Neetel Inside ニートノベル
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力を持ってる彼の場合は 二章
第二話 突入、妖精界グリトニルハイム

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 街で起きた騒動の翌日。人の世では二十四時間経っていなくとも、その世界では既に二日経とうとしていた。
 人間界とは時間の流れの異なる妖精界にて、神門旭は多くの妖精の重鎮達が左右の壁際に立ち並ぶ大広間の中央に跪かせられていた。
 ここは玉座の間。煌びやかな装飾や文様で覆い尽くされた床、天井、壁…どこを見ても目が痛くなるほどだ。
 “具現界域・妖精界”―――またの名をグリトニルハイム。
 一つの世界にある唯一最大国の、その中央にある王城に旭はいる。
 両腕を後ろ手にきつく縛られ、陽向日昏との激闘で受けた傷も最低限の止血と処置しかされていない状態だ。呼吸をするので精一杯という有様の人間を、それでも左右に立つ重鎮達は油断なく視界に捉え続ける。
 跪く旭の正面十数メートル先にはこれまが豪奢な玉座があり、そこへどっかりと腰を落ち着けている大男が組んだ足をぶらぶらさせながら退魔師の人間と視線を合わせる。
「うーん。まあ、なんだ」
 いかにも王様らしい細やかな刺繍の施された丈の長いファー付コートや装飾に装飾を重ねた衣装を纏う大男は、傷だらけの薄汚い人間が玉座の大広間に存在することに寛容な態度を見せ、それどころか同情するような目を向けて言う。
「おめーも難儀なヤツだな。哀れみなんて余計だと思うが、しかしまあ運の無い」
「……」
 妖精種というよりはむしろ鬼性種に近いレベルの体格の良さ。オールバックの白髪。彫りの深い顔つき。
 これが本当に妖精界の頂点に立つ王なのか。少しだけ影武者の可能性を疑った旭だが、それが誤りであることは男の身体から放たれる威圧感をもって理解する。無意識にでも平伏してしまいそうになる風格が、この妖精にはある。
「…そういえば妖精王は代替わりしていたんだったね。前の王はもう?」
 かつて妖精界侵攻の折に見た妖精王との違いをまじまじ確認していた旭の質問に重鎮達が空気を鋭くする。大罪人風情が王へ話し掛けること自体が無礼そのもの。
 だが妖精王はそれを適当に振った片手で静まらせ、旭の質問に応じる。
「ああ。そっちで十年前でも、こっちじゃ三十年前だ。いくら妖精の寿命だろうがそれだけありゃ王座も代わる」
「そっか。まあ会えてもどうしようもなかったけどね、僕はあの王に嫌われてたし」
「そりゃそうだ。自分の許嫁候補を寝取った相手に好意を抱くような変態じゃなかったからなー先代は」
 互いにくすりと笑んでから、ようやく本題が始まる。
「で、神門旭。ここへ連れて来られた理由はわかるよな」
「死罪だろう。いつにするかはもう決まったかい?」
 まるで他人事のように言う旭の達観した様子に、妖精王は意外そうに玉座の肘掛けに置いた手の上に頬を乗せる。
「近い内にだ。しかしさっぱりしてんな、悔いは無いってか」
「山ほどあるさ。だが仕方無いことだ。ただ、死ぬ前に聞き届けてほしいことはある」
 妖精王の無言の促しに感謝して、旭は続ける。
「僕の死後も、僕の家族には手を出さないでほしい。出来れば僕の仲間にも」
 かつての妖精界侵攻と妖精女王筆頭候補の誘拐を補佐した『突貫同盟』なる組織のメンバーも、当然ながらこの世界では罪人扱いだ。さらに旭の妻もその子供も、妖精種にとっては看過できる存在ではない。
 それだけ旭達の起こした騒動は大きく深い事件だった。
 それを自らの命一つで水に流してくれという軽々しくも図々しい言い分に、とうとう王の側近含む重鎮達は黙っていなかった。
