Neetel Inside ベータマガジン
表紙

グロエリ本の感想文集
『TASK 令和時代』

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【所収作品一覧】
*番号は掲載順で評者が付したもの

0 序文
1 バカンス | 杏野丞
2 四月三十日 メトロトロン| 硬質アルマイト
3 アンテグラル | 黒杜玖乃
4 令和元年のベースボール | 江藤竜
5 ベーシストは変態なのか | 零F
6 エスカレーター | 元壱路
7 平成くんと令和ちゃん | 藤沢泰大
8 リュウの入会 | 架旗透
9 選択肢、その枝の先 | 董火 ru-ko
10 GRAZAR | ところてん
11 鉄槌は孤独の調べ | 電咲響子
12 ゲーム | 維嶋津
13 ようこそ、次の世界へ  | 高座倉

     



◯全体的な印象(冒頭5本ほど読んだ途中の印象)

毎年、SF小説短編集を出し続けている恐るべき創作集団、「グローバルエリート」。
今回はメンバーを募り、新しい元号「令和」の時代を描き出す。

いつもの「SFアンソロジー」ではなく「テーマアンソロジー」と銘打っているように、ここでは、SFに留まらず、ちょっとした青春、スポーツもの、恋愛ものなど多様なジャンルの作品が集められている。

この新しい時代をどう構想するか。
「元号」という人為的なイベントを、時代変化としてどう受け止めるか。
作家として異なったバックグランドを持つ13人もの執筆陣が、それぞれの視点とテイストでこれらの問いに応えている。共通の「お題」があることで、かえってそのそれぞれの個性が浮きぼりになっている。自分にとって、普段の生活や交流・関心の範囲では知り得なかった、様ざまな世界や価値観に触れ、交流することができたような気がする。「あー。この方にはこう見えてたのか、ここがフックだったのか」というような。

また、「時代」をテーマとした本作は同時題の気録としての価値が非常に高い。
もちろん、所収作のすべては創作、しかも実際の改元以前につくられた作品である。事実よりはエンタメ性が重視されており、その中身がそのまま歴史の記録ということはできない。

しかし、それでも、それぞれの作家の想いがつまったこれらの作品を通じて、「あのとき、確かにこういうことを感じていた」「こういうイベントがあった」「こういうふうに予想していた」といった、といった自身の記憶、その「匂い」までが甦ってくるような、そういう感覚に囚われた。

本作の入手に長い時間を要したこと(令和元年(2019年)12月30日に落手)、また、生来の怠惰につき、読み始めに一ヶ月、感想着手にさらに2ヶ月近く要したことにも意味があったように思われる。

本作を入手し、拝読し、感想を書くことで
ようやく私にも「新しい令和時代が訪れた」。
しかし、同時にすでに「令和は遠くなりにけり」でもあった。
この二つを同時に味わえたのはなかなか不思議な体験であった。

作品ごとの感想もちびちびとまた書いていく予定です。


以上です。

     

1  バカンス | 杏野丞

[作品紹介から]
「令和を目前に迎え、日本を脱出する計画を立てた『私』と真美子は、紆余曲折あってなぜか沖縄へ飛ぶことに。時差もクソもない石垣島の隅っこで、三十路過ぎのふたりは無事、令和の魔の手から逃れられるのか。」

[以下感想]
「令和なんてギリギリまで撒いてやれ⭐︎日本大脱出計画」。それは海外に飛ぶことまでギリギリまで5月1日を回避して悪あがきするものだ。破天荒な友人、真美子の馬鹿な提案は、実際にはちょっとした、馬鹿なノリと勢いで飛び立つGW旅行というものだったのだろう。

 しかし、計画の張本人、真美子が遅刻することで物語は大きく狂っていく。彼女たちは、予定を急遽、国内旅行に変更、そして平成最後の日没さえホテルで寝過ごし、島であっけなく令和を迎えるまでの顛末の話。

