非正規英雄(アルバイトヒーロー)
最終話・√どんべえは関西派 終幕後の演劇
「セバスチャンに何をしているの?」
そう言って彼女は激戦を終え大きく息を吐いていた戦士たちのもとに現れた。
どうやら燐はやられてしまったらしい。死んでいるのかいないのか、ここからそれを確認することはできない。だが、問題はそこではない。お嬢様がここにいるという事実、それが最大の問題だ。
カーサスとヴァイオレットは二人は何とか異形の怪物を倒す――というよりばらばらにして戦闘不能状態にまで――追い込むことに成功した。今彼らの目の前に転がっているのは二人分あるかないかのどす黒い肉塊だった。ピクピクとうごめいているが非常に気味悪い、鹿子など今にも吐きそうな顔色をしている。
和宮も軽く同情をするほどそれは醜い姿だった。
しかし、そんなことはお構いなし、我らの意にそぐわぬ者は全て滅する信念を持つカーサスとは止めを刺してやろうと腕を振り上げた。
その時だった。
お嬢様が現れたのは
圧倒的殺意と、絶望的な魔力を吐き出しながら。
それにいち早く気が付いた。
ヴァイオレットは少し顔を青くしながら「なにこれ」と呟いた。カーサスも眉を片方上げて目を見開く。マーリンやさっきの邪神と比べると少し劣っている程度の魔力の量。しかしそれがまるで個別の意志を持っているように、自分たちに襲い掛かってくる様が見えてくる。何をしている訳でもないのに。
石動がまず驚いたのは、お嬢様がそもそも生き物なのかすら怪しい邪神の欠片をセバスチャンだと見破ったことだ。なぜかと聞いてみたかったが、できるはずもない。
「ちょっと落ち着いてくれ」
そう話しかけて、まずは落ち着いてもらおうとする石動。
だが、お嬢様は聞く耳を持たない。無視して歩いてくる。
返事はない。その沈黙が痛くて重い。
「おい、彼女は何者だ」
「純悪魔さ」
「それは知っている」
「じゅんの部分は純粋の純だ」
「……ふむ、何となく言いたいことは分かった」
それだけで察するカーサス。前にも似たようなタイプの悪魔に遭遇したことがある。その時は自身の魔力を制御できず、激昂するとただただ暴れまわる面倒な奴だった。だが、そいつとお嬢様には一つの大きな違いがあった。そいつの魔力は非常に不安定だったが、お嬢様は安定している。もちろんそれには肉体への負荷という大きな代償を抱いているのだが。
今、この場にいる全員は疲弊しきっている。しかし人数差では勝っている。
止めることぐらいはできるか。
石動はそう思っていた。だが、カーサスはそう思っていなかった。彼女の能力が何かまで把握していないが。相当強いことは分かる。現に彼女が出していると思われる粘膜は既にここ一帯にいきわたっている。
いつでも皆殺しにできる準備は整っているのだろう。
逃げ場はただ一つ。
彼女が入って来た出入り口だけだ。
「はて、どうするか」
ここにきて、一番面倒なのが来てしまった。
最悪の展開。
石動が応戦するべきか逃げるべきか、ほんの一瞬考え込む。
その間にもお嬢様はゆっくりと歩を進めてくる。
「やるしかないか………」
気が進まないが致し方ない。剣を構え、応戦する決意を見せる。それに合わせてお嬢様の放つ粘液からゆっくりと触手が生えてくる。その数は一つや二つではない。十、二十、いや数えきれない。
和宮たちも辺りを見渡して大きなため息を吐く。
またここに醜い戦いが始まるのか、誰もがそう思った時。
「私が解決しよう」
そんな声が突如響いて来た。
石動はそれに驚き、声のする方を向く。
するとそこには一つの黒い影が立っていた。
誰もが疑心暗鬼だったが彼女の言うことは確かに効果があった。満身創痍だったものの、セバスチャンは傷だらけで見る影もないものの、一応元に戻ったし残った邪神の力も無事に封じることができた。だが、それと共に別に疑問が湧くこととなった。
彼女の正体だ。
「お前は一体何者なんだ」
石動がその場にいる皆を代表しそう尋ねた。
それに応じて彼女はこう答えた。
「その答えを知る権利があるのは、石動堅悟、あなただけだ」
