Neetel Inside 文芸新都
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魔女旅に出る
ぬま

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草野
 非番の日にビルへ入るのは初めてだった。勿論、浜崎さんが出勤し、監視している中で行っているため、他の警備員に見つかることはない。
 きっかけは浜崎さんの一言、「最初の約束、覚えているよな」だった。
 最初の約束、というのは佐藤の情報を盗み出そうとする俺を黙認し、更に手伝いまでしてくれる事を条件に、浜崎さんの手伝いもしなければならない事だ。。
 そうして、その約束は今日、果たすこととなった。
 浜崎さんが当番の日で、且つ、残業する社員が少ない日をを選んだ。
 今回狙うのは、計算書類だ。大概は監査や決算前に不正の無いよう、調整して提出するのだが、今回は調整前の書類を狙い、隠蔽や横領などを発見し会社の弱みを握ろうという作戦だ。
 一見、安易な考えに思えるが、実際、企業間の抗争で頻繁に行われている手法らしく、実に効果もあるようだ。
 まったく嫌な世の中だ。
 俺はスーツを着用して社員を装い、何食わぬ顔でフロアを歩いていく。
 目標の書類は、倉庫にある。パソコンのデータを盗む方が簡単なのだが、幹部以上の決済印の押された書類ではないと、効力が薄いからだ。
 倉庫は普段から人の出入りが少なく、仮に社員と会っても、社員のフリを通せばいい訳だから、リスクの低い任務である。
 唯一、危険があるとすれば、書類をしまっている棚の鍵を受付に取りに行く際くらいだが、問題なく鍵を手に入れることが出来た。
 ここまで、何の問題もなく、ビル内での仕事をやり遂げている。もしかして才能があるのではないか。
 そんなしょうもない妄念を抱きながら、すっかり慣れたビルの中を迷わずに進み、倉庫を開ける。
 浜崎さんの記憶が正しければ、今から、二年前の六月、営業部が担当した民間の顧客に対して実勢価格の偽装を働いているとのことだった。偽装の単価自体は大した事はないようだが、数量が多く、実際は大幅な偽装らしく、間違えましたでは済まない額になっているそうだ。
 外部の監査では上手くやり過ごすつもりなのだろうが、その前に浜崎さんが手を打つという魂胆である。
 浜崎さんに指定されていた棚の扉を開く。中は書類を綴ったファイがびっしり敷き詰められている。目の前のファイルを一冊手に取り、拝見する。
 部外者では、一目では分からないが、指示通り、計算書類であることは間違いない様だ。ファイルは親切に時系列で並べられており、確認が容易であった。
 一応、指定された日付の書類が幾つか見つかったが判別がつかないため、指定された辺りをまとめて、鞄へ入れる。
 これで借りは返したことになるだろう。まだ浜崎さんが許してくれるのかは分からない。
 そして、棚を閉じようとしたとき、片隅に収納されている、「勤務表」と記されたファイルが目に留まった。

     


