「オイどけ旭、邪魔だ。テメェ誰を庇ってやがる?」
「無害だって言ってるだろ。彼は『反転』から戻ったんだよ。見た目は、まぁ……アレだけどさ」
「んなモン信じられるか。日和構えろ、あの人外共を殺すぞ」
「…ん、天秤刀が壊れた晶兄ぃじゃ無理。私もちょっと、疲れた」
「下がってろ白。前に闘った時と同じだと思うなよイカレ退魔師。半端だが魔性の力を獲得した今の俺は強ぇぞ?」
「……アル、ケンカだめ」
穏やかではない応酬を耳にして、彼女は目を覚ました。仰向けに横たわっていた右手側から聞こえる声に視線を向ける。そこには背中を向ける赤茶色の髪をした青年と、その男の裾を握る白銀の少女がいた。
その向こう側には三人の退魔師の姿もある。お互いに向かい合って一触即発の気配を醸し出している。
何があったか、という疑問よりも先に思う。
(私…なんで、生きて…?)
七歩蛇の猛毒を受けて、何故意識を取り戻したのか。もう二度と目覚めることは無いと確信していたというのに。
痛む頭を押さえながらゆっくり起き上がると、それに合わせて向かい合って火花を散らしていた人外と退魔師達も音々を見る。
「チッ、そっちも生きてやがったのか。面倒臭ェ」
「音々!意識が戻ったんだね、良かった」
マチェットナイフを構えながら舌打ちする晶納の行く手を遮る形で立つ旭も、顔を半分だけ振り返らせて安堵した表情を浮かべる。
「……だいじょうぶ?」
とてとてと、幼い足取りで固い地面に座る音々に近付いた少女が白銀の髪を揺らす。幻獣種ユニコーンを真名に持つ人外が、血の滲む包帯を頭部に巻いた痛々しい姿で、それでも気遣わしげに魔獣に訊ねた。
「…え、と。うん、そうね。大丈夫そう」
全体的な怠さや痛みは残っているが、意識を失うまでの死に直面していた状態のそれと比べれば雲泥の差だ。
「おいクソ魔獣、とっとと白に土下座しろ。命の恩人様だぞ」
背中を向けたまま、片手に剣を握るアルが忌々しげに言葉を吐き捨てる。その物言いに対し睨みを利かせるが、そもそもこちらを見ていないアルには届かない。
それよりも。
「もしかして、あなたが私を?」
助かるはずの無い猛毒。それを癒すことが出来るのだとしたらその手段はこの現状においてただ一つしかない。その考察に加えアルの発言内容からするに、おそらくは事実であろうことを口にする。
「…なんで?」
恨まれていると思っていた、憎まれて当然のことをしていた。直接『仙薬』の製作に関わっていたわけではないにしても、それに与している(ように見せかけていた)自分に抱くは悪感情しかないはずだ。そんな相手を、どうして助けたのか。
「……ネネが、やさしかったから?」
何故か疑問形になった返答に、一瞬だけ唖然とした音々が直後にぷっと小さく噴き出した。
そういう子だった。きっとこの少女は、あれだけ酷い目に遭わされておきながらも瀬戸にも鉄平にもジャドにも敵意や殺意といったものを感じてはいないのだ。
その純真無垢を、音々は尊いものだと敬っていたのだから。
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「角にもな、神経みたいなのが通ってるんだと」
旭と日和が二人掛かりで憤る晶納を抑え宥めている光景を面白おかしく眺めながら、アルはそう言って隣に立つ少女の頭にぽんと手を置く。
「だから傷付けば痛みを感じる。根元から折ったりしたら、そりゃ手足が千切れるのと同じくらいの激痛だ。…それでも、白は躊躇しなかった。角を斬り落とした俺の方がよっぽど渋ってたんだから情けねえ話だが」
ようやく話の本題に自分が絡んでいることに気付き、音々はゆっくりと顔を上げてアルの横顔を見た。
音々の解毒の為にユニコーンの一角を使った。『仙薬』と称して一角の粉末を売りつけ巨万の富を得ていた連中と同じことをしてしまった自身の行動を後悔しているのか。ユニコーン自らの頼みであったことは言い訳にするつもりもないのだろう、アルはただ自分の力不足を嘆いていた。
