周、木々の隙間から、光る点が大量にあることを。
夥しいほどの数の、狼獣の目だった。
シエラは絶句した。
いつの間にか、狼獣の大群に囲まれている。
場は、狼獣の唸り声があちこちから響いていた。
「シエラ」
ボルドーが、前を見据えながら、低い声で言った。
「あまり、この場を動かず、自分の身を守ることだけに集中しろ。後ろは、とりあえず気にしなくていい」
「移動したほうがいいのでは……」
言って、シエラは気付いた。
男の子がいるのだ。
この子を抱えて戦うことは、いくらボルドーでも、難しいということか。
「とにかく、ある程度戦ってみて、機が見つかれば、即座に移動をする。合図を出すから、逃すな」
そう言って、ボルドーは、身体に心気を充実させていく。シエラも、剣を正面に構えた。
倒れている男の子を挟んで、背中合わせに立った。
シエラは、正面の狼獣を見た。
口からは、涎が垂れ、目は不気味に光っている。
シエラは、自分は緊張している、と意識せざるを得なかった。
当たり前だ。初めての実戦なのだから。とにかく、心気を乱れないようにしないと……。
果たして、出来るのか?
自分は、ボルドーとの稽古しかしたことがない。
いったい、何が通用して、何をしたら駄目なのか。
剣を握っている手に、汗が滲んできた。
シエラは、一つ、息をついた。
とにかく、集中しなければ。
シエラは、剣先の一点を見つめた。
しばらく、そのままでいた。
鳴き声。
遠くで、遠吠えのような鳴き声が聞こえたと思ったら、一斉に狼獣が飛び掛かってきた。
シエラは、一歩踏み出し、一番前にいた狼獣の顔を、横に切り払った。
手応えがあった。中身が飛び散っただろうが、もう、それには目もくれず、次の狼獣に、目を移した。
二匹同時に接触しそうだ。
そう思ったら、瞬時に、シエラは体勢を落として、二匹の攻撃を避け、一匹を、下から腹目掛けて突き刺した。
すぐに、剣を抜いて、攻撃を外して着地している狼獣を、後ろから、叩き斬った。
素早く振り向いて、再び構える。
次から次へと、狼獣が、飛び掛ってくる。
低く、飛び掛ってきた一匹を、剣を使わず、蹴り飛ばした。
真正面から、突き刺した狼獣が、なかなか抜けず、そのままの剣を、数匹にぶつけて使った。いつの間にか、取れていた。
一匹を、真っ二つに切り裂いて、次に目を移そうと思ったら、一匹の死骸に足を滑らせてしまう。
倒れながら、上から来たら、剣を突き刺してやろうと構えたが、何もなかった。
シエラは、起き上がって、囲んでいる狼獣の群れを見た。
攻撃が止まっている。小休止のようなものか。
そこで、シエラは、自分の息が上がっているのに気がついた。
周りは、幾つもの死骸が転がっている。
自分も、返り血塗れだった。
無我夢中だった。
あまり、身体の痛みも感じない。傷を負っていないということか。
剣を構えたまま、振り向いた。
ボルドーは、さっきと同じ所で立っていた。
ただ、狼獣の死骸が、シエラの足元より、十倍はあり、広範囲に転がっていた。
血が出ているのが一匹もいない。シエラの場所とは対照的だった。
ボルドーは、息一つ上がっていない。
改めて見ると、圧倒されそうな心気だった。自分が、ある程度強くなったからこそ、分かるものなのか。
「少し雑だが、まあまあだ」
「え?」
「シエラ、気をつけろよ。夢中な時ほど、痛みは感じにくくなる。そういう時、致命傷を受けてしまいやすい」
「あ、はい」
こちらを見ながら戦っていたということか。
「また、来るぞ」
シエラは、視線を戻した。
再び、狼獣が、向かってきていた。
シエラは、先ほどよりも、冷静に戦うことができた。
ボルドーの方にも、幾度か、視線を移してみた。
明らかに、自分を襲ってきている狼獣よりも、多い数を相手にしている。
時々、自ら踏み出して攻撃を掛けていた。
しかも、素手だ。
一撃必殺。一度触れた狼獣は、確実に息の根を止めているようだ。
どうやっているのかは分からなかった。
そうしていると、また、相手の攻撃に間ができた。
「シエラ! 行くぞ!」
言われて、振り返ると、すでにボルドーは、男の子を抱え上げて走り出そうとしていた。
シエラも、それに続いた。
前にいた数匹の狼獣を、ボルドーは片手で蹴散らした。
それで、囲みは抜けて、林の中に飛び込んだ。
走った。
とりあえずは、狼獣はいないように見えるが、いきなり茂みから飛び出してきたら、対応ができるのか、とシエラは考えた。
ボルドーの方が、足が速いので、少し、間が開いてくる。それが、気になったのか、ボルドーが、こちらを見た。
その瞬間、茂みから数匹の狼獣が、ボルドーに向かって飛び掛かるのが見えた。
「おじいさん!」
ボルドーは、一瞬、体勢を崩して、男の子を落とした。しかし、すぐに体勢を立て直し、狼獣を蹴散らし始める。
狼獣が集まり始まる。すぐに、シエラは手一杯になった。
ボルドーと、倒れている男の子が、少し離れてしまっていた。
男の子に、一匹が向かっているのが見えた。
「おじいさん!」
ボルドーも慌てて動こうとしたが、狼獣が邪魔のようだ。
シエラも、間に合う位置にいなかった。
「いかん!」
そのとき、何かが飛び込んできた。
声を上げて、男の子に接触する寸前の狼獣に剣を突き刺した。
勢い余って、前に転がったが、すぐに立ち上がった。
さっき見た、ダークと名乗っていた男だった。
信じられない光景だった。
結局、ペイルは、湖に向かった。
勝算があったわけではない。それでも、向かわずにはいられなかった。
ペイルは、もう、あまり考えないようにした。
もしかしたら、運よく、サンドを助けられることも、ないことはないはずだ。
すると、途中から狼獣の死骸が、ごろごろ転がっていた。
なんで?
