仕事人早乙女
1日目
早乙女薫は新しいバイト先に来ていた。
女子高生、二年生。都内の高校に通っている。黒髪、肩に付かないくらい。
中背。顔は整っていると思う。むしろかわいいくらい。でもモテない。
なぜモテないのか?その辺について詳しく書くのはあとにする。
とにかく、早乙女はバイト先に向かっていた。
渋谷の駅を降りて、センター街を通り過ぎて。
一度面接で通った道だ。その後東急ハンズの横を通って、しばらく進んで、胡散臭いビルの横を右に曲がる。坂を上る。すると、オフィスがある。
オフィスと言ってもただの雑居ビルの5階である。エレベーターが狭い。
定員は5名。小さい。5名で360kg。一人72kgである。こういう所まで男を基準にするのはどうか、と早乙女は思った。だが女性基準にされたら世界中のエレベーターが破壊されて、上から吊るすロープが切れて、芥川龍之介の蜘蛛の糸みたいに皆殺しになってしまう。
5階に着く。小さなビルだから1フロアこの会社のものである。
早乙女の今日から働く会社。それは「オオシマ・エージェント・サービス」を名乗っていた。
わけのわからない名前である。
ざっくりした仕事内容。時給1200円だから、その辺のコンビニとかカラオケのバイトよりは高い。しかし、仕事内容に関しては「お客様の支援・カスタマーサービスを担当。」としか書いてない。
それ前者後者内容同じこと言ってないか?と内心ツッコミつつ、渋谷という立地のよさと時給のよさに何となく釣られてしまった。
面接に行ってもし胡散臭かったらやめようと思っていたけれど、担当を名乗った女性は美人だった。茶髪のロングで黒縁メガネ。真面目で硬そうな人だった。この人が偉いならまあそう変な仕事ではないだろう。そう思って、聞かれた質問にはいはいと答えていたら採用されていた。
そして今オフィスにきたわけだ。
「早乙女さんね。少し待っていてくれるかしら」
オフィスの受付で呼び鈴を鳴らすと、面接のときの茶髪ロングさんが来て、そういい残し控え室に戻っていった。指示の通り待ち椅子に座って、スマホを見るわけでもなく髪の毛を弄っていると、ジャージに着替えた早乙女さんがオフィスの外から現れた。
普通にその辺でランニングしてそうな格好である。メガネも外している。やはり美人だ、と思う以前に、その印象の差に驚いていた。
「おまたせ。じゃあいきましょう」
ジャージの女性はエレベーターのボタンを押す。さっき早乙女が上がってきたからすぐに開く。崎に通されて、早乙女はいそいそとかごの中に入る。女性がボタンを押す。地下だ。
「名前がまだだっけ。名刺は渡した?」
「いえ、頂いてないです」
「私は神崎。ま、名前なんて大事じゃないからね、忘れて結構。適当にクソメガネでもジャージでも呼んでくれればいいわ」
「じゃ、じゃあジャージさんで…」
ジャージさんはくるっと振り返ってしばらく真顔になったあと、かっはっはっと豪快に笑った。
「そっか。ジャージさんか。悪くない。みんなにもそう呼ばせよう」
「あ、あの。すみません。失礼でしたか」
「いいよ。てか、今日の仕事については何も聞かされてない?」
「聞かされてないですね。今からどちらに向かうんですか?」
「そりゃあ今日の仕事場だよ。着けばわかる」
早乙女は頷いて、顔を赤らめた。
やっぱりジャージさんはおかしかったかもしれない。
B1…地下に着くと、タクシーが止まっていた。個人タクシー。車内がタバコ臭い。
「吸っていいか?」などと聞かずにジャージと運転手はスパスパ吸っている。
車はどこかに向かって走り出す。
運転手とジャージは何かわからないことについて世間話をしている。顔見知りなのだろう。
時々聞こえてくる単語で仕事のことだとわかる。