こうしてわずかな謎を残して第二次神討大戦は終わりを告げたのだ。
神討大戦から二週間がたった。
一つの人工島が崩壊するほどの大事件だったが世間はあまり興味を示さなかった。それはあまり事を大きくしたくなかった石動たちからするとありがたいことだった。最初の三日はテレビ局が特集を組んだり、新聞が特集を組んだりしたが、次の日には有名女優の不倫騒動の方に枠が大きく割かれていた。
石動は今までと同じようにアトランティスでアルバイトを続けている。
そろそろ辞めるべきとは思っているのだが、他の仕事が見つからないのでもうしばらくは続けるつもりだ。戦いが終わってすぐ、全員いつもの生活に戻って行った。打ち上げとか飲み会をやろうと言う人はいなかった。
それだけ疲れていたし、やる気分にもなれなかった。
そして今日、石動は人と会う約束があるので駅前の喫茶店にまで来ていた。
約束の時間より三十分も早く来たのだが、彼女は既に石動より先に来て席についていた。テーブル席にただ一人、なかなか寂しい光景だった。彼女はずっとパソコンに集中していたが、石動が近くに来るとそれに気が付いて顔を向けた。
「やあ」
「……意外と美人だな。あんた、本名は?」
「内阿でいい」
「四大幹部の一人だよな。直接会うのは初めてか」
「その通り」
石動の素直な感想の通り彼女は美人だった。ただし、目の下のクマが全てを台無しにしている。内阿の対面になるように席につき、やって来た店員にコーヒーを頼む。それが運ばれてくるまでの間、彼女はひたすら無言だった。
だが石動が一口飲んだ瞬間に彼女は話を始めた。
「さて、私の正体だが何となく察しはついているのでは?」
「あれは邪神の力だな」
「そう、私は邪神の力を持っている」
あっさりとそう答える。
その表情からは考えを読み取ることはできない。
「長い話をしよう」
「少し待て、俺はお前に聞きたいことが……」
「あなたが話をするんじゃない。私の話をあなたがきく」
「…………つまり、俺に質問する権利はないと」
「私が、主導する」
「分かったよ」
長くなるのなら先に色々と聞いておきたかったのだがそういう訳にはいかないらしい。後で聞く時間があればいいのだが、と考えつつもその長い話に集中することにする。それだけ長い話ということは重要な意味を持つはずだ。一言も聞き漏らすわけにはいかない。
そういえば彼女は飲み物を頼まなかったな。
一瞬それに気が付いたが、そんな些細なことはすぐに吹き飛んだ。
「さて、昔の話だ。邪神が封印され、マーリンが追放された。その後の出来事だ」
「…………」
「この世界は創造主が製作した箱庭のようなもの。そしてそれを管理しているのが天使と悪魔。敵対しているが、どちらもこの世界には不可欠なもの。ところが件の神と邪神のくだらない争いのために邪神が封じられた。結果何が起きたか、分かるか?」
「さぁ?」
「バランスが大きく崩れたのだ」
「バランスねぇ」
「そう、バランスが崩れた。この世界は一見不均衡に見えても必ずどこかで均一になっている。邪神の力が消え、神や天使たちの力が大きくなり過ぎた。創造主はその結果何がおきるのか知らなかった」
「知らなかった?」
「そう……未来を決めることはできても知ることはできない。そして起きたことはあまりにも不思議だった」
「それは?」
「邪神を蘇らせようとする見えない力が働くようになったのだ」
「あー」
何となく理解できた。つまりは崩れたバランスを戻そうとしたのだろう。
それでどうなったのか。内阿はそれを話し始めた。
「その結果、定期的に誰かが邪神の力を自らの物にしようと動くようになった。ある時はただの人間で、ある時は堕天した天使だった。天界から偶然にも持ち込まれた書物からそれを行おうとした人間もいた」
「それが、今まで何回起きた?」
「さぁ? 私は本当に数えるほどにしか干渉していないし、いちいち覚えていない」
「…………」
自分たちは第二次神討大戦とか言っていたがそんなことは無かったらしい。
