Neetel Inside ニートノベル
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奇跡のアイランド
第五話

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 3

 部屋に差し込む光で目が覚めた。部屋の中にまだ暖かい空気が残っている。
 光でこの部屋は満たされている。渉はぼんやりと夢の中から現実へと戻ってきた。この暖かく、優しい、この世界へ。
 最近夢を見る。とても、とても怖い夢を。
 その夢から目覚める度に夢だったかと安心する。
 その穏やかな気持ちで満たされると、潮が満ちるように、ふとあんなに怖い世界とこの暖かく優しい世界の果てしのない落差に不思議に思う。
 まるで夢の世界と現実の世界とで法則そのものから違っているようだった。

 お日様の光が部屋に優しく入り込んでいる。

「(お日様。あなたはどこにでもいるんですね・・・)」

 渉はベッドの上で座ったまま顔を窓の方に上げた。
 光が大窓から降り注ぎ、曙がもたらす一日の始まりの予感を渉は受けた。
 渉は神のような暖かでそして偉大で力強い太陽に温かみの気持ちを向けていた。渉は何故かこんなことを思う気分だった。こんなちょっと変わったことを。
 でも、たまには当たり前のようにいつも感じてることに嬉しくなったっていいと思う。

 とても、静かだった。外からは僅かに鳥の声が聞こえる。
 あれは鳩だろうか。渉が小さい時はなぜか梟の鳴き声だと思い込んでいた。
 この島に生息する野鳥の全種類を知って図鑑を作りたいと渉は思った。そして全部の鳥の鳴き声を聞き分ける。
 そんな考えを持った。
 ベッドの上で座り、渉は未だ定まらない魂が自分の中に定着するのを待っていた。
 かちかちかちと言う時計の秒針が動く音が渉の耳に入ってきた。

 体をゆっくり、ゆっくりと動かし、ベッドの上で体勢を変える。窓を開けるためだ。
 丸い大窓を開けると自分と外の世界とが確かな繋がりを得たような気がした。
 窓を開けたことで鳥の声がクリアーになった。
 少しひんやりとした、島の空気に渉の体がぶるっと震える。
 毛布をマントのように被る。道産子のような姿になった。
 それでも窓を閉めずにその柔らかな曙を眺めていた。風が気持ちよかった。

「おはようございます。」

 渉は太陽に向かってお辞儀をした。
 変といえば渉も少し変わっていた。
 渉は太陽信仰を持つところがあった。そんなに大袈裟なものでもなく、江戸時代の人とかが太陽にお日様と言ったり、月にお月様と呼んだりするようなものだった。

「(確か世界には太陽信仰の本場とかあるはずだから、いつかそういう人とも話してみたいな・・・・・)」

 ぼんやりと青みががった灰色に橙色の光が充満していくような風景を見ていて思った。
 やっぱり渉はこの自然に感謝した。
 窓のさんに肘をつかせる。ひんやりと肘が気持ちいい。穏やかな光と島の風が渉の頬にあたり気持ちがいい。
 肘に顔を乗せる。気持ちが良すぎて二度寝してしまいそうだ。


 渉は起き上がり、窓を閉めた。それからベッドから降り、カーペットを横切り、部屋の階段を降り始める。
 階段の壁には渉が思い描く理想の写真や、絵が額に入れて飾ってある。ふと上を見上げると、大きな布の宝地図が帆のように天井にかけられている。それらのものがしっかりと渉を渉たらしめていた。

 部屋のドアを開け、廊下に出る。
 朔夜の部屋、未来の部屋、春日井の部屋、黒繭の部屋をただ通り過ぎる。部屋の中に入りたいと思ったけど、流石にそれははばかられた。男の部屋なら入っても大丈夫ではあると思う。そうか。じゃあ春日井の部屋でも入るか。
 春日井の部屋に入ったが、その人はいなかった。そうか。と思い当たる。おそらく剣を振りに行っているのだろう。剣道でもフェンシングでもなく、「剣技」 を。剣の腕を磨いているのか・・・・自分を磨いているのか・・・。とりあえず渉は部屋を後にした。