 言葉の通り、時が過ぎる事を忘れてしまった。
 我に返って、時計を確認すると、一時間以上が経過していた。
 勤務表を手に取って平成17年2月末日。田原が殺された日の、佐藤の勤務を探す。土曜日なので、休みの可能性は高いが、確認しておくに越したことはないだろう。
 勤務表は先程の書類と違って、碌に整理されておらず、部署や日付が煩雑になっており、作業は中々進まないが、俺は夢中になって、探した。
 作業中、携帯へ何度か着信が入ったが、気にもせず、黙々と探した。相手は恐らく浜崎さんからだろう。
 そこまで夢中になる程、自分で膨らませた自らへの疑いを萎めてしまいたいのだろう。
 情けない話だ。笑えてしまう。だが、それでも作業を耽々と進める。
 どれくらいの時間が経った頃だろうか、背後でドアノブを捻る音がして俺は思わず肩をすくめる。
 痺れを切らしたか、それとも不安に駆られたのか、そんな想いで浜崎さんがやってきたのだと思った。しかし、指定時間外にルートへ行くのはリスクが高いのではないだろうか。そんな事を考えながらゆっくりと振り向く。
 だが、倉庫の入り口に立っていたのは、全く知らない人物だった。
 予想外の状況に動揺し、つい目を見開くが、それは相手も同じ様子だった。
 その男は残業の疲れからか、目は血走りシャツは不格好によれている。
「おつかれさまです」
 俺は自然に挨拶を送るが、男は返事どころか、会釈することすらなく、倉庫の中へ入り作業を始めた。
 なんて礼儀の無い男だろうか。しかし、好都合だった。
 男は大きく欠伸をする。彼の無関心な様子をみると、作業を中断する必要はないように思える。その予想通り、男はさっさと用件を済ませ出て行った。
 俺もさっさと作業を続け、当日の佐藤の出勤を確認することが出来た。結果、佐藤はその日は非番で、休日出勤もしていない様だった。
 結局、倉庫の中に二時間近く籠っていた。10年前の勤務表を探すのは骨が折れる。
 携帯を開き、仕事が無事終わった事を浜崎さんへ伝える。
 受付に鍵を戻すと、肩に疲れを感じて、呑気に肩を回した。
 そうして廊下へ出た途端、点々と灯されたライトで出来た人影が差した。
 またか。間違いなく、鉢合わせになるだろうが、今回も適当に対応しよう。
 先程の倉庫での経験が俺を油断させる。
 しかし、やがて現れた人物は、またしても予想外の人物だった。
 現れた男は怪訝な顔をする。髪をオールバックに固め、典型的な優男の外見をしたその男は、紛れもない、佐藤であった。

     


「おつかれさまです」
 俺は、先程と同じ、他愛のない、挨拶を佐藤へ送った。
 佐藤は、愛想よく微笑み軽く会釈をする。
 正直、社内で佐藤と顔を合わせるのは、好ましい事ではなかった。
 なぜなら、彼に俺の顔を認識されることは、今後の行動に制限が生じる可能性が大きい為である。
 しかし、こうなってしまった以上、せめて事態を荒立てる事の無いよう、なるべく自然に振る舞うしかない。
 そう。ただ自然にすれ違うだけでいいのだ。
 佐藤を横切る寸前に、彼は俺の視線に目を合わせた。
「遅くまで、大変だね」
 声をかけられた。
 どうする、黙って立ち去るべきだろうか。
「ええ。そちらこそ、遅くまで」
 しかし、顔を見られた以上は、変に目立つ行動は止めておくべきだと判断する。
「私は一応、管理職だからね、多少は仕方ないよ。君は、どこの部署かな?」
「僕は、営業部です」
 一人称を変えて嘘の情報を伝える。
「そうか。営業の事をとやかく言う奴もいるかもしれないが、営業があってこそ、経営は成り立っているんだ。これからもよろしく頼むよ」
「はあ」
 妙な気分だ。友人の仇だと疑っている相手に、労いの言葉を掛けられたためか。
 それとも、包容力があるとでもいうのか、彼が何とも安心感の与えられる声で話す事に違和感を受けるのだろうか。
 なんとなく、殺人犯としてのイメージにそぐわないのだ。
 以前、東京で佐藤に会った時は、名刺交換程度で、彼の言葉を聞く機会がほとんどなく、一方的に先入観を作っていたから、尚更、ギャップが大きい。
 しかし、それがどうした。もう後に引くことは出来ないだろう。
 真偽を明らかにしない限り、俺が嵌った泥沼からは抜けられないのだ。
「ところで、玄関に書類でも置きにきたのかい?」佐藤が尋ねる。
「いえ。受付に鍵を返しにきたんです」
「そうか、休憩室に行ってきたのか」
「休憩室ではなくて、倉庫に行ってきました。少し、書類を整理しに」
 ここは下手に偽らない方が良いだろう。
 すると、佐藤は「そうか」と言って腕組みをする。
「和光商事の社員は大半が、『玄関』を『受付』、『倉庫』を『休憩室』と呼ぶ。倉庫に関しては、休憩室を改装して倉庫に変えたからだ。まあ、そのように呼ばなくとも、その通称位は社員なら誰もが認識している」
 急に、話の方向性が、場の空気が変わった。俺は嫌な気配に、スッと寒気を感じる。
「見ない顔だと思ったが。君は、この会社の人間じゃない様だね」
 佐藤は、突然、俺を睨み付けた。
 何故、こんな事になった?挨拶などせずに黙って立ち去るべきだったか?
 いや、この様子だと、結局、追及されただろう。