少し意外だったようなそうでないような。よく分からない話の流れになって来た。予想できなくもない展開ではあるし、分かりにくくもないのだが、聞くのが面倒臭い流れになっていった。
もう一口飲んで落ち着こうと思い、口元までコーヒーカップを運ぶ。
しかしもう、中身は残ってなかった。
「そしてその度に神は邪神の復活を阻むために一人の英雄を選んだ」
「選ばれる?」
「正確に言うと違う。天使たちには知られていない。概念に干渉できる、もしくは天使や悪魔を打倒できる力を持つ非正規英雄が定期的に誕生するのだ」
「それが、俺か」
「そう、今回は石動堅悟、あなただ」
「…………」
選ばれし存在。
少し中二心がくすぐられるが今はそんなことで喜ぶ気分ではない。もし自分が非正規英雄になったばかりの頃なら手放しで喜んだだろうが。一瞬あの頃のことが懐かしく思えたがもうあの頃の自分はいない。
「それで?」
「それであなたは責務を果たした」
「……それだけか?」
「もちろん、それだけじゃない。今回、および前回私が干渉した理由を説明しよう」
「…………」
まだまだ長い話になりそうだった。
「前回の大戦に干渉した理由は神を封印するという珍しいタイプだったから。何度も干渉するのはあまりよくない。だから今回、私はただ傍観するだけのつもりだった」
「つもりだった」
「しかし事態が進むにつれ面白いことが分かって来た」
「面白いこと」
「そう、今回の大戦は特異点が独特で。それによってこの戦いが思いもよらぬ方向へと進んで行った。今までで一、二を争うほどややこしい事態だ。ただでさえ前回がめんどくさかった、それで私は最悪の事態に備え、大幅に干渉する決心をした」
「特異点………」
「分かりやすく言うと大戦を動かす要因だ。準悪魔でも非正規英雄でもいい。前回はカイザーただ一人、通例としては多くて二人」
「独特というのは?」
「今回は三人。引き続きカイザー、御守佐奈そしてもう一人」
「もう一人」
「四谷真琴」
「―――ッ!?」
予想外の名前が出た。
どうしてマーリンの人形に過ぎないはずの彼がその特異点とやらになりえるのだろう。その疑問を感じ取ったのか、それともたまたまなのか――おそらく初めからそうするつもりだったのだろう――内阿はそれについての話を始めた。
「そもそもおかしいと思わないか? どうして準悪魔として作られた肉体に限りなく――それも天使でさえ間違うような――非正規英雄の能力を所持できたと思う? それに彼はある時点でマーリンの支配下から逃れていた可能性もある」
「…………」
「その理由こそまだはっきりしていないが、マーリンの遺言がそれを教えてくれるだろう」
「…………お前は、知っているのか?」
「知らない。知らないが、見当はついている」
「…………」
これで話は一段落ついたのだろうか。
内阿は口を閉ざして机の上を見ると「あれ?」と言った顔をして少し首を傾げたが、すぐに「ああ」と納得がいったような顔をして頷いた。どうやら何も頼んでいなかったことに今気が付いたのだろう。
かなり間抜けな姿に見え、少し笑ってしまいそうになった。
だがそれを自制する。
質問するなら今のタイミングだ。
「お前は」
「うん?」
「お前の正体はなんだ?」
「あぁ、説明していなかったな。私はわずかに残った邪神の力を元に創造主が生み出した、いわば監視者だ。この世界の行く末を見守り、邪神が復活した際にそれを相殺する役割を持つ」
「相殺?」
「そう、圧倒的な負の力を同じ負の力を持つ私の力で消し去る。まぁ、ビックバンに近い現象が起きるから確実に世界は滅びるがな」
「………おっかないな」
「そうならないように努力したんだろう?」
「そうだな」
石動は続けて質問しようとした。
ところが彼女の方が先に口火を切った。
「今、バランスは限りなく完璧に保たれている。理由は分かっているな」
「あぁ、お嬢様だろう」
あのとき、内阿が提案した策。セバスチャンを救い、全てを丸く収める方法。