可能性として考えられるのは、たまたま、獣狩の人間が近くにいたのか。
それとも、あの三人が……? いや、まさか。
しかし、少し気持ちが強くなって、ペイルは、足を速めた。
すると、林の中から、音が聞こえた。
せわしないような、静かなような、がさがさと複数が動く音だ。
狼獣か、と思い、そっと木の陰から覗いた。
そこで、ペイルは、信じられない光景を目にした。
十匹どころではない。何十匹も狼獣がいて、さらにその数は増えているようだ。
それよりも驚いたのが、その真ん中で、二人の人間が戦っていることだった。
一人は、さっきのじいさんだった。素手で戦っている。とんでもない強さだった。
もう一人は、全身真っ赤だ。小さい。まさか、さっきの女の子なのか。
そして、じいさんの近くに、サンドが倒れているのに気がついた。
まさか、死んでいるのか……。
しかし、じいさんが、サンドを守るように戦っているのを見て、そうじゃない、と思った。
そして、突然、一匹がサンドに向かっていくのが見えた。
思わず、駆け出していた。
ダークという男が、声を上げながら、剣を振り回していた。
ともあれ、男の子は助かった。とシエラは思った。
「シエラ!」
ボルドーが大声を出して、自分の後ろを指差していた。
しまった。一瞬、気が散ってしまった。
振り返ると、もうそこに、牙をむき出しにした、狼獣がいた。
あ……。
それだけだった。
狼獣に重なるように、二本の平行な横線が見えた。
次の瞬間、その狼獣は、左右に飛び散った。
その後ろに、両手に小剣を持った、グレイがいた。
さらに、その後ろにいたはずの狼獣の群れが、すべて、切り刻まれていた。
「って、うわっ、大丈夫!? シエラ。真っ赤じゃない!」
「あ……」
「ちょっと、ボルドーさん! 無茶させすぎでしょう。女の子だよっ!」
「来るのが遅い!」
ある程度、残った狼獣を片付けながら、ボルドーが言った。
とりあえず、周りに、生きている狼獣はいなくなった。
ダークという男は、肩で息をしていた。
「一旦、移動しよう。わしが先頭で道を拓く。グレイは、しんがりだ」
「わかった」
「おい、ダークとやら」
ダークが驚くように、ボルドーを見る。
「おまえは子供を背負ってくれないか」
「は、はいっ。わ、分かりました」
「シエラは、彼を守ってやってくれ」
「はい」
「よし、行くぞ」
圧倒的だった。
後ろを気にしなくてよくなったボルドーは、そこに、何もないが如く、狼獣を蹴散らして進んだ。
後ろや、横から来た狼獣も、悉く、グレイが切り裂いた。この人も、相当強い。
シエラは、ほとんど、何もしなくてよくなってしまった。
男の子を背負って走る、ダークと並走しているだけだった。
フと、遠くの高台が目についた。
そこに、赤っぽい狼獣がいるように見えた。
林の中、少し小高い山の中腹に、小さい洞穴のような所があり、三人は、そこに入った。
グレイだけ、外に残った。
ダークとシエラは、息が上がっていた。
「ダーク。子供を、地面に寝かせてくれ」
ボルドーが言った。
「え? あ、はい」
「念の為、子供の気を起こしておく」
ボルドーは、寝かせた子供の胸の上に両手を置いて、心気を集中させ始めた。
「もしかして、心気医療ができるのですか?」
ダークが言った。
「ああ。だが、勘違いしないでほしいのは、心気医療とは、傷口を塞いだり、病気を、あっという間に治したりするものではない。あくまでも、本人の、気を起こすだけだ。ただ、それで治る病気もあるし、致命傷を受けても、生き残ることがある」
言いながら、ボルドーの手に力が入った。
少しして、男の子が咳をして、うっすら、目が開いた。
「サンド!」
「……、ダーク……、さん……」
それを確認して、ボルドーは、腰を上げ、外に向かって歩き始めた。
シエラは、それに着いていった。
外では、グレイが、両手に剣を構えて立っていた。
「どうだ?」
「なんか、急に来なくなったね。なんでだろう?」
「ふむ」
「ただ、下の林の中は、うじゃうじゃ集まっているみたいなんだけど」
ボルドーは、考える仕草をした。
「グレイ。あの、赤い狼獣を見たか?」
「あの、高台にいた、一回りでかい奴でしょ。あんなの、初めて見たよ」
「わしは、あれが、狼獣達の指揮を執っていると思えてならんのだ」
「指揮って、人みたいに?」
「戦っていて、たまに遠吠えが聞こえた。それに合わせて狼獣達が動いているとしか思えん」
「そんなことってありえるの?」
「わしらが、最初に襲われた、場所、状況を考えれば……、奴ら、子供を囮にしたのだ。狙いは、最初から、わしらだったのだろう。ただの、狼獣が、そんなことできるわけがない」
「なんで、二人を狙うのよ?」
「わからん」
二人とも、考える表情をした。
「確かに、考えたら、なんだか私は、湖まで引き付けられてたような気がする」
グレイが言った。
「やはり、あの赤いのは狙う必要があるな」
「もしかして……、ダークさんが、助けてくれたのですか……?」
横になって、うっすら目を開いたままのサンドが、小さい声で言った。
ペイルは、その横で、膝をついていた。
「すいません……。また、お手を煩わせてしまって……」
ペイルは、自分が情けなくなってきてしまった。
「すまん……、サンド」
ペイルは、俯いた。
「俺は……、俺の本当の名は、ペイルっていうんだ。心気の師範っていうのは、全部、嘘なんだ。俺は……、ただの、詐欺師なんだ」
サンドの表情は動かない。
「お前を助けたのも、俺じゃない。俺は、お前が襲われたって聞いても、最初は逃げようと思ったんだ。俺は……、卑怯で、情けない、ただの臆病者だ……」
言った。
沈黙。
「……、知ってましたよ……」
「え?」
思わず、ペイルは、顔を上げた。
「嘘だというのは、なんとなく分かっていました……。おいらに、人集めの説明をしましたでしょ。そのときに、そうなんじゃないかと、思ってたんです……」
知っていた?