「貴様ぁ…神門旭!!」
「王の慈悲に甘えるのもそこまでにしておけ!」
「なんたる不遜な」
「思い上がるなよ大罪人風情が…!」
 堰を切ったように怒号の飛び交う大広間に、コォンと一つの音が響き渡る。
 重鎮達が一斉に音の発生点に反射的に顔を向けると、そこには白髪白鬚に死装束のような純白の着物の老人が背筋をピンと伸ばして立っていた。
 妖精王の重鎮にして、人間界で『イルダーナ』という妖精組織の長を担っている老翁。『氷々爺ひょうひょうや』の呼び名よろしく氷精ジャックフロストことファルスフィス。
 上から下までどこまでも真っ白の老人が、両手で体の前に持っていた杖を持ち上げてもう一度コォンと床を小突く。
「落ち着けぃ皆の衆。そこより一歩も動くな、神門旭の思う壺じゃぞ」
 重鎮達が何の話かと僅かなざわつきを見せる中、変わらず肩肘を付いた妖精王はこの状況を愉しむように薄ら笑いを浮かべたまま、
「…で、話を続けるが。もしその願いをこの場で断った場合どうする?」
 満身創痍で縛られた神門旭は自身の状態を誰より把握していながらふっと笑い、妖精王の言葉を想定済みで返しを放つ。
「この場の全員を殺し、命尽きるまでこの国で暴れ実力者から順に殺せるだけ殺す」
 今度こそざわつきは最高潮に達した。怒鳴り声が怒鳴り声に掻き消され、誰が何を言っているのかすら聞き分けられない始末。とても王の座す広間であるとは思えぬ有様だ。
 それを黙らせるのも面倒なのか、妖精王は無言で旭と睨み合う。先程まではなかった敵意が、僅かばかりその身から滲み出す。それは旭も同じく。
(……まず七人は死ぬな)
 確実に出る死者の数を予想して、やれやれと首を左右に振るう。
 妖精王の眼には、神門旭の周囲に九つの強大な力で練り上げられた玉のようなものが見えた。まだ具現を成されていないそれは、おそらく旭の退魔師としての力だろう。
 玉が一瞬で具現され射出されるとなれば、同時に九人は襲われる。そして実力順にこの場の妖精が標的となるならば、大広間にいる妖精上位九名の内で初撃を防げるのは妖精王と氷々爺の二名のみだ。他七名の重鎮は即死で間違いない。
 不遜な言動で場を乱したのも、自身の願いが通じなかった場合を想定しての初撃を通す為。それを察しているのも王とファルスフィスだけらしい。
 まったく重鎮が聞いて呆れる。自らの国を支える者達の無能っぷりを心中深く嘆きながら、会話を続ける為に周囲を再度黙らせる。
「煩い、黙れお前ら。…ちなみに訊いておくが、妖精界の実力者を殺すってのはあれか。人間界に刺客を向かわせないようにってことか」
「もちろん」
 即答した旭の足元から小刻みに地響きが伝わって来る。家族と仲間を守るには、この世界で強い力を持つ妖精をなるだけ多く殺しておかねばならない。今この瞬間、答え方を誤れば即座に玉座の間は惨劇で満たされる。さしもの妖精王も、この手負いの獣を無傷で押さえられる自信などなかった。
「いいだろう、その願い承った。妖精と人間の怨恨の鎖は、お前の首一つで断ち切るとしよう」
「王!?」
「そんな馬鹿な!」
「神門守羽と同盟員は放置する気ですか!?」
 妖精の重鎮達が騒ぎ立てるのに苛立ちながら、妖精王はそれらを無視することに決める。誰の為にこの提案を呑んでやっていると思ってるのか。唯一その心情を察しているファルスフィスが杖をついたまま王へ同情の視線を向けていた。
「こちとら、いつまでも憎悪だの大罪だの因縁だのを抱えたままじゃ気分が悪いんだ。終わらせられるのならとっとと終わらせたいのさ。できれば俺の代でな」
 ただでさえ閉鎖的な環境を構築している妖精世界の中で、いらぬ負念は余計でしかない。閉鎖環境故の悪循環は負の想念を膨張させ続ける。王自身あまり気乗りはしないが、神門旭にはそれを解消させる礎となってもらう他ない。