 非常に短いページだけれど、どたばたした旅行の様子、またリゾート地での改元景色の情景など、見てきたようなリアリティで伝わってくる作品。何より、昭和に生まれ、未婚のまま令和を迎える「平成ジャンプ」と呼ばれる二人の女性にとって、「平成」がどのような時代であったのか、濃縮された感情を食らわされる。

 人生の計画の何もかもうまくいかない時代でもあり、しかしまた次の改元に一緒に馬鹿をやろう、と笑い合える友達がいた時代。多くの人にとって青春時代のど真ん中であった「平成」は、誰もが多かれ少なかれ、このような錯綜した感情を掘り起こされる、そういった時代だったのではないか。昭和の人間でもあり、平成は非常に中途半端であった私にも、しみじみとそう感じさせる作品だった。

以上です

     

2 四月三十日 メトロトロン| 硬質アルマイト

「時が編める」という不思議な「彼」。
平成最後の日に東京に帰る飛行機、隣にいた「彼」が僕に話しかけてくるところから物語ははじまる。「時を編む」というのは、関係者の記憶の改竄を通じて、現実をも動かす、一種の超常的な能力であるようだ。堂々たるSFである。

不思議な「彼」との出会った後、「僕」にとっての平成最後の日は非常におぼろげなものとなっていく。元恋人の「ミリ」と男友達の「サトル」。別れたはずの彼女/彼との未来可能性。夢か現かも覚束ない気分は、いやに鮮明な渋谷駅近辺の描写によってさらにふわふわしたものとなっていく。この読後感は、ちょうど、酔っ払った翌朝、記憶の大半は飛んでいるのに断片的な映像だけやけにはっきりとフラッシュバックするあの感覚に近い。

私には別れた恋人からの結婚式に招待された記憶など、もちろんない。
けれども、どこか頼りない「平成」の記憶、何か他にもいろいろ可能性があったような気分、あるいは何か重要なことを忘れているような気分、というのは確かにある。そういった、酩酊感を掘り起こされるような作品だった。

以上。

     


3 アンテグラル | 黒杜玖乃

大学の研究室の先輩、砂川日和麗(すながわひかり)をめぐる物語。
美人で天才肌で変人の砂川先輩、「僕」藤堂、そして経済学部の津島。

物語はこの友人津島が暗号の謎かけを持ちかけるところから動き出す。
ネタバレをすると、この津島は砂川先輩に好意を抱いきその切っ掛けづくりのため、この謎を持ち込んだが謎はあっさり破られ、その意図までも見透かされ恋物語自体は終わる。

「令和」を用いた暗号の謎解きはそれ自体良くできて、ミステリ短編として楽しい。
だが、私の関心を強く引いたのは、やはり終盤、砂川先輩と「僕」とのやりとりだろう。
「令和」とはどのような時代になるのか、『全』か『個』か。
それまで何気ない背景として描写されていた東京オリンピックの談議も通じて
砂川先輩の、おそらく筆者の「令和」への受け止めが展開される。

その主張は作中の人物の歳相応に「若い」とも感じるが、それがまたよい。
何より、こういった優秀美人ぼっち先輩。ポニーテール万歳。

以上です。

     

4 令和元年のベースボール | 江藤竜

甲子園を目指していた野球少女、有村みくとその妹のぞみの物語。
昭和の大エース、沢村栄治の選手生命を奪った「手榴弾」。そのレプリカを姉の部屋で発見したのぞみは、姉の自死を予感する。高校野球の現実に絶望した姉は、草野球において、沢村のノーヒットノーラン記録を正確になぞったのちに死ぬのだろうと。その計画を阻止すべく、のぞみは知恵を戦略を全力張り巡らせていく…。

一言でいって、ど直球の大好物である。
スポ根、姉妹愛、天才野球少女、ゲームの駆け引きなど、私の好きな要素がてんこ盛りである。緊迫感のある描写は純粋にエンタメとして楽しめた。