「え? ……、じゃあ、なんで?」
「だって、詐欺でもなんでも、あなたが、おいらを狼獣から助けてくれたのは本当でしょう……。自分を助けてくれた人なんだ、憧れるのは、当然じゃないですか。今だって、逃げようと思ったって言ってましたけど、来てくれているじゃないですか」
言って、サンドは、力なく微笑んだ。
「やっぱり、おいらの中では、あなたは、卑怯でも、情けなくなんかもない。強くて、かっこいい、おいらの、憧れの人だ」
憧れ……。
そういうものを目指したはずだった。
いつの間にか、頬に涙が流れていることに気が付いた。
「サンド……。俺、もう、詐欺はやめるよ」
決意した。
「おまえの、憧れに恥じない男で、あり続けられるように頑張ってみるよ」
ペイルは、サンドを見た。
サンドは、寝息をたてていた。
結局、ペイルは、湖に向かった。
勝算があったわけではない。それでも、向かわずにはいられなかった。
ペイルは、もう、あまり考えないようにした。
もしかしたら、運よく、サンドを助けられることも、ないことはないはずだ。
すると、途中から狼獣の死骸が、ごろごろ転がっていた。
なんで?
可能性として考えられるのは、たまたま、獣狩の人間が近くにいたのか。
それとも、あの三人が……? いや、まさか。
しかし、少し気持ちが強くなって、ペイルは、足を速めた。
すると、林の中から、音が聞こえた。
せわしないような、静かなような、がさがさと複数が動く音だ。
狼獣か、と思い、そっと木の陰から覗いた。
そこで、ペイルは、信じられない光景を目にした。
十匹どころではない。何十匹も狼獣がいて、さらにその数は増えているようだ。
それよりも驚いたのが、その真ん中で、二人の人間が戦っていることだった。
一人は、さっきのじいさんだった。素手で戦っている。とんでもない強さだった。
もう一人は、全身真っ赤だ。小さい。まさか、さっきの女の子なのか。
そして、じいさんの近くに、サンドが倒れているのに気がついた。
まさか、死んでいるのか……。
しかし、じいさんが、サンドを守るように戦っているのを見て、そうじゃない、と思った。
そして、突然、一匹がサンドに向かっていくのが見えた。
思わず、駆け出していた。
ダークという男が、声を上げながら、剣を振り回していた。
ともあれ、男の子は助かった。とシエラは思った。
「シエラ!」
ボルドーが大声を出して、自分の後ろを指差していた。
しまった。一瞬、気が散ってしまった。
振り返ると、もうそこに、牙をむき出しにした、狼獣がいた。
あ……。
それだけだった。
狼獣に重なるように、二本の平行な横線が見えた。
次の瞬間、その狼獣は、左右に飛び散った。
その後ろに、両手に小剣を持った、グレイがいた。
さらに、その後ろにいたはずの狼獣の群れが、すべて、切り刻まれていた。
「って、うわっ、大丈夫!? シエラ。真っ赤じゃない!」
「あ……」
「ちょっと、ボルドーさん! 無茶させすぎでしょう。女の子だよっ!」
「来るのが遅い!」
ある程度、残った狼獣を片付けながら、ボルドーが言った。
とりあえず、周りに、生きている狼獣はいなくなった。
ダークという男は、肩で息をしていた。
「一旦、移動しよう。わしが先頭で道を拓く。グレイは、しんがりだ」
「わかった」
「おい、ダークとやら」
ダークが驚くように、ボルドーを見る。
「おまえは子供を背負ってくれないか」
「は、はいっ。わ、分かりました」
「シエラは、彼を守ってやってくれ」
「はい」
「よし、行くぞ」
圧倒的だった。
後ろを気にしなくてよくなったボルドーは、そこに、何もないが如く、狼獣を蹴散らして進んだ。
後ろや、横から来た狼獣も、悉く、グレイが切り裂いた。この人も、相当強い。
シエラは、ほとんど、何もしなくてよくなってしまった。
男の子を背負って走る、ダークと並走しているだけだった。
フと、遠くの高台が目についた。
そこに、赤っぽい狼獣がいるように見えた。
林の中、少し小高い山の中腹に、小さい洞穴のような所があり、三人は、そこに入った。
グレイだけ、外に残った。
ダークとシエラは、息が上がっていた。
「ダーク。子供を、地面に寝かせてくれ」
ボルドーが言った。
「え? あ、はい」
「念の為、子供の気を起こしておく」
ボルドーは、寝かせた子供の胸の上に両手を置いて、心気を集中させ始めた。
「もしかして、心気医療ができるのですか?」
ダークが言った。
「ああ。だが、勘違いしないでほしいのは、心気医療とは、傷口を塞いだり、病気を、あっという間に治したりするものではない。あくまでも、本人の、気を起こすだけだ。ただ、それで治る病気もあるし、致命傷を受けても、生き残ることがある」
言いながら、ボルドーの手に力が入った。
少しして、男の子が咳をして、うっすら、目が開いた。
「サンド!」
「……、ダーク……、さん……」
それを確認して、ボルドーは、腰を上げ、外に向かって歩き始めた。
シエラは、それに着いていった。
外では、グレイが、両手に剣を構えて立っていた。
「どうだ?」
「なんか、急に来なくなったね。なんでだろう?」
「ふむ」
「ただ、下の林の中は、うじゃうじゃ集まっているみたいなんだけど」
ボルドーは、考える仕草をした。
「グレイ。あの、赤い狼獣を見たか?」
「あの、高台にいた、一回りでかい奴でしょ。あんなの、初めて見たよ」
「わしは、あれが、狼獣達の指揮を執っていると思えてならんのだ」
「指揮って、人みたいに?」
「戦っていて、たまに遠吠えが聞こえた。それに合わせて狼獣達が動いているとしか思えん」
「そんなことってありえるの?」
「わしらが、最初に襲われた、場所、状況を考えれば……、奴ら、子供を囮にしたのだ。狙いは、最初から、わしらだったのだろう。ただの、狼獣が、そんなことできるわけがない」
「なんで、二人を狙うのよ?」
「わからん」
二人とも、考える表情をした。
「確かに、考えたら、なんだか私は、湖まで引き付けられてたような気がする」
グレイが言った。
「やはり、あの赤いのは狙う必要があるな」
「もしかして……、ダークさんが、助けてくれたのですか……?」
横になって、うっすら目を開いたままのサンドが、小さい声で言った。
ペイルは、その横で、膝をついていた。
「すいません……。また、お手を煩わせてしまって……」
ペイルは、自分が情けなくなってきてしまった。
「すまん……、サンド」
ペイルは、俯いた。
「俺は……、俺の本当の名は、ペイルっていうんだ。心気の師範っていうのは、全部、嘘なんだ。俺は……、ただの、詐欺師なんだ」
サンドの表情は動かない。
「お前を助けたのも、俺じゃない。俺は、お前が襲われたって聞いても、最初は逃げようと思ったんだ。俺は……、卑怯で、情けない、ただの臆病者だ……」
言った。
沈黙。
「……、知ってましたよ……」
「え?」
思わず、ペイルは、顔を上げた。
「嘘だというのは、なんとなく分かっていました……。おいらに、人集めの説明をしましたでしょ。そのときに、そうなんじゃないかと、思ってたんです……」
知っていた?