「あー、それとな神門旭。一つ質問だ」
「…?」
 急に小声になった妖精王の声に耳を傾ける。何か皆の前では訊きづらいことでもあるのかという旭の疑問は、次の質問でさらに大きくなった。
「お前、最近外の世界で起きてる妖精種絡みの事件について何か知ってるか?」
「……?いや…僕はそんな事件の話、知らないよ」
 そうかと呟いて、妖精王は玉座で両腕を組んで何事か考える仕草を見せる。
 何の話なのか、旭には本当にわからなかった。元々『突貫同盟』のツテで最低限必要な情報は仕入れていたが、必要の無い人外情勢の話は一切興味を向けていなかったのだ。
 思案は後回しにしたのか、妖精王は左右に立ち並びまだ口々に何か言い合っている重鎮共を見渡して、不愉快そうな表情を露骨に浮かべて口を開く。
「…意見を統一するまでにしばらく時間がいる。悪いがそれまで牢で我慢しててくれや」
「……感謝するよ、今代妖精王」
 おそらく、ここからは神門旭の一族郎党と『突貫同盟』総員の殲滅派達の意見を握り潰して強引にでも黙らせる会議が開かれる。基本的には温厚であるはずの妖精種の中にも、やはり強硬派や保守派、穏健派などといった派閥は存在する。
 妖精王には苦労を掛けることと懇願を受け入れてくれたことに謝罪と礼の入り混じった一言を返して、神門旭は再び投獄される。
 ロクに怪我の手当ても受けられぬまま衰弱していく旭が次に変化を感じ取るのは、これより七日後。
 妖精界連行より数えて計九日の後、妖精界は二度と起きることはないと思っていた外部からの侵攻に大いに揺れることとなる。

     

 小高い丘の頂上から異世界への孔を通って出た先は、これまた丘の頂だった。ただし、入った時とは違い周囲は一面薄緑の大草原。
 ある一点へ視線をやればそこには花畑、また視線をずらせば大森林。遠くには湖らしきものが水面を反射させ、自然の色とりどりがそこら中にあった。
 まさしく別世界。木々と草花で覆われた空間に、守羽達はいた。
 しかし、澄んだ空気や大自然の絶景を楽しんでいる暇はなかった。
 丘の上へ出た彼ら六人は、そこで自分達の周りを円形に取り囲んでいる妖精達に出合い頭で警告を受けた。
「動くな!少しでも妙な動きを見せたら即座に実力行使に移る!」
 一目で妖精だとわかるのは、天然ものでありながら人間では決してありえない赤青緑銀藍といったカラフルな頭髪と薄い半透明の羽を生やしていたから。
 取り囲んでいる中でリーダーと思しき青色の髪をした男が声を張り上げるのを聞いて、先陣切って飛び出した結果出鼻を挫かれた守羽が、納得した表情で、
「…そりゃあ、父親を追い掛けて乗り込んでくる可能性を見越したら、まず打つべき手は出現点で出待ちすることだわな」
「オレらが前に意表を突いて侵攻したのをしっかり学んでやがる。同じ轍は踏まないってことか」
 左隣のアルもうんうんと頷いてふっと微笑む。ガチンッと童子切安綱の柄を掴む音が鳴って、周囲の妖精達の警戒がより一層強まった。
「む…無駄な抵抗だ!この後方にも我らの仲間が控えている!これ以上妖精界へ踏み込むのなら、本当に容赦はしない!」
「容赦はしない、…ね」
 引け腰の妖精へ、守羽は踏み掛けた片足を引いて相手の眼をじっくり見る。色こそ違えど、そこに込められた動揺や怯えを映す瞳は人間のそれと遜色ない。
 だから、守羽は妖精として人間として、感情を持って言葉を扱う生物としてまず対話を試みる。
「なら俺の願いを聞いてくれ。お前達の仲間が連れ去った人間、神門旭を返してくれ。それさえ叶えてくれるなら、俺達はこれ以上何もしない。おとなしく退くし、二度とこの世界の土を踏まないと約束する」
 穏やかに告げた要求に、彼ら妖精はさらなる敵意と警戒を高めた。
 そうなるに至ったのは主に、『神門旭』の名を出した段階で。