「令和時代」になお存続する旧態依然とした昭和の現実とその決別が爽やかに描かれている。やはり理不尽な現実に潰された沢村栄治に対する有村みくの思いは、素人の私には一見突拍子もないようにも思えたが、それだけに何だか熱いものが感じられた。

以上です。

     

5 ベーシストは変態なのか | 零F

5月1日。令和の改元とともに東京が独立し、しっちゃかめっちゃかになった世界を疾走する話。ベーシスト「楓」は、ある日「もう飽きた。だらくっぽいこと飽きた」といって、ライブ中に突然逃走する。「マッドマックス」さながらの退廃的でバイオレンスな、というよりはむしろゾンビ映画さながらのグロテスクな世界をすり抜け、神奈川独立運動ななどとも関わりつつ、なんだかんだ埼玉の実家を目指す。

重低音の騒音が聞こえてきそうなライブハウス、緊張感ただようストリート、新露国として独立するという面白い設定、その間に挟まるPASMOだのコイケヤチップスだのサイゼリヤでのデートなど妙に日常的な描写。自分もすでにラリってるのではないか、というドラッグ感覚が楽しめる。

現実では令和は無事に元年を迎え、二年に世界は封鎖された。妙に鮮明な混沌の東京は、自粛要請に総じて粛々と従い、社会的距離も定着しつつある現代の軌道からは完全に外れた未来なのか、あるいはその反動としてやってくる現実なのか、などとぼんやり思いました。

以上です。

     


6 エスカレーター | 元壱路

 常識は日々更新される。気がつかないうちに。タバコは消え、水着のポスターは消え、シートベルトは必須に、「了解」は「承知」にとって変わられた。たまに古いTV番組を見ては「ああ、昔はこうだったな」と思い出す。本作は、現在進行中で変わりつつある常識、「エスカレーターは歩かない」を題材として令和という新しい時代の到来を描いた怪作である。時代の変化はまた土地の記憶によってより鮮明となる。久々の帰省で改装されたり再開発された「地元」の駅の雰囲気に感じる違和感。これらの情緒がSFというか、ホラーというか一種の悪夢として再現されている。抜群の空気描写。個人的にはデジャブ溢れる作品でした。

 それにしても、エスカレーターは歩かない、の行方はどうなるだろうか。ソーシャルディスタンスという新しい規範が吹き荒れる中、この辺りのマナーの着地のがとても気になるところである。そういう意味でも、この作品もまた記録的価値も高いように思われます。

以上です。

     

7 平成くんと令和ちゃん | 藤沢泰大

 元コンビニ、あるいは元スーパーマーケットにかかった見慣れない看板。
「あそこ、お年寄りを集めて様々な商品を売り捌いてるんだよ。」
 道すがら、そんな説明を聞いたことがある。なんと呼ばれる商売かは知らないが、ともかくもこの作品はそのようなビジネスを題材に、平成と令和との境界を描こうとした作品である。物語は、改元に一日先立て産まれ、それゆえ旧元号の名を与えられた主人公平成くんと、その一日後に産まれ、それゆえに新元号の名を与えられた令和ちゃん、そんな二人のちょっと爽やかな青春ドラマを軸に展開される。
 特に印象に残ったのは、「そのビジネス」の臨場感あふれる描写である。その口上と言い、レスポンスといい、とてもとてもリズムがいい。リアリティがあるかどうか、私は判定できる立場にはないが、作者はやはりこういった企画の経験者ではなかろうか、とも思う。
 「令和」とい新しい時代についても考えさせられた。旧時代の象徴のような怪しいビジネスの中、「正義」とその弊害について迷い、あるいは従い、あるいは反発する平成生まれの二人、まっすぐ正義を実践する令和生まれのヒロイン。同じ歳の3人を通じて、これから生まれてくる新しい世代への期待、そして恐れのようなものを覚えた。若い人たちはいつだって怖い。