 春秋、久尊寺、真歌、漆の部屋の前を通る。少しばかり不安になる。確かにこの部屋の中に彼らはちゃんといてくれるのだろうか。と。もしかしたら一夜明けてこの家から俺以外の皆がいなくなってしまったのではないかと。もしかしたらみんな俺を置いてどこかへ行ってしまったんじゃないか?
 誰もいないとても広い洋館に渉は取り残されてしまったんじゃないか?
 真っ暗な海の中に放り出されたような気分になる。ここはとても豪華なのに。皆がいないと・・・・

 頭の片隅ではそんなことありえないと解っていたが、この浮遊感のある想像に陥っていた。質の悪いことに俺はこの無理のある想像を簡単に受け取っていたことだった。

 廊下を歩く。この広い館は皆でいるととても賑やかだが、1人でいるには広すぎて、そして寂しすぎる。

 ガラスの扉を明けて、バルコニーに出た。とても広いバルコニーで縦15m。横は30mぐらいある。白の大理石でできた、そのバルコニーには今日は白いテーブルが1つと椅子が2脚、そしてやはり白色のパラソルが置かれていた。その椅子に座る人がいた。その人は風景を見ているようだったが、渉の方を振り向いた。ドアを開ける音をまったく立てなかったというのにこの人は渉の方を見た。この人は渉や家族以外の人だったらこんな穏やかな空気で人を迎え入れないんじゃないかとなんとなく思う。そんな人物が目の前にいた。

 周りの白よりもより一層も白い肌。白磁のような白い肌だった。そして彼女の金色とライムグリーンの混じった髪が朝焼けに照らされて煌めいている。彼女は笑顔を渉に向けていた。渉はこの景色を独り占めできる自分が嬉しかったが、同時にそんな低俗な感情を抱いている自分がどうしようもなく、恥ずかしく、嫌悪した。

 そういうわけで渉は少しの間口がきけなかった。だからアリーシャの目の前で突っ立っていた。

「おはよう渉。ふふ。どうしたんだいこんな朝早くから。」

 アリーシャがそうごうを崩し、渉に話しかけた。渉に会えたことがまるで嬉しいかのように。

「おはようございます。」

 渉はアリーシャにお辞儀をした。

 それを見たアリーシャは少し怪訝な顔をしたが、やはり優雅な美しい動作で、(本人の自覚なし)立ち上がり、渉にお辞儀をした。

「おはようございます。」

 渉は顔を上げた。アリーシャも顔を上げた。しかし渉は口をきかなかった。

「さあ。いつまでも立っていないで座りたまえ。」

 アリーシャが渉をテーブルに促した。

 渉はことここに至って自分のやっていることの失敗に気づきつつあった。いや、アリーシャは渉を対等の存在として扱ってくれてるのだ。実際は対等ではないとしても。そのことになぜ抵抗しようとするのか。自分の価値を下げるどころか、アリーシャが自分の価値を下げようとしてしまっている。完全に失策だ。そんなこと、あってはならないのに。

 渉が硬直しているのを見てアリーシャはやや強引に出た。そういうところは、他の家族を見て憶えたのかもしれない。

「とりあえず座ってくれ。立ち話もなんだ・・・・という文化だ。」

 やや渉よりも背の低いアリーシャが、渉の肩に触れ、椅子に促した。
 渉はそのまま着席する。

  向かいあった。しかし渉は自分がここにいることがどうも信じられなかった。この人の前にいることが。アリーシャはこの荘厳な例えるなら一枚の絵画のように周りのもの全てと調和していた。渉だけがこの景色の中で浮いているような気がする。そうなんだ。

「何故かそういう風に感じるんだ。俺だけがこの世界で生きていて何か馴染まないような。」

 1人だけ違う次元の上にいるような。同じ平面上にみんなはいるのに自分だけが違うページにいるような。

「俺もそのページにいたいのに。いることはできないんだ。」

 やめろ。頭の中で声がする。これ以上進むな。これ以上進むと、また同じことのくり返しだぞ?今まで何度俺は同じことを繰り返して来たと思っているんだ。また同じことを繰り返すのか?

