力を持ってる彼の場合は 二章
第四話 対話と対面と対戦
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“不耗魔剣”とは、アルが数年の間マンションの地下に設けた工房で少しずつ少しずつ形を成していった至高の一振り、金行を得手とするアルヴの粋を集めた傑作の剣であった。
その魔剣の原型、それは使い手に破滅をもたらす呪いの剣と呼ばれていた。
あらゆる物質を斬り裂き、狙った標的へ必ず当たるとされた至高の剣は、同時にそれを振るう者を最終的に死へ導く力を備えていたからだ。
いかな武勇を上げ功績を積み重ねようと、最後には使い手は戦場にて死ぬ。それも、自らが使っていたその魔剣の凶刃によって。
金行を得手とし、生み出す武具の性能を模倣し具現させる力を持つアルがそんな物騒な剣を長年かけて作り続けてきた理由は至極単純。
よく斬れるから。
「ハハハはっ!!やいジジイ足腰がなってねえなあ!せっかくのお手製靴が泣くぜ!?」
「若造がっ…!」
木槌が地を叩く度に土が岩が隆起しアルを襲うが、それを身軽に跳び越え斬り裂き高らかに笑う悪魔の斬撃が上空から降り落ちる。
大地を踏み締める足を支える靴、それを創ることに特化した妖精職人レプラコーン。故に得意とする属性も土行となるラバーの攻撃はしかしアルにことごとく届かない。あの、自らの身体の一部のように扱う片刃の魔剣がどこまでも阻害を続けて来る。
手首を返して斬り払い、時に両手を自由にして犬のように口で柄を咥え、爪先で蹴り上げて刃を回転させて―――曲芸のような動きで、見えない糸でも繋がっているかのように魔剣とその使い手は大地の猛攻を迎撃する。
しかし怪我を負っているのは、より出血を増しているのは、むしろアルの方だった。
もちろん先に受けた特大の一撃を引き摺っているのもあるが、それだけではない。それ以降の戦闘中、一度も被弾していないアルの全身は迎撃の度に傷ついていく。
それは他ならぬアル自身が自らへ課している自傷行為に他ならなかった。
「自滅を望むか『反魔』!呪いの剣などを振り回して何になる!」
叫ぶラバーが茶髭をたなびかせて木槌を地面に叩きつける。地面が大きく波打ち、亀裂から土砂を噴き上げながら巨大な土の津波を発生させた。
「ヘッ、…破滅を招く剣って触れ込みだが、俺程度の模倣じゃそこまでの反動はねえよ」
着地した周囲一帯を黒い影が覆う。見上げる高さまで上る土砂の波を見据え、ガリガリと剣の切っ先を地面に擦りながら下げた腕に目一杯の力を込めて振り上げる。
モーゼの十戒さながらに波を上空の雲ごと縦真っ二つに両断し、均衡を失った土砂はそのエネルギーごとアルの左右で散り散りに押し流されていった。
ブシッ、と。振り上げた剣を握る手の甲がひとりでに手首付近まで裂けて血が噴き出る。今の一振りに対する、スケールダウンした『魔剣の破滅』だ。
アルは神話や伝説上の武装を、その特性ごと模造する能力を極めている。とはいえ所詮は贋作、完全なる神話の再現など出来るわけがない。そんなものが出来てしまえば、たとえば彼の扱う武装の一つである“劫焦炎剣”などは一度振り下ろせば地上の全てを焼き払ってしまえる性能を発揮してしまう。当然アルの炎剣ではそこまでの威力は出せない。
数段階ランクの落ちた贋作しか創れない以上は性能もその程度のランクに落ち着くわけで、それは逆に言えば跳ね返る反動―――使い手に与える呪いや代償の類もリスクが低減していくということだ。
その法則性により、『使い手に破滅をもたらす魔剣』はランクダウンの恩恵によって『使い手を負傷させる魔剣』のレベルに落ちた。
とはいえども、やはり神話に記載される武器の一つ。威力はそれこそ折り紙付きだ。使用ごとに自らを傷つけるリスクを伴ってなお、その剣の有用性はアル自身が保障する。
数々のストックされた武装がこの妖精界という地で使用不可能な状況で、本物の『鬼殺しの刀』である童子切安綱を除けば、現状で唯一アルが信頼を寄せられる武装がこれだったのだ。
そしてアルが数ある神格武装の中で呪いの剣を選んだのにはやはり単純な理由しかなかった。
