Neetel Inside ニートノベル
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激情のエンブレイサー
02:黙れエスケープ・ゴート

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「エー、それでは改めて蓮花町で起こっていることについて復習しましょう」
 職人の遊び心が詰まっていますという風に歪んだ眼鏡のズレを直しながら、サエバシ教諭はゴリゴリっと黒板に図を描いていく。
「一〇二年前に起こった核戦争がきっかけでこの国は大きく分断され、現代ではおよそ二種類の空間がこの世界には存在しているということになります。ではその二つの空間とは何でしょうか、エー、スカシバ君」
「巨大シェルターと、荒地」
「おおむねグッド。今この世界に存在しているのは、基本的に安全だとされている核対策のシェルター……今では居住区と呼ばれている地域と、今でも放射能がウヨウヨしていると噂の荒地です。まァ、荒地は荒地で色んな呼び方がありますがここは荒地で統一しましょう」
 見慣れた形の島国の絵に、斑点のような模様が描かれている。全体の面積の数パーセントを占めているとされるシェルターのおおよその場所である。
「そして数年前、膨大な放射能により発生したと推測される、人ならざる化物のことを、エー、ショウコ君」
「……ゴート」
「イエス! 荒地を縦横無尽に歩きまわる様子を羊(Goat)に喩えた説や、罪深き人々という意味で『業人』というのがカタカナ表記に変わっていったという説などがあるけども、ここではゴートと呼ぶ、ということだけ押さえておけばよろしい」
 そういうとサエバシ教諭は人間によく似たゴートの絵を描いた。人間のようではあるが、見てくれは野生の猿に服を着せただけという調子である。
 放射能を浴びすぎた人間の成れの果てとされているが、真偽は定かではない。
 ヘドロから発生した異次元の生物。そういう説もある。
「基本的にゴートはシェルターの外、荒地にしか存在しません。したがって、シェルターの中は安全が守られているということになります。これは私たちが生まれる前からの常識です。ところが最近、この常識が覆されているというのが、今日の講義のポイント」
 全国に散らばっているシェルターのひとつに、×印がつけられる。
「ここより北の埼玉居住区が、ゴートによって落ちました」
 サエバシ教諭の声色が低くなる。
「長野や山梨居住区に次ぎ、これで三つ目です。その他の居住区でもゴートの存在が確認されている。私たちが今棲んでいる東京居住区でも遭遇事例は少なくありません。この辺りはまだ警備兵による掃討が行われていますが、いずれにせよ抜き差しならない状況ですので、警戒は怠らないように。ゴートを誘き寄せない方法は、分かっていますね?」
「奴らの前で“感情”を見せないこと」
 教室の一番奥に座っていたメイが答える。
「ゴートの連中はみんな感情がない。奴らが人間を襲う原理は、何らかの理由で失くした、もしくは初めから持っていないを取り戻すためだと言われている。だからみだりに泣いたり怒ったり悲しんだりしなければ問題ない、だろう?」
「エクセレント。さすがは私の教え子たちです」
 褒め言葉を並べるサエバシ教諭の顔も、無表情のまま。
「それでは本日の授業はここまでです。皆さん、生きていればまた会いましょう」
 人口の八割ほどが失われている街では、学校も学校の体をなしてはいない。サエバシ教諭が受け持つこのクラスは週に一度生存確認のためにクラスメートが集められる。その人数も一〇人に満たない七人と、寂しいものだ。
「特にお前は怒りっぽいから気をつけねえとな、ショウコ」
「…………」
 メイは皮肉たっぷりに笑う。屋内では多少の感情表現も寛容的だ。ただし、外に出ればどこにゴートが潜んでいるか分からない。
 そのために布かれたのがフェリング撤廃令。人々は自由に笑うことも悲しむことも許されなくなった。喜怒哀楽そのた諸々の感情表現、サエバシ教諭は口酸っぱく忠告しなかったが、これらは警備兵の前で見せただけで処罰を受ける可能性さえある。ゴートから身を守るために配置されたはずの警備兵は、いずれゴートのみならず民衆さえも監視するようになり、彼らの仕事を増やさないために・・・・・・・・・・・・・・人々の感情は未然に抑制されることになった。元々シェルターのなか、青い空さえ見ることが許されない灰色の箱のなかは住みやすい環境でなかったというのに、フェリング撤廃令施行以降はその劣悪ぶりが加速している。
 ショウコは一人で六畳間のアパートに帰宅する。二人の親は違う居住区で働いている。東京居住区には仕事がなかったのだ。郵便受けに入っている仕送りの封筒を取り、ショウコは自室の扉を開ける。
 確かにゴートの存在も、警備兵の実態も、ショウコ自身が感情的になりやすいという指摘も、ショウコにとってはいろいろ考えなければならないことではあるのだが、今はそれよりも先にどうにかすべき対象がいた。それは――――
「や、おかえり」
「…………」
 ワンルームに寝っ転がってせんべいをボリボリかじっている男・結良蒼月をどのような手を使って追いだすか、ということだった。

       

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