「やはり、大罪人を奪還しに来たか…」
「そんなの聞く耳持てると思うのか、半妖!」
「神門旭が何をしたのか知っていて、そんなことを言っているのかお前は!?」
 怒濤の如く昂った感情を言葉にして吐き出す妖精達の勢いに、守羽は目を細めて短く息を吐く。
「…えらい嫌われようだ、うちの父さんは」
 もはや苦笑すら浮かぶ状況で、守羽の背中にそっと掌を添える人物がいた。ポニーテールに髪を束ねた久遠静音だ。
「守羽…」
 実の父親が貶されていることに、実の息子の守羽以上に辛い表情をした静音が上目で守羽を見つめる。
「俺は平気ですよ。でも話し合いは通じそうにない。静音さん、そのまま俺の後ろに」
 にこりと笑って、静音の不安を払拭させた守羽が引き締めた顔を正面に戻す。
「アル、背後と側面を薙ぎ払え」
「あいよ」
「分かってると思うが、殺すなよ」
「半殺しは勘弁な」
 愉しげに瞳を見開いたアルが柄から刃を引き抜くまでの瞬間に、短く守羽は相棒へ指示を送る。
「正面ぶち抜け、由音」
「ッがあぁぁってんだァ!!」
 邪気を放ち瞳を漆黒に染め上げた由音が衝撃波を撒き散らしながら突撃したのに合わせて、抜刀したアルの一振りが周囲の妖精を吹き飛ばしながら丘を破断。いくつかの岩塊へ分断して土煙を噴き上げる。
「音々!シェリアっ」
「はいさ」
「うん!」
 守羽の声に反応し、崩れゆく丘の上で静音を抱えた音々がシェリアの風に乗って安全確実な速度で降下するのを確認し、守羽は由音に続いて丘の先の草原で待ち構えていた妖精の集団へと拳を振るう。



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 妖精界グリトニルハイムは、そこに住む妖精達が共通して願い想像することによって生み出されている空間だ。
 つまりこの空間、この世界は、無数の妖精達の存在あってこそ存続・維持を続けていられる代物である。
 その特性故、この世界は彼ら妖精達の願いを害する存在に対し過敏に反応を示す。さながら生物が肉体の内側に入り込んだ病原菌を駆逐する働きを見せる時のように。
 妖精界はこの特性を利用して、外敵の侵入を即座に察知し解析する機構を生み出していた。
 グリトニルハイムの王国地下深くに存在する粗削りされた正方形空間いっぱいに、正円で描かれた幾何学模様がある。淡く光を放つ正円の外周にはそれぞれ正確な方位に八名の高名な妖精達が胡坐や正座など思い思いの座りやすい恰好で配置していた。
 ここは妖精界という名の土地に、無断で入り込んだ者達の存在を明らかとする間。
 一人一人が閉眼したままぽつぽつと感知した存在を明かす。
「反応は六」
「一人は妖精種と人間種の混血。これが『鬼殺し』と名高い神門守羽か。へえ」
「懐かしい気配もあるな。『打鋼』…いや既にこの妖精界では裏切者、『反魔』のアルか」
「ついでに『魔声』、セイレーンも入り込んだ」
「純粋な人間もいるよ。異能持ちのようだけど」
「純粋な妖精もな。やはり侵入の手引きをしたか、風精に愛されたケット・シーの幼子め」
「だがコイツが一番異端だな、悪霊憑きの人間。なんだこの深度、悪霊の浸食率が尋常じゃないぞ。これだけ遠くても濃い邪気を感じる」
「最近噂に上がる『鬼殺しの懐刀』、『黒霊こくれい憑代つきしろ』か。これはもう人間と思わぬ方が良い。性能は並の人外を軽く超えるレベルだ」
 八名の男女の声が示し合わせたように次々と間を空けることなく続く。それらは決して独り言などではなく、地下の円陣の外側からそれらの言を受け取っていた人物は次々と八つの口から規則的に吐き出される敵性勢力の戦力や性質の情報を取得する。
 立つのは白装束のファルスフィス、やや離れた後方で片膝を着いて控えているのは黒髪の青年レイス。
「ふむ。来たな」