強者との闘いに愉悦を見出す戦闘狂にとって、切れ味の副作用で発生する怪我などは些事に過ぎない。
猛者と切り結ぶのに絶好の獲物があるのに、何故自傷を恐れてお蔵入りになどできようか。
「さって。ようやく体も温まってきたことだし。そろそろ次行くか」
全身血に染まった状態からいつものように凶悪な笑みを浮かべるアルが一直線にラバーへ向かい走り出す。
「はあ!」
気合いを声に乗せて振り落とした木槌から発生する石の矢や土砂の圧迫をものともせず、これまでの動きが本当に体を温める為の運動だったのかと思わせる猛進で魔剣を振り回すアルが速度を落とすことなく大きく跳躍。ラバーの頭上までジャンプで移動し大上段に刀を握り直す。
「そのボコボコ叩いてる木槌が邪魔だな。腕ごと落としとくか」
「調子に乗るな小僧!!」
切っ先と目線が木槌を握る右腕へ向いているのを見て、ラバーが槌を引いて力を溜める。重力加算を加味しても単純な腕力だけで考えれば靴職人レプラコーンはアルヴより妖精としてのステータスは高いはずだ。『反転』により飛躍的な戦闘能力の上昇が行われた現魔性種のアルとでもおそらくは互角。
衝突と同時に首根っこを掴んで投げ捨ててやろうと画策する。地に足が付いている戦場でなら、優勢は土を扱うラバーにこそある。それがわかっているからこそ、アルも空中からの攻め手を選んだのだろうから。
自分の敗北をこれっぽっちも視野に入れていない嬉々とした表情で妖精の腕を斬り捨てに掛かるアルの斬撃が、全力で振るわれたラバーの槌と示し合わせたように衝突―――せず、
「なーんちゃって、な!」
「…ッ!?」
互いの獲物がぶつかる直前で刃を滑らせるようにして木槌を受け流したアルが低い姿勢からラバーの眼前に着地。流した剣をそのまま相手の足元目掛けて地面すれすれを並行に一閃。刃の通過上にあった物を斬った。
アルの思惑を知り、ラバーは怒りと驚愕で目を見開く。
「貴様、ぁああ!」
「気付くのが遅ぇんだよボケ」
皮膚ごとすっぱり斬られたラバーの幅広の大きな靴が、破壊され力を失う。靴職人の履く、特別性の靴の力が霧散する。
「作る靴に様々な効果を付けるテメエの能力は俺の武具創造と似た効力付与寄りのそれだ。なら履いてる自分の靴にだっていくらでも細工できるよな?むしろしない方がアホだ」
不思議ではあった。少なくとも初対面ではないラバーという妖精の、その土を扱う技量が格段に上達していたのはずっと疑問に感じていた。最初こそ妖精界ならではの、精霊達の侵略者を排除したいという積極的な協力による補正かと思っていたが、違った。
「『土属性強化』とかそっち系か。その程度の効力付与、“不耗魔剣”なら簡単に破壊出来るっつの。テメエが何度も言ってる通り、コイツは狙いを外さない破滅の魔剣だぞ?」
一閃の代償にこめかみが斬り裂けたアルが血の入る片目を瞑ったままラバーの胴体を足裏で蹴り飛ばす。
「元々テメエも戦闘をメインに出来るタイプの妖精じゃねえしな。…まあ、妖精種での戦闘タイプなんざ加護持ち、『反転』済み、妖精王と女王、あとファルスフィスやレイスみてえな鍛え好きのヤツくらいでタカが知れてるが」
金色の柄を握り、指折りこの世界での戦闘能力持ちを思い出す。脳裏に浮かぶ相手は、全てアルにとって闘って倒すべき敵であり、同時に心躍る死合を臨める猛者達だ。
「ゴホごっ!貴様は、何故そこまで…!!」
咳き込みながら後退するラバーが再び木槌を地面に叩きつけると、粘土のように地盤がうねりアルを正面左右から同時に迫る。
「なんでそこまでわかったかって?いや馬鹿にし過ぎだろ」
明らかに出力の低下したそれらを片手で捌いて、アルが不愉快げに声を低くして駆けながら答える。
「昔みてえな考え無しの猪突猛進野郎だと思ってんならテメエら本当に馬鹿共だ。だから自分の世界に閉じ篭って停滞してる妖精は嫌いなんだよ」
繰り出される剣撃がラバーの樽のような図体を浮かし身を斬る裂傷に苦悶の声が漏れ聞こえる。
与えた傷の数だけの自傷を全身に刻み、双方同時に鮮血を飛散させた上で落下し倒れ伏したラバーを横目にアルは魔剣を背負っていた鞘に納めた。
