Neetel Inside ニートノベル
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約束の地へ
第4話

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『駿馬』紙上の人気連載【今日の忠道】。
この数年ですっかり関東のトップジョッキーに登り詰めた紺田忠道騎手と親交の深い駿馬トラックマン、田畑嘉隆が、土日それぞれの騎乗馬から厳選した一頭を紹介するコラムである。このコラムで取り上げられた馬は高い確率で馬券に絡むので、駿馬を買って一番初めに目を通すのがこの欄、とわざわざアンケートを送ってくれるファンもいるほど、熱い支持を集めている。
朝川とは種類は違うが、田畑もまた二足のわらじを履くトラックマンである。
「はい、はい、ええ、申し訳ないんですけど、そのレースは先約が入ってましてね、ええ。申し訳ないんですけど。またお願いします。良いレースになることお祈りしてますんで、ええ」
田畑は電話を切った後、朝川に向かって溜息を吐いた。
「先週天皇賞勝っちまったから、電話がひっきりなしだわ、ったく。二台欲しいくらいだな、携帯が」
「聖徳太子じゃあるまいし、無理ですよ」
同僚のトラックマンとはいえ、朝川は田畑とはこれまでさほど親しく付き合ってきたわけではなかった。酒席が好きでよく先輩後輩や厩舎関係者などと飲み歩く朝川とは対照的に、田畑は下戸で、妻と2人の子を持つマイホームパパであり、残業もそれほどしない。
だが、仕事に関しては迅速かつ丁寧、また、穏やかな人柄も好かれ、田畑を悪く言う競馬関係者を朝川はこれまで目にしたことがなかった。朝川にとっては、尊敬できるたくさんの先輩トラックマンの中の1人、という認識であった。
想定班としての仕事も同時進行で、紺田の騎乗仲介者(エージェント)も務めるというのは、並大抵のことではない。騎乗回数の少ない騎手ならまだしも、今の紺田は関東でも1、2を争うほど騎乗依頼の殺到する騎手である。
柿田調教師への取材後、どうしても紺田に直接話を訊いてみたくなった朝川は、支局に戻りすぐ田畑に懇願し、今日の紺田への取材の運転手役を志願した。ペーパードライバーなのだった。