「……自分が出ます。次の援軍第二波と共に」
 ゆらりと立ち上がったレイスが、確固たる眼差しで老齢の背中へ力強く告げる。
 コツと杖を突いて振り返ったファルスフィスは、その様子を見定めるようにじっくり見て、洞察する。
「ラバーも行かせる。しばし待て」
「…承知しました」
「敵の数は関係ない。これはれっきとした戦争だ」
「わかっています」
「神門守羽と共に乗り込んできたのだ。私情と迷いは捨てろ。よいな」
「……必ずこちらへ連れ戻します」
 絶妙に噛み合わない会話を経て、レイスは踵を返して地上へ戻って行く。
 その背中を静かに見送って、ファルスフィスは白鬚を撫でつけながらゆっくりと息を吸い、そして長く深く吐いた。
 感情を押し殺したように見えて、その実しっかりと『ケット・シーの幼子』の情報に耳を傾けていたレイスの覚悟たるや、果たして如何なものか。



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(『イルダーナ』は、皆で考えた名前だ。他ならぬ、お前の為に)
 地上への階段を規則正しく、急がず焦らず淡々と上り続けるレイスの胸中はとても混沌としたものだった。
 目的は明確で、やるべきことも決まりきっている。
(そのお前がいなければ、なんの為の『イルダーナ』だ。この我儘駄猫め…)
 を蹴散らし、仲間・ ・を取り返す。
 ただそれだけのこと。
 だが、
(お前まで去るのか、シェリア。それを選ぶのか。彼女と同じように、お前も人間と共に行く道を)
 妹同然に世話を焼いてきた少女を惑わせる連中を打倒し、彼は彼の正義の下に全力を賭す。
 やるべきことはそうと判っているのに、相手を悪と断じて行動できるはずなのに。
(…一体、正しいのはどれだ?)
 自らの進む道を是と確信し、シェリアらの進もうとしている道が非であると、今のレイスにはどうやっても言い切れなかった。割り切れなかった、が正しいのかもしれない。
 その中で分かり切っていることは一つ。こちらとあちら、是にせよ非にせよ歩む道はいくら続いていても決して交わることはないということだけ。
 なれば、この衝突はどうあっても避けられない。
 決意を固め直したレイスが、地上への階段の終わりを踏み越え戦線へ加わる。

     

「クック、ハハッ。アハハはは!!」
 振るう斬撃が地を裂き空を断つ。高笑いを続けるアルが、右手の刀一本のみで迫る攻撃ごと妖精達を視界に入った傍から斬り伏せていく。
「軽ィ温ィ弱ェ!オラオラどうした、テメェら自分の世界を守りたかねえのか!?全力で来い、死ぬ気で殺しに来やがれッ」
 吠えるアルは無傷ではなく、全身に細かな裂傷や擦過傷ができていた。圧倒的に押しているのはアルの方なのだが、彼自身が回避など面倒だとばかりに来る攻撃を全て律儀に返り討ちにしているのが、主な被弾原因として挙げられた。
「アル!出過ぎるな少し下がれ!」
 鬼神と一時的にではあるものの互角に渡り合ったというアルの、これが『反転』によって悪魔へと転じた本能なのかと戦慄しながら、守羽は冷静に全体を見渡しながら指示を出す。
 最初の包囲を突破して、その後方に控えていた予備隊をも蹴散らした守羽達へと妖精は次から次へとやってきた。
 ある者達は地を駆け、またある者達は空を飛び、隊としての動きを見せながら真っ向から五大属性(あるいは四大属性)を束ねた遠中距離攻撃を繰り出してくる。
 基本的に妖精種は温厚な性格が主立っており、それ故に戦闘に秀でた者は少ない。その上で近距離を得手とする者などもっての外だ。
 つまり、数で押されていても質で勝る彼らには分がある。
 しかしそれも、今の段階においては、の話であるが。
(いちいち全部を相手にしてたらいずれ力尽きるのはこっちだ、このまま戦力を集中して一点突破を目指す!)