「ちったあ外出て勉強しやがれ、人間種の世俗に染まるのも悪かねえぜ?ゲームと漫画とアニメ漬けの堕落した日々のおかげでテメエの効力付与にもあっさり気付けたしな。よくあるんだよ、ゲームでアクセサリとか装備品にそういう効果が付いてるヤツ」
薄れゆく意識でどこまで聞こえているのかわからないが皮肉ついでにそう言ってやってから、ふと来月発売だった新作ゲームの発売日がいつだったかを不安に思う。ここでの騒動を片付けてからでも予約は間に合うだろうか。
「…まいいや。とりあえず準備運動終わったから次は本命のクソジジイか…王様でも行ってみっかね」
呟きながら目に入った血を手で拭って視界を確保しつつ、傷だらけのわりに息切れ一つ起こしていないアルが次の標的を求めて目線を彷徨わせた時だった。
「うおっ」
一歩出そうとして突然周囲に現れた三つの光柱に驚く。自分を中心に囲うように伸びた柱に危機感を抱き抜け出そうとしたが遅かった。柱同士が眩い光を連結させ、三角形の光の檻に閉じ込められてしまう。足元には見覚えのある幾何学的な文字のようなものが浮かび上がっていた。
「こりゃルーンの…てっめレイス!!」
怒鳴り視線を定めた先には、片手をこちらへ向けて何かを発動した痕跡を見せるレイスの姿があった。精悍な顔立ちの所々には擦過傷と流血を拭った跡が見える。
レイスはしてやったという意思を表情に浮かべてアルの怒号を鼻息一つで跳ね除ける。
「フン、刀を投げつけてくれた返礼だ。しばらくそこで静かにしていろ」
それだけ言うとすぐさまその場から飛び退く。数瞬後にはそこへ嵐のような暴風が襲い掛かり、地面を引き剥がして猛威を存分に振るって行った。
「シェリアぁー!とっととそこの馬鹿野郎をぶちのめせ!こんなとこでのんびり観戦なんてしてられっかクソ!!」
「…んー?」
大気の羽を背中に生やすシェリアが、ドンドンと閉じ込められた光芒の壁を叩くアルを見下ろして不思議そうに小首を傾げていた。
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「……」
外が騒がしい。
自分のいるここが城内の牢獄だと知っている彼は、普段ここまで城がざわついたことが無いのを思い返して僅かに閉じていた瞳を開く。
(何かが起きたか…何か)
激戦の傷は未だ癒えず、手足を縛る枷によって行動範囲は牢獄の内側、その壁際から半分程度のものだった。手足を壁と繋ぐ鎖は特殊な結晶体…薄っすらとした翠色の鉱物のようなもので鎖を形作られ彼の身と力を封じている。
どうにか生き長らえている状態の彼の五感は著しく低下し、意識すら薄弱だ。壁に背を預けたまま頭を垂れて精一杯に意識を繋ぎ止めていた彼の耳に、遠く二つの声が届く。
「いえ、ですから」
「会うだけですから。誰にも言わないですし、ちゃんと内緒にしとくますから」
「そういう問題ではなくて、ですね…!」
「大丈夫、何かあったら私が責任持ちますから。ねっ」
「あぁ、ちょっとお待ちを!?」
何か慌てたような声を置いて、何者かの足音がこちらへ近づく。同時に正面に誰かの気配。五感が薄れていただけで、意外とすぐ近くまで来ていたらしい。
「…酷い怪我。どうして放置して…これじゃ衰弱死しちゃいますから!」
「おっ、お止めください!ヤツはこの程度の傷では死にません、最低限の処置は施してありますし、過度な治療は控えよとのお達しがありまして…っ」
中に入ろうとしているのか、獄の錠を外そうとガチャガチャする音を追い付いてきた男の声が止める。
「過度でもなんでもないです、からっ。こんなのあんまりです!」
あまりにも騒ぐので、瀕死の彼も流石に無視はできなかった。億劫そうにゆっくりと顔を上げる。その顔色はまるっきり死人のそれであり、顔を見た男の方は一瞬短い悲鳴を上げた。
しかし女の方はそんなことお構いなしに、彼の生存を檻越しに確認してひとまずの安堵を吐息に混ぜて漏らした。
「良かった。陽向…ああ、えっと今は神門?旭さま、とりあえず…大丈夫ですか?」
(……君は)