理由もなくついて行くとは言いづらかったしな。田畑さんが車運転しない人で助かった。
喫茶店内は分煙だが、取材部屋に選んだ個室は禁煙であり、いささか居心地は悪かったものの、紺田に直接話を訊けると思えば、その程度は我慢しよう、と朝川は唇に手を当てながら思った。
「ヨシさん、お待たせ」
そう言って個室に入ってきたのは、背は一般的な大人より低めだが、つくべきところに筋肉がついている、紛れも無いアスリート--紺田忠道だった。
「どうも」
鷹揚に会釈をした田畑と、ギクシャクしたお辞儀をした朝川との対比がおかしく、紺田は口元を緩ませながら、朝川を見て言った。
「この方、駿馬の記者さん?」
「朝川征士です。はじめまして」
知られていない。当たり前だ。
朝川には想いがあった。全国の人とは言わない。競馬関係者であれば一目で顔と名前が一致する、そんな人物になりたかった。
そのためには、まだまだ、何もかもが足りない。
頼んだホットコーヒーが届いてから、本格的な取材が、特にそれとはわからない雰囲気でスタートした。田畑が切り出す。
「マイジャーニーの依頼が来たのは、ラッキーだと思ったな。この馬、関東の2歳の中じゃ相当奥のある馬だと思ってるんだ。ウチの2歳馬分析チームの中でも、関東じゃこの馬が現時点で一番ダービーに近いと言われてるくらいだ」
「関東じゃ……ね。2歳のうちとか、クラシックの前哨戦くらいまでは何とか戦えるんだけど、本番となると有力な関西馬が出てきて、あっさり蹴散らされちゃうんだよなぁ」
数年前までの最悪期は脱した感があるが、依然、日本の競馬界における西高東低の流れは続いているというのが多くの関係者の共通認識である。ただ、ここ数年は関東からGⅠ勝ち馬も多く出るようになり、少しずつ関東の反攻は始まってきているという見方もあった。
「そりゃ関西馬は良いのを送り込んでくるよ……でもさ、競馬学校卒業時に『一番勝ちたいのは日本ダービーです』と声高らかに宣言した紺田騎手としては、もちろん一発狙うよな?」
「古い話持ち出すなぁ。そりゃ、チャンスのある馬で臨めるなら、力の限りを尽くして乗るけどね」
来年のダービーの話になると、紺田の目の輝きが増したような気が、朝川にはした。それだけで、マイジャーニーにかける期待の高さが伝わってくるようだった。それは、田畑も同じだったようだ。
「とりあえず土曜版には『マイジャーニー。ここは通過点』って書き出そうかと思ってるよ」
「いいよ、そう書いといて。休み明けだから少し太め残りな気はするし、気配もまだピリッとした感じはあんまりないけど、やはり凡百の馬とは走りが違うよ。ストライドが大きくて、長く脚を使えるタイプ。新馬戦は能力の違いで最後方からまとめて千切っていたけど、本質的には追い込み馬じゃないんじゃないかな……そんな気がしてるんだ。来年に向けて賞金は加算しないといけないけど、同時にマイジャーニーが一番力を出せる」
紺田が具体的なレースプランにまで踏み込んできたところで、朝川が待ってましたとばかりに割って入った。
「本番は頭数が少なくなりそうですし、まだ経験の浅い馬ばかりですからなんとも言えませんが、明確に先行しそうなのは、柿田厩舎のシャインマスカットとあともう一頭くらいですね」
田畑は訝しげに朝川の顔を見た。
「なんか……ヤケに柿田厩舎を強調したな。お前さん、それが訊きたくてきたのかい?」
たしなめられるか、と覚悟しつつ、朝川はさらに続けた。
「僕は、柿田厩舎番なんです。シャインマスカットとの相手関係を知りたいという気持ちです」
紺田は、相手を量るような顔付きで、しばらく朝川を見定めたあと、口を開いた。それは田畑に話していた時とは打って変わって、丁寧な口調だった。
「…まず、今回のメンバー全体の話をすれば、正直低調な構成だと考えています。その中では、シャインマスカットは新馬の勝ち方が鮮やかな逃げ切りだったこともあり、今回の中では強い部類に入る馬だと思います。ただ、前走を見てても、いかにもローカル向きの馬。東京の長い直線で脚が持つかどうかは微妙です。マイジャーニーの方は逆に、東京こそ最高の舞台。僕のプランとしては、前走とは正反対の先行策で、シャインマスカットに早めに並びかけて競り落とすような競馬をしたいと思っています。ただ……」
紺田はここで言い淀み、考えている風だった。少しして、続きを話した。
「…柿田先生が手がける馬ですから、僕の予測を上回る仕上がりで出てくるのかもしれません。いずれにせよ、強敵だと思っています」
間違いない。紺田騎手から柿田調教師への確執はない。それどころか、尊敬の念さえ感じられた。
とすると、やはりあの噂のとおりなのだろうか。紺田が若き日に起こしたという、あの一件。
正直、訊きたい。本人の口から。それができるのは、トラックマンだけなのだから。
「ヨシさん、もうコラムのネタは出来たでしょう? マイジャーニー以外書きようがないよね」
「今週も推奨馬がきっちり走って、ファンレターがまた届く光景しか浮かばなくなったよ」
田畑はそう言ってから、テーブルの上のコーラをストローで啜り始めた。
「それなら、コラムの話は終わりで。まだ時間があるから……ちょっと昔話でもしようか?」
朝川は、紺田の言葉を受け、俄然前のめりになった。

       

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