 ・・・・・顔を伏せ、視界に入るのは自分の膝とその上に握られた拳だった。

 ふと顔を上げるとそこにはソーサラーの上に置かれたティーカップがそこには置かれていた。そのティーカップは赤い紋様で装飾されたものだった。

「これ・・・・アリーシャが選んだティーカップ?」

「いや。これはイフリートが選んだものだ。やつの趣味だ。」

 アリーシャが俺の疑問に答える。

「(うん・・・・・なんとなくそう思ったんだ。)」

 ウンディーネが水を生み、イフリートが湯を沸かす。

「私は一であり、全でもある。」

 アリーシャは少なくともそう言う。人間の認識と同じであるという風に言う。何故アリーシャはそんなことを言うのだろう。俺にそんな圧倒的な力があったのなら俺は・・・・

「アリーシャはさ・・・・人間になりたいんだろ?」

「だから、俺みたいなやつにも優しくするし、深く関わっていこうとする。なるほど。俺みたいなやつは愚かで馬鹿で情けなくって、無力で粗野で、無知で、そして・・・・汚く、汚らわしい存在だから。そうでしょ?」

 そう考えると一番整合性がある。俺の中で一番納得がいく。まぁもっとも・・・俺が考えたことだから、結局正しい保証なんてないのだけれど。そもそも正しいってなんなんだ?何が正しいと決めるんだ?そういう絶対的最低権を持った誰かがいるのか?そんなことはない。だから科学や数学が好きなんだ。誰が観測してもほぼ同じ結果を見ることが出来るんだから。もう俺しか見えない景色なんか見たくない。みんなと同じ景色が見たい。やばいな・・・・・分かってるよ。やばいってことぐらい。分かってる・・・・・・これは自分で自分がやっていることにうんざりしてきているってことだ。どこにも進みようがない袋小路。何たってこんなことになったんだ?あの時あの道を通らなければ・・・・・あの仕事を選ばなければ、いや選択の余地なんかなかった。何にも分からないガキだった。いや・・・もっと前・・・あそこに居続けたことが間違いだったんだ。

 記憶が混濁する。

「渉。」

 確かに、だが微かに聞こえる声。凛としたよく通る声だが、同時に幽かな声としか渉は受け取ることが出来ない。
 渉の瞳に映るのは精霊王の幽かな微笑み。それは陽炎のように儚い。だが同時に鮮烈に渉の心に残った。

「渉。」

 もう1度精霊王は俺の名前を呼んだ。そして、身を乗り出し、俺の肩を触れた。いや、触れたなんて優しいものではなく、その両手で俺の肩をがっしりと握った。俺は恐れ多くて体をねじらせて避けたかった。俺に触ることで穢れがまるでこの精霊王に移ってしまうと本気で思った。そして、単純に接触する事が怖かった。太陽は暖かく必要であるけれど、長く見ていれば目が潰れてしまう。太陽のように眩しいが太陽のように俺の身を焼く。

「私は君を愛している!!」

 体には力が入らない。まるで糸の切れた操り人形のようだ。体をアリーシャに揺さぶられている。

「私はこの世界が好きだ。この世界を守ることが私の役割なのだ。この世界にいる人を守ることが。私はこの世界にいるみんなが好きだ。上妻家のみんなが私は好きだ!みんな大好きだ!渉のことも大好きだ!イフリートやウンディーネ、シルフ、ノームが私の大切な1部であるように、渉も私の大事な1部なんだ。ああ、私の中の君を君にも分けてあげたいぐらいだ。」