出そうとした言葉を声帯は受け付けず、掠れた息だけがヒューと穴の開いたタイヤのように零れてしまう。
「大変なことになりましたから、お知らせに。旭様のご子息が…」
「いけません、そのような情報を教えてしまっては!どんな気を起こすかわかったものでは!」
(…………あぁ、そうか。やはり…)
そんな気はしていた。来てしまったか。あの時の自分と同じように。
それ自体にはさほど驚きはしない。それよりも、今は目の前の少女に見紛う妖精の女の方に意識が向いていた。
前に、ずっと昔に。見たことのある顔だ。彼女にそっくりの顔立ち、容姿。最愛の彼女に、とてもよく似た…。
「どんな気も何も、あの方は旭様の大切なご家族なんですよ!知る資格はしっかりありますから!それにあの方は、神門守羽さまは―――」
さらに続けようとする少女に、男は焦れたように半ば叫び気味に彼女を諌める。
「私の、私の姉様の大事な子なのですから!」
「女王様!!」
それを聞いて、確信に至った。
この少女は、この国を統べる妖精王の伴侶、今代の妖精女王。
そして、彼女がもっとも慈しみ、彼女を最も敬愛していた妖精。
「……ルルナ、テューリ…」
「…!覚えていて、くださったのですね。旭さま」
彼女が大事にしていた大切な妹。関係上、妖精界との絶縁状態にある今でも旭にとっては義妹であり、現妖精女王を務めている国の最高位。
霞がかって薄れた意識の中でそれを思い起こし、ゆっくりと口角を上げて笑みを形作る。
無言の笑みを受け、妖精女王ルルナテューリは同様に笑顔を向けようとした。
その時、俄かに牢獄の外の騒ぎがより一層激しくなったのをその場にいた三名は聴き取った。
『おい…!?王は、妖精王はどこへ行かれた!?』
『お前!ついさっきまで王へ敵勢の侵攻状況を報告していただろう!!何故王が玉座におられない!?』
『し、侵略者数名が包囲網を突破し国の城門手前まで差し掛かっていることを報告した!その後にはもう姿が消えていたんだ!』
『玉座の壁面に立て掛けてあった宝剣も無いぞ!まっ、まさか…!!』
「じょっ、女王様!!」
「うん、これもう行っちゃいましたから、たぶん」
ジャリ、と特殊な鎖を鳴らして旭が四肢に余力を注ぎ込む。
不味いのだ、妖精王が動くのは。出来るのなら、王が動き出すより前に返り討ちに遭うか早々に撤退を判断して逃げてほしかった。
旭は先代の妖精王の性能しか知らないが、あの今代妖精王は明らかに先代より強い力を持っている。およそ一国の頂点に君臨する者にあるまじき武力を有している。
首を差し出す前に逝くことは避けようとしていた旭も、この状況ではそうも言っていられなかった。なんとしてでもこの牢から外へ、せめて守羽達をこの世界から逃がすだけでも。
「旭さま。ご無理をなさらないでください」
そんな旭の様子を牢越しから不安そうに見つめるルルナテューリが、牢番をしていた妖精に告げる。
「今すぐ連れ戻してきてください。彼、あんまり加減とか知りませんから」
「はっ…!」
女王の命令に慌てて出て行く兵を見送り、ルルナテューリは静かに繋がれた旭を見やる。
少し身体を動かすだけで咳き込み吐血してしまうような有様の人間を、放っておくわけにはいかない。このままでは手足首を切り落としてでも鎖から逃れ外へ飛び出てしまいそうだったから。
「今しばらく、ご辛抱ください。旭さま。…必ず、守羽さまを悪いようにはさせませんから」
弱り切った退魔師は返事もままならず、ただひたすらに懇願にも似た視線を彼女へ向けることしかできなかった。
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「今すぐ退け。まだ見逃してやれる」
さして高くもない城壁に、国を囲うようにそびえ立つ巨大な八つの六角柱。
内部の騒ぎがここまで聞こえて来る、その城門から堂々と歩き出て来た巨躯の男が短く警告する。
周囲の兵達は皆が一様に驚愕を顔に貼り付かせ、口を開いたり閉じたりを繰り返していた。
「…あんた、まさか」
妖精達の妙な反応と男から発せられる気配の高潔さ。明らかに上に立つ者のそれだと守羽にはわかった。