しかし個人名が多い。あと会社名、取引先だろうか?最初は真剣に聞き取ろうとしたけど、諦めて、窓の外を見ていた。
車はビルの谷間を走る。八王子出身の早乙女からすれば東京は都会だった。
八王子は東京ではない。山梨か長野である。
30分くらいだろうか?空き地にタクシーは止まる。
ジャージと運転手は何かしら会話を交わす。早乙女とジャージは降りる。
まだそんなに遠くには着てないと思うけど。あたりは背の低い一軒家しか見当たらない。
ビルが遠くに見える。空き地。雑草がひざ下くらいまで伸びている。隅の方に土管が放置されている。
ジャージがずしずしと踏み込んでいく。早乙女は少し躊躇った後、ついていく。
空き地の隅に迷い無く進んでいく。「よう」ジャージが声を掛けた。
そこには女がいた。髪が長くて顔が見えない。座り込んで、うつむいている。
服装がパンクな感じだ。この暑いのに半そでの革ジャンみたいなのを着ている。
服がところどころ破れている。デザインなのか、本当に破れたのかはわからない。
少し小汚い感じのする女だった。
ジャージは声を掛けたあと、腕組をしていた。女からは反応がない。
ジャージはしゃがみこむ。ぐい、と女の髪を掴み、顔を上げさせる。
「いってえな…」女はその服装に合わない、子供のような顔をしていた。
美人というより美少女。小顔で目が大きい。
「おい、仕事はどうした」
「やったよ」
「おっさん、来てないけど」
「知らん。途中でバックレたんだろ」
「そんな言い訳があるか。店までつれてくるのが仕事だろう」
「はいはい。さーさんはいつもそうやって説教する。説教が仕事なのか?説教で手取り25万か?」
「誰が手取り25万つったよ」ジャージはあきれて、女から手を離す。
ジャージは早乙女の方を振り返る。「こいつを連れ戻す。これが今日の仕事」
「はい」早乙女は元気よく答えた。少し元気がよすぎたかもしれない。
空回りがいつものことだった。ジャージは微笑む。また女の方に向き直る。
「こいつ、新人なんだよ。早乙女薫っていうの」
「ふーん。そりゃ芸名かい?」
「いや、本名だよ。ちゃんと学生証みしてもらったし」
女は顔を上げる。「なるほど、役者みたいに可愛い顔してるよ」
早乙女は照れる。何も言い返せない。
「純情っこか?今時流行らないな」
誰も何も言わない。静寂。風が吹く。
早乙女はジャージの顔をうかがう。ジャージは明後日のほうを見ていた。
「私はさ、他人に何かをやらせるのが嫌いなんだよ」
「知ってる」
「だからさ、お前を引っ張っていきたくない」
「うん」
「だから早乙女にやらせるわ」
「ふーん」
ジャージがこっちを見る。ウインクする。
「え?」
「こいつの肩持ってやって」
「はい」早乙女は思考停止してしまい、スッと女の横に立ち、肩を貸した。
女は背が低い。150あるかあやしい。これなら負ぶってしまったほうが早そうだった。
ジャージは女にしては背があるし、これなら親子に見える。
「はあ。一人で歩けるっつの」女は早乙女から身を剝がそうとする。
けれどその力は弱い。結局早乙女に身を預ける形になる。
3人はタクシーに戻ってきた。ジャージは前の席に座る。女と早乙女が後部に座る。
ビルの地下に戻ってくる。
「じゃ、また。次いつ来るの?」
「えっと、水曜ですね」
「明日か。わかった。じゃね」
ジャージは回復したであろう女と一緒に、エレベーターに消えて行った。
バタン、とドアの閉まる音が聞こえる。
「やあ、嬢ちゃん。今日が始めて?」
タクシーの運転手だった。
「ええ、はい」
「何がなにやらという感じだろう」
「はい」
「ま、悪い奴らじゃないからね。そのうち分かるようになるよ」
運転手はスパーッと煙を吐く。タバコを足元に落とす。踏み潰す。
「そういうものですか」
「そういうもんさ」