 それにしても、今後時代が進み、技術が発展し、また2020年6月現在、新型コロナウイルスにより社会が大きく変わるとか言われている中、こういった怪しげなビジネスはどのような形態をとっているのだろか。令和18年となっても案外しぶとく、今日と同じように生き残っている、というこの作品の舞台設定にも、なんだか不思議な説得力がある。


以上です
(20200624)

     

8 リュウの入会 | 架旗透

 ゲームが現実を支配している、と感じる時がある。

 古くは「経験値」「マジックポイント」「フラグ」「クソゲー」にはじまり、オンラインやソシャゲ移行は「ガチャ」「課金」「廃人」「運営」などのゲーム用語が日常に輸入されていく。それは単なるミーム(?)ではなく、日頃のリアルの見え方そのものや行動指針を形づくる。それは個人の主観に留まらずネットの情報共有やサービスの発達が、客観的な世界をも塗り替えていく。現実がゲームに追いつく。そのことを改めて思い出させてくれたのが、この作品である。

 主人公、リュウは近未来、日本のインド人街でグレーゾーンの仕事を請け負って小遣い稼ぎをする公務員である。悪化する少子高齢化への様々な政府の政策、これをハックすることをはじめ、日本人からたくましく金を稼ぐインド人コミュニティ。その片棒を担ぐ主人公は、しかし、闇社会に通じたダークヒーローなどではなく、どちらかというとケチなチンピラとして描かれる。この舞台設定の中、彼が持つある趣味がやがて転機となるトラブルを招く、というのが本作の筋立てだ。

 印象深いのは、彼を取り巻く日常である。子供、家庭、その他のライフイベントから、日常の朝食、通信電車のラッシュ回避、VRサービスの娯楽その他のものが、amazonやメルカリの出品サービスのように、有償かつ相互評価を元にした「追加コンテンツ」として提供されていく。そうやって「ステージ」を上げ、人生を豊かにする未来。

 令和とは果たしてこのような時代になるのか。


 こういったガジェット(?)そのものは、あるいはSFでは珍しくないのかもしれない。しかし、この未来が尽くクソであり、それもディストピアといった大掛かりなクソではなく、今日のクソ社会の延長戦上、いわば等身大のクソでしかない。むしろすでにそれは現実かもしれない。作中の描写はあるいは未来描写ではなくこの世界の「正しい」認識かもしれない。ヘトヘトに尖り切った独特の文体に酩酊する。現世に救済のないものには未来にも救済はない、そういった爆笑が聞こえるようだ。

 一方で、本作には明るい希望もある。

 主人公の持つささやかな趣味。やがて身を滅ぼす暗い情熱。しかし、それは大いなる「生命賛歌」であるようにも思う。この作者にしか描けないような、グロテスクでバイオな方法で、リュウは種として生命としての本分を追求し、世界を汚染する。未来における快楽のあり方を垣間見た気もする。令和はそこに届くだろうか。

以上です。

(20200627)

     

9 選択肢、その枝の先 | 董火 ru-ko

 親子、兄弟関係への感情はひとことで言い表しがたい。少なくとも私は。SF創作サークル、「グローバルエリート」は小説の題材として、この家族関係をしばしば取り上げている。彼らにとって、最大のSFはやはり家族ということだろうか。

 本作、「選択肢、とその先」もまた、一言で言い表しがたい兄弟関係を題材としている。主人公、時也(ときや)は右手に宿した特殊な力を使い、窃盗行為で金を稼ぐ働く大学生である。その仕事の手配をするのが兄、一也(かずや)だ。「新しい元号、何になるだろうな」といったたわいもない会話。犯罪という反社会行為を通じてであるが、なんとなく温かい兄弟バディ物語がはじまる、と思っていた。

 物語が進むにつれ、この兄弟の過去が不穏であることに少しづつ気づかされる。まあ、一緒にいれば、ストレスはあるし、いざこざはあるよな、少しきつめの兄弟関係…なのかな。あれ?なんかおかしくないか。まじですか。淡々と、どちらかというとドライな文体のまま物語はクライマックスを迎え、主人公の人生は兄弟関係もろともリセットされる。