「妖精王って言えばわかるか?半妖のお前でも」
「ッ…音々、静音さんを守って後方に下がれ。コイツは…」
「ええ、ヤバい部類のヤツね。流石に回りの連中を相手にしながらじゃこの子守り切れないわ。下がりましょう」
「守羽っ」
周囲を囲う妖精達だけであれば、おそらく音々と負傷を治せる静音の組み合わせでも充分だろう。だがあの妖精王だけは別格だ、質が違い過ぎる。
「いきなりボスが出たか。王ならそれらしく玉座でおとなしくしててほしかったけども」
「そうもいかんだろ。王たる役目は民と国を守ることってなぁ妖精界に限らず外でも同じだろうが。だから」
汚れ一つ無い豪奢なローブを躊躇なく地面に投げ、妖精王は背中に背負っていた大剣の柄に手を掛ける。
「こっから先は俺の領域だ。容易に踏み込めると思うなよ」
「そうかい」
琥珀色の瞳を見開き、薄羽を先端まで張り詰めて最大展開、生成色の髪が突風で逆立つ。
「神門旭を返してくれ。聞き入れてくれないなら強引に押し通るしか無くなるが、俺達もあんたらの国を荒らすのが目的で来たわけじゃない。要求さえ呑んでくれればおとなしく帰る」
「無理だと言ったら何をする」
「テメエの領域とやらをお構いなしに引っ掻き回して荒らしながら強引にでも目的を果たして帰る」
「親子揃って似たようなこと口走りやがる」
呵々と快活に笑う妖精王は、やがて周囲に視線を散らして妖精達に言う。
「お前らも下がってろ。巻き込まれると治癒より先にくたばるかもしれんからな」
王自らの出陣に何か言いたげにしていた妖精達は、妖精王の一睨みによっておとなしく引き下がる。
「先に言っとくが、万が一にも俺を倒せたところで他の妖精共は退かんぞ。お前等に勝ち目は無い」
「前例があるのに何言ってんだあんたは。一度あったことは二度も三度もあるんだよ。そういうもんだろ」
「ふん、かもな」
展開させた羽を駆動し、莫大な推進力を持って妖精王に先手を叩き込もうと意気込んだ守羽の左右後方を、突如として分厚い土の壁が囲った。
(退路を奪った、わけじゃねえか!!)
「さっさと退けよ、その辺まだ巻き添え領域だっての」
それは妖精達に放った言葉でもあり、守羽の後方にいた音々と静音に向けられた言葉でもあった。
抜剣し振り落とした斬撃の余波を吸収しながら土壁が粉砕し、その中央にいた守羽へ問答無用に直撃が襲い掛かる。
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「なんにせよ神門旭は許せる存在ではない!!何度言わせれば気が済むのだお前はッ」
「こっちが言いたいよ!こーのわからずやぁーー!!」
水が空に爆ぜ、風が地を砕く。
風の羽と水の羽を持つ妖精が空を飛翔しながら距離を詰めては離しを繰り返していた。
レイスとシェリアの両名が、互いに想いを力に込めて放つ。未だどちらも説き伏せるに至らず、また妥協を見出すほどに身を引ける理由が無かった。
「レイスのばかっ!いいから話を聞いてってば!」
「お前のくだらん話にこれ以上付き合う義理は無い!いいから戻って来いシェリア!」
「あぁーもぉおー!!!」
レイスの頑なな態度に呆れを通り越した怒りすら覚えて、シェリアは身に迫る水を散らし吹き飛ばしながら一瞬でレイスの頭上を取る。思い切りしならせた肢体から繰り出される脚撃は、咄嗟に掻き集めた水だけでは防ぎ切れる威力では到底なかった。
「くっ」
「“水天を裂け、抗う光風!!”」
真っ逆さまに地へ落ちたレイスがどうにか落下地表付近に集めた水をクッションとして衝撃を和らげるも、さらに追い打ちとして上空から押し固めた大質量の爆風が滝のようにその地点へ降り掛かった。
「……ッ、ユル、エオロー!!」
回避し切れる規模ではないそれを見上げ、レイスは水の刃で足元の地面を刻んだ。地中を掘っての逃走、などではもちろんなく、
「“御守を顕すイチイの木、群れ成す鹿の加護なる印!兼ね併せ織り成せ不可侵の域!”」
身を押し潰すような爆風の塊が数秒後に迫る。ガギリと歯を噛み合わせ、目を見開き叫ぶ。
「“護法双重・堅陣!”」
―――ゴバッッ!!!