 後方でシェリアと音々に守られながら守羽・由音・アルの正面両翼が切り開く道をひた走る少女静音には全ての状態を元に戻す“復元”の異能がある。これによりあらゆる傷も受ける前の状態へ戻すことができる。
 だがこの力では対象の疲労等まで戻すことは出来ない。全力疾走して息を切らした相手へ“復元”を掛けても酸欠は治らないし、断裂した筋組織を戻すことは出来ても断裂手前の酷使され疲弊した筋肉を戻すことは出来ない。
 だからこの一団は無限に戦い続けられるわけではないのだ。いずれ限界が来て、疲れ切った体は行動を停止してしまう。
 加えて能力者である静音本人の能力限度もある。異能の反動は必ず何らかの形で現れ、例えば守羽の“倍加”の場合は身の丈を越えた力を引き出すことで肉体へ反動が返り、負傷する。それと同じように静音の能力にも体力なり精神なりを削る反動はある。
 焦りを表に出さないように心掛け、正面を受け持つ守羽は右隣で暴れている由音へ呼び掛ける。
「由音!右はもういい、正面を切り開くぞ」
「っ、おう!」
 相変わらず“再生”にかまけて防御を蔑ろにしている由音が傷だけ治った血だらけの姿で大きく頷き、サイドステップで守羽のすぐ隣へ着地する。
「出せるだけ全力だ。俺も―――本気でいく」
「了ッ解!行くぜオラァぁああああ!!!」
 並んだ二人が同時に目を見開くと、その地点から漆黒と純白のオーラが隣り合う柱となって空高く昇り上がった。
 太く生えた柱が徐々に細くなってやがて消えた時、その中心点にはさっきまでとはまるで姿の変わった両者がいた。
 全身を覆うは獣の姿を模した甲冑のような黒々とした邪気を纏う人間。その両眼は淀んだ黒色に染まっているが、自我は変わらず確立されている。
 その怪物じみた外見に対抗するかの如く、大きな半透明の薄羽を煌めかせて真白に近い生成色の髪を風に煽られながら、開く瞳は澄んだ琥珀の色と化す。
 “憑依”最大深度の東雲由音と、全能力完全開放の神門守羽の二人の圧力を前にして妖精達の動きが一瞬だけ止めさせられる。
 その好機を見逃すわけがなく、ほとんど同時に放たれた一撃は黒と白の奔流を渦巻き絡ませながら虚を突かれた妖精達を吹き飛ばし再起不能とさせていく。
「…ん!?オイなんだ守羽どうしたその髪!その目ぇ!?あれ羽も生えてる!」
 確かな手応えに顔を綻ばせた由音が、隣の守羽へ視線を向けた途端に跳び上がるほど驚いて大声を張り上げた。リアクションはともかく他の皆も同じく驚きを禁じ得なかったらしく、それぞれが戦闘の合間に守羽の変化した姿を視認して目を見開く。
 それらを受けて、ふと守羽はこの姿を目の当たりにしたのが鬼神と『イルダーナ』の刺客二名だけだったことを思い出す。
「まあ、これが俺の真の姿ってわけだ。人間らしくは、ねえけどな」
 自嘲するように呟く。これまで滑稽にも人間を名乗り振る舞ってきた自分がこんな姿を晒しては、いくらなんでもこれまで通りに扱ってくれることはないだろうと、そう諦観しかけた時だった。
「すげえなそれ!かっけえ!オレと組んだら白黒コンビだなっ」
「素敵だね、その羽」
 あまりにも素っ頓狂なことを大口開けて笑いながら言い放つ由音に呆気に取られる守羽が、その背後から続いた声に振り返る。
「静、音さん」
「今更そんな反応されると、こっちが困るかな。…私達は、真正の人間かどうかで貴方を見てきたわけじゃない。どう変わろうと、私達の『神門守羽』は変わらないよ」
 周囲で火球が爆ぜ土が隆起する戦場の只中で、ゆったりと噛み締めるように言葉を紡ぐ静音の声に言葉に、由音も言うことは無くなったとばかりに親指を立てて突き出してきた。
