局長、がんばります!
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ノックもなく扉が開く。
「よっ、ドク。調子はどうだい」
薄い光が差し込む大きな窓。逆光で黒ずむシルエット。
「……ここでは局長と呼んでください。会長」
「おう、そうだったな。文部科学省学園艦教育局、局長殿」
戦車道連盟会長、児玉はその恰幅の良い体を揺すって笑った。
局長はため息を吐いて額に手を当てた。整えられた七三分けが、わずかに乱れる。
デスクには書類が散らばり、茶色の木目はほとんど見えない。児玉はそれを一瞥してから、ゆっくりとソファに腰を下ろした。
「困ってるみたいじゃないか」
「大学選抜チームにも勝つとは……。あの時に有無を言わせず廃校にすべきでしたか」
児玉の朗らかな顔がわずかに曇る。
「少なくとも角谷杏はもう使えんな。あそこまで入れ込んでいるとは思わなんだ。干し芋、効いとらんじゃないか」
局長は無言でデスクに散らばっていた書類の一枚を手に取った。書類には小さな顔写真が添付されており、写真の中ではツインテールの少女が屈託のない笑顔を浮かべている。
「それはカルテか?」
「ええ、作らせました。……常時経口摂取しています。むしろ効きすぎているくらいだ。ある種の疾患が発症していて、その病状の一つと考えるべきでしょう。副交感神経系の依存症ですね」
「そもそも角谷は学生じゃない。メンターだ。従業員にまで影響が及ぶなら、ますます続行は難しくなるぞ」
児玉は渋い顔をした。学園艦での彼の立場はあくまで部活動パート・戦車道タイプの監督にすぎない。生徒会長として潜り込ませたメンターが戦車道パートでの活動で心身障害を起こしたとなれば追求は免れない。劇中でも微妙な立ち位置で動かねばならないのに、現実での心配事まで増やしたくはない。
「もし、依存症と分かっているなら即刻辞めさせるべきだ。後での弁解がますます苦しくなる」
「弁解?」
黒縁メガネの奥の目が光った。
「弁解とは物事が上手く運ばなかったとき、その言い訳を述べる様を表す言葉です。なぜ劇中半ばの今から弁解を考えてるのですか?」
「うーん、そりゃ……実際、苦しいだろう。今期は。メンターまで劇中であることを忘れかけてる。現実へのつなぎが難しい……。誰も変化を望まない、そればかりか自分達が動けばそれを守れると思い込ませてしまった」
「問題が難しくなったことは認めます。しかし、元々は変化を極端に恐れる、主体性のない学生達が変化してきているのも事実です。陸につなげる方法を思いつけないのは我々に柔軟さが足りないからだと考えています」
「まあ、お前さんがそう言うならそうなんだろう」
児玉は肩をすくめてため息をついた。
「ただ、な。あの子らは本気で戦車道にのめり込んでる。良い方法を考えてくれよ。続けさせるにせよ……取り上げる、にせよだ」
「……善処しますよ」
児玉はまだ何か言い足りなそうに口元をもごもご動かしていたが、膝をぽんと叩きソファから立ち上がった。
「まあ、根を詰め過ぎんようにな」
そう言って児玉は局長室から出ていった。
再び局長室に静けさが戻る。ただ、児玉が残した波紋は局長の眉間にシワとなって残っていた。
(お前も影響され始めているぞ……児玉)
デスクに置いた新聞に目を落とす。元凶が、この一連の連鎖障害の最重要患者が、控えめな微笑をたたえて写真に写っていた。
西住みほ。
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資料の内容を読もうとしたが、頭に入ってこない。
大きく息を吸い、部屋を見渡した。児玉がいない応接スペースが妙に広く感じられる。
問題は学園艦治療の是非ではなく、どう終結させるかにシフトしつつある。児玉の口ぶりからも、職員たちがそう感じていることは明らかで、それがどうにも気に障った。
文部科学省学園艦教育局・局長。このポジションを演じることに同意したその日から、この方法を是と思い仕事に打ち込んできた。いや、自分が是にする、そうでなければ彼女達は…。
上は上で彼女らを精神疾患患者ではなく、特殊な才能に恵まれた人材だと考えている節もある。ともすれば、これはトレーニングであり、期待に見合う効果が出せなければ違うトレーニングをすればよいというわけだ。