 この読後感は独特だ。新しい人生を送る主人公への兄のコンタクト。主人公のリアクションは、しかし物語の冒頭をなぞってはいる。新しい時代、二人の関係はリセットされたのか。されるはずもない、ふざけるなとも思う一方で、その屈託のなさに呆れ、「やれやれ」という気持ちにもなる。知らぬ間に主人公の気持ちに入れ込み、引っ掛かりを残す。この不思議な感覚は確かに家族関係のそれだった。

以上です。
(20200627)

     


     

2020年7月2日

『令和時代』
ついに電子化。

文明開花の音がします。

ところで
電子とかコンピュータとか情報とかの表現って0とか1とか並べるやつあるけれど、バイナリといえば真空管ではないでしょうか、と思い、この絵を上げました。

     

10 GRAZAR | ところてん

 「自分にものすごい才能とかスキルがあれば何をしよう」
 と密かに想像あるいは妄想する。心当たりがある人も多いはず。まして知力や技術がますますものをいう社会である。私はといえば、せいぜい「一山当ててタワマンでも買って楽隠居」ぐらいしか思いつかず、妄想でさえ、あるいはだからこそか、突きつけられる自らの想像力と器の小ささに苦笑して終わるのだが。このような無双の夢に、はるかにまともな知性と徳性を以て、緻密な解像度と大きなスケールを、そして生きる指針を与えたのが本作である。

 中流層の大半が「半市民」に没落し、金を稼げる優れた人材だけが都心に住める令和20年。主人公の梶(かじ)は都心の住人だ。大学生にしてすでにプログラム技術でサービスを立ち上げ、金を稼いでる。物語は、彼の同期、邪馬木(やまぎ)があるビジネスを持ちかけるところから始まる。それは、彼が「この国のクズ」と呼ぶ「扇動者」を謀って一儲けしようというもの。扇動者とは怒れる半市民の暴動を煽り、そのどさくさで略奪をするこの時代のビジネスであるようだ。その胡散臭すぎる提案を、彼は同居人にしてビジネスのパートナー、数あるビジネスのロジックを構築してきた安見に相談する。邪馬木の提案をどう受けるか、またその顛末、安見の決断。こういったやり取りを通じて主人公が、自分の、そして「二人」の行くべき道を決めていく。

 私はSF小説は門外漢だが、それでもSF小説としての見所は多い、と思った。ウェアラブル端末や未来のSNSといったガジェット。その時代におけるプライバシーの運用。契機となる事件。ドローンとAIを組み合わせた軍事技術。一方での格差社会。そこで起こりうる未来。幅広い分野をカバーする筆者の確かな蓄積を思わせる。

 特に令和2年7月現在の状況に照らせば、「扇動屋」はとてもタイムリーなテーマだ。すでに超格差社会とされるアメリカで暴動が略奪に結びつき、その背後関係、国際的なものその他の思惑も指摘されているが、平成末期には少なくとも普通に生活する限り、略奪の伴う深刻な、そして長期化する暴動の気配はなかったはずだ。先見の明には唸らされる。「令和時代」はどういう未来かはわからない。だが、少なくとも平成末期に思い描く未来図としてはとても説得的だ。

 何より感じ入ったのは、「何をなすべきか」というテーマとの直球勝負である。グロエリ小説ではちょっと珍しい(小声)。自らに圧倒的スキルがあるとして、稀有な才能が身近にあるとして、それにどのようなテーマを与えるか。性悪説を解する善性と邪気あふれる無邪気さと、二人の優れた才能のはざまで揉まれ、主人公は結論に至る。その結論に清々しい徳のようなものを感じた。それはおそらく、小説的な無双能力の有無に関わらない。このリアルの、このしょぼい自分においても、生き方を考えさせられた。
 
 
以上です。
(20200701)

     