「白には救われた。二度もだ。俺は一生をこの子の為に使う、そう決めた。この剣と命を全て尽くして白を守る」
「……アル」
巻きなおした包帯がズレないようにそっと乗せた掌で頭を撫でながら、アルがちらと音々を見やる。
「お前にも、ちっとだけ?…世話になったみてえだな。礼を言っといてやらんでもねえ」
「はん、いらないわよ。私はアンタの為じゃなくこの子を守る剣としての意味でアンタを生かしておこうと思っただけ。あと、そのシロってのはなんなの」
鼻息一つで不器用な礼を跳ね除け、問うた音々の言葉にアルが答える。
「いつまでもユニコーンじゃ不便だろうが。名前も無いっていうから、俺が付けた」
「しろ、白ね。馬鹿なアンタじゃそんな安直ネームがやっとだったってことかしら」
「やっぱ今すぐ黄泉路へ引き返すか魔獣ぶっ殺してやるぞ」
「ありがとうねハクちゃん。私も貴女に大恩ができちゃったみたい。何かあればいつでも力になるからね?」
「おい聞けクソアマ。それと勝手に呼び方変えてんじゃねえぞ白だっつってんだろ」
「字は一緒なんだから問題ないでしょ愛称よ愛称。細かいこと気にしてるとすぐハゲるわよ混ざり者。それとも毛根が枯れる唄でも歌ってあげましょうか?」
「……ふたりとも、なかよし」
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夜明けと同時に人払いの結界を解き、騒ぎが大きくなる前に工場街の外れまで一同は撤退した。その道中、半ば日和によって強引に晶納は人外達から引き剥がされた。とても口で言って説得できる剣幕ではなかったので強硬手段に出たようだ。良く出来た妹に旭は内心で深く感謝する。
今回の任務は敵の強大さ、『反転』の異常事態などの要素が合わさり尋常じゃない被害を街に与えてしまった。これは陽向家に要請して情報隠匿の助力を願う必要もあるかもしれない。まだ街中には晶納と日和が掃討した雇われの武装集団が気絶した状態で転がっているから、大方はそれらに罪を着せる形になるとは思われるが。
彼らが『仙薬』を生み出す上で根城としていた工場はアルによって跡形も無く吹き飛ばされたし、瀬戸の死体やユニコーンの角もそれによって形も残らず灰と化した。
懸念すべきことは何も無い。あるとすれば、此度の因縁と紡がれた
「…戻って来れたとはいえ、やっぱり『反転』の影響は完全には癒えないようだね」
痛ましいものを見るように、旭は言う。
アルムエルドの外見は純粋な妖精種であった頃から一変した。
妖精種特有の病的に白い肌は褐色に。あの鮮やかな焔の如き頭髪は煤けた赤茶色に。薄羽も、見るも無残なボロボロの蝙蝠羽となってしまっている。
誰がどう見ても、既にアルの容姿は妖精ではない。
「んな目でこっち見んな、別に大したことじゃねえよ」
だが当の本人はどこ吹く風、まるで意に介した様子は無かった。むしろ自らの姿を誇るように腕を組んで胸を張って見せる。
「姿形がどうなろうが、俺が俺であることは変わりゃしねえ。武装の質が『反転』によって跳ね上がったことで、どっちかで言えばマイナスよりかはプラスだしな」
完全ではないにしても、妖精から悪魔へ転じたアルは実質的に魔性の力を身に宿した二重の存在構成を持つ人外、
それによって得られた能力の向上は、確かに一介の妖精種にしてみれば破格のものであろう。そもそもが『闘争を好む』という極めて稀有な妖精にしてみれば、を前提にした話に限るものだけれども。
「陽向…いや旭の旦那。アンタにはマジで感謝してる。白の救出に手を貸してくれたこと、命懸けで俺を『反転』から引き摺り上げてくれたこと。アンタがいなかったら俺は今頃何も出来ずに暴走してくたばってた、白も死んでたかもしれねえ」
「……アキラ、ありがと」
真っ直ぐな瞳に揺らがぬ恩義の念を乗せて発せられた言葉にゆっくりと頷いて返す。