冗談ではない。心にどうしよもない傷を負った子どもらにようやく与えることができた居場所なのだ。
もう一度大きく息を吸い、軽く目を閉じた。もうすぐ夏か…。
***
今日は暑いなあ。
こんな日はぼんやりしちゃって…。
「あっつーーい!もう!」
「帰ったらアイス、食べるぞ」
「あら、よいですね。私も食べたいわ。」
「いいですね〜、西住殿!西住殿も一緒に行きませんか〜?」
はっとして慌てて返事をした。
「う、うん!私も行く!」
なんだろう、最近何かつらいことを思い出しそうで。去年の準決勝じゃない。そうじゃなくて、もっと昔…夏、だったのかな。暑かった気がする。
鬱蒼とした森の中で、なんとなしに不安になる。汗があごを伝うのを感じる。
突然、右手の地面が煙を吹いた。
ワンテンポ遅れて、すべてが戻ってくる。膝を震わす振動、鼻をつく機械油の匂い、掴んでいる手すりが汗で少しすべる、そして轟音。顔を叩かれたかと思うほどの、轟音。
「冷泉さん、平地に出るまで前進してください!」
「りょーかい」
冷泉さんは私のイメージ通りに戦車を動かしてくれる。濃い緑が爆音とともに弾け飛んだ。鉄の匂いに、煙、折れた木々のむせるような匂いが混ざる。…冷泉さんは私のイメージ通りに戦車を動かしてくれる。
なんだろう…。でも思い出したくない。こうやって戦車に乗ってると気持ちいいのに…。乗ってるだけで気持ちいいのに…。
思い出したくない。
***
戦車道という架空の部活動は当初からかなりの成果を上げていた。
各学園艦にはそれぞれの校風に合わせた戦略を徹底させ、そこに性格が偏向した学生を入部させる。まずは自分と同種の人間とともに生活させることで孤独感を払拭、現実の集団生活で受けたトラウマを払拭させる。そして、試合を通して自分の性格への肯定感、さらなる研磨という主体性を身に付けさせる。
帰還した学生は一定の社会性を身につけたとして評価されてきた。
***
今期は何かがおかしい。
局長は再び資料を手に取った。椅子には座らない。立ったまま考えたかった。
学生達に今までになかった傾向が見られる。高校教育課程の一部である部活動は、あくまで一部なのだ。卒業が近づくにつれ、愛着を残しつつも学生たちは部活動から離れていく。学園艦に限ったことではない。陸の”普通”の連中とて同じことだ。もちろん、卒業後も続けたいと望む熱狂的な学生はいる(陸でもそうだ)。そういった生徒は卒業後のカリキュラムをこなした後、メンターチーム、または「家元」として治療を支援する側に回る。
今期は…、今期はそれがない。惜しみつつも終わりを感じる、終わるからこそ有終の美を飾ろうと、上級生は熱心に練習に励む。下級生たちは自分たちが中心になることを察して急に一つ大人びたような振る舞いを見せ始める。そんな報告が例年は上がってくるのだ。例年は。
眉間のしわを、指でほぐした。局長はもう一度目を閉じた。
しかし今期の、まるで永遠に部活動が、戦車道できるかのような、あの落ち着きぶりはなんなのだ。ピーターパン症候群と類似しているようにもみえるが、なにか奇妙だ。腑に落ちない。
違和感を感じ始めたのは大洗女子学園が全国大会で勝ち始めてからだ。
大洗女子学園学園艦の治療方針は奔放さと現実との妥協点を探ること。まずは学生の自由に活動させるが、徐々にそれだけでは現実に向き合えないことを体験として教えていく。
自分の妄想に過度に没入しがちな生徒たちに、廃校というイベントを経験させることで妄想からの離脱と現実への帰還を体験させたいのだ。
現実への回帰点としての廃校イベントが中止になることは今まではなかった。達成不可能だと考えていた全国大会の優勝。どこかで歯車の噛み合わせがずれたのだ。どこだ?
たしかに大洗女子学園に入学した生徒たちの闇は深い。メンタークラスでは読みきれない部分も多々ある。事実、今期のメンター角谷は"取り込まれて"しまった。
自分の世界に外的要因なしには戻ってこれないレベルまで没入してしまった学生達を収容する、大洗女子学園は最難度疾患治療艦として竣工されたのだ。
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