11 鉄槌は孤独の調べ | 電咲響子

裏社会、雑居ビル、リョウ、そしてヒロインと鉄槌。
とくればある世代にとっては特定の名前が思い浮かぶ。
『シティーハンター』、昭和末期にジャンプで連載されていた人気作。新宿の雑居ビルを拠点とする凄腕スナイパーを主人公とした漫画である。作者の意図か偶然か。それはわからないが、これらの道具立ては、昭和末期の人間には否応なしに次の問いを投げ書ける。令和時代におけるハードボイルドとはどのようなものか、と。

本作は裏社会の始末屋、カナデを主人公とする短編である。
特殊な鉄槌を得物としている。
リョウは、ここでは情報屋であり主人公の相棒のような存在だ。

スマートホンの進化版。ディジナル・モバイル・パーソナリティ。通称ディジナルが普及した令和24年を舞台に、闇の始末屋と表の探偵業を兼務する。

本作で登場するガジェットや設定や近未来の闇バトルものとしてワクワクさせるものばかりだ。義眼に義腕。伸縮自在な鉄槌。殺人の手応えを忘れないためそれを握る主人公。逐一の行動さえディジナルのナビゲートに頼る人々。昼の探偵業の常連、謎のおじいさん。

それらの設定、伏線がすべて十全に展開されるには短編は短すぎる。しかし、それは物語の確かな環境として、未来の闇社会に解像度を与えてくれる。

私は、おそらく多くの人も同じだと思うが、実のところ闇社会を知らない。
現在であっても、過去であっても。それは想像の世界でしかない。だから、未来の実際の闇社会のリアリティについて論じる資格はない。しかし、現在あるいはこれまで「想像されてきた闇社会」、それが未来にはどうなるのか、テクノロジーは何を変えるのか。あるいは何を変えないのか。闇を背負う主人公。その信頼と背信。諦観。そういったテーマの普遍性についていろいろ考えさせられました。

以上です。
(20200710)

     

12 ゲーム | 維嶋津


「結末は決してお話にならないように」
という決まり文句は、アガサ・クリスティ原作の映画、『情婦』の有名な結びである。本作もまた、結末こそが核心であり、それどころか構造そのものでもある。これはなかなか悩ましい。ミステリ作品の感想とかみんなどうやって書いてるのだろうか。

とりあえず、ネタバレをしないよう紹介してみます。


本作は全体が読者への謎かけとなっている。


一読して意味不明なコンピューターゲーム。
それを嗜む主人公の描写とそのルールの説明がずっと続く。
本作が謎かけであるということは、冒頭の作品で知らされている。
「なんだろう」と考えながら読み進める。

どこか思い当たることはある。

何だろう。見たことがあるような。
とモヤモヤする。

もし結末までオチが解らなければ、大いな驚き、そしてつっかえの取れた爽快感が約束される。「ああ。そうだったのか。なるほどよくできてる」と。私はこの道を辿った。

もし、途中でオチが読めたなら、大いに誇って良いだろう。私「かとー機関」よりは高い知性と観察力の持ち主だといえる。何の自慢にもならないが、少なくとも私は称賛を送りたい。えらい。

どちらにせよ、未来ガジェットを通じて読者が目にするものは現代社会そのものである。

こうした架空の設定を通じてリアルの一側面を浮き彫りにするのもまた、SFの醍醐味の一つであろう。前作「帰還者に向けたよりよい生活の手引き——『第三章 :コミニュケ ーション 』」もそういう実験的な挑戦であったように思われる。作者の得意技であろうか。

話題的にも時宜を得ている。令和を感じる。
令和もこの「生命」と付き合い続けるのかと思うとなかなか暗澹たる思いだが。


設定の重厚さにも関わらず
あっという間に読める短編である。
少しでも興味が湧けば挑戦をお勧めしたい。


以上です。
20200719


追加

一瞬だけ「これは物語の設定として面白いかも」と思った。
けど、残念ながら物語の題材自体は、ちょっと萌えにも萌えにも程遠い。
だが、物語のオチとなる存在が黒く微笑む姿は絵的に想像してなかなかに萌えました。

