※この物語はフィクションです。犯罪行為に当たりそうなことは真似しないでください
ぼくらについての話をしたい。
中学・高校時代、ぼくの家は諦観のたまり場だった。自堕落な娯楽だけがぼくらの絆だった。
自作のTCG(トレーデングカードゲーム)が覇権を握ったのは、高校に入学したころからだっただろうか。この遊びにはみんなが熱狂していた。インターネットから適当な画像を拾い、思うままに数値と効果を添え、カードとして形にする。ツギハギの仕事だが、ぼくらはそこに創造性を見出した。自作TCGこそが最高にクールで知的な娯楽だと信じて疑わなかった。
カードに設定すべき数値は、攻撃力・防御力・コスト。効果の幅は広く、特殊な召喚方法や、罠・魔法カードに関連するものもあった。
ここまで言えばわかるだろうけど、ぼくらの考えたゲームのルールは遊〇王に酷似していた。いや、恥を恐れずに言えば、酷似どころではなかった。まるパクリだった。
しかし、本家と違う楽しみもないことはない。つまり、ゲームの全体について、自分たちで統制を与えられることが面白さのキモだったのだ。
自分で作ったカードは、必ずしも自分の手に入るわけではない。ぼくたちは遊びの工程を、『作成・流通・プレイ』の三つに分けた。作成されたカードは一旦、すべて一つにまとめられ、印刷担当によって大量生産がされる。それらが折につけ、プレイヤーの手に渡る仕組みだ。
流通の手段については、幅広いやり方が認められた。ポーカーや麻雀の賭け対象にされたり、交換や譲渡はもちろんのこと、暴力さえ伴わなければ、窃盗行為での入手も正当とされた。
日常にスリが横行する空間はなかなかにスリリング(笑うところだ)だったが、ぼくが最も妙味を感じた工程は『作成』だ。作成の際、カードの数値と効果設定は各人に委ねられている。言い換えれば、どれだけ強いカードでも作り放題ということだ。
当初、攻撃力の上限は3000というのが暗黙のうちに了解されていた。ブルーアイズホワ〇トドラゴンに敬意を表して。しかし、ゲームの開始から一か月後には、ノーコストで召喚された≪バーバリアン百号≫が5000の攻撃力で斧を振るっていた。
自分で作ったカードが、必ずしも自分の手に入るわけでないことは前述した。にもかかわらず、良心を欠いた連中はゲームバランスを容赦なく破壊していったのだ。
インフレが行くところまで行くと、緊急会議が開かれた。秩序と理性を重んじる穏健派と、破戒と自由を愛する過激派に分かれての激論は三日間に及んだ。結果、穏健派に回った印刷担当がカードの生産中止をチラつかせることで事態は一応の収束をみた。超性能カードはしめやかに葬られ、ゲームは再び平和を取り戻す。のだが、さらに一か月が経つころには、どうせ平和は侵されている。人間の欲望とは果てしないものだ。過激派の攻め方も、印刷担当の買収、カードの密造、手を変え品を変え。調和と混沌のイタチゴッコを、ぼくらは楽しんでいた。
ゲームの内容について長々と話してしまったけれど、話の主旨は他にある。つまり、ぼくらという人間について。
ぼくを含めた仲間たちは、以上のようなくだらない遊びを、高校三年生の秋まで続けた。学校を休みまくって、昼夜を問わず、だ。
途中、堕落した人生を改めよ、という話題は幾度となく上がった。僕の部屋の地べたに座って、みんなは口々に言う。「少しくらい勉強したらどうだ」、「先につながる活動はしないのか」、「だいたい、お前らは表情からして陰鬱なんだよ」。現状批判は活発だったけれど、吐かれる言葉はどれも、致命的に実行力を欠いていた。
思うに、ぼくらは当時から諦めていた。将来への展望とか、自分自身への期待とかいうものを、すでに失くしてしまっていた。正体のつかめない様々なものに、疲弊させられていたのだ。
毎日のように顔を突き合わせていたぼくらだが、大学生になると、音信はとんと途絶えた。大学はほとんどが全国に散って下宿生活だ。それぞれの仲間に、それぞれの生活がある。たとえ、下宿先が近所でも同じこと。薄れていく縁をつなぎとめるために連絡を取り合う甲斐性など、ぼくらにはなかった。ぼくひとりがハブられていたのじゃないかと指摘されるかもしれないけれど、そんなことはないはずだ。友情の希薄さという点に関して、ぼくは彼らを信頼している。