 そうして、守羽は自身の思い違いを恥じると共に、改めて痛感する。
 この身の内外を問わず全て理解して受け入れてくれる者がいることの、どれだけ掛け替えのないことか。
「……っ。由音、その状態は平気なのか?前まではそこまで深くやれなかっただろ」
 目頭が熱くなるのを誤魔化すように、正面へ顔を向け直して話題を逸らす。それにこの疑問自体は誤魔化しではなく本当に気掛かりな部分でもある。
「おう!お前がやってくれた『楔の術式』とかいうのを日昏が調整し直してくれたおかげでな!暴走せずかなり“憑依”を使えるようになったぜ!」
 いつの間にやら、守羽の知らぬ間に由音と日昏の関係が以前より親密になっていることに若干の謎を覚えながらも、今はその情報までで現状の納得とする。
 二人の一撃でこじ開けられた正面を突破しつつ、前方の三人は余力を考えながら突き進む。
 ここはまだ前哨戦に過ぎない。メインはこの先、妖精界の中心に位置するこの世界唯一最大の国。さらにその中枢。
 こんな所で疲れていられない。向こうとて、この段階ではまだ本腰を入れるつもりではないだろう。次々やってくる妖精達個々の実力から見てもまだ様子見といった色が強い。
 そう思っていた彼らの一団を、突如として左方から横殴りに水の砲弾が襲い掛かった。
「せぇい!!」
 即座に反応したのは、襲撃のもっとも近い位置にいた左側のアル。童子切安綱を両手持ちで振り回し、こちらへの被害が出る範囲の水弾のみを打ち落とす。
 刃に付着した水を一振りで払い、血気に逸るアルがここに来て僅か興奮したように犬歯を覗かせて襲撃者の名を明かす。
「出やがったなレイス!ようやく歯応えあるヤツが出てきやがった」
「……」
 無言でかつての友人を睨み据えるレイスが、次弾を周囲に展開し、
「レイスっ」
 愉快げに刀を構えるアルとの間に飛び出てきた猫耳少女を前にしてその動きを止めた。
「…シェリア」
「だめだよレイス、こんにゃこと、してちゃだめ」
「…やはり、お前は」
 期待した発言と異なっていたのか、一言を黙って聞いていたレイスは諦めたように水弾の構成を完遂させて臨戦態勢を整える。
「下がっていろシェリア。お前との話は、そこの連中を一掃してからだ」
「ううん、違うよレイス」
 頑なな青年の態度に、今度はシェリアがふうと小さく吐息を漏らして言う。語尾が終えると同時に、吹いた突風が鋭く飛んでレイスが構成した水弾を一つ残らず裂いて散らした。
「!」
「お話は、あたしとしよう?いっぱい、たくさん、しないとだよ」
 白いワンピースを翻して、風が少女を愛でるように肌を優しく這って伝う。背中からは、大気中の塵や埃を巻き込んで風の羽がうっすらと目視できた。
 妖精としての力を最大限に展開させて、それがシェリアの本気を示す『妖精の薄羽』の具現と成す。
「シェリア」
 せっかくの死闘を前に胸を躍らせていたアルが、水を差された仏頂面で少女の背中に呼びかける。シェリアは微笑んだまま、
「ごめんね?アル。でも、ここはあたしにやらせて。ずっと、そう考えてたから」
「チッ」
 不服そうに舌打ちをするも、安綱を肩に担いだアルは片手をひらひら振って対峙すべき相手を変更する。
「んじゃ、俺はテメエで我慢してやっか。来いよ靴職人」
 刀の切っ先を向けるはレイス・シェリアが睨み合う真逆、つまりは正面突破していた守羽達の右方。
 地面を踏み砕いて、小柄な中年男性が降り立っていた。
「レプラコーン…ラバーか!」