「え? ……、じゃあ、なんで?」
「だって、詐欺でもなんでも、あなたが、おいらを狼獣から助けてくれたのは本当でしょう……。自分を助けてくれた人なんだ、憧れるのは、当然じゃないですか。今だって、逃げようと思ったって言ってましたけど、来てくれているじゃないですか」
言って、サンドは、力なく微笑んだ。
「やっぱり、おいらの中では、あなたは、卑怯でも、情けなくなんかもない。強くて、かっこいい、おいらの、憧れの人だ」
憧れ……。
そういうものを目指したはずだった。
いつの間にか、頬に涙が流れていることに気が付いた。
「サンド……。俺、もう、詐欺はやめるよ」
決意した。
「おまえの、憧れに恥じない男で、あり続けられるように頑張ってみるよ」
ペイルは、サンドを見た。
サンドは、寝息をたてていた。
生き物の気配が満ちていた。
坂の下の林を見て、シエラは思った。
「あの、赤いのは、こちらを窺える場所にいないと指示が出せないのだと思う。さっきも、囲いの中では、奴らは組織的に動いていたが、林の中では、急に動きが雑になった。つまり、わざと窺いやすい場所を作ってやって、そこに誘い込む」
ボルドーが言った。
「誘い込む場所は、ここだ」
そう言ってから、次に、少し離れた林の中の、木の少ない場所を指差す。
「あそこがいいだろう。ここ以外、見渡せる場所がない。あそこに、囮として、わしとシエラが行く。グレイは、ここで待ち伏せして、赤いのを仕留めてくれ」
ボルドーを見ていたグレイが、急に、厳しい目になる。
「作戦は分かった。いい案だと思う。だけど、シエラを連れて行くっていうのは、納得できないな」
「奴らが狙っているのが、わしかシエラか、あるいは両方か、まだ分からない。一度攻撃を受けた二人が行けば、間違いない」
「ボルドーさん。シエラの、この姿見てよ。無茶させすぎだと思わない?」
「私なら、大丈夫です」
「お前は、黙ってろ」
グレイが言った。
少し、間があった。
「分かった。まずは、わし一人で行こう。それで、奴らが動かなかったら、また別の方法を考えよう」
グレイが頷いた。
「では、任せたぞ」
言って、ボルドーは、坂を下っていった。
二人だけになった。
「シエラ。お前は、もう何もしなくていいから、あの、洞穴の中に入ってるんだ」
「私も、戦います」
「シエラ、一つ言っておくよ。お前が戦わなくても、この戦いは勝てるんだ。お前は、今、血に酔って興奮してるんだと思う」
血に酔う?
言われても、シエラには、実感がなかった。
「シエラが、強くなりたいと思う気持ちも分かるけど、無茶はいけない。ここは、私達に任せてくれればいいんだ」
無茶なんかではない。
言おうとしたら、麓に動きがあった。
「動いたな」
生き物の気配が、一斉に動き始めた。
「じゃあ、シエラ。分かったな?」
否定をしたら、余計な時間を食ってしまうと、シエラは思った。
シエラは頷いた。
「うおぁっ」
シエラが、洞穴に入ろうとしたら、鉢合わせになったダークが、驚いて声を上げた。
「ああ、ごめんごめん」
謝るダーク。
目が、少し赤くなっているように見えた。
「えと、あの二人は?」
「今、戦っています」
「そうか」
シエラは、自分の顔に付いている血が、固まっていることに気がついて、手で拭おうとしたが、手にも血がついていた。
「しかし、本当にすごいよね、君は。まだ、こんなに小さいのに、あんなに心気が使えるなんて」
シエラは、ダークを見た。
「すごいですか?」
「え? そりゃそうだよ。君ぐらいの歳で、心気を使える子なんて、まず、いないよ。ましてや、狼獣を倒しちゃうんだからね。多分、俺より強いんじゃないかな」
言って、ダークは笑った。
「そうですか。私は、強いですか……」
ボルドーが、予定の場所に辿り着いているのを、グレイは、草むらの中から確認した。
派手に、暴れているようだ。
グレイは、じっと息を潜めていた。
すると、グレイがいる反対側の丘を、数匹の狼獣を引き連れた、赤い狼獣が移動しているのが見えた。
来たな。
赤い狼獣が、グレイのいる山に入って来たのを確認して、グレイは、回り込むように移動した。
確実に、仕留めなければならないので、慎重にするべきだろう。
グレイは、どこで襲い掛かるか、大体、考えていた。
洞穴があった場所の、すぐ近くを、赤い狼獣の一団が通り過ぎようとしていた。
そこで、グレイは、仰天した。
シエラと、ダークという男が、その一団に飛び掛かっていっていた。
まず、取り巻きの一匹を斬った。
ダークが、周りの狼獣は任せてくれと言っていたので、シエラはそのまま、赤い狼獣に向かっていった。
近づいてみて、改めて、その大きさを感じた。
通常の狼獣の三倍はあるか。四本足で立って、背中が、シエラの身長と、ほぼ同じだった。
赤い狼獣は、走行を止めて、こちらを見た。
シエラは、その顔に向かって斬りかかった。
斬った、と思ったが、軽々と避けられていた。
一歩で、前に踏み出し、次の一歩で、こちらに向かって飛んできた。
シエラは、慌てて前に飛び込んだ。
なんとか、牙は避けたが、横になったシエラに、上から前足が飛んでくる。
シエラは、咄嗟に剣を出したが、力負けして、剣が弾かれてしまう。
シエラから、十歩の所に、剣が転がった。
シエラは、見上げた。
目の前に、赤い狼獣がいた。
飛んで来た、牙が光ったように見えた。
何かが、横からぶつかった。
吹っ飛んだ後、シエラは、自分がいた場所を見た。
悲鳴のような、狼獣の声が聞こえた。
血が、宙を舞っている。
グレイが、赤い狼獣の前にいた。
右手の剣が、狼獣の片目に刺さっていた。