大震が周囲の地面を激しく揺さぶる。高く高く昇る粉塵の中心、爆心地からは抉り抜かれた草原の残骸が噴き上がり曲線を描いて全方位へ振り落ちて行く。
「…ちょっと、やりすぎ…ちゃった?」
空気を踏むようにして空中に立つシェリアが不安げに尻尾を揺らし地上の惨事を見下ろす。
まさかレイスに限って無様に直撃したとは考えにくいが、万が一にもそうだとした場合は五体不満足の肉塊と化していてもおかしくはない一撃だ。シェリアの頬を嫌な汗が伝う。
と、
「っ!わわ!」
灰色の粉塵を斬り裂いて水の砲弾が正確無比にシェリアを狙って飛来してきた。慌てて回避行動を取り、やや安堵した表情でシェリアは伏せた猫耳を立てた。
「…殺す気かお前は」
草原だったはずの場所に巨大なクレーターが出来上がり、その中心にレイスは立っていた。恨みがましくシェリアを見上げ、自身をドーム状に囲っていた光の膜を解く。
粒子のようにして散った何らかの術式の痕跡が、その足元で不可思議な文様として残っているのをシェリアは目撃する。それは何度か見たことのある、模様のようにも落書きのようでもあるれっきとした文字。
遥か昔に失われた古い文字体系にして北欧より伝えられし術式を編み上げる一種のコード。
「ルーン!」
「覚えていたか。そこは褒めてやろう」
人差し指を向けて上げた声に、レイスはいつか教えたルーン文字の勉強を覚えていたシェリアに僅かながら感心した。
レイスの足元に刻まれた淡い光を放つ文字が、役目を終えて消えて行く。それはZを反転させたようなもの、ひよこの足跡のようなものと二つあった。それぞれにYR、EOLHのルーンとして効力を果たしたものである。
イチイの木を意味に持つ護りのルーンであるユルに加え、大鹿(あるは保護)を意味するエオローを重ね掛けした堅牢の結界。文字に宿る意味と起源を抽出し、掛け合わせによって強化補強を重ねるがルーン術式の真髄。
北欧に出自を持つ真名グラシュティンたるレイスが得手とする技能だった。
かつて、同じく北欧出身である『反転』した悪魔と共に師であるファルスフィスから学んだ技術であることを思い出し、レイスは懐かしき記憶に浸りかけ、静かに首を振るう。あの裏切者と過ごした日々は、もはや懐かしむべき暖かな記憶として想起するべきものではない。
「あれ、そういえば…?」
ふと、その裏切者である褐色肌の悪魔の姿がどこにもないことにシェリアとレイスが気付く。ルーン術式によって身動きを封じていたはずだが、シェリアの考えなしの一撃によってその行方がどことも知れず消え去ってしまっていた。
(いや、直撃ならいざ知れず…ヤツを縫い止めていた場所まで届いた余波は微々たるものだったはずだ。ルーンが壊れるほどでは……こわ、れる?)
とある事実に思い当り、焦燥に駆られるレイスは身体ごと自らの国、グリトニルハイムの方角へ顔を向けた。
共に老妖精から剣術や術式の指南を受けていた時、彼らはこう教え込まれていた。
『対抗するにはその相手の力を理解することが先決だ。剣術なら流派を、拳法なら型を、そして術式なら由来と起源をな。それを理解し、崩す術を見つけたのなら、勝利に繋げることはそう難しくはない』
そう教えられたレイスとアルは、ルーンを教わる際にも同様に教わっていたのだ。
ルーンを破壊するルーンの術を。
(しまった!アイツ、俺の施したルーンを破壊して…!)
既にあの妖精崩れの悪魔は気配すら感じさせない。消しているのではなく離れていたからだと気付き歯噛みする。シェリアとの戦闘に気を割いていたせいで、ルーンを破壊して先に進んだアルの動向に気付けなかった。
「こらーレイス!どこ見てんの!まだ話は終わってにゃいんだからー!」
「っシェリア!」
国への侵攻を許してしまったアルの追撃をシェリアは断じて許さない。シェリアの中で『お話』とやらが納得いくまでレイスを解放するつもりは皆無だろう。
唇を犬歯で噛み、アルの追撃を諦めたレイスは猫娘との戦闘に再三の注力を果たす。
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荒い息を吐き、由音は千切れた腕を“再生”で繋ぎ直しながら真横に駆け抜ける。空より振るは無数の氷槍。移動を止めればすぐさま串刺しにされる。
「はぁ、ぐ…なん、だっ、てんだ…っ!」