「君は知らないのだろう。私の中の君の存在を。」

「渉が嬉しいと私も嬉しいし、渉が悲しいと私も悲しい。」

 アリーシャの体から光が放たれた。アリーシャと共にいる四大精霊がこの世界に顕現する。
 まず現れたのは土の精霊ノーム。

『まぁそう深く考えることないって。ごーろごろして思いついたことをやってればいいんだよー。』

 ゆったりとした声で渉に語りかけた。

 次にいたずらっ子のような癇の強そうな声で話すのはシルフだ。この精霊は風と共にやってくる。

『世の中の人はお前のことなんかそんな注目してねーよ。』

「・・・・シルフ。」

 アリーシャがものを言いたげな長年の付き合いがあるがゆえに通じる視線をシルフに投げかけた。

「あー・・・」

 わしゃわしゃと自分の髪をかき混ぜるシルフ。自分の応援する野球チームがエラーをした時のような顔をするシルフ。

「つまり、世の中の人間そんなに暇じゃないのは分かってるだろうけど、そんなにお前のこと悪く思っちゃいないよ。客観的に見るとな。そんなにお前が思ってるほど、お前はマイナスじゃねーよ。」

 空気中の水分が膨れ上がるように何も無い空間から現れたウンディーネ。

「アリーシャったら毎日渉のことを話すんですから・・・・」

「ご・・・・ごほん!」

 アリーシャが大きく咳払いをする。

「まぁ・・・・・そのつまり、確かによく話すことは認めるが、毎日はなしているかと言われればだな・・・・」

 顔をどんどん赤らめるアリーシャ。
 その隣にくるくると回るようにして現れたイフリートと同じくらい赤いアリーシャの顔。

「(この話題の主が俺じゃなかったらもうちょっと微笑ましく見ていられたものを。)」

 そう。周りでちょうど見ている四大精霊のように。
 そう呑気に構えられない事実を渉は頭の片隅に追いやろうとした。

「(だいぶ・・・・・人間らしくなった。)」

 向かいに座る、真紅の宝石のような瞳を持つ、人形のような顔の女性。

「(精霊王が人間に近づくってことはいい事なんだろうか・・・・初めて会ったときはもっと・・・人間ではなかった。)」

「(全てを解って、悟っていた、まるで・・・・・神のように。)」

 その神の性質とも呼ぶべき全知全能さが薄れ、ただの人間に近づいていくことは俺にとっては嬉しくもあり、何か残念な気持ちを湧き上がらせた。

「(やはり・・・・・俺はどうかしているな。まぁ俺がどうかしているのは今に始まったことじゃないが。)」

「(神威か、藍子か、久尊寺と相談しよう・・・・そうすればきっと解決する。)」

「(しかし、あれ?目の前の彼らと相談するっていう選択肢がないな。)」

「(どうしてだろう・・・・・何故家族がいて、みんながいて、なのに何故俺の心はこんなにも満たされないんだろう。こんなにも不安定なんだろう。)」

 それを言ってしまったら、全てが壊れてしまうような気がする。決して超えてはいけない線を超えてしまうような。そこからとそこまででは見た様子では何の変わりもないのだが、引き返そうとすると見えない透明な壁に阻まれるような。その壁は決して壊れることなくどこまでも続いており、向こうの様子をただ見ていることしかできない。

  渉は目の前のコーヒーを飲んだ。美味しい。そう。まだ美味しいと感じることが出来る。

「こんな日は、神威と農作業するのがいいかもしれない。」

 俺はふとそう呟いた。
 俺はモーニングコーヒーを飲み干した。それにしても、朝焼けがやけに美しい。

 渉とアリーシャは2人で食堂まで行った。
 ガチャガチャと聞きなれたこの屋敷のドアの音。中庭の木漏れ日。
 食堂に入るとそこには藍子と春日井。春秋。久尊寺。真下。真歌がいた。真下と真歌は性格が正反対だが何故か気が合うらしくいつ見ても一緒にいる。朝だと言うのに賑やかに卓を囲んでいる。
 フライパンの上でパチパチと弾ける卵焼き。いい臭いが渉のもとまでやってくる。ポッドが沸くスチームのデシベルが大きい。甲高い、それでいてくぐもったような蒸気の音。