 その男を、守羽は知っていた。鬼神戦の直後に瀕死の守羽のもとへやってきた妖精。靴作りを得手とする職人。
 真名をレプラコーン、個としてはラバーと呼ばれていた者だ。
 レイスと同じく『イルダーナ』に籍を置く妖精が、侵略者達を挟む形で木槌を手にどっしりと構え、それをアルが受けて立つ。
 左右の強敵に、それぞれ二名の人員を取られた。
「先行けよ旦那の倅。あのジジイ半殺したらすぐ追い付くからちゃんと獲物残しとけよ?」
「フン、小僧が。行かせると」
「そいつは行かせるフラグだなぁ!?」
 何か言い掛けた守羽よりも早く木槌を地へ振り下ろしたラバーより速く、その木槌が地に触れる前に間合いを詰めて右足で蹴り上げたアルの一閃が走る。
「くぅっ!」
 あわや胴体を斜めに斬られかけたラバーが身を捻り茶髭の一部を斬り飛ばされるに留め、後方へ跳んで距離を離す。
「なんか俺の相手はジジイばっかだなー…ま、あの氷精ぶっ殺す準備運動には適任か」
 ぶつくさ愚痴りながら、ちらと視線を寄越したアルの意図を汲んで守羽は走り出す。それに倣い、すぐさま由音が続き音々と静音もその場を駆け抜けた。
 それらの通過を止めようと僅かな身じろぎを見せると、眼前の相手はそれを許さない。
 歯噛みしながらも、妖精達はひとまずの標的をそれぞれ定め意識を全て注ぎ込む。

「『反魔』め、二度目の侵攻が通ると思うなよ」
「なんだそりゃ、俺こっちではそんな風に呼ばれてんのか。ってかジジイ、靴職人なら俺に一足作ってくれよ。頑丈なヤツ」
「貴様におあえつら向きな、真っ赤に焼けた鉄の靴ならすぐ作れるが?」
「ハッハッ、んなモンなくたって俺は愉しく上手に踊ってみせるぜ。愉し過ぎて踏み潰しちまったらゴメンなァ」

「お前が、俺に敵うと思っているのか」
「そいえばレイスに勝ったことにゃいよね、あたし」
「ああ。そして今回も勝てない」
「ううん。勝つよ」
「たいした自信だ。ますますあの悪霊憑きに寄ってきたようで…腹立たしい」
「自信じゃにゃくって…あの時とは、もう違うから」
「何が違うか。お前は何も違わない、何も変わらない。変わる必要は無いんだ。お前はこれまで通りのお前で…よかったんだ」
「だめにゃんだよ、それじゃあ。でも口で言うだけじゃ、わからにゃいよね」
「……何が、お前をそうさせた」
「レイスも、もっといろいろ見てみにゃよ。そしたらきっと、わかるから」

 靴職人と妖精崩れの悪魔が。水の扱いに長けた青年と風の寵愛を受けた少女が。
 互いが互いの得手とする力をぶつけ合う余波が地面を細かく揺らすのを足裏で感じ取りながら、ついに守羽はその先にある一つの大国を目の当たりにするのだった。
 広い敷地全域を囲う城壁はさして高くもなく、簡単に乗り越えられそうに見えた。
 だが守羽の目を引いたものはそれではなく。
「なんだ、ありゃ」
 隣の由音も思わずといった様子で呟く。
 無数に連なる家々や店がびっしりと広がっている中央に一際高い城がある。
 だがそれ以上に高くそびえ立つものがあった。しかもそれが八つ。
 城壁に隣接する形で等間隔に設置された、薄く向こう側が見える程度に透明度を持った翠色の結晶が、六角柱に形を整えて空へ突き出ていた。
 その異様な鉱物にも金属にも思える巨大物が全てを守るように囲い屹立するあの国こそが、この世界の呼ばれ方と同じ名を持つ妖精国。
 父親の囚われている世界、国。グリトニルハイムの全貌を、ようやく守羽達は目にしたのだった。

       

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Neetsha