悪態をつきながら氷槍を避け続ける。身体は異様なまでに重たく、また怠い。まるで(罹ったことはないが)重度の風邪をひいたかのような倦怠感が体を引く。
「がっ!」
走り抜けた先で爆炎が巻き起こり、顔の右半分の皮膚が爛れる。さらに地面から生えた岩と金属の棘が手足と胴体を貫通し疾駆の慣性を強引に殺した。
刺し貫かれた身体へ無慈悲にも氷槍の雨は止まず降り注ぐ。目を見開き、魔物の如き雄叫びと共に全身から邪気が溢れ出し、それがまるで獣を模した甲冑のような形となって由音を覆う。
“憑依”最大深度に至った黒色の怪物が、身体に刺さった棘を根元から折り空から降る氷槍を漆黒の獣爪を備えた豪腕で纏めて薙ぎ払う。
「グゥゥアアあアアああああアアがガアァぁあああああああああ!!!」
『……ッ!!』
ビリビリと震える大気に攻勢を維持していた妖精王直属の近衛兵団の衆に動揺が走る。
「臆するな。アレには制限がある。悪霊を宿す“憑依”の力、その最大解放。いくら“再生”たる破格の異能を有していようと限度があろうて」
今、由音は巨大な三本の氷柱に囲まれていた。三角形の頂点の位置にそれぞれ氷柱は突き立っていて、その内部では見たこともない不可思議な文様が煌々と光を放っている。
三本の氷柱の内側には由音ともう一人。この厄介な氷槍を雨霰と撃ち続けている老齢の妖精ファルスフィスが杖を突き立っていた。歴戦の猛者たる老妖精の邪魔にならぬようにか、既に元いた数より半分も減らされてしまった近衛兵団の者達は氷柱の外から援護を続けている。
ギシリと頭蓋が軋む。“憑依”に侵され限界の悲鳴を上げている肉体に、強引に歯車を噛み合わせさせるように“再生”が支えていた。
腹部と手足の貫通創は癒えない。顔の右半分の火傷も依然として熱を放ったままだ。
完全完璧なる人外の領域へ踏み込む代償、“憑依”最大解放のリスクの全てがここにある。
(“憑依”の浸食速度が馬鹿速ぇ…!“再生”全展開!肉体の損傷なんざ回復させてる余裕はありゃしねえ!!)
東雲由音が幾度もの人外との死闘で生き永らえて来た、半不死性とまで呼べる馬鹿げた回復能力は一重に“再生”という異能の余力が、“憑依”のカバーに回してもなお余りあるほど膨大であったのが大きい。
ところが悪霊の人外能力を人間の器に上乗せする人外ブースト化の反動は、全開まで使うことによって“再生”が由音を人間種として引き返せなくなる一歩手前までのカバーを行うには限界ギリギリであったのだ。
すなわちハイリスク・ハイリターン。
並大抵の人外すら凌駕できる力を得る代わりに、その間の肉体精神諸々のダメージにおいて“再生”は一切干渉しない。受けた傷が瞬時に癒えないという、由音の今まであった最大のアドバンテージが失われてしまうということ。
さらに追加するに、この状態は長続きしない。
陽向日昏との戦闘を境に覚えた『蛇口の破壊』行為は、長く続けるといずれ蛇口ではなく水道そのもの、つまりは由音の肉体そのものに深刻な再起不能レベルの障害ダメージを引き起こす可能性が極めて高い。これは守羽が由音の魂魄に施した楔の術式を再調整し直した日昏自らが忠告していた内容である。
発動と同時に解除までの時間で短期決戦を決めねばならぬ。でなければいずれ出力に耐え切れず肉体は自壊する。
「THORN・NIED・ISの遅延ルーンを噛み合わせた陣を敷いてもまだこれだけ粘るか。どれ、追加でウルでも…」
自身を囲う三つの氷柱の内にある文字のようにも見える文様がさらに光を増すのを見て、由音は邪気で爆炎や槍を防ぎつつ中央に立つ老妖精にのみ矛先を向ける。
「テメェがなんかしてやがるなあッ!?」
ガァンッ!!と氷結した地面からドリルのように尖った氷塊が複数飛んで来る。
「いかにも。ルーン文字にも向き不向き、相性が存在しての。棘、欠乏、そして氷…遅延を冠するこの三文字は儂とはとても相性が良い」
「わけわから…っねえんだよ!」
氷塊の迎撃と同時に全方位から近衛達の属性攻撃が殺到する。ファルスフィスは上空へ跳びさらに追い打ちの氷槍を数百用意していた。
「この…!」
自分だけ重力が何倍にも増したかのように体が重い。何かの策が通じている。ルーンだの遅延だの、由音には何のことだかさっぱりわからない。
(全力で突っ込む。元々俺にはそれしかねえしな!)