「何はともあれ結果はオーライだ。…君達はこれからどうするんだい?行くアテはあったりするのかな」
「ひとまずはこの子を休ませたい。気張っちゃいるが随分と疲れてる。……あんま気乗りはしねえが、仕方ない。妖精界に戻るさ、白にはちゃんとしたベッドとまともな飯が必要だ」
妖精界。あまり耳にすることのない単語だが、旭にはその意味がわかった。
「具現界域か。君達妖精の理想世界。知識としては知ってはいたけど、やっぱり実在するんだね」
この世界には、人外達が自らの暮らしやすい場所を求めて生み出された別空間がある。一つきりの世界を強引に割り裂いてスペースを確保した、人が住む居場所とは隔絶された異界。
数あるとされる界の一つ、“具現界域・妖精界”。妖精種にとっての理想郷。
同じ『聖族』でもある幻獣種の白であれば、おそらく受け入れられないということはなかろう。
「あの国は陰気で嫌いなんだがな。他にアテねえし」
心底嫌そうに、アルが妥協の末に自らを納得させている。そのままジロリと視線をやった先には、小柄な白を後ろから抱きついて両腕にすっぽり収めている魔獣種の音々。
「テメエは入れねえぞ音々。お願いしてどうこうなる話じゃねえしな」
「わかってるわよ。妖精界に『魔族』の私が入れるわけないじゃない。あぁ~しばらくハクちゃんとお別れしなくちゃならないなんて……今の内にハクちゃん分を補充しとかないと。ぎゅー」
「……ぎゅー」
向かい合って抱き合う二人から顔を戻し、アルが右手を差し出す。
「でっけえ借りが出来…ました。いつか必ず返しますぜ旦那。何かあったら遠慮なく呼んでくんな、いくらでもこき使われてやっからよ」
「無理して敬語使わなくてもいいけどね。でも、うん。また会おう。―――あ、そうだ。君も妖精種ならもしかして知ってるかな。えっと…」
「あん?」
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「それじゃあね。私も貴方には助けてもらったから、その内にでも返せたら返すわこの恩」
「はは、期待しないで待ってるよ」
早朝の爽やかな微風に長い赤毛の髪を遊ばせて、気安く片手を挙げて別れの挨拶とする音々へと手を振り返す。
そして最後に露骨な表情でさっさと行けと促すアルと目を合わせて、
「…今度はちゃんと守りなさいよ、アル。それがアンタの役目」
「あ?テメエに言われるまでもねえよ。今後はこの子が俺の生きる意味だ」
肩車した頭の上にある白の背中をポンと叩く。話に挙げられて、白も持ち上げた片手をにぎにぎさせながら音々を見送る。
「……またね、ネネ。ばいばい」
「またねぇ~ハクちゃん!絶対また会おうねぇ~!」
途端に顔をだらしなく歪め、大きく手を左右に振りながらいつまで経っても白から目を逸らさぬままに音々が去っていった。
「前見て歩けよクソ魔獣」
ぼそりと悪態を吐いたアルだが、その顔にはさっきまであった嫌悪の表情は消え、僅かな笑みすら浮かんでいた。
まったく、お互い素直じゃないものだ。
短く嘆息する旭の口元もまた、同様に小さな笑みを形作っていた。
「んじゃ、俺らも行きますわ」
「ああ。ゆっくり養生するといいよ。君も色々疲れたろう」
「……アキラも、ばいばい?」
「そうだよ、白。アルの言うことよく聞いてね。これからはずっと一緒なんだから」
「……うん」
変化に乏しい白の表情にも少しだけ寂しさが滲んでいるように見えた。だから手を伸ばしてアルに乗る白の髪を、妹達にしているように軽く梳いてやる。
「…人間全部が、君をあんな風に扱った連中ばかりだと思わないでほしい。あれだけ酷いことされて、説得力の無い言葉だと自分でも思うけど」
「……ううん。そんなこと、ない」
ふるふると首を左右に振って、白が梳いていた旭の手を両手で包み込み、柔らかい頬を押し当てる。
「……シロは、
「―――そう、かい」