グレイの、左肩が、血に染まっているのに、シエラは気付いた。
剣を抜いて、もう一度、攻撃に転じようとしたグレイに、狼獣は頭突きをした。
「ぐぅっ」
グレイは、後ろに倒れる。
シエラは、目の前に、グレイの、もう片方の剣が落ちていることに気がついた。
それを拾って、狼獣の首に向かって、飛び込んだ。
突き刺さったら、悲鳴を上げ、狼獣の動きが止まった。
すぐに、起き上がったグレイが、狼獣の額に、剣を突き刺した。
しばらくしてから、ゆっくりと狼獣は倒れた。
二人とも、息が上がっていた。
取り巻いていた、狼獣達が駆け去っていった。
グレイの、左肩からは、まだ血が出ているようだった。
「だ、大丈夫ですか!?」
ダークが、グレイに駆け寄ったが、グレイは、それを無視して、シエラに近づいてくる。
グレイが、前に立った。
左頬に、衝撃が来た。
拳だった。
「馬鹿野郎!! 勇気と、無茶は違うぞ!!」
痛い、とシエラは思った。
坂の下の林を見て、シエラは思った。
「あの、赤いのは、こちらを窺える場所にいないと指示が出せないのだと思う。さっきも、囲いの中では、奴らは組織的に動いていたが、林の中では、急に動きが雑になった。つまり、わざと窺いやすい場所を作ってやって、そこに誘い込む」
ボルドーが言った。
「誘い込む場所は、ここだ」
そう言ってから、次に、少し離れた林の中の、木の少ない場所を指差す。
「あそこがいいだろう。ここ以外、見渡せる場所がない。あそこに、囮として、わしとシエラが行く。グレイは、ここで待ち伏せして、赤いのを仕留めてくれ」
ボルドーを見ていたグレイが、急に、厳しい目になる。
「作戦は分かった。いい案だと思う。だけど、シエラを連れて行くっていうのは、納得できないな」
「奴らが狙っているのが、わしかシエラか、あるいは両方か、まだ分からない。一度攻撃を受けた二人が行けば、間違いない」
「ボルドーさん。シエラの、この姿見てよ。無茶させすぎだと思わない?」
「私なら、大丈夫です」
「お前は、黙ってろ」
グレイが言った。
少し、間があった。
「分かった。まずは、わし一人で行こう。それで、奴らが動かなかったら、また別の方法を考えよう」
グレイが頷いた。
「では、任せたぞ」
言って、ボルドーは、坂を下っていった。
二人だけになった。
「シエラ。お前は、もう何もしなくていいから、あの、洞穴の中に入ってるんだ」
「私も、戦います」
「シエラ、一つ言っておくよ。お前が戦わなくても、この戦いは勝てるんだ。お前は、今、血に酔って興奮してるんだと思う」
血に酔う?
言われても、シエラには、実感がなかった。
「シエラが、強くなりたいと思う気持ちも分かるけど、無茶はいけない。ここは、私達に任せてくれればいいんだ」
無茶なんかではない。
言おうとしたら、麓に動きがあった。
「動いたな」
生き物の気配が、一斉に動き始めた。
「じゃあ、シエラ。分かったな?」
否定をしたら、余計な時間を食ってしまうと、シエラは思った。
シエラは頷いた。
「うおぁっ」
シエラが、洞穴に入ろうとしたら、鉢合わせになったダークが、驚いて声を上げた。
「ああ、ごめんごめん」
謝るダーク。
目が、少し赤くなっているように見えた。
「えと、あの二人は?」
「今、戦っています」
「そうか」
シエラは、自分の顔に付いている血が、固まっていることに気がついて、手で拭おうとしたが、手にも血がついていた。
「しかし、本当にすごいよね、君は。まだ、こんなに小さいのに、あんなに心気が使えるなんて」
シエラは、ダークを見た。
「すごいですか?」
「え? そりゃそうだよ。君ぐらいの歳で、心気を使える子なんて、まず、いないよ。ましてや、狼獣を倒しちゃうんだからね。多分、俺より強いんじゃないかな」
言って、ダークは笑った。
「そうですか。私は、強いですか……」
ボルドーが、予定の場所に辿り着いているのを、グレイは、草むらの中から確認した。
派手に、暴れているようだ。
グレイは、じっと息を潜めていた。
すると、グレイがいる反対側の丘を、数匹の狼獣を引き連れた、赤い狼獣が移動しているのが見えた。
来たな。
赤い狼獣が、グレイのいる山に入って来たのを確認して、グレイは、回り込むように移動した。
確実に、仕留めなければならないので、慎重にするべきだろう。
グレイは、どこで襲い掛かるか、大体、考えていた。
洞穴があった場所の、すぐ近くを、赤い狼獣の一団が通り過ぎようとしていた。
そこで、グレイは、仰天した。
シエラと、ダークという男が、その一団に飛び掛かっていっていた。
まず、取り巻きの一匹を斬った。
ダークが、周りの狼獣は任せてくれと言っていたので、シエラはそのまま、赤い狼獣に向かっていった。
近づいてみて、改めて、その大きさを感じた。
通常の狼獣の三倍はあるか。四本足で立って、背中が、シエラの身長と、ほぼ同じだった。
赤い狼獣は、走行を止めて、こちらを見た。
シエラは、その顔に向かって斬りかかった。
斬った、と思ったが、軽々と避けられていた。
一歩で、前に踏み出し、次の一歩で、こちらに向かって飛んできた。
シエラは、慌てて前に飛び込んだ。
なんとか、牙は避けたが、横になったシエラに、上から前足が飛んでくる。
シエラは、咄嗟に剣を出したが、力負けして、剣が弾かれてしまう。
シエラから、十歩の所に、剣が転がった。
シエラは、見上げた。
目の前に、赤い狼獣がいた。
飛んで来た、牙が光ったように見えた。
何かが、横からぶつかった。
吹っ飛んだ後、シエラは、自分がいた場所を見た。
悲鳴のような、狼獣の声が聞こえた。
血が、宙を舞っている。