 そう、これが朝の音、朝って感じだ。

 ふとこの時になっても渉の頭の中では恐ろしい想像が沸き起こった。この広い広い屋敷に誰もおらず、ぽつんと自分だけがいる光景が頭の中に浮かんだ。その自分は今みたいに楽にソファなどで寛ぐことは出来ずに三角にちじこまって座っている。そんな風景を。

 しかし、春秋と真歌の喧嘩の声でその意識が戻った。春秋と真歌が喧嘩をするのは特に珍しいことではない。この2人は悪ふざけやいたずらで結託することと喧嘩を一対三の割合で繰り返しているからだ。

 俺はテーブルにつき、藍子と真下が運んできた食事に手をつけた。真下がエプロンを外しながら席につく。

 渉。真歌。真下。春秋。春日井。久尊寺。黒繭。美優。未来。咲夜。シュラ。漆。神威。藍子。みんなでテーブルを囲んでいる。

 もう始まってはいたけれどこれから一日が始まる。

 渉は勇気を出して同じテーブルを囲んでいる神威に話しかけようと決めた。

  鍬を持つ。
 渉は屋敷から出かけて今日は一日農作業をすることにした。
 鍬を振るい土に突き立てる。この動作を何回も何回も繰り返す。当然渉の細腕ではこの鍬は手にあまり過ぎるほど余った。

「重いなんてもんじゃないな・・・・・」

 そう呟く渉。数回鍬を振り下ろしただけで一日分の労働をした気分にすらなる。渉は自嘲めいた笑みを浮かべた。

「(まぁだからこそ・・・・、こんな状態から始めるからこそいいんだ)」

 今は畑というか、そもそも開墾されていない場所に渉は今いる。これが終わったら。というか3時になったら、農学の勉強をする。

「暑い・・・・・」

 体の中が燃えるように火照る。今は2月で大した暑さではないのだが、当然ながら鍬を振っていると暑さが滲み出てくる。

「乳酸運動の・・・・乳酸って一体何なんだろう・・・?」

 土が少しずつほじられるようにして出てくる。

 10回ぐらい振るったところで1度休憩しなければならなかった。

「くく・・・・・・」

 鍬に手をかけ、息もすっかり上がった渉がなおも自重するように笑う。腰にかかる負荷がハンパじゃない。現代科学の遥か高みと、過去の手作業でしなければならなかった農業について1通り思いを馳せる。目をつぶる。開いて見るがやはり、こうしてなんとかして振るった鍬がようやく掘り返したちょびっとの草と土があるだけだった。



 渉が神威に農作業をやりたいと言い出した時、神威は振りかって即答はしなかった。渉を見て何かを考えているようだった。やがて答えた。

「続けられるかい?」

 穏やかだが何かを問われているように聞こえる神威の言葉。

 それに対して渉はこう答えていた。

「やってみなければわからない」

 気まぐれのように湧き出た思いなのか自分でも分からない。ただ往々にして子供は飽きっぽいものだ。それが楽しくなく、どころか苦痛に満ち溢れたものなら。

「渉の言う通りだ。でもね、続けようという気持ちを忘れないようにしよう。畑を耕すのなら、耕している時は自然とおしゃべりできるし、自分とも話すことができる。私としては始めたのならば収穫までは続けることを望む」