まさしく獣のように、ただ由音は邪気を纏いて数百の氷槍を掻い潜りファルスフィスに喰らい付く。
「あれが『黒霊の憑代』、本当に化物か!?」
「我々の半数を薙ぎ倒していながらまだ余力があるなど、到底の人間の成せる所業じゃないぞ!!」
「いいから攻撃を重ねろ!ファルスフィス様に少しでも近づけるな!!」
「おう!」
近衛兵団の者達は、皆が揃って息を合わせ火球を生み出し土矢を具現し水弾を発生させる。次の一斉攻撃で邪気の塊のような怪物を打倒する為に。
「“突き進み、突き壊せ、雄々しく、猛々しく!!”」
だから気付けなかった。後方から迫る脅威の存在になど。余所見をしている暇など、あの悪霊憑きを前に一切無かったのだから。
「“追尾刺突!符号破壊!”…行くぜ即興合わせ技ァ!!」
「…、なんだ?今誰か、言っ」
その相手が大声で叫び唱えているのを妖精の一人がふと耳に入れて、ようやく気付いた。
あまりにも遅すぎる判明に、誰が何を出来るでもなく背後からの急襲に彼らは成す術なく吹き飛ばされるだけだった。
左手に握る贋作の魔剣、その表面にいくつもの文様を迸らせて青年は跳ぶ。
「あん!?」
「むっ!」
あと少し。全身に刺創と切り傷を受けながらも氷精へ一撃の先を伸ばし掛けた場面でのことだった。
いきなり横合いから、焼け焦げ煤けたような赤茶色の髪を振り乱した悪魔が、右手に握る日本刀を振り下ろしてファルスフィスを急襲した。
寸前で杖で刃を受け止めはしたものの、勢いに押されてファルスフィスの細木のような矮躯が真横に打ち飛ばされる。
「しょうもねェ小細工を!相変わらずテメエら妖精はクッソくだらねえな!!」
怒声を吐き出し、由音の眼前で悪魔が左手に握っていた剣を思い切り投擲し叫ぶ。
「“術付・不耗飛剣!!”」
手から放たれた剣は、その軌道を投擲された直線的な動きから明らかに外れ、意思あるように動き回りながらまず手近にあった氷柱の一つを穿ち砕いた。
続けてホーミングミサイルのような正確無比な動きで曲線を描きつつ切っ先で二つ目を破壊、その内側にあった不可思議な記号のような文字モドキごと三つ目をも粉砕して持ち主たる青年の手元で舞い戻った。
展開されていた三つの氷柱が破壊されると、あれだけ由音を苦しめていた息苦しさや重苦しさが途端に掻き消えた。
「遅延のルーンってヤツだ。動きを極端に制限する効力が三つ、相乗効果で実際の束縛力はもっとあっただろうが、もう関係ねえ」
左手に剣を掴み直し、構える。表面に刻まれていた四つの文字は役目を終えたのかフッと消えてしまった。
「アンタ…アル、だっけ?」
維持の厳しくなってきた深度最大解放の“憑依”を浅めの状態まで再設定して、濁った瞳で由音が思いがけぬ増援の名前を確かめるように口にする。
「おうよ、東雲由音。レイスに足止め喰らってこっち来るのに時間掛かっちまった。悪ぃんだけどお前、俺が散らかしたあの連中の相手しててくれっか?」
視線で示すと、不意打ちでさらに戦力を減らされた近衛の妖精達が態勢を立て直しているところなのが見えた。
「俺はあの爺に用があって来た。役割分担頼むわ」
「…よくわからんけど、とりあえずわかった!助けてくれてサンキュな!あのじいさんかなり強いから気を付けろよ!」
捲し立てて、由音は邪気の尾を引きながら妖精の残存勢力へと拳を握って駆けて行く。
もう少し何かあるかと思っていたのだが、悪霊憑きの少年はあっさり了解してしまった。迅速に最善を叩き出した結果なのか、それとも特に考えもせず動いただけなのか。
なんにしても、
(面白いヤツだな)
アルとしても好感の持てる性根をしているのは間違いないと思った。
「やれやれ。ルーンを自らが生み出した模造兵装への付与効果として用いるとは、相変わらず妙に器用な使い方をしおる。抽出する意味も効力も滅茶苦茶であるしのう」
白装束をゆらりと揺らし、氷の妖精ファルスフィスは久々に見る弟子のデタラメな戦い方に嘆息を抑えられないといった様子で肩を落とす。
「俺がルーン嫌いなの知ってんだろ。面倒臭えし、小狡い感じするしな」
左手の不耗魔剣、右手の童子切安綱を両手二刀で構え、アルは唾を吐いて応じた。
「クソジジイ。テメエが何考えてんだか知らねえが、俺はテメエの全部が気に喰わねえ。旦那の倅には半殺しまでだと言われたが、ここらで死んどけや」
杖が地を叩く音がコツンと鳴る。
「ほうか、なるほど」
深く頷いたファルスフィスの吐息が、白く、視認される。
その直後、周囲数キロに渡って大地全てが凍土と化した。
「愚かな弟子には鉄槌の仕置きを。これも必要なことであろ?師としては特にな」
「……」
淀みのない殺意を滾らせて、ただ無言でアルが刃を手にジャックフロストと相対する為に適切な距離を測り始めた。
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