それはお嬢様が邪神の魔力を吸収し、その身に宿すこと。他の物なら不可能でも彼女にはできた。それで不安定な彼女の魔力も安定できるのだと言っていた。本当にそうなったのかはまだ確認していないのだが、少なくともセバスチャンは戻って来た。
「だがそれ以外にも何かある」
「何?」
「邪神の力が一部解放された、それだけだと均衡は保たれない」
「もう一つの何か」
「見当はついている、答えが分かったら教えてくれ」
これが最後だあった。
まだまだ聞きたいことはあった。
しかし、石動が口を開くより先に彼女が言い放った。
「さて、ここまでとしよう」
「何?」
「彼らが来たようだ。私の出番はここまでだ」
「…………本当に来たのか?」
そう言いながら窓の外の方へ眼をやってみる。
その瞬間だった。
店のドアの開くチリンチリンという音。ちぎれるんじゃないかと思うほどのスピードで首を回すと車いすを押す女の子と一組の男女の姿が見えた。彼らは視線を送る石動に気が付くと、別の席に案内しようとする店員を制してこちらに向かってきた。
「よう、石動」
「元気そうだな、和宮。翼ちゃんも」
「おかげさまで」
間遠と翼ちゃん。この二人が並んでいる図は意外と違和感なく周囲の風景に溶け込んでいる、なかなか面白い。もし何も知らない人に「この二人はカップルなんだぜ」と言っても通じるだろう。
おそらくお互い嫌がるだろうが。
そしてもう二人。
「セバスチャンはどうだ?」
「これを見て元気そうに見えるとしたら、石動様の目は相当節穴ですね」
「でも結構元気になったよ、自分でお茶を飲めるようになったし」
「はははは、お嬢様に飲まされている姿を見てみたかったよ」
「ごめんですね」
車いすに座っているのはセバスチャン。しかし、あの悠然とした紳士の姿ではなく、完全に障害者のそれだった。右腕が無くなって、右足も膝から先がない。左目のあった場所を眼帯が覆っている。
唇の右端から目元にまでかけて鋭い傷が一本走っている。
執事服を着ているが、その下はもっとすさまじいことになっているという。
無事に戻って来たものの、全身に大きな傷を負ってしまった。つい二日前まで入院していたのだが無理を言って退院したのだ。今はお嬢様や蓮田に面倒を見てもらいながら療養している。
入院中一度も会いに行ってないのでどうなっているのか少し心配だったのだが、思いのほか元気そうで安心した。
そういえば内阿のことを翼ちゃんと和宮は知らない。
紹介しようと思い、石動は内阿の方に顔を向ける。
しかし、彼女の姿は忽然と消えていた。
「え?」
「うん? どうした石動」
「いや、さっきまでここにあいつが……」
「何を言っている? お前ひとりだったぞ」
「…………そうか、いや、何でもない」
「?」
お嬢様は車いすを机の横に止めると石動の隣に座る。和宮はさっきまで内阿がいたはずの場所に座り、翼ちゃんはその隣に。全員着席した瞬間に店員がやってきて水を置き、注文を取って行った。
それが終わってすぐ、石動は話を始めた。
「で、リザはどこだ?」
「行方不明」
「ふざけるなよ…………阿武熊さんが面倒見ているけど本来は彼女の仕事だろ……」
「カイザーか、まだ目覚めないのか」
「当分は無理みたいだ」
あの戦いの後、カイザーは昏睡状態のまま目が覚めない。
この二週間、最悪このままずっと。
それなのに、リザはどこかへと消えてしまった。阿武熊さんがカイザーの知り合いで、入院の手続きやそのほかを済ませてくれた。佐奈と交代で面倒を見ているらしい。セバスチャンとは違う病院で、石動はそっちに通い続けていた。
大きくため息を吐き、がっくりとうなだれる。
怒りと呆れが混ざりに混ざって何とも言えないどす黒い感情へと変貌している。どこかに吐き出そうにも、ゴミ箱は見当たらなかった。
翼ちゃんは水を飲みながらほんの少し申し訳なく思っていた。
実は和宮と翼ちゃんは知っている。
リザは生まれ故郷に帰っていったと、一応連絡先も残してある。しかし、リザから絶対に誰にも話すなと厳命されているので黙っている。カイザーにあわせる顔のない彼女の心境も分からなくはないからだ。