ぼくらの間に友情などは絶対になかった。一緒にいると安心できたらしいのは、みんなが同じ出来損ないだったからだ。そこにあるのは歪な自己憐憫でしかない。ぼくらは互いをおもしろがることはできても、他者として認め合ったり、肯定することは決してできなかった。
大学生になってから、顔を合わせる機会といえば、もっぱら仲間が自殺したときだった。
大学生活がはじまって半年も経たないうちに、ひとりめが死んだ。高校時代、将来はネトゲのRMT(リアルマネートレード)で暮らしていくとか抜かしていたやつだった。
自殺については、正直、予感はしていた。当時、「大金持ちになったら、余りのアイテムはお前らにやるよ」と嘯いた彼の瞳は、どう測っても輝かしい希望を見据えてはいなかったから。
経験上、大言壮語を吐くやつは黄色信号だ。死にかけている。大きな望みほど、絶たれるとショックが大きい、とか、たぶんそういうことではない。彼らにはハナから、望みなどありはしないのだ。空虚な心の真ん中に、張りぼての夢を置いてみただけ。しばらくすれば、自分の欺瞞に気が付いて、途方もない虚しさに襲われる。最初から死に近しい人種なのだ。
ふたりめが死んだのは、二年目の春だった。自作TCGで≪ガレージミラー≫に10000の攻撃力を付けやがった彼も、アパートの部屋で自殺した。雨の日には神経がピリピリするとか言っていたので、雨の日に死んだんじゃないかと思う。知らないけど。
ちなみに、こいつは人の悪口を言うのが大好きだった。ゲームショップに赴くたびに、自分のことを棚に上げて、客の顔面を揶揄していた。ぼくは、彼が受かった大学に落ちていたので、そのことでよく小馬鹿にされたものだ。
二人を弔う葬式は、どちらもあまり悲愴な感じではなかった。参列者たちは口々に「若いのにねぇ」と漏らしたが、たいして悲しむふうでもない。故人は、若いこと以外には見どころのない人間だったのだなぁと、ぼくは納得しつつも、彼らを擁護したくなる気持ちもあった。
奥さん、あいつはああ見えて、ネトゲのレベリング効率だけは凄かったんですよ。お兄さん、あいつはロクでもないやつですが、人の悪口を言うときだけは輝いてましたよ。
生き残っているぼくらは葬式で会うと、故人の死を潔しと称えた。反対に、自分たちには意気地がないと罵り合った。
「酒ばかり浴びるように飲んでいるから、死ぬべきことを忘れてしまうのだ」
「俺は音楽を聴きまくって誤魔化しているぜ。最近は、楽器の演奏とか、歌うことにもハマってる」
「ぼくらはゴキブリみたいにしぶといね。見苦しいよ」
葬式の帰り、会場の入り口で賭けをした覚えがある。大学を卒業するまでに、いったい何人が死んでいるか。ぼくはあと二人死ぬことに賭けたのだが、幸か不幸か、以降、訃報は届いてこない。
一度だけ、仲間で集まって墓参りにも行ったことがある。そのとき、ぼくはジョークで≪死者蘇生≫のカードを供え物に持っていった。このネタ自体、ネットのパクリでたいしておもしろくもないのだけれど、当日墓地で集合すると、痛恨のネタかぶりをしていた。つまり、ぼく以外にも≪死者蘇生≫を持ってきたやつがいたのだ。ああ、思い出すだけでも恥ずかしい。
めかした私服が被ったときと同種の恥。発想力貧困な馬鹿二人は大変気まずい思いをしたものだが、仲間のひとりが放ったツッコミで、事なきを得た。「≪死者蘇生≫は制限カードだから、供えるのはどちらか一枚にしておけよ」。抜群だった。なにせ、爆笑だった。居合わせたほかの墓参者からは、怪訝な目で見られた。
墓参りのときにも、ぼくらはいくらか話をした。
「やあ、相変わらずクソみたいな人生を送っているかい」
「表情を見ればわかるだろ、あの頃と同じだ。どいつもこいつも敗残者の顔をしてる」
「まったくなぁ……ひとりくらい、奇跡の巻き返しをみせるやつがいてもよさそうなもんだが」
「巻き返し? 巻き返しって言葉は、元になる勢いがあって成り立つんだよ。お前らの人格に一片でも、まっとうで健全な根っこがあるのか?」
「ないね、たしかに。むかしは、いや、いまでもたまに、『あなたはまだ若いから可能性がありますよ』と言ってくる輩がいるけれど、あれは嘘だね。ダメなやつは最初から最後までダメなのさ。全員それをわかってるんだ。なのに、隠している」