     

13 ようこそ、次の世界へ  | 高座創

毎年、TVで報道されるやんごとなき祝賀。
ただ一人の国の象徴に拝謁すべく多数が行列を連ね、歓声を競う。
実際に参加したことのある人はどれぐらいいるだろうか。

物語はその風景の、やけに実感のこもった描写から始まる。
退職した日本の高級官僚。現役時代、彼には密かに功を誇るささやかな外交業績があった。しかし、実は彼は、そんな些事より遥かに人類の命運を左右する巨大案件に、それと知らずに処理していた。政治サスペンスものが好きなものには、ちょっとゾクゾクする書き出しである。

この作品のテーマは、ずばり「地球温暖化」である。
どんどん暑くなる。
それが令和に迎える何よりの「次の時代」ではないか。

そこでは何が起こるか。
どういう風景を我々は目にするか。
様々な場面、様々な想定が淡々とした筆致で描かれていく。

読んで背筋が凍る。

その情景が悲惨である、ということよりも。
むしろそれが彼ら、あるいは私たちにとってどうしょうもない日常であり、したがって変化や改善の兆候が全くないということだ。

このような題材。
ドキュメンタリタッチでの描写。
そのような作品は、往々にして単に「説教くさい物語」しかならない。
「地球温暖化」という文字を見るだけで「あ、そういうのいいんで」と思う人も多いだろう。私もきっとそうだ。テーマが予め知らされていれば「あの高座先生もやはり社会派だったのか」と苦笑しただろう。

しかし、この作品にそうした道徳の香りはない。
当てこすってやろうという悪戯心さえ見当たらない。

ただただあふれる好奇心と脳汁。

そこでは何が起こるか。
どういう風景を我々は目にするか。

そのディティールの描写に情熱が全振りされている。


人間に対する悪意やダメなところ。
まず面白い。
そう感じる描き手の気持ちが伝わってくる。
どうしょうもない風景が写真のように脳に刻まれる。

最悪の不謹慎さが最良の道徳を生み出す。

これはエンタメの一種の理想の形であろうように思われる。

SFアンソロジー『令和時代』のトリにふさわしい作品といえるだろう。


以上です
202007202308

     

感想文作成を終えて

「よくこれだけ色々な個性を集めたものだ」というのが読後最初の感想である。小説創作というジャンルの人材の厚さ、あるいはグローバルエリートの皆さんの人脈の豊かさに驚かされる。

また、これらの個性を束ねる方法として、「令和時代」という題材の設定も素晴らしい。

 令和が始まって既に1年がすぎだ。2年の頭から、「新型コロナ流行」という前代未聞の事件により、社会が大きく様変わりしつつある。おそらく、社会に関する記憶はこの前後で色々塗り変わるだろう。

 コロナ以降の生活風景だけではない。
 おそらくそれ以前の風景や常識の多くも思い出せなくなるはずだ。

 その意味で、令和元年直前、私たちは未来をどのように思い描いていたか、改元という現代ではこの国独自の節目、特に崩御ではなく譲位というモダンな方法での節目、それをどのように捉えていたのか。記録的価値も大きい。

 もちろん本書の価値は記憶の記録にとどまらない。それぞれのジャンルの面白さ、文章や構想の質の高さ。創作としての価値は語り尽くせない。

 様々な人間が様々な方向性に向ける「濃度のようなもの」。それを「生」のまま味わえることが、同人誌の醍醐味であり、本書はそうした魅力を、乱雑かつ整合的に詰め込むことに成功している。

短編集にもかかわらず、
その読後感は大作を読み終えたそれに近い。
すでに令和という一時代を駆け抜けた気分が味わえました。

企画者、執筆者の皆様、取り置いていただいた高座様に感謝します。

以上でした。
20200721

       

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Neetsha