『陽向昊』は、解放に当たり自分自身へは一切の効力を発揮しない極めて稀有な真名である。
四季にて最も盛んに照る太陽の名を宿す昊の効力は、その強大な力を振り撒いて同族である陽の属性を高め極めるもの。
有り体に言えば、『陽向家に属する退魔師全体の強化・活性化』である。
範囲指定により夜の街全域を囲った『陽向昊』の真名発揮は、他三人へ大きな恩恵を与えている。
それが顕著に出ていたのは、人面犬を相手取っていた陽向晶納。
「ァあアアあああああ!!」
ギン、ギンッ!!ギャギィ!!!
幾重もの金属同士の衝突音を響かせながら、傷だらけの晶納はマチェットナイフを振り回して全方位から高速で跳び回る都市伝説の存在を五感全てで感じ取り迎撃する。
「……ほう」
明らかに反応速度が跳ね上がった晶納へ、目にも留まらぬ猛攻を続けたままで人面犬は不気味な顔面に僅かな皺を寄せる。
“鋭化”を展開できる本来の上限を超えて、その五感は握る刃と同じく冴えを増していく。害悪を仕留めるべく、晶納は獣爪の掠ったこめかみから血を噴き散るのも構わず叫ぶ。
「“我が身は陽を宿す者!
唱えるのと並行して、ずっと背中に背負ったままだった白布でぐるぐる巻きにされたそれを引っ掴み、歯で布を噛み千切って乱暴に隠されていた本体を曝け出す。
利き手で本命を持ち替え、左手に逆手持ちのマチェットナイフを、そして右手には未だ白い布の切れっ端がパタパタと風に吹かれてなびく一振りの日本刀。
「…!それは」
本来の日本刀のあるべき形とは違い、刃の側へ湾曲している内反りという特殊な形の刀身は持っているだけで夜気を断ち切り、金色の淡い剣気を放出する。
その刀に宿る尋常ならざる脅威を、人面犬は人外として突出した嗅覚によって嗅ぎ取った。あれは普通じゃない。魔剣、妖刀、それらに連なるレベルの格を持った刃だ。
「テメェを捌くにゃもったいねぇくらいの一品だ。歓喜に咽び泣きながらくたばれ」
両手でそれぞれ武器を構えて、二刀流の晶納はさらに備えてもう一つを具現する。
砕けた高速道路の地面から生えたのは、柄を持たない両刃の剣。地面から構築されていくそれは柄の代わりとばかりに大振りな両刃の反対側から鏡合わせのように同様の寸借で剣を生む。
上下に大きな刃を持った黒曜の武装は、地面から必要分の質量を得て構成を完了すると、その末端を地面から切り離し晶納の頭上近くまで浮上して留まった。晶納が、自らの名を持って発現されたその愛刃へと信頼の証とばかりに銘を呟く。
「
「度胸と武装の豊富さだけは認めてあげよう。しかし甘いな。注意を分散させる魂胆は、既に読んでいるぞ」
両手と滞空するそれで計三つの凶器を構える晶納だが、もっとも危険視すべきを人面犬は的確に見抜いて―――否、嗅ぎ抜いていた。
「また、恐ろしいものを持ち出して来たものだ。……その一刀、よもや神代の剣ではあるまいね」
「詳しいじゃねぇの犬っころが。御明察だ」
金色の刀身をブンと振って、凶悪な笑みに充分過ぎるほどの殺意を乗せた晶納が肯定する。
「神代三剣が一つ、
「…やれやれ、これはいよいよもって…笑えない」
メキャァ、と肥大化していた人面犬の巨狼のような体躯がさらに倍に膨れ上がり、その身はもはや犬とは呼べぬ四足歩行の怪物と成り果てる。
相手の持つ武器に並々ならぬ警戒を払い、人面犬は宙に留まる刃を含む三刀流で挑み掛かる退魔師へと全力で対応する。
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万事休すの場面に現れた新手は、自らを『神門家』の当主と名乗った。
それを受けた憑百珀理、陽向旭の両名は同時に思う。
(馬鹿な…)
旭にとってはこの場に特異家系の当主が二人も揃っているという信じ難い状況に対して、珀理にとってはこの場にこのタイミングで現れた『最強』の特異家系当主が突如として現れた不自然さに対して。
だがそんな二人の疑問と動揺を無視して、当の本人はへらっと笑い緊迫したこの戦地を悠々と歩いて来る。
「よーう、憑百の。また随分とヤンチャやってるみたいじゃねーの。やめてくれよなぁ、そういうことすんの。おかげでおれが出張ってくるハメになっちゃったぞ?」
「貴様に、なんの因果がある。神門の」
邪気の濃度を高め無遠慮に踏み込んでくる神門への牽制とするも、まるで意に介した様子もなく神門は珀理の言葉に深い溜息と共に理由を溢す。
「ガキが喧嘩してたら、大人が止めるもんだろ?なんでかわかるか?大人の方がずっと強くて賢いからだ。ま、そういうこと」
ゴヴァッ!!と。嫌々と答えた神門の顔面に漆黒の邪気を纏った憑百珀理の単純ストレートが炸裂した。
ただの正拳だったのに、踏み出しを込みで旭にはそれが見えなかった。気付いた頃には拳が邪気を爆散させて神門の頭部を打ち貫いてしまっていた。
誰が見ても即死の一撃。頭は爆ぜ、脳漿を地面にぶち撒ける未来が容易に想像出来る。
しかし実際はそうならなかった。
一撃は入っていた。まさしく直撃だった。
だけどそれだけだった。
「…、!?」
「だーから、やめておけってのに」
額に押し付けられた珀理の拳を掴む神門は、爆裂した邪気が晴れた視界の中で平然としていた。こきりと首を鳴らして、手首を押さえた眼前の珀理をじっと見て薄ら笑いを浮かべる。
「最強も楽じゃないぞ。こうやって、
瞬間、刹那の攻防があった。
手首を押さえたのとは反対の手で、神門は珀理を平手で叩き上げた。平手打ちとは思えないほどの轟音が響き、すんでのところで片腕を防御に回した珀理の左腕が肩までひしゃげて吹き飛ぶ。
突き抜けた腕の衝撃に引かれるように真上へ打ち上げられた珀理が僅かな驚きを見せるのを、容赦なく神門の回し蹴りが襲い全身を激痛が蹂躙する。
「百の“憑依”を成した初代の遺業を称えて呼ばれたのがお前ら『
受け身も間に合わぬ速度でビルに激突し粉砕する珀理を見送り、神門の語りは吹き飛んだ珀理、唖然とする旭、あるいは誰にも言っていなかったのかもしれない。
そんな意味を成さず消えて行く呟きは、こう締め括られる。
「神と同列に至れる龍脈の力を汲み上げられる者、その莫大な力を閉じ封ずる門を管理する者。それが『神門』。だから無意味なんだよ、おれは問答無用で最強だ。誰もおれに勝てない、誰もおれを殺せない」
自身を最強と名乗って疑わない神門は、そうして妖精の少女を庇った状態で固まっていた旭へと優しく笑い掛けた。
その表情に嘘や悪意は無く、だが何故だろうか。旭にはその顔が、ひどく虚しく寒々しいものに見えてしまったのだった。