「ほんとにダメかな? 疑わしいよ。いまからだって間に合うかもしれない。たとえばほら、キミなんかは研究室からの推薦でまあまあの企業に就職できそうじゃないか。無事に社会に取り入って、あとは、葬式のときに言ってた例の恋人と……え? 恋人じゃなくてセフレ? いいじゃないか、似たようなものだよ。とにかく彼女と籍を入れて、身を固めてみたらどうだい。それでもって子どもをつくって、その子どもも子どもをつくって。そしたらきみはおじいちゃんだ。たまに遊びにくる孫と戯れながら余生を過ごしなよ。最期は病院のベッドで、家族に囲まれて大団円。どうかな、素晴らしいだろ、チャレンジしてみなよ。やってみろ、やってみろ。ぼくには白々しくってとてもできないけどね。アハハ、そうさ、一度白々しく感じてしまったものは、ずっと白々しいままなんだよ。一生だ。見かけ上は、無理やり取り繕うことができたとしてもね。ああ、ダメそうだね。検討の結果、ぼくらはずっとダメそうだ。アハ、アハ、アハ」
それぞれに乾いた笑いを浮かべたまま、ぼくらは解散した。
実のところ、『乾いた』などと修飾を付ける必要もないのだ。ぼくらの笑いはいつだって、悉く乾いているのだから。なげやりで、無感動で、無責任だから、笑えるのだ。
ところで、仲間たちの件から知ったことだが、自殺について、首吊りという方法はかなりポピュラーらしい。後で調べてみたら、統計上のデータも出ていた。思い返せば、ぼくのとある年上の知り合いも首を吊って死んだ。経営していた会社から金を横領した挙句、八つ当たりのような遺書を残して。夏だったので、死体の腐敗がすごかったらしい。『立つ鳥、跡を濁しまくる』とはこのこと。共通の知り合いのあいだでは、しばらく語り草だった。
もうひとつ思ったのは、女性は自殺をしないな、ということだ。この傾向も、たしか正確なデータが出ていた。ぼくの周りでも、「かわいいあの娘の首が伸びてたよ」という話はちょっと聞いたことがない。
女性のたくましさは日常でも感じる。なんというか、バランス感覚に優れているというべきか。彼女らは、現実社会から頑なに目を背けないのだ。実例もある。
ぼくの祖母は病気をしてから施設に入って、かれこれ十年になる。彼女は自分の人生を呪っているひとだ。ぼくが見舞いに行くたびに、長々と愚痴を聞かせてくれる。「お金などいくら貯えても意味がなかった」、「わたしの我慢は報われなかった」、「生まれてこなければよかった」、「わたしの人生はすべて間違っていた」。むかしは温厚で穏やかな性格だった気もするのだが、諸行無常。死を目前にした告白は、端的にこの世の地獄を表している。
しかし、そうしてさんざ愚痴った後には、ぼくに言うのだ。
「ところで、遺産分配についてなんだけどね……。あんたのとこはほら、いろいろ大変だったからねぇ。多めに残してやろうと思うのよ。あんたは素直でかわいいから、おばあちゃん、贔屓にしたくなっちゃうのよ。それに比べて××さんときたら――」と、姑らしく、息子の妻を罵ったあと、「せっかく来てくれたんだから、あんたにはお小遣いもあげるわ。嬉しいでしょう?」
おもねるような皺だらけの顔に向けて。彼女の人生における大いなる間違いの連鎖的所産であるところのぼくは笑顔をつくる。「うん、ありがとう、おばあちゃん」
ぼくは、死んでいった仲間を尊く思う。生きているうちはどうでもいいようなやつらだったが、死んだあとは話が別だ。死者は畏敬に値する。なぜなら、死者は永遠だから。身体から抜け出た霊魂が永遠にお空から見守っているとか、そういうことじゃない。ぼくは霊魂を期待していない。死んだら一切合切おしまいで、ぜんぶなくなってしまうと信じている。けれど、『なくなってしまう』というそのこと自体が、永遠を感じさせる気がするのだ。
勉強や仕事を終えて寝床につくと、いつも死んだ仲間が囁きかける。耳元で、誘うように。
永遠になれ。
永遠になれ。
永遠になれ。
永遠になれ。
永遠になれ。
ぼくは掛布団をはねのけて、音楽をつける。それに合わせて声を出す。サイドボードから酒を出してくる。
囁きは止まない。
永遠になれ。
永遠になれ。
永遠になれ。
永遠になれ。
永遠になれ。
念仏みたいにぶつぶつと。念仏に送り出されていったはずなのに。
ぼくはコンポのつまみを捻って、音楽のボリュームを上げる。大声で、叫ぶように歌う。酒をいっぺんに、胃に流し込む。
けれど全然、足りない。きっと、もうすぐ。