うなだれ続けていたってしょうがない。
石動は気を切り変える。
「ところで和宮、本当に中国に行くのか?」
「あぁ、お前の言うリー老師に会ってみたいからな」
「翼ちゃんも本当にいいのか?」
「はい、無事パスポートも手に入りましたし、あそこにはもう一度行ってみたかったので」
「こいつと一緒は苦労するぜ、がんばれよ」
「四六時中一緒なわけではありませんし、堅悟様みたいに突然ウニにはならないでしょう」
「はははは、それもそうだ」
そんなこともあったなと懐かしく思う。
本当はもう少し色々と話したかったのだが、先に用事を済ませることにする。
石動はセバスチャンの方を向くと話しかけた。
「いくつか聞きたいことがある」
「何でしょう」
「雲取山って知っているか?」
「いえ、地名には疎いもので……」
「この辺りだ」
そう言って携帯を差し出し地図を見せる。
位置としては東京都から埼玉県、山梨県をまたぐように存在している。水源林もあり、三峰山の一つにも数えられている。きちんとコースも整備されている美しい山だ。セバスチャンは地図を見て初めてどこだかわかったらしく、「ああ」と頷くと答えた。
「ここは昔使っていたお屋敷がある場所ですね。確か最後までマーリン様は使用していました」
「ここでマーリンは何を?」
「確か、人形を製作していたはずです」
「…………そのお屋敷の詳しい場所は?」
「それはまたどうして」
「マーリンの遺言だ」
「…………」
とたんに無言になるセバスチャン。
一瞬の間の後、彼は拡大された地図の一か所。山のふもとに近い当たりを指さした。
「この辺りから中腹まで登ると看板があります。古ぼけて崩れかけた物ですが、それに書かれている矢印の通りに進むと細い、しかし整備された道に出ます。そこを辿れば着くはずです」
「そうか、ありがとう」
「石動、マーリンの遺言とは何だ?」
そう口火を切ったのは間遠。
しかし石動は薄く笑うとこう答えた。
「それは、秘密だ」
一瞬の静寂。
知りたい三人と頑なに口を開かない一人。
そのどちらでもないもう一人は「あ、私トイレ行ってくるねー」と容易に言い放つと席を立つと消えていった。お嬢様の後ろ姿を見守りながら、石動はふとあることに気が付いた。
「少し、背が伸びたか?」
「お気づきになられましたか?」
「何があった」
「邪神の力のおかげでしょうか」
「……安定したという訳か」
「二週間で十cm近く伸びました。まだ、伸びるでしょう」
「…………」
邪神の力のおかげで普通に成長するようになったということだろうか。
それは非常にいい知らせだった。
翼ちゃんは石動が露骨に話を逸らしたことに不快感を覚えつつもこう尋ねた。
「ところで、堅悟様どうなさるので?」
「うん? 遺言の事?」
「ええ」
「あぁ、行くよ、でもその前に必ず一言いうさ」
「ならいいですけど……」
「まぁ、心配するなって」
「…………」
この後はひたすらとりとめのない話が続き、解散となった。
その次の日、石動は誰かに何かを告げることなく、雲取山へと向かって行った。
四谷の死体を最後に見たのは火葬場に送る前、棺桶にいれる直前だった。
『蝙蝠』の仲間のつてをたどり彼の死体を火葬場へと持って行った。いきなりの事だったため、次に石動が目にしたのは骨の詰まった小さくて安っぽい壺一つだった。それを適当な墓にいれてそれで終わりだった。
そして。
それっきり彼のことは殆ど忘れていた。
屋敷につくまでに石動は色々と考えていた。
これまでの事、これからの事。非正規英雄、準悪魔、今までの戦いの記憶が色鮮やかに脳裏を過ぎて行ってはそのまま虚空へと吸い込まれていく。そして最後にただ一つマーリンが言い残した頼みがくっきりと浮かぶ。
それはこういう物だった。
「雲取山の屋敷にある物を処理してくれ」
その「物」とは一体何か分からないが、おそらく一目でわかる物だろう。そうでないとマーリンがそんな曖昧な言いかたをした理由が分からない。