 神威の真剣な語調。神威が明朗な声で話すのはいつものことだが。渉は言った。

「なんだか・・・・大事みたいになってきたね」

「・・・・・・機械を使わないのならばそれはそれは・・・・・・とてもとても大変なんだ」

「神威が好きでやることだからね。とても大変そうだ」

 俺のこの冗談に神威は笑う。

「私をなんだと思ってるんだ」

「さて、やるなら5m四方の畑をつくるのがいいだろう。1人でやるのならその広さの畑で一種類の作物を育てるといい」

「ところで作る作物はもう決めたのかい?」

「いや、まだ決めてない」

「それならば、畑を耕しながら決めるか、決めてから耕すか。私は前者をおすすめする。耕している最中にここで何を育てようか、考えることができるから」

 アリーシャが会話に混ざる。

「渉は農作業を始めるのか?」

  綺麗に動かしていた箸を止めて、アリーシャは言った。

「ああ。そう決めたんだ。でも他の人にはちょっと内緒にしておいて欲しいな」

「分かった」

 それからまた食事を再開するアリーシャ。彼女はよく御飯を食べる。
 幸い?他の家族には聞かれていないようだった。

「私の力を使ってくれれば、全ての季節の野菜を育てることができるぞ」

 ことなげもなくそんな発言をするアリーシャ。それはつまり、天候、気候の部分的改変だ。天候、気候を自在に操る現実味のない精霊王。そんな膨大な力を持つ存在。
 渉は苦笑した。

「いや・・・・・いいんだ」

「何故だ?」

 アリーシャが尋ねる。

「俺は俺の力でやりたいからさ」

 アリーシャの頭に?マークが浮かぶ。

 神威が微笑む。しかし渉は見逃してしまった。この男の滅多に見せることの無い冬の空の光のような微笑みを。



 こうして渉は畑を耕すこととなった。いや、まず畑を作るところから始めなければならなった。はやる渉は1時間ほどで神威からの簡単な情報で畑に適した場所を探し、そこを開墾することに決めた。

 水場が近く、耕しやすく、栄養価の高い土・・・・などなど単純な条件にそこまで高い水準を求めず、総合的に普通の条件の土地を選んだ。

  さて、また渉はまたも愚直に鍬を振り上げた。土に鍬が刺さりこみ、雑草と土がえぐれる。降っては少し休み、降っては少し休みを繰り返した。そうやってると自分の中身から声が聞こえてくる。

「(自分は一体何をやっているのだろう)」

 無意識下で繰り返される自分への問い。

「今日の行動とそれがもたらす効果と望む結果について文字として残しておくといいですよ」

 漆は俺にそう言った。

「どうして?」

 と俺が尋ねると漆はこう続けた。

「そうしておくと目標位置がはっきり定まりますからね。目指す位置が固定されていると、たとえどんなことがあってもその時の気持ちに戻ることが出来ます。たとえどんな嵐が来てもニュートラルはそこということになるのですから」

 土ボコリが舞う。土の匂いだ。汗が頬を伝い唇につく。しょっぱい。

「(漆・・・・・・あんたの言ったことはこうなんだろ・・?)」

 頭がふらふらになりながらも、様々な出来事、事象があらゆる方向からぶつかって来た時。人は冷静でいられることは難しい。だから、文章を残すことでその時の自分というものと会話をすることができる。

「漆は最初に掲げた目標と望みを叶えたのか?」

 渉が尋ねる。

「いろんなことがあり、目標と望みはどんどん変わっていってしまいました。私は過去の文章を見て驚きましたよ。今と考えていることがまるで違うのですから!」

「そうなのか」

「ええ。何故でしょうね。やはり知らないことを知ったり、体験したりすると望みも変質していくのでしょうか」

「ああ・・・・・」

「ちなみに漆の今の望みは・・・?」

 渉が好奇心を強めて聞いた。この数々の事を体験してきた老人の今の目標、望みはなんだろう。と。

「そうですね・・・・・」

「血湧き肉躍る冒険でしょうかね」

「えっ」

「うっかり血だるまになってしまうくらい激しい闘いを行いたいのです」

 渉は漆に対して驚いた。

「・・・・と、言うのは冗談です」

 漆が微笑んで言う。

「なんだ。俺はびっくりしちまったよ。驚かせんなよな。漆の冗談に俺はドキッとしちまうよ」

 渉が若干の抗議を込めて言う。2人は笑った。

 風が吹く。いい風だった。渉は手を止めて空を仰いだ。ここから丘を登ると島を見渡すことが出来る。
 渉は流れる白い雲に語りかけた。答える声が聞こえるのさ。信じていたらね。
 渉の精霊との交信力は強い方ではなかった。だが流石にこの農作業は、様々な精霊と交信するアンテナが冴え渡ってゆく。
 特に地の精霊達との交信が冴えている。滝みたいに流れる汗だがやけに気分がいい。
 おっと。熱中症に気をつけて、水分をとろう。ごくごくと冷たく美味しいお茶を飲んだ。
 美優印のお茶だ。しかし、誰かが俺のために作ってくれた飲み物や、食べ物はどうしてこう美味しいんだろうか。
 持ってきたタオルを首にかける。渉は今神威からもらった麦わら帽子を被っている。
 今日ものどかで平穏な一日が終わる。