グレイが、赤い狼獣の前にいた。
右手の剣が、狼獣の片目に刺さっていた。
グレイの、左肩が、血に染まっているのに、シエラは気付いた。
剣を抜いて、もう一度、攻撃に転じようとしたグレイに、狼獣は頭突きをした。
「ぐぅっ」
グレイは、後ろに倒れる。
シエラは、目の前に、グレイの、もう片方の剣が落ちていることに気がついた。
それを拾って、狼獣の首に向かって、飛び込んだ。
突き刺さったら、悲鳴を上げ、狼獣の動きが止まった。
すぐに、起き上がったグレイが、狼獣の額に、剣を突き刺した。
しばらくしてから、ゆっくりと狼獣は倒れた。
二人とも、息が上がっていた。
取り巻いていた、狼獣達が駆け去っていった。
グレイの、左肩からは、まだ血が出ているようだった。
「だ、大丈夫ですか!?」
ダークが、グレイに駆け寄ったが、グレイは、それを無視して、シエラに近づいてくる。
グレイが、前に立った。
左頬に、衝撃が来た。
拳だった。
「馬鹿野郎!! 勇気と、無茶は違うぞ!!」
痛い、とシエラは思った。
鳥が飛び立った。
宿の一室の窓から、グレイは外を眺めていた。
赤い狼獣を倒した後、他の狼獣は、一斉にいなくなったらしい。
グレイは、戻ってきたボルドーに応急処置をされて、町に戻って、本格的な治療をした。
運動に、障害は残らなそうだが、一生残る傷だろう。
あとは、ダ-クと名乗っていた男が、四人でいる時、実は偽名だったと告白してきた。本名はペイルというらしい。
詐欺をしてきたと言っていたが、役人に突き出すのは、止めようということになった。良くありそうな話だ。
後から聞いた話では、サンドという子は、この、ペイルに着いていこうと思って先回りしようとしていたらしい。彼は、ペイルを、詐欺師と分かった上、その日に町を出ることも予想していたということだ。ただ、狼獣の群れに出くわし、足を滑らせ、気絶していたようだ。
彼の父親は、彼が荷物をまとめているのを不審に思い、密かに彼を着けていたようだ。
サンドは、頭にかすり傷を負っただけだった。
町に戻れば、ペイルは英雄扱いだった。
ペイルは嫌がっていたが、そのままでいてもらった。注目を受けるのは、面倒くさい。
そして、一日が経っていた。
グレイは、腹が立っていた。
シエラもそうだが、ボルドーもボルドーだ。何故、わざわざ危険な所に、シエラを連れて行こうとするのだろうか。
確かに、あの歳にしては、シエラは強すぎる方だろう。しかし、あくまで、あの歳にしてはだ。あの状況は、並の心気使いでも難しいだろう。
扉が軽く叩かれた。
「グレイ、入っていいか」
「いいよ」
ボルドーが、部屋に入ってくる。
「傷の具合はどうだ?」
「まあ、そんなに、心配するほどのものでもないでしょ」
「そうか」
ボルドーも、窓の外を見た。
「ありがとう、グレイ。二度も、シエラを助けてもらったな」
グレイは、ボルドーを見た。
「あのねぇ、助けが必要な所に連れて行ったのは、ボルドーさんでしょう」
「そうだな」
「なんで、そんなことするのよ」
少しの間。
「わしはな、シエラが、今後どういう対応をするか、決めるのに調度いい機会だと思ったんだ」
「対応?」
「今後、追っ手と遭遇した場合、逃げることだけを考えるか、あるいは、返り討ちも念頭におくか」
グレイは、頬杖をついていた顔を上げた。
「残酷だが、シエラには、どうしてもそれが付き纏う。あの子は、それを決めておく必要がある。どっちつかずの覚悟でいると、そっちの方が危ないんだ」
言って、ボルドーは腕を組んだ。
「返り討ちにするのなら、当然、人を殺す覚悟が必要になる。単純に比べられはせんが、今回のことで、シエラに、その適正があるかどうか知りたかった」
確かに、その通りかもしれないとグレイは思った。
「あの程度で、怖気づくか躊躇するようなら、わしは、シエラには今後一切戦うなと言うつもりだった」
ボルドーは、目を瞑った。
「じゃあ、あれは適正か……」
「実は、まだなんとも言いにくいんだ。シエラは、カラトとのこともあるからな。一緒に戦えなかったことを今でも悔いている。それが、戦闘においての頑固さや無茶さの根源になっているんだ」
グレイは、ふと気がついた。
「……もしかして、初めての実戦だったの?」
ボルドーは、頷く。
グレイは、正直に驚いた。
あれは、感覚だけで、戦っていたということか。
と、同時に、怒っていた自分が恥ずかしくもなってきた。
「……ごめんなさい。私、ボルドーさんが、何も考えてないんじゃないかって思ってた……よくよく考えたら、そんなことあるわけないのにね」
「いや。どうも、わしは、人を育てたり、教えたりするのが苦手なようだ。今回も、あわやという場面を二度も、作ってしまった。お前のように、心配を口にしたり、本気で怒ったりすることも必要なことだと思う」
「いや、シエラには、ちゃんと通じてると思うよ……。しかし、まいったなぁ。なんだかシエラと、気まずくなっちったよ」
「あいつも、気にしていたよ。お前に、傷をつけてしまったと」
グレイは、立ち上がった。
「シエラ、今、どこにいるの?」
街中の、石の階段にシエラは座っていた。
向こうで、自分と同じぐらいの背丈の子供が、追いかけあって遊んでいる。
シエラは、それを見ていた。
特に、何かを思ったわけではない。ただ、目が離せなかった。
「よっ」
グレイが、こちらに向かって歩いてきた。左腕は、首から掛けた布で、吊っている。
「こんにちわ」
「隣、いいかな?」
「どうぞ」
グレイが隣に座る。
「何、見てたの?」
「いえ、特には」
「そっか」
日が、夕焼けに変わり始めていた。