     


 初対面の人間を計略にかけるとは、見た目と裏腹に強かな男だ。俺は冷静に振る舞うが、この状況を打開する魔法の様な手段は何も思い浮かばない。
 少しずつ積み上げてきたものが崩れ落ちていく、絶望的な感覚につつまれる。
「もう一人の新人警備員は、ここの元社員だね、君達が何を企んでいるのかは分からないけど、彼の顔も覚えていたよ。僕は、人の顔を覚えるのが得意な方でね。」
 佐藤は尚も容赦ない追及を続ける。本当に、顔の記憶が得意らしい。
「それと、君の顔は、以前、別のどこかで見た気がするんだけど」
 まさか、俺と東京で会ったことまで、覚えているのか?ここまでくると、混乱してしまう。
「呑気に話していて、大丈夫なんですか?俺は会社に侵入している、いわば強盗みたいなものじゃないですか。通報とか、何か行動しなくていいんですか?」
 俺は開き直ったような気持ちで言った。
「その言い方は、君が襲ってこない事を伝えているようなものだよ。まあ、少し理由があってね」
「理由、ですか?」そんなものがあるのか。
「世間話だと思ってほしいんだけど。私には一人、娘が居てね、今は別々に生活しているんだ。といっても、一人暮らしを始めたとかではなくて、ちょっとした理由で妻と別れて娘もついていってしまったんだ。それで今は別々の生活ってわけさ。それでね、最近、娘と同じ年の女の子と関わる機会ができて、つい、情が移ってしまったんだ。とは言っても別に、下心とかではないよ」
 佐藤は耽々と話し続ける。
「娘と、その女の子、そして君、三人とも全く同じ年だと思うんだよ。だからさ、つい優しく当たりたくなるんだ」
「なんですか、それは」
 嫌な予感がする。
 俺と同じ年の女性と知り合ったのが、もし、会社外だとすれば、ほぼ決まっているじゃないか。
 椎名だ。
 しかし、そうなると、おかしい。本当に佐藤と椎名が関わったのならば、なぜ椎名は何の連絡もくれないのか。
 分からない事の次に、分からない事が続く。何がどうなっているのだ。
 また、頭が痛くなる。
 再び健忘が始まってしまうのではないか。そんな気さえする。
「という訳だから、その盗んだ荷物を渡してもらえば、今回の事は水に流してあげようと思うんだ」
 佐藤はあっけらかんと言う。黙認。また、黙認か。俺は。
 結局、大人しく荷物を渡した。
「じゃあ、裏口から出ようか」そう言って、佐藤は俺に背を向け、歩き始める。
 不用心な物だ。だが、この男の事である。仮に、俺が襲い掛かってきたところで、対抗できる何らかの手段があるのだろう。
 俺は完全に諦め、佐藤についていく。
 都合よく、浜崎さんが現れて、この場を収束するなんてことはなく、あっという間に裏口へ到着した。
 気になることは一つある。
 俺が佐藤の娘と同年だという理由で罪を見逃そうとする人間が、10年前に田原を殺めることなどしないのではないか。
 だとすれば、娘の話か、田原を殺めた容疑者である事のどちらかが、間違っているのだろう。せめて、娘の話が真実なのか、それ位は明らかにできそうだ。
 佐藤が裏口の扉を開けて外へ案内し、俺はそれに従う。
「どうせ、俺の事を見逃すなんて嘘で、すぐ通報するつもりなんだろう」
 俺は試すように言う。
 しかし、佐藤は答えずに扉を閉めた。
 そして、彼は「その通りだ。世の中、そんなに甘くないよ」と裏口のすりガラス越しに言った。
 やはり娘の話は偽りだったのだろうか。
 少なくとも、俺に同情し、見逃すつもりなどなく、彼が事件に関与している可能性が残っていることは分かった。
 だが、心の内から沸々と込み上げてくるものがある。
 何度も罠へ嵌められている事に対する怒りではない。
 事件の真相に少しずつ近づけていた期待感を瓦解させられた事への怒りだろう。
「田原の事は、絶対に諦めないからな」
 気づくと、俺は挑戦状を叩きつけるかのように、何の役にも立たない言葉を吐いた。
 返事は、何もなかった。

       

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Neetsha