 ────────────────────

「いてっ・・・・」

 完全に筋肉痛だ。慣れない農作業で完全に体中がバキバキである。腰の負担なんかやばい。今朝なんか体の痛みで目が覚めたほどである。目が覚めて体が動くことに何故か喜びを感じる。すごい痛いけれど。

「渉。おはよう。」

 寝起きの耳に柔らかな声が入る。未来が俺の部屋にいる。

「渉また模様替えしたの?」

 キョロキョロと周りを見る未来。蜜柑色の髪の毛の彼女は部屋の内装や、位置の変わりようについて言った。渉はよく模様替えをする癖があった。

「今日なんかあったっけ?」

 イマイチ覚醒しない頭で渉が尋ねる。

「今日も畑行くつもりなんでしょ?起こしてあげようかと思って。」

 未来がちょっと詰まったように言う。そのパチッとした目を逸らしながら。本当に分かりやすい反応だが、一体何を隠しているのか分からない。何か心配ごとでもあるのだろうか。なにか困ってるんじゃないだろうか。

「なにか困ってることでもあるの?」

 いくらか覚醒した頭で尋ねる。

「(俺に出来ることなら何でもする。)」

 寝起きは諸々の考えや思考があまり定まらないので欲求に対して自分は直接的な反応を見せることが出来る。これが時間が経ったりするとうじうじと考えてしまうこととなるのだが。

「うんうん。そういうことじゃないの。」

 予想外のことを聞いたように慌ててかぶりを振る未来。
 本当だろうか。未来はこれで結構自分の中で気にする方だし、よく我慢してしまう方なのだ。

「(俺がもっと頼りになれば彼女も我慢なんかしなくて済むんじゃないか・・・・?)」

 なんとなくそんなことを考える。
 いや、違う。彼女は我慢してることもそうだが、一人で頑張りすぎるんだ。

「(どっちにしろ俺がもっと頼りになればいいんだけど。)」

「俺頑張るよ。」

 渉が言った。

「え・・・・・・」

「頑張ってもっと強くなるから。もっと色んなことを知って、頼りになるようになる。」

「渉・・・・」

 未来はハッとしたように渉を見る。
 幼い時から一緒にいたのだけれど未来から見て渉はとても焦っているように見える。未来は渉に幸せになってもらいたいけど、自分から傷ついているように見えて、心の中で叫ぶこととなる。

「(どうにもできないようなことをどうにかしようとしているんだ。)」

「渉が、そうしたいなら私もそうして欲しい。それでさ。渉が笑えるのなら。」

「・・・・・笑えるさ。きっと」

 そう答えたが内心では渉はこう答えていた。

「(分からない。みんなを守れるのなら、笑えなくなったって・・・・・・)」

「絶対だからね!!渉!!幸せにならないとダメだよ!!」

 未来は俺にいつにない気迫でこう言った。

 そのすぐあとに目覚ましが音を立てて鳴り響いた。
 いつもにこにこしている未来。渉はまだ真剣な眼差しをこちらに向けてくる未来を困惑した状態で見つめ返していた。

 渉は顔を逸らした。

「今日はありがとよ。正直目覚ましじゃ今日は起きられなかったかも。」

 そう言うと未来はいつもの笑顔で元気な未来に戻った。

「じゃあ俺、着替えるよ」

 そう言って渉はおもむろに服を脱ぎ始めた。

「うん」

 未来は渉が言った情報を理解する前に返事をした。

「わぁっ」

 脱ぎ始めた渉を見て急に顔を赤くする未来。

「うううう、うん。それじゃあ私行くねっ」

 顔を背け、それでも少しの視線は未来の理性と反するように渉を追う。下を向いて早口で喋りながらドアへと向かい、部屋を出る未来。
 ドアの外で、誰かとぶつかったらしく鈍い音が聞こえる。ぶつかった時の声で渉には相手が分かった。真下とぶつかったらしい。これは未来にとっては運がよかったと言える。春秋と真歌だったら嫌な絡まれたをするだろう。嫌な絡まれた方なら久尊寺もなかなか。春日井は無害。