町の、所々の影が、長く伸び始めていた。
「すいませんでした」
シエラは、言った。
「いや、私の方こそ、殴るなんて大人気なかったよ」
「いいえ、当然だったと思います」
シエラは、俯いた。
「女性なのに、傷をつけてしまいました」
「ああ、それなら別にいいんだよ」
言って、グレイは、上着を少し捲くった。
シエラは、ぎょっとした。
見えた肌に複数の傷跡があった。
「と、いうわけなんだ。どうも、私の戦闘型のせいか、昔から生傷が絶えないんだよね。だから、この程度の怪我は、もう慣れっこなんだよ。全身を見たら、私でも数え切れないんじゃないかな」
まぁ、と言葉を続けて。
「だけど、顔だけは死守してるんだけどね」
そう言って、グレイは、声を出して笑った。
シエラも、自分が笑っているような気がした。
「よし、じゃあこれで仲直りだ」
グレイが、右手を差し出してくる。
「まだ言ってませんでした」
「ん?」
「二度も、助けられました。ありがとうございました」
にやりと、グレイは笑った。
「じゃあ、いつか私を助けてくれ」
握手をする。
「分かりました」
シエラは、グリーンの町がほとんど記憶になかった。
そういえば、雨が降っていたなと、思い出した。
「この町の前の町は、大きかったか? ここと、同じ規模だったか?」
「大きい印象は、ありませんでした」
「では、北のローズに行こう」
そういう会話があったのは、昨日だった。
三人は、グリーンの町から伸びる街道にいた。
少し先で、分岐する道があるのが見える。
「間違ってたら、どうするの?」
グレイが言った。
「別に、我々は急いでいるわけではない。間違っていたら間違っていたで、シエラの見聞が広がるからいい」
ボルドーが言った。
「なるほどねぇ……ん?」
急に、二人が、振り返って後ろを見る。
シエラも、後ろを見た。
誰かが、こちらに向かって、街道を走って来ていた。
ペイルだった。
「す、すいませーん」
息を切らせて追いついたペイルは、すぐに地面に手を着けた。
「あ、あの、名前を聞いた時に、もしかして、と思ってたんですけど、ボルドーさんって、あのスクレイの十傑のボルドー将軍ではないのですか!?」
スクレイの十傑?
「……いいや、違うな」
ボルドーが言う。
「いえ、間違いありません! そうじゃないと、あの強さは説明がつきません!」
「なんなんだ、おまえは。一体、何の用だ?」
困った顔で、ボルドーが言う。
「俺……いや、私を、あなたの弟子にしていただきとうございます!」
少し、間があった。
それから、グレイが笑い出した。
「なんだって?」
「私は、強くなりたいんです! 今みたいな、半端なものではなく、真に強くなりたいんです! お願いします! 何でもやりますからっ!」
「駄目だ駄目だ。わしは弟子はとらないと決めているのだ。それに、人違いだから、もう帰れ」
「あはは、いいじゃん。とりなよボルドーさん。一人いても、二人いても大して変わんないよ」
「お前な」
「頑張れ、ペイル君。この人、しつこくいったら折れる人だから」
「おいっ」
言って、グレイが、別の道を進み始める。
「それじゃあ、私はこれで」
「……ああ」
「さようなら」
数歩、歩いて、グレイが振り返った。
「シエラ」
グレイが笑った。
「次に会うまでに、カラトより強くなってろよ」
最後にそう言った。
宿の一室の窓から、グレイは外を眺めていた。
赤い狼獣を倒した後、他の狼獣は、一斉にいなくなったらしい。
グレイは、戻ってきたボルドーに応急処置をされて、町に戻って、本格的な治療をした。
運動に、障害は残らなそうだが、一生残る傷だろう。
あとは、ダ-クと名乗っていた男が、四人でいる時、実は偽名だったと告白してきた。本名はペイルというらしい。
詐欺をしてきたと言っていたが、役人に突き出すのは、止めようということになった。良くありそうな話だ。
後から聞いた話では、サンドという子は、この、ペイルに着いていこうと思って先回りしようとしていたらしい。彼は、ペイルを、詐欺師と分かった上、その日に町を出ることも予想していたということだ。ただ、狼獣の群れに出くわし、足を滑らせ、気絶していたようだ。
彼の父親は、彼が荷物をまとめているのを不審に思い、密かに彼を着けていたようだ。
サンドは、頭にかすり傷を負っただけだった。
町に戻れば、ペイルは英雄扱いだった。
ペイルは嫌がっていたが、そのままでいてもらった。注目を受けるのは、面倒くさい。
そして、一日が経っていた。
グレイは、腹が立っていた。
シエラもそうだが、ボルドーもボルドーだ。何故、わざわざ危険な所に、シエラを連れて行こうとするのだろうか。
確かに、あの歳にしては、シエラは強すぎる方だろう。しかし、あくまで、あの歳にしてはだ。あの状況は、並の心気使いでも難しいだろう。
扉が軽く叩かれた。
「グレイ、入っていいか」
「いいよ」
ボルドーが、部屋に入ってくる。
「傷の具合はどうだ?」
「まあ、そんなに、心配するほどのものでもないでしょ」
「そうか」
ボルドーも、窓の外を見た。
「ありがとう、グレイ。二度も、シエラを助けてもらったな」
グレイは、ボルドーを見た。
「あのねぇ、助けが必要な所に連れて行ったのは、ボルドーさんでしょう」
「そうだな」
「なんで、そんなことするのよ」
少しの間。
「わしはな、シエラが、今後どういう対応をするか、決めるのに調度いい機会だと思ったんだ」
「対応?」
「今後、追っ手と遭遇した場合、逃げることだけを考えるか、あるいは、返り討ちも念頭におくか」
グレイは、頬杖をついていた顔を上げた。