無垢な言葉が何より重く、どこまでも刺さる。
それを痛感した旭が、思わず緩み掛けた涙腺を引き締め直してふっと微笑む。最後に頭を一撫でして。
「気を付けて帰りなね。君達の今後に幸溢れんことを切に願うよ」
「互いにな、旦那」
「……じゃあ、ね。アキラ」
白を肩車したまま、背中を向けて歩き出す。見える背中が徐々に小さくなって来た頃、不意に足を止めてアルが顔だけ振り返る。何かあったかと耳を澄ますが、そうするまでもなく大声量で届けられた言葉は容易に鼓膜に響いた。
「あのイカレた退魔師にも言っとけ!!次に
「…はは…」
そんなこと絶対に言えない。被害を受けるのは八つ当たりの対象にされる自分なのだから。
それにしても、とふと思う。
(晶納か。最近は特に荒れてるなぁ。前から人外のことは嫌ってたけど、あそこまで問答無用じゃなかったような…)
人ならざるは害悪、すなわち害悪滅すべし。
そんな思想を抱く陽向晶納の好戦っぷりは日に日に目に余るものになっている。成人して少しはそれも治まるかと思いきや、むしろ加速した節すらある。
(性格の問題だろうと思って深く考えてこなかったけど、妙と言えば妙ではある…かな?)
その時のことだった。
ぞくりと、得体の知れない何かに総毛立つ。
何故だかは本当にわからない。ただ、何故か。
漠然と正体のわからない悪寒が走り抜け。同時に。
『ただ陽向の家はそろそろ限界かもしれねぇぞ。そうやって人外を倒すべき守るべきで見境付けたいのなら、その信念固く保てよ』
四年も前に聞いた、とっくのとうに忘れていたはずの言葉を思い出してしまった。
それは最強の特異家系と自他共に評価する、かの『神門』の当主が口にした言葉。
全てを知る『神門』が真意。それを正確な理解に至らせるまでには未だ遠い。
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「ったく、ふざけた女だったぜあのクソ魔獣は」
疲労で鉛のように重たい体を引き摺り、またそれを悟られないようにしながらも肩車した白に愚痴を溢す。
実にふざけた人外だった。それは間違いない。
「俺よぉ、白。別れ際にあの女に訊いてみたんだよ。『なんでお前、白をそこまで気にかけてたんだ?』ってな。だってそりゃ気になるだろ」
音々は魔獣種、対する白は幻獣種である。
『魔族』と『聖族』。そういった大別がされている者らは基本的に互いに互いを忌避し嫌悪する傾向が強い。魔は聖を憎み、聖は魔を避ける。
白に関しては、まあ分かる。この子にそんな法則性は通用しない。純真無垢を偽りなく地で行く少女に、好悪だのを選り分ける余分な回路は存在すらしていないだろうから。
音々は違う。現に、初対面で純粋な妖精種だったアルとは即座に殴り合いになるほどの憎悪と敵意を抱いていた。
だから理由が在ったはずなのだ。アルでは駄目だった。白だからこそ聖魔の垣根を跳び越えられたという、特別な理由が。
それを訊ねた。
答えはこうだった。
『え?だって可愛いじゃない。知らないのアンタ、可愛いは正義なんだから。そりゃあんな可憐な子、誰だって助けたいと思うでしょうが』
くっくっ、と喉の奥から笑いが込み上げてくる。
「ふざけたヤツだよ、アイツは」
単純明快。毒に侵され死にかけまでした者の動機としてはあまりに不足しているように思えてならない。
頭がおかしいとまで言える。
「はっは、ははは!ああ、駄目だ」
大きく笑うと白が揺さぶられることに気付き、慌てて止める。だが一度笑い始めるとこれが中々、引っ込まない。
可愛いから、そんな理由で一方的に不利な側でも味方してみせる頭のおかしな人外。
ひとしきり笑い声を上げてから、思わずといった具合に一言漏らす。
「ああいう馬鹿、どうやったって嫌いになれねえ」
こちらもまた、単純にして明快なこと。
妖精にして悪魔、奇怪な性質を持つアルムエルドという男もまた、変わっていた。