「(少し冗談が過ぎたかな。)」

 渉は寝巻きを着替えなら思う。今日も農作業だ。未来のおかげで気が引き締まった。

 一方未来は頭を火照らせながら歩いていた。未来は運動神経がいいため、その歩きも軸のしっかりした、それでいて彼女らしいステップだった。

 その後屋敷の庭から渉と喋って見送った。この頃には未来は落ち着いていた。重そうに鍬を持って、それでも一生懸命に歩く渉を見て未来は物憂げな視線をその背中に向けるのだった。

「(なんだろう。渉が・・・・・・)」

 ここから先は想像するのも怖い。

「(どこかへ・・・・・ずっとどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかって気がする)」

 その一生懸命な獅子の子供は、その一生懸命さが原因で、どこか遠くへ行ってしまうんじゃないかって。


  土を今日も今日とて掘り返す。渉はもうこれで三週間も晴耕雨読の生活を続けていた。子供がやるにしてが恐ろしく根気がいることである。いや、大人であっても相当なことだった。何しろ生まれて始めてやる農作業だった。では何故渉はこんなにも長く、ひたむきに続けられたのだろう。それは彼が彼自身の宝物を守るためだった。

「さて・・・・・どうだ?ノーム。土の感じは」

「まぁまぁかなぁ~」

「そうかい」

 このように地球儀のようなものに乗って浮かぶこの土の大精霊は何も曖昧な答えしか言わない。

「土が教えてくれるのだ~」

 地球儀の上で寝っ転がるノームはこんなことを言う。

「土がね・・・・」

 渉は呟きながらえいと鍬を振り下ろす。すっかり土に塗れた鍬だ。

「(俺にはわかんねぇ・・・・・分からないまま手を出した。どうしてだろうな。こんなに大変できつい事。誰が喜んでくれるわけでもなし。)」

 鍬を振り下ろす。何度も何度も土を掘り起こして、かき混ぜて、ふっくらさせる。それでも土を作るところから始めるのならば時間がかかる。当然だ。栄養がなく、その野菜を育てるのに適した土というものがあるのだから。

「(ならどれくらいかかるんだ・・・・?)」

 鍬を振り下ろしながら思う。

  昼は働き夜は学ぶ。1ヶ月もすれば慣れてきて、体もだいぶ出来てきた。


 そして半年が経った頃。だんだんと渉には土の声が聴こえ始めてきた。

 ぽわ・・・・
 と土から光のようなものを感じた。今まで微精霊の姿を感知することは出来てもこんなざわつくような「声」を聞いたことは無かった。ざわざわと微精霊が「喋って」
 いる。

「お・・・・おお・・・・」

「これは・・・・・確かに「喋って」るな・・・・」

 そうか。こういうことだったんだ。神威や、藍子や漆の言っていた感覚は。彼らは確かに精霊達の声が聞けた。

「やった・・・・・」

 行ける。頭の中でその言葉がした。振り上げた鍬の先の金属にエネルギーが収束するのを感じていた。鍬の先を不可視の力が包む。
 土にめり込む感触が今までと明らかに違う。黄色のキラキラと光る微精霊たちが渉を導き、また渉も数ミリ以下の調整と力加減の精度がずば抜けている。

 夕焼けの下で土と、渉とにキラキラとした光が散りばめられているみたいだ。

 渉は尋常ではないスピードで成長していた。

 その後野菜を育て、収穫に至るのは1年後となるが、そこまで渉はへこたれることなく続けた。収穫した野菜は上妻家の食卓に並ぶこととなった。

       

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