無意識のまま道を行く。
言われた通りに、まるで何者かに操られているかのように。
お屋敷は半分崩れていた。特に右側、お屋敷は三階建てなのだが一階から三階にかけてが完全に瓦礫の山と化している。少し片づけた跡は見えるが、焼け石に水にしか思えなかった。
老朽化らしいが、それにしては派手な崩れ方をしている。はっきりとは言わなかったがおそらくお嬢様が暴れたのだろう。セバスチャンの表情から何となく予想できた。幸いなことに玄関口はそのまま残っていたので、そこから中に入る。すると広い廊下が現れる。
セバスチャンの話によるとその廊下の奥に地下へ向かう階段があるのだという。
その地下でマーリンは人形の作成を行っていたという。
他にも書斎があると言っていたが崩れていたそうだ。何かあるとしたらまず地下だろう。
石動は迷うことなく真っ直ぐそこへと向かって行った。
地下は黴臭く、薄暗く、気持ちの悪い物。
そんな石動の固定観念は覆された。マーリンが人形を作成したというその場所は綺麗に掃除がされていて、天井には明かりがついていた。地面には全く同じデザインの棺桶いくつもそして規則正しく並んでいた。
その中で最も石動の目に留まったのは一番奥、壁に立てかけられ、明かりが集中的に浴びせられている一つだった。
その一つだけはどういう訳か鍵のようなものがかけられていた。
しかし、だからと言って中を見ることができないわけではない。なぜならそのカギは遠目から見てわかるほどはっきりと壊れていたからだ。
「これか」
棺桶に近づいてみる。するとそれにはネームプレートが張り付けられており、そこに「四谷」と書かれていた。静かに驚く石動。目を見開き、信じられないものを見るような目をするがすぐに平静を取り戻す。
マーリンが何らかの手段を使って回収したのだろう。
そうでなければここにあるはずがない。それに本題はそこではない。
石動はモヤモヤを忘れるようにしながらその棺桶に手をかける。
するとあっさりとそれは開いた。
薄暗いその中にあったのは白い卵のような物体だった。
「これか?」
これは
何だ。
一瞬分からなくなるがすぐに思い出す。
前に誰かから聞いた。第一次神討大戦で神と心中をした非正規英雄。そしてその力が封じられた「卵」のような存在があるということを。カイザーだったか、翼ちゃんだったが定かではないがおそらくそれだろう。
確信があった。
この卵のような形をしたそれからはっきりとした魔力が感じられたからだ。
「これを、どうしろって言うんだよ」
そもそもこれがどうして四谷の棺桶――と言っても本当に彼の物かどうかわからないが――の中にあるのだ。
疑問が湧き出てくる。
だが、幸か不幸か今日の石動は冴えていた。
一つの仮説にあっさりとたどり着く。
「もしかしてこれを使って四谷を作ったのか?」
だとしたら説明が付く。
彼が天使でも見分けがつかないような非正規英雄の能力を持っていたことも、マーリンの意志から外れた行動ができたのも、この力のおかげだとしたらあり得る。そして彼が特異点たる理由も。
「これが………」
これを処理してほしいというのがマーリンの願い。
そして、仮にこれがどんなに硬くても、神聖なものでも、石動には可能だ。
「…………」
石動はその卵を手にするとじっと眺める。
そして考える。
果たしてこれが一体何を果たすのか。
これを壊すことで何かまた均衡が崩れるような出来事が起きるのではないか。色々と心配事が浮かんでくる。そのうち全く別のことを考えるようになった。翼ちゃんの事や佐奈の事。今までの戦いの末に得た何か。そして内阿との話。
石動は左手に握りしめた卵の奇妙な温かさにほんの少しの不快感を抱きつつも、それを握り締める。
そして
右腕にエクスカリバーを顕現すると、それを大きく振りかぶった。
この後、石動は行方不明となる。
一度だけ馬場コーポレーションの監視カメラに映った以外、誰も彼の足跡を追うことはできなかった。
結局彼が再び姿を見せたのは二年後、海座弓彦の葬式の時だったという。