「残酷だが、シエラには、どうしてもそれが付き纏う。あの子は、それを決めておく必要がある。どっちつかずの覚悟でいると、そっちの方が危ないんだ」
言って、ボルドーは腕を組んだ。
「返り討ちにするのなら、当然、人を殺す覚悟が必要になる。単純に比べられはせんが、今回のことで、シエラに、その適正があるかどうか知りたかった」
確かに、その通りかもしれないとグレイは思った。
「あの程度で、怖気づくか躊躇するようなら、わしは、シエラには今後一切戦うなと言うつもりだった」
ボルドーは、目を瞑った。
「じゃあ、あれは適正か……」
「実は、まだなんとも言いにくいんだ。シエラは、カラトとのこともあるからな。一緒に戦えなかったことを今でも悔いている。それが、戦闘においての頑固さや無茶さの根源になっているんだ」
グレイは、ふと気がついた。
「……もしかして、初めての実戦だったの?」
ボルドーは、頷く。
グレイは、正直に驚いた。
あれは、感覚だけで、戦っていたということか。
と、同時に、怒っていた自分が恥ずかしくもなってきた。
「……ごめんなさい。私、ボルドーさんが、何も考えてないんじゃないかって思ってた……よくよく考えたら、そんなことあるわけないのにね」
「いや。どうも、わしは、人を育てたり、教えたりするのが苦手なようだ。今回も、あわやという場面を二度も、作ってしまった。お前のように、心配を口にしたり、本気で怒ったりすることも必要なことだと思う」
「いや、シエラには、ちゃんと通じてると思うよ……。しかし、まいったなぁ。なんだかシエラと、気まずくなっちったよ」
「あいつも、気にしていたよ。お前に、傷をつけてしまったと」
グレイは、立ち上がった。
「シエラ、今、どこにいるの?」
街中の、石の階段にシエラは座っていた。
向こうで、自分と同じぐらいの背丈の子供が、追いかけあって遊んでいる。
シエラは、それを見ていた。
特に、何かを思ったわけではない。ただ、目が離せなかった。
「よっ」
グレイが、こちらに向かって歩いてきた。左腕は、首から掛けた布で、吊っている。
「こんにちわ」
「隣、いいかな?」
「どうぞ」
グレイが隣に座る。
「何、見てたの?」
「いえ、特には」
「そっか」
日が、夕焼けに変わり始めていた。
町の、所々の影が、長く伸び始めていた。
「すいませんでした」
シエラは、言った。
「いや、私の方こそ、殴るなんて大人気なかったよ」
「いいえ、当然だったと思います」
シエラは、俯いた。
「女性なのに、傷をつけてしまいました」
「ああ、それなら別にいいんだよ」
言って、グレイは、上着を少し捲くった。
シエラは、ぎょっとした。
見えた肌に複数の傷跡があった。
「と、いうわけなんだ。どうも、私の戦闘型のせいか、昔から生傷が絶えないんだよね。だから、この程度の怪我は、もう慣れっこなんだよ。全身を見たら、私でも数え切れないんじゃないかな」
まぁ、と言葉を続けて。
「だけど、顔だけは死守してるんだけどね」
そう言って、グレイは、声を出して笑った。
シエラも、自分が笑っているような気がした。
「よし、じゃあこれで仲直りだ」
グレイが、右手を差し出してくる。
「まだ言ってませんでした」
「ん?」
「二度も、助けられました。ありがとうございました」
にやりと、グレイは笑った。
「じゃあ、いつか私を助けてくれ」
握手をする。
「分かりました」
シエラは、グリーンの町がほとんど記憶になかった。
そういえば、雨が降っていたなと、思い出した。
「この町の前の町は、大きかったか? ここと、同じ規模だったか?」
「大きい印象は、ありませんでした」
「では、北のローズに行こう」
そういう会話があったのは、昨日だった。
三人は、グリーンの町から伸びる街道にいた。
少し先で、分岐する道があるのが見える。
「間違ってたら、どうするの?」
グレイが言った。
「別に、我々は急いでいるわけではない。間違っていたら間違っていたで、シエラの見聞が広がるからいい」
ボルドーが言った。
「なるほどねぇ……ん?」
急に、二人が、振り返って後ろを見る。
シエラも、後ろを見た。
誰かが、こちらに向かって、街道を走って来ていた。
ペイルだった。
「す、すいませーん」
息を切らせて追いついたペイルは、すぐに地面に手を着けた。
「あ、あの、名前を聞いた時に、もしかして、と思ってたんですけど、ボルドーさんって、あのスクレイの十傑のボルドー将軍ではないのですか!?」
スクレイの十傑?
「……いいや、違うな」
ボルドーが言う。
「いえ、間違いありません! そうじゃないと、あの強さは説明がつきません!」
「なんなんだ、おまえは。一体、何の用だ?」
困った顔で、ボルドーが言う。
「俺……いや、私を、あなたの弟子にしていただきとうございます!」
少し、間があった。
それから、グレイが笑い出した。
「なんだって?」
「私は、強くなりたいんです! 今みたいな、半端なものではなく、真に強くなりたいんです! お願いします! 何でもやりますからっ!」
「駄目だ駄目だ。わしは弟子はとらないと決めているのだ。それに、人違いだから、もう帰れ」
「あはは、いいじゃん。とりなよボルドーさん。一人いても、二人いても大して変わんないよ」
「お前な」
「頑張れ、ペイル君。この人、しつこくいったら折れる人だから」
「おいっ」
言って、グレイが、別の道を進み始める。
「それじゃあ、私はこれで」
「……ああ」
「さようなら」
数歩、歩いて、グレイが振り返った。
「シエラ」
グレイが笑った。
「次に会うまでに、カラトより強くなってろよ」
最後にそう言った。